「きりーつ……れーい……ちゃくせーき」
日直の号令で、六時間目の授業が終わった。
教壇のすぐ前の席にいる
見上げると、白い半袖ブラウスと黒のタイトスカート。ブラウスは内側から盛り上がり、見事な山脈を描いている。
今の国語の授業を担当していた女教師、
彼女は人差し指を唇に当てて『ナイショ』のジェスチャーをすると、教室から出ていく。
「…………?」
教師の意図が読めず、憂助はとりあえず紙切れを広げた。
『大事な相談があります。放課後、生徒指導室まで来てください』
綺麗な字でそう書かれてある。
富士村静流は長い黒髪と切れ長の眼、そして服の上からでも隠しきれないメリハリのあるプロポーションをした25歳の女性だ。
背筋をピンと伸ばして廊下を歩く颯爽たる姿は、男女問わず生徒たちの人気の的である。
しかし、そんな彼女からしてみれば憂助など、単なる一生徒にしか過ぎぬはず……大事な相談とはいったい何なのか、まったく見当がつかない。
ただ、校内放送で呼び出すのではなく、このようなやり方で話を持ち掛ける辺り、憂助が何かしたからという訳でもあるまい。
掃除とホームルームが終わると、憂助は生徒指導室へ向かった。
そしてドアをノックしようとした瞬間、眉間にチリチリとした感覚が走った。
念法の修行によって鍛えられた第六感が発動したのだ。
憂助はドアを乱暴に開けて、中に踏み込んだ。
部屋の中は、窓際に教員用のデスク。
真ん中に生徒と面談するための長机とパイプ椅子が一式。
その長机の傍らに、静流がこちらに背を向けて立ちすくんでいた。
彼女の視線は窓に釘付けだ。その理由は問わずともわかった。
窓ガラスに黒い人影がヤモリのように貼り付き、室内を覗き込んでいるのだ。
否。
そいつの黄色く濁った目は、静流を捉えているのだと、憂助には直感でわかった。
そして同時に、身体が動き出していた。
「イィーーエヤァッ!」
獅子の咆哮のごとき気合いと共に、一跳びで長机とデスクを飛び越えて窓際に迫り、そこにいる『影』目掛けて右の手刀を振るう!
その一撃は窓ガラスにすら紙一重で届かず、ただ虚空を切り裂いただけだった。
しかし『影』は、窓ガラスから弾き飛ばされ、発泡スチロールをこすり合わせるような奇怪な声を残して消えた。
憂助がすかさず窓を開けて外を見回すも、影も形も見当たらなかった。
下を見下ろすと、下校していく生徒たちの姿がはるか下方に見えた。ここは三階なのだ。
窓を閉めた憂助は、未だ石地蔵のように立ち尽くす女教師の方を振り返った。
「先生、大丈夫ですか?」
声をかけると、静流はペタンとその場に座り込んだ。
自分の両肩を抱いて丸く縮こまり、震えている。
「そ、そんな……学校にまで出て来るなんて……こんな、明るい内から……」
「先生」
憂助は片膝をついてしゃがみ、教師の肩に手を置いた。静流はビクッとすくみあがるが、目の前にいるのが自分が呼び出した生徒だと気付くと、すぐに安堵の表情になった。
「あの黒いのなら追っ払いました」
そして憂助のその言葉を聞くと、まるですがりつくように彼に抱きつく。
日頃の彼女らしからぬ行動に驚く憂助だったが、それで彼女の気持ちが落ち着くならと、しばし好きなようにさせてやった。
憂助の方でも、子供をあやすように背中を叩いてやる。
――二、三分もすると落ち着いたようで、静流は憂助から離れた。
「ご、ごめんなさいね、いきなり。さ、座って?」
バツが悪そうに謝り、長机のパイプ椅子を引いてやる。生徒がそこに座ると、彼女も向かい側のパイプ椅子に座った。
「先生。相談っちゃ、さっきのあの黒いのの事ですか?」
憂助は単刀直入に切り出す。
「……ええ、そうよ」
静流はうなずき、話し始めた。
いわく、二週間前からあの黒い影が付きまとっているらしい。
電車で通勤しているのだが、駅から自宅のマンションまでの徒歩数分の道のりで、視線を感じるようになったという。
振り向いても誰もいない。
後をつける足音も聞こえない。
だがそれでも、自分の身体にネットリとした視線が絡み付くのがわかるのである。
そしてその視線が、段々近付いているようにも感じられた。
先週の金曜日など、電車の中でうたた寝をしてしまったのだが、首筋に荒い吐息を感じた。
ビックリして目を覚ましたものの、身体が動かず、目を開ける事も出来ない。金縛りだ。
軽くパニックになりかけていたところへ、何者かの手が服の中に潜り込み、静流の豊満な胸を気安く揉み始める。
スカートに潜り込んだ手が、内股を撫で回す。
ヌメヌメとした手触りに、肌が粟立った。
声を上げる事も出来ず、静流は正体のわからぬ何者かに延々と肉体を弄ばれた。
唇まで奪われそうになった時、電車が駅に止まり、乗客が二人乗り込んで来た。
その瞬間、静流の肌をオモチャにしていた手の感触が消え、彼女を拘束していた金縛りも解けた。
――そして、昨夜。
寝室で寝ていると、不意に身体が重くなった。誰かが上から覆い被さっているかのようだ。
そう気付いたのと同時に、金縛りになる。
不可視の力で動けない彼女の肌を、ヌメヌメした手が這いずり回った。
舌で舐め回される感触もある。
振りほどこうにも身体は指一本動かせず、うめき声一つ出せなかった。
心の中で思い出せる限りの念仏を唱えてみたが、相手は意に介する風もなく、愛撫を続ける。
ついには唇も奪われ、怪しい生き物のようにうごめく舌が口の中に潜り込み、静流の舌に絡み付く。
恐怖と恥辱に耐えきれず、静流は気を失った――。
「朝になって目を覚ますと、誰もいないの。窓も玄関のドアも鍵がかかったままだし……でも私、パジャマも下着も全部脱がされてた……暑くなって知らない内に自分で脱いだとか、そんなんじゃない、絶対にないわ。だってその下着、リビングに捨てられていたんだもの……」
その恐怖の一夜を思い出して、静流の声は震えていた。
「もう私、怖くて怖くて……そしたら今日、たまたま一緒にお昼を食べてた峰岸さんからあなたの事を聞かされたの。あなたには、とてもすごい霊能力があるって」
その一言で、憂助の脳裏に
「……先生。申し訳ないですけど、俺のはちょっと違います」
「違う……?」
「確かにそういう連中相手に戦う事も想定してますが、俺の技はどちらかと言えば武道、武術の類いです。だから、今ここで何か呪文唱えたり、魔除けのお札とか作って渡して、それでめでたしめでたしとはいかないんです」
「つまり……」
「そいつが出て来たところを、首根っこ押さえて取っ捕まえて、二度と悪さが出来んよう、高い所へ送るしか出来ません」
「そう、なの……」
静流はうつむいて、考え込んだ。どうやら憂助が言ったように、魔除けの呪文を唱えるなりお札を用意するなりしてくれると思ったようだ。
(いい加減な説明しくさりやがって……)
憂助は葵への苛立ちに、目を細めた。
「――わかったわ」
何かを思い立ったように、静流が顔を上げた。
「ちょうど明日は土日でお休みだもの。久我くん、申し訳ないんだけど、今夜から先生の家に泊まってくれないかしら」
「…………は?」
「今の話からすると、直接現場を押さえるしかないんでしょう? 逆に言えば、それさえ出来れば何か特別な道具とかを準備しなくてもいいって事よね? さっきも追い払ってくれたし……せっかくのお休みのところを悪いんだけど、どうかうちに来て、お願い!」
「~~~~っ!」
手を握っての懇願に、憂助は物凄く困った顔をした。
男子高校生が女教師の家に、最悪二泊三日する事になる。
(さすがにやべーやろ……学園物のAVやねえんぞ……)
しかし、彼女がそこまで頼むのだからよほどの事だ。
静流の手が恐怖で震えているのもわかる。
そもそも、葵から話を聞いたその日のうちに相談を持ち掛けた時点で、彼女がどれほど追い詰められているかわかるというものだ。
「……わかりました。でも、いっぺん着替えを取りに帰らせてもらえますか?」
義を見て為さざるは勇なきなり。
そんな言葉が、憂助の心中に浮かんだ。