これは、氷菓〜無色の探偵〜、最終章に繋がる物語。
第一話 四人の折れた翼
side 折木奉太郎
大日向の件から約一ヶ月が経過した。
神山高校は前期期末試験を終え、生徒全員がこれから始まるであろう夏休みに心を躍らせている。
かくいう俺、折木奉太郎も試験を終え弛緩の空気を帯びていた。かと言っていつもの俺が引き締まっているかといえば、決してそうでは無いのだが。
古典部にはあれ以降、大日向どころか新入部員は訪れなかった。けれど俺達もまだ二年生で、それが五人もいるとなれば部の存続になんら問題は無い。だがこのまま上手く行けば俺達は三年に進級し、それぞれが進学や就職の為に動き出す。そうなれば、俺達は自分の事で手一杯になり、学校の最辺境に位置する地学講義室に足を運ぶ部員はいなくなるのかもしれない。
来年のクラス次第でどうなるかは分からないが、ハルや里志、千反田や伊原とも、きっとそうやって疎遠になっていくのだ。悲しいものだ。今考えれば、俺は俗信に《繋がり》と呼ぶものを、あいつら以外得ていないのかもしれない。
古典部がバラバラになった時、俺には何が残るのだろうか。
伊原や里志は、きっと卒業しても上手くやれるだろう。あいつらは世渡りの技術がある。千反田も家業を継ぐという明確な道標が出来上がっている。きっと奴は農学系の大学に進学し、学を深めるのであろう。
俺もきっと、大学に進学するだろう。そして何事もない大学生活を送り、社会に放り出されもみくちゃにされるに違いない。
ハルは……どうするのだろうか。
俺はやはり、あいつの事をあまり知らない。このまま時間が経てば、俺はきっとあいつの全てを見ることなく卒業する。
本当にそれでいいのか?ハルは自分の過去を話したがらない。それを尊重するのは、正しいことなのかもしれない。だが、それを知らないまま奴と別れることになれば、もうハルとは二度と会えない気がする。
俺は一枚の紙を机の引き出しから取った。そしてそれをめくる。
『東京都神無木区 無差別連続放火魔事件 犯人は……』
一枚のネット記事だった。東京の神無木という町で起こった、放火魔事件。
……馬鹿馬鹿しい。
前にも千反田に、自分で言った。こんな物騒な事件にハルが関わっているはずがない。
「ふんっ……」
それを破き、ゴミ箱に放り込んだ。
ベッドの中に寝転び、そっと目を閉じる。
安息に身体を預け、俺の長い夏休みが始まった。
side 桜楓
「駄目ね、楓」
「え……」
夏休み初日前日の放課後、私はいつも通り文芸部の部室、パソコンルームに居た。
パソコンルームはパソコンをオーバーヒートさせない為にクーラーが配備されていて、猛暑が続く夏の昼間は天国のように涼しい。部員が椅子に座りながらとろけるように作業を進める中、私は部長にそう言われた。文化祭に出す文集に掲載する小説のプロットだった。
「これじゃあ駄目、リアリティがないね。確かに小説だからぶっ飛んだフィクションも必要だけど、読者に共感して貰えないと意味ないよ」
「で、でもそのプロットは元々……」
「
神代……。神代佳奈美さんは、夏休み前に文芸部を辞めた新入生の名前だった。彼女は文芸部を心半ばで辞めてしまった。だからせめて文化祭に彼女が出す必要だったこの作品を、私が引き継いで上げたかった。
だから私は……
「すみません部長。私は、この作品のプロットを変えられません。神代さんがどんな気持ちでこれを書いていたのか私は知っています!」
「駄目だと言っているだろ!私は新入生のプロットにはドンドン口を出そうと思ってる。それは一人一人の、文字書きとしての成長のためだ。だから辞めた一年が出した案をそのまま採用するわけにはいかない。拙すぎる」
「嫌です、このプロットのまま採用して下さい!このプロットは拙くなんてない。部長は神代さんの気持ちを踏みにじっています!部長こそ、人の気持ちを何も考えられてない!」
私が声を荒らげると同時に、夏の暑さで火照った身体を冷やす部員の目がこちらに向いた。そして椅子に座っていた部長も立ち上がり、私を睨みつけた。
「楓お前……!言ってて事と悪い事くらい分かってるよな!あんたの事を考えて言ってるのに、何様のつもりさ!出ていけ、今日は頭を冷やせ」
「何様のつもりって……。わ、私はそんなつもりじゃ……」
「出ていけ!!」
部長が私の言葉を遮るように声を荒らげ、部室には静寂が響いた。私はハッとして他の部員に視線を送ると、全員がこちらを向いていた。
心配とも、もちろん嘲笑とも取れる目線だった。私は部長に向き直る。
「すみませんでした。別に部長と喧嘩をしたかった訳じゃないんです……」
「分かってる……。もう行け、今日は帰れ」
「……はい」
お辞儀をして、私はパソコンルームを後にした。
特別棟の階段まで辿り着くと、私は降りるのでは無く、階段を登り始めた。
最初は緩やかだったペースが、徐々に早くなっていく。
南雲くん……。
四階に辿り着き、私の足取りは更に早くなる。
南雲くんに会いたい。
南雲くんと会って、色々な話をしたい。色々な話を聞いて欲しい。
顔が熱くなって、ドンドン涙が溢れてくる。その涙で視界が歪んで、私は廊下で転んでしまった。
「いた……」
立ち上がる気力はもう私にはなくて、その場に尻もちをつく。
「もう、どうしたらいいか分からないよ。南雲くん……」
そして私はそっと呟いた。
「助けて……」
伸ばした手が、空を切った。
もうあの人には頼れない。
私の長い夏休みが始まった。
side千反田える
冬と違い日が落ちるのは遅く、既に六時を回ろうとするこの時間帯でも、夕焼けが無人の部室を照らし、アブラゼミが夏の始まりを予感させていました。
明日から高校生活二回目の夏休みが始まり、定期試験を終えた安堵も束の間、氷菓の原稿に取り掛からなければなりません。
大日向さんの件から、約一ヶ月が経過しました。
南雲さんと折木さんから、全てを聞きました。
大日向さんが私を誤解していた事を聞いて、少しだけ胸が痛くなりました。部長でありながら、新入生が本当に悩んでいる事に気づけなかった。もし大日向さんの悩みに早く気付いていれば、誤解を解き、力になれたのかもしれません。
私は一度溜息をつき、視線を横にずらします。
先程まで横には摩耶花さんが座っていて、今はお手洗いで席を外しています。私は摩耶花さんが開いていた本に手を伸ばし、表紙を眺めました。
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生き雛まつり。あの日、私が南雲さんに抱いた感情は確かに《恋心》というものなのかも知れません。
南雲さんに今の千反田家の現状を知って欲しくて、私の諦めた経済的戦略眼を担って欲しくて、私と……同じ道を歩いて欲しくて、あの日私は南雲さんに生きひなの傘持ち役を依頼しました。
あの人は不思議な方です。いつも太陽の様に明るくて、何をするにしてもあの方が先頭を歩いています。古典部全員が彼の周りにいつの間にかいて、その手を引いてくれます。
けれど、あの人は私達と一線を置いている面がある。
それはきっと、東京で南雲さんが遭遇した《事件》と呼ばれるものが関係しているでしょう。
そして、文化祭の時に聞いてしまった、私とよく似ている女の子、《
折木さんは南雲さんの事は詮索すべきではないとおっしゃっていましたが、個人的に何かを調べているようです。福部さんも隠していおつもりでしょうが、きっと何かを知っています。
私も、南雲さんのことをもう少し知りたいです。
そうしなければ、きっと私は……この気持ちは……。
私は大きく首を振りました。踵を返すように、自分の頬を両手で軽く叩きます。
「気になります」
私の長い夏休みが始まりました。
side南雲晴
『ハル』
『南雲さん』
『南雲』
『南雲くん』
『晴』
『はるっち』
神山高校の人間が、俺の名前を口にしていた。そうか、俺は呼ばれているのか。行かなくちゃ。
『晴』
背中から、また俺を呼ぶ声が聞こえた。俺はその声で歩みを止める。
俺の目の前には、神山で出会った人間がいた。
奉太郎、千反田、里志、伊原、桜、晴香、天津、十文字、入須、田辺、陸山、木原、黄瀬、朱宮、倉沢。
全員が俺の名前を呼んでいる。けれど俺は、雑音だとでも言うようにそれを払い、振り返った。
そして、皆とは反対方向にいる少女に向かって歩き出す。最初は緩やかだった歩みを、より早く。心臓が痛くなるまで動悸が早まり、俺は自分が汗だくになっているのが分かった。
『晴』
少女はまた、俺の名を呼ぶ。もう二度と呼ばれないと思っていたその声で。
そして俺も、彼女の名を呼んだ。
『詩!!……詩!……詩!……詩!!!』
俺は彼女の目の前で立ち止まる。
眉上で切りそろえられた黒く長い髪は背中まで伸びており、アメジスト色の大きな瞳。清楚という名を具現化したような姿は、一昔前の女学生を思わせる。
そして彼女はニコリと笑い、もう一度俺の名を呼んだ。
『晴』
俺は応える。
『ああ……俺だよ、晴だ。詩、お前こんなとこで何してるんだ?……俺……俺さ、ずっとお前に言いたかったことが……』
『裏切り者』
『…………え?』
詩の瞳は虚ろだった。
『私の人生をメチャクチャにしたのに、自分は遠い地方の町で青春ごっこ。人とは深く関わらないって言ってたのに、部活に入って馴れ合ってる。心底気持ちが悪い』
『……いや、えっと……』
詩のキレイだった顔はどんどん醜く歪んでいく。
歯を強く噛み締め、ギリギリと音が鳴っていた。俺はそっと後ずさりする。
『お前のせいだ。私が夢を失ったのも、みんながバラバラになったのも、みんなが涙を流したのも、全部お前のせいだ。全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部ゥ!!!!』
『や、やめろ!!やめてくれ!!』
俺が耳を塞ぐと同時に、辺りが炎に包まれた。
詩の顔は憎悪に歪んだまま、笑った。怪物を見ているような気分だ。
『アハハ……今度は助けてよ、私の
俺は振り返り、今度は神山の人間がいる方向に走り出した。
炎をかき分け、歩みを早める。今度は俺が、名前を呼ぶ。
『奉太郎……!千反田……!桜……!』
あいつらは穏やかな顔のまま俺に手を差し出す。
しかし、俺がその手を握ろうとしたその刹那
ゴッ!
鈍い音が聞こえ、激痛が走った。
奉太郎の拳が、俺の顔に突き刺さったのだ。俺は声にならない悲鳴を上げて、その場に倒れ込む。
『なん……で……?』
疑問のみが浮かび、俺は彼らに問う。
すると、全員が笑った。
『ハル、お前は随分気前がいいな』
『なに……?』
『お前は一度、詩を選んだじゃないか。それなのにアイツにやられたから今度は俺達か。面白い』
奉太郎は四つん這いになる俺の顔に、今度は蹴りを入れた。脳が揺れる感覚がする。
『あ゛あ゛ぐ……!』
『南雲さん、あなたがいなくても、氷菓の事件は解決出来ました。生き雛まつりも、折木さんに頼めばよかった。それに私は、詩さんの代わりなんでしょう?』
『ハル、僕は君の過去を唯一知る。けどあの事件は君のせいだ。君のせいで、詩さんは夢を失った』
『南雲、あんたは折木以上のクズよ。詩さんを捨てて、ここに来たんでしょ?今まで仲良くしていたのが馬鹿馬鹿しい』
『南雲くん。もう君のこと、好きなんかじゃない。告白の返事も考えなくていいよ?気持ち悪い……、あなたに恋してたなんて馬鹿みたい』
吐きそうになる。俺はそれを飲み込み、顔を上げた。
『ハル、お前はもう神山に……いや……』
次奉太郎が言わんとする事を俺は理解した。でも、それだけは口にして欲しくなかった。
『古典部に必要ない』
『あ……』
「うわぁああああああああぁぁぁ!!!」
自室のベッドから俺は起き上がった。今までの出来事が全て夢だと理解するのに、時間はかからなかった。
汗が身体中に渡り、現実でも動悸が早い。
「はぁ……はぁ……」
俺は自分の顔に右手を当てる。
そして、笑った。
「マジで、どんな夢だよ……はは……」
俺の長い夏休みが始まった。
いまさら翼といわれても、は古典部のターニングポイントとなるストーリーです。
遠まわりする雛と同様、古典部の過去と未来が明らかになる春夏秋冬を描いた短編集。ぜひ、お楽しみ下さい。
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氷菓〜無色の探偵〜を休載中に書いた短編を投稿しました。
全5話で構成される高校生になったばかりの男女を描いた青春モノです。
こちらも感想などをいただけると嬉しいです。下記のURL、または作者ページから観覧出来ます。
https://syosetu.org/?mode=ss_detail&nid=267155