邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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エピソード3
リョウメンスクナ その1


 恐怖の廃屋で、影の群れから助けられた峰岸葵は、しかし恐怖から解放された反動で腰が抜けて、立ち上がれずにいた。

 久我憂助はそんな彼女の背中と膝の裏に手を通し、いわゆる『お姫様抱っこ』の形で軽々と抱き上げて、廃屋の外に連れ出してくれた。

 その後、葵は仲間に電話を掛けたが、誰も出ない。

 それで憂助はやむを得ず、彼女を背負って下山したのである。

 その道中で二人は自己紹介して、お互いに、相手が同じ学校の生徒だと知った。

 

「で、お前はなし、あげな所におったんか」

 

 訛りのある口調で問い掛けられた葵は、彼に助けられるまでの経緯を話して聞かせる。

 

「──それで、みんなさっさと車で逃げちゃったの……アタシだけ置いて……マジあり得ないし……!」

「気持ちはわからんでもねえが、怨むな」

「なんでよ!」

「今聞いた限りやと、別にそいつ等はお前を囮にしようとした訳やねえ。お前が取り残されたのはたまたまだ。場合によっちゃ、お前がそいつ等のうちの誰かを置き去りにしたかも知れんやろが。そういう意味では、お互い様だ」

「……でも……やっぱり文句の一つも言わなきゃ、気が済まないよ……」

「そら良かった。文句言っておさまる程度の怨みなら、飲み込んじまえ。腹ん中で消化されて、消えてなくなる」

「…………」

 

 葵は納得できず、ブスッと唇を尖らせた。

 

「それより、あんたはなんであんな所にいたの? 肝試し……じゃ、ないよね?」

「あの家は良くないもんがしょっちゅう集まるき、月一で祓いに行きよう。で、今夜行ってみたらお前がおった……運が良かったの」

「……そうだね……ありがと……」

 

 葵はそう言って、憂助にギュッとしがみついた。

 バスト101cmの豊満な膨らみが、互いの着衣越しに、少年の背中に押し付けられる。彼女なりの、ささやかなお礼のつもりだった。

 

 憂助が立ち止まった。

 いつの間にか、見覚えのあるアパートの廊下に到着していた。二人はその一番奥の部屋の前にいる。

 憂助がドアを開けて中に入る。

 短い廊下を抜けると六畳間があり、その真ん中に布団が敷かれてある。

 葵は憂助の背中から下りた。

 彼女の服装は、セーラー服だ。中学校の制服である。

 それを当たり前のように脱ぎ捨て、真っ白な裸体をさらけ出した葵は、憂助の足下にひざまずき、慣れた手つきでズボンを下ろした。

 顔を見上げると、茶色に染めた長髪の男の顔があった。顎の細い、端正な顔立ちだ。

 

()()()()。今日も葵を可愛がって?」

 

 ──そして、次に葵の目に映ったのは、自室の天井だった。

 窓の外から鳥の声が聞こえる。

 空も白み始めており、カーテンの隙間から薄明かりが差し込んでいた。

 

「……夢、かぁ……」

 

 つぶやく声は、寂しそうだった。

 

(だよねー……あそこ、和彦さんの部屋だし……アタシ、中学の制服着てたし……)

 

 和彦とは、中学時代に葵が付き合っていた近所の大学生だ。ルックスもイケメンで、中学2年生の時に『クラスの友達に自慢したい』という理由で思いきって告白したら、あっさりOKをもらった。

 自分から告白しておいて、葵は思わず「これってドッキリ!?」と勘繰り、どこかに『大成功』と書かれたプラカードを持って誰かが隠れているのではないかと、辺りを見回したりしたものだ……。

 そのまま和彦は自分のアパートに葵を連れ込むと、彼女を抱き締めてその唇を奪い、部屋の隅に敷いたままの布団に押し倒した。

 ──それから葵は、毎日アパートを訪れて、自ら進んで和彦のオモチャになったのだ。

 和彦のどんなリクエストも、葵は決して拒まなかった。単純に気持ち良かったからというのもあるが、『年上の彼氏がいる』・『大人の男性に愛される自分』という優越感もあったのだ。

 

 しかしそれから一年ほどして、葵が中学3年生になる頃、和彦は就職を機に上京。アパートの部屋も引き払い、そして全く連絡が付かなくなってしまったのである。

 

「あー、思い出したらムカついて来た……あのロリコン豚野郎、今度会ったらケツの穴にダイナマイト突っ込んで火ぃ点けてやる……!」

 

 葵は物騒な事をつぶやくと、タオルケットを頭から被ってふて寝した。

 

 

 中天に差し掛かった夏の日差しが、砂浜に容赦なく照りつける。

 それでも潮風がある程度は熱気を和らげてくれた。

 

 浜の土手沿いに建てられた海の家で、峰岸葵はのんびりとフランクフルトを頬張っていた。

 

 夏休みに入り、ギャル友3人と海水浴に来ているのだ。友人たちも彼女の傍らで、かき氷や串焼きイカ、焼きそばを食べていた。

 海水浴なので、全員水着である。

 しかし葵の水着姿は、四人の中でも特に異彩を放っていた。彼女の超高校生級のプロポーションに加え、露出度の高い服装に理解のある友人たちをして「サイズ間違えてない?」と言わしめるほど、彼女のまとうビキニは布面積が小さかったのだ。

 そんな水着で平気で泳いだりボール遊びに興じるものだから、トップスがずれて101cmの豊満な膨らみが露になるハプニングも当然起きたが、葵は全く気にしなかった。

 

「ポロリは巨乳の宿命だし?」

 

 などとうそぶく程である……。

 

 葵の目線は、砂浜の端──30メートルほど先にある林の方に注がれていた。

 そこに子供が一人、立っていた。水色の半袖シャツとベージュの短パンを穿いた、小さな男の子だ。小学校に上がってもいないかも知れない。

 水着姿でもなく、近くに保護者らしき人物もいないので、地元の子供かも知れない。

 ただ、何となく目をやった瞬間、その男の子と目が合ったように感じられたのである。それ故に、目が離せなかったのだ。

 そこへ背後から白い手が伸びてきて、葵の胸の谷間に潜り込んだ。

 

「葵~、何見てんの? イケメンでもいた?」

 

 振り向くと、芦原麻希が葵の肩に顎を乗せていた。そして柔らかな手つきで胸を揉みしだく。

 

「んー、あそこに男の子が突っ立ってたからさ、何してんだろなーって」

 

 友達の手つきにかすかに頬を赤く染めながら、葵は答えた。

 

「男の子? どこ?」

「ほら、あそこの林のとこ……あれ?」

 

 葵が目線を林に戻すと、そこに男の子の姿はなかった。

 

「あれー? さっきまでいたんだよ? ちっちゃい男の子」

「帰ったんじゃない? あんたのケダモノの目線にビビって」

「ケダモノじゃねーし。別に狙ってたわけでもねーし」

「ジョーダンジョーダン。だいたいあんな遠くじゃ目ぇ合う訳ないしね」

「……だよねー……」

 

 同意する葵だったが、実際にさっきは目が合ったのだ。しかし麻希に言われて、自分でもただの気のせいだったのではないかと思えて来た。

 

「はぁ~、それにしてもあんたのおっぱいマジ落ち着く~……」

 

 麻希はホゥッと溜め息をつきながら、延々と葵の発育過剰気味の胸を揉み続ける。

 二人はどちらからともなく、葵の肩越しに唇を重ね合わせ、舌を絡ませ始めた。

 

 

 友達と別れて、葵は一人家路を急ぐ。

 海水浴場を出た後、ファミレスで早めの夕食を取りつつお喋りに興じたせいで電車を一本逃してしまい、すっかり帰りが遅くなってしまった。

 今は夕焼けで辺り一帯が朱色に染まる、午後7時半過ぎである。

 親には既に『遅くなる』とLINEとメールの両方で連絡済みなので、お小言をくらう心配はなかった。そのせいか、葵の足取りも軽いものであった。

 

「──ん?」

 

 その足取りが不意に止まった。

 住宅街の入り口にある公園。

 その滑り台の支柱の陰に、子供の姿を見たのだ。

 水色の半袖シャツとベージュの短パン……葵が海水浴場で見掛けた、あの男の子だった。

 

(なんだ、近所の子だったんだ……)

 

 葵は呑気にも、そう思った。

 

「こぉ~ら、チビッ子ぉ。早く帰んないとパパやママに怒られるぞ~」

 

 公園の外の歩道から声を掛ける。

 しかし男の子は、支柱の陰に隠れたままだった。その様子に何やら不審なものを感じて、葵は彼の真ん前にまで歩み寄り、前屈みになって目線を合わせた。そんな時でも101cmの膨らみは、キャミソールの下から存在感をアピールする。

 

「どしたのチビッ子ぉ。パパやママに怒られて家飛び出しちゃったとかそっち系?」

 

 男の子は、首を左右に振った。

 

「……ママ、いない」

 

 ポツリとつぶやく。

 まだ仕事から帰ってないだけなのか、それとも本当にいないのか……いずれにせよ、この男の子は親のいない寂しい家に帰るのがつらいのだと、葵は察した。

 彼女の家庭も両親が共働きで、小さい頃は寂しさの余りに泣き出した事もある。

 そんな昔の自分を重ねてしまい、葵は思わず男の子を抱き締めた。

 

「そっかそっか……じゃあ、ちょっとの間お姉ちゃんがママになったげる。その代わり、暗くなる前に帰りなよね?」

 

 そう言って、男の子をベンチへ連れていき、並んで座った。

 

「ところで、チビッ子どこの子? 名前は──あんっ」

 

 座るなり、男の子は葵の膝の上にまたがり、彼女の豊満な胸に顔をうずめる。そしてキャミソールの上から、小さな手で揉み始めた。

 

「ママ……」

 

 男の子は葵の胸の中でつぶやく。その声音はどこか物悲しく、寂しげで、母親恋しさからの行動だと感じさせた。

 だから葵は、文句も言わず彼の好きにさせる。元々胸を見られるのも触られるのも、嫌いではない。男の子の背中に手を回し、優しくあやしてやった。

 しかし、それも束の間。

 胸の先端に、痛みが走った。噛まれたのだ。

 

「こらっ、噛むな!」

 

 たしなめながら男の子を剥がそうとした葵だったが──離れない。

 男の子の細腕が葵の胴体に巻き付き、くっついている。

 胸にうずめていた顔が上げられると、その顔は非人間的な造型に変わっていた。

 目も口も縦に裂けており、口の中にはギザギザの歯が生えている。

 一つの眼窩の中に二つの眼球が入って、別々の方向を向いていた。

 両の手足が裂けて、吸盤がびっしりと付いた二対の触腕へと変化した。都合八本の、タコを思わせる触腕が葵の肉体に巻き付いて、服の下にまで潜り込んでくる。

 

「ひ、ひいいいいっ! いやああああああっ!」

 

 葵は悲鳴を上げて、奇っ怪極まる抱擁から逃れようともがいた。

 しかし結果は、ベンチから転げ落ちて地面に倒れるだけ。男の子だった怪物は彼女の上に覆い被さり、触腕をうごめかせて柔肌をまさぐり続けた。

 

「やだやだやだ! 誰か、誰か助けてぇぇえええーーっ!」

 

 葵は恐怖の余り目を閉じて、声を限りに助けを呼ぶ。

 ──不意に、体にのし掛かっていた重さが、フッと消えた。

 全身に絡み付いていた触腕の感触も、消えた。

 

「君、大丈夫?」

 

 若い男性の声がした。聞き覚えのある声だ。

 恐る恐る目を開けると、茶色に染めた長髪の男が、片膝をついて座り込み、葵の顔を覗き込んでいる。

 見覚えのある顔だった。

 

「……和彦さん?」

「ん? あれ? ひょっとして葵ちゃん? 綺麗になったなぁー」

 

 呑気な言葉を口にするその男は、葵が中学生だった頃に付き合っていた大学生の小野原和彦だった。

 

「──で、こんな所で寝転がって、どーしたの? 立てる?」

 

 男は聞きながら、右手を差し出した。

 その手首には、白色の玉を繋げた数珠が巻かれていた。

 

 

 葵は再会した元カレと、手を繋いで歩いていた。

 和彦は道すがら、就職先の会社が潰れてしまい、新しい仕事を求めてこの町に戻ってきたのだと手短に語った。

 

「ずっと連絡出来なくてごめんね。スマホは壊れちまうし、仕事も忙しくて、慣れるのにいっぱいいっぱいでさ……」

「……ホントに?」

「ホントさ。ずっと会いたかったよ、葵ちゃん」

 

 和彦は葵の肩に手を回し、抱き寄せた。

 その手は自然と、彼女の胸へと伸びる。そして当たり前のように、キャミソールの襟口から中へと潜り込んだ。

 

「胸、前より大きくなってるね。今は何cm?」

「んっ……101cm……」

 

 葵は敏感な部分を指先でくすぐられ、頬を赤らめながら答えた。

 

「そっかー、3桁行っちゃったかー」

 

 和彦は嬉しそうにつぶやきながら、葵の胸を気安い手つきで揉み続けた。

 人気がないとは言え、往来の真ん中であまりにも大胆すぎる。しかし葵は抵抗などせず、人形のようにされるがままになっていた。

 

「しばらく見ない間に、本当に立派になったんだね。嬉しいよ、葵ちゃん」

 

 和彦は葵の顎に指を添えて持ち上げた。

 そしてゆっくりと顔を近付ける。

 その意図に気付いた葵は、咄嗟に顔を背けた。

 

「ダメ……恥ずかしい……」

「どうして? もっと凄い事だってしてきただろ?」

「~~~~っ!」

 

 和彦の一言に、葵は耳まで真っ赤になった。

 

「好きだよ、葵ちゃん」

 

 和彦は葵の顔を両手で挟み、自分の方を向かせると、ゆっくりと唇を重ね合わせた。

 久しぶりの感触だった。

 葵は身も心もとろけるような思いで、和彦の首に腕を回して、抱きついた。

 数秒ほどして、和彦の方から唇を離した。

 

「ところで葵ちゃん……さっき、男の子と一緒にいたよね?」

 

 葵の赤茶色に染めた髪を撫でながら、尋ねる。

 

「……和彦さん、見えてたの?」

「うん。最初見掛けた時は、歳の離れた弟の世話してるのかなとしか思わなかったけど、いきなり君が悲鳴を上げて倒れて、ビックリして駆けつけたら、いつの間にか消えてたんだ……あれ、どう考えても生きてる人間じゃあないよね……」

「アタシにも……わからないの……急に襲われて、急にどっか行っちゃって……」

「アイツが逃げた理由ならわかるよ。たぶんこれだと思う」

 

 そう言って和彦は、右手の数珠をかざして見せた。

 

「向こうで霊能力者の先生と知り合いになってね、魔除けのお守りとしてもらったんだ。これを嫌がったのかも知れないな」

 

 説明しながら、その魔除けの数珠を外して、葵の右手首に巻いてやる。

 

「か、和彦さん?」

「あげるよ。さっきの奴がまだ狙ってるかも知れないからね。大丈夫、俺は予備を持ってるから」

「あ、ありがとう、和彦さん……」

 

 何の迷いもない行動に、葵はかえって照れ臭さを覚えた。

 

 

 その夜、葵は色々な意味で寝付けなかった。

 自分を襲ったあの男の子が怖くて仕方がなかった。

 中学時代の恋人と再会した驚きと──わずかながら喜びも──あった。

 豆電球の明かりの下、ベッドの上で、和彦がくれた数珠を見つめる。材質はわからないが、少なくとも本物の真珠ではないだろう。白い牙状のパーツや紫色の房も付いていて、アクセサリーとしてもそう悪い物ではないと思った。

 ひとえに、和彦が自分を心配して譲ってくれたものだという思いが、それをとてもお洒落な物に見せていた。

 自宅前まで送ってくれた和彦は、そこでも彼女の唇と舌をたっぷりと味わい、散々胸を弄んだ後、「また明日、様子を見に来るよ」と言って帰っていった。その『明日』が、葵はとても楽しみだった。

 

「んふふっ……♪」

 

 思わず笑みがこぼれる。

 窓の方に寝返りを打った瞬間、その笑みが凍りついた。

 クーラーを付けているので、窓は閉めている。その閉めきられた窓ガラスに、あの男の子が八本の触腕を広げて貼り付いていた。

 その体が紙のように平らになって、窓の隙間から室内に忍び込む。

 

「ママ……」

 

 縦に裂けた口から、発泡スチロールをこすり合わせるような声が発せられた。

 

「こ、来ないで! アタシはあんたのママじゃない!」

 

 葵は叫び、逃げようとする。

 だがそれよりも早く、魔物が彼女の体に覆い被さり、触腕を絡ませてきた──。


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