TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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なんだか初めのほうに比べてどんどん文字数が増えていっている気がします。分割したほうがいいのか悩みどころですね……


今はそういうこと考えられないんだ

 今回の肝試し、短いと思っていたが案外長いということにやってみて気が付かされる。

 この学校は上空から見ると『州』という字に似ている構造となっている。

 一画目の部分が特別棟で、長い部分が左から三棟、二棟、一棟となっており、小さな点は建物を繋ぐ渡り廊下にして見ればこれほどわかりやすい漢字もないだろう。

 特別棟から出発した俺たちは、一階の三棟と二棟の三棟よりに位置する学食を抜けた後、そのまままっすぐ一棟へ目指していた。

 この学校は珍しく体育館が棟の中にある。

 一棟の二階に体育館があり、その手前に体育教師が常駐する体育教官室なるものがある。

 体育の授業の時忘れ物をしたらここに報告に行かなきゃならんのだが、これがすこぶる恐ろしい事だった。

 うちの高校の体育教師は基本的にパワハラを恐れないけしからん教師共で、生徒の畏怖と軽蔑の対象となっている。あくまで俺はそう思っている。

 男の時、俺は外見のせいか知らないがある体育教師にえらく目を付けられ、露骨に弄られ続けた記憶がある。

 故に体育館やその手前の教官室は嫌な想いしかせず、できれば通りたくないが肝試しのチェックポイントになっているのだから仕方がない。

 それに今は体育教師も帰っていないしな。

「綾峰やっぱビビってんじゃね」

「んなわけねえだろボケナス。しつこいぞ魔法使い」

「ま、魔法使いじゃねえよ!」

 復活した村木はいつもの調子を思い出したように軽快に俺をおちょくる。甘い、弄られキャラ度だったら俺よりお前の方が上だ。魔法使いの使いどころは間違っているのは知っているが、こういうのは言ったもん勝ちだ。うははは。

 スタートより幾分ましな空気になりながら、俺たちは目的の場所近くまで来た。

「ここってさー、正直隠れる場所あんまねえよな」

「だなー」

 俺の呟きに今度はしっかり返してくれる村木。うんうん、こういう言葉のキャッチボールって大事だと思う。

 だが実際その通りなのだ。

 学食と違い、ここは言ってしまえば隣にバカでかい体育館があるだけで隠れ場所なんてほとんどない。言ってしまえばただの廊下と大差ないのだから。何を思ってこんなところをチェックポイントにしたのか。

 どんな仕掛けをかけてきてんのかなーと思い切って教官室前まで飛び出した。

「……あれ?」

「なにもないなー」

 何もなかった。仕掛けも、さらに言えばマグネットも。

「なんか張ってあるぜ」

 村木が教官室の扉に貼ってあった紙を発見した。

 ライトで照らしてみると『体育館に変更』とおどろおどろしい字体で書いてあった。って体育館?

「あ、開いてるじゃん」

「マジかよー」

 俺はげんなりしてその場に座り込みそうになった。本来閉まっているはずの体育館が片方だけ開いてる。学食なんか目じゃないくらい暗い。

「入りたくないんだけど」

「びびりじゃん」

「うるっせえなバカ」

 やけに嬉しそうな声を出す村木。馬鹿にされると癪だ。入ってやろうじゃないか。

 真っ暗の体育館は、俺たちが足を踏み込んだ瞬間ばっとひな壇に明かりがともった。びっくりしたー。

 ひな壇の上どころか体育館のどこにも人の姿は見えない。

 ひな壇中央に校長がスピーチするときとかに使う机(名称がわからん)に、マグネットを入れた箱が見えた。うえぇ、あそこまで行かなきゃ行けないのかよ。絶対なんか仕掛けてあるじゃん。

 やだなーとか思いながら二人で正面まで近づいていくと、後ろの出口がバタンと音を立てて閉まった。ていうか閉められた。

 するとどこからともなく流れる女、いや少女の笑い声。

『クスクスクスクス』

 いや怖いよ!

 どんだけ凝ってるんだよここの脅かし役の奴ら!

 ひな壇だけはっきりと明るくて、周りが薄暗いのも相まってすげえ怖い。

「綾峰、ちょ、お前」

「ちょちょちょちょーっと黙っとれい!」

 村木をデカい盾に見立てて俺は突き進むことにした。前は見ない。何なら地面も見ない。何処も見ない。

「ぶつかるから! お前力案外強いな!」

 そんなに距離もないので、すぐにひな壇までたどり着いた。

 震えてなかなか階段が上れん。くそったれ。なんという恥辱か。

 村木は何も言わず俺の腕を引っ張って上まで引き上げてくれた。いいやつだなあ。

「びびってねえからな!」

「いや完全にびびってるだろ」

 びびってる。だから肝試し嫌なんだよ。こいつらガチなんだもん。

「捕まってなよ。服」

「え、あぁ……」

 紳士にも村木は体操服の端を掴むように言ってきた。もうなりふり構ってられん。恩に着るぜ魔法使い。

 俺が服を掴むのと、村木がマグネットを取るのがほぼ同時だった。

 マグネットを掴んだ瞬間どこからか『ジリリリリリ!』と黒電話の音が聞こえてきた。多分箱の内側にセンサーか何か仕込んでやがったな。

「わあああああああ!!!」

「どっから出てくんだよお前らあああ!!」

 舞台裏から馬の被り物を被った奴らがぞろぞろやって来た。

「ワンパターンかおのれらは!」

「逃げよう!」

 急いで駆けだそうとする村木。あかん、腰抜けた。初めての経験に俺はちょっと涙が出た。

「置いて行くなよ!? 後生だぞ村木!」

「うっわマジかよ綾峰!」

 びーんと服の裾が伸び、ぐえっと村木がのけぞった。死んでも離してなるものか。

 脅かし役の奴らは俺のリアクションが楽しいのか、俺たちを囲んでゆっくり近づいてくる。ほんと怖い。なんだその馬。上半身裸って変態かよ!

「もういいから上乗れ!」

「は、はあ?」

 村木は俺を小脇に抱え、まるで荷物を扱うかのように背中にしょい込んだ。パワフルすぎて言葉も出ない。

「あ、てめえ村木! それはやっちゃいかんだろ!」

「綾ちゃん離せよ村木いいい!」

 すると今度は馬面の奴らが本気になって追いかけてきた。うおおお別の意味で超怖ええ!

 流石はマッチョマン。村木は俺をものともしないように追いかける馬面に捕まることなく体育館から出ることができた。

 閉まってた扉も、いつの間にか開いてたし。

 出る時後ろを振り返ると、馬面の奴らは酸欠に陥っていた。あんなもん被りながら走るからだ。

 村木は俺を下ろすと、荒く息を整えた。そりゃ流石に疲れるよな。

「ごめん。重かっただろ」

「いや全く。運動不足なんだ俺」

 それはさすがに嘘だろう。女子に体重云々で誤魔化すというのはよくわかるが、俺は元男だしそんなん気にしないのに。

「それより綾峰もう大丈夫か」

「うーん、いやごめん。まだ動けん」

 冷静装っているが今も心臓ばくばくいってる。神経切れたんじゃねえかってくらい下半身と接続できない。情けねえー。

「背負ってってやろうか?」

「やー、さすがにそれはなあ」

「でも後続がそろそろやってくるぜ」

 そうだった。俺たちが出発した時間間隔からいってもそろそろやってきてもおかしくない。背に腹は代えられんか。

「悪い、頼むわ」

 村木に体を預けた。こいつやっぱ上背あるなーとか思う。あと視点が高くなったのでいつもと違う感覚だ。へえ、長身のやつは世界がこういう風に見えてるんだ。

「お、これ、こうしてるとなんか肝試し全然怖くないな!」

「……」

「な!」

 テンション上げて張り切る俺とは対照的に、村木は何も言わず歩きだした。ちぇ、乗って来いよこんにゃろ。 

「最後は音楽室か。私音楽室って行ったことないんだよね」

 この学校では芸術科目として三つから一つ選択することができる。美術、書道、音楽の三つだ。

 俺は毎年書道を選択しているので、音楽室とは今まで無縁だったりする。書道の教室の横が音楽室だから場所は把握してるんだけど。

 村木の上に乗った俺がライトとルート確認係で、村木が歩行係。歩行係ってなんだよって誰か突っ込んでほしい。村木にこういうフリをしても「あー、うん。そうだな」くらいしか返ってこなくて物足りないのだ。平等橋なら爆笑した後「いやそれおもしろくないわ」とか矛盾したこと言ってくれるんだけどな。

 そろそろ歩けそうなので、村木にも「もう大丈夫だぜ」って言ってるんだけどこいつ無視しやがる。俺を新しい筋トレ道具だと思っているのではないかと疑問だ。

 俺もなんかアトラクションっぽくて楽しいのでずっと乗っていることに不満はない。でも疲れないのかなこいつとは思う。

 一棟の三階にある音楽室は一度二階の職員室の前の階段を通らなければいけない。

 この階段になにか仕掛けがあるとか、特別なことはない。だがそのすぐそばにバカでっかい鏡があるのだ。

 昼間に見ても特に思うことはないが、今は肝試し中だ。暗闇の鏡ほど恐ろしいものはない。

 鏡エリアが近づいてくると、俺は自然と身をこわばらせた。

 体重をただ預けるのではなく、自分からがっちりしがみつく姿勢にシフトだ。いつでも走り出せる体制を整えてやる。

「ちょ、綾峰」

「し。集中しろ」

 今か今かとドキドキさせる。

 ……おや?

 視点が高いおかげで気が付いた。階段の陰に一人隠れてやがる。わはは、これで向こうが驚かしてきても何も怖くないな。

「わ! って、ぇえ!?」

「ひょえ!」

 かと思ったら廊下側の窓から顔を覗かせて驚かしてくる奴がいた。おいここ二階だぞ! 危険すぎる。

 そいつは驚かしたと思ったら中途半端な困惑を混ぜてきた。脅かしとしては失敗だろう。

「ちょっとちょっとマロちんそれどういうこと?」

 村木の背中に顔を押し付けていた俺は、その声で誰かわかりほっとした。亜衣だ。でもなんかちょっと怒ってるような気がする。

「村木くん、マロちん下ろして」

「え、あ、ああ」

 俺が言っても聞かなかった村木が、亜衣が言うとあっさり下ろしやがった。どうなってんだこの野郎。

「ちょっとこっち来なあんぽんたん娘」

 俺の手を引いて村木から聞こえない位置まで移動する俺たち。暗闇でもわかるくらい亜衣の機嫌は悪そうだ。こいつのこんな顔見たことなかったので、何を言われるのか不安だ。何をしたってんだよ。

「ダメだよ。男の子にあんなに密着したら!」

 小声で怒る亜衣。一瞬なんのことを言われてるのかわからなかった。

「え、と。何?」

「まさか気づいてないの?」

 亜衣は馬鹿かこいつとでも言いたげに俺を見てきた。失礼だろう。

「マロちんさんざん自分でも言ってるじゃん。もう女の子なんだよ? 男の子にあんなにくっついてたら何されても抵抗なんかできないんだよ!」

「え、えぇ? でも私が男だった時あいつも知ってんだぜ?」

 だから俺相手にそういう気分になることなんてないだろって意味で言ったんだけど、亜衣は「甘いよ!」と一喝した。

「今のマロちんは男の子になんて見えないんだから、そういう考えは捨てなきゃ! それに男の子の時だって半分女の子みたいなもんだったじゃん!」

「おいちょっと待てや」

 とにかく! と亜衣は俺の口元に人差し指を立てた。言い訳無用とでも言いたげだ。

「過度な接触はNOだよ! ボスに言いつけるよ!」

「了解だ。絶対守る」

 裕子の名前が出た瞬間俺はすぐに頷いていた。条件反射とは恐ろしい。

 亜衣から解放されて戻ると、村木は所在なさげにたたずんでいた。こんなところで待たされたらそりゃそういう顔にもなる。申し訳ない。

「や、ごめんごめん」

「いいよ。柊に拉致られたのは見てたし」

 村木は実に寛大だ。こんな男が俺を不埒な目で見ているはずがない。亜衣は心配性なのだ。

 そんな亜衣は俺と話し終えると、また窓の反対側にスタンバイしに戻った。落ちたら絶対ケガするからやめた方がいいと思う。あと階段近くに隠れていると思っていたのは人形だった。亜衣が油断させるために置いたらしい。なんという徹底ぶりだ。ちなみにここまで亜衣の脅かしでビビらなかった組はいないらしい。

「あのさ、綾峰」

「ん?」

 階段を上っている最中、珍しく村木から口を開いた。なんだろうと思って村木を振り返ると、やけに顔が赤い。

「お前平等橋と付き合ってるってマジ?」

 こいつなに言いだしてんだ。

 数秒間じーっと見てやると、「悪い、そうだよな」と勝手に納得し始めた。まて、どっちの方向で納得したんだお前。

「付き合ってるわけないだろ。友達だぞただの」

「え、付き合ってないのか?」

 わざわざ口に出して訂正しておいてよかった。なんかすげえ勘違いされるところだった。でもそうか、飯作ってる時もまさかって思ってたけど、マジで俺が平等橋とどうこうあるって信じてるやついるんだな。そいつらは何も疑問を抱かないのだろうか。

 村木は「なんだそうなのかよ」と心なしか声の調子が明るくなってもう一度そうかそうかと頷いた。

「てか誰だよ。そんなこと言ってるやつ」

 見つけたら折檻だ。俺がはーっと掌を暖める仕草をすると、村木は楽し気に笑いやがった。いやまあ冗談なんだけどお前の笑いのツボどこにあんだよ、さっきまでほぼ無表情だったじゃねえか。

「誰って、特定の奴はいないよ。みんな言ってたからさ」

「みんなねえ」

 厄介な言葉だ。

 集団をさす言葉のはずなのに、いざお前はみんなの中に入ってるのかって聞かれたら全員が首を振るような曖昧な表現だ。もやっとすんぜ。

「まあいいや。行こう」

「あ、ああ。手掴まんでも歩けるって」

「また固まられたら困るし」

「二度というなよ? いいな、それは禁句だ」

 テンションの上り幅に若干困るやつだが、村木悪い奴じゃないんだよな。男の時にもう少し俺が歩み寄っていたら、こいつとも平等橋みたいに仲良くなれたんだろうか。

 繋がれた手を見つめながら、俺はあったかもしれない可能性を考え、いややっぱないだろと破棄した。あの時の俺に話しかける猛者なんてあのアホくらいしかいなかったのだから。

 最後のチェックポイント前に、俺と村木はずんずん進んでいった。

 

 

「お疲れー」

「ただいまー」 

 多目的教室に戻ると、先にゴールした組がおいおいにそんな声をかけてきてくれた。みんな疲れ切った顔をしつつも満足そうだ。怖かったし楽しかったからな、この肝試し。

 難点を言えば最後のチェックポイントだ。

 一つ目と二つ目に力を入れ過ぎたのか、最後の音楽室は気弱な女子がロッカーから「わ、わああ」と脅かしてくるだけだった。直前に亜衣のあれがあったから迫力不足というほかなかった。

 でもゴールに決められていた教室のアンケートは面白かった。

 チェックポイントで使うマグネットが何に使うのだろうと不思議だったのだが、教室に入った瞬間分かった。

 黒板にアンケートが書かれていたのだ。

『脅かし道具として馬の被り物はありかなしか』

『体育館の鍵は許可を得ていたかどうか』

『石田先生は結婚できるか否か』

 最後の質問は確実にあほな男子の悪ふざけだ。石田先生が見たらきっと泣く。

 それぞれYESとNOの枠が用意されていて、ペアごとにマグネットを一つずつ貼っていった。三つ目の質問はNO一択だったけど、どうやって確認するつもりなのだろう。

 

 俺が帰ってきたとき、舞衣はもう既に出発した後だった。

やることもないので一人で寝転がって待つことにした。決してクラスの奴らから逃げているわけではない。話しかけられることから逃げているわけではない。でも裕子たちいないから気まずいんだよなあ。誤解のないように補足すると、この教室は床全体にカーペットを敷いている。そのため、寝転がって休憩をしている人たちは結構いた。

「よう。ここいい?」

「ん、村木?」

 スマホをポチポチしていると、村木がすぐそばにきていた。珍しいな。

 村木は普段球技大会や合唱コンクールとか、クラス全体の催しがあってもすぐ仲間の男子の所に避難していく。俺たちがゴールした後も村木は仲のいい男子連中の元へ真っ先に離れていった。わざわざこっちにやって来たのが意外だった。

「いいけど、どうしたん?」

「いや、その」

 歯切れが悪い。

 ははーん、こいつ何か頼み事でもあるんだな。村木とは男の時もそれほど話したことはなかったが、この肝試しで随分仲良くなれたらしい。結構嬉しい。

 なんなのだろうと首を傾げていても、村木はなかなか口を開かない。

俺も村木も何も喋らない時間が数秒続く。それだけで空気が妙なものになっているのが分かった。

 違う。村木が俺のところへやってきたのはお願いなんかじゃない。

 伏せていた村木の顔がゆっくり上がった。その顔を見て、嫌な予感は確信に変わった。

「話、ちょっとあんだけど」

 

 

 脅かし役と交代して、今度は俺たちが脅かす側へ回った。

 俺は舞依とペアで、音楽室に入って来たクラスメイトを狙った。釣り竿にくっつけたこんにゃくを首元に当てる役だ。面白いぐらい悲鳴を上げる同級生が楽しくて仕方がなかった。

 笑ったのが平等橋と裕子がペアで来たことだった。

 明らかにギスギスした空気をまき散らしながら歩く二人は、脅かし役を逆に威圧していた。

 肝試しは大きな事故なく、つつがなく終了した。アンケート結果は明日帰るまでに報告があるらしい。地味に楽しみだったりする。

 片づけをして、風呂でも入ろうかとこっそり抜け出そうとした俺を止める三つの影。

「どこ行こうとしてるのマロちん?」

「逃がしはしないぜマイスイートハート!」

 亜衣と舞衣、それに後ろに構える裕子から逃げることはできなかった。

 更衣室に連行される俺。着たくない。本当に着たくない。俺の願いは聞き入れてもらいすらいなかった。

「観念するんだ綾峰隊員!」

「羞恥心が快楽に変わるときがやってくるぜ!」

「それただの変態じゃねえか!」

 ぐずぐず着替えない俺。業を煮やした三人によって俺はあれーと悲鳴を上げながら着替えさせられた。

『………』

「なんか言えよ!」

 着替え終わって無言でサムズアップを送る三人に俺は盛大に突っ込んだ。

 

 

「よお」

 プールサイドで意気消沈していると、「よっ」という掛け声と共に平等橋がやってきた。腹筋バキバキに割れてやがる。ムカつくぞこいつ。

「おー」

「なんだよその気のない返事は」

 うっせえと返すが声に力がないのは自分でもわかった。平等橋は隣に腰を下ろすと「あいつらは?」と訊いてきた。裕子たちの事だ。

「泳いでるよ、あそこで」

「お前行かなくてもいいのか?」

「全力で拒否したら流石に勘弁してくれた。でも多分また来ると思う」

「お前も大変だなあ」

 他人事のように平等橋は言う。文字通り他人なんだけどさあ、もっとこうなんか温かみのある言葉がいい。

 夜のプールというものは思っていた以上に良かった。

 クラスメイト達が楽しそうに騒ぎ、波打つ水面がライトの光と夜の暗闇が混ざってきらきら光っている。それがなんとも幻想的な気分にさせた。ぬるい風が肌の上を撫でる。普段なら気持ち悪いと感じる湿度の高いそれも、幾分気温の下がったここでは不思議と嫌な気分にさせない。何もなければ俺の気分を高めるのに一躍買っていただろう。

「そういや、お前どんなの着てきたんだよ」

 不意に平等橋が口を開いた。唐突の質問に俺は一瞬どきりとさせられた。

「み、見せないぞ!」

「だったら何しにここに来たんだよ……」

 平等橋は呆れているようだった。

 ここまで逃げ回ってきて今更だが、やはり恥ずかしい事には変わりはない。特に平等橋に見せるのは無性に恥ずかしい。なぜなら水着を買う時に参考としたのが、平等橋に見せるならどの水着がいいか、だからだ。どうしてそんな思考回路に至ったのかは今でもよくわかっていない。その場のテンションと舞衣に乗せられたのが大きな理由だと考えている。強引にでも自分の中で理由を作らないと、女物の水着を買う行為が自分の中で許容できなかったからだ。しかしよくよく考えて舞依に何と言われようがあの時断ればよかったのではないかという疑念が尽きない。あの時軽率な行動をとった自分がただただ恨めしかった。

平等橋の視線から逃げるように、ぐっとタオルを胸元に引き寄せた。

「そんなにヤバイやつなの?」

「やばいって?」

「紐とか?」

「お前やっぱバカじゃん」

 発想が俺と同レベルだった。

「……はあ」

「なんだよため息なんか吐きやがって。別に無理に見ようってわけじゃねえよ。お前そういうの苦手って知ってるし」

 この前のプールの授業の事を言っているのだろう。あの時俺は無遠慮に平等橋を罵倒したが、考えてみたらただ通りがかっただけだし、もっと言えば裕子が余計なことをしなかったら何事もなかった。何も言っていなかったが平等橋には悪いことをした。

「よし」

「何、いきなり立ち上がったりして」

 こいつに隠すのも今更だ。布地面積は違うが、一度見られている事には変わりはない。それに裕子たちに強制的にはだけさせられるのだったら自分から脱いだ方がまだ傷は浅いだろう。

 羽織っていたタオルのボタンをぷちぷち外す。

 平等橋から少し離れて振り返り、思い切ってその姿をさらした。

「どーだ平等橋!」

 息を飲む音が耳に届いた。

「……どうよ」

 今度は慎重に尋ねた。

 選んだのは白のビキニタイプの水着。

平等橋はむっつりスケベなので、清純っぽいのが好みだ。この水着を目にした時、昔平等橋と遊びに行ったときの事を思い出した。去年の夏。ぶらぶらと二人で服を見ていた時、奴はある店でぴたりと立ち止まった。『見ろよ公麿。こういうのやばくねえ?』。谷間の所がリボンみたいになっている以外はシンプルなデザイン。巨乳なマネキンが着けたそれを見つめる平等橋にドン引きした記憶が懐かしかった。

あの時見た水着と瓜二つのデザインを見つけて興奮してしまったことは否定しない。ただし買う時に試着した自分をしっかりと見つめなおす時間は必要だったと思う。巨乳のマネキンが着けた姿は色っぽく見えたが、俺が着けたら胸が足りない。頑張って背伸びをした子供だ。肌を見せること以上に、そんな自分を晒すことが恥ずかしかったのもまた事実だった。

 しばらくたっても何も言わない平等橋。

羞恥心で燃え上がりそうになる一歩手前で、ようやく平等橋は反応を見せた。

「あ、ああ。いいんじゃないか」

「いいんじゃないか? もっと気の利いた言葉はないのかよ」

「最高にエロいなそれ!」

「もういい。お前に聞いた私がバカだった」

 平等橋の反応は予想できていたけど、がっかりだ。もっとましな表現はないのだろうか。一年前から何一つ進歩のない友人を半目で見つめると、居心地が悪そうに身をよじらせた。一応自分の発言の中身を気にしてはいるらしい。

 でも振り返った時のあいつの顔は見物だった。世の女性は男性にああいう目で見られたいから頑張るのかもしれないと思うくらいに、達成感というか、やってやったぞっていう気分にさせてくれた。

「なあ平等橋」

「あんだよ」

 俺はもう一度平等橋の横に腰かける。

「お前私のことどう見える?」

「……」

 俺の突然の問いに、平等橋はすぐには答えなかった。じっと俺の目を見つめ、言葉の意味を反芻するように頭を掻いた。面倒臭いこと言っている自覚は、一応ある。

「どうって、公麿だろ?」

「そういう事じゃなくて、もし私がキスしたいって言ったら受け入れることできる?」

「なにこの前の事言ってんの? 謝ってるじゃねえかそれは」

「違うよ。真剣に聞いてるだけ」

 平等橋は黙った。

「変わりたくない。変わらない。そう思っているのは私達だけなのかなって」

 俺はプールの方に目を落とした。

 バカみたいに騒ぎまわる男子たち。

 その中に村木の姿はない。

 

 

「綾峰。付き合ってくれない?」

 特別棟の四階までやってきて、俺は村木から告白を受けた。

 どこにとか、古典的なボケで誤魔化せる空気ではなかった。男女交際について村木は言っていた。

「えっと、私前まで男だったんだけど」

「知ってる。それでも俺はお前が好きだ」

 男子に告白されたことは今まであったが、これは新しいパターンだった。なぜなら今の俺は女だ。これまでのように男だから無理と無碍に出来ない。

 村木の目は真剣そのものだった。

 ここまでやって来るのに相当な決意をしたのだろう。覚悟を決めたように真っすぐ俺を見つめていた。

 それに対して俺は、随分情けない顔をしてしまっていた。

 亜依や舞依が散々忠告していたのはこのことだったのかと、初めて自分を恥じた。ありえないことだと勝手に決めつけていた。

 スキンシップだ、密着だ、なんだと軽く考えていた。

俺は元男だ。男の時を知っているクラスメイト達から見れば、女になっても俺は女子の枠に入っていないと思っていたのだ。

「きもい話していいか」

 俺が黙っていたからだろう。何も返事を返せなかったが村木は続けた。

「俺実はお前のこと入学した時から気になってた」

「うぇ!?」

「いや勘違いすんなよ。ホモとかじゃねえから」

 何をどう勘違いするなというのか分からない。入学当時の俺は紛うこと無く男だ。

「お前女にしか見えなかった。俺女子と話すと緊張してどもんだけどさ、お前だとそれがなかった。男だってわかってたけど、目で追ってたんだよ。そんなお前が女になったって聞いてさ、今まであんま喋ったことなかったし、それに平等橋と付き合ってるって思ってたからなんも言えなかった。でもそうじゃないって聞いたから」

 一息に村木は言った。村木は真剣だ。真剣の告白だ。

 バクバクと、恐怖とは別の緊張で心臓が高鳴る。

 村木に話があると言われた時、薄々感じていた。今まで告白してきた人たちと同じような目を彼はしていたからだ。

 苦しいのは、俺がこいつの気持ちに応えることができないから。

 それでもすぐに返事ができないのは、断る時の気まずさ、タイミング、その他もろもろの勇気がまだ訪れないからだ。

「改めて言います。俺の彼女になってください」

 村木が頭を下げた。

 男らしい。咄嗟にそんな言葉が頭に浮かんだ。

 よく仲間内でモテない奴がいて、でもそいつの良さは男友達の中ではみんなわかっていて、『俺が女だったら絶対付き合うよ』みたいなことを言われている奴がいるとする。

 村木はまさしくそういうタイプだった。

 俺も村木のことは好ましく思うし、男の時だったら話の流れで「おー、俺も付き合う付き合う」と便乗したかもしれない。

 でもいざそういう局面に立った時、そんな選択肢が出てこない。

なんでこいつ告ってきたんだよ。

罪悪感と焦燥感で胸が押しつぶされそうになった。

「……やっぱ無理か」

「……え?」

 どれくらいお互い黙っていただろう。ぽつりと村木がそういった。

「俺じゃ無理だよな。お前には平等橋いるし」

「何、言ってんだよ。どうしてそこで平等橋出てくんだよ」

「だったらなんか言ってくれよ。俺じゃダメか?」

 正直ここまではっきり追求できるのは称賛に値する。

普通俺のような曖昧な態度を相手にされたら、その時点で脈なしと見るか、気分を害して立ち去るかするものだと思う。村木のようにあえて踏み込んで曖昧にしないのは少数派だろう。それは村木にとって痛みを伴う可能性が高いからだ。村木のそれは誰にでもできることじゃない。

だが、それは俺にとっても苦しいことだった。

 ふと、村木の表情を見た。

 泣きそうで、苦しそうな歪んだ顔。

 頭を氷の塊のような硬い何かで殴られた気分だった。

 俺は何を考えていたのだろう。

 自分から口にしたくないから。悪者になりたくないから。さっきからずっと村木を傷つけている。

 相手にどれだけ失礼なことをしているのか、俺はこの時初めて気が付いた。

「ごめん。村木とは付き合えない」

「理由、聞いてもいいか」

 半ば予想していたのだろう。村木はすぐに返してきた。だが俺はそれに満足な答えなんて持ち合わせちゃいない。

「理由は、ない。ごめん。ただ、付き合えない。今はそういうこと考えられないんだ」

「………」

 村木は押し黙った。当然だ。理由もないのにフラれるなんて冗談じゃないだろう。それならいっそ自分に欠点があるからとでも言ってくれた方がまだましだ。

でも俺はそれを口にできなかった。嘘をつきたくなかったから。

 本当に村木と、男と付き合うということが考えられなかった。

 周りから散々平等橋とのことを言われても、「またなんか言ってらー、はは」くらいに流していた。

 平等橋に女扱いしろってごねたこともあったけど、その時も考えたことはある。

俺はあいつの女になりたいのかどうかってことだ。

 俺の中の結論はNO。

 俺が求めるモノは『友情』であって『愛情』ではなかった。

 それは平等橋もわかってくれていると思う。だから俺たちはうまくやっている。

 でもそれを周囲がどう思うかなんて考えていなかった。

 裕子や亜依、舞依が散々注意をしてくれても、真剣に耳を貸すことがなかったのはそのためだ。

俺自身がそういう気持ちを抱いていないのだから、相手もそう思うはずがない。

 平等橋というたった一人の特異なサンプルだけで、俺はそれがすべての男子に共通することだと勝手に思っていた。

いや、そう思い込もうとしていたというのが正解かもしれない。

 だって面倒じゃないか。クラスの男子が俺のことを一人の女子として見ているだなんて。

だってあいつらと俺はちょっと前まで猥談なんかをしていた仲なのだ。親しさという面で見ればそこまで親密ではなかったかもしれない。しかし同じクラスの男子という仲間意識はあった。そんな彼らのことを俺は警戒したくなかった。

 それが甘えであることはわかっていなかった。

 皆が皆、平等橋じゃない。

「納得、できないっていったらどうする?」

 震える声で村木はそう言った。

「ごめん。それでも無理だ」

 俺にはそう返すしかできなかった。

「……そう、か」

 ただ一言、彼は「仕方ないな」と笑みを作った。無理して笑っているのだと知りつつも、それを指摘する権利は俺になかった。

罪悪感がまた刺激された。

 

 

 あれから俺は村木と顔を合わせていない。向こうも気まずいのだろう。

 村木に告白を受けたことは平等橋に言うことはできなかった。何故だかわからないけど、それを言うのは躊躇われたからだ。

 変わらない関係でいるための現状維持。

 それが俺は最善だと思っていた。

 でもずっと同じ関係でいるってことは本当にできるのだろうか。

「あ、マロちんが脱皮してる!」

「捕まえるのよ亜衣、舞衣!」

「合点承知だボス!」

 むんずと抱えられてプールに引きずり込まれる俺。

 ごぼごぼと空気が漏れる水の中で、このままじゃいけないのではないかと、形のない危機感だけが胸を募らせていった。

 

 


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