ある長く続く冬季の一日、南極に多数設けられている観測基地の一つであるスフィア観測基地周辺は地吹雪に包まれていた。
昨日まで零下20度前後で推移していた外気温は一気に零下40度以下にまで落ち込み、風速は20メートル毎秒を越えて十数時間にわたって吹きすさび続けていた。既に基地ではB級ブリザード警報が発令されており、このままA級ブリザードにまで発展するだろうとの見込みさえも出てくる程の大荒れの天気であった。
そんな外へ出ることがどう控えめに言っても積極的な自殺そのものであるこの気象の下で、英国企業であり、この観測基地の事実上の支配者であるBFF――バーナード・アンド・フェリックス財団――と、カナダの新興エネルギー企業のレイレナードのオペレーター達が急遽施設内に設営された管制室に詰め込み、外部の様子を窺っていた。
BFFの社章を象ったピンバッチを左胸につけている白髪に皮膚の皺が目立つ初老の男が時計を頻りに確認していた。時刻は現地時間で14時を迎えようとしており、彼はまさにその時が来ることを待ちわびていた。
『メアリーよ。こちらの準備は終わったわ』
『レイ・アーサー・エリス。準備完了した』
通信を介して二人の別々の声が聞こえてくる。
最初に聞こえた方はメアリー・シェリー。BFF製の第二世代IS、047INに適合することが認められたBFFお抱えのテストISドライバーである。ISドライバーは女性しかなれない、という世間一般の常識に違わず彼女は若い女性であり、通称である女帝の名に違わずに高飛車で他者を圧倒し、侮蔑し、罵倒する傾向こそあったものの、高い遠距離戦闘技能の持ち主としてBFF製ISの開発方針を決定づけた女傑であった。
一方でレイ・アーサー・エリスを名乗った二人目の方は問題だった。まだ幼く判別しづらいが、その声は明らかに男子のそれであった。それは男性はISを動かすことが出来ないという世間と政界、そしてインテリジェンス・コミュニティの常識へと真っ向から喧嘩を売りつける事実であり、彼の所属するレイレナード、そして、彼らの加盟する企業連合の最重要機密の一つであった。
二人の準備完了の通信から待つこと数分、時計の針は14時丁度を指した。
「開始だ」
初老の男がそう言うのと、外部を捉えている高繊細赤外線センサーが辛うじて一筋の閃光を捉えたのはどちらが早かったか。もっとも、それを気にしているオペレーターはここには居なかったが。
強烈な地吹雪のために非常に強いノイズまみれの映像しか寄越してこない高繊細赤外線カメラを唯一の便りとして室内に詰めかけているオペレーター達は状況を判断しようと考えていたが、すぐに彼らはそれを諦めることにした。カメラの映像を映し出すモニターは、時折閃光が左から右へと飛んでいくのを捉えるだけで役に立たなかった。強いて言えば、今のところ超遠距離狙撃戦に特化したメアリーが一方的にレイを殴りつけていることだけが推察された。
「クズね」
ハイパーセンサーが捉える僅かな敵影と、長距離レーダーによる補正に自らの経験と勘による修正を加え、BFFご自慢の長射程狙撃ライフルである050INSRによる長射程狙撃を繰り出していた。その魔弾は確実に相手の絶対防護膜を貫通し、実装甲を抉っているはずであったが、この悪視界の中では長距離戦に特化された彼女の機体と言えども弾着を確認するのが精々であり、実際の問題として有効な攻撃となっっているかは神のみぞ知るであった。
だが彼女は確信していた。自らがこの戦闘の勝利者になると。自らの狙撃戦が、中近距離での高速機動射撃戦を趣旨とするレイレナードのコンセプトを打ち破pることが出来ると。その自身は彼女の表情にも顕れていた。
自らの筋書き通りに進む戦闘は彼女に明らかな勝利への確信をもたらし、相手がいる方向を蔑む様に半目で望み、あたるはずのない稚拙な反撃のたびに鼻で笑う。
「流石に女帝の狙撃戦は凄いな」
しかし一方で、吹雪の先の白に紛れ込み機会を伺うレイの方はその言葉とは対照的に余裕の笑みを浮かべていた。
実際のところは彼の余裕とは裏腹に、メアリーの狙撃はこの視界不良と、暴風による弾道への影響を考慮してなおクリティカルにレイの乗る機体を捉えており、コジマ粒子の安定還流で形成される絶対防護膜、プライマルアーマーを確実に貫通し、実装甲を抉り、シールドエネルギーを削っている。
『隠れてないで出て来たらどうかしら』
「そうだな」
一際強い風が吹くのを待って彼は丘の影から舞出る。
『無様な結末を晒しなさい』
好機とばかりに彼女は狙いをつけ、放つ。それは悪魔に魂を売り払ったような正確さで彼の回避機動を嘲り笑い、バイタルパートへと命中させていく。並行回避機動はそれが行われる前に射線が修正され、むしろ放たれたタングステンの矢に自らあたりにいくかのように第三者からは見えた。
だがそれも彼が短距離オーバードブーストと連続二段クイックブーストを組み合わせるまでだった。機動量が修正を上回り、翼安定徹甲弾は当然ながら本体よりも大きな目標である絶対防御膜すらも僅かに外れたポイントを虚しく通り過ぎ去っていく。それは榴弾ではなく、榴散弾でもなく、また徹甲榴弾ですらない、純粋な徹甲弾にすぎないBFFスナイパーライフルの砲弾にとっては一切ダメージを与えられないと言う事であった。
「雑種が……無駄な抵抗を」
「どっちが雑種か。思い知ってもらおう」
メアリーは悔しさに顔を歪め、怨嗟を口にする。その声は歪み、スピーカーを通してなお魔術的な色彩を帯びて人を殺せそうな程の怨念が篭っていた。
視界不良すらも無意味にする程に肉薄し、彼は背面装備のグレネードランチャーを展開し、前進から後進へと急激に速度ベクトルを変え、撃ち放った。そのまま結果すら見ずにクイックブーストで右周りに滑走しながら両手に持つアサルトライフルとライフルの弾丸を撃ち込んでいく。
「くっ」
「終わりだ」
二発目のグレネードが放たれた。発砲炎は空を赤く染め上げ、衝撃波は地吹雪に抗って雪を吹き飛ばし、音圧は鼓膜を引裂かんばかりに自らの存在を主張する。
彼女を護る絶対防護膜は既に存在せず、榴弾は彼女の柔肌へと突き刺さった。
網膜に取り付く総てのニューロンを発火させるかの如し強烈な閃光が起こる。爆圧によって再び吹雪は押し切られ、雪は四方へと舞い散る。そして幻想的な白煙へとその相貌を変えながら、彼女のシールドエネルギーをゼロへと削りきった。
『模擬戦終了。両者帰還せよ』
「了解」
気を失ったのか動かなくなったメアリーを抱えながら、レイは一路スフィア施設へと戻っていった。その肌を撫でる冷風は徐々に落ち着きを取り戻し、近いうちに吹雪が終わるだろう事を期待させた。
そして戦術管制室では、BFFの初老の男が誰に聴かせるわけでも無く呟いた。
――やはり前衛は必要か。
と。
◆ ◆ ◆ ◆
『当機は最終着陸態勢に入りました。シートベルト着用をもう一度お確かめになり、座席のリクライニングは元の位置にお戻しください』
機内アナウンスがそう告げたのはファーストクラスの一角でカナダ空軍の紺色の制服を身に纏った少年が文庫本から顔を上げ、喉の渇きを癒そうとペットボトルへと口をつけたのと殆ど同時だった。
スポーツドリンクを一口飲んだ彼の顔は、白人という事を考慮してなお病的なまでに白さを感じさせた。焦点を合わせること無く視線をただ揺らしている瞳もまた、常人に在らざる色である朱に染まっており、そして仄かに揺れる髪は傷みきり、そして何よりも、白に染まっていた。その常世に在らざる雰囲気と、彼の側に座る軍服の上からも隠すことの出来無い鍛え上げられた肉体を有する厳しい顔つきをしたスキンヘッドの男の存在とが合わさって人々の注目を惹きつけつつも逸らす事に成功させていた。
彼は窓の外へと視線を向ける。その瞳には、解放への歓喜と、新しい環境への期待感が入り混じっていた。遥かカナダはトロント国際空港から東京国際空港まで空路で12時間、途中で何時間か寝たりしたものの、また、エコノミーに比べれば遥かにマシではあるものの、自由に動き回ることが難しい座席に半ば縛り付けられ、単調なジェットエンジンの騒音をBGMに過ごすことは彼にとって堪えるものでしか無かった。それが終わることは彼にとって、そして、他の乗客にとっても歓迎に値することだった。
眼下にはこの国、日本の首都である東京が広がっていた。日本で最も高い建造物となった第二新東京電波塔が視界を流れ、世界で最も複雑な都市の一つが創りだすネオンサインと、ビルの窓から漏れる灯り、点滅を繰り返す航空障害灯、そして道路を行き交う車列のヘッドライトが織り為す、満天の星界をそのまま地上へと現出させたかのような夜景が延々と、その視界の遥か先にまで続いている。
「綺麗な夜景だ」
彼がそう言ってから視線を前に戻すのと、着陸の衝撃で機体が揺れたのはほぼ同時だった。スラストリバーサーによってエンジン音が膨れ上がり、彼は座席の背もたれにその身体を押し付けられる。
彼は日本へと到着した。
『当機はただいま東京国際空港に着陸いたしました。安全のためベルト着用のサインが消えるまで座席にお座りのままでお待ち下さい』
誘導路をタキシングし、指定スポットへと辿り着くまでの短くも長い退屈な間が訪れる。その間にペットボトルのキャップを締め、読んでいた文庫本を座席のポケットから取り出し、足元からヌメ革のアタッシェケースを取り出すとそれに入れ、代わりに制帽を取り出して機体が完全に止るのを待つ。
『皆様、本日は有澤航空をご利用くださいまして誠に有難う御座いました。お出口は前方と中央の2箇所でございます。皆様にまたお会いできる日を客室乗務員一同心よりお待ちしております』
機体が止まり、シートベルト着用のサインが消え、アナウンスが流れるのを待って彼は立ち上がり、制帽を深く被る。周囲の乗客が見守る中、彼はアタッシェケース片手に何事も無いかのようにボーディングブリッジへと向かい、男がそれに続いた。
ボーディングブリッジを抜け、入国審査で胡散臭そうにパスポートと顔を往復され、そして荷物を受け取る間も彼らは注目されっぱなしだった。
だが、到着ロビーでは彼らに注目する人は居なかった。誰もがゲートの真ん前で腕を組み、仁王立ちする一人の女性に目を奪われていた。
きっちりとスーツを着こみ、深緑にも見える長い黒髪を一本結びにした彼女は搭乗口を通り抜けてくる一人一人に目を通し、誰かを探しているようだった。それだけならば別段誰も何も問題にせずにそのまま通り抜けて自らの次の目的地へと向かっていっただろう。しかし、彼女の素性がこの際は問題だった。
織斑千冬。
おそらく、現在日本で――いや、世界で最も有名な女性の一人であり、女子学生やISに関わることを志す者たちにとっては憧れの的以上の存在である彼女が何故ここに居るのか、それを人々は不思議がっており、搭乗口を通り抜けてもすぐには立ち去らず、彼女が誰を探しているのか、その結末を探り当てようと遠巻きに眺めていた。
そこに軍服の二人組が到着ゲートを通り抜けた。男の方が織斑千冬に気づくと、彼は少年の肩を叩いてそのことを知らせる。少年は男の方へと視線を向ける過程で織斑千冬に気づき、近づいていった。
二人が相対し、野次馬たちは興味津々にその様子を眺める。本来なら業務に従事しているべきである従業員達も興味の視線を彼らへと向けている。
「織斑先生ですか?」
「あぁ。レイ・エリスだな?」
「はい」
彼は織斑千冬のその問いにそう答えると、身分証として軍のIDカードを提示する。彼女はそれを受け取り、不審そうに眺め、ついで予めカナダ大使館から提出されていた書類と見比べる。
「確認した。IS学園はお前を歓迎する」
彼女のその言葉に、今までただ無言でその場の成り行きを見守っていた人々が騒然となった。IS学園。それは、ISドライバーの育成を目的とした世界唯一の特別教育機関であり、ISは女性にしか扱えないために原則として女子学生のみが入学を許可されている。
だがしかし、織斑千冬と相対してる少年は幼さこそ残っているものの間違いなく少年であった。
「あ、もしかしてカナダの!」
誰かがそう言った。それは消去法によるものだったが、間違いなく正解だった。
世界初の男性ISドライバーとなった織斑一夏の発見の数日後、世界は時として奇跡はバーゲンセールされているかのように連続して発生することを知った。それが、カナダ軍による二人目の男性ISドライバー、レイ・アーサー・エリスの発見だった。一つ問題点があったとすれば、カナダ軍は彼の情報を徹底的に隠蔽する方向で動いた事である。オーメルによる専用機の供与契約こそ公表されたものの、それ以外に関してはIS学園入学後に公表するという条件付けで秘匿されており、それが二人目の存在に疑念を抱かせる事となっていた。
だが、それはヴェイパーではなかった。
場は一気に沸き立った。誰もが奇跡との遭遇に、漠然として不定形の存在でしかなかった二人目の男性ISドライバーとの遭遇に歓喜し、ある者はカメラで写真を取ろうとしていた。最も、意図した像を撮影したものは一つもなかったが。
――あれ?
疑問符が随所で浮き上がるが、それに気にすることなくレイは後ろに控える男に目配せすると、再び織斑千冬の方を見てあくまでも事務的な態度を崩さずに告げた。
「車は我々の方で用意できますがいかがしますか?」
「学園の方で手配している。学園島に直接向かうならこちらのを使って欲しい」
「判りました。そうしましょう」
モーセがかつて紅海を割ったように人々の波を割りながら三人は到着ロビーを抜け、IS学園が有するのだろう黒塗りの高級車へと辿り着く。
「それでは私はこれで」
「あぁ。大使館の方にはよろしく頼む」
「もちろんです」
男はそう言うと敬礼をし、レイがそれに返すと立ち去っていった。
レイは古臭く感じる革製のスーツケースをドライバーに渡し、彼女がそれをトランクへと格納するのを見ながら後部座席へと入り、織斑千冬の側へと収まった。そして車は発進し、空港から去っていった。
一人の少年の、一つの物語が始まった。
新しい学校、新しい国、新しく特殊な環境。それらが織り成す小さな小さな物語の行方は誰も未だ知らない。