期末試験が終わった。
それすなわちここから数日の後は夏休みを迎えることを意味する。
クラス中がテストが終わった充足感と、夏休みに向けての期待感に胸を膨らます中。俺はただ一人沈痛な面持ちで頭を抱えていた。
「マロちんかーえろ。おろ? 何なんか考えてんの?」
舞衣がぽんと俺の肩に手を置く。反応がない俺の顔をのぞき込む舞衣。相手をする余裕は俺にはなかった。
「ボス―。マロちんがまたなんかフリーズしてんだけど?」
「ほっときなさい」
帰り支度をする裕子に舞衣が声をかけるが、裕子の反応は実にそっけないものだった。
それもそのはず。俺は既に俺が抱えている問題についてテストが始まる前から相談をしていたからだ。
相談の内容は平等橋のこと。
俺はいつぞやのあの日以降平等橋とすごく気まずくなっていた。
兄貴の話や自分の気持ちを整理することで、平等橋も色々考えているし、俺も自分勝手が過ぎたのかなと思う気持ちは勿論あった。
でも冷静に考えてみても、だからってあの結論に至るのはおかしいだろと思う。あいつやっぱり見た目通りのチャラ男なんじゃないかと疑いたくもなる。
せめてもの救いは、平等橋も自分の発言があまりにアレだったという自覚はあったらしいということだ。
向こうも気まずそうにして俺に話しかけてこない。これは多分下手に自分が近づくことで俺が嫌な気分にならないかどうか心配してのことだと思う。そう思うんならLineとかSNSで連絡くらい寄越せよって思うんだが、これって支離滅裂なこと言ってるかな、俺。
誰が悪いわけでもない。しいていうなら平等橋の出した言葉が悪かったということはできるけど、あいつも色々考えてあの結論が出たということが理解できるので俺もこれ以上強く言うことはしない。
でもあいつの考え方を許容できるかできないかっていうのはまた別の話で、今度また二人になったら襲われんじゃねえかな、とか。襲われはしないまでも微妙な空気になるんじゃねえかな、とか。そう考えちまうとなかなか平等橋に話しかけることができなかった。
裕子は自分が仲介に立とうかと提案してくれたことがあった。
しかし俺はそれを断った。これまでも俺は平等橋がらみで裕子に助けてもらっている。いつまでも甘えていてはいけないし、毎度平等橋と何かあった度に裕子に頼っていては裕子がいない時どうすんだよって話にもなる。
だから今回は自力で解決を試みようとしたのだが、
「あんたいつになったら平等橋のとこ行くのよ」
全く俺は動けていなかった。
どっしりと俺の頭に教科書が詰まったカバンを乗せる裕子。頭を押さえつけられてあいつの表情は窺えないが、声が呆れているのが分かる。うるへー。
「このまま夏休みになったらあんたらずっと気まずいままよ? いい加減どうにかなさいな」
それを言われると痛い。
平等橋は部活をやっているので、夏休み中はずっと部活をしているはずだ。
意図的に時間を作ってもらわなければ夏休み会うことはないだろう。
そして夏休み会わなかったら、きっと二学期から俺たちは話すことはなくなる。
それは嫌だった。
「でもなぁ」
いつかの平等橋の俺に向けたあの目。何でもないように性交渉を提案するあいつに俺はあの時少し恐怖を感じたのも確かだ。
顔を合わせてまともに会話ができる自信がない。
「マロちん。為せば成るって言葉知ってる?」
「え?」
亜衣が突然後ろからがばりと俺に抱き着いた。というより抱っこした。俺今座ってんだけど。力強すぎない?
俺の心の中の突っ込みは、亜衣の無茶苦茶な動きでかき消された。何しようとしてんのこいつ。怖いんだけど。
亜衣の突然の行動に、舞衣は勿論、裕子も何か察したようだった。
「左様左様。為さねばならぬ、何ものも~ってね」
「バカ言ってんじゃないわよ。でもまあ、そうかもね」
俺の右半分を舞衣が。左半分を裕子が。そして背中には亜衣が。がっしりと俺を固定してずんずん歩きはじめる。おい、まさかお前ら。
嫌な予感は当たる。そのまま廊下に出ると三人はある男子目掛けてスピードをあげ走り始めた。道行く男女が「なんだあいつら」と言わんばかりの奇異な視線をくれる。そんなことどうでもよくなるくらい俺は抵抗した。やめろ、それはだめだ。止まれ亜衣。離せ裕子に舞衣。
俺の願いは届かず、「どーん!」と楽しそうな声を上げながら亜衣はその男子にぶつかった。
男子と亜衣に挟まれた俺は、サンドイッチの具みたいになった。
「何しやがる! って、公麿?」
「あー、いや、あの、うん……」
その男子とは予想の通り平等橋正義。俺が今絶賛避け続けていた男子だ。
こいつは俺を気遣ってか何なのか、最近は授業やテストが終わると一人でさっさと教室を出ていっていた。
俺が話すタイミングを得なかったのは、実はこの部分も大きかった。
さっさと帰るから、俺もまだ気持ちが固まっていないしちょうどいいかと後回しにできていたのだ。でもそろそろ話し合わなきゃいけないよな。俺は意を決して口を開いた。
「平等橋。話があるんだけど」
「それはいいけど、まずどいてくれ。その、周囲の目が痛い」
覆いかぶさった状態の男女。俺の思考は停止した。
「おい、公麿? 公麿? って逃げんなバカ!」
今度は平等橋が俺を追いかけてくれる番だった。
俺たちの逃走劇が一段落をしたころには、あの三人はいつの間にか姿を消していた。あんにゃろうめ。
『それで、結局どうなったわけ?』
「仲直りはできたよ。遊ぶ約束もした」
夕方、俺は裕子に電話をかけかけていた。
迷惑をかけたし、相談にも乗ってもらっていたからその礼も兼ねてだ。そういう意味じゃまた今度亜依や舞依にも礼を言わなきゃいけない。
平等橋は俺の話を聞くと、「まあそうだよな」と納得したところはあったみたいだ。それでも全面的に自分の考えが間違っていたという風には言わなかったけど。
今回はもともと互いが互いのある部分をキレて起こったことじゃないし、まあ発言に俺はキレたけど、でも落ち着いたら一考の余地はあったというか。一言でいうと見解の相違ってのが今回の話だ。それが分かればある程度妥協はできる。
しかし俺たちは肝心な部分は何一つ話さなかった。
行為をするしないの所は全くノータッチだったし、俺も平等橋に俺のことをどう見てほしいだとか、それが俺の我儘になるんじゃないかとか、そういった部分も何も話さなかった。悪く言えばなあなあにしてお茶を濁した。
根本的な部分は話さないけど、とりあえず今は喧嘩とかやめて普通に仲直りしましょうね。それを俺たちは話し合った。
互いに納得しているかはわからない。
だが少なくとも俺は今はこの問題をはっきりさせる必要はないと思ったので、この提案には全面的に賛成だった。乗って来たってことは平等橋も何か思う所があったってことだろうと勝手に解釈する。
『何も解決していないわね』
裕子は端的に指摘した。自覚しているとはいえ他人にそういわれるときつい。
「そういうなって。一度に全部決めるなんて無理だろ。気持ち的にもさ」
『……そうね。その通りだわ。勝手なことを言ったことを謝らせて頂戴』
「そこまで気にしなくてもいいよ。裕子のいうことは当然なことだし」
裕子は二人で話すときと、みんなでいる時とは性格が少し違う。人は多少の程度の差はあれ、グループで行動するとき自分の役割を意識するものだと思う。俺を含め、いつもの四人でいる時は裕子は暴走キャラということになっているし、本人も乗り気だ。だがクラス全体で見ると裕子は真面目な優等生ということになっている。そして二人で話していると、ちょっときつい言葉を吐くが親身になってくれる奴。そういう風に感じる。
裕子たちのグループに居て気が付かされることは多いが、こういった人と人とのコミュニケーションの部分で気が付かされることは多い事にいつも驚かされる。
『そう。ならあまり気にしないことにするけど』
裕子はそこで言葉を切った。話すことがそろそろ尽きてきたのかな。一時間くらいずっと同じ話題だったし、そろそろいい時間なのかもしれない。
俺はじゃあまた明日なと言って電話を切ろうとしたのだが、そこで裕子が『そういえば公麿はクラス合宿にはいくのかしら?』と投げかけてきた。クラス合宿?
「クラス合宿って、あの勉強会のこと?」
『そう。あの勉強会のこと』
うちの学校には一年と二年の時に、夏休みに学校にてクラス単位で泊まり込みの勉強会を行うイベントがある。二泊三日。任意参加で強制参加ではない。
もともとは夏休みの宿題を皆で教えあって考えたいからという生徒の要望で、夏休みに教室を解放したことから始まるのだが、そこから発展して泊りで勉強会を、勉強の合間にはプールや花火、肝試しをとどんどんエンターテイメント性を高めていった。
任意参加と銘打ってはいるが、最近じゃ滅多なことでは欠席する奴はいない。参加費も飯代くらいで、後は殆どただみたいなものだからな。
去年参加して結構楽しめたので、今年も何もなければ参加するつもりだった。参加の出欠は去年と同じだと終業式近くに用紙が配られるはずだ。それに丸を付ければいいだろう。
俺が参加の意思を告げると、裕子は「ふーん」と何とも意味深長に間延びした声を出した。なんだよ。
『それ、平等橋も参加するってことよね』
「まあな、多分。あいつがサッカー部の試合とか重なっていなけりゃ」
そういうともう一度裕子はふーんといった。楽しそうな声だ。俺は反対にどんどん苦笑いしたくなってくる。
『買った水着。持ってきなさいよ』
「え、あ、は?」
困惑した俺の反応を十分楽しんだ後、裕子は「バーイ」と通話を一方的に切った。
「見せろってことか。あいつにこれを……」
俺はあの日舞依と買いに行ってから、一度も開封していないショッピングの袋を見つめた。なんだか無性に欠席に丸を付けたい気分になった。
終業式が終わった。
裕子や亜衣はさっさと部活に行き、文化部の舞衣と二人で俺は帰った。
舞衣は因みに軽音部に入っている。練習が緩く、ほとんど外部のライブハウスなどを利用している為部活に行くのは駄弁りに行くのがメインだそうだ。
手近なファーストフード店で無駄話をした後、夕飯の時間で俺たちは別れた。
なんか俺普通の高校生っぽい青春送ってるなーとルンルン気分で家に帰った。
車庫に車がない。親父がどっか買い物でも言ってんのかと思って玄関で靴を脱ぐと、お袋の靴もない。二人してどっか行ってんのか? こんな時間に珍しいな。
まあいいか。そのうち帰ってくるだろ。
俺は着替えもせずごろっとソファの上でスマホを弄った。なんか面白いつぶやきでもあるかなー。
どれくらいごろごろしていたかわからないが、俺の腹がぐうとなった頃に家の前に車のエンジン音が聞こえてきた。ようやく帰って来たか。
わざわざ出迎えるのもめんどくさかったので、俺はスマホを弄ったまま「おかえりー」と言った。
「はっ! 荷物くらい運び出すの手伝ったらどうだよタコスケ!」
ありえない人物の声が聞こえた。
ばっと身を起こすと、幻でもなんでもなく、俺の大嫌いな従兄が仁王立ちしていた。
「ふう。流石に少し荷物が多いですね。公麿さん少し車の中の荷物を下ろすの手伝ってくれませんか?」
「おおおおお袋! なんでこいつがうちにいるんだよ!」
遅れて入って来たお袋に隠れるように馬鹿従兄を指さした。
「なぜって。何度も説明したと思うのですが」
「聞いてない! てか説明ってなんだよ!」
「お前そんなことも聞いてないのかよタコスケ。だから毎回毎回バカみたいに電話切るなっていったろ?」
得意げな顔がことさらムカつく。誰かここにフライパンはないか? 全力であのにやけ面ぶっ叩いてやりたい。
「これから夏休みの三週間家で預かることになったんですよ。何度も説明しようとしましたが、そういえば創大さんの話題が出るたびに公麿さんは耳をふさいでいましたね」
信じられない言葉をお袋は宣った。嘘だろ。
「まあそういう訳だからよろしく?」
にやにやと挑発的な表情の従兄を相手に、俺は初めて田舎で出されたイナゴを前にしたときのような、実に嫌な顔をした。