TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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このままでいいのかなっていう

 悩んでいた。

 椅子に尻を乗せ、学習机の端に両足の指を引っ掛けて座っていた。裕子が側にいれば行儀の悪い座り方はやめろと注意を受けるだろう。

 クラス合宿がつつがなく終了してから二日が過ぎた。

 いや、つつがなくというのは嘘か。

体育館の不正使用と黒板に残されたアンケートのせいで、普段温厚な石田先生を激怒させる事態となったからだ。

いつもお願いをしている清掃会社にわざわざ断りを入れてまで、全校舎中のトイレ清掃という罰を下す石田先生に一同は困惑と恐怖を隠せなかった。俺だって怖かった。

 クラス全員で無言で便器を擦る光景はなかなかシュールだったと思う。

 それ以外は本当に何事もなく終わったと言ってもいいだろう。

真面目に掃除したということで、石田先生が奮発してバーベキューにかなりいいお肉を買って来てくれた。すっかり遅くなってしまったけど、裕子たちとだべって帰る道すがらは面白かった。

 問題はある。

 俺個人の問題だ。

 村木の告白の件だ。

 プールから上がった後も、その日寝る時も、トイレ掃除をしているときも、バーベキューで皆がはしゃいでいる時も、ずっともやもやもやもや心の中で蜘蛛が糸でも吐いているんじゃないかってくらいどんよりした気分でいた。

 この感情を隠す腹芸は俺にはできないだろう。顔に出やすいってことはそろそろ学習した。俺は裕子や亜衣、舞衣にばれないように必死だった。なんでもないふりをした。

 別に隠すようなことでもないし、彼女たちなら笑わず相談に乗ってくれるだろう。そりゃ初めはちょっと何か言われそうだけど。

 隠したのはあの時、あの場。村木がすぐ近くにいるあの空間の中で、村木の話題を口に出すことが嫌だったからだ。

 俺のポーカーフェイスはうまくいったようで、三人から特に何か問われることはなかった。気づいていて言わなかったのかもしれないけれど。

 それが良かったのか悪かったのかはわからない、けど今は後悔している。

 一人でこんな気持ちなるって分かっていたなら相談したかった。うがー。

「大体突然なんだよなあいつも」

「誰が?」

「誰って、そりゃ」

 ……なんで独り言に返事が返ってくるんだ。

 嫌な予感がしつつも声のした方を振り返る。案の定ゆかりだった。妹は俺のベッドに寝転がりながら、興味津々に鼻を膨らませていた。 

「ノックはしたからね! 我を通すお姉ちゃんの結界力が弱まっていた結果なのだフハハハハハ!」

 素と中二が混ざった意味のわからない言い訳を捲し立てた。考え事をしている時の妹は非常に厄介だ。

 しっしと追い払う仕草をするもこいつはめげない。

 梃子でも動かないという風にベッドの上で大の字になった。

 こうなった妹を動かすのは至難の業だ。相手をしなければいつまでもベッドを占領したまま夕飯まで動かないことは間違いない。俺はゆかりを追い出すことを諦めた。

「何、なんか用か?」

「用ってことはないけど」

 ゆかりは言葉を濁した。用事はなかったらしい。

「最近お姉ちゃん構ってくれないし」

「お前もう中三だろ? 勉強どうしたよ」

「休憩中なのー! 息抜き中だから構って、構ってよ、構えってー!」

 驚いたことにこの妹受験生である。

 言動や行動など幼いところが目立つが、学力はかなり高い。なぜかは分からない。我が家の不思議の一つだ。全国模試でも三十番とかこの前なっていた。来年俺の高校に受験するとか言っているが、お前ならもっといいとこいけると何度言っても聞きやしない。

 いろいろと言いたいことはあるが、妹のストレートすぎる要求を俺は聞いてやることにした。創大の時にはこいつにも助けられたし。

「わかったよ。で、何する?」

「女の子に予定決めさせるなんてちょっとどうかと思うよ」

「俺も女だよ」

「あ、そっか」

 素なのかボケなのか判断できないことを言ったゆかりは、「じゃあボードゲームしよう!」と提案した。ボードゲームねえ。

「ボードゲームって言ってもお前」

 我が家にあるボードゲームは人生ゲームのみだ。

 小さい頃は家族みんなで遊んだものだったが、今じゃ物置に埃を被っている。

「二人だとつまんないだろ」

「そんなことないよ。工夫次第であれの可能性は無限大だよ!」

 意味不明の主張をされて言葉に詰まる。

 正直乗り気がしない。単純に二人だと飽きるからしたくないというのも勿論なのだけど、それ以外にもゆかりと二人でしたくないのには理由がある。 

 ゆかりは一人でする系のゲームはそこまでだが、対人ゲームとなると信じられないくらい強くなるのだ。

 相手の心理を読むとか、行動をあらかじめ予測して誘い込むとか、怖いことを言っていた気がする。

 だから俺はゆかりにゲームに誘われた時は、こいつとチームか戦わなくて済むゲームしか基本しないことにしている。人生ゲームに心理戦が絡むことはないとはいえ、なぜかこいつに勝てた試しがなかった。……俺が知らないだけで運以外にも絡む要素あるのだろうか?

 人生ゲームを却下すると、ゆかりは「えぇ~」と露骨に顔を顰めた。

「モンハンでもいいじゃん、持って来いよ」

「装備全部作っちゃったからすることないよぉ。あ、じゃあこうしよう、『人生詰んでる人生ゲーム』」

「人生ゲームが嫌だって言ってんだよ。ていうかなんだその不穏な響きのゲームは」

「簡単、簡単。所持金ゼロからスタートして、払うマスの時だけ一桁多く設定するってだけだよ。開幕早々約束手形まみれになるし、株券が割に合わなさ過ぎて嫌になるよ! 救済措置として最後に子供と奥さんをルーレットのマス目×一万ドルでお金とトレードすることが出来る! 約束手形を完済するか、一番少ない人が勝者! なかなか人生ハードモードだよー?」

「絶対しない」

 想像以上に妹の闇が深かった。

 俺がどんなに興味のない態度を取っても、じゃあ何がいいかなと人差し指を顎に当てて一向に諦めない妹に、諦めて部屋へ戻れよと言いたくなる。

 ああでもないこうでもないと頭を悩ますゆかり。

 その姿を見ていたら、改めてこいつに聞いてみたくなった。

「なあ、お前本気でうち受けるの?」

「受けるよー。ていうかそこしか受けないよ」

「はあ!? そこまで?」

「え、そこまでなに?」

 ぽかんと俺は口を開いた。呆れた。こいつ本気で言ってやがる。冗談かと思っていたのに。

 確かにうちの高校は県内でもそこそこの進学校だ。だけどゆかりの学力から考えるとランクは落ちる。うちが低いのではない。ゆかりの学力がそれだけ高いということだ。

「もったいないって。もう夏じゃん、そろそろ真剣に進路考えろよ」

「真剣に考えてそう思ってるんだけど。てか別にもったいなくないもん」

 拗ねたようにゆかりは頬を膨らませた。

「逆にお姉ちゃんはなんでそんな反対すんの?」

「なんでって、当たり前だろ。お前ならもっといいとこ行けるし、そしたら大学進学だって」

「勉強だったら自分で何とかできるよ。今までだってずっとそうだったし」

「甘いぞゆかり。人間環境に流されてしまう生き物なんだ。よりよい環境でこそ人は伸びるし、逆に周りがみんな遊ぶ奴だと流されてしまうのが人の常ってもんだ」

「お姉ちゃんのとこ遊んでる人多いの?」

「いや、そんなことないけど……」

 ここまで熱くなっているのは俺のみ。ゆかりは実に淡々としたものだ。

「ていうかさ、お姉ちゃんはそれ以外の理由で私に来てほしくないって言ってるみたいに聞こえるんだけど?」

「……そ、そんなわけないだろ」

「お姉ちゃんって嘘つくとき絶対口ごもるよね」

 ゆかりの大きな目に覗きこまれ、俺は言葉を詰まらせた。

「多分だけど、お姉ちゃん自分がいるから私に来てほしくないんじゃない? って思ったり」

「……」

 図星だ。

 俺が何も言えずにいると、ゆかりは悲しそうに眉を落とした。そんな顔してほしくて言ったわけじゃない。

「どうなるかわからねえからだよ。俺は今クラスで受け入れてもらってるけど、学校のやつ全員がそうってわけじゃねえからさ」

 女になってしばらくした後、他クラスや他学年の廊下を歩いている時に偶然耳にすることはあるのだ。

『みてみてアレだよ』

『うわ、マジじゃん。引くわ』

『ねえ、ちょっと気持ち悪くない?』

 名前も知らない赤の他人。

 でも世間一般の認識はどちらかというと“そっち側”であることをついつい忘れてしまいがちになる。

 来年はクラスも変わる。状況も変わる。

 俺のせいでゆかりが奇異な目で見られる可能性は十分ありうるのだ。

「言わせたい奴は言わせればいいよ」

「え?」

 ゆかりは腰に手を当てて高らかに宣言する。

「ていうかぶっちゃけ我今も学校で浮いているからな! お姉ちゃんがいようがいまいがどこでも浮くと思うから全然平気だぞ! フハハハハ!」

 悲しいことを笑顔で言われてしまった。

 そうだった。こいつはどこかズレた中二病だった。

 快活に笑うゆかり。

こいつの凄い所は俺と違って周りの目を全く気にしないところだ。

 どれだけ痛々しいと周囲から言われても一向にブレることはない。頑固って意味じゃ俺と似ているかもしれないけれど、ゆかりの場合文字通り人の話を聞いていないだけのような気もする。

 その強さをうらやましくもあり、若干鬱陶しくもある。

でも、やっぱり少し憧れてしまうところではあった。

「まあいいやゲームとか」

 さんざん考えたのにゆかりはさっくりと言い捨てた。

「いいのか?」

「うん。そういえばゲームより面白そうなことすっかり忘れてた」

「ゲームより面白そうなものって、そんなんこの部屋にあったか?」

「ものじゃないんだけどね」

 ゆかりはクスクスと笑い出した。分かった。嫌な予感しかしない。

「部屋戻れよゆかり」

「お姉ちゃんさっき独り言で言ってた相手誰?」

「なんの話だ?」

「誤魔化してもだめだよ」

 スマホを取り出すゆかり。何をするのかと思いきや、突然スピーカーから俺の声が聞こえてきた。

『意味わかんねえよなあ』

『どうしてあんなこと言うかなあ』

『大体突然なんだよなあいつも』

 ボイスメモでばっちり俺の呟きが取られていた。恥ずかしいし、じっくり俺のことを観察していたゆかりが腹立たしい。

「消せ」

「話してくれたら速攻で消すよ?」

 このガキ。

「お姉ちゃん。悩み事は誰かに話すのが一番なんだよ?」

「悩み事って、どうしてそう言い切れるんだよ」

「さっきあれだけ頭抱えてたらさすがの私でもわかるよ」

 素で突っ込まれる。だよなあ。

「いや、でもお前に話しても……」

「ええ? その言い方ちょっと傷つくんだけど」

「あ、悪い。そういうつもりは一切ないんだけど」

 膨れるゆかり。突っついてやるとぶしゅうと空気が抜けた。

 この悩みを抱え、自己解決できないとわかった時に、俺は誰かに相談に乗ってもらいたいと思った。

 一番初めに思い浮かんだのは裕子だった。

 俺が最も信頼している友人の一人だし、相談にも乗ってくれるだろうということは簡単に予想が付いた。

 でもあいつは二人になると妙に厳しい所もある。さらに言えば恋愛相談でもしあいつが暴走した時、止められる自信が俺にはなかった。その為裕子には話せないと断念。

 続いて舞衣。

 これはだめだ。

 意外とドライな面を持つ彼女は「付き合えばよかったじゃん。村木かわいそーじゃんマロちん」とか平気で言ってきそうだからだ。

 その時理由を聞けば、「だって付き合ってみないとわかんないことも多いじゃん。何事も経験だよ経験。無理って分かってから振っても良くない?」とか言いそう。

 確かにそうかもしれないけど、実際言われるときつい。そういうことではないと言っても通じるかどうか。

 最後に亜衣。

 実はゆかりに話を聞かれるまでずっと亜衣に相談しようかずっと悩んでいた。

 亜衣は三人の中で一番感性が俺に近い、と思う。裕子や舞衣と違って辛辣すぎる毒も吐かないし、言葉も選んでくれる。さらに言えば亜衣は一人暮らしをしているから、気軽に相談に行きやすいということもあった。

 迷っていたのは、亜衣は裕子や舞衣と比べやはりどこか少しだけまだ距離があると俺が思っているからだ。

 裕子と舞衣はあけすけに俺にモノを言ってくる。

 傷つくことやムカつくことも多いけど、その分素を出して話してくれているのだと分かるので打ち解けやすい。でも亜衣はあまりそういった言葉を使ってこないので、どこまでが踏み込んでいいラインなのか俺もわからない。

 仲が悪いわけじゃない。

 寧ろいい方だと思う。でも急に相談に乗ってくれっていって、すぐに承諾してくれるかどうか自信が持てなかった。

 そうこう迷っている間にゆかりがやって来たという訳だった。

 家族に相談することは最初から頭になかった。

お袋と親父はなんだかはしゃぎそうだし、兄貴は興味がないって顔しながら正論叩きつけてきそうだ。ていうか普通に親兄弟に恋愛に関する相談をするのが嫌だった。下品な話自分のマスターベーションを見られているような気まずさがある。ゆかりにばれたのはつまりそれくらい恥ずかしいことだった。

「ずばり、恋の悩みですね?」

 どこかの番組で司会をやっているタレントみたいな喋り方で、ゆかりは俺の頬を突っついてきた。うっざ。うわ、うっざ。

「違います」

「嘘はいけませんね」

「違うってんだろ」

「じゃあその真っ赤な顔どう説明するつもり?」

 嘘だろ。

 ばっと自分の頬を確認する。なんだ、全然熱くないじゃないか。

 俺が抗議しようとゆかりに向き直ると、やつはしてやったりと得意顔を浮かべていた。腹立たしい。

「もう観念しなよ」

「……」

 このまま何も話さなければ、妹は一日中くっついてきそうだ。

 俺はため息を吐きつつ、ゆかりのしつこさに折れるはめとなった。

 

 

「え、告白ってこの前電話してたお姉ちゃんの男じゃないの!?」

「だからその俺の男とかそういう言い方すんのやめろっつったろ」

 軽く拳骨をくれてやると、ゆかりはあうっと涙目になった。あざとい。

 全部話すと時間がいくらあっても足りないので、大まかな筋だけゆかりには話した。すると返って来たコメントがこれだ。こいつは何か自分の予想があったらしい。

「え、てことはお姉ちゃん二人からモテてるってことになるの?」

「どうしてそうなるんだよ」

 またチョップ。今度はゆかりもめげなかった。

「だって前のお姉ちゃんと遊びに行った男の人でしょ? それと今回告白してきたその村木って人。二人じゃん」

「平等橋はそういうんじゃねえよ」

「平等橋っていうんだ!」

 しまった。

 前回創大が家出した時もちらっと平等橋の名前を出してもスルーされたので、今回も聞いてないだろうと口に出したらしっかり聞かれてしまった。

 こいつは記憶力がいいから、一度聞いた名前なかなか忘れない。

「その平等橋って人の写真見せて! この前撮ってきてくれるって約束したじゃん」

「約束はしてねえよ。出来たらって条件付きだったろ。それに写真なんて」

「写真なんて?」

 あるわけない。

 そう言おうとしたのだが、そういえばクラス合宿の最終日に、全員で集合写真を撮っていた。クラスのグループラインでその写真が張られていたのを思い出したのだ。

 正直者な俺はそこで口籠ってしまう。それがいけない。

「あるんだ。あるんでしょ? 見せて見せて見ーせーてー」

 ぐいぐい来るゆかり。うざい。この子ちょっとこんなうざい子だったかしら。

 思わず心の中でオカマになる俺。いや今は女だからオカマじゃないな。だったらなにになるのだろう。

 自分の中で意味不明の押し問答を繰り広げるくらいにゆかりはぐっと身を詰めてくる。

 昔から積極的に攻めてくるゆかりには俺は弱い。

 結局ゆかりの圧に負けて写真を見せる。集合写真だからみんな顔が小さいし碌にわからないだろう。

 俺のスマホを受け取ったゆかりは、「ほっほー、これがお姉ちゃんのクラスメイトかー」と謎の感嘆を吐いた。

「どれ?」

「俺の隣にいる髪の毛つんつんのやつ」

「……このイケメン?」

「それそれ」

 俺は面倒だからベッドに転がりながら、近くで俺のスマホを手にじっと見ているゆかりに適当に答えた。もうどうにでもなれだ。

「満足したら返せ、うぇ!?」

 目を開けたらゆかりが体重をかけずに俺に覆いかぶさるような体勢を取っていた。びっくりすんだろ。

「お姉ちゃん、この人が平等橋さんで間違いないんだね?」

「え、あ、ああ」

 写真はバーベキューの前に取ったものだ。裕子や亜依、舞依が左に、右に平等橋を挟んで中途半端な笑みを浮かべている俺が写っている。

 ゆかりは俺の横に立つ平等橋を指さし、「マジでこれなんだね」と念を押す。

「知ってるのか?」

「知らない! でもどえらい男前だからびっくりした。お姉ちゃんすげえ」

「なにに感心してるのか意味不明だよ」

 どうやらゆかりは、俺が以前平等橋の存在をほのめかしてからずっと気になっていたらしい。

「これならお姉ちゃんを任せてもぎりぎり許してあげられるかな。いや、でも性格がまだわかんないし」

「ぶつぶつ何言ってんだお前」

 親指の爪を噛みながら何やら黒い顔で呪詛のように呟くゆかり。いい加減俺の上からどけ。怖い。声と顔が。

「それで、村木さんってのはどれ?」

「……その写真の右端にいる背デカいやつ」

「はんはん、どれど、れ? いや普通にイケメンじゃん。なんで振ったのお姉ちゃん」

 ほらこれだ。こういう反応がくるってわかってたから言いたくなかったんだよ。

 そりゃそうだ。写真でも村木は背が高いしイケメンだし欠点は見えない。実際にあったら性格もいいのだ。振るほうがどうかしている。でもそれ言われちゃうと何も返せないんだよ。

「……んー、まあ、そうか。お姉ちゃんも忘れがちだけど、まだ『お姉ちゃん』になって三か月ちょっとだもんね。そりゃ無理か」

「……え?」

 かと思えばゆかりはそっかそっかとしきりに一人で頷いていた。なんだこいつ。どういうつもりだ。

「お姉ちゃん顔が可愛いから忘れがちだけど、心は男の子のままだもんね。そりゃ無理だよ」

 無理無理と更に頷きを強めるゆかりに、いやちょっと待てよと声を掛けそうになった。

 でも結局掛けなかった。ゆかりが言ったことは何も間違っちゃいない。俺が心の中でずっと思っていることだし、村木の告白を断った理由でもあるからだ。

 ゆかりに物申しそうになったのは、単にこいつの言葉に素直に乗りかかるのが嫌だっただけだろう。天邪鬼が働いただけ。そうに決まっている。

「で、お姉ちゃんの悩みってなんだっけ」

「お前本当は俺の話あんまり聞いてないだろ」

 ん? と間抜けな顔をするゆかりに三度目のチョップをする。話を脱せんばかりさせるからだ。

「だからその、このままでいいのかなっていう」

「このまま?」

「平等橋とこのままの関係で続けていけるのかなっていう、そういうのだよ! 何度も聞き返すなよバカ」

「お姉ちゃん今最高にエロい顔してる……痛い痛い痛い! 逆エビはさすがに背骨折れるってえええ!」

 流石に今のはいらっと来た。人の話を聞かない妹の足を掴んでその尻に乗り、思いっきり下半身を反らせてやった。

 姉をあまり怒らせるなよ。

「お姉ちゃんはどう思ってるの?」

 落ち着いたゆかりは、シーツから顔を上げないまま俺に尋ねた。小刻みに震えているからまだ痛いのだと思う。

「どうって?」

「このままでいたいのか、それとも何か変えたいとか変わりたいのかってこと」

 俺自身か。

 それは、あまり考えていなかった。

 周りにも目を配らなきゃってそればかり考えていた気がする。

「俺の考えって今はそういうんじゃないっていうか」

「どうしてさ。一番大事なことだよ」

 だって今まで自分の考えばっかで押し通してた気がするし。

 それが原因で周りが見えてなかったから、村木が俺をどう思っていたか気が付かなかったわけで。もっと周りにも目を配らなきゃいけない。

 それで、そうすることって実は今までの男子、ひいては平等橋との関係性も男の時とは違った風に見直さなきゃいけないのかなって。

「うーん。確かにお姉ちゃんは男だった時が長いから、男の人に対する警戒心って薄い気はする」

「え、そう?」

 意外そうに尋ねると、ゆかりは深く首肯した。警戒心のことをとやかく言われる場面なんてゆかりに見られた覚えがなかったのだが。

「わかるよ普段の様子とか一緒に買い物行ったりしたときとか。まあそれで、それはちょっと改めた方がいいっていうのは賛成。でも平等橋さんとの関係もまた見直すっていうのはちょっとどうなんだろうって思うな。会ったことないからなんとも言えない部分は大きんだけどさ」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってそうしたらお姉ちゃん“また”泣きそうだもん」

 悪戯っぽくゆかりは笑った。

 俺は口の端がひくっと痙攣するのを感じた。

 こいついま、またって言ったか?

「ゆ、ゆかり。お前それってどういう意味?」

「えー、それを私の口から言ってほしいの?」

 ヤバイ。かつてないほどゆかりが調子に乗っている。口に手を当ててどこぞの殺戮熊のようにうぷぷと笑っている。

「さては兄貴に聞いたな」

「黙秘権を行使します」

 兄貴には少し前平等橋のことで相談したことがあった。まさかこいつその時弱った俺の惨状を兄貴から聞いたのか。

「あ、お袋にも聞いたのか!」

「こたえませーん」

 お袋にも実は少しだけ平等橋のことは話していた。創大が来ていて心が荒んでいたこともあって、女になって友人に避けられたことがあるという話をしている最中に感極まって泣いてしまったことがあるのだ。お袋は何も言わず頭をなでてくれたが、ひょっとしてこいつはお袋からそのことを聞きだしたのか。

 一向に口を割らないゆかり。

 嫌な予感がする。

 まさかだと思うが。

「ひょっとして、両方?」

「………」

「ゆーかーりー?」

「ごめんなさいごめんなさい! 二人とも全然口割らないけど証言が一致してるところとか推理みたいにして遊んでたら真相にたどり着いちゃったみたいなってぎゃああああ!」

 ゆかりのしぶとさに感心と苛立ちを覚えた俺は、ゆかりのこめかみを拳骨でぐりぐりしてやった。

 隣の部屋からうるさいと兄貴に怒鳴り込みにやって来るまで、妹への折檻はやめなかった。

 結局この騒ぎで、話が中途半端になって終わってしまったなと後になって思ったが、ゆかりが単純に飽きたのかこの話をあいつがもちだしてくることはなかった。

 

 

 昼飯を食べた後、俺は平等橋の家に向かっていた。

 あいつに会うためじゃない。愛華さんに会うためだ。

 ゆかりに茶化されたのが原因ってわけじゃないけど、やっぱり一人で思い悩むより誰かに相談したほうがいいと気が付いた俺は、その中でも頼れる愛華さんに聞いてもらいたいと思ったのだ。今日は土曜日だし、愛華さんも家にいるはず。ちょうど髪留めのことも直接お礼はしたかった。Lineですぐ礼はしたけど、こういうのはやっぱり直接言いたい。

 迷惑にならないだろうかと連絡をしてみると、快い返事が返って来たので俺はいそいそと家を出たのだった。

 駅の近くのケーキ屋さんでプリンを三つ購入する。手ぶらで行くのもなあと思った結果だ。愛華さんはまったく気にしないだろうと思うけど。

 もう何度目かになる平等橋のアパート。

 俺は階段を上っていると上の階から降りてくる人とぶつかりそうになった。

「あ、すいません」

 俺は咄嗟に謝ったが相手の女性は無言で会釈をし、早足で通り過ぎていった。

 女性が過ぎ去った後も、俺はしばらくその後姿を思い返してしまった。

 似ていた。

 平等橋や、愛華さんに。

 その女性、後に平等橋の母親であると知る「弟切ユリ」さんを初めて見た時のこの瞬間をよく覚えている。

 生きているのに死んだような目をした人。

 後にも先にもそんな目をした人と会ったのは、この人だけだった。

 

 


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