自宅の庭で、久我京一郎はパンツ一丁で
ただでさえ冷水が身に染みる時期である。加えて、時刻は午前四時。辺りはまだ真っ暗だ。
にも関わらず、京一郎は庭の水道から洗面器に汲み上げた水を、何度も頭から被り、一心不乱に祈っていた。
何を祈っているのか──それは息子憂助の無事だけであった。
京一郎の中には、常に真摯な想いがあった。
憂助には、念法などどうでもいいから、ただ健やかに育ち、清らかに生きていてほしい。
息子が望み、そして今も熱心に学んでいるから念法を教えてはいるが、もしも息子が
「飽きたしつまんないし、女の子にモテる訳じゃないからもうやーめた」
と言ったら、それでおしまいにするつもりである。
久我流念法が自分の代で絶えてしまう事になるが、それがどうした。糞食らえだ。そんな風にすら思っている。
念法だけが人生ではないのだ。人生のために念法があるのであり、念法のために人生があるのではない。
同時に、それとは矛盾する願いがあった。
憂助には、自分や父以上の念法家として大成してほしい。親馬鹿は百も承知だが、御本家の当主や開祖・結城
今回の山ごもりの際、風水の心得を会得させるため念を打ち込み視覚を封じたのも、そんな期待あればこそであった。
それでも、家に帰ってから『ちょっとやり過ぎたかな……やり過ぎたかも……』と一人後悔した。
そして毎朝、陽も上らぬ内から息子の無事だけを祈り、柄にもなく水垢離などやっているのだ。
◆
京一郎は兼業農家である。
農業の他に、道の駅の片隅で小物屋を営んでいる。
《まよひが》
と書かれた看板を掲げたプレハブ小屋がそうで、『まよいが』と読み、山の中の怪異の一つである『迷ひ家』の事だ。
その隣に、短い渡り廊下で繋がったもう一軒のプレハブがある。そこは京一郎の工房で、そこで作った置物やアクセサリーを隣の店舗で販売しているのだ。
今日は定休日だが、京一郎は隣の工房にこもり、品物を作っていた。竹製の鳥笛、木製の独楽や起き上がりこぼしなどだ。
時刻は午後五時。
時間を報せる音楽が辺りに響く中、工房の出入口のサッシがカラカラと開かれた。
夕陽が、京一郎の足下にまで来客の影を伸ばす。
「おう」
来訪者を見て、京一郎は声を上げた。
黒いロングコートを着込んだその男は、右手に反りの強い長尺の木刀を携えている。
飛鳥竜摩であった。
「久しぶりやね、飛鳥くん」
「……どこで、俺の名を?」
「お巡りさん」
「ああ」
DTSSの刑事たちかと、納得した。
「しかし、ずいぶん早いこと出られたね」
「あの程度のセキュリティでは、俺を閉じ込めておく事など出来ん」
「うん、そう思っておいちゃんは君の力を封じたんやけどね」
「それも、自力で解除した」
「ほっ」
京一郎の声音が弾んだ。
飛鳥竜摩に放った『吹毛』の一太刀で、彼の体内の全てのチャクラを封印し、二度と開けぬようにした。
彼はその封印を、わずか二週間足らずで解いたという。
その力量に、心から感心したのだ。
「哀しいねぇ」
「何がだ」
「それだけの力を、世のため人のために役立てないだけならまだいい。カルト宗教の用心棒なんぞやって殺し屋の真似事に使いようのが、哀しい」
「俺の力だ。どう使おうと俺の自由だ。それに、説教など聞くつもりはない。表に出ろ」
「なしかい」
「知れた事。この前の続きだ」
「おいちゃん忙しいんよ。また今度にして」
京一郎はつれない返事をして、手にしている木片を紙ヤスリで磨き始める。厚い木の板を切り出して作った、小鳥の置物である。
「……嫌だと言うなら、貴様の息子を殺すぞ」
飛鳥竜摩の言葉に、その手が止まった。
「奴も多少は使えたが、俺の敵ではない。殺そうと思えばいつでも殺せる。今すぐにでもな」
飛鳥竜摩の言葉に、京一郎は眉間にシワを寄せた──かと思えば、ハァ~ッとこれ見よがしに大きな溜め息をついた。
「君は、いつの話をしよるんかね」
「なに?」
「男子三日会わずんば刮目して見よ、と昔の人も言うとる。ましてやあれから二週間近く経っとる。そげな大昔の憂助に勝ったくらいでいい気になられちゃたまらんばい。大口叩くのは、今の憂助に勝ってからにしてもらわんとね……そもそも、憂助は確かに君に負けたが、君が憂助に勝った訳やない。その辺から、君は勘違いしとうごとあるね」
「あの時の奴が、本気ではなかったと言うのか」
「君は憂助一人に集中出来た。憂助は君一人に掛かりきりになる訳にはいかんかった。あん時の憂助はお姫様を守らなならんかったきね。その時点で、あれがどこまで真っ当で公平な勝負やったかはわからんと思わんかね? 君に有利な条件で君が勝つのは当たり前。何の自慢にもならん。おいちゃんと戦いたかったら、まずは本当の意味で憂助に勝ってからにしてもらわんとね。それが出来たら、また稽古付けちゃろう」
「……良かろう」
飛鳥竜摩は木刀をコートの袖にしまい込み、クルリと背を向けた。
「そんなに息子を殺してほしいと言うのなら、喜んで殺してやる──貴様の息子の首を手土産に、また戻ってくるぞ」
「期待せんで待っとるよ、頑張んないね」
京一郎はその背中にヒラヒラと手を振って、見送る。
それから工房の中を片付けて戸締まりをし、軽トラに乗って帰宅する。
居間に入ると、棚に飾ってある妻の遺影の前で、深々と土下座した。
「すまん、小百合さんッッ!! つい勢いでやっしもたッッ!!」
飛鳥竜摩に憂助を侮辱されて、つい負けん気と親馬鹿からあのような挑発をしてしまったようだ。
憂助の視覚を封じた時といい、意外と面倒くさい男である。
「で、でもまぁ、憂助もそろそろ風水を聞けるようになっとうやろうし、俺と小百合さんの子供やき大丈夫大丈夫!」
それは亡き妻への弁明というより、自分自身に言い聞かせているかのようだった……。
◆
夕焼けが辺りを朱色に染める、山中の草原。
久我憂助はそこにいた。
タオルで目隠しをしている。
父の念で視覚を封じられ、何も見えない状態は依然続いている。目隠しは、転倒して木の枝や尖った石で眼を傷付けるのを防ぐための物であった。
顔には、これまでに何度も転んだとわかる、たくさんの小さな擦り傷が見受けられた。
ジャージの上を脱ぎ、上半身を裸にしている。腕や胸にも、転倒して出来た擦り傷や痣があった。
草原にはたくさんのトンボが群れをなして飛んでいる。
憂助はその中で木刀を振るっていた。
狙いは、周囲を飛び交うトンボである。
しかし打ち殺したりはしなかった。
紙一重で木刀を外し、その太刀風で以てトンボを気絶させているのである。
憂助には、トンボの位置や軌道が正確にわかった。
トンボ一匹一匹の羽音も、冷たい秋風も、風に吹かれる草のざわめきも、どれも正確に聞き取れていた。
他の音に紛れて聞き取れない音など、何一つとしてない。
嗅覚も鋭敏になっていた。
そして、皮膚の触覚も。
トンボの移動によって発生する、かすかな空気の揺らぎすら、今の憂助にはハッキリと肌で感じ取る事が出来た。
視覚以外のあらゆる感覚がもたらす情報を、脳が瞬時に処理して、周囲のロケーションをくっきりとイメージさせている。色まではさすがにわからず、白黒のイメージでしかないが、盲目というハンディキャップは半ば以上、その意味をなくしている。
木刀を紙一重で外す事が出来るのも、そのためだった。
これが父の言う風水なのか、実を言うとわからない。
ただ、世界にはたくさんの音や匂いが溢れており、それだけたくさんの命が溢れているのだとわかった。
最初は悲嘆にくれていたが、今では気持ちもすっかり落ち着いている。自分自身が戸惑うほど静かで、澄みきっていた。
やがてトンボが、一匹もいなくなった。全て憂助に打ち落とされたのだ。
憂助は木刀を正眼に構えた。
「エヤァッ!」
構えたまま気合いを発すると、気絶して地面に落っこちていたトンボたちが一斉に目を覚まし、飛び立っていった。何とも不思議な光景であった。
不意に憂助は、目隠しの下で眉根を寄せた。
ここから百メートル先に滝があり、そこが憂助の山ごもりの拠点である。
その拠点に、人の気配を感じたのだ。
覚えのある気配である。
憂助は拠点に向かって瞬間移動した。
「……戻って来たか」
来訪者の声が、憂助の耳を打った。
来訪者は、飛鳥竜摩であった。
憂助の五メートル前方、草木で組んだテントのそばに立っていた。
「おう、久しぶりやのう。聞いた話じゃ少なくとも二、三十年は出れんやろうっち事やったが、脱獄か」
「そうだ。貴様の父親への雪辱を果たすために、な……だが奴は、俺が怖いらしい。まずはお前を殺してからもう一度来いと言っていた。貴様も、ずいぶんひどい父親を持ったものだな」
「忠告しといてやるが、うちのバカ親父の話いちいち真に受け取ったら身が持たんぞ」
「いずれにせよ、奴と戦うためにはお前の首が必要だ。もらっていく」
飛鳥竜摩は言うなり、左の袖口に手を差し込んだ。
引き抜かれた手には、反りの強い長尺の木刀が握られている。それを正眼に構えた。
「欲しけりゃ持ってけ──取れたらの話やけどの」
憂助は、木刀を八双に掲げる。
飛鳥竜摩が尋ねた。
「目隠しは取らなくていいのか?」
「はぁ?」
「それとも、負けた言い訳が欲しいのか? 死んでしまえば意味のない事だがな」
「さっきから何を言いよんか──あっ」
そこで憂助は、間の抜けた声を上げた。
「そうやった、目隠ししとったんやった……忘れとったわ」
白黒の世界に慣れて、冗談でも何でもなく、今タオルで目隠しをしているという事を忘れていた。
木刀を下ろし、左手で後頭部の結び目をほどきに掛かる。
そこへ、飛鳥竜摩の木刀が槍のように突き出された! 五メートルの遠間を瞬時に詰めての、強烈な一突き!
それが憂助の胴体を貫いた──かに、見えた。
だが憂助は、横に移動してその突きをかわしていた。
「ほれ」
そして左手の、ほどいたタオルを飛鳥竜摩の顔に投げつける。タオルは生き物のように彼の顔に巻き付き、目を塞いだ。
そこへ憂助が、木刀で軽く胸を突いた。
否、『突いた』というより『押した』と言った方がいいだろう。
にも関わらず、飛鳥竜摩の体は大きく後ろへ吹っ飛び、川の中に落ちた。
飛鳥竜摩は立ち上がり、顔にまとわりつくタオルを剥ぎ取って投げ捨てた。
(確かに、以前とは違うようだな……)
だが、自分とて前回全ての力を見せた訳ではない。
飛鳥竜摩は木刀を川の水に浸け、目を閉じて精神を集中させた。
川の水が、徐々に集まっていき、轟音を上げ、水柱となって噴き上がった。その水柱は形を変え、龍となって憂助に襲い掛かる!
憂助はテントのそばにある、石を組んで作ったかまどの中に木刀を突っ込んだ。
その中には、灰の下でまだ種火がくすぶっている。
念を使ってその種火の火勢を強める。
憂助が木刀を振り上げると、火柱が上がった。それが炎の龍となって、飛鳥竜摩が生み出した水の龍とぶつかり合った。
二頭の龍は互いに身を絡ませ合い、最後には空中で水蒸気爆発を起こし、消滅した。
「やるな……なら、これはどうだ?」
飛鳥竜摩が木刀で天を指し示すと、それが合図であったかのように、憂助の周囲の川原の石が一斉に宙に浮かび上がった。
サッと木刀が振り下ろされると、石が一斉に憂助目掛けて飛来する。360度全方位から迫る、石の弾幕!
憂助は木刀で、足下にあった小石を突いた。
跳ね上がった小石が、飛んでくる石にぶつかる。
ぶつかった石が軌道を変えて別の石に当たり、その石もまた軌道を変えて別の石にぶつかる──そんな連鎖反応が次々と起こり、憂助の頭上や後方にまで瞬く間に広がっていき、ついには全ての石が互いにぶつかり合って砕け、地面に落ちた。
飛鳥竜摩が木刀を顔の前に立てた。
ガツッ!
乾いた音を立てて、石がその長尺の刀身にぶち当たった。一つだけ、彼の方へ飛ぶように調節されたのだ。
「俺の首が欲しかったんやねえんか。手品はいいき、さっさ取り来いや」
憂助は木刀で自分の首筋をトントン叩き、挑発する。
「ガキが……」
飛鳥竜摩は唸るように呟き、川原に上がった。
木刀を中段霞に構え、憂助と対峙する。
「もう一度、その心臓に風穴を空けてやる」
「やってみろや」
憂助もまた、中段霞に木刀を構えた。
両者、同じ構えで相対したまま、動かない。
数秒後、飛鳥竜摩が動いた。憂助の心臓目掛けて、電光石火の突きを打つ!
憂助も、全く同じタイミングで動いていた。
技も同じ突き。
両者の木刀の切っ先が、激しくぶつかり合った!
飛鳥竜摩の体が、後方へと吹っ飛ぶ。ほんの一メートルほどではあるが、それは彼が力負けした証拠であった。
「馬鹿な……この俺が、貴様ごときに……!」
一度は苦もなく倒した相手である。久我京一郎の助けがなければ、そのまま死んでいた相手である。
その相手に、今自分が押されていた。
わずか二週間足らずで、前回戦った時とは全く違っている。
「男子三日会わずんば刮目して見よ、か……なるほど、認めざるを得んようだ。だがな、それでも貴様は、俺には勝てん」
飛鳥竜摩は木刀を顔の前に立て、目を閉じて精神を集中させた。
全身からユラユラと陽炎めいた光を立ち上る。
そして彼の両隣に、全く同じ姿、全く同じポーズの飛鳥竜摩が現れた!
更にその数は増えていき、ついには十三人の飛鳥竜摩が、憂助を取り囲む!
「さぁ、これはどうかわすかな」
十三人の飛鳥竜摩が、木刀を霞に構えた。その動きは、申し合わせたように全く同時であり、次に来る攻撃も、ほんのわずかなズレもなく同時に、全方位から繰り出される事だろう。
多方向からの攻撃は、あらかじめタイミングを合わせない限り必ず一人一人遅い・速いの違いが出る。その違いが囲みを抜ける隙となるが、これにはそんな隙などない。
十三人の飛鳥竜摩は、口許に勝利を確信した笑みを浮かべながら、同時に突きを放った。
しかし憂助、何を思ったか、それには構わず頭上目掛けて木刀を投げた!
「ぐおっ!」
呻き声が頭上で聞こえたと同時に、憂助を囲んでいた十三人の飛鳥竜摩が一斉に消え失せた。
直後、憂助の背後に何か黒い物が落ちてきた。
それは飛鳥竜摩。
幻覚を見せて憂助の注意を引き付け、自分は瞬間移動で憂助の頭上から攻撃を加えようとしていたのである。
「な、何故本物の俺の位置がわかった……」
「本物のって……なんか、俺に目眩ましでも掛けたんか。あいにくと俺は今、目が見えんきの。そんなん効かんわ。お前の気配が上に飛んだき、そこを狙っただけてぇ」
「は?」
飛鳥竜摩は、間の抜けた声を漏らした。
彼の目の前で、憂助が右手を横に伸ばす。
先程投げつけた木刀が、その手の中に落ちてきた。
目が見えない?
いや、そんなはずはない。
目が見えない人間の動きではなかった。
目が見えない奴に、自分の突きに正確に同じ突きを合わせるなど、出来るはずがない。
目が見えない奴に、落ちてきた木刀をキャッチするなど、出来るはずがない。
飛鳥竜摩は狼狽した。
だが、それが本当だと言うのなら、まだやり様はある。
飛鳥竜摩は木刀で地面を打った。
ドォォオオオンッ!
激しい音が鳴り響き、舞い散った土砂がパラパラと降り注ぎ、辺りは無数の雑音に包まれる。
その隙に、飛鳥竜摩は憂助の背後から間合いを詰め、突きを放った。
目が見えないと言うのなら、今奴は聴覚を頼りにしているはずだ。自分の動く音を、土砂が降り注ぐ音で掻き消せば、何も出来まい……!
事実、憂助は動かない。
飛鳥竜摩は今度こそ、勝利を確信した。
瞬間、憂助の姿が消え、突きは虚空をむなしく貫いた。
同時に、何か熱いものが自分の胴体を横一文字に透過するのを感じた。
憂助が振り向きながら身を沈め、木刀で飛鳥竜摩の胴体を薙いだのである。
土砂が全て落ちきって、辺りを静寂が包んだ。
飛鳥竜摩は、突きを打った体勢のまま、意識の糸を断たれ、そのまま地面に崩れ落ちた──。
◆
憂助は近くの森から切り取ってきた蔓で、飛鳥竜摩の手足を縛った。
後は父の元へ瞬間移動で連れていき、彼の力を再度封印してもらった後、DTSSに引き渡せばいい。
「…………?」
不意に憂助は、鼻をヒクヒクとさせた。
雨の前触れのように、空気の湿り気が増した。
皮膚感覚で、霧が出たのがわかる。
周囲がたちまち、乳白色の幕に覆われた。
その濃霧の向こうから、音がした。
鎧兜に身を包んだ者の足音である。
やがて、足音の主が憂助の前に姿を見せた。
平安時代よりも前の古い甲冑で武装した戦士である。両手で矛を携えている。
しかし、大きい。身の丈は三メートルにも達していた。
兜の下の顔はミイラめいて干からびて、ルビーを埋め込んだような赤い眼が爛々と輝いていた。
その巨人戦士が、憂助目掛けて矛を突き出した。
憂助は跳躍してかわすと、矛の柄を踏み台にして更に跳躍、巨人を大上段からの打ち下ろしで、真っ二つに切り裂いた。
憂助が着地すると同時に、巨人は幻のように消え去った。
濃霧もまた、現れた時と同様に突如消え去った。
──飛鳥竜摩の姿も、消えていた。
巨人がいた場所に、真っ二つに切断された紙人形が一つ、落ちていた。手のひら大の大きさでしかない、ちっぽけな物であった。
(逃げられたか……)
恐らく、あの霧や巨人は、憂助を引き付ける囮だったのだろう。
しかし、憂助が巨人を撃退するのにわずか数秒しか掛かっていない。その間に飛鳥竜摩を連れ去るとは、何者かは知らぬが、大した手際の良さであった。
憂助はただ、口をへの字に曲げるしかなかった。
◆
月曜日。
京一郎の打ち込んだ念も消えて視覚を取り戻した憂助は、学校へ続く道を歩いていた。
「久我、おはよー」
その背中に、峰岸葵が声を掛ける。ギャル友トリオも一緒だ。あっという間に、憂助は四人のギャルに囲まれた。
葵が憂助の右腕に自分の腕を巻き付け、101cmの爆乳を押し付けて来た。
「久我ぁー、二週間もガッコー休むとかひどくない? アタシらマジ寂しかったんだからぁー。お見舞い行ってもいなかったしぃー」
「知らんわ」
「パパさんからお爺ちゃんとこでセーヨーしてるとか聞いてたけどさ、何かお土産とかないの?」
芦原麻希が厚かましい事を言ってくる。
「ねぇよ。じいちゃんとこは別に観光名所でも何でもねぇ」
「ちぇー、つまんないの」
「まぁアンタがマジ元気になったみたいで、マジ良かったよ」
「ウチらも心配したんだからね?」
柳沢美智子と林田恭子が口々に言った。
「おう、そらすまんかったの……なんか」
二人に謝り、じっとこちらを見つめる葵をジロリと睨む。
「なんか久我さぁー、雰囲気変わってない? なんか前より落ち着いた感じってゆーか」
「知らんわ」
「……まさかアンタ、誰かとヤったの?」
葵の一言に、ギャル友たちも顔色が変わった。
「マジで? 誰とヤったの?」
「アンタのドーテーはウチらがもらう予定なのに!」
「ひょっとして風邪で休んだのも嘘で、その女のとこに入り浸ってたとか?」
「もしかして静流センセー? センセー前からアンタの事狙ってるっぽかったし!」
ギャルたちは目の色を変えて騒ぎ立てる。
いい加減うっとうしくなってきた憂助は、一声怒鳴り付けてやるべく、大きく息を吸った──。