病院、いつ行こう。
スーパーの鮮魚コーナーから飛び出してきたのかと言われるくらいに生気に欠けた暗い目をした高校生がいた。
ただでさえ猫背気味な背をさらに丸め、この世の絶望を一心に受けたような憔悴しきった表情を受かべている。
目線は常に真下をむき、己がつま先を見つめるように歩くので時々すっころびそうになっていた。
他人の振りしておいてなんだが、俺の事だ。
朝飯の席では妹が「セカンドよ。目が死んでいるぞ」と決め顔で指摘してきたが無視した。
セカンドとは妹が俺を呼ぶときの呼称だ。
二番目の兄だからセカンドらしい。
上の兄貴はボスと呼んでいて、親父のことはビッグボスとか呼んでいる。
痛い子だった。昔は普通にお兄ちゃんって呼んでくれたんだけどなあ。大きくなる過程でなにが悪かったのだろうかと頭を抱えたくなる事案だ。
妹の話はどうでもいい。問題は俺の体だ。
俺の股間はきっと何か遺伝的なものかその他諸々のサムシングが影響した病気だろうと勝手に納得していた。つまり何も予想がつかない。
大きな病気ではないと信じたい。だってどこも痛くないし、熱っぽくもないからだ。
ただそうだとしても体に異常があることは間違いない。
近いうちに、というか今日中にでも病院に行かなければならない。
行くとしたら外科かなとか、行きつけの整形外科の腕って確かあんまりよくなかったようなとか、親や兄貴に相談するのはやっぱりまだ気が引けるよなとか、いろいろ思考が渦巻いていた。
「よ、公麿」
ぎゅむっと尻を揉まれた。
考え事をしていた最中だったので、後ろからやってきた人物に気が付かなかった。
だが何事だ、と驚くことでもない。本来ならいきなりかように過激な挨拶をされれば飛びのくか身の毛がよだつかのどちらだろうが、俺にこんな事をしてくるのは一人しか思い当たらない。
振り向くと友人の平等橋があほ面掲げて手をにぎにぎしていた。
「……今日もセクハラを許してしまったかー」
いつものことではあるのだが、この友人は事あるごとに俺にセクハラまがいのスキンシップを取ってくる。
初めてされた時は普通にきもかったが今では慣れたものだ。すまし顔で流す余裕がある。
平等橋正義。
アニメに出てくるような冗談染みた名前だが、名前負けしない容姿をしたいかにもリア充といった風体の男だ。
切れ長の目をした美男子と表現すればいいのだろうか。運動部に所属しているので体も引き締まっており、さらに身長も俺より頭一つ大きい。俺たちが並べば同じ年齢なのかとよく疑われる。性格も明るく、大概の事なら受け入れてしまう寛容さもある。平たく言うとこの男、男女異性違わず非常にモテる。女子にモテない俺は常にこいつに対して恨めしい目で睨んでいるのは内緒だ。
平等橋との付き合いは去年一年間同じクラスで、大体二年くらいになる。
女顔の俺をからかって、事あるごとにセクハラをかましてくる為、クラスの奴からはガチホモ認定を受けている。周りも冗談で言っていているのは分かるが、本人もノリノリで受け入れているため始末に負えない。
クラスカーストトップのグループにおり、一見するとすかして見える平等橋。
しかしクラスの中でも下ネタや身を切った自虐芸、さらに前述の俺との絡みでクラスを大いに盛り上げている。
このことからわかるようにクラスでこいつは近寄りがたい上位層というより、弄っても大丈夫なイケメン(変態)という扱いを受けている。
誰からも好意的に見られ、かなりおいしい位置にいるお調子者の中心人物。
それが平等橋という男だった。
「公麿。今日のお前の尻なんか妙にもちっとしてて柔らかかったぜ」
「さよか」
でも毎度毎度こう来られると面倒だ。特に今日は体の異常で気分が滅入っている。
顔はいいのにいつもこういうのを笑顔で言うからコイツはダメなんだろうなぁと俺は思った。
放課後。俺はとぼとぼと一人家路についていた。
『大学附属病院に紹介状を書きますから、今度そこへ行ってください』
先ほど病院で医者に言われた言葉を思い出していた。
待合室で1時間ほど待たされた俺は、担当医に症状と自分の股間を見せた。普通に恥ずかしかったが背に腹は代えられん。
医者は目を丸くしていた。
沈黙が暫く続いた後、「特に異常はなさそうですが」と困惑気味に答えた。
そんなはずはないと俺は焦りを覚えたが、次の言葉で俺は固まった。
「綾峰さんの女性器ですが、特に異常は見当たりません」
女性……ん、なんだって?
ここで俺が沈黙したことで何かを察したらしかった。
カルテを確認した医者が絶句した。
「綾峰さんは男性でしたか。しかし手術のあとは見られませんし……」
その後俺は医者からいろいろと専門的な説明を受けたが、わかったことは二つ。
どうやら俺の股間は男から女のそれに近いものになっていること。
原因はこの病院ではわからないこと。だった。
一応体の異常が他にもないか調べてもらった。
胸が、膨らんでいた。
極端な膨らみではない。
何もなければ大胸筋付いたか俺? がはは。となるレベル。
だが触ればふにゅりと指が沈み、服を着直すとき胸の先端がこすれ今まで感じなかったような痛みがあった。
ホルモンバランスの変化で女性化しているのではないかというのが医者の意見だった。過去に何かそういった類の薬を服用したことがあるかと尋ねられたが、俺の答えはNOだ。医者もそれはすぐに信じた。俺の言葉を、というより、それでも俺の股間のそれはホルモンバランスの変化云々で説明できるほど単純なものではなかったそうだからだ。
いよいよ大事になってしまったと青ざめてしまった俺は、家族に打ち明ける覚悟を決めて病院を出た。
家に戻り、着替えもせずにリビングのソファでぐったりしていると、しばらくして妹が帰って来た。
「我、帰宅! む、セカンド発見! 甘えてやるぜ!」
言うなり妹がダッシュで絡んできた。うっぜえ。
「ふははは。うざかろう、だるかろう! 我のウザがらみは対応に困ろう! それが嫌なら我のモンハンに付き合うがよいぞセカンドよ!」
ぐいぐいと顔を胸にこすりつける妹は相変わらず鬱陶しい。いつもののこととはいえ今日それをされるとさすがに堪える。
「……っ」
「え、あ、ごめん。痛かった?」
妹の顔面ぐりぐりが胸の先を擦れて痛みが走った。素に戻って俺を心配する妹。
俺の不安は我慢の限界だった。
「ゆかりよ。お前を俺のたった一人の妹として頼みがある」
「う、うん。何急に真顔になって……」
俺のただならぬ気配に気押された妹は神妙に頷いた。
「俺の裸を見てくれ」