氷菓 〜無色の探偵〜   作:そーめん

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第六話 伝統ある文集への道 起承(きしょう)

 薔薇色であろうが灰色であろうが無色であろうが学生であるのならば避けては通れない行事がある。

 

 定期試験の時期が訪れた。勉強は苦手ではないが得意でもない。古典部ではあるが数学や生物の方が得意だし、社会科目となれば手も足も出ない。この前の中間テストの結果は三百五十人中八十三位。悪くはないだろ?

 

 古典部の奴らはどうなのだろうか。見てみよう。

 

 まずは奉太郎、三百五十人中百七十五位。狙ってたの如く平均だな。本人曰く、勉強したといえばした。してないと言えばしてないらしい。

 

 千反田、三百五十人中六位。さすがは《桁上がりの四名家》、豪農千反田家の息女だな。千反田にとって高校教養は物足りないらしい。答えが知りたいのではなく、なぜこの答えがでるのか、原理が知りたいんです。とか訳わかんないこと言ってたな。

 

 里志、三百五十人中三百五位。里志は頭いい奴だと思っていたが、それは彼が興味のあるもののみに限るらしい。興味のあることはとことん調べるが、それ以外はてんで駄目ってことか?

 理由を聞いてみたところ「データベースは結論を出せない。ひとつの答えに限る定期テストは僕の専門外だ」と言っていた。ちなみに今回の期末も赤点は確定だと、結果が出てないにも言ってやがる。赤点の件に関しての予言は外れたことは無いらしい。ノストラダムスもびっくりだな。

 

 伊原、三百五十人中三十二位。ほう、こいつもなかなか。しかし、奉太郎に聞いたところ、彼女はどうも自分のミスに厳しいらしく、どんな点数だろうが順位だろうが、文句は絶えないらしい。

 中間の九十五点の数学の点数を自慢しに行った時のあいつの殺気に満ちた目は忘れられない……。今度からは気をつけよう。

 

 俺自身中間と同じくらいとれれば満足だ。多分奉太郎もそう思ってる。《無色》と《灰色》は本質的には同じさ。上昇も下降も志向しない。

 それは学力だけにはとどまらず、運動、スポーツ、色恋沙汰……。そういうものは訪れるべくしてやってくるものであり、俺たちから探しに行こうとは思わない。

 果報は寝て待て。そういう言葉があるだろう。

 

 そんなことも考えつつ、日当たりの良い窓の外をがめていた俺はクラスの最後の一人から、《現代文のノート》を受け取る。クラス委員の仕事だ。

 テスト後に集める現代文のノートを先生の所まで持っていかなくてはならない。

 

 俺は職員室にノートを持っていたあと、地学講義室……古典部の部室に向かう。それにしても……

 

 文集のバックナンバー、どうしたものかね。

 正直ここまで手がかりが見つからないとは思わなかった。千反田が「学校中を探し回りましょう!」なんてことを言いかねないうちになんとしても見つけなければ。

 

 不意に窓から見える運動部に目を向ける。テニス部、野球部、サッカー部。そして校内に響きたわるブラスバンド部と軽音部の重音。テスト終わりということでどの部活も活気づいてるな奉太郎ならこれを見て、「エネルギー消費の大きい生き方に敬礼」とか言いそうだ。

 俺は地学講義室のドアを開ける。

 

「くちゅん!」

 

 む?

 

 可愛らしい声の主は千反田だった。くしゃみか…それも随分控えめな。

 

「よう」

「ん」

「南雲」

「南雲さん」

 

 集まっていたのは奉太郎、千反田、伊原。三人とも、もちろん俺もだが涼し気な夏服に変わっている。それにしても最近は暑い、中に来てるシャツなんかは汗でびちゃびちゃだ。替えを持ってくる必要があるな……。

 

「どした全員で俺の名前呼んじゃって。俺のファンか?それと奉太郎、俺の名前は「ん」じゃねぇ」

「そんな事はいい、ハルこれを見ろ」

「これは?」

 

 奉太郎が机を滑らせながら俺に渡してきたのは白い便箋。随分とオシャレだな。

 俺は便箋に入ってる用紙に手を伸ばし、それを広げる。

 

折木供恵(おれきともえ)?」

「元古典部の俺の姉貴だ。バックナンバーの場所が記されてる」

「まじか!?」

 

 俺は用紙に目を向ける。イスタンブールにいる、ねぇ……。私は十年後もこの事を惜しまない。

 こりゃぁあれだな、手紙というより後半は一種のポエムだ。

 

「生物講義室の薬品金庫の中か……生物講義室って確か今はなんの部活が使ってるんだっけ?」

「壁新聞部よ」

「んじゃ、早速壁新聞部に捜索させてもらうか」

 

 生物講義室は地学講義室の真下だ。道中、千反田は何度がくしゃみを繰り返した。奉太郎が口を開く。

 

「風邪はひどいのか?」

「くちゅん!ご心配には及びません。くしゃみが止まらないのと、息が苦しいくらいで」

 

 それは充分ご心配に及ぶ症状じゃないか?

 そして、生物講義室まで約十メートルを切った辺りで、俺は廊下の壁際に妙なものが置いてあるのに気づいた。小さな箱。千反田と伊原は気づいていないようだが、奉太郎はそれを不思議そうに眺めている。

 見渡すと、反対側にも同じようなものが置いてある。なんだこれ?

 

 千反田が生物講義室のドアをノックする。返事はない。

 続いて伊原がドアに手をかけるが……

 

「開かないわ」

「だーれかいませんかー?」

 

 奉太郎が冗談めかしてドアのうちに呼び掛けた。ノックしても返事がないんだ、出てくるわけないだろ。あら?

 鈍い音と共にドアのロックが外れる。そこから現れたのは学生ズボンに薄手のシャツを着た男。背は高く、モデル体型だ。

 男は俺たちの襟の学年記章をみてから、愛想よく笑いかけてくる。

 

「すまなかったね、我が壁新聞部に入部希望かい?」

 

 なんだ、いたのなら早く開けてくれよ。

 そう思いつつ千反田は男の質問に答える。

 

「いえ、私は古典部の千反田です。この教室にある古典部の文集のバックナンバーを受け取りに来たのですが、見た事あります?」

「いや、ないね」

 

 なんだ、随分と即答じゃないか。

 伊原も《異変》に気づいたようで、男に向かって口を開く。

 

「先輩、若しかしたら見落としという可能性もあります。先輩には不要なものですし……中を捜索させて貰っても?」

「私からもお願いします!遠垣内先輩!」

 

 千反田が四十五度の角度で頭を下げる。そういえら、遠垣内ってたしか… ……

 

「なぜ俺の名前を?」

 

 男がキョトンとした声で聞く。

 

「去年、万人橋家で一度お見掛けしたので。」

「あぁ……まてよ、千反田って、あの神田の千反田家かい?」

「はい、父がお世話になっています。」

 

 そして更に遠垣内は不自然な態度になる。この千反田が《豪農千反田家》の千反田えると知った途端にだ。

 爽やかな笑顔は変わらないがどこか落ち着きがない。

 

 話が脱線してしまい、それを戻すように奉太郎が口を開く。

 

「部活の邪魔にはならないようにします、お願いします」

「お願いします!」

 

 俺も頭を下げる。ここで俺だけ下げない訳にもいかんだろ。

 

「あんまり部外者には入って欲しくないんだがな…」

 

 そのセリフに伊原がニヤリとした。

 

「ですが先輩、ここは部室である以前に教室でしょう?」

 

 ほう……なかなかいい性格してんな。つまり伊原は「あんたに他の生徒が教室入るのを拒否する権利はないでしょ」と、遠回しに行ってるのだ。

 

「分かった、探せばいい。他があんまり引っ掻き回さないでくれ」

 

 ついに心が折れたのか、遠垣内は後ろを振り向き部室に戻る、その時だった。遠垣内が振り向いた瞬間にミントの様な香りがした。いや、これは制汗剤?まぁ夏だし付けてても不思議じゃないが。

 

 俺たちは生物講義室に足を踏み入れる。真ん中に鎮座する大きは机の上には、壁新聞部用のB1の画用紙が置かれている。

 

「他の部員はどうしたんですか?」

 

 入口近くで腕を組みながら壁に寄りかかっている遠垣内に聞くと、やはり愛想良く返してくれた。

 

「あぁ部員は四人いるよ。今日は活動日ではなくてね、俺はカンヤ祭に向けての特別特集の案を練っていたんだ」

 

 ほう、千反田といい、晴香といい、遠垣内といい、神山の名家はどうも部活動に熱心なんだな。責任感が強いとか?まぁこれから名家を背負っていく訳だし、部活動での予行練習と言ったところか。

 

「ないわね……」

 

 伊原が呟く、ざっと見だけではあるがそもそも生物講義室にはものが少ないため、これ以上の捜索は時間の無駄だろう。

 

「こっちの部屋を調べさせてもらっても?」

 

 奉太郎は生物準備室に続くドアを指さす。

 

「あぁ、いいよ」

「ありがとうございます。ハル、手伝ってくれ」

「おう」

 

 部屋に入った俺と奉太郎の目に入ってきたのは狭い部屋の真ん中に置いてある小さな机だ。こちらにもB1の用紙が置いてあり、本人しか読めないような略字で書き埋められている。そしてその上に重しのようにペンケースが乗っていた。

 

 カサカサ。

 

 ……ん?その音は準備室に一つだけある扇風機の風が、B1の用紙を煽っている音だった。風向きは準備室の一つだけ開いている窓に向かって送り出されている。そして、その風に煽られているものはもう一つあった。

 窓際に神山高校の制服が脱いで置かれている。まるで無造作に放り出した様に……。

 

「折木、南雲、どう?」

「ん、あぁ、いや、ないぜ。な、奉太郎」

「……」

「奉太郎?」

「ん?あぁ無かった」

「なによあんたら、どっちもぼーっとしちゃってさ」

 

 しかし、なぜ見つからない。奉太郎の姉貴が騙してるとは考えられないし、薬品金庫となれば、それなりの大きさのはずだろ……。それがなぜ見つからない。

 俺と同じように腕を組んでいる奉太郎は少し離れたところで俺たちを眺める遠垣内に聞いた。

 

「なぜ部室が入れ替わったのか知ってますか?」

「いや、知らない。大方いくつかの潰れた部活があったからだろうな」

「部室の入れ替わり時に荷物の出し入れはありませんでしたか?」

「そう言えば、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ダンボール?

 俺はあたりを見渡す。確かにそれなりの大きさと数のダンボールが辺りに乱雑に置かれている。

 俺はスゥッと息を吸いこみ、考える。今までの記憶が、推測が、俺の脳内を駆け巡る。

 

『いるんだったらもっと早く出ろよな。』

 

『あんまり引っ掻き回さないでくれよ。』

 

『制汗剤か…?』

 

『いくつか段ボール運んだな』

 

『神田の千反田かい?』

 

 もしかしたら……そういうことかもしれん。

 

 だがどうする?このままでは()()()()()()()()()()()

 とは言っても、この人いい人そうだし、カマをかけるってのも気が引け…

 

「先輩、どうやらこの部屋はものが多くて捜し物には手間がかかりそうです。ご迷惑でなければ()()()()にも協力してもらい、()()()()捜索したいんですが、いいですかね?」

 

 言いやがった!?奉太郎といい伊原といい、どうしてこう先輩に喧嘩売るような事を……!

 遠垣内の眉がピクリと動く。

 

「ダメだ、あんまり引っ掻き回さないでくれと言ったろう」

「ちゃんと元の場所に戻します」

「ダメだと言っている!!!」

 

 奉太郎以外の俺たち三人は体をびくつかせる。

 

「ああ!!ごめんなさい、遠垣内先輩。いいんです、ないのなら仕方ありません。」

 

 千反田は「あわわ」、「あわわ」という手振り素振りを見せながら遠垣内に頭を下げる。そして、遠垣内の声はいよいよ大きくなる。

 

「俺はアイディアを出すのに忙しいんだ!折角なにか思い浮かんだところに入り込んできて、何が徹底的に捜索だ!とっとと帰ってくれ!!」

「お、おい奉太郎。そんなカマのかけ方……!あっ!」

 

 カマ。思わずそれを口にしてしまう。遠垣内は俺の言葉に反応し、怒りで満ちていた顔は虚ろな表情になる。

 

「カマ……?そうか、お前達は、俺を……俺を……」

 

 奉太郎は言葉を続ける。

 

「先輩、俺たちは()()()()()()()()()()に興味があるんです。ここに無いというのなら仕方ありません。俺たちはこれから図書室に用があるので失礼します。けど、もし仮に文集を見つけたのなら地学講義室に持ってきては頂けませんか?鍵は空けてあります」

 

 遠垣内の顔はさらに歪むみ、俺たちを睨みつけてくる。俺達は動じない。

 まぁ東西南北、四方八方、感情だけで肉体的に傷を負った人間なんていないもんな。

 

 そして遠垣内もさすがの自制力だ。感情を押さえつけ、いつもの愛想の良い顔に戻り、答える。

 

「分かった。見つけたら持っていくよ」

「お願いします……。んじゃ行くかお前ら」

 

 恐らく千反田と伊原は遠垣内と奉太郎の会話の意味を理解できていないだろう。ポカンとしている二人を奉太郎は促す。

 

「あの、折木さん、南雲さん。いまのは?」

「ちょっとあんたら」

「話はあとだ」

 

 奉太郎が短く言ったあと、俺たちは生物講義室を後にしようとうする。すると……

 

「一年二人……お前らの名前だけは聞いてなかったよな」

 

 俺たちは振り返り、答える。

 

「一年、折木奉太郎」

「一年、南雲晴… ……悪いとは思ってますよ、先輩。」

 

 




ついに文集のバックナンバーを見つけた俺たちは、その文集の名前が《氷菓》という奇妙なものだと知る。

そしてこの出来事は、俺達の謎解きの始まりに過ぎなかった。

次回《伝統ある文集への道 (けつ)

全ては歴史的遠近法の中で、古典になっていく。

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