邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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エピソード5
(ぬえ) その1


 放課後。

 瀬戸博之は教室から出たところを四人の女子生徒に取り囲まれた。

 四人とも派手な格好をした、いわゆるギャルと呼ばれるタイプだ。

 マッシュルームカットに眼鏡の、今一つ冴えない風貌の瀬戸とは縁のない手合いのはずだった。

 取り囲まれたまま裏庭へと連行された瀬戸は、四人のうちの一人、一番胸の大きな、赤茶色の髪のギャルに肩を掴まれ、壁に押し付けられた。

 

「な、な、何でスカ!?」

 

 瀬戸は突然の事に、声が途中から裏返ってしまう。

 

「あー、ごめんね。別にカツアゲとかそーゆーのじゃないから」

 

 そのギャル──峰岸葵は、そう言うと、自分のシャツのボタンを二つ外した。

 あらわになった深い谷間に、瀬戸は視線が吸い寄せられる。しかし、すぐに目を逸らした。

 葵はその様子を見て、ニンマリと笑う。

 

「アンタのクラスにさぁー、久我憂助っているっしょ? ソイツの事教えてほしいの」

「く、久我くん? どうして……?」

「アイツとエッチしたいんだけどぉー、アイツ全然その気になってくんないからさぁー。なんか女の好みとかそーゆーの教えてくんない?」

 

 葵は言いながら、瀬戸の手を掴み、自分のはだけた胸元に差し込んだ。瀬戸の手のひらに、ボリュームのある柔らかな感触が伝わってきた。

 

「どーお? アタシのおっぱいスゴいっしょ? 久我の事教えてくれたら、好きなだけ触らせてあげる」

「も、も、もう触らせてまスケどぉ!?」

「うん、これはアタシが無理矢理やらせてるからノーカン。教えてくれたら、アンタの意思でアンタの好きなだけ揉ませてあげるし、吸ってもいーよ?」

 

 葵はそう言って、瀬戸の手に自分の手を重ねて、グニグニと揉ませる。

 手に吸い付くような柔らかさだったが、瀬戸はそこに、違和感を覚えた。

 

「あ、あ、あ、あの、つかぬ事を聞きますけど、ブ、ブ、ブラジャーは……」

「あー、邪魔になるかもだからトイレで脱いできた。だからアタシ、今ノーブラでーす」

「気にしない気にしない。葵はおっぱい見られるのも触られるのもチョー大好きなんだから」

「そうそう。うちらも毎日モミモミさせてもらってるしね」

 

 瀬戸の左右から、芦原麻希と林田恭子が囁き掛ける。囁きながら、麻希の手は瀬戸の薄い胸板を、恭子の手は尻を、着衣越しに撫で回してきた。

 

「マジでどんな事でもいーからさ、久我の事マジ教えてよ。好きなタイプとか、好きなプレイとか、好きなAV女優とか、マジ何でもいーから教えてくれたら、葵の爆乳マジ揉みホーダイだよ? ……アンタだって、嫌いじゃないっしょ?」

 

 柳沢美智子に至っては、瀬戸の股間を、やはりズボン越しにだが、優しく愛撫し始める。

 美智子の手の中には、硬い感触があった。

 

「んふふ、アタシで良ければ、最後までやらせてあげてもいーよ?」

 

 本当にその気になってきたのか、美智子は呼吸がかすかに荒くなっている。

 瀬戸のズボンのジッパーを下ろし、開いた合わせ目の中に手を潜り込ませ、蠢かせた。

 麻希と恭子は、それぞれ瀬戸のうなじや耳たぶに舌を這わせる。

 

「ねぇ~、いいでしょ? もったいぶらずに教えてよぉ。で、一緒に気持ち良くなろ?」

 

 葵は、手に更に力を込めつつ、上目遣いに瀬戸の顔を覗き込む。頬にはかすかに赤みが差していた。

 

 

 ホームルームが終わり、久我憂助は教室を出た。

 しかし、すぐには学校を出ない。借りていた本を返しに図書室に立ち寄り、返却を済ませると、荷物を取りに教室へ戻った。

 

「おーい、久我ぁ~」

 

 そこへ、三人の女子生徒に呼び止められる。峰岸葵のギャル友トリオだ。

 

「ちょーど良かった。ちょっと頼まれてくんない?」

 

 芦原麻希が子犬のようにパタパタと駆け寄り、憂助の腕にしがみつく。

 

「いちいちくっつくな。なんか、また面倒事か」

「違う違う。ちょっと配達頼みたいの。葵が宿題のプリント持って帰るの忘れちゃっててさ。うちら今から英語の補習で動けないしー、あんた届けてやってくんない?」

 

 林田恭子が反対側から身を寄せてきた。

 

「ねぇー、いいでしょ? 後でおっぱいモミモミさせてやっからさぁー」

「いらんわ阿呆。さっさよこせ」

 

 その『宿題のプリント』とやらをよこせ、と言っているのだ。

 

「行ってくれるの? ありがとー、久我マジ優しいからマジ愛してるー!」

 

 柳沢美智子が、大袈裟に喜びながら、鞄から、ホッチキスで留められた五枚のプリントを取り出し、手渡した。

 

「お礼に、今度やらせてあげるね♪」

 

 そして手渡した後、ズボンの上から憂助の股間に手を這わせる。

 

 ベチンッ!

 

 憂助のデコピンが、美智子の額に炸裂した。

 

 

 ──憂助が立ち去った後、ギャル友トリオは教室に戻った。

 

「なぁーんか、すんなり頼まれてくれちゃったね、アイツ」

「だよねー、もっとごねるかと思ってたけど」

「まぁそこは、マジ瀬戸くんのジョーホー通りって事っしょ? マジお礼しなきゃねー、マジで」

 

 美智子はそう言って、何やら楽しげにニヤニヤし始めた。

 頬には赤みが差している。

 

「つー訳で、早速行ってくるわ。じゃ、また明日ねー」

 

 鞄を持って、美智子はそそくさと教室を出ていく。

 

「ミッチーって瀬戸みたいなのが好みだっけ?」

「まぁ顔は悪くなかったし、いじり甲斐のある性格だったし……それより、葵は上手くやれるといーねぇー」

「そだねー。まぁ、久我はホモでもロリコンでもないみたいだし? ムードさえ作っちゃえば、葵のおっぱいなら楽勝でしょ」

 

 麻希と恭子はそれからも矢継ぎ早に話題を変えつつ、お喋りに興じた。補習に行く気配はまったくない。

 そもそも補習などないのだから、当然である。

 先日、憂助のクラスメートである瀬戸博之から聞いた話を元に練った作戦であった。

 

 瀬戸いわく、憂助はあまり露骨に誘われると軽く見られてるように思えてしまうらしい。

 そして「うっとうしい女は嫌い」らしいので、逆におとなしめの女の子が好きなのだろうという事だった。

 

 そこで三人は、葵と憂助が二人きりになれるシチュエーションをセッティングしたのだ。葵の両親は、今日は仕事で二人とも帰れないので、絶好のチャンスと言える。

 あとは、葵がか弱い女を演じて憂助の情に訴えかけるという寸法である……。

 

 

 峰岸葵は、期待に胸を膨らませながら、一人家路を急いでいた。

 ついさっき恭子のスマホから『任務完了』というショートメールが来たばかりである。

 あとはいかにして憂助をその気にさせるかだが、葵に具体的なプランなど全くない。

 しかし『アタシのこの爆乳さえあれば何とかなるっしょ』という根拠のない自信だけは、あった。

 これまで、多くの男が彼女の胸に劣情の眼差しを向けてきたが故の、思い込みである。

 

 もうすぐ住宅街に入るという辺りで、道端に一台の白いハイエースが停まっているのに気付いた。

 その手前に、男が一人倒れている。

 葵が様子を見てみると、頭から血を流している。

 

「お、おにーさん、ダイジョーブ?」

 

 恐る恐る声を掛けると、男はノロノロと起き上がった。

 

「変な奴に絡まれて……いきなり殴られたんです……」

 

 髪を茶色に染めた、葵より少し年上のその男は、真っ赤に染まった額を手で押さえながら、弱々しくそう答えた。

 

「財布もスマホも取られちゃって……」

「うわぁ、ひど……とりあえず、手当てしないと……」

 

 葵は鞄からハンカチを取り出し、男のそばに歩み寄った。

 そこへ、もう一人別の男が姿を現した。ハイエースの陰に隠れていたのだ。

 長い黒髪をした、背の高い男だ。上下を黒で統一した服装をしている。

 その黒い男は、足音も立てずに葵のそばに来ると、彼女の肩をポンポンと叩いた。

 

「ふぇっ!?」

 

 葵は、その男には全く気付かなかったらしく、変な声を上げながら振り向く。

 男と目が合った。

 その目を見た瞬間、葵は何も考えられなくなった。

 ボーッとその場に立ち尽くし、持っていたハンカチも力なく落っことした。

 表情は虚ろで、視線も定まってない。まるで人形だった。

 

「乗せろ」

 

 黒い男が、ハイエースの方を向いてそう言うと、後部のドアが開き、三人の男が出てきた。

 染めた髪や、派手なピアス。

 そして狂暴そうな顔つきの連中であった。

 そいつ等と茶髪の男が、葵を抱え上げて車内に運ぶ。そのどさくさに、四人ともが最低二回は葵の豊かな胸を揉んだ。

 黒い男は助手席のドアを開けて、乗り込んだ。

 

「出せ」

 

 運転席の小太りの男に命令すると、運転手は「ハイ」と答えてエンジンを掛け、車を発進させた。

 

 シートを倒して広くした後部で、三人が葵を取り囲み、彼女の体を思い思いに撫で回していた。

 茶髪の男はタオルで額や顔を拭いている。拭き終わると、血は綺麗さっぱり止まっていた……否、最初から怪我などしていなかった。赤い塗料をそれっぽく塗りたくっただけだったのだ。

 顔を拭い終わると、茶髪の男も仲間に加わる。葵のスカートをめくり上げ、太股を撫で始めた。

 葵は全く抵抗しない。

 自分が置かれている状況すらわかっていないようだった。

 

「お前ら、触るくらいなら構わんが、それ以上の事はするなよ?」

 

 助手席の黒い男が、振り向きもせずに言う。

 

「おとなしくさせるためにひっぱたくくらいなら構わないが、決して傷物にするな。先生はそうおっしゃっていたからな」

「わ、わかってますよぉ~水野さぁん」

 

 後ろの男の一人が、愛想笑いを浮かべて答える。しかしその手は、葵の胸をしっかり鷲掴みしていた。

 別の一人が、葵のシャツのボタンを外し、乱暴に脱がせる。

 スカートも脱がされていた。

 葵の下着は、上下とも飾り気のないシンプルなデザインで、色も白で統一されている。

 しかし彼等にはどうでもいい事のようで、一人がブラジャーのホックを器用に外して、ずり上げた。

 その下の、圧倒的なボリュームを持つ膨らみが、タユンとこぼれ出て、揺れた。

 その白い双丘に、男たちの無遠慮な手が伸びた。

 

「──ん?」

 

 ハイエースが市街地に入った辺りで、運転手がルームミラーを見て、声を上げた。

 

「水野さん」

「ああ。さっきからついてきてる」

 

 助手席の黒い男が、呼び掛けられて答えた。

 ハイエースの後ろを、一台の自転車が追っているのだ。乗っているのは、俗に学ランと呼ばれるタイプの制服を来た少年だった。

 

「三回左折してみろ」

「ハイ」

 

 運転手は言われた通り、左折を三回繰り返した。そうすると一周して最初の道に戻った──後ろの自転車も、だ。

 尾行していると見て、間違いないだろう。

 

「どうします? どっかテキトーなとこで始末しますか?」

「必要ない。思いっきり飛ばして、引き離せ」

「ハイ」

 

 小太りの男は、グッとアクセルを踏み込んだ。

 

 

 憂助は葵の住む住宅街へ、自転車を走らせていた。

 青色のクロスバイクは、中学生の頃から愛用している物だ。

 普段は徒歩で通学しているが、今日は寝坊してしまったため、自転車をかっ飛ばして来たのである。

 瞬間移動を使えば良いのだが、寝坊したのは憂助自身の落ち度である。そんな理由で念法の技を使うのは、憂助の中では断固NGだった。

 

 住宅街に近付いた時、そこから出てくる一台のハイエースとすれ違った。

 そのハイエースの後部の窓から、一瞬葵の顔が見えた。

 スモークの貼られた透過性の低い窓だが、念法で強化された憂助の視覚は、確かに彼女の顔を見たのだ。

 その表情が虚ろで、明らかに普通の状態ではない事もわかった。

 

 憂助はクロスバイクをその場でUターンさせて、ハイエースを追った。

 瞬間移動で車内に乗り込む手もあるが、下手に動いて街中でうっかり事故でも起こされてはたまらない。

 人気のない所でアタックを仕掛けるつもりだった。

 

 ハイエースが、左折を三回繰り返した。

 ひたすら追っていた憂助だったが、三回目の左折で元の道に出た瞬間、舌打ちした。

 ハイエースは自分が後をつけているのかどうかを確かめたのだ。

 そして、明確な意思を持って尾行している事に気付いたはずだ。

 現に目の前の白い車体が、急にスピードを上げた。

 どんどん遠ざかっていく。

 憂助は自転車のペダルを強く踏み込んだ。

 クロスバイクもまた、一気にスピードを上げた。

 しょせん自転車と自動車。普通なら、追いかけっこの結果など火を見るより明らかだ。

 普通なら。

 しかし憂助は、普通ではない。

 クロスバイクはオートバイを思わせるスピードで街中を突っ切り、ハイエースとの距離を縮めていく。

 ハイエースがそれに気付いて、更に加速した。

 両者はやがて、街を出て山沿いの道に入った。片側二車線ずつあるバイパスだ。山を迂回するように敷かれた道路は、緩やかなカーブとなっている。周辺の民家に配慮して、道路の左右には防音壁が張り巡らされていた。

 小太りの運転手は、アクセルをベタ踏みした。

 激しいエンジン音を上げて、ハイエースがますますスピードを上げる。

 後ろに食いついていた憂助のクロスバイクは、再び距離を離された。

 ルームミラーに映っていた自転車が、吸い込まれるようにカーブの向こう側へと消えていった。

 

「諦めたみたいッスね」

 

 それを見た運転手が、ニタッと笑った。

 

「後は合流地点に向かって、そこで車を替えるんですね?」

「そうだ」

 

 水野がジュースホルダーに差し込んでいたペットボトルの緑茶を飲みながら、答えた。

 このハイエースは、盗難車なのだ。

 この先の合流地点で、用意してある別の車に乗り換えるという寸法だ。

 

「な、何よアンタたち!」

 

 不意に後ろから上がった声を聞いて、水野が眉を潜めた。

 

(早いな……)

 

 胸の内でつぶやいた。

 一睨みで相手の思考力を奪い、木偶の坊にしてしまう『邪視』の効果が切れて、葵が意識を取り戻したのだ。

 いつもならばあと一時間以上は効果が続くはずなのだが……。

 

(先生のお眼鏡にかなうだけの事はある、か……)

 

 水野はそう考えて、自分を納得させた。

 

「やだやだやだやだ! 離せよ! 触んなぁ!」

「うるせえ!」

 

 バチンッ!

 頬を叩く音が響いた。

 

「どーせいろんな男とやりまくってんだろ? 俺たちにもサービスしてくれよ」

「そ、そりゃ確かにやってるけど! だからって誰でもいいって訳じゃねーんだよ! テメー等みてえな猿なんか金積まれたってお断りだっつーの! アタシとやりたかったら最低限クロマニヨン人にまで進化してこい、エテ公!」

 

 葵はこの状況でも気丈に相手を罵倒した。

 

 バチンッ!

 

 二度目のビンタの音が響いた。

 

「このメスが! こっちが下手に出てりゃあ付け上がりやがって!」

「どこが下手だったんだよ! テメー等言葉の意味わかってあぐっ! んー!」

 

 口の中に丸まった布切れを突っ込まれて、葵はくぐもった声しか出せなくなった。

 口に押し込まれたのが、脱がされた自分の下着だとわかったが、何の救いにもならなかった。

 

 葵は手足を押さえつけられて、再び肉体を好き勝手にまさぐられ始める。

 ハイエースはやがて、バイパスの出口に差し掛かった。

 

「……嘘だろ」

 

 運転手が、前方を見てうめいた。

 進行方向に、黒い影が立ちはだかっていた。

 学ランを着た少年だ。壁側の車線に仁王立ちしている。

 彼のクロスバイクは、隣の車線に横倒しで置かれている。

 少年の右手には、木刀が握られていた。

 運転手からはまだ距離もあって見えないが、その木刀の柄には手彫りで『獅子王』の文字が刻まれている。

 久我憂助であった。

 幸運だった。

 このバイパスは、父と共に何度も通った事があるため、瞬間移動で先回りが可能なのだ。

 

「──やれ」

「ハイ!」

 

 水野の冷徹な声に、運転手は威勢良く答えた。

 壁側の車線に進路変更し、真っ直ぐフルスピードで突き進む。憂助を轢き殺すつもりであった。

 

 憂助は、木刀を霞に構えて、腰を落とした。

 木刀が、彼の念の力によって、白い焔を噴き上げる。

 ハイエースの車体が、目前に迫った。

 

「エヤァッ!」

 

 鋭い掛け声と共に繰り出された突きが、左右のヘッドライトの真ん中に打ち込まれた。

 瞬間、ハイエースはそれまでの加速で得た慣性を無視して、ビデオの静止画像のようにピタリとその場に止まった。

 車内は、かすかに揺れただけである。

 エンジンも止まっていた。

 

「え? あれ? え?」

 

 間の抜けた声を上げて、運転手がキーを何度も回すが、何の音もしなかった。

 

「あれ? 水野さん、もう着いたんスか?」

 

 後ろから、葵の乳房をタプタプと叩きながら、茶髪の男が尋ねた。

 

「邪魔が入った──消せ」

 

 水野の声に、鋼鉄のような暗さと冷たさが宿っていた。

 その声色で状況を察した男たちが、荷室の隅っこに置いてあった鉄パイプやサバイバルナイフ、鉈などを手に、素早く車を下りる。

 運転手も、ダッシュボードからナイフを取り出して、それに続いた。

 そして木刀を手にした高校生らしき少年を見るなり襲い掛かる。

 

 木刀が宙に閃いた。

 

 迫る凶器を先端で軽々と受け流し、木製の刀身が敵の胴や頭を透過していく。

 斬られた者は、糸の切れた操り人形のように、その場に膝をついて倒れた。

 3秒と掛からぬ早業であった。

 

「たいしたもんだ」

 

 水野が車から下りて、憂助に声を掛けた。

 憂助は水野をジロリと睨む。

 

「さらった女を返せ」

「ハイ、ワカリマシタとでも言うと思ったか? 多少は腕が立つようだが、俺には勝てん」

 

 自信に満ち溢れた言葉とは裏腹に、水野は顔をうつむける。

 そして、バッと顔を上げた。

 憂助と、目線が合う。

 瞬間、憂助は頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなってしまった。

 水野の邪視を、まともに浴びたのだ。

 正眼に構えていた木刀も、今はだらしなく右手に提げるだけ。

 虚ろな表情で、無防備に立ち尽くしている。

 

「どうやって先回りしたのか知らんが、頑張った割りには冴えないオチだったなぁ」

 

 水野はニヤニヤと笑いながら、部下が落としたサバイバルナイフを拾い上げた。

 そして憂助の正面に歩み寄る。

 

「じゃあな、正義の味方くん」

 

 ナイフを憂助の喉に突き立てようとした瞬間、水野は少年の喉がかすかに発光するのを見た。

 直後、ナイフが下からの攻撃で弾き落とされた。

 木刀だ。

 憂助の木刀が跳ね上がり、ナイフを持つ水野の手を打ったのだ。

 目の前で起きた現象が信じられず、立ち尽くす水野に、憂助の抜き胴が入った。

 木刀が水野の脇腹を透過し、水野はその場に膝をついて倒れた。

 

 フゥーッ!

 

 憂助は、大きく息を吐く。

 危ないところだった。

 精神や感情の力を司る三つのチャクラが自動的に開いた事で、邪視の効果を打ち消してくれたのだ。

 そうでなければ、或いはチャクラの働きがもう少し遅かったら、憂助の命はなかっただろう。

 

「おい峰岸。生きちょうか?」

 

 ハイエースの、開けっぱなしの後部ドアから中を覗き込もうとした憂助に、葵が飛び付いて来た。全裸で。

 

「ふぇえええんっ! 久我ぁ~、マジ怖かったぁ~っ!」

 

 憂助の首にしがみつき、小さな子供のように泣きじゃくる。

 

「わかったわかった。いいき服着れや、風邪引くぞ」

 

 憂助は左手で葵の背中をポンポンと叩いてなだめる。

 ひとしきり泣いて気持ちも落ち着いた葵は、いそいそと脱がされた服を身につけた。

 憂助がドアを閉めた時、バサバサと音がした。羽音だ。

 見れば空から、肩に翼を生やした鯖虎が舞い降りてくる。

 

「トラ……?」

 

 憂助がとりあえず『チビ虎』と名付けたが、その時その時の気分で『チビ』だったり『トラ』だったりする、蠱毒の呪物。

 

「お待たせー、んじゃ帰ろっか」

 

 そこへ、服を着た葵が出てきた。

 そしてチビ虎を見てパッと笑顔になる。

 

「や~ん、ネコちゃんも来てくれてたの~? ありがとうねぇ~」

 

 黄色い声を上げて、チビ虎に駆け寄り抱き上げ、頬擦りする。

 憂助はそんな彼女の襟首を掴み、ハイエースの方へと投げた。

 葵の体は、体重など消えてしまったかのようにフワリと浮いて、吸い込まれるようにハイエースの荷室に入る。

 

「ちょっと! いきなり何すんのよ!」

「そこにチビと一緒におっとけ」

 

 言い捨てて、憂助はドアを閉める。

 

 チビ虎に、誰かを心配して駆けつけるなどという殊勝な心掛けはない。

 自分の食料である霊すらも、ちょっと強そうな霊の場合は、まずは憂助に倒させてから、手頃な残りカスを平らげる図々しさである。

 そのチビ虎がこの場に現れたという事は……。

 

 ──不意に、辺りが薄暗くなった。

 憂助の鼻に、ムワッと漂ってくるものがあった。

 獣の臭いだ。

 どこからともなく、鉛色の霧が立ち込めてくる。

 その向こうから、巨大な獣が姿を現した。

 最初は、虎かと思った。

 だがその顔は、人間の物だった。若い女の顔だった。

 細長い尻尾は蛇で、鎌首をこちらに向けて、赤い舌をチロチロとうごめかせていた。

 憂助は木刀を正眼に構える。

 それが合図となったかのように、人面の虎が身を屈めて、飛び掛かった。

 太い前足から鉤爪が伸びて、開かれた口にも鋭い牙が並んでいる。

 虎が前足での打撃を憂助の顔面に打ち込もうとした刹那、憂助の木刀が跳ね上がって、虎の顎をアッパーカットめいて打ち上げた。

 虎の巨体が宙で一回転しながら後方に飛ばされる。

 しかし、猫科動物特有のしなやかな動きで、上手く着地した。

 

(結構速いな……)

 

 憂助は胸の内でつぶやく。

 虎が間合いを詰めるのが速かったため、必殺の念を練る間がなかった。

 ゆえに、今のカウンターは虎を突き放すだけに終わったのだ。

 

 人面の妖虎は憂助から視線を外さず、その周りをうろつき始める。

 隙をうかがっているのだ。

 憂助は木刀で、自分の周りの地面に円を描いた。直径が肩幅よりやや大きい程度の、小さな円だ。

 木刀の軌跡に沿って白い光が生まれ、そしてすぐに消えた。

 円を描いた後、憂助は木刀を八双に構え──何を思ったか、目を閉じた。

 最初は相手の動きを警戒していた虎だったが、やがて殺戮の衝動に耐えきれなくなったらしく、憂助の背後から飛び掛かる。

 前足の爪が憂助に触れるか触れないかというギリギリにまで迫った瞬間、白光がほとばしり、虎は女面を真っ二つに幹竹割りされていた。

 いつの間に振り向いたのか、虎と向き合う形で、憂助が木刀を振り下ろしていたのである。

 

 憂助が地面に描いた円は、いわば結界。

 その領域内に侵入したものに対して、肉体が自動的に神速の迎撃を行う、久我流念法の技であった。

 

 虎は顔のみならず、その巨体を真っ二つに断ち割られて、黒い塵となって消し飛んだ。

 葵がハイエースのドアを開けると、一足早くチビ虎が飛び出して、地面に散らばるかつて妖虎だった塵をムシャムシャと食べ始めた。

 鉛色の霧は、すでに消えていた。

 

「久我、ダイジョーブ? 怪我してない?」

「おう、平気だ」

 

 駆け寄った葵に答えつつ、憂助は木刀の刀身を左手で拭うと、そのまま左手の平に差し込む。

 木刀は手品のように、左手の中に消えていった。

 

 プップッ!

 

 そこへ、小刻みのクラクションが響く。

 見れば、銀色のプリウスが停まっていた。

 二人が驚いたのは、その屋根に赤灯が乗ってある事だ。覆面パトカーである。

 プリウスから、スーツを着た一組の男女が下りてきた。

 

「大丈夫かね、君たち」

 

 男の方が、気さくな声音で尋ねる。

 

「さ、さーせんお巡りさん! あの、その、アタシたちはえーっと、その」

 

 葵は上手い言い訳が思い付かず、あたふたする。

 男は憂助の方に視線を向けた。

 

「久我憂助くんだね?」

「はい」

「先日は、うちの同僚が世話になった。ご協力、感謝する」

 

 言いながら、懐から茶色い革の手帳を取り出して、広げて見せる。

 

「私は警視庁DTSS、沢渡直也警部だ」


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