邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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幽霊マンション その2

 時刻は午前2時。

 照明を一切点けてない104号室の中は、漆黒の闇に塗り潰されている。

 久我憂助はソファに身を沈めて、一人瞑目していた。

 膝の上には、愛用の木刀『獅子王』を置いている。

 

 ……カタン。

 

 不意に響いた物音に、憂助は目を開いた。

 念法で強化された視覚は、闇などものともせずに、音の正体を見抜く。

 それはテーブルの上に置かれてあったテレビのリモコンが、フローリングの床の上に落ちた音だ。

 憂助が落とした訳ではない。

 かと言って、他の誰かが落とした訳でも、ない。そもそもこの部屋には、憂助一人しかいないのだ。

 

 バンッ!

 

 次いで、新たな物音。

 それはキッチンの方から聞こえてきた。

 食器棚の扉が、勢い良く開かれたのだ。

 

 バンッ!

 

 そして今度は、叩きつけるように乱暴に閉ざされる音。

 

 バンバンバンバンッ!

 

 続いて、部屋中の壁を手で叩く音。

 

 ドタドタドタッ!

 

 そこかしこを走り回る足音。

 

 ──ポルターガイストである。ドイツ語で『騒がしい幽霊』という意味だ。

 

 憂助はソファから立ち上がり、木刀を正眼に構えた。

 木製の刀身から、白い光輝が生まれ、陽炎めいてゆらゆらと揺らめき出す。

 その刀身がゆっくりと持ち上がり、切っ先が天井を向いた。

 

「エヤアッ!」

 

 鋭い掛け声と共に、憂助は木刀を虚空の闇に振り下ろした。

 瞬間、部屋中を涼やかな風が吹き抜け、それが合図であったかのように、騒霊現象はピタリと止まった。

 だが、憂助はその時、慌ただしく部屋を出ていく気配を感知していた。

 後を追って部屋を出る。

 そこはマンション一階の廊下である。

 時刻が時刻なので、人の姿は全くない。

 しかし部屋から飛び出した気配は、確かにこの廊下に逃げたのだ。

 その気配の痕跡は、部屋の正面、廊下の中央にあるエレベーター前で消えていた。

 

 マンションに流れ込む気の流れを汚す原因となった、あの紫色の珠は取り除いたが、まだ気の流れが完全に清浄化された訳ではない。

 邪気の名残に惹かれて、付近の雑霊が部屋に入り込んだのである。

 

 憂助は部屋に戻ると、玄関を施錠した。

 彼の体が白い光に包まれて、104号室から消える。

 次に憂助は、204号室のリビングに瞬間移動していた。

 本来なら知っている場所、または知っている人の所にしか行けない。一度行った、或いは会っただけでは繋がりが薄く、飛ぶ事は出来ない。

 だが憂助は、自身の念をたっぷりと込めた髪の毛を、全ての『出る部屋』のリビングのテーブルの裏側に、セロハンテープで貼り付けておいたのだ。それで自身の念をたどって、簡単に移動出来るのである。

 そしてそれぞれの部屋で、ポルターガイストやラップ音を確認した。

 オーブと呼ばれる小さな光も見た。

 寺沢の言った通り、老若男女様々な浮遊霊の姿を目撃した。

 そしてどの部屋の霊も、憂助の念に当てられて、たまらず部屋を飛び出し、そしてエレベーター前で消えた。

 

 

 与えられた507号室に戻った憂助は、まずキッチンの戸棚の、下段の戸をを開けた。

 そこには昼間回収したあの珠が、依然しまわれたままだ。それを確認すると、冷蔵庫から麦茶のペットボトル出して、直飲みした。

 

 リビングのテーブルの上には、マンションの見取り図が広げられている。

 各階を上から見下ろした図面と、マンションを正面から捉えた図面。

 その正面からの図面にも、『出る部屋』が赤丸でマーキングしてある。

 

 気付いたのは、つい数時間前の事だ。

 マンション中を、そしてその周辺もくまなく調べたが、あの紫色の珠以外に怪しいものは何も発見出来なかった。

 夕方になり、食事の準備のために、近所のスーパーで食材を買い込み、再びマンションに戻って来た憂助の背中に、ゾワッと嫌な感覚が走った。

 マンションの各部屋は、すでに灯りが灯されている。住人のいない『出る部屋』だけが、暗いままだ。

 その暗くなった部屋の配置に、憂助は見覚えがある。

 それは、人体に宿るチャクラと同じ位置であった。

 

 チャクラはエネルギー吸収口。

 本来は気や宇宙の理力を吸収するが、このマンションの場合は、『出る部屋』をチャクラに見立てた場合、何を吸収するか……それは恐らく、土地に流れる気であろう。

 そして、その気の流れがあの紫色の珠で邪なものに汚染された場合、当然『出る部屋』にその邪気が流れ込む。

 仕掛けなど必要なかった。

 気の流れを汚すだけで、幽霊騒ぎは自然発生してしまうのだ。

 

(あとは、犯人をふん捕まえるだけやが……)

 

 紫色の珠その物をサイコメトリーで調べたが、犯人を特定出来る情報は記憶されてなかった。

 犯人が珠を回収してくれれば、サイコメトリーでその痕跡を追える。

 実際に各部屋でどのような現象が起こるのかを確認するついでに、そういう展開を期待してもいたのだが……。

 念のため、外出中に本当に誰も侵入してなかったか、室内の壁や床、家具に手を当てて、サイコメトリーで調べる。

 

 ──不意に、おかしな臭いが鼻をついた。

 獣の臭いだ。

 それが何故か、天井から漂ってくる。

 床を調べていた憂助の背中に、チクチクと小さな針が刺さるような不快感があった。

 殺気だ。

 殺意の感触だ。

 フッと辺りが暗くなった。天井の照明が消えたのではなく、照明の明かりを何か大きな物が遮っていた。

 憂助は、木刀を右手に持ったままだ。

 

「エヤアッ!」

 

 立ち上がり様に、その木刀を天井目掛けて投げた。

 木刀は真っ直ぐに飛翔して、天井に貼り付く影を襲う。

 しかしそれは、ギリギリのところで回避に成功した。天井から飛び下りて、床に四つん這いになる。

 

 猿だ。

 

 毛並みは真っ白だが、日本猿のようである。

 しかし、大きい。両手両足を床に付けた姿勢でも、憂助の背丈ほどもある。二本足で立ち上がったら、頭が天井を突き破るかも知れない。

 

「来たか……」

 

 憂助は床に落ちた木刀を素早く拾い、後退りする。その先はキッチンの戸棚。

 下段の戸を開けて、木刀の切っ先で紫色の珠を取り出す。

 大猿の目線が、コロコロと転がり出た珠に吸い寄せられていた。

 

「ほら、持ってけ」

 

 憂助が珠を蹴り上げた。

 空中に舞い上がった珠を取ろうと、大猿は二本足で立ち上がり、両手を伸ばす。

 

「イェヤアッ!」

 

 その瞬間、がら空きになった胴体目掛けて、憂助は木刀を叩き込んだ!

 大猿の巨体が吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

 

「ほぎゃああああっ!」

 

 図体に反して臆病なのか、それとも念のこもった一撃がそれほどまでに痛烈であったのか、猿は黒板を爪で引っ掻いた時のような耳障りな悲鳴を上げた。

 その巨体が突然ブワッと膨れたかと思うと、破裂した。

 部屋中が濃霧で満たされる。

 猿が霧に化けたのだと、憂助は察した。

 霧が、風に吹かれたように一方向に流れ始めた。

 窓だ。部屋の中に熱気がこもらないようにと開け放しておいた、窓ガラスの上の方に付いてる小窓。そこから霧は外へ出ていく。

 霧が全て流れ出た直後、憂助は窓を開けて身を乗り出した。猿の逃げた方向を確認するためだ。

 しかし、窓から上半身を出した途端に、大きな手で首根っこを掴まれた。

 そして物凄い力で窓から引きずり出される。

 猿が霧から元の白猿に戻っていた。

 そして窓の上の壁に蜘蛛のように貼り付き、憂助を片手で宙吊りにしている。

 猿の口角が吊り上がり、牙が剥き出しになった。笑っているのだ。

 猿が、憂助を空中へと放り投げた。

 どんなに手を伸ばしても、壁には指先すら届かない。

 そして地上6階の高さ──どう考えても助からない。

 そう考えているのだろう。猿は勝利を確信したいやらしい笑い声を上げる。

 そして、憂助が今開けた窓から再度部屋に入り込もうとした時──、

 

「おい、エテ公」

 

 声を掛けられた。

 思わず振り向いた白猿の目が、驚愕に見開かれる。

 そこには、憂助が立っていた。

 垂直の壁面に、平らな地面に立つのと同じように、直立している。

 右手に下げた木刀からは、念の光が白い炎となって燃え上がり、揺らめいていた。

 猿の視界を閃光が走ったかと思うと、憂助の一刀が猿の右目を深々と切り裂いていた。

 

「ひきぃぃいいいいっ!」

 

 大猿は悲鳴を上げて、壁を蜘蛛のように這って屋上へと逃げていく。

 憂助もそれを追って、壁を駈け上がった。

 屋上は、住民の使用は禁止されているため、フェンスがなく、胸までの高さの塀で囲っているだけである。

 その塀を乗り越えて屋上に上がった憂助は、大猿と、もう一つの人影とが向かい合っているのを見た。

 黒いフルフェイスのヘルメットを被ったその人物は、黒い全身タイツのような物を身に付けていた。

 大きく盛り上がった胸や尻。それに反してウェストは細く引き締まっており、女性である事が一目瞭然だ。

 黒い全身タイツには肩や肘、膝、下腕部や脛などにプロテクターが取り付けられている。

 腰に巻かれたベルトにはいくつものポーチが付属し、左肩には、鞘にしまわれた大振りのナイフが柄を下にして取り付けられていた。

 後ろ腰には、細長い棒が横向きに付いている。憂助にはそれが刀に見えた。

 それらの特徴を捉えたのは、ごく一瞬の事である。

 憂助が助けようと駆け出した時、その珍妙な姿の女性は右腰に手をやった。

 サッと猿に向けて伸ばされた右手には、大型の拳銃が握られている。

 

 プシュン、プシュン、プシュン!

 

 空気を吹き出すような小さな音が、三つ聞こえた。銃口に消音器を付けてあるのだ。

 放たれた銃弾は、しかし白猿の毛皮に阻まれて、ひしゃげた形になって地面に転がり落ちた。

 猿は彼女を敵と認めたのか、丸太のような両腕を振り上げて襲い掛かる。

 しかしその腕を振り下ろす前に、憂助がすでに間合いを詰めていた。

 

「エヤアッ!」

 

 破城槌のような強烈な突きが、猿の脇腹に突き刺さる!

 ほとばしる念の衝撃が、そのまま反対側の脇腹を突き破って爆発させた。

 そして白猿の巨体が、黒い塵となって消滅した。

 

 ──チッ!

 

 憂助は、思わず小さく舌打ちした。

 わざと倒さず、痛め付けるだけにとどめ、逃げ帰る猿の後を追うつもりだったのだ。

 それなのに、女性を助けねばという思いが先走り、加減を忘れてしまった自分自身に対して、舌打ちした。

 

 何はともあれ、あのおかしな格好の女性は助かったのだから、それはそれで良しとする。

 彼女の方を振り向くと、ちょうど銃を右腰のホルスターに収め、ヘルメットを脱ぐところだった。

 ヘルメットが外されると、ウェーブのかかった豊かな金髪が溢れ出す。

 

「助かったわ、ユースケ。ありがとう……あなた、とっても強いのね」

 

 流暢な日本語で礼を言った。

 隣人のクリスティーナ・ノーランドが、そこにいた。

 

「……こげなとこで何しようとですか?」

「あら、それはこちらの台詞でもあるわよ?」

 

 クリスティーナは脱いだヘルメットを左脇に抱えて──今収めた拳銃を素早く抜き、憂助に突きつけた。

 その右手首に、待ち構えたように、憂助の木刀が添えられていた。

 

「あんたの親は、助けてくれた人に銃を向けなさいっち教えたんか?」

「……ごめんなさいね、ユースケ。でも、これも仕事なの」

「ほぉー、そら大変やのぉ……どげな仕事か知らんが」

「ええ、大変よ。だって国家公務員だもの」

「はぁ?」

「私の所属は、警視庁DTSS……立ち話も何だから、私のお部屋で話すわ」

 

 という訳で、憂助は彼女の部屋へと向かった。

 部屋に着くと、クリスティーナは「先に着替えて来るから」と言って寝室に入る。何故かドアを閉めようとしないので、憂助が閉めてやった。

 

「あら、見ても良かったのに」

 

 ドアの向こうでクリスティーナがそんな事を言った。

 部屋着に着替えたクリスティーナは、リビングのソファに座った。

 憂助がテーブルを挟んで向かいのソファに座った。

 

「まずは改めて自己紹介ね。私はクリスティーナ・ノーランド。見ての通り白人だけど、国籍は立派な日本人よ。身長は184cmで、スリーサイズは上から109・62・97。性感帯は」

「そんなんはどうでもいい」

 

 憂助は苛立ちで声を震わせ、木刀をクリスティーナの喉元に突きつけた。

 クリスティーナは苦笑しながら、胸の谷間から一冊の小さな濃い焦げ茶色の手帳を出した。

 テーブルの上でそれを開くと、ページはない。下側に警察のマークが、上側には警察官の服を着たクリスティーナの写真が貼られてある。

 

「言っておくけど本物よ。私、これでも警察官なの。所属はDTSS。Damned-Thing(ダムドシング) Sweeper(スイーパー) Section(セクション)の略称で、まぁ、簡単に言えば、お化け退治がお仕事ってところね。もちろん、どこの警察署にもある部署ではなく、本庁直轄の……そうね、特殊部隊って言えば、わかるかしら?」

「で、わざわざこのマンションの噂を聞き付けて、解決に来たっち事か」

「ちょっと違うわね……」

 

 クリスティーナは手帳を再び、胸の谷間にしまった。

 

「私たちが今追っているのは、ある妖術使いの集団。その一人がこの近辺に潜伏してるらしくて、それで去年から私が、この地区に派遣されたの」

「なら、ここの幽霊騒ぎもそいつの仕業か……」

「そうでしょうね、目的まではまだわからないけど。──さぁ、次はあなたの番よ?」

「何が?」

「あなたの事もいろいろ教えてくれなくては、アンフェアでしょ?」

「ああ……」

 

 憂助は、自分が念法という技を学んでいる事、知り合いが経営するこのマンションの幽霊騒ぎの解決のために来た事を語って聞かせた。

 

「念法、ねぇ……あなたの親戚に、宮内庁に勤めてる人とかいない?」

「そりゃ御本家だ。うちは分家だよ」

 

 憂助は素っ気なく答えた。

 

 念法は久我家が始めたものではない。

 平安時代にはすでにその源流となる技術体系が生まれており、それを更に改良し、洗練させたのが結城(ゆうき)伯舟(はくしゅう)という武芸者である。

 この結城伯舟の子孫たちが代々念法を伝えていった。

 その過程で生まれたいくつかの分家の一つが、久我家である。

 父の京一郎いわく、結城家は代々の当主が天皇の護衛を務めているらしい。

 しかし、これは今の状況とは関係ないので言わないでおいた。

 憂助はソファから立ち上がった。

 

「どうしたの?」

「屋上調べて来る」

「私が調べたけど、何もなかったわよ?」

「そんなはずはねえ。それぞれの部屋で吸収して集めた邪気は、必ず屋上から出ていく。その妖術使いとかが、それをほっとくとは思えん」

「どうして屋上から出ていくってわかるの?」

「そこが王冠のチャクラに当たるきてぇ」

 

 チャクラはいわばエネルギー吸収口。

 しかしただ一つ、頭頂部に備わる『王冠のチャクラ』と呼ばれる箇所だけは、エネルギーの放出口である。

 このマンションの『出る部屋』がチャクラと同じ位置にあるのなら、王冠のチャクラは屋上に該当するはずなのだ。

 憂助はチャクラの事を説明した後、自分のその憶測も話した。

 

「うーん……そういう事なら、もう少し念入りに調べてみる必要がありそうね……オーケー、一緒に行きましょう」

「いらん」

 

 憂助はつれない返事を残して、部屋を出て行った。


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