これのどこが小規模なんだよ!
「平たく言うと不倫したのよ。うちの母親」
愛華さんの部屋に入り、先ほど愛華さんや平等橋に非常によく似た顔立ちの女性とすれ違ったという話をしたら「ああ」と頷かれた。
それから小一時間くらいかけて愛華さんは俺に平等橋家の話をしてくれた。正直ここまで踏み込んでいいのだろうかとも思う。
平等橋の親父さんとお袋さんは学生の頃に出会い、所謂学生結婚をして生まれたのが愛華さんらしい。
お金もない中愛華さんを生んだので、当時経済的に凄く大変だったそうだ。
平等橋が生まれるころには家も豊かになり、賃貸アパートから一戸建てに住むようになった。
「その頃あたりから私がグレてねえ」
平等橋家の歯車が狂った一つ目が長女の非行だった。
経済的に豊かになった反動でお袋さんは務めていた会社を辞めたらしい。
平等橋も幼く、家に誰かいてほしいという親父さんの願いを聞き届けた結果だった。
だがこの頃愛華さんに一つの問題があった。
「クラスの男子振ったからっていう理由でさ、ちょっとハブられちゃったの」
クラスの女子に総スカンを食らっていた愛華さんは鬱屈した気持ちを抱えていたが、両親に相談することができなかった。
当時平等橋は重い病気を抱えており、両親の関心は弟に向けられていたからだ。
治らない病気ではないが、警戒は怠れない。
常に目を配っていなければならないような、そんな病気だった。
愛華さんは両親に心配の種を増やさないためにあえて我慢し続けた。
だがそれも我慢の限界だった。
ある日、とうとう我慢の限界を迎えた愛華さんが学校で暴れまわった。
相手の女子にケガをさせたとして、お袋さんが学校へとやって来た。
平謝りするお袋さんを見て申し訳ないことをしたと思う反面、どうしてこちらがすべて悪いというように振る舞うのかと思ったそうだ。
疑惑が確信に変わったのは、帰り道のことだったらしい。
愛華さんが頭を下げることで一応の決着を迎えたこの件で、お袋さんは愛華さんに「なんでこんなことをしたの」と叱ったそうだ。
一言相談してくれればよかったのに。
この一言がいけなかった。
愛華さんはお袋さんにぶち切れた。
『あんたらのことを思って我慢してたんだろうが!』
愛華さんの怒りにお袋さんも謝りはしないまでも、聞き受けることはすべきだった。
だが日々の平等橋の看病や気遣いでお袋さんも素直に娘の反抗を受け入れる心の余裕がなかった。
反抗的な娘をたしなめようとし、それが愛華さんの怒りをさらに助長させた。
すれ違いから、彼女はお袋さんに対する不信感を強め家に帰りたくないという思いが強くなっていった。
そのうち学校にも足が遠のくようになり、悪さをする連中とつるむようになっていったそうだ。
「あの頃の私はバカだったよ。言っても仕方ない事なんだけどね。でもこれがいけなかったのよね」
愛華さんがぐれるようになったことで、夫婦間の不和が生じるようになった。
家にずっといながら愛華さんの様子を看破できなかった妻を夫は責め、家庭をあまり顧みない夫を妻は責めた。
親父さんには会社という家以外の逃避先がある。
しかしお袋さんには家以外どこにも逃げる先がなかった。狂った歯車の二つ目だった。
「一回だけ母さんが相手の人と会ってるとこ見たことあるのよ。私」
相手はお袋さんの務めるパート先の店員だったらしい。
平等橋の容体が回復したのを見て、お袋さんは午前中の間だけパートをすることになったらしい。この頃には夫婦間も冷めていて、親父さんも口出しはしなかったそうだ。
相手といるところを見て愛華さんは激しく動揺したらしい。
すぐに母親に詰め寄ったが、母親は取り乱すだけではっきりしたことは何も言わなかった。
親父さんには黙っておくから、二度とあんなことをするな。
自分の行いが招いたことだとうすうす感じていた愛華さんは、母親を深く責めることはできなかったそうだ。
家がおかしなことになっている。
ようやくそれに気が付いた愛華さんは、悪いことをする連中とは手を切り、真面目に学校に通い短大に進んだ。
「それからはうまくいってると思ったんだけどね。私もいろいろ家族がうまくいくように頑張ったつもりだし、罪滅ぼしみたいな気持ちもあったんだと思う。それでもやっぱりまだ家族とはギクシャクしてたんだけど、それは私のせいだって思ってたの。何年も家のことを見ていなかったからだって」
しかしそれも叶わなかった。
愛華さんが短大に進んで一年目。事件は起こった。
「家に帰ったらもう全部終わってた。父さんは離婚届にすぐ判を押して母さんを追い出していたの」
それからの平等橋家の荒みようは酷かったらしい。
親父さんは殆ど家に帰ってこないで仕事漬けとなり、たまに帰ってきても酒を飲んでは暴れたそうだ。
「正義は父さんのいい面しか見てなかったから父さんのことを凄く尊敬してたけど、私から見たらどっちもどっちだったな」
愛華さんが社会人二年目の年、親父さんは亡くなった。
原因は過労だった。
「母さんが家を出て行ってからうちは少し、いやかなりかな、おかしくなっちゃった。正義は特に」
愛華さんの長い話はそこでいったんストップした。
俺はさっきから冷や汗が止まらない。
いいのか。本当にこんなディープな話俺が聞いてもいいのだろうか。
無言でいる俺に、愛華さんは「ごめんごめん。急にこんな思い話しちゃって」とけらけら笑った。笑えない。
「あの、どうしてそんな話私に?」
「さっき母さんに会ったんでしょ。キミちゃん」
愛華さんは姿勢を正した。何か重大なことでもいう前振りだろうか。
「ひょっとしたらまた会うかもしれない。その時隣に正義がいたら守ってあげてほしいの」
「守って?」
「前にキミちゃんが困ったら正義を頼れみたいなこと言っておいて矛盾するかもしれないけど、この通り。お願いします」
「ちょ、ちょっと愛華さん!?」
愛華さんは俺に土下座をした。
慌てて顔を上げてもらう。心臓に悪いことをしないでくれ。
「あの、それなら一つ聞いてもいいですか」
「何?」
「さっきお母さんいらしてましたよね。どういう要件だったんですか?」
平等橋家の事情はわかった。しかしそれなら当然浮かび上がってくるであろうこの疑問。
平等橋母はどうして彼女の子どもたちの所にやって来たのだろうか。
愛華さんは一瞬ためらいを見せた後、「実はね」と切り出した。
俺は愛華さんが喋り終わるまで頷きながら聞いていたが、終わったころには口をあんぐりと開けていた。
「お、俺に話していいんですかそんな事!?」
思わず口調も元に戻って尋ねてしまった。動揺が半端じゃない。
愛華さんは「よくはないかもしれないわね」と言った。
「ならどうして」
「知っておいてほしかったからよ。正義を知るあなたに」
「私はあいつはただの友達ですよ。それなのにそんな立ち入った話を聞かされても」
「“ただの友達”なら言わないわ。あの子にとっても、あなたにとっても。そうじゃないの?」
俺は沈黙した。あいつが俺のことをどう思っているか、それは永遠の謎だ。
しかし俺が平等橋のことを特別な友人と思っていることは確かだし、愛華さんもそれは初対面の頃から知っているのだろう。
「あの子が女の子と仲良さそうに話すなんて考えられなかったの。母さんの一件があってからあの子は酷い女性不信に陥ってしまったから」
「私が元男だから、男だと思ってるからだと思いますよ」
「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。お願いキミちゃん。でもせめて何かあった時あの子のそばにいてくれないかしら」
手を握られる。
俺は戸惑いながらも、小さく頷くことができた。
重すぎる平等橋家の話を聞いた後、俺は本来の目的である悩みを打ち明けることができなかった。
だってあんな話を聞かされた後じゃなあ。
晩飯も誘われたがさすがに辞退した。平等橋と顔を合わせるのも今は気まずいし。
すっかり暗くなった道をてくてく歩いていると、見慣れたつんつん頭が目の前に見えた。
「あれ、公麿じゃん」
「よ、よう平等橋」
イヤホンを外した平等橋は「外で会うの久しぶりだなー」と俺の頭を乱暴に撫でまわした。
「あれ、どしたの抵抗しないなんて」
「うっせえな」
失策だ。
まさか平等橋とバッティングしてしまうとは。違うルートを通ればよかったと激しく後悔。
「あ、そうだ。お前今暇か?」
「暇っていうか、もう帰るとこだけど」
突然こいつ何言って来ているのだ。
そう思っていたら、「じゃあ祭り行かねえか」と誘ってきた。
「祭り?」
「そう、ここらへんの商店街でやる小さいやつだけどな。もう夏も終わりだし最後の記念にどうよ」
「記念ってお前」
悪い提案じゃなかった。
大きい祭りだと人がいっぱいいて人に酔ってしまいそうになるが、小さいのだとそれもないだろう。それに学校のやつらに見られる心配もない。
こいつと二人で遊びたいっていうのもあるし。
「いいよ。じゃあまた連絡してよ」
「っと、どこ行くんだよ」
別れようとしたその手を掴まれた。げごっと蛙を踏みつけたような声が漏れた。
「今からだよ。何帰ろうとしてんだ」
「はあ? 今?」
「そういっただろ」
そのまま手を引いて平等橋はずんずん歩き始めた。
ちょっと、俺逆向きで歩いてるから。怖いから、ねえ。
調子に乗ってテンションを上げる平等橋。
俺の反応を楽しんでいる所がムカついたので、信号が赤の時にローキックをお見舞いしてやった。すっとした。
「……嘘つき」
「う、嘘はついてないかなあ?」
ぴゅーと妙にこなれた口笛を吹く平等橋の脇腹に、思いきり肘を入れてやった。
肋骨の隙間に入ったようで、もだえ苦しんでいた。
祭りは確かにやっていた。
近くまでくると、祭囃子の音が聞こえてきて、なんとも心躍った。
小さい子を連れた家族連れや、友達同士で来ている中学生。
浴衣を着ている人もいて結構人がいるなあと嫌な予感はしていた。
着いて驚いた。
人が多い。
屋台の数が多い。
全然小規模じゃない。
「これのどこが小規模なんだよ!」
「いや、テレビとか来ないから」
「テレビが来ない祭りのことを小規模っていうんじゃないよ!」
聞けばこのお祭りは地域の町おこしも兼ねているらしい。
商店街の人たちの気合いの入りようが違う。
青年団らしき人たちがなんか高い物見やぐらみたいなのの上に乗って太鼓を叩いている。
その周囲を浴衣や法被を着た若い男女がそりゃそりゃと踊る。
「ありゃ近くの大学生だな」
「知ってるのか?」
「ああ。よく夏祭り近くなると公民館とか借りて練習してんだ。この時期よく見るぜ」
ほいよといつの間にか姿を消していた平等橋は、ラムネの瓶を手渡しながらそういった。よく冷えている。うまい。
「いくら?」
「いいよ、誘ったの俺だし。それよか他にも見て回ろうぜ。絶対出ないくじ引きとかあんだよ」
「それわりと何処でもあるぞ」
早く、早くと急かす平等橋の手を借りて立ち上がった。うざいなあこいつ。だがそうだ、こればっかりは平等橋の態度の方が正しいのかもしれない。
「祭りはテンション高い奴が正しい!」
「わかってるじゃないか公麿!」
がっしりと手を組む俺たち。傍から見たらどう見えているかなんて気にしない。
「行くぜ公麿!」
「ルートは任せた平等橋!」
はしゃぎまわって二人でいろんな屋台を冷やかした。超楽しかった。
祭りの宴もたけなわという所で俺たちは抜け出してきた。
平等橋が言うには、このくらいの時間に捌けるのが一番空いていて帰りやすいのだという。
「あー楽しかった。祭りでこんなにはしゃいだの何年ぶりだろ」
「そいつはよかった。俺はその、明日からどうしよう」
明るく笑う俺とは対照的に、平等橋はパチンコで大負けした男のような顔をした。
「いや払うよ今からでも。そんな顔すんなって」
「いらん! ここで受け取ったら男が廃るってもんだ」
テンションの上がりきった平等橋はことあるごとに「ここは俺が払う!」「俺に任せておけ」「すべてが俺の財布からだ!」と何度も奢ってくれた。
祭りのものは基本的にどれも割高だ。
そんな何度も二人分支払っていたらどうなるかわかるだろう。
俺が自分の分の代金を出すと、平等橋は死んでも受け取らないとばかりに首を振った。なんなんだこいつは。
「いいから。そんなに奢ってもらう理由もないし」
俺は無理やり平等橋のポケットに千円ねじ込んだ。平等橋は「だせー! 俺だっせえー!」と騒いだ。ダサくないから少し黙れといいたい。
「こんなに楽しいんだったら愛華さんも誘えばよかった」
「姉貴を? やだよ姉貴が横にいるなんて」
「なんで。美人じゃん、嬉しいだろ」
「どこの世界に高校生になって姉貴同伴で祭りに来る奴がいるんだよ」
それもそうかと思った。でも個人的に愛華さんとも来たかったなとも思う。
「よかったよ」
平等橋がぽつんといった。何がだろう。
小首をかしげると、「お前の顔」と平等橋は言った。言葉が足りなさ過ぎて何のことを言っているのか分からない。
「いや、会った時お前なんか沈んでる風だったからさ。ってこういうこと言うのもあんまよくないんだけど」
「沈んでたか? 私」
「え、ああ。気悪くしたら悪いな」
驚いた。こいつ自分の気を紛らわすとかじゃなくて、俺のことを思って誘ってくれたらしい。
こいつも言っているように最後にその理由まで話してしまうのはどうかと思うが、その気遣いは普通に嬉しかった。
でもな、平等橋。
俺が沈んでいたのはお前のことでもあったんだ。
「癌が見つかったって、そう言って来たのよ」
「え?」
昼の会話の続きだ。
愛華さんはお母さんがやって来た理由を淡々と説明してくれた。
「転移しててどうしようもないからって、最期に私たちのことを見に来たって言っていたわ。私は構わないけど、正義になんていえばいいのか正直まだ迷っているわ。言わない方がいいんじゃないかとも思ってる」
「それは、どうして?」
「母さんに会うことであの子がまた傷つかないか私は分らないの。でも、この機会を逃したらあの子は二度と生きた母親に会うことはない。伝えることが正しいのか、正しくないのか。一人で抱えるには重かったから聞いてほしかったのかも。でも誤解しないでキミちゃん。あなたに何かしてほしいってわけじゃない。でも、もし母さんが強引に正義に会おうとしてきたら、そして正義の身に何か起こったら間に入ってほしいの。母さんとはよく話したし、そんなことは起こらないと思うんだけどね」
愛華さんの語ったそれを、俺はどう受け止めていいのかわからなかった。
平等橋が母親のことを今もなおどう思っているのかわからない。
しかし相手が死ぬって分かっていたら、それを伝えないでいいのかという葛藤はある。
他人の俺が出しゃばるのはお門違いだ。
だが、もし愛華さんが母親の件をまったく平等橋に伝えなかったら、こいつは母親の死に気が付くことなく生きていくことになる。それは本当にいい事なのだろうか。
ただ一つ言えることがある。
隣を歩くこの能天気な優しい友人。
彼の傷ついた顔だけは見たくないということだった。