「近頃の荒神には目が余るものがある」
俺が鼻息荒く訴えると、亜衣と舞衣の二人は顔を見合わせ、「まあ、ねえ?」とでも言いたげに曖昧に笑った。二人のリアクションは薄い。ちぇ、なんだよ。
「でもフォローするわけじゃないけどさ、ボスがあんな態度取るのってマロちんぐらいだよ?」と亜衣。
「そそ。ある意味で特別な存在ってことだよ」と舞衣。
納得いかない。
俺が憮然とした態度を崩さないでいると、亜衣が「まあまあこれでもお食べよ」と小さなバスケットに入れたクッキーを差し出した。聞けば亜衣の手作りらしい。意外に亜衣は女子力が高い。
水泳の授業があった日の翌日、土曜日に俺は亜衣と舞衣に呼び出された。場所は亜衣の家、というか部屋だった。驚いたことに亜衣はこの歳でもう一人暮らしをしているらしい。
荒神の横暴はいつものことだが、先日の一件は腹に据えかねた。俺は授業の後からずっと荒神を無視していた。
亜衣と舞衣が一向に機嫌を直さない俺を宥めるためにわざわざ呼んだのだろうということは明白だった。
だったら俺も思いのたけをぶつけてやろうと息巻いてやってきたのだが、意外にも二人は俺の意見に同調してくる部分もあった。しかし根本は荒神側にいることは変わらないらしい。こんな風に荒神のフォローが随所に挿入される。なんとなく面白くないという気持ちはある。
「荒神は私のことをぬいぐるみや愛玩動物か何かと勘違いしているんじゃないか?」
亜衣に入れてもらった紅茶を飲みながら俺は言う。
女になった時、俺は荒神のおかげで随分助けられた。
男の時から何かと荒神には親切にしてもらっていた。だから、これもその延長なのだろうと思っていた。
男から女に変わった異端児。そんな異物感を払拭するためにわざとベタベタ身体的な部分を含めて、スキンシップを図ることでクラスの孤立を防ごうとしてくれている。自分から率先して女子の輪の中に入れていってくれている。そういう風に初めは思っていた。
しかしもうすぐ女になって二月半を超えそうになっているが、荒神のスキンシップはどんどん過激になっていっているのはなぜなんだ。以前男の時に受けてきた平等橋のあれが可愛く見えてくるレベルに突入しようとしている。
そこで考えたのが、荒神が俺のことをただ面白がっているだけなのではないかということだった。
お気に入りのおもちゃで遊んでいる感覚。そこに友達としての対等さは存在しているのか。
たまたま今回の水着の件が引き金となったわけだが、それは前々からずっと頭の片隅に引っかかっていることではあった。
「まーあたしらがいくら言ったってマロちんがそう感じるっていうならどうしようもないんじゃない?」
一通り俺の考えを聞いた舞衣は淡泊にそう答えた。言い方が少し突き放しているように感じた俺は、寂しさと若干の恥ずかしさえを覚え、目を伏せた。なんだよやっぱりこいつら荒神の味方なのかよ。
「舞衣。その言い方じゃちょっと冷たくない?」
「うっそ~ん。超暖かいって。ねえ、マロちんもそう思うよね?」
「はいはい黙秘権、黙秘権。自白は現行の法律で禁止されてるんだよ?」
「でたー! 亜衣最近インテリぶってるよね~。……あれ、でもなんか微妙に違ったような気が」
「嘘、どこ?」
厳密に言うと自白の強要が禁止されている、だ。どちらにせよ犯罪を犯したわけじゃないし自白もするつもりはない。場を和ませようとして言ってくれたってのは分かるんだけどさ。
俺を放置して勝手に盛り上がる二人。なんだか居た堪れない気分になって来た。
「あたしはマロちんの気持ち、ちょっとわかるよ」
落ち着いたころ亜衣が仲裁するように言った。
分からず屋を説得するような言い方だったら俺は絶対耳を貸さなかっただろうが、本気でそう思っていると伝わる感じが伝わっていたので、俺は膝の隙間からそっと顔を上げた。「あ、やっと顔あげた」うるさい舞衣、
「あたしらは中学の時のボスを知ってるから今のボスに対して見えるものがまたマロちんと違うんだよね。もし昔のボスを知らなくって、今のマロちんの立場だったらあたしもビビるかもしんないもん」
確かにねーとその部分に強調する舞衣。調子のいいやつだ。
「でもマロちんに知ってほしいのはさ、ボスはマロちんのことしっかりと対等な友達だって思ってると思うよ。そりゃ流石に最近のボスは若干暴走気味なのは見てて思うんだけど。これは別にボスの肩をもって言ってるわけじゃないよ? あたしにとってはボスもマロちんもどっちも友達だもん」
亜衣の焼いたクッキーをポリポリ摘まみながら、俺は黙って彼女の話を聞いていた。
多分、いや恐らくほぼ絶対亜衣の言うことは真実なのだろう。俺なんかよりもずっと荒神との付き合いが長い彼女が言うのだ。
だけど俺の中で何か形にならない靄のようなものが堆積するのはなぜなんだろう。
「亜衣ー、こういう時言葉で説明したって納得いかないって」
俺が静かにしていると、舞衣が楽しそうに亜衣に提案を持ち掛けていた。
「ほら、こういう時はこっちから仕掛ける方に回るんだよ」
「あ~。それありだね!」
二人が俺のわからない所で盛り上がり出した。かと思えばすすすっと俺を両脇に固めるように横に移動してきた。
「な、なんだよ二人とも」
「ままま、そう緊張なさらずに」
「お話だけでもお聞きなさいよ」
二人が同時に、内緒話をするように耳元に口を寄せた。
『リベンジだよ』
荒神の登校時間はばらばらだ。
女バスの朝練がある時は七時くらいにはもう学校に着いているし、朝練がない時は一時間目が始まるぎりぎりの時もある。
他にもその日の気分次第で早かったり遅かったりするので、朝に荒神を捕まえようと思ったら事前にアポイントを取らなければ難しいレベルにあった。
今日は女バスの練習がある月曜日だ。この日なら荒神は今頃体育館で汗を流している頃だろう。
俺は肩に水筒と背中にリュックを背負い体育館の扉を開いた。
体育館には女子バスケットボール部の他にバレー部が体育館の半分を使って練習していた。というか数では圧倒的にバレー部の方が多い。
入り口から近い半分をバレー部が使用し、奥を女バスが使っていたのでそそくさと俺は移動した。
何人かの女バス部員がこっちを見るが、肝心の荒神は練習に夢中で気が付いていない。
毎日朝練がない事からわかる通り、この学校の女子バスケットボール部はそこまで練習熱心な部活ではない。
県大会予選もベスト8に入れれば上々くらいで、目指せ全国大会など夢の又夢。今の説明はかつて荒神に言われた言葉だが、実際に練習風景を見てなるほどと納得する部分もあった。
まず女バスの部員が何人いるのかわからないが、練習に来ている部員が少ない。大きい体育館だから、数名しか活動していないとどうしても数が見劣りしてしまう。体育館の半面を使っているバレー部が多い分、余計に。
今は軽く休憩を取っている時間なのか、女バスの部員は水分補給をしていた。荒神はただ一人その時間もシュートを打ち続けていた。
フリースローって言うんだっけ。
マンガでよく見る左手は添えるだけっていうあの打ち方だ。
リングの部分に触れることなく、ばさばさとネットがボールを通すたびに音を立てる。
体育の時にバスケがあって、その時から思っていたが荒神だけ動きが別格だ。どうしてこの高校を選んだのかというほど動きが洗練されているのが素人目にもわかる。
ぼーっと俺が荒神のことを見ていると、ようやく荒神は俺に気が付き、ぎょっと驚いたようだった。荒神が驚く姿をあまり見ないので、俺はそれだけでしてやったりという気になった。
「え、え、ああ綾峰? どうしてここに? なんか体育館に用事でもあった?」
早足で俺に近づき尋ねる荒神。金曜の一件があった為か、自分に用事があるとは思わないらしい。
「ううん。荒神に用事があったんだ」
「え、私に?」
俺はリュックからタオルを出し、荒神の汗をぬぐった。
硬直する荒神。何をしているんだと言わんばかりの目線がバシバシ突き刺さる。それは荒神だけじゃなく、周りの女バスの子たちも同様だった。
「な、に? 綾峰、ちょ、え、なに?」
「じっとしてろって。お前朝からいい汗出してるよな」
続いて俺は水筒の栓を開き、コップにこぽこぽとお茶を注ぐ。
「はい荒神」
「え? え?」
「早く飲めって。冷たくておいしいよ」
明らかに困惑しているのが伝わってくる。
荒神がお茶を飲んでいる間、俺はにこにことその様子を見ていた。
「あ、ありがと。でもどうして突然こんなこと?」
「荒神が喜ぶと思って。嫌だった?」
「そ、そんなことない! ないけどその、もう怒ってないの?」
正直さっきまでの荒神の動揺で水泳の件は吹っ飛んだ。だが俺は何も言わずただにこにこと笑っているだけ。
「綾峰、綾峰?」
「じゃあまた授業でな」
コップを受け取った俺はまた荷物を担ぎ直して体育館を後にした。
疑問符と感嘆符を頭に浮かべまくった荒神を放置して。
俺は内心ガッツポーズを作り、こっそりと亜衣と舞衣にグループメッセージを送った。
『うまくいった』
『詳しく』
速攻で既読が付いたのは舞衣だった。廊下でスマホを弄っているとバレたら没収は免れない。顔を上げると廊下の門で舞衣が手を振っていた。
「舞衣やった。荒神のやつすっげー動揺してた!」
「おーおーそうかそうか。よっしゃよっしゃ。次もおっちゃんに任しとき!」
忠犬のように駆けよれば、舞衣もそれに乗って俺の頭をわしわしと撫でた。
「あんなんでほんとに効果あるのか疑ってごめんな。効果覿面だ」
うむうむと得意げに頷く舞衣。この場に亜衣がいれば同じようにしていただろう。生憎亜衣は朝が弱く、いつも遅刻ギリギリにならなければ学校にやってくることはないが。
亜衣と舞衣が俺に言ったのは極めて単純なことだった。
『逆に思いっきり接近してみろ』
これだった。
荒神の俺に対する近すぎる距離感。それは俺がスキンシップに対して微妙に嫌がったりしつつも、最終的には無抵抗で受けることによってどこまでが許される範囲なのかわからず暴走しているのだろうと二人は推測していた。
ならいっそ相手も引いてしまうほど近づいてみたらどうだろうか。それが二人の提案の中身だ。
自分のしていることを相手にされることで、逆に自分が行っていることを客観的に見ることができるのではないかというものだ。
俺は最初この提案を聞いて微妙な顔をした。
少し前、荒神を黙らせるためにセクハラで脅したことがあったのだが、逆にセクハラを返され言い負かされてしまったという経験があったからだ。逆効果になるのではないかと思った。だが二人はそうは思わなかった。
「とことん行ってみなマロちん」
「最終的には行くとこまで行ってみて大丈夫だから! 絶対ヤバイことにはならないから!」
そんなもんなのだろうか。半信半疑だが、俺のことを思って言ってくれる二人のことを疑うのは気が引けた。
二人の言葉を信じて俺は取り敢えず、朝の朝練を励む荒神を応援することから始めてみた。
すると俺が想像していた反応とはかなり違っていた。
金曜が気まずく終わったからというのも勿論あっただろうが、もっと抱き着くなりなんなりしてくると思ったのだ。
ところが荒神は嫌がってはいないものの、かなり困惑しているようだった。
これは使える。俺は確信をもって亜衣と舞衣の作戦を全面的にのっかかることに決めたのだった。
昼休み。
そわそわと俺の方を見る荒神と目が合った俺は、にっこりと笑いながら荒神の手を引いた。
「き、今日は平等橋の所へは?」
「ううん。今日はずっと荒神といたいから」
席も普段なら対面に座る所だが、わざわざ椅子を移動させてまで荒神の横に座る。隣も隣。真横だ。肩がぴったりと触れ合っている。内心火が出そうなほど恥ずかしいが、荒神にもかなりダメージがあるようだ。
この日のために今日は平等橋に断りを入れておいた。ほどほどにしとけよとあいつは苦笑いしていたが、ほどほどなんかで済ます気はない。行くところまで今日は行ってやる所存だ。
「あ、綾峰? なんだかいつもより近いような気がするんだけど」
「そう? 私が近くにいたら荒神は嫌なんだ」
「そんなはずないだろう。ふふ、なんだったら膝の上でもいいくらいさ」
「そうなんだ。じゃあ失礼するね」
「え?」
俺はよいしょっと荒神の膝の上にちょこんと座った。重くないかなと不安になるが、ここで引くわけにはいかない。
亜衣と舞衣はさいとうたかおの劇画キャラのような顔をして俺たちの様子を見守っている。
「おおおぉ……いい匂いがする。ち、小っちゃい……」
負けるな俺。ここで逃げ出したらいつものままだ。むしろ攻めるくらいがちょうどいい。攻撃は最大の防御だ。つむじあたりに鼻先をこすりつけられている感覚はあるが耐えろ。頬を擦りつけられるなんて日常茶飯事だろう。むしろチャンスだ、いまだいけ。
俺はぐいぐいと体を荒神にこすりつけた。傍から見ると甘えているように見えるはずだ。さらにここで第二弾、発射だ。
「荒神。今日もお前昼飯パンなのか?」
「へ? あ、ああ。そうだけど」
はっとしたように荒神は答える。なんで一瞬トリップしていたのか今は考えないでおこう。
「それじゃあ部活の後で食べてよ。今はこっち」
俺は自分のリュックから弁当箱を二つ取り出した。一つはいつも使っている丸い弁当箱。もう一つはそれより少し大きな四角い弁当箱だ。
今日俺が朝早くに起きて作った手製だ。流石にこんなふざけた意地を張るためだけにお袋に弁当をせがむのは心苦しかったので、荒神の弁当を作るついでに自分の弁当も用意したといった方が正しかった。
「ここ、これ私にか?」
「食べてくれるか?」
荒神がふるふると弁当の蓋を開ける。味見はしたからおかずは荒神の舌にさえ合えば大丈夫なはずだ。問題は、形が崩れていないかなのだが。
「……」
硬直する荒神の隙間からそっと覗く。うん、大丈夫だ。崩れてなかった。
桜でんぶは好みが分かれるところではあるけれど、ご飯にハートと言えば古今東西これしか思いつかない。我ながら見事な黄金比率だと改めて自画自賛しておく。
あれ、亜衣と舞衣がここにきて「あちゃー」と言わんばかりに天を仰ぎ、ひきつった笑みを浮かべているのはなぜだ。こういうことじゃないの? ねえ。
「あ、あ、あ、あ……」
硬直と痙攣を繰り返す荒神。だ、大丈夫かこいつ。流石にやり過ぎたか。
俺が心配になって荒神の顔を覗き込む。
「……これがあんたの答えな訳?」
頬を紅潮させながら、低く答える荒神。いつもだったらここで引いている俺だが、今日は違う。
「ああ。嘘偽りない私の気持」
言い終わる前に思いきり強く抱きしめられた。
「なにこの子超可愛いんですけど持って帰りたいんですけど!」
「ちょ、ちょ、ボスストップ! さすがにすとーっぷ!」
亜衣と舞衣のドクターストップがかからなければどうなっていたことか。というか、初めにこの二人には絶対大丈夫って聞いていたのに全然大丈夫じゃなかったじゃないか。
過呼吸を起こしかけている荒神に気づかれないように二人を睨んでやれば、某お菓子屋のマスコットの女の子みたいにペロッと舌を出してとぼけやがった。こいつら……。
その後もちょくちょく荒神にいつもと違う姿勢で接した。
さすがは荒神ということで、昼休みを境に俺がちょっとやそっとのスキンシップなら乗ってくると踏んだのか、だんだん要求が過激になってき、最後の休み時間が終わるころには危うく口づけをする寸前までいった。この時も亜衣と舞衣は大活躍だった。意地になった俺もおかしいが、荒神の様子もこの時どこかおかしかった。俺のように引くに引けなくなってというようにも感じたからだ。
終礼が終わり、席を立ったところで荒神が俺の服の袖を素早く掴んだ。逃がさないつもりらしい。
「綾峰。ちょっと時間ちょうだい。あと亜衣と舞衣も」
そろーっと足音を忍ばせて逃げようとしていた亜衣と舞衣は、観念したようにたははと笑った。まあ気づかれてないわけがないわな。
以前餅田と話したベンチまで着くと、くるりと荒神は振り返った。ここはいつ来ても人気がない。何か霊的なものがあるのではないかと疑ってしまうほどの静けさだ。因みにここまでの道中で会話はなかったので、振り返った荒神につい身構えてしまった。
「なに警戒しているのよ。別に怒ってないわ。綾峰にはね」
後ろに構えていた亜衣と舞衣が、「ねえあたしらヤバイってこと?」「ちょっとマズいかもしんないっすねー」と小声でささやき合っている。
「どうせ後ろの馬鹿二人に何か言われたんだろうけど、理由くらいは聞いてもいいわよね、綾峰」
荒神は怒っていないとは言うが、その口調は真剣そのもので、怒られているように俺は感じた。
「ご、ごめん荒神」
「だから怒ってないって。……ふう、違うか。ちょっと怒ってるかも。でも綾峰に怒ってるんじゃなくて、三人で何か秘密を隠してることよ。原因は金曜のあれかしら」
荒神はなんでもお見通しらしい。
先に白旗を上げた俺は、後ろの亜衣と舞衣にどうするか目をやった。二人とも両手をひらひらと上げた。荒神にはやっぱ勝てねえよなあ。
「綾峰。金曜の件は本当にごめんなさい。あんなに嫌がるとは思わなかったのよ。いいわけだけど、あんたを傷つけたことは謝るわ」
「い、いや私の方もその、ごめん。今日もちょっとやり過ぎたって自覚はあったし」
「そのことは後ろの二人が関係しているから取り敢えずは不問にしておくわ。あなたたち、もう先に行っていいわよ」
荒神は亜衣と舞衣に席を外すように言った。「勿論後できっちり話はするわよ」の一言で震えながら去っていった姿が印象的だった。
「大体予想はついているのよ。大方私の態度に問題があったっていう自覚はあったんだけど」
ふうと何度目かの溜息を吐いた荒神は、そっと髪を耳に掛けた。その仕草がどきりとするほど大人びて見えた。
「まずあんたの話を聞かなくちゃ。平等じゃないもんね。ねえ、どうしてこんなことしたのか話してくれない?」
普段のように苛烈極まる口調ではなく、優し気に荒神は言った。
「初めはね、ただ躍起になっていただけなのよ。あなた男から女になったでしょ? クラスの人間関係とかイジメが起きたらどうしようって、そういう心配からだったわ」
俺が今日の行動の理由まで含めたすべてを話すと、荒神もまた俺に語り始めた。
「あなたのことは男の時から心配はしてたのよ。ごめんなさいね、上からみたいに聞こえて嫌かもしれないけど。でもほら、あの時からあなた友達って言ったら平等橋くらいだったでしょ? アイツがいない時は殆ど一人だったし、大丈夫なのかなってそういう気持ちはあったのよ」
男子嫌いで有名な荒神だが、決して男子を無下に扱ったりすることはない。例外は平等橋だが、あれも今考えれば幼馴染からくる気安さのせいだろうということはよくわかる。そうでなければ荒神が男子の中で一番人気であるはずはない。
男の時からなぜか俺は荒神に親切にしてもらっていたが、それは俺の顔のせいというよりも、クラスでただ一人浮いている生徒を気遣ってのものだったのだと知って恥ずかしくなった。知らずに俺の顔が女顔だからだろうと思って勘違いをしていた。
「そんなあなたが女になって、石田先生からも相談を受けたのよ。なんとかあなたをクラスでなじめるようにしてくれって。でも勘違いしないで。石田先生に頼まれたっていうのは確かだけど、私があなたと仲良くしようって思ったのは私自身の意志だったんだから」
石田先生は俺がこの学校に残るといった時、真っ先に賛成してくれた先生だ。
今でもホームルームの時や廊下ですれ違うと心配して声をかけてくれる。時たま「ますます儚げな雰囲気が!?」とよだれを拭う動作を隠さないが、俺がこの学校で信頼する先生の一人だ。
自分の意志だとは言うが、荒神が女になって初めて声をかけてくれたのは、石田先生の相談があったからだろう、納得のいく思いがあった。
「あの時平等橋が逃げてたから変に焦っちゃってたのね。クラスの皆があなたのことを避けだしたりするのも嫌だったし、かといってあなたが前の男の時みたいに皆に一線引かれているような状況も嫌だった。だからちょっと過剰なくらいあなたに近づきすぎたっていうのは反省しているわ。その後も距離感を見誤って、変な方向に流れていったことも」
「なんでそんなに私にしてくれる気になったんだ? 委員長だからってそこまでする必要ないのに」
義務感で荒神は俺に接してきてくれていた。
その事実は泣きたくなるような落ち込むことだけど、荒神がここまでしてくれる理由が俺にはわからなかった。
「委員長だからしたわけじゃないわ。時々勘違いする人もいるんだけど、私ってそこまで良い人じゃないの。平気で人を傷つけたりするし、それに悪びれない所とかもあるしね。私があなたに近づいたのは」
不自然に会話が止まった。
顔を上げれば、荒神の頬がかなり赤くなっていた。こんな荒神を見るのは珍しい。というか、初めてだ。
悪ふざけで顔を赤らめることはあっても、こんな心底言うのが恥ずかしいという表情をしたことはなかった。
暫くして、意を決したように、荒神が口を開いた。
「あなたの顔が超可愛かったからよ!」
「……え?」
荒神はとうとう言ってしまったと後悔するように空を仰ぎ見た。
あー言ってしまった。吹き出しをつけるなら多分こんな感じだ。
俺はそんな荒神を見て、不覚にも、本当に不覚にも。涙を流してしまった。
「罪悪感で胸がいっぱいだわ。ごめんなさい。泣くほど嫌だとは思わなくて……」
「ち、違う」
歯を噛みしめ陰を落とす荒神に、違うと手で制す。本当に違うんだ。
俺はほっとしたのだ。
荒神が、荒神の行動原理で俺に近づいてきてくれていたと、馬鹿らしいことに荒神の答えを聞くことで。
先生の言われたとか、委員長の責任だからだとか、クラスの和を乱したくなかったからだとか、そんな理由を聞いていたら俺はきっと二度と学校に行けなくなっていた。
「荒神はやっぱ荒神なんだな」
「なによそれ。褒めてんのか貶してんのか」
俺が落ち着くのを待つと、荒神はゆっくりと口を開いた。
「昔ちょっといろいろあってね。男の子が苦手なのよ私。そんな中であんた男なのに女の子みたいに可愛い顔してたじゃない。あ、今は女なんだから傷つかないでよ? 私があんたに親切にしてたのはあんたが一人だったからってのもあったけど一番はあんたの顔が可愛かったから。女になった時仲良くしたいなって思ったのも、やっぱり顔なのよね。いろいろ立場とか先生に言われたこともあるんだけど、一番の行動理由はこれ。幻滅したわよね」
「全然しない」
「あんたやっぱりブレないのね」
呆れたような、ほっとしたような、それとも泣き出しそうな。
ぐにゃりと顔を歪めた荒神に、俺はこれだけは聞きたかった。こんなことを聞いたら、ひょっとしたら今後この関係を続けることはできないかもしれないけど。それでも。
「私たちって友達かな?」
「友達よ。疑わないで」
即答だった。少し怒っている風にも聞こえた。
「きっかけは確かに不純だった。でもずっと一緒にいたのは何よりもあんたのことが好きになったから。友達として、ずっと一緒にいたいって思うようになったから。強情だし、たまにそっけないし、その癖かまってちゃんだし。照れ屋だし、泣き虫だし」
「も、もういいだろ!」
自分がとんでもなく情けなくなってくるからやめてほしい。だがふっと荒神は目を細めた。
「そして凄く優しい。もともと嫌いなんかじゃなかったよ。男だったけど、それでもあんたは私にとって特別だった。残念ながら恋愛感情はこれっぽっちも抱いてなかったけどね。でもそんなあんたが私は凄く好きなの。あんたは、私のこと嫌い?」
「嫌いじゃない。嫌いなはずない」
「ありがとう」
「でも本当に不安になったんだ。荒神が私のことどう思っていたのか」
俺は正直な胸の内を吐露した。
「ごめんなさい。不安になるわよね。私ってこんな性格だから、他にも周りの子たちにいろいろ言われたりするのよ。何考えてんのかわかりにくいってね。仲良くなった子だとなおさら」
荒神は寂しそうに言った。
「私はもう荒神にそんなこと思いたくない。どうしたらいいかな」
「それを聞くのは難しいと思うわ。でも、そうね手始めに下の名前で呼んでみるとかどう? ファーストネームで呼び合うと結構親近感湧くものだって聞くし。亜依と舞依もそうじゃない」
「そんな単純なこと?」
「複雑に考えることじゃないって話よ」
なんだよそれ。
その後俺はまた泣いて、荒神に慰められた。部活の開始時間はとっくに過ぎているはずなのに、彼女はずっとそばにいてくれた。
次の日、腫れた目は何とか元に戻ったものの荒神と顔を合わすのはなんとなく気まずかった。
「あら、顔元に戻ってるじゃない」
そんな日に限って荒神は早くに教室についていた。反射的に顔が赤くなった。
「顔? 何の話だ」
平等橋が俺と荒神を交互に見て首をかしげる。お前は少し黙っとけ。
「あんたに話すことなんか一ミリだってないのよ。この」
「やめろ。お前また規制に引っかかりそうな卑猥な単語を叫ぶつもりだろ!」
平等橋と荒神がいつものようにやりあう。
荒神は「あんたと話していても何一つ生産性はないわね」と強引に打ち切ると、俺に視線をやった。
「そんなことよりさっさとこっちへ来て私の話し相手をしてよ『公麿』?」
「……わかった『裕子』」
これは二人で決めたルールだ。
何とも形式ばっているし、本質的には全く意味をなさない行為なのかもしれない。でもこれでいい。俺たちはこれでいい。
「それよりも今日は私にお弁当はないわけ?」
「あ、あれは裕子をぎゃふんと言わせたかったってだけで!」
「キスは?」
「お前やっぱりあの時ふざけてたろ!」
けらけらと笑う俺と荒神。
「何、お前ら下の名前で呼び合う仲になったわけ?」
そんな中、平等橋が何かに焦ったように呟いていたのを俺は知らなかった。