待ち合わせ時間より二十分ほど前に着いたにも関わらず、平等橋は既に待っていた。
「悪い。ひょっとして待ち合わせ時間間違ってた?」
俺が平等橋の腕を叩くと、奴の肩がびくっと跳ねた。こいつまさか俺が来たこと気づかなかったのか? 見ると平等橋の耳にはコードレスのイヤホンが刺さっていた。
「びっくりしたー、いきなり誰かと思った」
「私以外いるわけないだろ」
今日は以前約束した土曜日だった。
折角だし朝から遊びたいということで、俺たちは朝10時に駅に待ち合わせをした。
この場合駅というと大型モールや飲食店が立ち並ぶ少し離れた都会の駅という意味だ。俺たち地元の高校生は大体ここに服を買いに来たり遊びに来たりする。
俺は人を待たせるのが嫌なタイプなので、余裕をもって家を出たのだがこいつは一体どれくらい前についていたのだろう。
「今日どうする? 何個かプラン考えてるけど聞きたい?」
「どうせ服見た後飯食って、どっかぶらぶらした後カラオケかボーリングだろ?」
平等橋はどうしてわかったとばかりに目を開いた。わざとらしい仕草だ。大体いつもそのコースじゃないか。
男の頃から俺と平等橋はちょくちょく遊ぶことがあったが、こいつの考える案は店が多少変わるだけで殆ど一緒だった。そうは言ってもこいつと遊ぶこと自体そう何度もあったわけではない。毎回似たようなコースでもそれなりに楽しかったわけだが。
「それにしてもお前あれだな、変わんねんなぁ」
「はあん?」
「いや服のことな。服」
ああそのことか。一瞬成長がないって喧嘩売られたのかと思った。
「似合ってない?」
「あー、いや、うん。似合ってるよ」
歯切れ悪く顔を逸らす平等橋。
家を出る前、姿見に映った自分を見て「俺女になっても結構似合ってんじゃん」とはしゃいでたんだが、これそんな微妙か? ちょっと自信無くす。
女になった俺だが、新しく服を買うことは今までなかった。下着とかは別とした普段の私服という意味だが。
というのも俺は男の頃から平均よりも小柄で、サイズ的な意味も含めてレディースものを買うことが結構多かったからだ。アウターもユニセックス系統が大半を占めていた。それに何よりここ最近私服を着る機会がなかったというのが最大の要因だ。
今日はちょっと服を買い足したいという目的もあった。
俺がその旨を平等橋に伝えると、午前中は俺の服選びに付き合ってくれる運びになった。
「お前なんか女物の服選ぶの手慣れてないか?」
「妹とよく買い物来るし、それに俺も結構着てたからなー」
七店くらい店を回って大体目星はつけた。
今は休憩と昼飯を兼ねて近くのカフェに入っていた。高校生にはこういう所での食事はなかなか手痛い出費だが、しばらく話すことを考えたらまあ仕方ないともいえる。
昼飯を食いながら俺たちは最近の互いの出来事を話し合っていた。クラスが一緒だといっても、俺は女になってからいつも平等橋と一緒にということはできなくなった。男女で別れる授業や班行動は勿論のこと、荒神が平等橋を追い払うので実は登校の時間を除いて俺たちが話すことはあんまりなかった。だからこうやって落ち着いてこいつと話すのは凄く久しぶりで楽しかった。
「そういや最近お前放課後何やってんの?」
それは話がある程度落ち着いたときに、唐突に投げかけられた。
「何って、何が?」
「俺もよ―わからんけど裕子の奴がお前がいねえつって発狂してたぜ。なんかやってんのか?」
発狂って荒神……
「ちょっと今美術部の子の手伝いしててさ」
「へえ、美術部ってたしか餅田美奈子がいるところか」
「餅田ってやっぱ有名なんだ」
「学校であんだけ派手に宣伝されたらさすがにな。俺も一年の時学校の廊下に飾られてたあいつの絵見て鳥肌立ったからよ」
「お前に芸術を理解する感性なんてあったんだ?」
「なんだこいつ喧嘩売ってんのか、おー?」
しばらく俺たちはくだらないことで攻防を繰り広げた。
一息つこうと注文した追加の珈琲が届いたタイミングで、「で、お前美術部でどんな手伝いしてるわけ?」と平等橋。
なんかちょっと様子が変だ。
「別に普通だよ」
「普通って?」
「普通は普通。なに、いやに食いつくじゃん?」
「そっちこそ妙にぼかしてる」
餅田は俺をモデルにしてコンクールに出すと言っていた。必要があるかはわからないが、一応コンクールに出品し終わるまでモデルであることも黙っていた方がいいと思った。
様子が変なのは平等橋だ。
口調はいつもと変わらないが、若干いら立っているようにも見える。
秘密にされて怒ったとか。
さすがにそれはないか。
「そろそろ出ようぜ」
まだ俺のカップの珈琲は半分以上残ってる。いつもだったら気づいて待ってくれるはずなのにそれがない。
まさか怒った?
一人で先に出ていこうとする平等橋を追いかけるように俺は珈琲を口に流し込んだ。舌を火傷した。くそう。
「これどうよ」
「……いいんじゃね?」
「これは?」
「あー、うん。いいと思う」
「……えと、じゃあこれは?」
「さいこーさいこー」
返事がおざなりだ。
案の定というか、午後の買い物は最悪だった。
試着して意見を求めても適当な返事しか返ってこない。どころかちょっとめんどくさそうにスマホに目を落とし始める始末。
午前中は「いいなそれ!」とか「お前じゃそれは着こなせねえよ」とか粋のいいコメントをくれたものなのだが。
原因はやっぱりあれだろうか。美術部の件。正直に話した方がよかったかなあ。
俺は誰かを怒らせるというのが苦手だ。自分が悪いと思っているときなんかは特に。
どうやって謝ったらいいかわからないし、許してもらえなかったらどうしようとか考えて何も言えなくなる。
楽しいとは正反対の気分で俺たちは店を出た。目的の服は買えたが全く嬉しいとは思えない。
平等橋と喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。前回無視された時は別だ。あの時はいろいろ想定外の事情が重なったという背景がある。でも今回はどうだろう。
隣を歩く平等橋を盗み見る。
平静を保っているように見えるが、先ほどから自分から口を開くことはない。
こいつこんなねちっこいキレ方する奴だったのかと時間が経つごとにむかむかしてくる。
一言ちょっと言ってやろう。息を吸い込んだそのとき、先に平等橋が口を開いた。
「公麿」
平等橋は立ち止まった。目線の先に俺を映していない。
「今日はもう帰ろうぜ」
「あれ、お姉ちゃんお帰り。早いじゃん……ってあれー? お姉ちゃーん?」
妹の呼びかけを無視して二階の自室に鍵をかける。
買ってきた服を机の上に置いた後、ベッドに倒れこんだ。
脳裏に映るのは苛立ったような平等橋の顔。
「なんなんだよあいつ」
突然キレて、勝手に帰りやがって。
途中までは楽しかったのだ。バカみたいにテンション上げて互いのファッションセンスを冗談交じりに貶しあって、小突き合い、じゃれ合い、小気味の良い会話のやり取り。
久しぶり、だったのだ。
「マジでなんなんだよ……」
情けない声が妹に聞こえないように、枕に顔を埋めて俺は泣いた。