氷菓 〜無色の探偵〜   作:そーめん

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第七話 信じる理由

 side晴

 

 

 

「それじゃあ入りますか!部室!」

 

 オーヒナはそう言って踵を返し、地学講義室の中に入っていった。既に中には分厚い英和辞典とノートを開く千反田の姿が見える。優等生は予習も復習も欠かさないのだ。そして俺達三人を見ると、千反田はニコリと笑い、言ったのだ。

 

「折木さん、南雲さん、こんにちは。大日向さんも、三日ぶりですか?」

「こんにちは千反田先輩。そうでしたっけ?あんまり、覚えてないです」

「三人で何を話してたんですか?」

 

 千反田は耳がいいのだ。何を話していたかは分からなくても、部室の外に三人で固まって談笑していたのなら、話し声くらいは聞こえるに違いない。すると奉太郎が代表するように答えた。

 

「里志は忙しいなって話だ」

「そうですね、明日は星ヶ谷杯ですから」

 

 そんなたわいもない話をすると、俺達の横にいたオーヒナがゆっくりと千反田に近づいた。

 

「あの、千反田先輩。隣に座ってもいいですか?」

 

 千反田は一度キョトンとした顔をしたが、笑顔で返した。

 

「ええ、大丈夫ですよ!」

 

 オーヒナが千反田の横に座ると同時に、俺と奉太郎も動き出し、千反田とオーヒナと向き合う形で座った。俺はリュックサックから取り出した小説を開き、物語に浸る。それは奉太郎も同様で、肩掛けのカバンから小説を取り出すと、それを開いた。

 

 あぁ、思い出してきた。俺と奉太郎は、本を読んでただけじゃない。

 

 本を読み始めていくらか時間がたった頃、少しだけ雨が降り始めた。

 

 小雨だったが、小説を読む集中力が切れてきていたので、窓に当たると雨音にすぐに気付いた。

 

「やべぇ……降ってきたな……。奉太郎、お前傘もってきた?」

「あいにく、俺も持ち合わせてない。だが、すぐ止みそうじゃないか?」

「どうだろう?」

 

 俺が立ち上がり地学講義室の窓に歩いていくと、着いてくるように奉太郎も席から立ち上がった。オーヒナと千反田は未だに何かを話しており、俺達が立ち上がったのに気付いていない様子だった。

 俺は地学講義室の窓を開け、雨の様子を確かめる。やはり、はるか先には雨雲はなく、小さな雨雲が移動している一時的な雨だということが分かった。

 

「はい」

 

 突然、後ろから千反田の声が聞こえきた。オーヒナと談笑している割には、大きな声でハッキリと。俺と奉太郎は窓の外から千反田へ視線を変える。

 窓から千反田の方を向くと、丁度彼女の背中が見えた。長くて綺麗な黒髪がセーラー服の背中の大半を隠している。

 最初はオーヒナに対して『はい』と答えたのかと思ったが、おかしい。オーヒナの姿が無いのだ。俺は不審に思い、千反田に声をかける。

 

「どうした?」

 

 返事はない。もしかしたら聞こえていないのかもしれない。俺はもう一度、さっきよりも大きな声で言った。

 

「どーした!千反田?」

 

 すると千反田の肩がビクッと揺れ、恐る恐るこっちを振り向く。すると、右手の人差し指で自分の口元に手を置いた。この仕草の意味は分かる。『静かにしろ』だ。とりあえず手を挙げ、『悪い』という仕草を取ると、千反田はニコリと笑った。

 俺もこの時には千反田の『はい』という言葉に興味をなくし、もう一度地学講義室の窓の外を見た。奉太郎も小説に飽きたのか、小雨の中部活動に励む運動部を窓から眺め始めた。

 それから数十分ほど経っただろうか。小雨が止み、俺は声を出した。

 

「ようやく止んだなぁ。傘を持ってきてなかったから危なかった」

「このまま大雨になって明日まで降ってくれれば、マラソン大会も中止になったかもしれんのに」

 

 奉太郎がおもむろに残念そうな顔をする。

 

「結局延期になるだけだろ?」

「そうかもしれんが、心構えが変わってくる」

「それはモットーに反してるぞ、やるべき事は手短に、だろ?」

「都合のいい時だけそれを出すな」

「まぁ嫌な気持ちも分かるぜ。教室で天津とかはめちゃくちゃ意気込んでたけど、桜なんか明日が嫌すぎて干からびそうになってた」

「干からびていたなら今の雨で元に戻っただろうな」

「はっ、違いない」

 

 そんな会話をしていると、オーヒナが地学講義室に戻ってきた。俺達は視線を一瞬オーヒナに向けたが、再び窓の外に意識を戻した。

 そして、その数十秒後だ。伊原が地学講義室に入ってきたのだ。

 

 入ってきた伊原は、どこか不安気な顔をしていた。そして、俺達に向けて、言ったのだ。

 

「さっきそこでひなちゃんとすれ違ったんだけど、入部しないって。なにかあったの?なんか、泣いてた気がするんだけど……」

 

 千反田の顔は、どこか青ざめていた気がする。

 

 

 

 

 

 現在14.5km地点 残り5.5km

 

 

 

 バス停に腰を下ろしていた俺と奉太郎は、そっと目を合わせる。

 ハイペースで走った分の体力は回復してきており、今では息切れもしていない。

 

 俺は言った。

 

「今までの全ての思い出を振り返る限り、オーヒナは仮入部を開始してからの約一ヶ月半、少しずつ千反田への鬱憤が溜まっていた。そして昨日、オーヒナが部室を出てから千反田の顔はどこか青ざめていた。しかし、千反田が『はい』と謎の言葉を発している時らそんな様子はなかった。つまり、千反田が謎の声を発してからオーヒナが部室を出る数十分の間に、オーヒナの千反田への鬱憤が爆発したんだと俺は思う」

 

 奉太郎は一度考える仕草を取り、言った。

 

「いや、そうとも限らない。こういう考えも出来る。大日向は元々、千反田への鬱憤なんて溜まってなかった。つまり昨日の数十分の間に千反田への怒りを覚え、爆発させた。……という考えも出来るが、その可能性は低いだろうな。大日向の今までの行動を見ている限り、そうそうに感情を爆発させるような奴でもないし、千反田が菩薩のようだなんて遠回しな表現は使わないだろう。大日向は十中八九、千反田に対して不満を覚えていた」

「あぁ……っ!!奉太郎!!」

 

 バス停から走っている生徒を眺めていた俺は、奉太郎の肩を叩き、指をさした。

 その方向にはH組の生徒たちに紛れ、いつもは流している長い髪をポニーテールに縛った女子生徒を見た。白い体操着に槐色の短パン、奉太郎は頷く。

 

「千反田だ。行くぞ」

 

 俺と奉太郎はバス停から出ると、自然な流れでH組の連中に合流する。休んでいた分ペースを上げ、千反田との距離を縮めて行く。

 すると何かを感じ取ったのか、大きなポニーテールを揺らした少女は振り返り、俺と奉太郎を視線に捉えた。元々大きかった瞳をより一層の大きく見開き、驚いた様子を見せる千反田だったが、再び視線を前に向け足を進めた。優等生である千反田は学校行事に手を抜く事はしない。振り返って走っていれば足をくじく可能性もあるし、ペースも落ちる。前を向いて走るのが最も適切な解と言えよう。

 しかし千反田は俺達を振り切ろうとはしなかった。それはまるで、『用があるならあなた達から話しかけてください』と言っているようにも見えた。俺と奉太郎は互いの視線を確認し、ペースをあげる。そして、千反田を挟むように並走した。

 

「よう、千反田。残りの四分の一、調子はどうだ?」

「こんにちは南雲さん、折木さん。これでも体力には自信があるんです。色んな所に自転車で赴いてますから。それで、一体なんの用で?あなた達はもっと先にいると思ってました」

 

 このお嬢様は口だけではないようで、息切れの一つ起こしてない。先程の伊原とは違い脇にしっかりと腕を固定し、そのペースを落とすことは無い。

 奉太郎が言った。

 

「昨日、大日向が入部を取り消したな?その理由をハルと考えてみた。少しだけでいい、話を聞かせてくれないか?」

「お気持ちはありがたいです。でも、結構です。これは私と大日向さんの問題なんです。お二人が抱え込む必要はありません」

「別に抱え込んじゃいないさ。ただ、このまま大日向に辞められても居心地が悪い」

「それも私のせいです。すみません」

「違う、お前は何か勘違いをしてる。いいか?」

 

 俺は一度唾を飲むこみ、千反田が把握できるよう、大きな声で言った。

 

「いいか、千反田!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一定のペースを保っていた千反田の息が、激しく乱れた。

 

 

 

 

 

 

「ぶはぁ!!生き返る!!」

 

 広大な田園を抜けた先、コースは森の中に続いていた。

 生き雛まつりの時の事件の舞台の一つである水梨神社の近くには水が湧いており、俺達三人はコースを外れそこにいる。どうやら千反田はこの場所を知っているようで、斜めに切られた竹から流れ出る水を飲むように言ってくれた。

 俺と奉太郎はまるで砂漠でオアシスを見つけたかのようにその水に近寄り、両手で作った皿に水を受け止め顔を洗った。

 冷たい水は火照った身体を冷やしてくれる。

 

「一度も止まるつもりはなかったんです」

 

 俺と奉太郎が湧き水を巡り争っている後ろで、千反田がそっと呟いた。奉太郎は振り返り、言った。

 

「悪いな」

「見ていたんですね。私が大日向さんの携帯を開いたところを」

「見ちゃいないさ。俺も、ハルもな」

「ではなぜ?」

 

 湧き水でもう一度顔を洗った俺は、同様に千反田に向き合い言った。

 

「俺達はお前の背中しか見てない。それと、『はい』という返事をしたことしか知らないな」

「私、そんな事言いましたか?」

「まぁ、無意識だろうな」

 

 千反田は俺と奉太郎が窓の外を見ている時、確かに『はい』と答えた。最初はオーヒナの質問に返答したものなのかと思い振り向いたが、あの時部室にオーヒナはいなかった。俺は不審に思い千反田に『どうした?』と返事をしたが、初めは返答がなく、二度目に大きな声で聞くと、口元に手を置き『静かにしろ』という仕草を取られてしまった。

 『はい』という返事、そして言葉を発さずに『静かにしろ』という仕草。

 

「考えられる状況は一つしかない。千反田、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。電話に出ていたとなれば、他の音は雑音だ。だから口元に手を置き、『静かにしろ』という仕草を取った」

 

 奉太郎が続ける。

 

「だがおかしな点がある。それは、何故千反田だけか大日向の携帯に電話が来ている事に気づいたかだ。確かにお前は耳がいいが、俺とハルだって集中して窓の外を眺めてたわけじゃない。ましてや同じ狭い部室内にいるのに、携帯が鳴ったことに気づかないはずがない。では、なぜお前だけ気づいた?それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千反田は「ハッ」と気付いた顔をした後に、目を伏せながら言った。

 

「ええ……あなた方が部室の窓の外を眺めている時、私と大日向さんは話していました。その途中で大日向さんが一度お手洗いに出たんです。彼女は携帯電話を()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、大日向さんが戻ってくる前に、携帯電話のバイブレーションが鳴ったんです」

 

 そう、分厚い英和辞典の上に携帯電話が置いてあるとしたら、バイブレーションの振動は緩和されてしまう。だから携帯電話の目の前にいる千反田だけが、その呼び鈴に気付いたんだ。

 千反田は続けた。

 

「私は……私は、戸惑ってしまいました。今思えば、無視しても良かったのかもしれません。ですが、その電話が大日向さんにとって大事で、急用のものだったと考えてしまい、大日向さんが今は不在という主旨だけ伝えようと思ったんです」

「それで、電話はなんて?」

 

 俺が聞く。

 

「分かりません。前に摩耶花さんに携帯電話を触らせてもらった事があるので、出方は分かっていました。人の携帯に耳を付けるのは良くないと思い、電話のマークを押した後、両手のひらの上に携帯を置いたんです。ですが、向こうからの返事はありませんでした。もしかしたら、押すボタンを間違えてしまったのかも知れません。そんな事を考えていると、大日向さんがお手洗いから戻ってきました……それで……」

「それで?」

「それで、私が携帯を持っているのを見ると、それを取り上げたんです。凄く、冷たい目でした。あんな顔をされるなんて思ってもみなかったんです。大日向さんはその後『さよなら』とだけ告げ、部室を去っていきました。そこでようやく、自分が失敗したと気付いたんです」

「たかが携帯電話だろ」

 

 奉太郎がそう言った。千反田はありがたそうにニコリと笑った後に、強ばった表情に戻る。

 

「私や折木さんにとっては、そうかもしれませんね。ですが南雲さん。もし私や折木さんが、勝手にあなたの携帯を覗いていたとしたらどう思いますか?」

「覗かれて困るもんじゃない」

「……優しいですね。でも、大日向さんにとっては、そういう問題でもないんだと思います。誰にでも大事にしているものは……秘密にしたいものはあります。それを私は、大日向さんの了承を得ずに覗いたんです」

 

 別に千反田を慰めるために、困るもんじゃないと言った訳では無い。

 奉太郎が口を開く。

 

「それで、どうするつもりだった?」

「謝りに行く予定でした。このマラソン大会が終わり次第、すぐにでも」

 

 千反田ならそうするだろうな。もし携帯を勝手に覗かれてオーヒナが腹を立てたなら、時間を開けずに誠心誠意謝れば、その思いは伝わるのかもしれない。だが、昨日千反田とオーヒナの間に起きた出来事は、決して携帯を覗かれたから起きた訳では無いのだ。それはきっと、千反田も気付いているに違いない。

 

「無駄だろう」

「ええ、そうでしょうね。お二人は、私が勝手に携帯を覗いたから大日向さんが怒っている訳では無いと言いました。……気になります、とは言えません。ですが……」

 

 千反田は一度言葉を詰まらせた。そして息を飲み込み、言った。

 

「大日向さんにとって、私は《良い先輩》でありたかった……。こんなになるつもりは無かった。情けないです。大日向さんを怒らせた張本人が、その理由も分からないなんて……!知らない内に、大切な後輩を傷つけていたなんて……!!」

 

 千反田は珍しく、拳を強く握っていた。千反田は良い奴だ。例えば昨日、千反田ではなく俺や奉太郎がオーヒナと激突していたのなら、きっと千反田は間を取り持つ事に全力を尽くしてくれるだろう。

 喧嘩は良くないから、別れは寂しいから、千反田が間を取り持つ理由は、そんなものに違いない。目の前の女は、他人の事を自分の事のように考えることが出来る。

 だからそんな人間が、自分の情けなさを痛感し、何も出来ない事を悟ったのなら、その悔しさはとてつもないものになるだろう。だが……

 

「誰にだってすれ違いはある」

 

 俺がそう言うと、奉太郎も続けた。

 

「千反田、お前は俺達に、「自分を信じてくれ」とは言えないだろう。自分が大日向を苦しめていたつもりは無かったと。表ではニコニコしながら、裏では大日向を陵辱していたという事実はそこには無かったとな」

「こんな事が起きてから、信じてくれとは言えません……」

「今更だな」

「ええ、今更です」

 

 そうだ。今更だ。事が起きた後に、「そんなつもりは無かった」と言われても、普通の人間ならその言葉の虚偽を疑うだろう。だが……

 

 俺が息を飲み、言葉を発そうとすると、それより早く奉太郎が言ったのだ。

 

「だが、俺とハルはお前を信じるとしよう。お前はそんなやつじゃない」

「折木さん……」

「俺達は、お前の叔父の話を聞いた。試写会に行った。夏祭りに行き、温泉旅館に行った。問題だらけの文化祭や、クリスマスパーティーに参加した。お前の晴れ姿を見る為に、生き雛まつりに行った」

 

 俺は、熱弁する奉太郎を無言で眺めてた。静寂と木々に包まれる水梨神社に、奉太郎の声だけが響き渡る。

 千反田の瞳も、徐々に大きく見開いていく。

 

「だから信じようと思った。俺達は、お前と一年間を共に過したからだ。自分でもおかしな理由だと思う。そんなのは、全くもって論理的な思考じゃないからな。だがな千反田、今罪悪感を覚えているなら、これだけは知っておけ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言い切ると、奉太郎は照れくさそうに視線を逸らした。

 千反田は驚きながらも、いつも通り、ニコリと笑っていた。

 

 その笑顔には、今までのような強ばりはなかったが、口元は少しだけ震えていた。

 

 千反田の目は虹色の膜を作り出し、泣き出してしまいそうだった。




ふたりの距離の概算編

完結まで

あと二話
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