邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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幽霊マンション その3

 久我憂助とクリスティーナ・ノーランドは、再びマンションの屋上に向かった。

 クリスティーナは先程のあの全身タイツのような服を着ている。

 彼女いわく、最新の素材に魔除けの呪文を刻み込んだ『戦術霊装』という防護服らしい。ナイフや小口径の銃弾を受け止め、呪いや憑依すら防げるらしい。

 

 二人で手分けして、屋上を隈無く調べて回る。配水管等のパイプの陰まで調べたが、なるほどクリスティーナの言う通り、特に怪しい物は見付からなかった。

 憂助の推測通りだとすれば、どこかに邪気を回収するための道具や呪符、或いは紋様などがあるはずなのだが……。

 

 地面に這いつくばって配水管の下を調べていた憂助は、立ち上がった瞬間、ある物に気付いた。

 自分たちが出てきた、マンション内に続くエレベーターホールだ。

 住民には解放されていない屋上だが、業者の点検のために、階段とエレベーターは屋上まで続いている。

 憂助はエレベーターホールのそばまで寄ると、軽く身を屈めてジャンプした。

 小さな動きに反して、彼の体はフワリと舞い上がり、一跳びでエレベーターホールの屋根の上に上がった。

 

「やっぱりここか」

 

 憂助の足下に、五芒星が赤い塗料で描かれていた。

 星の頂点の上に、何やら四行ほどの文章も書き込まれている。

 何と描いてあるかは、達筆すぎて現代っ子の憂助には読めない。

 しかし、判読出来る文字もいくつかあった。そして、そのいくつかの文字は、上下逆さまになっている。

 憂助は体の位置を変えて、字の読める方向に移動した。

 それで、五芒星が本来とは上下逆の、逆五芒星である事に気付いた。

 魔除けのシンボルとされる五芒星だが、逆五芒星は悪魔を象徴する災いの印である。

 

 人体に備わるチャクラは、脊髄と繋がっている。

 マンションにおいて、その脊髄に当たるのがエレベーターだ。

 そのエレベーターホールの上こそが、このマンションの王冠のチャクラだったのである。

 あとは逆五芒星と呪文を消してしまえばいいのだが、一つ気になる事があった。

 ここはいわば、邪気の流れの集束地点のはずである。にも関わらず、憂助が感じ取れる邪気が、あまりにも薄いのだ。

 その理由を考えていると、正面に人の気配を感じた。

 地面に落としていた目線を上げるより先に、左手の方向から横殴りに風が吹き付けた。

 否、それは風などという生易しいものではない。熱を孕んだ空気の塊が、岩のような硬さでもってぶつかったように、憂助には感じられた。

 憂助はそのまま屋上の外まで吹っ飛ばされ、漆黒の虚空へと消えていく。

 相手は、一人だった。

 黒の鳥打ち帽とインバネスコートを身に付けた、背の高い男だ。

 男は憂助が屋上の外へと吹き飛ばされたのを見てから、エレベーターホールの屋根から下りた。

 下にいたクリスティーナは、右腰のホルスターから拳銃を抜き、その男に向けて両手で構えた。

 しかし男は、怯む素振りすら見せない。ただ、鼻で笑うだけだった。

 

「あなたの方から出て来るとは思わなかったわ、門倉(かどくら)楊堂(ようどう)……警視庁DTSSよ。あなたには誘拐と殺人の容疑が掛けら──うあっ!?」

 

 クリスティーナは最後まで喋る事が出来なかった。

 彼女が門倉楊堂と呼んだ男が、自身の正面に拳を打った瞬間、彼女は横から見えない岩が飛んできたような衝撃を受けて、エレベーターホールの壁に叩き付けられたのだ。

 

「公僕が吠えるでないわ」

 

 門倉楊堂は、妙に時代がかった口調でつぶやいた。

 彼の背後に、大きな影が、いつの間にか立っている。

 猿だ。

 見た目は日本猿だが、後ろ足で立った姿は大きく、身の丈3メートルはある全身を、黒い体毛で覆っていた。

 

「俺の可愛い左近を殺してくれおって……右近よ、この女はお前にやろう。殺された弟の分まで、好きなだけいたぶるが良い」

 

 楊堂の言葉がわかるのか、黒猿はずいっと前に出て、クリスティーナの両足首を、右手だけで一まとめに掴んで持ち上げる。

 戦術霊装の上からハッキリとわかる、彼女のメリハリに富んだボディラインを見て、右近の唇がめくれ上がり、歯が剥き出しになった。

 笑っているのだ。

 クリスティーナの肉体に、明らかに欲情していた。

 左手で、彼女の肉体を覆う邪魔な物を引きちぎり、むしり取ろうとするが、戦術霊装は伸びるだけで、ほんの小さな裂け目すら出来ない。

 

「残念ね、あなたは好みじゃないの」

 

 クリスティーナがヘルメットの下で言うなり、右手の拳銃を黒猿に向けて撃った。

 

「ひぎゃあああああっ!」

 

 先程の白猿には、体毛で阻まれて通用しなかったが、黒猿には効いた。クリスティーナが狙ったのは、黒猿の眼だったのだ。

 黒猿は左右の眼窩から血を流し、黒煙を吹き上げていた。

 

 クリスティーナの使う拳銃は、これもまた、悪霊や妖魔との戦いを想定した武器だ。

 正確には、装填されている銃弾が、だが。

 銀製の弾頭に破魔の梵字を刻印した退魔弾である。

 

 クリスティーナは後ろ腰に取り付けていた棒の端を、左手で掴んだ。

 憂助はそれを刀だと思っていたが、正確には、剣だ。

 黒い剣だ。

 塗料で黒く染めたのではない。そういう材質で出来た剣である。

 その刀身にも、魔を退ける呪文が刻まれていた。

 クリスティーナはその黒剣で、自分の足を掴む猿の右手首を切断する。

 クルリと宙返りして着地したところへ、黒猿が左腕で殴り付けてくる。

 クリスティーナはその殴打を、左腕を踏み台にしてジャンプしてかわした。

 そして、黒剣を猿の眼窩に、根本まで突き立てると、グリッと捻った。

 黒猿は脳を破壊されて息絶え、巨体が仰向けに倒れる。

 

「おのれ、左近だけでなく右近まで……かあっ!」

 

 門倉楊堂が怒りに吼え、再び拳を突き出した。

 クリスティーナとの距離、約5メートル。明らかに届く距離ではない。

 しかしクリスティーナは、熱を帯びた空気の塊を叩き付けられるのを感じた。

 銃弾すら防ぐ戦術霊装をすり抜けて、強烈な衝撃が彼女の五体を打ちのめした。

 

「トドメだ……全身の骨を砕いてくれるわ!」

 

 楊堂が握り拳を大きく引いた。より強力な一撃が来るであろう事を予感させる動きだ。

 

「死ねいっ!」

 

 右拳が、虚空に突き出された。

 その拳から、人体を吹き飛ばすほどのエネルギーが放たれた事が、地面にまばらに積もった砂埃が舞い上がった事でわかった。

 しかし突然、クリスティーナの前に白い光が発生した。

 

「イィーーエヤァッ!」

 

 掛け声も勇ましく、憂助の姿が白光の中から現れる。

 クリスティーナの前に瞬間移動した憂助は、迫り来る不可視のエネルギー塊へ木刀を振り下ろした。

 

 ブワッ!

 

 憂助の正面で、突風が左右に吹いた。

 楊堂の放ったエネルギー塊を、切り裂いたのだ。

 

「なっ……遠当てを斬った、だと……そんな、棒っきれで……」

 

 うろたえる楊堂に、憂助はベストの懐から紫色の珠を取り出した。

 

「こいつは、お前のか?」

 

 マンションの裏庭に埋められていた、気の流れを汚していたあの珠だった。

 

「小僧……貴様が何故それを……いや、それ以前に、貴様はさっき叩き落としてやったはず……」

「そげなんどうでも良かろうが。あの白いエテ公といい、この珠っころといい、傍迷惑な事んじょしくさりやがって。根性叩き直しちゃるき覚悟せえや」

「白いエテ公……?」

 

 憂助の言葉に、楊堂の顔が憤怒に歪んだ。

 

「そうか、左近を殺したのは貴様の方であったか……俺が、何年も掛けて育てた左近を……許さんッッ!!」

 

 楊堂が拳を突き出す。

 瞬間、憂助の眼は、その拳から巨大なもやの塊が放出されるのを捉えた。

 拳の形を模したそれは、『気』だ。

 体内の気脈を通して練り上げられた気を、拳打の動きを利用して発射しているのだ。

 

「エヤァッ!」

 

 念を込めた木刀が、白光の軌跡を宙に描く。

 楊堂の気の塊が切断されて、雲散霧消した。

 

「小賢しいっ!」

 

 楊堂はしかし、怯まない。

 今度は両手の平を勢い良く突き出した。

 放出された気の塊は、すぐに軌道を変えて、憂助の左右から挟み撃ちに迫る。

 

 正面から来ると見せて横から。

 横からと思わせて正面から。

 かと思えば背後や頭上から。

 そして、左右からの同時攻撃も可能。

 その変幻自在さこそが、門倉楊堂の遠当ての恐ろしさであった。

 

 憂助は、何を思ったか右に跳んだ。

 そこからも楊堂の攻撃が来ているのがわからないのだろうか?

 

 ──否。

 

 憂助は跳んだ先から迫る気の塊を、木刀で受け止めた。

 気の塊は、木刀に吸い付いて、綿飴のようにまとわりつく。

 そこへもう一方からも気の塊が飛んで来るが、憂助はこれも木刀に絡め取った。

 

「返すぞ、受け取れ!」

 

 そして二つの気の塊を吸収した木刀を、楊堂目掛けて振り抜いた。

 放出された二発分の気に憂助の念が上乗せされたエネルギーが、飛竜となって楊堂に襲い掛かる。

 

「かあっ!」

 

 楊堂は、それを遠当てで以て迎撃しようとした。

 放たれた気は、しかし憂助の放った念の激流にあっさりと呑み込まれてしまう。

 

「うごあっ!?」

 

 直撃を受けた楊堂の全身に、熱を孕んだ強烈な衝撃がほとばしっていく。

 意識を失った楊堂は、その場に膝を突き、倒れ伏した。

 

 

「天来教団って、知ってる?」

 

 ヘルメットを脱いだクリスティーナは楊堂を拘束しながら、憂助に尋ねた。

 

「うんにゃ」

「カルト教団の一つで、この宇宙の外側に神々の住まう世界があって、やがて彼等がこちら側に来て、人類を幸福な未来へ導いてくれるっていうのが、彼等の掲げる教義。門倉楊堂はその天来教団に所属しているの。こいつ以外にもたくさんの術者がいて、彼等は自分たちの信じている神を呼ぶための儀式と称して、たくさんの人間をさらっては、生け贄として殺害しているの」

「で、なしそげな奴が、こげなとこで幽霊騒ぎを起こしちょったんか」

「さぁね。調べによると、この男は飼っていた二匹の猿にいろんな雑霊を取り込ませて、人工的に妖怪化させて操っていたらしいわ。私たちがやっつけた、あの大きな猿がそうなんでしょうね。だから恐らく、このマンションを利用して邪気を集めて、それを猿に喰わせてパワーアップさせるのが目的だったのかも知れないわ」

「……それでなんやろか」

「何が?」

「さっきそこの屋根の上で、ヘンテコな呪文が書いてあるのを見付けたんやけど、あれが邪気を集めるためのもんやったとしたら、それにしちゃあ邪気が薄かった……あん?」

 

 憂助はエレベーターホールを見ながら答えていると、そこの屋根の上に、鳥のような物が空から舞い降りるのを見た。

 ジャンプして屋根に上がる。

 クリスティーナは壁に設置されている梯子で上がった。

 上がったところで、彼女は黄色い声を上げる。

 そこには一匹の猫がいた。

 体毛は濃い灰色で、虎のような縞模様がある。虎猫の一種で、鯖虎と呼ばれる種だ。

 屋根に上がったクリスティーナはそれを抱き上げようとして手を伸ばす。

 しかし、その手はすぐに止まった。

 猫の足下には、憂助が見付けたあの逆五芒星と呪文があり、そこから人体のパーツを寄せ集めて丸めたような不気味な球体が浮かび上がって来たのだ。

 そして、鯖虎がそれを、左右の前足で押さえ付け、ムシャムシャと食べ始めたのだ!

 クリスティーナの手が止まった理由はそれだけではない。

 鯖虎の前足の付け根──肩に当たる部分に、同じ色、同じ模様の翼が生えていたからでもあった。

 

「…………何これ」

「こっちが聞きてえわ。窮奇に似ちょうけど……」

 

 窮奇とは、中国の神話に登場する『四凶』と呼ばれる四匹の邪悪な怪物の一つ。

 その姿は、肩から翼を生やした虎である。

 ひねくれた性格で、善人に危害を加え、悪人の味方をすると言われている。

 

「確かに似てるけど、中国の神話に出てくるような妖怪が、日本にいる訳ないじゃない。そもそもこの子、虎っていうより虎猫でしょ?」

「まぁ、そうなんやけど……」

 

 鯖虎は、すぐそばの人間たちには眼もくれず『食事』を続ける。

 全て平らげると、舌なめずりをし、前足で口元を拭い始める。

 その姿は、紛う事なく猫であった。

 憂助は、恐る恐る手を伸ばし、鯖虎の背中に触れ、念法によるサイコメトリーを試みた。

 それでわかったのは、この鯖虎がやはり普通の猫ではない事。

 そして、かと言って本物の窮奇でもない事。

 この鯖虎は、蠱毒(こどく)によって造られた呪物であった。

 しかし、完成と前後して術者が死んでしまい、放置される形となってしまった。

 以降は翼で空を飛び、あちこちをさすらいながら、見付けた邪気や小さな浮遊霊、地縛霊を食べ回っていたようだ。

 

「まぁ、可哀想に……」

 

 クリスティーナは心から同情し、鯖虎の背中を撫でてやった。

 

「でも、つまりこの子は、門倉楊堂とは無関係って事?」

「たぶん。アイツが集めた邪気を猿の餌にするつもりやったんなら、このチビのおかげでどの道台無しやったんは間違いねぇ」

「じゃあお手柄ね、猫ちゃん」

 

 そう言ってクリスティーナは、鯖虎を抱き上げ、鼻先にキスをしてやった。

 

「でも、どうしようかしらこの子」

「ほっとけ。別に害はねえ。害になるようやったら、そん時退治すりゃあいい」

 

 憂助はそう言って、木刀で地面を打つ。

 書き込まれていた逆五芒星と呪文が、念の衝撃によって弾き飛び、雲散霧消した。

 憂助は木刀を背中にしまうと、もう用はないと言わんばかりに屋根から飛び下りる。

 

「もうっ、つれないわねぇ……」

 

 クリスティーナは呆れたように言う。

 しかし、実際のところ、彼女としても連れ帰って世話をする訳にはいかなかった。妖怪退治を生業とする公務員が、無害とはいえ妖怪を飼う訳にはいくまい。

 

「ごめんなさいね、猫ちゃん。元気でね」

 

 クリスティーナは鯖虎を下ろすと、小さく手を振ってから、屋根から下りた。

 

 

 ──夏休みが明けた。

 峰岸葵とギャル友トリオは、仲良く通学中、久我憂助の姿を見付ける。

 その足下で、一匹の鯖虎が並んで歩いていた。

 

「や~ん、何これ何これ!」

「やっべー、マジ可愛いんですけどー!」

「アンタ猫飼ってたの?」

「仲良く通学とかマジ可愛すぎー!」

 

 ギャル四人は黄色い声を上げて駆け寄ってきた。

 しかし、その鯖虎の肩の辺りがモゾモゾと動き出し、折り畳まれていた翼がバッと広がった。

 マンションの幽霊騒ぎで出会った、あの蠱毒の呪物。

 憂助の念に惹かれたか、それとも念に惹かれてやって来る雑霊が目当てなのか、いつの間にか彼のそばにいるようになったのだ。

 

「うっわ、何これ! マジで何これ!」

「へぇー、羽が生えてるとかチョー変わってるー!」

「でも何かカッコ良くね?」

「うん、いけてる! この子マジいけてる!」

 

 ──ギャルたちの黄色い声は、その程度では止まなかった……。

 

「で、この子、アンタのペット?」

 

 葵が鯖虎を抱き上げ、頭を撫でながら尋ねる。

 

「かくかくしかじか」

「まるまるうまうまでアンタにくっついちゃったんだ……で、コドクって何?」

「Google先生に聞け」

 

 憂助は言い捨てて、また歩き出した。

 

「で、名前は?」

 

 芦原麻希が彼の隣に寄り添って、尋ねる。

 

「チビっこい虎猫やきの、チビ虎だ」

「…………あんた、マジもう少し考えてやんなよ、マジで」

 

 逆隣で憂助と腕を組んで来ながら、柳沢美智子がたしなめる。

 

「なし俺が居候なんぞの名前に頭使わなならんとか」

「だってこんな可愛いんだから、もっとちゃんとした可愛くてクールでいけてる可愛い名前付けてやんなきゃっしょー!」

「そうそう。一緒に暮らしてんだったらなおさらじゃん!」

 

 美智子の腕を振り払う憂助の後ろから、葵と林田恭子が抗議する。

 鯖虎はいつの間にか恭子が抱っこしていた。

 

「やかましい! そんなん知るか!」

 

 憂助はギャルたちに怒鳴り付けると、歩調を速める。

 チビ虎は、恭子の腕から翼を羽ばたかせて宙に舞うと、憂助の頭の上に着陸した。


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