【黄昏】のマスター 作:nothing
午前4時、俺は庭に立ち、深呼吸を繰り返している。
意識するのは深く、長い呼吸。
「スウゥゥゥ…………、フウゥゥゥ…………」
何をしているのかというと、『気』を練っているのだ。
眉唾だと思われるかもしれないが、『気』というものは現実に存在するし、それと知らずに無意識に使っている人もいる。
『気』は呼吸を通じて感じとることができる。
長い歴史のある格闘技やアスリートなどは、呼吸を重視しているし、仏教などの伝統的宗教でも呼吸についての教えがある。
自然のエネルギーを取り込み、己の中でそれを『気』へと変換していく。
「スウゥゥゥ…………、フウゥゥゥ…………」
繰り返すうちに、身体からボンヤリと光が発せられていく。気を練れている証拠だ。
練った気を身体中に充満させることで、身体能力を強化することができる。
気を十分に練り終え、傍らに置いていた竹刀を手に取る。
「………フッ!」
上段の切り下ろし、下段切り、袈裟斬り、突き………。
何度も竹刀を振り、技を試すがてんでキレがない。
「やっぱりダメか……」
気によって強化された身体能力を制御できていないのだ。
剣の腕自体は、長い間鍛練を続けてきたし、あの
だが気の操作を伴うと、肉体のみで戦う体術ならともかく、武器を執ると話にならない。
「気でも剣でも、じいちゃんには全く届かないな……。少しは強くなれたと思うんだけどなぁ」
じいちゃんの闘いぶりを思いだすと、自分と比べるのが恥ずかしくなってくる。あの領域に至るにはどれだけの時間を費やさなければいけないのだろうか。
「…………、悩んでたって仕方ないな。当面は気の扱いに絞って修行しよう!」
気合いを入れ直し、鍛練に戻る。いつか、じいちゃんを超えるために…………。
◇◆◇◆◇◆◇
家を出て学校へ向かう。昨日とは違い、近所に住んでいるおじいちゃんに店番を任せているので店自体は開けている。おじいちゃんも以前に料理店を営んでいたらしく、飲み物やお菓子を出したり、簡単な料理ならできるので安心して学校に行けるのだ。まあ、昼間に来るのはご近所のおじさんたちが集まるか、ご婦人方がランチしに来るくらいだから、あんまり心配もないけどね。
駅の近くで知り合いの一人や二人に出くわさないものか、とも思っていたが、時間が合わなかったのか誰とも会わずに学校に到着してしまった。
一科と二科は使用する階段が違うため、ここまで来ると、出会う可能性があるのは司波さんだけだ。
「1-Aの教室は……、おっ、あれは」
角を曲がると、廊下の先に一人で歩いている司波さんを見つけた。
さっそく声をかけよう。おーい、司波さーん!
「おはよう、司波さん」
「あら、詠原君。おはようございます」
小走りで近づき、司波さんと挨拶をかわす。
「今日と明日は授業見学ができるらしいけど、司波さんはどこか見にいくの?」
授業見学とは、二年生以上のクラスが行っている実習なんかを見学できる時間だ。
本格的に魔法を学ぶのは高校から。そのため、専門的な機器なんかは、見たこともなくて戸惑ってしまう生徒も少なくない。
そんな魔法課程に馴染みの薄い新入生の戸惑いを少しでも緩和する為に、見学時間が今日・明日と設けられているらしい。
「私は特には。先生の引率があるでしょうから、それに着いていこうかと思っています」
「そっか、俺はどうしようかな? 達也たちはどこをみるんだろ?」
今日の予定を考えながら、司波さんと並んで歩く。
周囲から注目を集めているな。総代の司波さんと親しく話しているんだ、当然といえば当然かな。
「おはようございます」
世間話をしていると、1-Aの教室に着いた。
司波さんは教室に入ると、乱れのない美しい姿勢で一礼。
有名人の登場にクラスがざわめきだす。あちらこちらから、司波さんだ、とか、やっぱりA組だったんだ、とか声が聞こえる。
「凄い人気だね、司波さんは」
「少しはずかしいのですけれどね」
からかい気味に言うと、薄く頬を染めて苦笑い。
ざわめきが大きくなったな。こんなに人気だとは思わなかった。まさしくアイドルって感じだ。
「私の席は……、あそこみたいですね」
司波さんの席は廊下側から二列目の最後尾らしい。そちらを見ると、黒髪の少女と亜麻色の髪をした少女がこちらを見ている。
亜麻色髪の娘は司波さんに夢中って表情をしてるな。ファンってやつか。
俺の席は窓側なので、自然、司波さんと別れてそれぞれ席に向かう。
席に着いて、端末にIDカードをセットして一息つく。見学はどこへ行こうか、などと考えていると、びたーん!!と大きな音が聞こえた。
「なんだ?」
音のほうを見ると、先ほどの亜麻色髪の少女が、司波さんの机の横でうずくまっている。状況から察するに、かなり盛大に転んだんだろう。司波さんが手をさしのべて起こしてあげている。
おお、亜麻色ちゃん嬉しそうだな。
「お、おい……!」
そんな微笑ましい一幕を見ていると、今度は前の席から男子が俺を呼ぶ。
なんか勝ち気そうな少年だが、余裕の無さそうな表情をしている。
「ん? どうかした?」
「し、司波さんとどういう関係なんだ……!?」
「司波さんと?」
「そうだ。仲良さそうだったし、もしかして、つ、付き合ってたりとか……」
なに言ってんだこいつ? さっきの会話を見て言ってるのだろうが、あの会話じゃあ、まだいいとこ知り合いレベルだろう。多分彼女には、達也の友人として認識されてると思う。
変な誤解は司波さんにも失礼だし、さっさと解いておこう。
「そんなことないぞ。ただの友人だ」
「そ、そうか……」
少年は安堵したように息を吐き、それからハッとなにかに気づいたように顔を上げる。
「名乗りもせずにすまない、僕は森崎 駿。森崎の本家に連なる者だ」
「詠原 尊だ。森崎ってあの森崎?」
『森崎警備会社』といえば、俺でも知ってる有名な会社だ。非魔法師の要人警護なんかでニュースに映ったりしてる。
確か、百家とか呼ばれてる内の一つだっけ?
「ああ、家が副業で警備会社をしている」
「へー、まあこれからよろしくな」
「よろしく」
そうして森崎と自己紹介しあったところで、チャイムが鳴る。思い思いの場所に散らばっていた生徒たちが自分の席に戻る。
電源の入っていなかった端末が自動的に立ち上がり、既に起動していた端末には新しいウィンドウが開く。同時に、教室前面のスクリーンにメッセージが映し出される。
[――五分後にオリエンテーションを始めますので、自席で待機して下さい。IDカードを端末にセットしていない生徒は、速やかにセットして下さい――]
やがて、本鈴が鳴りそれと共に前側のドアが開いた。スーツ姿の男性が教壇に立つ。
「皆さん入学おめでとう。1-A指導教官の百舌谷です」
なんか気難しそうな先生だな。おめでとうって言うのなら少しくらい表情を崩しても良いだろうに。
「難関である一高の中でも、A組は特に優秀な成績で試験を通過した方たちで構成されています。首席の司波さんだけでなく皆さん全員が優等生であり、期待を背負っていることを忘れないでください」
ふむ、また差別意識を煽りそうな挨拶だこと。
そう思って視線だけで教室を見渡す。
ほらみろ、自信と驕りを勘違いしてそうなやつらが少なくとも10人近くはいるな。
そのあとも、『学外秘の豊富な知識にアクセスできる』とか『実際に活躍している魔法師の授業が受けられる』だとか説明を続け、極めつけは『それらの権利は一科生にしかない』とか宣いやがった。
「これから皆さんの端末に本校のカリキュラムと施設に関するガイダンスを流します。その後、選択科目の履修登録を行ってください。分からないことがあれば、コールボタンを押して下さい。カリキュラム案内、施設案内を確認済みの人は、ガイダンスをスキップして履修登録に進んでもらっても構いません」
先生がそう言うと、端末の画面にガイダンスが表示される。それらをさっさと読み、履修登録に移る。魔法幾何学・魔法言語学・魔法薬学・魔法構造学から一科目、魔法史学・魔法系統学から一科目を選択しなければならない。
どうにか履修登録を終えると、また百舌谷先生が話しはじめる。
「この後は専門授業の見学です。午前中は基礎魔法学と応用魔法学、午後は魔法実技演習を予定しています」
午前中の見学は魔法学か。必修科目だけど、あんまり興味ないんだよね。
他に見学したい授業があれば自主的に見学していいって話だし、適当にぶらぶらしてみるのも手かな。
百舌谷先生が退室すると、見学についての話題で騒がしくなる。どこにいく? とか、どうせなら先生の解説があったほうがいいよな、とか、相談し合っている。
それだけならいいんだが……、
「それにしても二科生の補欠はかわいそうだよな、最初から放置だろ?」
「入れただけで喜んでるからいいんじゃね?」
「大した実力もなくて、魔法師になろうなんて図々しいよな」
「一般人は一般人らしくしてろってな」
世間話のように、あるいは身内同士の馬鹿話のように、いとも簡単に少年たちの口から放たれる差別思想。
ああいうのが
「なあ、詠原」
「ん? どうした森崎?」
見学について考えていると、またも森崎がお呼びだ。今度は友人らしき二人も一緒にいる。
「どの授業を見学するか決まってるか?」
「いや、まだだ。最悪、校内をぶらぶらしようかなって」
「それなら、俺たちと一緒に、先生についていかないか? 司波さんも誘おうと思うんだけど、どうだ?」
彼らは授業見学に誘ってくれている。正直、どこでもよかったので、ついていくとしよう。
「いいのか? じゃあご一緒させてもらうよ」
そういって、森崎の横にいる二人に向き合う。
武田と三村か。森崎もだが、初対面なのに社交的なやつらだな。輝く笑顔だ。
「じゃあ、司波さんを誘いにいこう!」
三人は足早に司波さんの席に向かう。下心がみえみえだが、それも青春(死語)ってやつだろう。
「ちょっといいですか? 司波さん!」
「なんでしょう?」
「司波さんはどちらをまわる予定ですか?」
「私は先生について……」
「奇遇ですね! 僕もです!」
森崎が代表して話しかける。だが、気が逸りすぎて前のめりになってしまってるな。あれじゃあ人の話を聞かないやつだと思われるぞ。
「やっぱり一科なら引率してもらうほうですよね! 補欠と一緒の工作なんて行ってられませんよね」
あちゃー、
「いえ、そういうわけでは……」
ほらみろ、司波さんが苦い顔してるよ。とりあえずフォローしとくか。
ん? さっきの亜麻色ちゃんが、チラチラと司波さんのほうを見てる……? 彼女も司波さんを誘いたいのかな。
「よかったら俺たちと一緒にいかない? 無理にとは言わないけど、どう?」
二人の間に割り込み、司波さんに問う。
「詠原君? あなたも一緒に?」
「うん、森崎に誘われてね。司波さんが来てくれると嬉しいんだけど」
そう言いつつ、司波さんに目配せして視線を横へ向ける。そこには、会話に加わりたそうな顔をしている亜麻色ちゃんがいる。
「そうですね、ご一緒させてもらいます」
「本当に? ありがとうね」
司波さんの色好い返事に森崎たちは喜色満面だ。そして、司波さんは俺の視線の意味にも気づいてくれたらしい。
「光井さんと北山さんも一緒にどうですか?」
亜麻色ちゃんたちにお誘いの言葉。亜麻色ちゃんは声をかけられると思っていなかったのか、目を丸くして驚いている。逆に黒髪ちゃんは無表情を貫いている。
「わ、私たちもご一緒していいんですか?」
「もちろん。ですよね、詠原君?」
微笑みを浮かべて肯定し、こちらに振り返る。
さすが司波さん、俺の意図を完璧に理解してくれたな。
「うん、大歓迎だよ」
亜麻色ちゃんの目をみながら頷く。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとう司波さん」
亜麻色ちゃんと黒髪ちゃん改め、光井さんと北山さんがお礼を言う。
「ええ、それじゃあ行きましょうか」
司波さんは微笑みでそれをうけ、出発を促す。
とりあえず、見学する生徒の集合場所へ行こうか。