TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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外の方がいいかも

『ーーで間違いなさそうなの?』

『はい。この子はーーに憑かれているようです』

『あなたでおしまいだと思ってたんだけどね……』

 居間から母親と伯母の声が聞こえる。

 聞いてはいけない類の会話であることは本能的に分かった。

 隣で寝息を立てている創大とゆかりは気づいていないだろう。

 毛布を頭からかぶり、必死で寝ているふりをする。気が付きませんように。こっちに来ませんように。そう願いながら俺は全身がぐっしょりと汗ばむ思いだった。

『……このことあの子には話してないんでしょ?』

『はい。もうすこし大きくなってからの方がいいかと思いまして』

『そう。なら任せるけど……あら、子供たち寝苦しくないかしら』

 突然会話をやめて、伯母は立ち上がった。

 一歩一歩、スリッパがぱたぱたと床を踏む音がはっきりと聞こえる。

 襖をあけ、豆電球が薄っすらと照らす部屋を目渡す。

 俺は息を殺してじっとしていた。

 早く去りますように。

 どこかへ行きますように。

 バクバクと心臓の音が耳に響き、額いっぱいに汗の球を作る。

 十秒か、二十秒。

 実際にしてみるとたかだかそれくらいの短い時間だったと思う。

 でも俺にとっては永遠のように、もうずっとこの時間が続くんじゃないかと思うくらい心が乱れる時間だった。

 どれくらい俺がじっとしていただろう。

 気配が去った。

 伯母は部屋の外へ行ってしまった。

 

 俺は安心のあまり、ほっと息を吐き、毛布からそっと顔を覗かせた。

『やっぱり起きていたわね。公麿』

 

 

「うわああああああああ!」 

 跳ね起きた。

 心臓がせわしくなく脈動する。

 背中や脇、足の指の間に至るまで、ぐっしょりと寝汗を感じる。

 夢だ。

 ただの夢だ。

「公麿、どうかしたか?」

 俺の悲鳴を聞いたからだろう。兄貴は扉のすぐそばで心配そうに俺に声をかけた。

「いや大丈夫。ちょっと嫌な夢見ちゃって」

「夢か。ならいいんだが。部屋にコウモリでも入ったかと思った」

「コウモリならもっとデカい声上げるって」

 俺は少し笑った。

 ちなみに俺の家にはマジで一回コウモリが入ってきたことがある。そん時は軽くパニックになった。兄貴が撃退したけど、ゴキブリが家に入ってきた以上に焦る出来事だった。

 兄貴は「またなんかあったら言えよ」と言って自室に戻っていった。

 時計を見ると三時を少し過ぎたころ。起こしてしまって申し訳ないなあという気持ちが起こった。

「でも嫌なこと思い出しちゃったな」

 あれは五歳くらいだったと思う。

 なんの用事かはわからないけど、俺とゆかりはお袋に連れられて創大のお袋さん、つまり俺にとって叔母さんに当たる家に一泊することになった。

 ちょうど今くらいの蒸し暑い夏の日で、扇風機をガンガンに回した状態で俺たちは雑魚寝していた。

 そこで俺は喉が渇いたか、トイレに行きたくなったかどっちかで目が覚めた。そん時にかすかにお袋たちが話しているのが聞こえてきたんだった。

 今思い返すとあれは俺の呪いのことを言っているモノだったのかもしれない。

 俺が起きていると知った時。毛布から顔を出してほっとした時に戸のそばでじーっと俺を見ていた時の叔母の顔。

 あの訝しむような、憐れむような、蔑むような、それらの感情を全て隠そうとして、結局隠せていないような、そんな表情の叔母と俺は目が合ったのだった。

 もう十年以上昔の記憶だ。

 その後叔母と何かがあったわけじゃない。

 理不尽に嫌がらせを受けたわけでも、いやなことを言われたわけでもない。

 普通に、兄貴やゆかりと同じように俺も一人の甥としての扱いをしてくれた。

 でもあの時のあの目は、忌避すべきものとして見つめられたあの目は、俺の心の深くをかなり傷つけたらしかった。

 もうずいぶん見ていなかったのになんで今更。

 きっと先日数年ぶりに創大と話したからだろう。あの時は子ども同士で、俺たちは仲が良かったから。

「あー! 何だってんだこんちきしょー!」

 俺は乱暴に頭を掻いてベッドに倒れこんだ。こうなりゃ明日の、ていうかもう今日だけど、遊びは遠慮なく引っ張りまわして胸のもやもやを吹っ飛ばそう。そうしよう。

 気持ちが固まれば楽になった。

 汗も引き、反対にすこし涼しくなった。

 もうひと眠り。今度は楽しい夢が見れそうだった。

 

 

「遅い」

「わ、悪い」

 俺はたははと頬を掻く友人の向う脛を蹴っ飛ばしたくなる気持ちをグッと抑えた。ここでいらん諍いをするのは得策ではない。

「あー、えっと、そんなキレんなって。ジュース奢っから。てかなんかあったの?」

 平等橋は早口に捲し立てると、また頬を掻いた。明らかに動揺している。いい気味だ。

「ああ。お前が一時間も遅刻したせいでしつこいナンパにあったよ。男にだ。まさか女になってまでこんな遣る瀬無い気持ちにさせられるとは思わなかったよ」

 どんよりと暗い目で見つめてやれば、平等橋はひくっとひきつった笑みを浮かべた。

 今日はまた平等橋と遊びに来ていた。

 前回は平等橋がキレて途中になってしまったので、その埋め合わせだ。最近の平等橋は部活にバイトといろいろ忙しそうだが、無理やり時間を作らせた。色々誘うまで勇気が必要だったが、ちょっとくらい俺の相手をしろという趣旨を伝えることには成功したわけだ。

 そんな平等橋だが、この男待ち合わせに大きく遅れてきやがった。

 俺は人を待たせるのが嫌なのと、そういえば前回平等橋はえらく早い時間にやってきていたなということを思い出し、一時間前に待ち合わせの場所にやってきていたのだ。

 つまり俺はこいつには言っていないが二時間待たされたことになる。いや待たされたというとちょっと言葉は乱暴かもしれないが、俺の感覚からするとそうだ。

 待ち合わせ場所は、一応俺たちの住む田舎とは違い都会と言っても遜色ない場所。人は大勢いる。

 二時間近くもずっと同じ場所で暇そうにしている俺は周りからどう見られていたのか予想はつく。

 一時間を過ぎたあたりで、二組の見知らぬ男二人に声を掛けられた。

 初めは道案内か? でも俺この辺あんま案内できるほど知らないしなーと思っていた。しかし「一人?」だの、「よかったら一緒に遊ばない?」などと言われれば、これはちょっと様子が変だぞという気になった。

 丁重にお断りしてその場を離れ、急いで平等橋にLineをしこたま送り付けた。

 すると帰って来たのは『もうすぐつく』の文字。

 もうすぐならどこかで時間を潰すのも変だろうとまた待ち合わせの場所に戻ると、さっきの二人組がまた声をかけてきた。しつこいしちょっと怖い。

 今度はお手洗いで逃げたが、流石にもうあの場所に戻るのはごめんだった。

 そうしてどうしようかなーとうろうろしていた時に平等橋の背中が見えたので、引っ付構えたのが今の図だった。

 平等橋は俺がナンパにあったことを聞くと、次第に表情を曇らせた。冗談じゃないとわかったらしい

「どれ?」

 俺は平等橋を待ち合わせ近くの場所で捕まえたので、ここからその場が良く見える。俺が座っていたベンチ近くにさっきの二人組はまだいた。

「あーっと、あの二人」

「あらー、いかにも遊んでそうな大学生風ですなー」

 言ってることは普段通りだが、声が少し低い。ひょっとして怒ってる?

「ちょっと正義君? あなた何するおつもり?」

「ちょっくら文句の一つでも言ってやろうと思ったけど」

「けど?」

「普通に怖いからやめた」

 なんだそれと俺は笑った。うん、ようやく落ち着いてきた。いい感じだ。

 俺がゲラゲラ笑っていると、平等橋は「あー」だの「うー」だの、かなり気まずそうな表情を作った。

「何?」

「いや、割とマジですまん。どっかしら今までのお前だと思ってる節がまだあるんだなって思ってな」

「どういうことさ」

「お前女で、割とかわいいからさ。今回は声だけだったけど、何が起こるかわかんねえんだなって」

 びっくりした。こいつ俺のことを心配しているらしい。

 子ども扱いかよとちょっと腹が立ったが、それ以上に照れた。家族以外にこういうことを言ってもらえるのは不思議な気分だ。

「それにさっき女になってまで男に声かけられるようになった、みたいなこと言ってたけど、普通だったらそれ逆だからな。女だから声かけられんだよ。ていうかこれからは多分今まで以上に増えるぞ」

「マジかよ。ぞっとしねーな」

 ぶるると身震い。

 今まで身内とか、学校とか、自分の環境に近い所から俺のことをどう思っているのかなんてのは考えていたけど、全くの第三者、つまりその辺の道歩いてる通行人Aが俺のことをどう見えてるか関心を払ったことはなかったので、焦って来た。今焦っても仕方ないのはわかってるんだけど、気持ち的にさ。

「これからはもっと気を付けりゃいいって話だよ」

「そういうんならお前が遅刻しなけりゃ済むんだけどな」

 うぐっと喉を詰まらせる平等橋。ちょうどいい、今日いっぱいはこれでからかえそうだ。

「じゃあ手始めにこの前お前がキレて帰ってった店の続きから行こうか」

「今日のお前ちょっと意地悪じゃないか?」

 俺が歩き出すと、平等橋はため息を吐きながらついてきた。

 遅刻は万死に値すると思い知るがよい。

 

 

「平等橋って相変わらず歌下手くそだな」

「うるせえよ! あの点数計ぶっ壊れてんだってマジで!」

 俺は駅に向かう道中ひたすら平等橋をからかっていた。

 前回遊びに来た時はまだ本格的に夏が到来していなかったので、今回は夏服を中心に何点か物色した。その後でカラオケに入ったのだが、こいつの歌声は何度聞いても笑える。決して音痴という訳ではないのだが、歌い方に癖があり過ぎて真面目に聞いていると噴き出してしまうのだ。ビブラートがかかり過ぎている。

 フリータイムでしこたま騒いだ後、俺たちはやいのやいのたわいのない話に花を咲かせながら歩いた。

 平等橋とは降りる駅は違うが、途中まで方向は一緒だ。電車のなかで今日の出来事をこそこそ話し合っていると、ふと誰かの視線を感じた。

 何の気なしにそっちを見ると、創大がいた。

「ぃい!?」

「おわ、公麿どうした!」

 ばっと顔を背けた俺。当然さっきまで話をしていた平等橋は訝しんだ。

「あれ、誰か近づいてくるけど。あれお前の知り合い?」

「知らない知らない。赤の他人」

 

 俺は平等橋の服を引っ張って隣の車両に移ろうとしたが、事情の分からない平等橋がすぐに反応できるはずもない。

「何逃げようとしてるわけお前?」

 結局すぐに奴に捕まった。

 観念して創大の方を向くと、まあ嫌らしい顔をしていること。

 にやにやと口の端を上げ、さも弱みを握りましたと言わんばかりの嫌らしい笑みだ。何がそんなに楽しいんだこいつ。

「なに、おたくそいつの彼氏?」

「は? いきなりお前何言ってんだよ」

 創大は俺ではなく平等橋に声をかけた。平等橋は突然見知らぬ男から声を掛けられたということなので、困惑した様子だ。

「あんた誰?」

「俺? 俺はこいつの従兄だよ。藤原創大っていいまーす。以後お見知りおきを」

 俺をそっちのけで勝手に会話が進む。

 創大は何のつもりか、平等橋に握手を求めた。

 なんでヨーロッパ式の挨拶求めてんだよお前。

 平等橋はまだ困惑している様子だったが、一応握手に応じるようだった。

 その時、創大の目が嫌らしそうに細められるのを俺は見てしまった。

 やめろ。

 俺はとっさに平等橋に口を挟もうとしたが、遅かった。

 差し出そうとした平等橋の手は空を切り、返す刀で創大は平等橋の頬を叩いた。

 パチンと、軽い音が車内に響いた。

 全力じゃない。軽い、スキンシップのような平手。

 痛みはないはずだ。

 体の痛みは、だが。

「あぁ?」

 人を怒らせるためだけにする行為。

 創大はどういう理由か不明だが、初対面の平等橋を挑発したのだ。

 平等橋の体から膨れ上がるように怒気があふれ出た。

「ちょ、やめ、平等橋!」

 俺は平等橋の体にしがみつくようにして止めた。俺の力で止まるとは思わなかったけど、電車の中で喧嘩なんて学校にバレたらえらいことになる。

 平等橋は滅多に怒ることはない。

 そもそも学校でそんな滅茶苦茶にキレることがないっていうのもそうなんだけど、人に対して「こいつやったるでぇ!」てな感じで怒り爆発させることなんてなかった。喧嘩に発展しかけること場面は何度か見たことはあったけど、それも平等橋はいつもへらへらと諌める感じで、自分から掴みかかるなんて予想もつかない感じだった。

 そんな平等橋がキレている。

 当たり前だ。初対面の人間にそんな態度とられりゃ誰だってキレる。

「おーこわ。マジでキレてんじゃん」

「黙れ創大!」

 俺は平等橋の服の隙間からぎっと創大を睨んだ。誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。

 平等橋は一言も口を利かず、ただゆっくりと創大を睨んでいる。

 力が強い。

 抱き着くようにして背中から両腕を押さえつけているが、俺のホールドがいつまでもつかわからない。

 助けを呼ぼうと周りを見渡したが、今日に限って人がほとんどいない。その少ない人も、巻き込まれたくないと端の方に移動したり、スマホを弄ってみて見ぬふりをしている。俺も逆の立場だったら同じことをすると思うから何も言えないが、駅員さんが来てくれればという思いが胸に去来する。反対に、来て事が大ごとになったら学校に連絡いくよなと、来てほしくないという気持ちもある。どうしたらいいんだとパニックになった。

 永遠とも思えたこの瞬間だが、突然終わりを迎えた。

「はー面白かった。あんたガチギレしすぎだろ。挨拶だって挨拶。ほんじゃま、さいならー」

 次の駅で創大が降りたからだ。

 扉が閉まってから、次の駅に向かう数秒間。俺たちは動けずにいた。

 それから、ふしゅーっと俺は気が抜けたように座席にへたり込んだ。なんだったんだあれ。

 平等橋を見れば、やつはもう落ち着いていた。しかしため込んだ怒りをどこに向ければわからないようで、「ぬがー!」と震えていた。

「びょ、平等橋?」

「あー! なんだあいつ腹立つわー! 公麿あいつお前の従兄ってマジなんか!?」

 ぐわっと詰め寄られた。こう、風が前髪をはじく勢いで。

 思わず赤べこのようにこくこく頷くと、平等橋はまた「ぬがー!」と奇声を発した。

 ふと、俺は餅田の言葉を思いだした。

 平等橋に説明するいい機会かもしれない。

「な、これからお前んち寄っていってもいいか?」

「あ? なんだよ急に」

「そいや愛華さん今日家にいる? いないならまた前みたいになるから外の方がいいかも」

「なんねえから! あんなこと二度としねえから! つかいるよ姉貴普通に!」

 興奮のせいもあってややオーバーリアクションで平等橋は否定した。

 愛華さんがいるなら大丈夫か。

 俺はお袋に今日は帰るのが遅くなると連絡を入れるため、いそいそとメッセージを打ち込むのだった。 

 

 


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