なんで女になるんだよ
最近割と真剣に考えていることがある。
「改名?」
平等橋は間抜けな声を上げた。想像の範囲内のリアクションだったので、俺は「ああ」と頷いた。
昼休み、学食の前には昼飯求める生徒でごった返している。
俺と平等橋は、学食の隅に設置してある自動販売機の前で話をしていた。今日の分のジュースを平等橋に奢ってもらうためだ。
最近は少しマシだった荒神の束縛も、少し前からまた激しくなってきた。あいつの目が光っているうちは碌に平等橋と話もできないほどだ。
俺たちの中で朝の登校と、昼休みのこの短い時間だけ駄弁るというルールが確立しつつあった。
「『公麿』って名前を変えるってことか?」
平等橋は不思議そうな顔でパックのリンゴジュースをすする。俺はコーヒー牛乳にストローを突き刺しながら首肯する。
「まあ確かに男っぽい名前だよな。お前の名前」
「男っぽいって言うか……」
俺は言葉を濁す。ぶっちゃけキラキラネームの域だろこれ。好意的に解釈しても時代錯誤過ぎる。
「とにかくこのままは不自然なんだよ。女でこんな名前なんて変だとお前も思うだろ?」
「俺はどんな名前でもいいと思うぜ」
「適当言ってくれるよな」
他人事だと思いやがってこの野郎。半眼で睨みつけてやるとおどけたように肩をすくめた。
「適当じゃねえよ。名前が変わっても公麿は公麿だろ。どんな名前でもお前であることは変わらねえってこったよ」
「そいつはどうも」
キザったらしいセリフを吐きやがる。恥ずかしくないのかこいつは。言われた俺は結構恥ずかしかったぞ。
餅田の告白騒動から平等橋は少し変わった。
変わったというか、戻ったという方が正しいのかもしれない。
それは主に平等橋の行動に現れていた。
「照れてんなこいつめ」
ぐりぐりと俺の頭を掴んで撫でまわす平等橋。「うぜえからやめい」と言うと一応はやめるがずっとにやにやしてやがる。
ボディタッチが復活したのだ。
さすがに昔のように尻やら胸やら触ってくることはなくなったが、意味もなく肩を組んで来たり、バシバシ背中を叩いてきたり、気安さが昔に戻った。
女になってから物理的な意味で平等橋は俺に距離をとっていた。態度はそこまで露骨ではなかったものの、俺との距離感を測りかねている感じではあった。
それが何をどう見誤ったのか、逆にこいつは急接近してきた。どういうことなのか俺にもさっぱりだった。
餅田の一件があって以来、俺もこいつとの距離を改善しようと決意した。
もっと俺が女であることを認識したうえでの関係を構築しようと決起したわけだ。
俺の決意はこいつのせいで早くも揺らぎ始めていた。
俺のことを男だと思っているわけではない、と思う。でも態度が同性に対するそれとまるきり一緒だというのはいささか引っかかる部分がある。
変わらない平等橋の態度にほっとするものがあるのは確かだが、女であるという自覚を手にした今の俺はこいつのこの行動に何も思わないわけではない。
そこで考えたのが改名だ。
俺の名前がまだ男であった時のままというのが、俺を女だと思わない一端を担っているのではないかと思うようになったのだ。
この名前はお世辞にも男女共用で使用できるものじゃない。
ネットで改名の手続きを調べてみたら、案外費用も掛からずにできるということも分かった。
自分の今の名前が嫌いなわけではないが、女として生きる以上必要なことだと俺は感じていた。
「ちなみに名前変えるとしたらどんな名前にするんだよ」
「考えてないけど、今の名前が公麿だからなー」
「公子とか? なんか芋臭えな」
「謝れ! 全国の公子さんに謝罪しろ!」
その後どんな名前にするかで平等橋と盛り上がった。
そのせいで教室に帰るのが遅くなった。荒神にすげえ撫でまわされた。
自宅の玄関に着いたとき違和感を覚えた。
違和感の正体を探ってみると、すぐにわかった。
見慣れない靴が二足ある。
俺は直感的にその持ち主が誰であるのかすぐに思い当たった。
急いで靴を脱いでリビングに向かって走る。
「親父! お袋! 帰って来たのか!?」
勢いよく開いた扉の先には誰もいなかった。
あ、あれー? おっかしいなあ。
見慣れない靴だったが、両親のもので間違いないはずだ。というかそうじゃなったら一体誰の靴になるのかわからないし怖すぎる。
ソファの近くにデカいキャリーケースが四つ置いてあった。やっぱり両親が帰って来ていたみたいだった。
「ばあ」
「うわあああああ!」
キャリーケースに近づくと、ソファの陰から腕が伸びてきて俺の手を掴んだ。
「ハハハハハハ! 騒ぐな騒ぐな公麿!」
「心臓に悪いんだよ親父!」
悪戯に成功した悪ガキのような笑みを浮かべた、髭面の中年がソファの陰からぬっと姿を現した。
我が家の大黒柱は相変わらずだった。
「公麿ー。お前話には聞いていたが本当に女になっているなハハハハハハ!」
「会話の途中で爆笑してんじゃねえよ!」
何一つ面白くないし、無性にイラッと来る。懐かしい感覚だ。
「怒るな怒るな公麿! お前の為に今回はいろいろ持って帰って来たんだから」
「は? 持って帰って来たっていったいなにを」
「焦る気持ちはわかるがまあ待て公麿。まずはつい先ほど喧嘩をして出て行ってしまった母さんを連れ戻してからでもいいだろう」
「帰国そうそうなにしてんだよ馬鹿親父!」
数か月振りだがこの両親は相変わらずだ。俺は頭を痛めながら母親を探しに家を出た。
「世話を掛けましたね公麿さん」
「全くだハハハハハハ! お前も突然出ていくことなんてあるまいに!」
「あ、あなたが帰国早々寝室に連れ込もうとするからでしょう!」
「子どもの前で生々しい話するんじゃねえよ!」
俺は両親相手に怒鳴りつけた。毎度毎度くっそくだらないことで喧嘩をする二人だが、その喧嘩の原因も犬も食わないような甘ったるいものだから対応に困る。二人ともいい年した大人なのだからもう少しわきまえてほしい。
綾峰大吉と綾峰咲江。それが両親の名前だ。
親父が熊のような厳めしい大男である一方、お袋は線の細い大和撫子といった感じ。リアル美女と野獣を体現している夫婦である。
特にうちのお袋は子どもの俺から見ても美人であることが分かるほどだ。うちの兄妹の顔が整っているのはこの母親の遺伝子が強い。比較的親父の遺伝子を多く受け継いだ兄貴はすげえ強面になっているし。
親父は仕事の都合で海外諸国に長期滞在することが多い。それにうちの母親は毎度付いて行っている。仲の良さは相当なものだった。
「それで、今回は突然だったじゃん。先に一言連絡くれてもよかったのに」
リビングのテーブルで、俺は両親と対面で喋っていた。
「大介さんには伝えていましたよ。聞いていませんでしたか?」
「私が大介に黙っているように言っておいたんだよ咲江。サプライズというやつだな」
「まあそうでしたか」
大介は兄貴のことだ。俺を置いて二人でハハハハフフフと笑い合う両親。相変わらずうぜえ。
「いいよもうそれは。それで? まだ帰国するには早かったと思うけど」
予定ではあと二月後まで向こうにいる予定だったはず。急に帰国を早めることは今までなかった。
「流石に実の息子が娘になってしまったという緊急事態ですから。お父さんの仕事が一段落したところで一時帰国することにしたのです」
「しかしお前女になっても顔はあまり変わっていないな! 乳も小さい小さいハハハハッモガ!」
親父の顔面に裏拳を叩き込むお袋。
「込み入った話もあります。公麿さん、すこしあなたの部屋に行きましょうか」
「い、いいけどあれほっといていいのか?」
「なんの話をしているのかわかりません。行きますよ」
のたうち回る親父を冷ややかに一瞥して俺の手を引くお袋。相変わらずこの両親はよくわからなかった。
大体の子どもがそうであるように、親が自分の部屋にいるという状況は落ち着かないものがあった。
お袋は俺の部屋を興味深そうに眺め、簡易机を挟んで俺に座るように促した。
「公麿さん。服を脱ぎなさい」
「え、ああ、え?」
「変な意味はありません。早く脱ぎなさい」
お袋の目力にやられた。
見られながら着替えるのは精神的に来るものあった。兄貴に見せるのとはまた意味が変わって来る。
「下着も外しなさい」
「いやさすがにお袋それは」
「脱ぎなさい」
「……はい」
何の羞恥プレイだと思いながら、俺はお袋の前で全裸になった。親とは言え、いや親だからこその羞恥。高校二年になって親に裸をじっくり見られる機会なんてそうそうないだろう。あってほしくないと言った方が正確かもしれないが。
お袋は「失礼しますね」といいながら、俺の胸部や臀部、喉仏やついでに口に出せないあそこも含めて隅々まで調べた。調べた、であってるはず。何かちょっと触っては「成程」とか「大丈夫そうですね」とか呟いてたから。
「お袋、そろそろ服着ていい?」
「ええ。寒いでしょうからもう着てもいいですよ」
寒いから着たいわけじゃないんだけどな。どうもこの親はずれている。
「俺の体さ、どうなってんの?」
着替えながら俺はお袋に尋ねた。お袋は顎に手を当て何かを考えていた。
「女性のものです。まず間違いなく」
「やっぱりそうなんだ」
「ええ。やはりそうなってしまいましたね」
「はー、やっぱそうなっちゃってたか」
ここ数か月でわかりきっていたことだが、改めてお袋に言われるとそうなのかと納得がいくものもあった。というか、これだけ外見が変わって「実はあなた男のままですよ」と言われた方が困惑は強かっただろう。
……いや待て。
さっきお袋はなんて言った?
「お袋。やはりってどういうこと?」
「やはり、とは?」
「いや、『やはりそうなっちゃったね』的なこと言ってたじゃん」
まるで俺が女になってしまうのを将来的に予見していたかのようなものの言い方だ。
「予見していました」
「嘘だろ!?」
お袋は普段ほとんど表情が変わらない。声も一定だから怒っているときと喜んでいるときのトーンの差が分からないほどだ。例外は親父と絡んでいるときだが、それ以外は常に一定。そんな母親の顔が少し曇っているのが分かった。
「信じてもらえるかわからないのですが、うちの、この場合私の家に家系で稀にそういうことが起きてしまうことがあるのです」
「お袋の血筋。それ兄貴からも聞いたけどどういう事?」
以前女になってすぐに兄貴からもそう聞かされた。兄貴もわかっているのかどうなのか分からない感じで誤魔化してきたけど、あれはどういう意味なのだろう。聞くならここしかない。
「はい。変態気質、とでもいうのでしょうか。性が曖昧ということもできるかもしれません。私の家では一括りに『花婿の呪い』と言われていました」
「『花婿の呪い』」
聞きなれない単語に首をかしげていると、お袋は「昔話をしてもいいでしょうか」といった。ここで断る理由はない。
「ある所に貴族の男性と、それを慕う貴族の姫がいました」
「ちょっと待って、なんでおとぎ話テイストなの?」
「黙って聞きなさい。そういう風に言った方が理解しやすいと思うからそうしているまでです」
お袋が語った昔話は次のようなものだった。
江戸時代よりもずっと昔。ある貴族の男性と女性が恋に落ちたそうだ。だが二人にはある問題あった。
それは姫の性別だった。
実は姫は男だったのだ。
男に生まれながら女であるように育てられた姫は、男であると知りつつその男性と恋に落ちた
男性も姫の性別が男とわかっていたが、姫を深く愛していた。だがどれだけ愛し合おうが男と男では子は生まれない。
家の人間に何と言われようと頑なに答えを変えない男性の親が怒り狂った。
祝言の日、姫は貴族の男性の家の人間に池に沈められてしまった。
姫のことを知った男性は嘆き悲しみ、自らその命を絶った。
不幸な出来事。
それで済めばことは単純だった。
姫が亡くなってから暫くたった頃、姫の家のある若者が突然女になるという珍事が発生した。
その出来事は一度で済まず、度々起こるようになった。
歳の頃は十五か六。
ちょうど姫が男性と祝言を挙げた年齢になると、姫の家の若い男が女になるという怪奇現象が起こるようになった。
毎年必ずその現象が起きるわけではなく、一年のうちで複数人女体化することもあれば、三十年以上何も起こらなかった時もあったそうだ。
この呪いは以降現代にも引き継がれている。
男性であったために結ばれなかった。それを解決するかのように男性から女性へと変態する家系。
故に『花婿の呪い』。
「信じる、信じないは自由です。ですが、我が家はそういったある種の呪いがかかった家なのです」
男であるがゆえに花婿。その呪い。
普段寡黙な母親が一息に語ったその話。
信じられるか信じられないかで言えば、だれが信じるんだよそんな都市伝説って感じだ。でも俺の身に起こっているこの怪奇現象を説明する確かな手段がない以上、ただ切り捨てることもできない。いつかの病院も結局行ってないし。
「なんで女になるんだよ」
「もし自分が女であったならこんな悲劇は起こらなかったから、という姫の後悔の念が形になって表れているのがこの呪いであると言われています。それを自分の子孫に押し付けるのはどうなのかとも思うのですが」
姫が死んで、結婚した歳に変態は起こるらしい。はた迷惑すぎる。
「姫の祖先がうちってことなんだ」
「ええ。まあ正確には私の実家が、という事に成りますが」
そこまで話して俺たちは一息ついた。いろいろと情報が多くて整理する時間が俺には必要だった。
「でもお袋、信じる根拠が薄すぎるよ」
「信じる根拠、ですか」
お袋は目を丸めた。何も変なことは言った覚えはないが、何か間違ったことを言った気にさせる。
「公麿さん。通常、人は男性から女性に一日で変わることはありません。性別の変化がある場合も、体の状態であったり、自覚症状はなくとも徐々に変わっていく感覚が伴うものです。あなたの場合それがありましたか?」
ない。全くなかった。朝起きたら急に女になっていた。
「科学で証明できること。それはこの世の中のすべてではありません」
「だからって、んな与太話信じろって方が無理あるぜ」
「どうして?」
「どうしてって」
きょとんと逆に問い返される。どうしても何も理屈に合わない。説明がつかないからだ。
「証明できること、論理的であることがこの世のすべてだということを説明することはできません。科学も日々進化していると聞きます。100年前の科学の常識を今の常識と捉えている科学者はいません。伝説も与太話も、今の理屈で説明できないから信じられないということはありません」
上手い事煙に巻かれているような気もしなくない。
だが母親のいうことも一理ある気がする。
何より自分の体の異常の原因を『これ』だと言ってもらえるのは精神的に楽ではある。でもそうやすやすと受け入れられる話でもあるまい。
「今すべてを受け入れる必要はありません。そういう話もあるということを覚えてくれたらそれで」
お袋はそういうと席を立った。話は終わったということだろう。
出口まで来たところで「そうそう」と振り返った。
「今の公麿さんはとても可憐ですよ。男の子であった時も愛らしかったですが、今の姿も私は好ましく思います」
「そ、そう?」
「はい。とても」
お袋にそういわれると照れる。男の時は殆どそういうことで何か言われたことはなかっただけに。
扉に手を掛けた時、お袋は何かに気が付いたかのように動きを止めた。ついでにちょいちょいと俺に手招きをする。
何だろうと思って近づくと、小声で「バットか何か棒のようなものを持ってきてください」と言った。
昔小学生の時使っていた木製バットを手渡す。いったいこんなものを何に使うのか。
疑問は一瞬で氷解。
扉を開けた先にはコップを片手に聞き耳を立てている親父の姿が。
「ハハハハハハ! ばれてしまっては仕方が、待て! 俺の話を聞いて!」
無言でバットを振り被るお袋に、逃げ回る親父。
お袋の話は信じられそうにないが、女になってもこの両親は変わらないらしいことはよくわかった。俺への扱いとか超雑だもん。
まあ今更重く受け止められても微妙なんだけどさ。
「公麿! 母さんを止めてくれ!」
「止めてはいけません公麿さん。一度この夫は黄泉の国へ行かなければ馬鹿が治らないのです」
「止めろよ二人とも」
何はともあれ、両親が帰ってきたことを俺は素直に喜ぼうと思う。