皆さんのお陰で《氷菓 〜無色の探偵〜》がサイト内最高評価に達することが出来ました。
更新再開をしてからこんなに早く日間ランキングに入れたのも、みなさんの応援が糧となったのだと思っています。これからもこの作品をよろしくお願いします!
過去一日前 《星ヶ谷杯》前日
side千反田
いつも通りの日常でした。
大日向さんが私に対して少し距離を取っているのは、何となく感じていました。だからこの日、南雲さんや折木さんと一緒に部室に来た大日向さんが、私の隣に座ってくれたのは嬉しかったんです。
最初はたわいもない話から始まりました。桜さんの弟さんが大日向さんと同じクラスで、その子の姉が私達と知り合いで驚いたこと。自分が折木さんと同じ鏑矢中で、何度か姿を見たことがあったと言うこと。南雲さんが関西弁の女の子と言い争いをしていたこと(これは恐らく天津さんの事でしょう)
今思えば、これは本題に入る前の準備運動のようなものだったのかもしれません。
大日向さんは一度身体を伸ばして、言いました。
「今日伊原先輩は来ないですね」
「そうですね。きっと漫研の方に行ってるのかもしれません。……あぁ、辞めたんでした」
「伊原先輩って漫研だったんですか?」
「ええ、とっても絵がお上手なんですよ!去年の氷菓の表紙を描いたのも摩耶花さんなんです」
「へぇ、そんなに絵が上手いのに、どうして漫研を辞めちゃったんですか?」
私は迷いました。摩耶花さんが漫研であまり良くない待遇を受けていた事を、後輩である大日向さんに話していいのか。なので、私はペンを置き大日向さんに向き合うように座り直ります。
「そうですね。確かに摩耶花さんは絵がお上手で、漫画が大好きです。ですが、同じ志を持った漫研の人間関係に問題があって……」
「人間関係の問題?友達とってことですか?」
「同じ志を持っていても、漫研の中で派閥争いがあったと聞きます。そして、摩耶花さんと違う考えを持つ人が大多数いました。色々と折り合いをつける方法はあったと思います。ですが、その考えは間違ってると感じながら、それに耐え、漫研に居続けるのは良くない事だと思ったようです」
「それでやめたって事ですか?伊原先輩と同じ意見の人もいたのに?見捨てる事ないと思いますけど……」
「見捨てる、というのは厳しい言い方かもしれません。実際に摩耶花さんは、大多数派の人達に漫研の政権を譲ったんです……。確かに辛いことかもしれません。ですが、摩耶花さんは争う必要なんてなかったんです。自分は誰になんと言われようと漫画が好きだと、超然とした態度でいることが正しかったのかもしれません。しかし、それももう遅いです。私は、摩耶花さんが漫研を辞めて良かったと思っています。何かと別れる為には、年度の変わり目はいい頃だと思いませんか?」
大日向さんは黙ってしまいました。何かを考えていたのかと。
そして、少し経った後、言ったのです。
「いい頃合いですね。すみません」
そうして大日向さんは席を立ち、部室を去って行きました。
その後は、携帯が鳴って……、あれ?南雲さん!折木さん!私、昨日大日向さんと変な話なんてしていません!
side 晴
「南雲さん!折木さん!私、昨日大日向さんと変な話なんてしていません!」
千反田は話してくれた。昨日のオーヒナとの会話の概要を。しかし、訳が分からないというふうにかぶりを振った。確かに訳が分からない。会話の内容だけ聞いていれば、千反田は伊原が漫研を辞めたことに賛成した。そしてオーヒナはその意見を聞き、部室を後にしたと言える。
オーヒナの入部取り消し問題とは、何ら関わりがないはずだ。だが……
「なぁ、千反田」
「なんでしょう、南雲さん」
「この前、オーヒナの従兄の喫茶店に行ったよな?その時に、オーヒナはお前に、ある人物を知っているか?と聞いていた」
「ええ、《阿川佐知》さんですね」
「流石の記憶力。誰だ?」
「知り合いじゃあありません」
「知り合いじゃないのに、名前を知ってるなんて変だ」
「そうでしょうか?」
「それで、誰なんだ?」
奉太郎がそう聞き返すと、千反田は首を傾げながら言った。
「お二人も知ってると思います」
「だから分からないって」
千反田はプクーっと口を膨らませ、「やれやれだぜ」とでも言いたげな顔をして、ようやく教えてくれた。
「この前の入学式の、新入生宣誓をしていた一年生です」
「「知るか!!!」」
一々下級生の宣誓をおこなった奴の名前なんて覚えてられるか!
そんなの覚えてるの、お前だけだよ……。それにしても、なるほど……、阿川佐知……。
俺たちの考えはまとまりつつあった。今なら昨日のオーヒナが千反田と対峙する前、宙ぶらりんをしていた意味が分かる。あれは、覚悟を決める前のルーティンだったのかもしれない。
奉太郎は言った。
「ありがとう、千反田。すまなかったな。後は俺達に任せて欲しい」
いつものこいつなら、引き下がることなく、自分にも手伝わせろと言うだろう。しかし今の千反田はこくりと潔く頷いた。
「はい。後は任せます。恐らく、私の言葉は届きませんから……。南雲さん、折木さん。もし大日向さんが悩んでいるなら、話を聞いてあげてくれませんか?なにか不幸な行き違いがあったなら、それを解けませんか?もし大日向さんが古典部に来れなくなったとしても、それだけは……それだけは……!」
俺と奉太郎は頷いた。
千反田はコースから外れた水梨神社を抜けようと、再び足を動かし始めた。しかし少し走ったところで、もう一度こちらを振り向く。
「折木さん」
「なんだ」
「私は、先程のあなたの言葉で救われました……。私のせいで大日向さんが入部を取り消したとするなら、私はきっと一人でずっと背負い込んでいたのかも知れません。実際に私は、その覚悟が出来ていて、それでも良かった。でも……」
千反田はニコリと笑う。そして、言った。
「ありがとうございました……」
「いいから行け。悪かったな、引き止めて」
「大日向さんを、よろしくお願いします」
「あぁ」
そう言って、俺達は千反田の背中を見送った。彼女の黒い髪が見えなくなったところで、奉太郎は再び口を開く。
「ここに長居して里志以外の総務委員に見つかるのも面倒だ。もう少し進んだところで、大日向を待とう」
「なぁ」
「今度はなんだ?お前もか」
奉太郎は呆れたとでも言わん顔で、俺を見た。
俺は先程千反田に、奉太郎と同じ事を言おうとした。しかし出来なかった。
確証が無かったのかもしれない。もしかしたら俺は、千反田が大日向を追い出した可能性を、心のどこかで否定しきれていなかったのかもしれない。考えれば分かることなのに、信じきれなかった自分に腹が立つ。
しかし奉太郎は信じていたのだ。千反田を。そこに論理的なものなんでない。言わゆる信頼関係と呼ぶものなのかもしれない。
そして奉太郎が信じていたのは千反田だけでは無かった。言うなればこいつは、
俺は、ほんの少しでも千反田を……。
「もしさ」
「……?」
「もし、俺とお前の人生が違って」
「ハル、何を言っている」
「もし俺が折木奉太郎で。お前が南雲晴だったら……」
「俺とお前は……出会ってなかったかもしれないな」
この言葉の意味を、俺は自分でもよく分かっていなかった。
それは、奉太郎も同じようで、なんと返せばいいか分からないようだった。
「東京なんて、人の多そうな場所はごめんだな」
「なんだよ、それ」そう言って、少しの間静寂が続いた。
現在17.0km地点 残り3.0km
その後は何も考えず走った。
千反田以外のH組の連中が超ローペースで走る俺達の横を走り抜け、一年生らしい幼い顔をする連中と並走する。これはきっと一年A組だろう。オーヒナはB組なので、合流するのはあまり時間がかからない。
これからオーヒナと合流することで、俺と奉太郎はまとまった推論を披露するだろう。今まで、その出来事のキーマンとなる人物達と対峙したことは何度かあった。
しかし、十文字の時も、月夜の背教団の時も、ここまで気が重いと感じたことはなかった。
水梨神社の森を通り抜けると、森の中から続く小川の横を沿るように走る。小川は徐々に幅が広がり、目の前には川をかける赤い橋が見えた。あの赤い橋を渡り、少し進むと住宅街に戻っていく。住宅街はやがて俺や奉太郎、里志が共に帰っている時に別れ道となる商店街に差し掛かり、神高へと繋がっていく。《星ヶ谷杯》は既に終盤なのだ。辺りを見渡すと、この長い道を走り続けた疲労に満ち溢れた一年の顔には、少しだけ安堵の表情も見えた。
そうだ、もう終わってしまうのだ。オーヒナとの決着も。
そう思っているうちに、俺達は赤い橋に差し掛かった。そしてそこを渡り切ろうとした途端、後ろで「あっ」という声が聞こえた。
俺達が振り向くと、そこには立ち止まった女子生徒がいた。未だに中学生らしい幼い顔つきを残し、健康的な浅黒い肌、そして彼女は、いつものように口元を笑わせた。
「どうも、こんちわ」
「おう、こんちわオーヒナ」
「先輩達はもっと先に言ってると思いました。もしかして、運動が苦手でしたか?」
「ほんとにそう思っているのか?」
俺が言うと、オーヒナは笑顔を崩さず呟くように言った。
「いえいえ、私は何となく分かりますよ。男子が女子を待つ理由なんて一つしかありませんよね。でも私、追われる恋より、追う恋の方が好きなんです。待っててもらったところ悪いですが……ん?でも、このマラソン大会だと私が追いついちゃったから、私が追ってたのかな?」
冗談めかすオーヒナを俺達は顔色を変えずに眺める。オーヒナもそれに気付き、少しだけ顔を俯かせた。
「笑ってくれないんですか?」
奉太郎が言った。
「笑って欲しかったのか?」
「そうじゃないです。でも、いつもの先輩達なら、笑ってくれるじゃないですか。『変な冗談言うな』って、言ってくれるじゃないですか」
そうだったろうか。確かに俺とオーヒナは、『ハル先輩』、『オーヒナ』と親しくなる意味合いを込めて互いにそう呼びあっていた。
でも、オーヒナが俺に対して先輩後輩としての好意を向けてくれていたとしても、俺はやはり、オーヒナと本当に向き合っていたのだろうか。本当にそんな冗談を言い合える仲だったのか?このマラソン大会で大日向友子という人物を初めて知ろうとしていた俺達に、オーヒナの冗談を笑えるのだろうか。
「まぁ、誰かが話しかけてくるだろうなとは思ってました。でも、先輩達だとは思ってませんでした。伊原先輩か、もしかしたら福部先輩かなとも思ってました」
オーヒナは俺達を見据えたまま、言った。
「でもごめんなさい!私、入部はしません。これは決めたことなんです!」
「聞け。大日向、
奉太郎が言った途端、オーヒナの表情から笑顔が消え失せた。
ふたりの距離の概算編
完結まで
あと一話
次回 最終話《ふたりの距離の概算》