土曜日が散々だった為日曜日も沈んだ気分で過ごしたが、月曜日になると幾分気分も落ち着いた。
初めは俺が悪かったのかなと落ち込んだ。しかしよくよく思い返してみても平等橋のあれは過剰攻撃な気がする。沈んだ分むかっ腹が立ち、俺は平等橋との待ち合わせ場所には寄らずに一人で登校した。
「あら。早いじゃない」
教室にはまだ数人しかおらず、その中に荒神がいた。そう言えば今日の日直は荒神だったか。
「平等橋は? トイレ?」
俺が一人で教室に来たことが珍しかったのだろう。嫌そうに俺の後ろを確認する。
「ううん。今日は一人」
「マジで!? 何かあったの!?」
荒神はキャラが崩れるほど食いついた。
「ケンカ? ねえケンカ? あいつとは破局?」
「ケンカって言うか、いや破局ってそもそもおかしいだろ」
「なんでもいいわよ。重要なのは今あいつと仲が悪くなっているのね」
荒神は別に俺たちの間にあったいざこざを何か察しているわけではないだろう。こいつはいつも俺と平等橋が仲たがいすることを望んでいる態度を隠そうとしないからだ。ただ、だからって反応が早すぎる気もする。まだ教室に入って一分もたっていないぞ。
俺の沈黙を肯定とみなしたのか、荒神は俺に抱き着きわしゃわしゃと頭をかきまわした。
「ええ、ええ、いいのよそれで。あんな矮小な男ほっときなさい。そして私の所に来るのよ」
普段の俺ならここで何か平等橋のフォローを入れるところだろう。だが今日は違う。
「ああ。あんな小っちゃい男のことなんてどうでもいいな!」
勢いよく荒神の言葉に合わせる。
ほんと狭量な男だよあいつは。ちょっと秘密にしたからってあれはねえよ。
てっきり荒神も一緒になって乗ってきてくれる思った。いつも平等橋の悪口を言いまくっているからだ。
「……え、どうしたの。ほんとに何かあった?」
返って来たのは困惑。まさかそういう返しになるとは思わず、俺は何も言えなくなった。
「ま、ま、ま、まさか……」
何も言えずにいると、荒神はだらだらと脂汗を流し始めた。
俺を教室の隅に引っ張り、自分の体で俺を隠すようにする。荒神の体から柑橘系の香水の匂いがして胸が高鳴る。おいおい、そういう場面じゃないって。
「いい。今から言うこと誤魔化さずにはっきり答えて」
荒神は瞳孔が開いてるんじゃないかと疑わんばかりに目を見開き、焦りからかカタカタと歯を打ち鳴らしている。怖い。いやマジで。
俺の耳元まで口を近づけ、小声でこういった。
「平等橋とヤったの?」
「バッカじゃねえのお前!」
とっさに手が出た
何てこと言ってんだこいつ。やっぱこいつ馬鹿だ。前々から思ってたけど中身はどうしようもないやつだ。外見がクールビューティー気取ってるけど中身はド変態だ。
苦しみながらお腹を押さえてるはずなのに、荒神はくつくつと歓喜の声を上げていた。
「あーらごめんあそばせ?」
「わたくしたちは忙しくってよ」
亜衣と舞衣が平等橋の前に立ちふさがる。
放課後、教室に残っていた俺たちの所にやって来た平等橋はひきつった笑顔で頭をかいた。
「お前らに用ってわけじゃなくて、公麿に用なんだけど……」
「愚民の声は聞こえなくってよ!」
「生まれ変わってから出直しなさいな!」
亜衣と舞衣は相変わらずだ。悪乗りが出来るタイミングがあれば水を得た魚のように生き生きと目を輝かせる。特に今日は荒神の鉄拳制裁がないので好きなだけ弾けている。
俺は荒神に土曜日の一件を話した。あんまりにもしつこく聞いてきたからだ。俺も誰かに聞いてほしかったという気持ちがあった為、最初は気乗りしなかった。だが俺も鬱憤が相当たまっていたのだろう。途中からべらべらと口が乗ってしまった。その過程で多少誇張が過ぎたかもしれない。
俺にも悪い所はあったと思うので、荒神がなんていうのかは少し不安だったが、期待通り荒神は「ぬわんですってえええええ!」と烈火のように怒りを露にし平等橋にお灸をすえてやると息巻いた。
朝からずっと平等橋は俺に話したそうな目線を送って来た。
俺はその度にふいと視線を逸らしていた。何度かその攻防を繰り広げているうちに痺れを切らせたのだろう。実力行使で直接俺の方にやって来た。そんなことはさせるかと立ち上がったのが荒神だ。亜衣と舞衣を巧みに遣い、結局放課後までその戦いは続いていた。
平等橋がサッカー部の同級生に引きずられていったことでようやく終了したが、精神的に疲れた。
何度も何度も俺の方を見てくる平等橋の目からは、土曜日に感じたような苛立ちは含まれていなかった。ただ純粋に謝りたいという気持ちは伝わって来た。
しかし俺はすぐにそんなもの聞きたくなかった。くだらない意地を張っているだけというのは気づいている。でもまだムカつくんだからしょうがない。一方やりすぎかな、ちょっと悪い事したかなという罪悪感がなくもない。うーん複雑だ。
「あー、今日は気分が良かった。にっくき害虫を近づけずに済んだのだから」
俺に頬ずりする荒神。ええい止めろそこまでは許してない。
「ねえねえ舞衣。今日の貴族令嬢スタイル結構よくなかった?」
「前の必殺仕事人スタイルもなかなか良かったと思うけどねえ」
亜衣と舞衣は好き勝手喋っている。
「あのさ、やっておいてもらってなんだけどちょっと、その、大丈夫かな?」
協力しておいてもらって言うのもなんだが、流石にちょっとやりすぎたかなと思う。
「いいのよあれくらい。あいつもちょっと反省すればいいのよ」
「亜衣的にはもう少し過激でもいいかなー」
「舞衣的にはもっと激しくてもいいかも」
荒神はふんと鼻息荒く、亜衣と舞衣は新しいおもちゃを与えられた子どものように、俺の肩を抱いて「大丈夫。大丈夫」という。本当かな。
「あ、そろそろ私部活いくね」
「あらら、確かにそろそろ行かなきゃいけない時間だ」
亜衣と舞衣に手を振って見送る俺と荒神。あれ、なんで荒神も?
「えっと、荒神も部活あるんじゃなかったっけ?」
「サボるわ」
どうしたんだこいつ。
「最近綾峰が美術室に入り浸って何してるか気になるし。どうせ今日も行くんでしょ? ほら行くわよ」
「え、いや、でもそれは」
「何よ。ごちゃごちゃ言うとお尻撫でまわすわよ」
「それはやめろ」
「いいから早くいくわよ」
断ることは許さないという口調だ。主導権を握られている。
俺はいいのかなあという不安の下、荒神に手を引かれて美術部へ向かった。手なんか持たなくても逃げないってば。
先に美術室に来ていた餅田は、俺が連れてきた荒神を見て目を丸くした。
「ゆうちゃん?」
「久しぶりね美奈子」
荒神と餅田は知り合いだったみたいだった。
「二人友達なの?」
いつものように椅子を引いてその上で胡坐をかきながら二人に尋ねる。この座り方も定位置みたいになってきたな。
「中学の時にちょっとね。ていうかその座り方やめなさいって言わなかったかしら?」
「あ、違うのゆうちゃん。私が綾峰くんにそうやって座ってってお願いしたの」
荒神がにこやかに近づいてくるのを餅田が止める。
「ああ、そうなの」
以外にもあっさりと荒神は引き下がった。
「それで? あんた今回はこの子をモデルにしてコンクール出すんですって?」
道すがら俺は洗いざらい荒神に打ち明けていた。
「あんたが人物画を描くなんて意外ね。今どんな感じなの?」
何気なくだろう。荒神は餅田の後ろに回ってキャンパスを覗き見ようとした。
「だ、だめ!」
餅田は抱えるようにそれを隠した。
「まだ完成してないし、み、見ないで……」
恥ずかしがっているようには見えない。いや見ようによってはそうなのだけど、餅田のそれはどこか怯えているようにもみえた。
荒神はしばらく何も言わなかったが、「ふーん」とだけ漏らした。何がわかったのだろう。
餅田は荒神が美術室に入ってきてから妙にそわそわしているようだった。焦っているというか、後ろめたいことを隠しているかのような印象を受けなくもない。穿ちすぎだろうか?
「ゆうちゃんはどうしてここに?」
「私の嫁が最近浮気をしてるって聞いてね。浮気現場を確かめに来たの」
「嫁って、ひょっとして綾峰くんのこと? 相変わらずだね」
餅田はふふっと笑ったが、荒神は笑わなかった。
蚊帳の外に置かれた俺は、なんでこんな張り詰めた空気なってんだろうと不思議だった。最近は美術部に餅田以外の部員もやってきている。黙々と自分のキャンパスに向かっている部員も、何か起ころうとしている俺たちの方に意識が向いているのがありありと伝わってきてちょっと居心地が悪い。
「その綾峰『くん』っていうのやめなさいよ。この子はもう男じゃないのよ」
「分かってるよ。癖みたいなものだってこれは」
「本当にそれだけ?」
「……何が言いたいの?」
「コンクールなんて嘘なんでしょ?」
「……」
餅田は黙って視線を落とした。それを見ると、荒神は嘆息した。
「綾峰。帰るわよ」
「え、あ、は!? ちょ、ちょっと荒神」
荒神が俺の手を引いて美術室を出る。何がどうなってるんだ。
彼女は教室を出てもすぐに俺の手を放すことはなかった。何処まで引っ張っていくんだこいつは。
下足までやってきたところでようやく荒神は手を離した。
「一体なんなんだよ荒神? 意味わかんねえよ」
「強引に連れ出したのは謝るわよ。でも、もうあそこに行く必要はないわ」
「は? どういうことだよ」
「それは……ああ、後ろにいる人に聞いたらいいんじゃない?」
振り返ると、沈んだ表情でうつむいた餅田がいた。
「嘘をついていました」
餅田は静かにそういった。
グラウンドのテニスコートの近くのベンチは老朽化と日当たりの悪さか、普段から人気はない。放課後ともなればわざわざこんな場所にやってくる奴はいないだろう。秘密の話をするには絶好の場所という訳だ。
荒神は俺たちをここに連れてくるとさっさとどこかへ行ってしまった。俺にというより餅田に気を遣ったように見えた。
「本当はすぐに言うつもりだったんです。ごめんさい」
俺をモデルとした絵をコンクールに出す。ドラマの中の話みたいだと初めから思っていたが、いざそれが嘘だと言われると多少残念に思う気持ちはあった。
「どうしてそんな嘘を?」
俺の問いに餅田は答えなかった。ぎゅっと口を結び、何かに耐えているように、追い詰められているように、そういう風に見えた。
「なあ、間違ってたらごめん。ひょっとしてなんだけどさ」
俺は思い切って聞いてみることにした。
初日に美術部へ足を運んだ時。俺が胡坐をかいて座っている姿を見た時の餅田の表情を見た時。俺は一つの頭に思い浮かんだものがあったのだ。
「初めにくれたあの手紙。あれラブレターだったりした?」
弾かれたように餅田が顔を上げた。
はっきりと顔が赤くなっているのが分かる。
多分これが答えだ。
「ごめん、私女になっちゃったからさ」
「綾峰くんは男の子です!」
俺の発言に被せるように餅田は言った。
どうして女の子なんですか。
今まで女になって口には出さなくても辛いことやしんどいことはたくさんあった。でも、この言葉が一番心に来た。
ぽろぽろと涙を流す餅田。
あなたが好きでした。
初めて女の子に告白された。
でもそれは過去形だ。
今の俺は男じゃない。女になってしまった。餅田の気持ちを受け止めることはできない。
女に変わってしまってから、俺は女子のことを恋愛対象として見ることができなくなってしまった。男が好きになったってわけじゃない。でも自分が彼女たちと同種になってしまったという意識からそういう対象にならなくなったという話だ。
「男の子だった綾峰くんが好きでした。き、気持ち悪いですよね。その為にこんな、回りくどいことまでして」
「気持ち悪くなんてないよ」
餅田はそれから堰を切ったように俺に語ってくれた。
本当だったら手紙で人気のない放課後に告白するつもりだったということ。
女の子になった俺を見て自分の気持ちが変わらなかったこと。
その中で男の時の癖が見えた時は嬉しくなったこと。
会う口実がなくなってしまうため、コンクールのことが嘘だとなかなか言い出せなくて申し訳なかったこと。
それでも会うといつも嬉しかったこと。
感情のままに餅田は俺にぶつけた。
こんなに感情豊かだったんだな。そう驚いた。
不謹慎なのかもしれない。でも、俺はそれを聞いたとき嬉しいと思ってしまった。
多くの人が女に代わってしまった俺を受け入れてくれた時、そのことをありがたいと思う反面男の俺が皆の記憶の中からまるで消えてしまったかのような喪失感が広がった。それは細い針で指先を刺すような痛みで、気にしないようにはしていたことだった。
俺を、男の俺を覚えてくれた人がいた。嬉しくなることはあっても気持ち悪いなんて思うはずはない。
「ごめんな餅田。お前の気持ちには応えることはできない。でもお前さえよかったら『私』と友達になってくれないか?」
私の部分を強調した。
女になった俺でも友達になってくれるだろうか。身勝手な言い分だとはわかっていたが、俺は餅田との関係をこんな形で切りたくはなかった。
「……綾峰くんはずるいですね」
悲しそうに眼を細めながら、だけれど彼女ははっきりと頷いてくれた。
それからのことを少し話そうと思う。
俺と餅田はあの一件以来少しギスギスするというか、微妙な空気が互いに流れることはあったがなんとか仲良くやっていた。
そういえば荒神が餅田に対して、俺の絵をコンクールに出すなんて嘘だと指摘したのはどうしてかと尋ねてみたことがあった。これはちょっと気になっていた。
「実はあれ真っ白だったんです。描いたフリはしてたんですけど、気配であの子には伝わっちゃったんですね」
荒神と餅田の関係性が詳しく気になる所ではあったが、ただならぬ空気を感じて聞くに聞けなかった。
荒神といえば、あの日の夜初めて彼女から電話がかかって来た。普段から学校でベタベタしてくる荒神だが、案外学校の外では連絡を取ってこないような奴だったので少し驚いた。
俺は自分から餅田に告白されたことは伏せたが、荒神はどこか気が付いているような節があった。うーん謎だ。
電話を切る前に荒神から、平等橋が妙な勘違いをしているからそろそろ誤解を解いてあげたほうがいいとよくわからないことを言った。
「何の話?」
『さーなんでしょう? ヒントは美奈子、あんたは元男、放課後に二人きりで密会』
通話の最後に小さな声で『平等橋に悪い事したかしらね』と呟いていたのは気になったが、それとは別にスマホを片耳に当てたまま、俺は随分変な顔をしていたと思う。
翌日、昼休みに俺は平等橋を呼び出した。待ち合わせはいつものあの屋上前の踊り場だ。荒神には仕方ないわねと快く送り出された。素直に送り出されると逆に不気味だった。
「よ、よう公麿」
「よーバカ野郎」
ひどくたどたどしく片手をあげてやってきた平等橋からは、以前遊びに行った時の帰りに感じたような冷たさはない。
「バカってお前、いやそうだけど」
「バカはバカだろ。お前私と餅田が付き合ってるとか思ってたんだって?」
「いっ!?」
荒神から聞いた情報。更に亜依と舞依が面白がって教えてくれた情報を繋ぎ合わせた結果俺は一つの答えを得た。それがこれだ。
平等橋の右足の甲をぐりぐりと踵で踏んでやる。スリッパを脱いでやるのがせめてもの情けだ。
「私はもう女だ。変な勘違いして勝手に拗ねるなよばーか」
「拗ねてねえよ」
「拗ねてたろ」
にやにやと軽口の応酬。
こいつはずっと俺のことを男だと認識していた。
だから俺が女になったって分かったらすぐに距離を取った。受け入れがたい事実だったからだ。
だが俺は無理やり距離を詰めた。
その結果こいつは俺の性が自分の認識の中で曖昧なまま受け入れてしまうことになったのだと思う。
友達が自分に内緒で隠し事をしている。しかもそいつが自分の知らない所で彼女を作っていたと知ったら、同性の友人とからすればどう思うだろう。
俺だったら素直にムカつく。一人だけ彼女とか作ってんじゃねえよと嫉妬にかられる。
そしてちょっと寂しくなるだろう。
自分に何の相談もなかったこと、これからはいつものように気軽に遊びに誘えなくなるんだろうなということに。
平等橋が俺と全く同じ考えかどうかはわからない。あくまで俺ならって話だからだ。
でも友達だと思ってるやつに隠し事されたら、ちょっとは気になるのが人間ってものだろう。
もし仮に俺が考えているような気持ちを平等橋が持っていたとするなら。
しかし、それだとしたら俺は彼にこういわなければいけないだろうと思う。
俺はもう女だ。
男の俺はもういない。
今までなあなあにして誤魔化してやって来たが、餅田の件で俺は俺が女であることをはっきりと認識させられた。
お前は俺のことをまだ心のどこかで男だと思っているのかもしれない。
でも俺はもう女で、お前にもそれはわかってほしいと思っている俺がいる。
「なんだよ」
「なんでもねえよ」
見え上げれば気恥ずかし気に頬を掻く平等橋がいる。
こいつが何を考えているのかはさっぱりだが、俺は俺なりに、こいつに俺のことをわからせてやろう。
俺は密かにだが確実な意思をもってこの時そう、決意した。