沢木口との会見終了後、俺たちは江波が来ると思っていたが、待っても彼女は来なかった。
千反田も目を覚まし、これ以上の待機は必要ないと思った俺たちは、地学講義室をあとにした。
まぁ、入須と連絡の取れる千反田が伝えてくれればそれでいいだろう。
自分が酔いつぶれてしまったことに気づいた千反田は顔を真っ赤に染めながら恥ずかしがったが……まだ酒が回っているようで昇降口に行く間もふらついていた。大丈夫かよ……。
伊原と千反田と別れた俺たち男子三人は、途中まで帰路を共にする。里志が呟いた。
「あの映画はどうなるんだろうねぇ」
「ま、未完成だろうな。あと二日のうちに
奉太郎がそう答えると、里志は微笑みのまま眉を寄せた。
「わびしいね。つわものどもの夢の跡ってね」
「ハルはどうするんだい?この事件」
里志は俺の答えを分かりきっているような顔でこちらを向く。俺は視線を前に向けたまま、答えた。
「どうするもこうするも、俺たちの役職はオブザーバーだ。これでやっと《無色》に戻れたんだ。あと三日の夏休みを有意義に使わせてもらうさ」
不意に空を眺めた。夕暮れ、建物のあいだから流れる風は涼しく、秋を運んできてくれている。
俺たち三人は別れの挨拶を軽く済ませ、交差点でそれぞれの道を曲がった。
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自室。夜八時。
『俺はただ、あの映画を完成させたいんだ!』
『本郷はよくやってくれたさ』
様々な声が俺の頭に響いていた。文化祭に参加したい。その一心で一致団結し作った作品の末路が……これか。
ん?
いつものリュックサックから、見たことの無いノートが入っているのが見えた。それを取り出す。
「やっべ、脚本持って帰ってきちまった。明日返しに行くか。ついでに頭も下げに」
トントン
自室のドアがノックされた。俺は何故か脚本を隠すようにリュックサックにしまい、答える。
「だれ?」
「晴、お客さんだよ。冬美……、入須冬実が来てる」
晴香の声だ。入須……、こんな時間に?
俺はドアを開け、部屋着姿の晴香に礼の代わりに片腕を上げ、通り過ぎようとするが
「晴」
「なんだよ」
「気をつけろよ」
「なんだって?」
晴香の俺を見る顔はいつものヘラヘラしたような表情ではなかった。
「冬美は私の友達さ。家柄の付き合いもある。冬美が話し合いの場に出たら解決しないものなんてない、頼りがいのあるやつさ。けど……」
「冬美が頼りがいのある時は、
「
なんだ、珍しく真剣な顔をするじゃないか。
俺は自室を出たすぐ側にある階段まで歩くと、晴香に背を向けたまま言った。
「おーけー、心の片隅に置いとくよ」
俺は一歩、また一歩と階段を降り始めた。
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玄関まで辿り着いた俺はそこに立つ存在感に思わず息を飲んだ。
試写会の時と同じ紺色の服を来た入須が俺を待っていたからだ。中に案内しようとしたが、『外で話がしたい』との事なので、家の近くにある自動販売機のベンチに俺たちは座った。
神山でも勘解由小路家は田舎の方なので明かりが少なく、自販機の周りは虫が飛んでいる。ま、虫はあまり気にならない性格だからいいんだけどな。
俺は自販機でウーロン茶を二本買い、一つを入須に渡す。
「感心しませんね。恋合病院経営団体の入須家の息女が夜にこんなド田舎を一人歩きとは。晴香でもこんな事しませんよ?」
冗談半分で言ったつもりではあったが、入須はクスりとも笑わない。怖い……。
しばらくの沈黙。俺がウーロン茶の缶を開けた音とともに入須は切り出した。
「先程、折木君にも会ってきた。三人の案をすべて却下したそうじゃないか」
「……ダメでしたか?」
「いや、そんな事は無い。君は役割を果たしてくれた」
「どうも」
一単語ずつしか喋れない病気にでもかかったのかな?俺。いや、これは目の前にいる《女帝》の力とでも言ったところであろう。
「君は……いや、君たちは最初に私があの事件を解いてくれと言った時に、『変な期待は困る』と言ったな。だが、君はこの三日間で中城達の案を葬った。私の期待以上だよ」
中城達の案を却下したことが期待以上だと?却下されることが前提みたいな言い方だな。
それならなぜこの人は俺たちにオブザーバーなんかを……
「彼らは器じゃない。どれほど懸命にやったとしても、才能、技術がない」
何が言いたいんだ……この人は。
期待していなかったというのだ。F組の誰一人として、この人は信用していなかった。じゃぁこの人が期待している人物とは誰だ?
いや、そんなことは分かりきってる。俺は入須からの冷たい視線を感じ取り、俺もそっと目を合わせる。
「君はこの三日間で折木くんと共に技術を証明した。中城の時間のズレを破り、羽場の窓の見逃しを破り、沢木口の超常現象を理論で破った」
「買い被りすぎです。俺だけの力じゃない。奉太郎が、千反田が、里志が、伊原がいたからこそ彼らの穴を見破れた。三人どころか五人集まったんです。文殊の知恵どころじゃありません」
「本当にそうなのか?」
「というと?」
入須は顔色一つ変えず、俺を凝視し続ける。千反田とは違うが、いつの間にか彼女の瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。
「君と折木くんだけでも、彼らの案を見破れた。なぜならそれは《氷菓》が証明してくれる。君たちは二人で《氷菓》の謎を解いた」
「それこそあいつらがいたからこそ……」
俺の声にかぶさるように、入須は続けた。
「彼らは資料を集めたに過ぎない。」
俺はこの言葉に苛立った。資料を集めたに過ぎない、だと。違う、あいつらの考察があったからこそ、結論にたどり着くことが出来た。
俺と奉太郎だけじゃ無理だった。
入須は今の言葉を訂正するように言った。
「確かに、彼らがいたからこそ真相に
この人、話の進め方が上手い。俺の質問、答え、全てを予想してるかの如く言葉が溢れ出ている。ダメだ……流されるな。
「あなたが期待してるのは奉太郎でしょ?」
「君は折木くんの出した仮説の不備に、助言を得た本人より早く気づいた。いわば君は《スイーパー》だ。折木くんが先陣を切り、君が折木くんが拾いきれなかったものを拾う。君たちは
「君たちは……特別よ」
いつもならうるさくて寝付けない鈴虫の声など気にならない程に、入須の言葉は俺の脳内を駆け巡った。特別……
「そこでもう一度頼みたい。南雲くん。折木くんと共にどうか私のクラスに力を貸して。あのビデオの正解を、見つけてほしい」
入須は頭を下げた。
俺が……特別。
確かに似たようなことを言われたことはある。千反田にも、里志にも、伊原にも。『お前は少し変わっている』と。
しかし俺はそんなことはハナから思っちゃいない。《氷菓》の時も、千反田と初めて会った時も、愛なき愛読書の時も、ただ少し周りの人間より閃いたのが早いだけだ。奉太郎と同じくして。
「例えば……」
再び口を開いた入須に顔を向ける。
「例えば、とあるスポーツクラブで補欠がいた。補欠はレギュラーになろうと努力をした。それは極めて厳しい努力だ。なら何故それを耐え抜くことが出来たのか……それは彼女はそのスポーツを愛していたし、またささやかな名を成したいと思っていたからだ。しかし彼女がレギュラーになることは無かった。そのクラブには有能な人材がいたからだ。そして、その中でも極めて天性を持つ人間がいた。彼女は大会でMVPにも選ばれ、ヒーローインタビューも行われた。そこでインタビュアーは聞いた。勝利の秘訣はなんですか?とね。そして、彼女は答えた。ただ、運が良かっただけです。この言葉は補欠にはあまりにも辛辣だと思わないか?」
俺は片手にウーロン茶を持っているにも関わらず、唾を飲んだ。彼女はなおも続ける。
「誰でも才能を自覚すべきだ……。見ている側がバカバカしい。君には、その自覚すべき才能がある。どうだ……結論は?」
才能……特別……。
自分の額に汗が流れていることが分かった。暑いからではない… 。圧倒されているのだ。この空間に……、入須冬実という人間が。
俺を染めようとしていることに……。
っ……!!!
不意に晴香の言葉を思い出した。あいつは俺を心配するような目で見ていた。あの晴香にな……。
……あとで礼を言わなきゃな。
俺は息を吸いこみ、ハッキリとした声で言った。
「答えはノーです。入須先輩。俺はあなたの手駒じゃない」
「折木くんは賛成した」
「止めます。あいつを手駒としていい様に使おうってんなら尚更です。あなたが何を企んでるのか知りませんが……少なくともあなたは
「それを理論づけるものはあるのかい?」
「勘です」
そう言うと、入須は少し笑い、言った。
「三人もの探偵役の案を否定した君が、勘とはね」
「ここはミステリー小説のなかじゃありませんから」
入須は再び笑った。再び俺の方を見ると、いつもの冷厳な表情で口を開く。
「もう君にはなにも言わないさ。だけど一つだけ、これは無視をしても構わない」
「なんですか?」
「君は……私以上だ。」
なにがとは言わなかった。もちろん、どう受け止めればいいのかすらも分からなかった。
俺たちは夜風に髪をなびかせ、視線をぶつけ合わせる。
「送りますよ。入須先輩」
「いや、使いのものが車で待っている。それでは楽しみにしているよ……」
「君がどう動くかを……」
そう言い残した入須は、闇夜に姿を消した。先程まで入須が座っていたベンチには、まだ開けられていないウーロン茶の缶が残されていた。
タイムリミットまで、あと二日と三時間。
うーっす!書道部の勘解由小路晴香だ!
ったく、晴はこのスーパーインテリジェントな私に感謝の意を込めないとね!
じゃぁ楽しみにさせてもらうよ。お前がどう動くのかをさ!
次回《隠者VS女帝》