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長くなりそうなので前後編に分けました。
例えば、俺の友人、折木奉太郎は過ぎたことをあまり覚えている方ではないと言う。まあこいつの《省エネ主義》を鑑みれば、なんて事ない過去の出来事を覚えておくなど、《やらなくてもいいこと》に含まれているのだろう。
かく言う俺だって、昔の事を鮮明に覚えているわけじゃない。けれど、やはり記憶というのはおかしなもので、その時にはどうでもよかった様な出来事が、生涯忘れることの無い思い出になるなんてのは珍しくない話だ。
例えば、二年生に進級した年の六月。生ぬるい風を浴びながら男三人で夜の街を徘徊し、言葉を交わしたこの日だ。
まぁこの出来事が本当に記憶に残ってるか確かめられるのは、十年や二十年先にようやく分かる事なのだが。
事の始まりは、奉太郎の家に差し入れを持って行った時にかかった、ひとつの電話だった。
何の変哲もないインターホンが鳴り響き、家主の一人がのそっと顔を出した。
俺は軽く手を上げる。
「よう」
「ハルか、すまんな」
︎︎俺、南雲晴は折木家に訪れた。
︎︎奉太郎の家族は全員がそれぞれの用事で出払っており、次の日まで奉太郎一人だと学校で聞いた俺は、夕飯を作るのですら億劫な顔をしていた奉太郎の為、勘解由小路家の豚肉で作られた生姜焼きを差し入れに持ってきたという訳だ。
︎︎あぁ、なんて優しいんだ俺は。奉太郎よ、良い友人を持ったな……。
「なにをしている、さっさと家に入れ。腹ペコなんだ」
「わざわざ持ってきた俺になんてことを言うんだお前は!!」
︎︎自分の慈悲深さに涙を流しそうになっていた俺に、奉太郎の声が飛んできた。へいへい、とっとと入りますよ。
︎︎俺は靴を脱いで奉太郎の家に足を踏み入れた。
︎︎この家に来るのは二回目だった。一回目は奉太郎の誕生会を行った時で、言ってしまえばそれだって約一か月前だった。
︎︎俺達古典部は、自分の家に頻繁に人を招くほど仲良しという訳では無いが、こうも短いスパンでこの家に訪れる事となるとは。
︎︎リビングルームに着くと、奉太郎はそそくさとキッチンに入った。
︎︎俺は言う。
「おい奉太郎。米は炊けてるんだろうな」
「当たり前だろ。抜かりは無い」
︎︎先に勘解由小路家で夕飯を済ませてから来ても良かったのだが、腹ペコの奉太郎を放置する訳にもいかないので、俺も折木家で奉太郎と一緒に夕飯を済ませるつもりだった。
︎︎奉太郎が炊飯器のボタンをひとつ押すと、白い湯気と同時に、真っ白な炊けた米がその姿を現した。
︎︎奉太郎はくるりと振り向き、キッチン棚から茶碗を二つ取り出した。かく言う俺も、紙袋からタッパーに入った生姜焼きを取り出し、電子レンジに入れた。五百ワット二分で設定し、スイッチを付ける。
︎︎俺は電子レンジで温められている生姜焼きと、奉太郎が茶碗によそう白米を見比べ
「う〜ん」
︎︎声を上げた。
「どうした」
「いや、白米と生姜焼きか……。千切りキャベツと味噌汁が欲しいなと思ってさ」
「適当に冷蔵庫でも見てみろ」
︎︎言うので、俺は人様の家の冷蔵庫をなんの躊躇いもなく開けた。
︎︎半玉のキャベツを見かけたのでそれを手に取り、次は味噌を探すと、赤味噌を見つけた。
︎︎しかし味噌汁の具材になりそうなものが見当たらなかったので、俺は言った。
「奉太郎、このキャベツ使っていい?」
「勝手にしろ」
︎︎白米がよそわれた茶碗を両手に持つ奉太郎は、食卓に向かいながら言ったので、俺はザルにかけられてたまな板と包丁を拝借する。一番上の葉が少ししなびれていたので、その葉を剥ぎ、千切りにしていく。
︎︎少しキャベツが太くなってしまったが、これも味だろ。
︎︎ちょうどキャベツを切り終わると電子レンジが鳴り、俺はタッパーを取り出す。見ると、まな板の隣に大皿が置かれていた。奉太郎め、用意が良い奴だ。まず俺は皿に千切りキャベツを乗せ、その上に生姜焼きを盛り付けた。生姜のいい香りが食欲に刺激を与え、思わず腹がなりそうになった。
︎︎俺は大皿を奉太郎が既に待機している食卓まで運んだ。俺たちは向かい合うように座り、ちょうどその真ん中に大皿を置く。
「へいお待ち」
「わざわざすまんな、腹減った〜」
︎︎かく言う俺も腹が減って仕方がなかった。いつもなら既に夕食を済ませている時間だ。
︎︎白米と生姜焼きの湯気がまじり合い、俺たちの食欲がさらに加速する。もう待ちきれないというように、俺たちは言った。
「「いただきます」」
︎︎俺は早速大皿の生姜焼きに橋を伸ばす。
︎︎しかし肉を掴むと、その箸が滑った。
「おっと」
︎︎そんなバカらしい声と同時に、箸から滑った肉はテーブルの上に落ちた。
︎︎いや、詳しく言えば、
「あっ」
︎︎奉太郎があまり声を挙げなかったのは、手紙の上に肉が落ちたと言っても、俺が直ぐにそれを拾い上げ、気にならない程度の油のシミで済んだからだった。
︎︎しかし……
「ハル、お前、気をつけろ……うぉあァァァァァァ!!……ァァァ」
︎︎突然奉太郎が、驚きと絶望が混じりあった大声をあげたのだ!!!
︎︎な、なんだ!!こいつってこんなでかい声出んのか!?!?
「ハル!!お前、なんてことをしてくれる!!」
「わ、悪かったって!!そんな怒ることないだろ!?」
「そりゃあ怒らないさ!
︎︎はぁ?ただの手紙ぃ?
︎︎可愛らしい封筒に入っていたので、国や市から送られてくるものでは無いと分かっていた俺は、バカバカしいというようにその封筒を見た。
︎︎しかし、それを見た途端、俺の顔は青ざめた。
︎︎《
「うぉあァァァァァァ!!……ァァァ」
︎︎奉太郎と同じ情けない叫び声を上げた。
︎︎と、供恵さん宛の手紙だとぉぉ!!!
︎︎もし汚したことがバレたら、どんな事をされるか分かったものじゃない。俺は頭を抱え、未だに俺を睨みつける奉太郎を睨み返した。
「おい!なんでこれがあるって分かって、机の上からどかさなかった!」
「俺のせいにする気か!それは責任転嫁だぞ!お前の箸が滑ることなど知るか!」
「じゃあお互い様ってことにしようぜ」
「アホか!このままお前が汚した手紙を置いていったら、俺が確実に疑われる。お前から姉貴に説明しろ!」
「てんめぇ!!せっかく俺が妥協案を出したのにそれを却下する気か!!」
︎︎プルルルルルル……
「「む!?」」
︎︎突如として俺のポケットに入っていた携帯電話が音を立てた。
︎︎時刻を見ると七時半を回ろうとしている。おのれ、こんな夕飯時に電話をかけてくるなんて、一体どこの馬の骨だ。
︎︎俺は携帯をポケットから取り出すと、着信画面を見る。
︎︎着信 福部里志
︎︎里志か……、なんだこんな時間に。
︎︎俺は電話に出ると、聞き慣れた声が携帯を通して聞こえた。
『やぁやぁ!今頃二人で夕食でも食べてる頃だと思ってね』
「なんの用だよ里志。今は緊急事態なんだ。奉太郎が供恵さん宛の手紙を汚して、どう隠蔽するか悩んでる」
「汚したのはお前だろ!」
『待って、なんだって!?供恵さん宛の手紙を汚した!?なんて罰当たりな事をしているのさ!!』
︎︎いつものように、驚いているのか、それとも嘲笑しているのか、大袈裟な声が聞こえた。
︎︎そして付け足すように、奉太郎が言う。
「要件があるなら早くしろ。生姜焼きが冷める」
『生姜焼きが!?事件じゃないか!』
︎︎そうだ事件なのだ。
『まぁ、君たちが奉太郎の家で二人で居るから電話したんだよ。ちょっと夜の散歩に誘おうと思ってね』
「夜の散歩ォ?」
︎︎奉太郎や里志と、夜の街を歩いたことはある。
︎︎去年の十二月、俺達は《月夜の背教団》という組織と対峙した。連中は完全下校がすぎた校内に忍び込み、教師陣を翻弄させていた。
︎︎事件が起きた当時、ひょんな事から俺達三人は完全下校が過ぎた学校に訪れる機会があったので、共に夜の神山を歩いたのだ。その時も、ちょうどこれくらいの時間だった気がする。
︎︎『どうする?』と、奉太郎にアイコンタクトを送った。俺は夕飯を食い終わったら帰るけど。
︎︎奉太郎は時計をチラッと見たあと、言った。
「八時頃なら家から出られるぞ」
『いいね、待ち合わせ場所は……』
「赤橋にするか」
『僕らの家の中間地点か……そうしよう』
︎︎赤橋、という橋の名前は聞いた事がないな。
︎︎もう神山に引っ越してきて一年以上経つからある程度地名は覚えたはずだったが、十七年間ここで暮らしてきた二人に比べちゃ、俺もまだまだというわけか。
『じゃあまた後で。供恵さん宛の手紙の事はお気の毒に。僕がその場にいなくてよかった』
「随分と他人事だな。ここに居ないお前の所業にしてもいいんだぞ」
『だって他人事だもん。別に構わないけど、供恵さんにそんな嘘は通用しないよ』
︎︎そう言って、里志は電話を切った。
︎︎俺と奉太郎は顔を見合わせる。
︎︎俺は汚れた手紙を取ると、手紙の中身だけを取り出し、それを食卓とは別の机の上に置いた。空になった封筒を丸め、俺は自分のポケットにそれを突っ込んだ。俺が封筒を持って帰れば証拠隠滅だ。
︎︎奉太郎は『バレても知らんぞ』とつぶやき、俺達は食卓に座り直した。
︎︎生姜焼きからはもう湯気は出ていなかったが、表面の肉を橋で取ると、その下に埋もれていた肉の湯気が、再び立ち込めてきた。
︎︎━━━━━━━━━━━━━━━
︎︎やはり俺は、赤橋という場所を知らなかった。
︎︎奉太郎に連れられ夜の街を歩いていると、いつの間にか知らない道を右往左往し、名前の通り赤く塗られた橋に到着した。
︎︎そして街灯に照らされた橋の奥から、やつが出てきた。
「やぁやぁ」
「おう」
︎︎奉太郎が短く答え、俺は軽く手を挙げた。
「なんだい奉太郎その反応は、愛想ってもんがないよ」
「黙れ里志、それで、何の用だ」
「まぁ歩こうか」
︎︎そう言って里志は赤橋を渡り、川沿いの小路に入っていく。
︎︎赤橋の水量は多く、ごぉっと音を立てている。六月の夜の風は生ぬるく、気持ちのいいものでは無い。洋服の下の肌から、べっとりした汗が滲み出始めた。
︎︎俺達は三人並んで歩く。川側から、俺、里志、奉太郎の順番だった。時折赤いのれんが垂れた居酒屋が提灯で照らされており、仕事終わりのサラリーマンの笑い声がかすかに聞こえてくる。民家には少し早い風鈴が飾られている所もあり、俺たち以外の人の気配などない道を彩っていた。
「それで、一体何の用なんだよ里志」
︎︎俺が言うと、里志は呆れたとでも言わん顔をした。
「なんだい君達は揃いも揃って、僕が君たちをただの夜の散歩に誘ったとは思わないのかい?」
「面白いジョークだ。思わんな」
︎︎奉太郎が言うと、「やれやれ」と首をすくめて見せた。
︎︎そして、少し遠慮しがちな声を里志はあげた。
「まぁ、その、実は少し問題が起きてね」
︎︎ふむ。
「君たちが厄介事を好まないのは知ってる。これでも長い付き合いだからね。今回は千反田さんも関わってないし、君たちに依頼するのも忍びないと思ったんだけど」
︎︎どうして千反田が関わっているかそうでないかで判断するんだ……。
︎︎俺は川に目線を向けながら言った。
「まぁ話せよ。相談するなら明日の学校でだって構わないのに、わざわざこんな時間に呼び出してるんだ。明日じゃ間に合わないくらい、緊急事態なんだろ?」
「どうせ俺の家にいても洗い物しかすることもないしな」
︎︎奉太郎もそう言ったので、里志は目をぱちくりさせた。
「今日、《生徒会長選挙》があったろう?」
「あったな」
︎︎帰りのホームルーム終了後、各クラスで投票時間が割り当てられた。
︎︎選挙管理委員が投票箱を持って教卓に立ち、事前に配られた紙に候補者のどちら一方の名前を書くか、白紙かを選んで、二つ折りにして投票箱に入れる、ごくシンプルな方法だった。
︎︎前会長の陸山が任期を終了したのも知っていた。そういや、文化祭の時といい、クリスマスパーティーの時といい、あの人には何度も世話になったな。
「まぁ流石に覚えてるよね、君たちも投票者だったわけだし。候補者の名前は覚えているかい?」
「あぁ、
︎︎見ると、奉太郎は苦い顔をしていた。こいつ……
「おい、まさかお前、候補者の名前も覚えてないなんて言わないよな?」
「まぁ……覚えてなくても投票出来れば問題ないだろ」
「相変わらずの省エネ主義だな。あんなに選挙活動してた候補者の二人が泣くぜ」
「でも、ホータローが覚えてないのも、無理は無いと思うよ。省エネ主義を鑑みないでもだ」
︎︎里志が言った。なんだって?
「うちは部活動は盛んだけど、生徒会はそこまででもないんだ。むしろ、ハルが覚えてた事の方が驚きだよ」
︎︎こいつ、俺をなんだと思ってるんだ……。
「各クラス内での投票時間が終わったあとは開票の時間だ。クラス全員の投票が終わったら、選挙管理委員は投票箱を持って会議室に向かう。そこで開票作業をおこなうんだよ。神山高校の校則では、生徒会長選挙の開票には選挙管理委員以外に、二人の外部の立会人が必要になる。昔は立会人も立候補制だったらしいけど、時間の無駄だったのかな。今では正副の総務委員がやることになってる」
「で?どこに問題があったんだ?」
︎︎里志の話の腰を折るように、奉太郎が聞いた。
「全く、もう少し手短に終わらせたいのは分かるけど、せわしないんじゃないかい?……問題が起きたのは、その開票だよ」
︎︎二人の候補者の票数を確かめるだけの作業に問題?
「現在、神山高校の総生徒数は、千四十九人だ」
︎︎各クラスが四十人前後で、各学年八クラスほどあるので、妥当な数字だ。
「それで今日の開票、投票数は、
︎︎へぇ、素晴らしいじゃないか。
︎︎まてよ……
「なんで?」
︎︎奉太郎が素っ頓狂な声を上げた。
︎︎その通りだ。選挙では
︎︎里志は夜空を仰いだ。
「そうなんだよ!何度数えても数が合わなかった。けど幸いだったのは、当選者ともう一方の候補者の票数の差が、百票以上離れてた事さ!どうやって増えたか分からない謎の投票の全てが白紙でも、もう一方の候補者でも、当選者が変わることは無い。でも、不正票が混入した事実は変わらないから、生徒会長選挙はもう一度行われることになった。けど……」
︎︎里志が言う前に、俺がつけ加えた。
「つまり、どこかのタイミングで四十票近く票数を増やした奴……いわゆる《犯人》がいる訳だ。神高の選挙には穴がある。それを見つけない限り、再選挙をやっても、また犯人が不正をする可能性があるし、仮に今回みたいな分かりやすい不正がなくても、どこかで不正が働いてたんじゃないかって疑心暗鬼になるわけだ」
「ああ、それは実に忍びない」
︎︎つまり里志は、俺と奉太郎にその選挙の穴というやつを見つけろと言っているのか。
︎︎
「投票用紙、確かあれには選挙管理委員のハンコが押してあったろ?」
︎︎奉太郎が言った。
「余計なことは覚えてるな」
「ハル、聞こえてるぞ」
︎︎やべ。
「全く……つまり俺が言いたいのはだな、その約四十票近くあった不正票にはハンコが押されてなかったんじゃないか?」
「なんでだ?」
︎︎俺が聞くと、奉太郎はため息をついた。
︎︎ダルそうにすんな。
「投票用紙は選挙管理委員しか作れない。ハンコを管理しているのは選挙管理委員だろ?」
︎︎そうか。犯人が不正に使う投票用紙を作るためには、ただ紙を切ればいいというものでも無い。投票用紙に選挙管理委員のハンコを押す必要がある。紙を作るのは容易だろうが、選挙管理委員が管理するハンコを手に入れることは出来ないから、ハンコが押されていない用紙こそが不不正票になる。
「ホータロー、それは違うよ」
「そうか、違ったか」
︎︎里志の否定に、奉太郎はあまり驚かなかった。
「管理がずさんなんだよ。選挙管理委員の名前が聞いて呆れる。選挙管理委員の活動場所は会議室なんだけど、ハンコは机の上に出しっぱなしなんだ。誰でも投票用紙の偽装は可能だよ。それに、そんなのが理由ならわざわざ君たちに頼みに来ないよ」
︎︎奉太郎のやつ、早く終わらせたいから適当な推理をしやがったな……はは……。
︎︎しかし……
「なんだい?」
︎︎里志は自分を見つめる俺に首を傾けた。
「わかんねーな」
「なにがだい?」
「お前は言ったよな。俺たちに謎解きを頼むのは忍びないと。その、なんだ、千反田が関わってないのにって」
「言ったね」
「でも別にお前もこの謎解きに関わる必要も無いだろ。《総務委員会》のくせに」
︎︎これは生徒会長選挙、ひいては選挙管理委員会の問題だ。いくら立ち会いに正副の総務委員長が関わってるとはいえ、これは里志にとって管轄外の問題だ。
「それとも、この問題もジョークの一興ってわけか?選挙においての穴を見つけて、これからの選挙の平和を維持したいって理由も分からなくはねーけど、何かほかにもっと、理由があるんじゃないか?」
︎︎里志はこちらを見向きもしない。暗い夜道を歩きながら、いつもの如く首をすくめて見せた。
「さすがに鋭いね」
︎︎ったく、やっぱり何かあるじゃねーか。
︎︎この福部里志という男は、大事なことを隠したがる。
︎︎隣を見ると、奉太郎も訝しげな表情を浮かべていた。
「まぁなんていうのかな。実は……選挙管理委員の間では、もう犯人の目星が付いているんだ」
︎︎ほう。
「でもまぁ、その目を付けられてる人が本当に犯人と断定出来るのなら、君たちには相談しないよね」
「違うのか?」
「違う……、とは言えない。でも、犯人と断定するには状況証拠が少なすぎる。犯人だと目星を付けられたのは、一年E組の選挙管理委員の子だ。いい子だと思うよ。仕事が出来るかって言われたらそうじゃないけど、少なくとも、そうしようと努力はしてた。背が低かったな。中学生みたいだった」
「そいつが犯人じゃないとお前が思っている理由を聞こうか」
︎︎奉太郎が言うので、里志は頷いた。
「クラスでの投票が終わったあと、選挙管理委員は投票用紙が入った投票箱を持って、会議室に戻ってくるっていったろ?そして、
「それの何が問題なんだ?手順は間違ってるけど、別に何人かの選挙管理委員はその場にいたんだろ?誰かの目があるなら、問題ないはずだ」
︎︎俺がそう言うと、里志は処置なしとでも言いたげに夜空を仰いだ。
︎︎星がチラチラと見える。
「そうだろ?僕もそこまで問題じゃないと思う。実際、何人かの目はその場にあったんだ。でも、実際手順を間違えたのは、その時だけだった。それに……」
「それに?」
「選挙管理委員長が、ちょっとめんどくさい人なんだよ」
︎︎めんどくさい人?俺が首を傾げると、里志は薄く笑った。
「ハル、君のクラスの選挙管理委員だよ」
「ああ……あいつか」
︎︎知っていた。今日のクラス内の選挙でやけに偉そうにしていたアイツだ。
「どんなやつなんだ?」
︎︎奉太郎が聞くので、俺は答える。
「里志の言う通り、めんどくせー奴だよ。普通に作業してる奴に、『モタモタするな』って文句を垂れる。口癖は『人に聞くな。自分で判断しろ』と『俺に聞け。勝手に判断するな』だ。選挙の時間にトイレに行ってた天津が文句を言われて、殴りかかりそうになってたから止めるのが大変だったぜ……はは……」
「そうか、里志が最も苦手とするタイプだな。天津に殴らせればよかった」
「バカ言うな」
「まぁ、そういう人なんだ。だから、開票手順を一人だけ間違えたE組くんが犯人だと委員長によって仕立てあげられた。不正票を紛れさせるタイミングはそこしかないってね」
︎︎いつもの気持ち悪い笑顔から、里志の顔が変わる。
「酷いもんだよ。戻ってきた選挙管理委員全員の前で罵詈雑言を浴びせて、とても見聞き出来るものじゃなかった。……その一年は、泣いてたよ」
︎︎この福部里志という男は、優しい訳じゃない。
︎︎ただ、きっと、正義感というものはある。他のみんなが気にならないことにも眉をひそめるし、約束だって破りはしない。
︎︎里志は、選挙管理維持の為に犯人を見つけて欲しいんじゃない。
︎︎泣かされた名前も知らない一年生の為、四十票も増えた不正票の出処を推理し、選挙管理委員長に一泡吹かせたいのだ。
︎︎そしてその為、俺と奉太郎を使った。
︎︎俺の頭の中には、委員会活動を自分の出来る範囲で一生懸命おこない、その結果のミスで罵詈雑言を浴びせられる一年生の姿が見えた。
︎︎誰もが同情をしながらも、自分には関係ないという顔をしている中、バツの悪い顔をして、一人拳を握りしめる里志の姿もだ。
︎︎はぁ……、俺は一度目を瞑る。そして、目を開ける。
︎︎奉太郎も黙っていたが、少しだけ腹が立っているようだった。
︎︎今なら、さっきよりも頭が回る気がした。
「「仕方ない。もう少し、ちゃんと考えてみるか」」
︎︎
︎︎俺たちは歩調を変えず、また夜の街を歩き出した。