side 奉太郎
物事の見方が単一ではないと言うのは、これは今日では常識に属する。
現代において相対化の一つも出来ないようでは、中学生もやっていけない。しかし、俺達の中には古来から植え付けられた固定概念という物が存在し、その概念から外れて別の見方で物事を見ろと言われるのも、異を唱えない訳にも行かないというのも常識に属する。
しかしそれは他の見方をするのを諦め、相対化を闇に葬り去るという意味ではないのだ。俺たちは決して、盲目を信じる訳では無い。
許すまじくは許さない。俺自身は主義としてそうした一線を持たないが、だからといってそれを持つ人間を軽んじることないのだ。
時は一年前。鏑矢中学校。聖バレンタイン。
苦しそうな顔をする里志にこの俺、折木奉太郎は弁を唱えた。
「流石だねホータロー。『許すまじくは許さない』、実にひねくれた考え方だよ。だってそうでしょ?例えば、市販のクッキーにクリームを載せて冷蔵庫で固めて『はい、手作りクッキーです』なんてのはおかしな話じゃないか。だからさ、ほら」
鏑矢中の昇降口前、帰路を共にしようと俺と里志が訪れた所、目の前に立っている小柄な少女、伊原摩耶花にその足を止められた。
「つまりふくちゃんは、手作りチョコレートを名乗るなら、カカオ豆から作らないと意味が無い。市販のチョコを湯煎して型にはめて固めただけの代物は手作りチョコじゃない。だから手作りチョコレートを名乗った私のチョコは受け取れない、そういうわけね?」
うぅむ。実に難しい話だ。カカオ豆からチョコを作るとしたらどれくらいかかるのだろうか。そう考えている内に、里志は口を開いた。
「そこまで言う気はないけど……まぁ、平たく言えば……」
「そう……なら……っ!!!」
ガブリ!!!
そう擬音できる様な勢いで伊原は里志に渡すはずのハート型のチョコレートを袋から出してかぶりついた。
さすがの俺達もその姿にはギョッとし、俺達の横を通り過ぎる他の生徒達も知らぬ神に祟りなしというかの如く、そそくさと帰路に付いている。
「ふくちゃん!!いえ、福部里志!!来年覚えてなさい!!二〇〇一年二月十四日、絶対私のチョコレートをその口にぶち込んでやるんだから!!」
伊原は言い終わるより早く、背を俺たちに向け走り去って言った。振り返ると流石の里志も気前が悪そうな顔になっている。
「どうするんだ?」
「どうするもなにもないさ。今回も上手く切り抜けられた」
「泣いてたんじゃないか?」
「摩耶花が?まさか!それは付き合いの長い君の方が分かってるだろ?」
俺と伊原は付き合いは長いが、言葉を交わしたことはまるでない。
だがまぁ、あの程度で折れる芯の細い奴だとは思ってはいないわけだ。今の言葉は義理さ。
「来年、どうなるんだろうな」
「さぁね。僕と摩耶花が同じ高校に行く事になれば、来年もこの調子さ。摩耶花を助太刀する厄介者が現れないことを祈るよ」
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side 晴
「ひっでェ話だなぁ」
聖バレンタインデーが近づいてきた、二月十一日、金曜日。
地学講義室で去年のバレンタインの話を奉太郎から聞いた俺は、軽く笑いながら椅子の背もたれに寄りかかった。
「まったくよ。あの態度、今思い出しただけでムカついてくる……!!」
伊原は空中を殴った。ポカッというような可愛らしい殴り方ではない。ブォンと空気が揺れるような殴り方だ。
「それで伊原。カカオの木の様子はどうだ?苗から買ったなら、そろそろお前の背丈くらいだろ」
奉太郎がからかうように聞く。
「育てるわけないじゃないそんなもの。今年こそバレンタインにチョコを渡すわ。逃がすもんですか!」
それを見ていた千反田が両手を合わせながら威勢のいい笑顔で言った。
「一緒に頑張りましょうね、摩耶花さん」
里志が言ってた『伊原を助太刀する厄介者』ね……。数学の赤点予言といい、里志は予言者にでもなれるな。
しかしそろそろバレンタインか……。一年早いなぁ。
俺はポケットの中に入っているカイロをポケットの中で遊ばせていた。
「だからね、ちーちゃん。私は」
伊原が千反田にチョコレートの話をし始めていた。高級のチョコがどうやら、最初は甘くなくて飲み物だったやら。
どこかで聞く話によるとバレンタインで好意を抱いている相手にチョコレートを贈る風習は日本だけらしいじゃないか。
そもそも名前の由来となった司教が処刑された日がバレンタインな訳であって、それをめでたい日、それこそ恋人の日にする事自体がおかしい。バレンタインは女性がチョコを贈る日、その意味合いが強くなって現代では本当に由来を知る人間は数少ないだろう。
いつもの様な調子で奉太郎にその事を話すと、文庫本を閉じる奉太郎より早く伊原が返してきた。
「なに?チョコレートが貰えないモテない男の
「そ、そんなんじゃないですぅ!!去年だって母さんと雨に貰いましたぁ!!」
伊原と千反田の目線が痛い。もうやめてくれ。
「まぁ俺も似たようなもんだ。バレンタインというのは《薔薇色》の連中に向いていて、俺達向きじゃないって事さ。適材適所という言葉があるだろ?」
適材適所……ちょっと違う気もするが。
奉太郎が言い終わった後に俺達は鞄を背負った。すると
「そうだ、あんた達はふくちゃんに私が作ってるの言っちゃ駄目よ。余ったので義理くらいは上げるからさ」
そりゃどうも。
奉太郎が返す。
「分かってるさ。多分里志もお前が作ってることは分かってる」
「うるさいわね。早く帰りなさい。またね」
「南雲さん、折木さん。また月曜日」
「「おう」」
校舎からでると吹く風が寒く、思わず体が震えた。うう……寒。
俺は学ランの上から少ない小遣いをはたいて購入した薄茶色のダッフルコートを着用し、黒いロングマフラーを何周か首に巻いた。
俺たちはいつも通りの道のりを歩く。商店街のアーケード下にはブティック、理髪店、雑貨屋など様々な店が立ち並んでおり、それを横目にたわいもない話を繰り広げていた。
次に目に付くのはゲームセンターだ。前に奉太郎から聞いた話によると、中学二年まではこのゲームセンターでゲームを良くしていたそうだが、里志が余りにも卑怯な手を使って勝ちに来るので、それ以来やっていないらしい。
ゲームセンターを横目に通り過ぎようとした時、ゲームセンターの自動ドアが開かれた。ゲームセンター特有の騒がしいゲーム音が静かなアーケード下に鳴り響き、見慣れたニヤケ顔がこちらに手を振ってきた。
「やぁ、奇遇だね。今帰りかい?」
「珍しいな里志。お前がまたここに入るなんて」
奉太郎が言うと、里志は笑いながら言った。
「いいかいホータロー、ハル。最近の子供は外で元気よく走り回るより、家でゲームをしている子の方が多いんだよ。なら最近の子供としてはゲームの一つでもある程度嗜んでおかないと義務教育に反するのさ」
ゲームをする事が義務教育とは、面白い冗談だ。
里志は親指を自分が背を向けているゲームセンターに向けた。
「それでどうだい二人とも。ちょっと相手になって欲しいんだ。NPC相手じゃ物足りなくてね。ハルの実力も見てみたい」
俺と奉太郎は無言で頷き、里志に連れられ中に入った。
里志が俺達を誘導したゲームは少し特徴的な形をしていた。
球状の形をしたメカニックデザインのゲーム。俺は中を覗き込むと、某ロボットアニメのようなコックピットが配備されていた。
加えて中は全面が画面になっており、ゲームをスタートする前の画面表示ですら臨場感が溢れている。
「懐かしいね、よくホータローとやったものさ。僕らの中学時代の青春!」
「ろくでもない青春だな。それは」
「はは、じゃぁ早速ハルの実量を見せてもらおうかな。ホータロー、ハルと同じコックピットに入ってレクチャーしてあげてよ」
そう言うと里志は隣のコックピットに乗り込んだ。俺と奉太郎も反対側のコックピットに乗り込み、百円を入れ起動させる。
武器の選択でメインウェポンとサブウェポンを選択、メインウェポンは連射型のレーザーガン、サブウェポンはビームサーベル。白兵戦も可能な装備だ。
俺の機体は軽量型の機動力に長けたタイプ、そしてFPS視点で目の前に光と共に現れた里志の機体は、俺とは真逆の重量型の機体だ。動きは俺の機体に遥かに劣るが、威力の高い装備を数多く付ける事が出来、火力も高い。いわゆる上級者タイプだろう。
奉太郎からのレクチャーによると、俺が今右手に持っている四方八方自由に動くレバーが機体を動かすもの、左手に握っているのは攻撃を仕掛けるもので先端の赤いボタンは銃器の引き金に当たるらしい。加えて、車のブレーキの場所に付いている足で踏むボタンが、武器の切り替えだ。
俺は準備期間の間に何度か明後日の方向にレーザー銃を撃つ。
サブウェポンのビームサーベルも空振りした所で、俺は反対側のコックピットにいる里志に言った。
「準備OK!」
「こっちも!お手柔らかに頼むよ」
『Are you ready?』の表示と共に俺はコントローラーを握ったまま少し前のめりの姿勢になる。『GO!!』の合図と共に俺はレーザーを軽く撃つが、里志の機体はそれを難なく上昇し交わした。
それを追うように俺も上昇し、再びレーザーを撃つ。が……それも機体を横に軽くずらされ躱された。里志は俺の機体から生まれたスキを逃さず、重量系お得意のランチャーで攻撃を仕掛けてきた。
ラグからすぐに立ち直った俺の機体は俺が機体操作用レバーを手前に押すことにより、瞬時に反応。俺は里志の攻撃を躱す。
次は里志の機体から生まれたスキを逃さながった。レーザーを里志の機体に向けて撃つ……が、浅い。
油断した俺は反動から立ち直った里志の機体の攻撃に反応出来なかった。呆気なくランチャーは俺の機体に直撃し、体力ゲージはごっそり持っていかれた。
俺は反撃を加えようと左手のレバーの先端のスイッチを押し、レーザーを放出しようとするが……光線が出ない!
「ハル、さっきの里志の攻撃でお前のレーザーガンが破損した。見てみろ」
奉太郎の指を指した画面の右端には、俺の選択したレーザーガンとビームサーベルが表示されており、その下に体力ゲージのようなものがある。レーザーガンの方に《ERROR》表示が出ており、俺は里志のランチャー攻撃を躱しながら聞く。
「奉太郎、レーザーガンはどうすれば直せる」
「基本的にこのゲームは三本勝負だ。一本目が終われば武器も機体の体力ゲージも全快するが。どうやらこの勝負は一本勝負のようだ。つまりお前はもうレーザーガンは使えん」
奥のコックピットから里志の声が聞こえてくる。
「ハル、武器が壊れたかい?運も実力のうち!!決めさせてもらうよ!!」
「ちっ!」
俺は舌打ちと同時に足元にあるウェポン変更ボタンを蹴った。俺の機体は武器を投げ捨てると、ビームサーベルが『ブォン』というお決まりの音を発しながら青い閃光と共に登場した。すると
「なに!?」
奉太郎の驚いた声の理由、それは里志も自分のランチャーを捨て、赤色のビームサーベルを取り出したのだ。
「あいつも武器が壊れたのか?」
「それはないと思うがな。里志はお前がビームサーベルを出す直前までお前を攻撃していた」
里志の声が聞こえてくる。
「眼には眼を歯には歯を、銃には銃をビームサーベルにはビームサーベルをだ!!」
俺は里志が言い終わる前にレバーを引いた。俺の機体は里志の機体に向かって飛んでいく。ビームサーベルを上から下に振り下ろすと、里志は攻撃を防ぐ。
単純なシステムでは向こうの方が力は上だ。だが……こちらには機動力がある!
俺はビームサーベルを鍔迫り合いから引き、後ろにバックステップで下がる。
だがどうする?俺の機体の体力は先程のランチャー攻撃で半分も無い、加えて里志の機体は四分の一程しか減っていない。眼には眼を歯には歯を、か。
……里志が勝ちにこだわっていないというのなら。
俺の機体はビームサーベルの閃光を仕舞うと、腰に構える。
里志の機体もそれに従う。里志が勝ちにこだわらないなら、白兵戦を好んでしてきたというのなら、あいつが今拘っているのは面白さや、ロマンのようなものだ。
居合のような形で勝負を挑んだのなら、あいつも従ってくれると思った。どうやら、里志はそれに乗ってくれるようだ。
どちらの機体も動かず、制限時間が刻一刻と迫ってきている。
俺達は同時に機体を動かした。機体同士の距離が縮んでいく、ビームサーベルのスイッチを付け、振りかぶる……!!
俺たちのビームサーベルは互いの機体に当たった。そして
俺の機体は呆気なく爆発した。
「やぁ、いい勝負だった。」
「ふん」
奉太郎と里志が機体から降りてきた。
先程の俺が負けた勝負を見たせいか、奉太郎もゲーム熱が上がってきたようで三本勝負を里志に挑んだのだ。
あの《省エネ》の奉太郎が。やっぱりロボットゲームというのは男の血を騒がせてくれるものなのだろう。
勝負は奉太郎の勝利で終わったらしく、奉太郎≧里志>俺の順番ということか。
俺は里志に約束のホットのストレートティーを渡す。里志は「まいど」とだけ言うと、近くの自販機でコーヒーを購入。それを奉太郎に渡した。結局自分で買うのと同じだ。
「里志よ」
コックピットの前のベンチに座っている奉太郎が里志に声を掛けた。
「なんだい?」
「さっきのハルとの勝負、なぜランチャーを捨てた。あのまま攻撃していればあの時点で勝負はついていたろう?」
「いいじゃない。白兵戦なんて、実に熱い。そういう意味でいえば、ハルが居合勝負を挑んできた時には心が昂ったよ!」
「そうか……」
奉太郎はそう言って、コーヒーを啜った。
なんでこいつはそんな事聞くんだ?確かに昔の里志は勝ちにこだわる人間だったというのは聞いたが、人のプレイスタイルなんて変わるものだ。
その後二戦目、奉太郎との勝負に負けた俺はコックピットを蹴っ飛ばし、店員にこっぴどく怒られた。
日曜日。二月十三日。午前十一時。
目が覚めた俺は頭を掻きながら一階のリビングに降りていく。
この前千反田から貰った、小麦パンがあった気がする。それを頂こう。
俺はリビングに入る……と。
「よう、晴。起きたか」
「あら、南雲おはよう」
「南雲さん、おはようございます!」
千反田と伊原が台所に立っていた。ん?いや、晴香がいるのはおかしくはないんだけど……。
俺は勢いよく自分の顔をビンタする。そして二人を視線に捉え、数秒。
「なんでいんだよ!!」
「勘解由小路先輩が誘ってくれたのよ。チョコを作るんだったら台所が広いからここを使えって!」
「良かったな晴〜、お前の家に女子が二人もきてるぞ〜!?」
「いらねぇよ!つーか、絡むなダルいダルい!」
首に腕をかけてくる晴香の顔を片手でどかすと、千反田達にいった。
「で?なんでウチなんだ?千反田家の方が広いだろ?」
「私の家は今日は親戚の方々が集まっているので」
さいで。
そう言えば、先程からチョコの湯煎した甘い匂いが部屋に立ち込めている。寝起きからこの匂いはきつい……。
適当に冷蔵庫から取って、部屋で朝食(昼食)をいただくとしよう。
「それじゃぁ頑張ってくれたまえ、恋に恋する乙女たちよ」
俺はそう言いながら冷蔵庫から冷凍食品のピザとカフェオレを取り出し、ピザをオーブントースターで温める。千ワットで五分。
「あ、ついでにこれあげる」
伊原が俺に渡してきたのは皿に入ったハート型のチョコレートだった。
「いいのか?」
「うん、それ失敗作だし」
「俺、残飯処理班!?」
ったく、とんでもないもの渡してきやがる。俺が温まったピザを取り、部屋向かおうと横目に三人を見た。
伊原の一生懸命な顔に、俺は手を出しながら、取り敢えず言った。
「がんばれよ。二つの意味で」
「がんばるわ。二つの意味で」
軽くハイタッチ。
モテない男にとって、一番苦痛の日がやってきた。二〇〇一年、二月十四日。聖バレンタインデー。
朝起きると、部屋の前に一つの箱が、これは。
『モテない男に本日最初で最後のチョコレート!神山NO.1美女、晴香♡』
そういや、今体育でとってるサッカーのシュートテストが近かったなぁ。
インサイドキック。箱ごと部屋に蹴りこみ、学校へ。
軽く雪が降っていた。ホワイト・クリスマスとはよく聞く言い回しだが、ホワイトバレンタインとは言うのか言わないのか。ここに里志や奉太郎がいたら、今日の言葉遊びの議題はこれなっていただろう。
学校は至って変わらなかった。友チョコとやらを交換する女子の姿はちらほら見かけるが、『ずっと前から好きでした、付き合ってください!』のような告白イベントをこの目で見ることは無かった。
昇降口についても、特別気にすること無く下駄箱を開ける。空。
昼休み。くるみパンを買いに行った奉太郎をいつものメンバーと待っていた俺に、その中の一人の友人が聞いてきた。名を
「南雲、お前今日チョコいくつ貰った?」
「聞いて何になる。一個、晴香……従妹から」
「あの美人さんか。でも家族はノーカンだ」
「物理的なものは数えなくちゃな」
「ところで、お前古典部だよな?千反田さんからは貰ったか?」
「千反田?てかお前知ってんのか?」
阿澄は『え?』という顔をしたあとに、ミニトマトを口に放り込みながら言った。
「千反田さんだよ千反田さん。お前と折木はいいよなぁ。あんな美人にチョコを貰えるんだから」
千反田はお中元は親族にしか挙げないと昨日言っていたぞ。バレンタインチョコがお中元の部類に入るのかは知らんが。
「千反田ってモテるのか?」
いや、これは聞くまでもなかった。前に里志からその様な話を聞いたことがある。
「あったりまえだ。色白で黒髪ロング、成績優秀、眉目秀麗。加えて名家のお嬢様と来た。何をとっても完璧な美少女だろ?撃沈した男の話もよく聞く」
ほう。
「なんの話だ?」
お互いの顔を近づけながら話していた俺と阿澄に、奉太郎の声が掛かった。俺達は取り敢えず首をブンブンと振る。
「ハル、今千反田から聞いたんだが、伊原は今日来ないらしい。 チョコだけを部室に置いておくんだと」
「ふーん。俺らはどうする?里志がチョコをとる現場でも見るか?」
「くだらない。帰ろう」
同意だ。バレンタインに独り身の男が学校に残っているのは、余りいい状況ではない。
俺は勘解由小路家の豚を使った生姜焼きを口に放り込んだ。
side 桜
「早く渡して来なよ」
「急かさないでよナギちゃん!!まだ折木くんと阿澄くんもいるでしょ!!」
私は袋詰めのチョコレートを両手で握ったまま、ナギちゃんと南雲くんのグループを監視していた。うう。なかなか一人にならないなぁ……。
「あの、倉沢さん」
振り向くと、顔を赤らめた女子生徒二人がナギちゃんに話しかけてきた。
「これ、受け取ってください!!きゃーーーー!!!!」
そう言って、二人は行ってしまった。
「モテるねナギちゃん。女の子に」
「参ったなぁ……、名前も知らないよ。あんたも今みたいにすれば?」
「そんなこと出来ないよ……」
そう言うと、ナギちゃんはあからさまに大きく溜息をついた。
「あんたねぇ……いつまでもそんなだから、南雲に友達としてしか見られてないのよ。
そんな事言われなくてもわかってる。
「まぁでも。告白するにしろしないにしろ、あんたの自由だけどね。まだ二年あるし、気長にやりなさいな。」
私は黙って頷いた。
いつまでもウジウジしている……。こんな自分が、私は嫌いだ。
side 奉太郎
帰りのホームルームが終わり、俺とハルはカバンに教科書類を詰め込んでいた。
すると、不敵な笑みを浮かべた里志が前のドアから入ってくる。放課後ではいつもの事だ。
「やぁ、バレンタインチョコが一つの諸君」
なぜ知っている。
見ると、里志がいつも持っている巾着袋ははち切れんばかりに長方形の形になっていた。里志はそれを取り出す。
「これ、図書室に返しといてくれない?行くところがあるんだ。」
本か。まぁ丁度いい。今の天気は霙だ。ハルと図書室で時間を潰そうと話していたところだ。
「伊原は来れないそうだな。地学講義室」
ハルが言うと、里志は少し驚いた顔をした。
「情報が早いね。千反田さんか」
「まぁな」
俺は言って、トレンチコートの上からショルダーバッグを肩にかける。ハルもダッフルコートの上からリュックサックを背負い、ロングマフラーを二回ほど首に回した。
教室を出た俺達三人は、それぞれ分かれる。地学講義室に続く連絡通路と図書室は逆方向なのだ。
「それじゃぁね。二人とも」
「頑張れよ」
そう言うと、里志は笑った。
「なにをだい?」
「そりゃぁ雪辱戦さ」
里志は再び笑い、背中を向けたまま俺たちに手を振って行ってしまった。
しかし里志が行っただけでは、バレンタインの波は治まらなかった。第二波が来たのだ。
「南雲くん!」
俺達は振り向くと、そこにはピンク色のコートを着た桜が立っていた。ほう。
「お話があります」
ハルは俺に『先に行ってくれ』というアイサインを送ったので、俺はハルの肩に手を置いて、図書室に向かった。
図書室で本を読んでいる途中に、俺はふとある事象が俺の頭に浮かんだ。桜がハルに話し掛けた事だ。
あの様子から見れば、多分
ハルがどう答えるかは知らんが、友人同士のカップルが出来たとして、俺は何かを思うことはあるか。
答えはこうだ。『特に何も思わない』
これは冷徹な意味ではない。例えばいま本を読んでいる俺の元に頬を赤らめた少女が『これ、受け取ってください!』とチョコレートを持ってきたとしよう。その時俺は喜ぶだろう。
しかしこの喜びは色恋沙汰の喜びではない。その少女が俺の事を意識して、一個人として好意を抱いてくれた事に対してだ。
俗信に人が異性を好きになるのは、生物的遺伝子を残すためと言われている。そういう見方だとすれば、俺は生物的に不完全なのかもしれない。
こんな下らないことを考えていると……
「やっと見つけましましたよ。折木さん」
千反田の顔がいつの間にか目の前までよっていたのだ。
「ど、どうした?」
「福部さんをご存知で?」
「お前よりずっと前から知っている」
「どこにいるかという意味です」
「知らん。俺はいつもあいつといるわけじゃない。部室に来ていないのか?」
そう言うと千反田は少しばかり不安気な様子で答えた。
「はい」
「まぁあいつはルーズなとこがあるからな。もう少し待ってみろよ。」
「そう、ですか。わかりました」
千反田は行ってしまった。俺は本のページをめくった。
本を読みながらウトウトしていると、今度は図書室のドアが勢いよく開かれた。
見ると、千反田が血相を変えた顔で立っている。その後ろには里志も立っており、なんだか疲れた顔をしていた。
「どうした千反田」
「大変です。折木さん……手伝って欲しいことがあるんです。」
「明日にしてくれ。手伝うも手伝わないも。明日に」
「お話だけでも聞いてください!!」
千反田の口元はキュッと締められており、いつも以上に目が大きく開かれていた。俺は里志に聞く。
「どうした?」
里志は首をすくめ、『困ったもんさ』とでも言いたそうな顔で言った。
「大したことはないんだけどね」
「チョコが……」
「チョコが?」
「チョコレートが盗まれたんです!!あんなに摩耶花さんが一生懸命作ったのに!!」
へぇ、伊原のチョコが、盗まれたと。
なるほどなぁ。
「よし分かった。探しに行こう」
「折木さんと福部さんは先に地学講義室に向かってください。折木さん、南雲さんはまだ残っていますか?」
「ん?あぁ、教室に……」
あっ……。『今はダメだ!!』そう言おうとした時には既に遅く。千反田はB組に向かって走り出した。俺は里志と顔を見合わせる。
これは……まずい……!!
『終わっててくれ!』その一心で千反田を追った。
side 桜
一年B組。私と南雲くんは誰もいない教室の真ん中に立っていた。
私が言い出せずにもうどれくらい時間が立ったのだろうか。分からない。けど南雲くんはそんな私に気を使ってくれたのか、色んな話を振ってくれた。相変わらず、南雲くんは優しい。私は緊張して、虚ろに返事をしてしまっているけど。
私は、ようやく自分から口が開けた。
「ご、ごめんね南雲くん。えと、そうだな……」
「古典部は……最近どう?」
私が聞くと、南雲くんは笑いながら返してくれた。
「どうもなにも、いつも通り騒がしいよ。ま、居心地は悪くない」
「そうなんだ」
そこが……古典部が、南雲くんの今の居場所なんだ。
私は、古典部と同じくらい南雲くんの特別になれるのかな。
南雲くんを始めて意識するようになったのは、入学してから少し経ったくらいだろうか。
放課後、南雲くんが古典部人達と笑いなが楽しそうに帰ってる姿を見て以来、私は南雲くんに興味を抱いていた。
楽しそうだった。嬉しそうだった。でも、どこか悲しそうな表情が南雲くんの中にあった。なにかを後悔しているような、そんな顔だった。
そんな顔を、私は見たくなかった。ずっと笑って欲しかった、ずっと笑わせてあげたかった。そして……
その笑顔を……ずっと隣で見ていたくなった。
だから、私は────────
『好き』っていうんだ────────
「南雲くん……私は……」
心臓の音がうるさい。
「ずっと、南雲くんの事……」
後半に続きま〜す!(ゲス顔)
次回《手作りチョコレート事件 転結》