「あいつまだ寝てんの?」
「フハハハハ、我がお姉ちゃんはいまだ深い眠りを」
「いやそういうのいいから。ったくあいつ何があったんだ?」
リビングから妹と兄貴の声がかすかに聞こえる。
今日は日曜日だ。休みの日は休むのが筋というものだ。
決して土曜の件を引きずってふさぎこんでいるのではない。泣いたせいで酷いことになっている顔を家族に見せたくないからでもない。
そう思ってベッドから動かずにいると、だんだん瞼が落ちてきた。
なんだ、体が疲れているのか。
だったら休もう。
だって今日は日曜日なのだから。
「ランキング?」
耳慣れないワードに俺は後ろを振り返った。平等橋を含めた数人の男子がやべっていう焦った顔をした。
「何の話?」
「あー、いや、ちょっとこっちこい公麿」
平等橋に尋ねると、奴がちょいちょいと手招きをした。なんか怪しい。
「おい綾峰混ぜたらややこしいことになるんじゃ」
「どっちみち感づかれた時点でおしまいなんだよ。だったらこっち陣営に混ぜた方がいいだろ」
ほかの男子がちょっと微妙な顔をして言うので俺ハブられてんのかなと悲しい気持ちになりかけたが、平等橋のフォローで何とか平静を保てた。ホント俺って平等橋以外友達って言える奴がいないんだなって軽く落ち込む。
平等橋は何かから隠すように俺の肩を組み、一枚のルーズリーフを広げた。
その紙にはでかでかと「二年三組かわいい女子ランキング」の文字。
「これって!」
「声がでかい!」
平等橋以下数名に口を押えられる。汗臭い。
暴れなくなった俺をそろそろと離すと、「いいか公麿」と至極真面目腐った調子で平等橋は声を潜めた。
「お前も男なら女子に興味の一つや二つあるだろ?」
ここで否定するのも変だ。頷く。
「教室の女子のだれが一番か気にならないか?」
いや別に気にならない。でもここでそう言えば白けるのは確実だ。調子を合わせておこう。
「そういう訳で誰が一番か男子の総意を決めようとしているんだ。わかってくれるな?」
そういうことか。
俺は一気に冷めた目をここにいる男子たちに向けた。
「おい正義。こいつ一気にどうでもいいって顔してやがるぞ」
「まさか女子にチクったりしないだろうな? バレたら俺たち全員ハラキリものだぞ!」
「ええい落ち着け皆のもの! こいつがこういうことに興味がないのは自明の理ではないか!」
騒ぐ男子を取りまとめる平等橋。どうもこの企画の開催者はこいつなんじゃないかという疑いが生まれた。こういう馬鹿らしいことをこいつはよくするのだ。
しかしかわいい女子ランキングねえ。
俺はルーズリーフに汚い字で書かれた一文を見てあほくせえなあと思った。
まず第一に女子をランキングする時点で失礼だ。
第二にそれをお前らがするなって思う。
そして第三にこんなことしてるこいつら相当暇なんだなってその時点で呆れる。
興味を失ったとばかりに席を立とうとすると平等橋に止められた。
「なんだよ。別にチクらないって」
「違う。お前はこのことを知ってしまった。いわば共犯者という訳だな」
「共犯者ってそんな」
「お前にはしてもらいたいことがあるんだが、聞いてくれるよな?」
馬鹿な男子共の目がギラリと不気味に光った。
俺は平等橋の馬鹿な催しごとに付き合うことが結構多い。
平等橋が巻き込んでくることが多いのだが、偶に俺の方から気になって声をかけるといつの間にか巻き込まれていたというパターンもある。その中でもやっていて面白いものと、全く面白くないものの二パターンに分かれることがある。
今回は明らかに後者だった。
「あ、あのちょっといい?」
俺は勇気を出して声を掛けた。
推定男子一番人気の女子、荒神裕子はああんとばかりに不機嫌そうに振り向いた。
「あら、クソ男子かと思ったら綾峰じゃない。どうかした?」
「俺も一応男子なんだけどな……」
気にしない気にしないと気さくに肩を叩いてきた。き、緊張するなあ。
平等橋が俺に与えた任務は、女子の情報を可能な限り入手してくるというものだった。
趣味趣向、好きな男子のタイプなど、ランキングを作る際に必要となる情報を集めて来いという無茶ぶりだ。
無理だと断ったら、平等橋だけでなく後ろの男子連中にもごねられた。
結果、数人だけならという条件でしぶしぶ了承することに決まったのだが、その数人というのが恐ろしいメンツだった。
男子嫌いで有名な眼鏡委員長、荒神裕子。
荒神の右手として数々の男子に追い打ちをかけてきた短髪巨乳、柊亜衣。
荒神の左手として柊が仕留めそこなった男子を完膚なきまでに再起不能にする貧乳ロング、楠舞衣。
このクラスの男子の人気をほぼ三分する女子にして、恐ろしいまでの男嫌いかつ変人三人衆だった。間違って声を掛けようものなら、男子の尊厳自身その他もろもろを吹き飛ばされる恐怖の男子デストロイヤーだ。正直俺も震えが止まらない。
この三人に声をかけるまでにトイレに二回足を運んだほどだ。
「で? わざわざ私たちに何か用か?」
「マロちんがやってくるってことはバッシ―のパシリかな?」
「パシリじゃないよ亜衣。愛だよ、愛。ら~ぶぅ」
きゃはははと何が楽しいのかテンションをあげる亜衣と舞衣。荒神は「まあ座りなさいよ」と空いていた自分の席の隣を示した。
男子嫌いと有名な荒神だが、クラスが一緒になって以来俺にはかなり好意的だ。恐らく俺が女顔のせいだと思うのだが、男扱いされていないという意味では素直に喜ぶことができない。亜依と舞依は荒神が俺には友好的な姿勢を示すのでそれに倣っているだけだろう。
席に着くと、じっと三つの視線が俺に集まった。う、威圧感が。
「ちょっと三人に聞きたいことがあって」
「……ふーん?」
一瞬荒神の目線がすっと動いた。視線の先を追うと、俺と似たように他の女子に質問をしている平等橋がいた。
「聞きたいことね、何かしら?」
にこやかに荒神は質問を促す。
本当に荒神なんでこんなに俺に協力的なんだろう。荒神は普段男子に対して「私の近くで息を吸うのをやめてくれない? 私が息をできないの」とか平気で言う女だ。ここまで露骨だとちょっと怖い。
だが今はそれに甘えるしかない。さっさと聞いてしまおう。
「えと、じゃあまず荒神から聞きたいんだけど。変な意味じゃないんだけどさ、荒神は好きな男子のタイプってある?」
「ないわ」
「え?」
「だからないわ。好きな男子のタイプなんて。しいて言うなら男性器を股間にぶら下げてない男かしらね」
ひゅっと股間が寒くなった。古代中国に、自らの逸物を取り除いた宮廷官僚がいたことを思い出した。
そこからいくつか質問をした。
「趣味は?」
「可愛い女の子と出かけることかしらね。あなたでもいいけど」
「好きなブランドは?」
「ブランド品は身に着けないわ」
「好きな場所は?」
「ラブが頭に付くホテルね。一緒に行く?」
「近い将来したいことは?」
「このクラス男子のあそこを切り落とすことかしらね」
「あ、ありがとう……」
もう無理だ。いろいろ平等橋から聞いて来いってリストは渡されたがとてもじゃないが全部聞けない。ていうかこいつ絶対俺のことからかってる。目が笑ってるもん。
「じゃあじゃあ次は亜衣だね!」
「先に舞衣がいってもいいんだよ?」
亜衣と舞衣。この二人の相手を終えた後俺は干物のように干からびることになった。
放課後、這う這うの体で平等橋に結果を報告した。
「でかしたぞ公麿! お前ならあいつから聞き出せるって信じてたぜ」
早速確認させてもらうぜと俺のメモしたルーズリーフを見始める平等橋。次第にその表情は困惑に代わっていった。
「ゆ、荒神のこれはまあ仕方ないとして、柊と楠もすげえ答えばっかりだな。柊は好きなタイプ『未来人』で楠は『液晶テレビ』? これはさすがにアイツらには気づかれてたかな」
俺もそう思った。荒神の時から、俺たちが何か良からぬことをするために女子に聞きまわっているんじゃないかと疑いをもたれていた気をバシバシ感じた。
「ふぃ~。お疲れ。どんなもんよ」
俺たち以外の他の調査メンバーも帰って来た。三者三様に浮かない様子だ。
「こっちはだめだな。そっちは?」と平等橋。
「こっちも微妙。なんか女子がくすくす笑ってやがんだよな」
ちなみに平等橋のほうも素っ頓狂な答えしか返ってこなかったらしい。これ確実にばれてる。
「まあ女子にはばれているかもしれんが担任にチクられていない以上黙認はされているとみなしても良かろう。これよりこの情報を基に投票を行おうと思う!」
その理論は絶対間違っていると思うが、平等橋は嬉々高々と拳を挙げた。するとどこからともなく教室に湧き上がってくる男子生徒たち。女子の人払いをどうやって行ったか不思議だ。
「お待ちください隊長! まだ一枠プロフィールが不明な者がおります!」
隊長と呼ばれた平等橋は「なにい!?」と芝居かかったわざとらしい演技をする。うわあノリノリだこいつ。
でも誰だろう。集めたプロフィールを見てもこのクラスの全員分あるように思えるが。
「綾峰女子がここには欠けているであります!」
「ん゛ん゛! 確かに!」
いや俺男だって。わざわざ否定するのもあほらしいが「綾峰がいねえだとおおお」と叫びを上げる奴がいるからもう病気だ。
「なんだ公麿。お前書いてなかったのか」
「書くわけないでしょう。改めて言うのも変だけど俺は」
「早く書いてくれよ綾峰。お前が書かなきゃ全員分とは言えないだろ?」
「いや、だから!」
俺が言い返そうとしたとき、ちょいちょいと教室の外から手招きをする荒神の姿が。
角度的に俺にしか見えていないようで、他の男子は気が付かない。
何だろうと思って廊下にでると、「私の後ろに下がっていなさい」と妙に男らしいことを言う。
荒神が何をするつもりなのかすぐに分かった。廊下にはクラスの女子が全員おり、そこに学年主任の先生が呆れたように教室の中をのぞいていたからだ。
女子は人払いして出ていったのではない。戦闘態勢を整えるために自発的に出ていったのだ。
バカ騒ぎをする男子共はまだ事態に気が付いていない。
先生が教室に入り、後は阿鼻叫喚だった。
「図ったなゆうこおおおおおおおお!」
「ちんこはもげろ! 死ね!」
この一件以来二年三組は良くも悪くも悪目立ちするようになった。
学年が始まってまだひと月かそれくらいの出来事だった。
目が覚めた。
「あ、お姉ちゃん起きた」
目の前に妹の顔があった。え。なんでお前馬乗りしてんの?
「寝顔可愛いねお姉ちゃん!」
「バカお前降りろ!」
にひひひと口元を押さえて飛び降りるゆかりに向かって枕を投げつける。
「なんかいい夢でも見たの? お姉ちゃん」
スマホを片手に、勝手に撮った寝顔を見せつける妹が腹立たしい。
でもそうだな。
「悪い夢じゃなかったよ」
ともすれば泣きたくなるくらい楽しい思い出だったのかもしれなかった。