終礼の後、やはりというか予想通りというか、三人から勉強会のお誘いが来た。
今日の場所は亜衣の家だ。亜衣は一人暮らしをしているので、こういう時溜まり場にされやすいらしい。
行きたい気持ちはあったが、今日は平等橋に誘われているから無理だ。そう伝えると裕子の目がすっと細くなった。怖かった。怖かったから裕子が何か言う前に逃げてきた。この時の決断の速さを俺は自分で褒めてやりたいくらいだ。
下足の出口で平等橋は先に待っていた。教室だといろいろと面倒だからだ。主にあの三人絡みで。
裕子は昔から知ってるってのもあってまた違う意見を持っていそうだけど、亜衣も舞衣も平等橋のことはあんまりよく思っていないらしい。
理由は俺が女になった当初にあいつが俺のことを露骨に避けまくっていたことが原因だそうだ。
あの時はまだ亜衣や舞衣とも今ほどは親しくなかったが、それでも思う所はあったらしい。その点に関して俺はなんとも言えない。個人的には解決した問題だと思っているのだが、人が見たらどういうかちょっとはわかるつもりだからだ。
片手をあげて近づくと、平等橋はすぐに気が付いたようだった。
「もっと揉めるかと思ってたぜ」
「だと思ったから先に抜け出してきたんだよ」
俺は平等橋の背中を叩いて「行こうぜ」と歩き出した。叩いた手の方がちょっと痛い。改めて俺女になったんだなーと認識するのは、実はこういう些細なことからだったりする。
平等橋のアパートに足を運ぶのも慣れたものだ。
平等橋個人に会いに行くために訪れたのは最初の時だけで、今回で二回目となる。
それ以外では愛華さんに料理を教わりにちょくちょく休みの日に遊びに行っているので、久しぶりという感覚は薄い。大体午前中にお邪魔していたので、クラブに行っている平等橋とバッティングすることはなかった。というより愛華さんがバッティングすることを嫌がって午前中を指定することが多かったってのもあるんだけどさ。
お袋が帰国して料理をそっちに教わるようになったので、足は遠のいたが、久しぶりに愛華さんに会いたいと思っていたので今日の平等橋家訪問は普通に楽しみでもあった。
平等橋はポケットから鍵を取り出して、扉を開いた。
あれ、ひょっとして愛華さん外出中なのかな。基本的に愛華さんが家にいる時は鍵はかかっていない。
部屋の中に入っても愛華さんがいる気配はなかった。部屋の中をきょろきょろと不躾に見る俺に平等橋は「何か気になるもんでもあるのか?」と尋ねる。
「愛華さん外出中なんだって思って」
「あー? 姉貴なら今日出張で他県に行ってるから帰り遅いぞ」
なんか姉貴に用事でもあったか? と聞く平等橋。ないこともないんだけど、いないのか。そうか。会いたかったんだどなー。
愛華さんはゆるふわっとした面と、ピリッときついヤンキーみたいな面の二つを持っている特殊な人だ。人間的にも凄く尊敬できる人だし、いないとなると肩透かしを食らった気分になるというか。
「お前姉貴に会いに来たのがメインとかいうなよ?」
「えー、半分以上愛華さんに会いに来たんだけど」
勿論目的は平等橋の話を聞くためだ。でもこれくらいの冗談はいいだろう。
「取り敢えず俺の部屋行こうぜ」
俺の荷物をもって平等橋はすたすた入っていった。意外に紳士なところもあるじゃないか。
以前愛華さんに蹴り壊されたドアは部屋の内側に立てかけてあった。異様なオブジェとなっていて一瞬ビビる。
平等橋の部屋はいかにもサッカー少年って感じの部屋で、有名海外選手のポスターや、中学の時の賞状なんかが飾ってある。俺が憧れるTHE男の子って部屋だ。
「適当にかけてくれ」
そうは言うが、平等橋の部屋には小型の机もなければ、ラグもない。座る所と言えばフローリングに直かベッドくらいだ。机の椅子はもう平等橋が座ってるし。
尻が冷えるのも嫌なので、俺はベッドに腰かけた。人のベッドって変に緊張するんだよな。
「話って?」
俺が聞くと、平等橋は「あー、うん。それな」と頭をかいた。言いにくい事なのだろうか。
「実はさ、姉貴からもちょっと聞いたことあるかもしんないんだけど、俺って女子が苦手って言うか、まあトラウマみたいなのがあるんだよね」
たっぷり2分ほど考えて、平等橋が語り出したのはそんな事だった。
待たされた俺は、本棚に収納されている本で俺の知ってるやつ何かあるかなーとか思って平等橋から意識を外していたので一瞬反応が遅れた。
「え、あ、ああ」
平等橋の話を脳みその中で反復する。あの話か。
何度か愛華さんと会っていると、彼女は時たま「正義は女性不信なとこあるんだよね」ということがあった。詳しい理由とか、そこに至った背景とかは教えてはくれなかったけど、平等橋の複雑な家庭に関係しているんだろうなということは雰囲気から伝わって来た。
「だからさ、お前が女になったって時にパニックになっちゃって。あの時は本当にごめん公麿」
「何度も聞いたよ。もういいって」
あまり立ち入ったことは聞けないが、こいつはこいつなりに苦しんでいたのはわかる。もうそのことは水に流しているし、いまさらごちゃごちゃ言うのも違うだろう。
「お前がそういってくれて嬉しいよ」
「当たり前じゃん。私ら伊達や酔狂で友達やってるわけじゃないんだから」
覚えたての言葉を使いたかっただけだ。なんかかっこよさそうだと思ったから国語辞典でこの言葉を知ってからいつか使おうと思っていた。今使えて満足。
平等橋はそこでえらい真剣な顔になった。マズいこといったか?
「友達、か」
「違うとか言うなよ?」
「言わねえよ。言わねえけどさ」
平等橋は何か考えるように視線を落とした。右こぶしを左手が包むようにぐっと握りしめ、迷っているようにも見える。
「なあ公麿」
「なんだよ」
「セックスしないか?」
たっぷり10秒。俺は平等橋を見つめた。ふざけている様子は一切ない。
「……何、言ってんだ?」
じわじわと足の先から全身にかけて熱が広がっていく。こいつ今なんて言いやがった?
「しないかって、そういったつもりなんだけど」
「聞き違いじゃないのか」
「ああ。真剣に言ってる」
「っ!?」
平等橋が立ち上がった。反射的に身構えた。
俺の反応にショックを受けたように、平等橋は動きを止めた。どうしてお前が傷つく。
「違う公麿。何もしないって」
「う、嘘つけ! だったらさっきの言葉はなんだよ!」
「あれは、あー、くそ。短絡的に言い過ぎたか」
平等橋はガシガシ頭を掻いた。
「お前のことが男なのか女なのか、それが俺にはまだよくわかってないんだ」
平等橋は自分の気持ちを打ち明けてくれるようだった。
「前にお前に泣かれて、ついでに餅田にお前が告られた時とかもだけど、俺にとってお前がどういう存在なのか考えたんだ。友達だと思ってる。でもお前女になっちまっただろ、昔みたいに気安くすんのも違うかなってな。でもそうしたらお前距離ができたみたいな感じでまた悩むだろ? だからできるだけ昔みたいに接してたんだけどさ。俺もごちゃごちゃ考えるのめんどくさかったし」
平等橋が俺に対してボディタッチが増えたのはそういう理由からだったのか。こいつは俺以上に俺との関係を考えていてくれたのかもしれない。
「で、そうこうしてたら最近はお前俺より裕子たちとの方が仲いいだろ? 俺はなんなんだって思うようになったんだよ」
「いや、それはその、ごめん」
「謝んなって。つーか普通にキモいからな俺が。でも変に誤魔化してまた誤解が生まれるのが嫌だから正直に話してるだけなんだから」
平等橋は気にしないでくれという風に言った。
「やっぱ男と女じゃ違うんだよなって思ったんだよ。お前のこと男として見たらいいのか、女として見たらいいのか俺にはよくわからなくなった。だからもういっそヤってみたらすっきりするんじゃねえかなって思ったんだよ」
「……ちょっと意味が分からない」
なんでそこに繋がるんだよ。
「俺がお前のこと男だと思ってたら抱けないし、女だと思ってたら抱ける。そしたら俺は自分の本能に従って今後の態度を決めれるって――」
「お前バカだろ! 結局ヤりたいってだけじゃねえのかよそれ!」
「はあ? 全然違えよ。何を聞いたらそうなんだよ」
「今の中身聞いたらそう考えるだろ!」
平等橋の言葉を途中で切って俺はキレた。なんだこいつ。
くっちゃべって意味不明なこと言ってるけど本音は女を抱きたいってただ言ってるだけじゃないか。何が女性不信だ。盛りまくっているじゃないか。
俺が熱くなるものだから、平等橋も熱くなって言い返す。しまいには喧嘩みたいになっていった。
「お前そうやって意固地になって人の話聞かない所よくないと思うぜ!」
「ただただ頭の中桃色の奴に言われたかねえよ!」
フーフーと鼻息荒く俺は返す。なんでここまで腹立ってるのかわからない。
「素直に言えよ。女になったから抱いてみたいって! お前も男だもんな、思わないなんてことないはずだ! 今まで我慢してきたけど最近お前触り方なんかやらしかったもんな!」
「はああ? 意味わかんねえよ! どうしてそんな話になるんだよ」
「お前が最初に振って来たんだろうが!」
いらいらする。
平等橋が素直に認めないことが? 違う。
俺を女として見ていることが? 違う。
じゃあなんで腹が立ってんだ。
自分の気持ちに整理がつかない。冷静じゃないということだけはわかるが、熱をもった頭では素直に聞き入れそうにない。
帰ってやる。
そう思って立ち上がった俺は、どういうわけか足がうまく動かず、そのままつんのめって倒れそうになった。そうならなかったのは平等橋がとっさに支えてくれたからだ。
「さ、触るな!」
だが俺はその手を弾いた。
平等橋ははっきりと傷ついた顔をした。
たまらなくなって、俺は自分の荷物を掴むと部屋を飛び出した。
逃げるように階段を下り、必死で走った。
息が切れて恐る恐る後ろを振り返る。平等橋は追いかけてきていなかった。
ほっとした気持ちと同時に悲しさが心を満たした。
「……なにやってんだ私」
いつか平等橋が俺にしたこと。そっくりそのまま俺がしているじゃないか。
そのまま家に帰る気になれなくて、俺はあるコンビニまで足を運んでいた。
「いらっしゃいませー……って公麿か?」
兄貴が働くコンビニだ。
店内には客が俺しかいないので、兄貴は小声で俺の名前を呼んだ。
「兄貴。バイト、何時に終わる?」
「もうすぐだ。なんか奢ってやるから外で待ってろ」
兄貴はこういう時察しがいいから助かる。俺はピーチティーを兄貴に奢ってもらい、外の駐車場で兄貴が出てくるのを待った。
小一時間もしないうちに私服に着替えた兄貴がやってくると、「飯でも食うか」とファミレスまで俺を連れてった。
久しぶりに入ったファミリーレストラン。兄貴は好きなもの食べろよとメニューを見せてくれたので、俺は和風ハンバーグセットを注文。兄貴はなんかデカい肉の塊みたいなやつ頼んでいた。因みにお袋には今日の晩飯はいらないことを事前に伝えてある。
「なんかあったか?」
料理が届き、二人して黙々と食べている最中にようやくといった風に兄貴は口を開いた。
「うん。ちょっと相談」
俺は兄貴に相談することはあまりない。
理由の殆どはどうしようもない単なる意地だ。
兄貴は俺の持っていない多くを持っていて、俺は兄貴に常に劣等感を抱いていた。勉強も兄貴の方が全然できるし、スポーツや料理もそうだ。でも本当にどうしようもなくなったとき、俺はこうして兄貴に相談をしていた。兄貴はへそ曲がりな俺のことを不満も言わずただ付き合ってくれる。そんな器の大きさの違いにまた劣等感を抱きかけるのだが、それこそ意味が分からないって話だ。要は俺は我儘なのだろう。
俺は今日の平等橋の話をした。それだけではわからないだろうから、女になってから態度が変わった平等橋の話を含め、かなり細部に至って話した。
俺の話を聞き終えた兄貴は、一言「成程な」といった。今の話で分かったのだろうか。
「女になってからしばらく元気がないように見えたが、そういうことがあったのか」
「うん、心配かけてごめん」
「そういう話に持っていきたかったわけじゃない。気にするな」
こういう時、やっぱり兄貴はずるいと思う。余裕を見せつけてくる。そんなつもり本人にはきっと全くないとは知ってるんだけど。
「平等橋くんだったか、そいつがどうしてそんなこと言い出したか少しわかる気もする」
「兄貴もあいつの肩もつんだ?」
「俺の時も逃げるか? 鞄もってこのファミレスから」
「意地悪言うのやめてよ」
いじけると、兄貴は大して悪びれていない様子で「悪い悪い」といった。絶対思ってない。
「公麿を責めるわけじゃないが、お前が彼に求めていることって矛盾してんだよ」
「矛盾?」
兄貴は頷いた。俺はそれが何なのかわからないので、黙って兄貴の話に耳を傾けた。
「お前は彼に男の時と同じような友人関係を求めている一方、女である自分を受け入れろと言っている。これはひどい矛盾だぞ」
「なんでだよ。別に変なこと言ってねえじゃん」
「これは俺の考えだから人によっては違うっていうかもしれない。その前提で話を進めるぞ」
「いいよ」
兄貴は水を一口含む。
「男と女で友情は成立しない、と俺は考えている。性別の壁っていうのは人によってはとてつもなく大きなもんだ。よく男女の友情なんていうがあんなもんまやかしだ。行為に及べば精神的な面で変化は必ず起きるし、それがグループ単位にしろ個人単位にしろ、永遠に続く友情を男女間で保つのは無理だ。性が意識されないくらい小さかったり、逆に老人であれば話は別だが、お前らみたいな思春期真っ盛りで男女の友情なんて成り立つはずがないだろう。これが前提だ」
「あ、兄貴?」
「なんだ公麿」
「あ、いや別に」
饒舌な兄貴なんてほとんど見たことない。本物かどうか一瞬疑ってしまった。
「男は男同士で、女は女どうしで固有の友情を作るだろ。それをなりは女だが男との友情を築こうって方が無理だ。向こうは男として接すればいいのか女として接すればいいのかわからないんだからな」
「平等橋と同じ事言うなよ」
「お前は少し欲張りなんだよ。どちらかしか手に入らないのにどっちも手に入れようとしている。お前はどうしたいんだ?」
「どうしたいって、そんなのわかんないよ」
「ならもうちょっと考えてみてもいいかもな。あんま思いつめんなよ公麿」
兄貴はそれきり答えず食事へと戻った。優しいが甘やかしてはくれない。
俺が平等橋に求めるもの。
一つは簡単だ。男の時みたいな友人関係。これを継続すること。
もう一つはきっと、俺が女であることを受け入れること。
俺ははじめこの二つは両立できるものだと思っていた。
男の時と同じような友人関係を保ちつつ、俺が女であることを受け入れること。
なるほど、確かに矛盾だ。
言葉を並べてみてわかった。
男の時と同じような友人関係。それはしかし俺が男だったからなりたっていたものだった。それを女の時と適応させてできるはずがない。それが証拠に、平等橋は朝のあいさつで俺の尻を触らなくなったじゃないか。小さなことか大きなことかはわからないが、女になっただけで変わってしまうものがあるのなら、同じような友人関係を続けるなんてそもそも無理な話だ。
どうして気が付かなかったんだろう。
俺は平等橋にずっと無理を強いていたのだろうか。
「兄貴、俺どうすればいいかな。ずっとこんなことで頭を悩ましてる気がするんだ。女になってからずっとだよ」
「人は大なり小なりみんな人間関係に苦しむもの、だと思う。お前の事情は確かに他とは違うかもしれないが、それでも悩むことは普通のことだ。皆そうだ。俺だってそうだ」
「兄貴も人間関係に悩むこととかあるの?」
兄貴が何かに頭を悩ましているところなんて想像もつかない。
「そりゃな。俺をなんだと思ってんだよ。大学じゃ高校の時みたいにクラスがあるわけじゃなからその分少ないが、今でも大なり小なり抱えてるよ」
「俺だけじゃないんだ」
「お前は今まで人とあまり関わってこなかったからな。慣れてないんだよこういうことに」
慣れていない。そう兄貴言うけれど、本当にこれは慣れるものなのだろうか。
「解決できる問題なのかな」
「さあな。それはお前が決めることだ。まあでも今は何も考えずにいっぱい食え。ついでにデザートとか頼んでも今日は許してやる」
「……うん、じゃあゆずシャーベット」
「はいはい」
結局答えらしき答えは見つからなかった。
俺が平等橋に求めているものは二つあるけど、どちらがより大きいのかなんて俺にはわからない。
でも取り敢えず明日また平等橋に謝ろうと思う。それから考えてもいいだろう。