奇跡は時として大安売りされる時がある。それを世界中の人々が知ったのは、世界初の男性ISドライバー、織斑一夏が発見された三日後のことだった。
カナダ統合軍が織斑一夏発見直後から開始していた男性ISドライバー発見テストにおいて一人の少年がISを動かせることが確認された。カナダ政府はすぐさまに彼のカナダ国家代表候補生待遇を発表し、翌日にはオーメル・サイエンス・テクノロジー・カナダがオーメル本社の技術協力の下で専用ISを供与することが付け加えられ、瞬く間に世界中へと拡散された。
だが、奇妙なことにカナダ政府は二人目の情報を一切公表しようとしなかった。これは疑惑を巻き起こした。特に、奇跡は起こらないからこそ奇跡であると信じる人々は、このカナダの発表を彼らが功を焦り、魂を堕落させ、実際には存在しない二人目の男性ISドライバーをでっち上げたのだ、と。この騒動は当局がIS学園の新学期開始後に詳細発表を行うとしたことでくすぶり続けながらも一応の終息を見せた。
その騒動の脇で二人目の男性ISドライバー発見の報は一人の少年にとっては仲間が居るという安心感を与えていた。そう、織斑一夏にとって、不安ばかりが増幅されていた事実上の女子校での学園生活にたった一人とは言え、同性の人間が来る、というのは藁よりも確実で、安心できる浮き輪だった。
しかし、それは裏切られたのかもしれない。そう彼は考え始めていた。もしかしたら、各国で噂されていたようにカナダの男性ISドライバーは偽りの存在、蒸気のように吹き飛んでしまうような存在だったのかもしれない、と。
彼がそう思案するようになったのは、彼の右隣が未だに空席だったからだった。座席表を一夏が何度確認してもその席には二人目、としか書いていなかった。
二人目。そうわざわざ記載するのは、一切の情報が蒼褪めた機密のヴェールの裏側に隠された存在であるカナダの男性ISドライバーの名前が未だに明かされないためだろうと一夏は考えていた。いや、一夏にかぎらずクラス中がそう考えていた。
だが、既にショートホームルームの開始まで僅かな時間しか残していないというのに、未だに誰もその席には着こうとしていなかった。
「遅刻か? それにしてもこれはキツイ……」
教室中の女子生徒の視線が自らの背中に突き刺さっているのが容易に判り、彼は気分を鬱々とさせていた。このような状況に遭遇した経験のない彼にとってこの重圧は余りにも重かった。いや、そもそもこんな状況に遭遇するなんて女装させられてお嬢様学校にいれられるような奇跡でも経なければ到底無理なことなので経験がある方がおかしいのだが。
「織斑一夏君」
「は、はいっ」
「お、大声出してごめんね? あのぉ、自己紹介してくれるかなぁ? だめ?」
「そんなに謝らなくても……えーっと、織斑一夏です、よろしくお願いします」
彼はそう言いながら席をたった。クラス中の視線が彼へと照射される。太陽熱発電のようにその熱線は一夏の顔で焦点を結び、彼の頭を焼き、相変わらず注目されることに慣れていない彼の思考を焼き切り、より一層焦燥させる。
その果てに何を考えついたのか、彼は深呼吸をすると力強く言い切った。
「以上です!」
その大声は、打撃音で上書きされた。入室した織斑先生が一夏の頭にげんこつを落としたせいだった。その後、一夏と織斑先生との間で漫才にも似た掛け合いが行われ、次いでクラス担任が彼女であることが明かされると黄色い叫びが洪水のように教室を覆う。
それをレイは一人で教室のドアの前に立ちながら聞いていた。いや、聞いていたと言って良いかどうかの判断はいささか悩ましい所だった。ただ一つ確かなのは、彼がシワ一つ動かさずに閉じられたドアの上辺を眺めているという事だけだった。
彼が予め教室には居らず、ここに居るのには理由があった。カナダ政府――少なくとも表向きはそうだ――の方針によって徹底的な情報統制下にあったレイは、正式な入学届けをIS学園に提出していなかった。昨晩のIS学園への到着はあまりにも遅く、故に今朝になって各種書類の提出やら手続きやらを行わなくてはならず、今の今まで事務室へと足止めされていたのだった。
――転校生よろしく紹介するから待っていろ。
それに付き添っていた織斑先生が罰ゲームと言わんばかりにそう言い、故に彼は彼女と一緒に教室に入ること無く、ただ立っているだけの暇な時間を過ごす羽目になっていた。
「入れ」
織斑先生の合図があったのは、叫び声が止んで少し経った頃だった。壁一枚隔てられているにもかかわらず、レイはクラス中の視線が目の前に立ちはだかる木製の扉に集束しているのが容易に想像でき、小さくため息を漏らす。
「はい」
決心して彼はドアを開け、一歩教室へと踏み入れる。予想通りに全ての視線が彼の顔を射抜き、一度たじろぐがそのまま澄まし顔で教卓の側まで歩み寄り、クラスと対面する。くれないの瞳が彼女らを捉え、彼女らもまた同じくその瞳を捉える。片方の視線は冷気を帯び、もう片方の凝集光は熱気を帯びてぶつかる。
一通り眺めると、彼は一度目を閉じてから深呼吸をし、口を開いた。
「レイ・エリスです。至らない点も多いとは思いますが、宜しくお願いします」
彼が会釈する間誰もが何かを口にするわけでもなく、ただクラスは一瞬の静寂に包まれていた。その視線は神秘性を醸しだす組み合わせの瞳と髪の色に意識を囚われ、石化したかのように動かなかった。
「今まで情報統制のために公開されて来なかったが、彼がカナダで発見された二人目の男性ISドライバーだ」
「じ、実在したんだ」
「亡霊……じゃないよね」
「織斑君とは違うタイプ、ちょっと罵られたくなる系の」
織斑先生の補足でメデゥーサの涙が振り掛けられたかのように石化は解かれ、クラスは騒がしくなった。最初はその存在そのものに対する驚愕を、次いでその容姿と雰囲気に対する感想が矢継ぎ早に繰り出されていく。
その様に織斑先生は首を振って呆れ、渦中のレイはというと、酷い反応だ、と内心思いながらも彼にとって精一杯の爽やかそうな笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆ ◆
ホームルームが終わりを告げ、休み時間が始まった。
早々に一人目の男性ISドライバーこと織斑一夏はポニーテールの少女に連れ出されて行った。動物園の来園客よろしく1年1組に張り付いていた少女たちのうちの半数近くは彼を追って行き、残る半分は実在していた奇跡のバーゲンセールこと2人目の男性ISドライバーの見物のために残っており、教室のすぐ外の廊下は女子生徒の山で埋め尽くされていた。
向けられる有象無象の視線にレイ・エリスは密林の中で絡まってくる木々の枝のような鬱陶しさを感じていたが、それを態度に顕す事なく淡々と次の授業の準備を進めていく。
――誰か話しかけなさいよ。そう牽制が繰り返される中、金髪に縦ロール、そして蒼いカチューシャが目立つ一人の少女が彼に話しかけようと立ち上がった時、ドアが音を立てながら勢い良く開かれた。レイに集中していた視線も、音に釣られてドアの方を向く。
そこにいたのは異様に目立つ格好をした少女だった。黒い布地に白いレースを取り付けたカチューシャはまだ許容されるだろう。しかし、制服――それを制服と呼んで良いのなら、だが――は異様だった。IS学園制服の白地を黒に染め抜き、襟や袖、そして裾に白レースで装飾を施したゴシックロリータ風味のその服は、この学校という環境下にあっては異端という言葉そのものであった。
「エリス、探していました」
彼女は迷うことなくレイへと向かうと、彼の机の前に立つ。その表情は仄かに勝ち誇っているかのような気配が読み取れた。
「なんだ。ウォルコットか」
「なんだ、とは結構なお言葉ですね」
「いや、なんだ。王小龍も人が悪い。予めウォルコットも来ていることを教えてくれれば良かったのに」
「王大人はアレはアレで茶目っ気のある御方ですから」
「教えてくれれば逃げられたのに」
「今は王大人に感謝するべきなのでしょうか」
昔からの知り合いであるかのような会話に外野がざわめき始める。少女たちにとって幸いであったのは、レイから発せられるなんとも言えない雰囲気のお陰で必ずしも黒衣の少女との仲が良いとは断言できそうに無いという点であった。
しかし、ソレとは別の理由で過剰とも言える反応を見せた少女が居た。
「あなた、ウォルコット家の者ですの?」
蒼のカチューシャの少女が大股で2人の元へと近づき、エリスの机に手をつくと、ウォルコットと呼ばれた黒の少女と向き合って問い詰め始める。
ウォルコットは困ったような表情を浮かべながら、レイの方を見るが、彼もまた肩をすくめるだけだった。
「失礼。まず、自己紹介をお願いしても良いだろうか? 生憎と僕は殆どのクラスメイトの自己紹介を聞きそびれたので君の名前を知らない」
少女への評価値を一段階下げつつ、レイはにこやかな笑みを絶やさずに見目麗しい乱入者に対して自らが何者であるかを明かすよう問う。
「礼儀正しいですわね。良いことですわ。私はセシリア・オルコット、イギリスの代表候補生で入試主席ですわ」
「だ、そうだ」
その回答にウォルコットは考え込むが、自己紹介をし返すことを先に行うべきだと思い至る。
「失礼しました。私はリリウム・ウォルコットと申します」
「僕の自己紹介は要らないかな。一応しておこう。レイ・エリスだ。張り合うつもりはないが、カナダ国家代表候補生でもある」
選ばれたのは間違いなく実力のためではないけどね、と補足を加えつつ苦笑する。事実として彼がカナダの国家代表候補生に選ばれた理由の8割以上は彼が男性ISドライバーであるという事実によるものであり、残りは高度に政治的な判断と呼ばれるものによるものだった。
「それで何の用なんだ? ウォルコットの方に用事があったようだけど」
「そうでしたわ。あなた、BFFの関係者かしら?」
「はい。リリウムはBFF専属のISドライバーです」
そう言いつつ彼女は右襟に取り付けられた黒に浮かび上がるように輝くBFFの社章を象った銀色のピンバッジを誇らしげに強調する。
「良いですわ、あなた、機会があれば潰しますわよ」
「英国を代表するもの同士、どちらが強いか決めたいのですか? 生憎とリリウムにそのような趣味はありません。他をあたってください」
「なっ……違いますわ。BFFはっ……」
そこでチャイムが鳴り響いた。それが良かったのか悪かったのかはともかく、セシリアの一方的なリリウムへの敵意の表明は、理由も判然としないままにそこで中断されることとなった。
「続きは後でにしますわね」
「そうそうエリス。リリウムは三組だから」
「あぁ、近寄らないことにしておくよ」
レイは、中断されていた授業の準備を再開しながら、そう呟いた。
うーん。執筆活動なんて久しぶりすぎるので中々安定しないです。
指摘等あればよろしくお願いします。