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初めて話しかけられた日の事はよく覚えている。
前の日にゆかりとバカやって遊んでいたら左の手首を強く捻ってしまったので、大事をとってその日の体育を見学していた時だった。
『よお、お前も欠席か?』
自分にかけられた言葉だと気づくのに暫くかかった。
今まで友人らしい友人が出来たことはなく、事務的な連絡や、お調子者の男子のからかい目的などで声はかけられることはあったが、こんなにフランクに話しかけてくる人は今までいなかった。
誰だろうと声の主を確認して固まった。
そいつの事はよく知っていた。
このクラスの最大派閥の中心人物で、クラス一のお調子者だからだ。
はっきり言ってカースト最上位のリア充の頭だ。俺の警戒レベルは一気に引き上げられた。
それでも返事もせずに無視をしていたら今後教室での俺の人権ははく奪されてしまう可能性が高い。
何とか返事をしようとするが、かなしいかな。普段学校で喋らないものだから口の中がカラカラでもごもごとはっきり言うことが出来なかった。
俺はますます青ざめた。
どうしてこんな事に成ったのかとその日の運を呪ったし、そもそもどうしてスポーツ万能のこの男がよりによって今日の体育を見学しているのかと怒りと恐怖を覚えた。
しかし、俺の心配をよそに彼は『綾峰で合ってるよな? 俺平等橋ってんだよ。よろしくな』と勝手に自己紹介を始めた。
平等橋はペラペラとこっちの気も知らないで質問攻めをしてきた。
住んでいる場所、好きな食べ物、嫌いな先生、所属している部活。今考えるとありふれた質問ばかりだった。答えに窮してほとんどは下手糞な相槌を打っているだけだったが、どんな曲を聴くのかと言う質問で変化があった。
『え、お前もそれ聞くの? 俺も結構好きなんだよ』
『……し、CDとかも持ってる』
『マジか。友達でも知ってるやつ全然いないから感動だわ。なんだよお前いいやつじゃん』
好みのアーティストが一緒だというだけでいいやつは扱いされるのはどうなのだろうと思ったが口にはしなかった。
だが一つでも好きなものが重なるとわかると俺の口も徐々に回るようになっていった。
授業の見学なんてそっちのけで、俺たちはくだらない話に花を咲かせた。
それは俺にとって高校に入学してから初めて楽しいと思えるクラスメイトとの会話だった。
〇
あれから二週間がたった。
「おはよう平等橋」
改札を抜けるといつものように公麿がいた。小さく手を振り、小動物染みた仕草は相変わらずだ。男の制服もまた。
あの日、髪の毛を切り、男子の制服に身を包んだ公麿を前にクラスは騒然となった。
裕子を筆頭に何があったと公麿に詰め寄ったが、本人はけろりとして「何が? 俺男じゃん。ふつう普通」とまともに取り合わない。
「あんた今は女でしょう?」
裕子がクラスメイトの意見を代弁するように言っても「いやー、男だよ」と取り合わなかった。
クラスメイトとは別に俺の動揺もいかんともしがたかった。
何が起こったんだ。
最近はクラスの中でも比較的公麿と絡む俺だが、そもそも所属しているグループが違うのでそう毎回あいつの所に行くことが出来ない。
特にその時は公麿の周りに普段絡みに行かないクラスの女子たちもわんさか群がっていて、とても俺がその場に割って入れる空気じゃなかった。唯一裕子があんたなんか知らないのとでもいいたげな目線を送ってきたが俺が聞きたいくらいだった。
放課後になって公麿の周りに人が少なくなるとようやくあいつの所に行けるようになった。
「おい公麿」
声を掛けると、あいつはびくりと肩を震わせて振り返った。反応が大きすぎて怖がられたのかという気持ちを抱きかける。
「なんだ平等橋かー。驚かすなよ馬鹿野郎ー」
公麿はにこにこしながら俺の胸板をぼすぼす殴って来た。怒っている訳でも、怯えているわけでもない、のか。
「なあ公麿。多分いろんな奴に聞かれてるかもしれねえけどさ。俺からも訊いていいか?」
「なんだよ平等橋。俺とお前の仲じゃん。なんでも聞けよ」
やりにくい。高すぎる公麿のテンションに違和感しかない。
「その制服、どういうことだ?」
「……? どうって、普通だけど」
「いや、そういうのいいから」
教室に入ってきた公麿をみた瞬間、こいつ男に戻ったのか? と疑った。公麿が女になったのは突然の事だった。
昨日まで男だった奴が一晩で女になるなんてギャグみたいなことをしでかしてくれたこいつだ。逆もまた然りだろうと思うのも当然だ。
だが今の公麿を見る限りそれはないだろうと断言できる。
声は相変わらず高いし、制服はぶかぶかだ。固い生地でできている制服を着ているため、体のラインははっきりとはわからない。だが全体の線が細いのは相変わらずだ。胸はどうやって潰したのか分からないがそんな手段いくらでもあるだろう。こいつだって自分の格好に違和感があることくらいわかっているはずだ。なのになぜバレバレの嘘を突き通すのか、それが分からない。
「真剣に答えてくれよ。なんかあったのか?」
「……別に何もねえけど。なんでそんなに突っかかってくんだよ」
「お前がいきなり髪切って、そんで今更男子の制服なんか着て来るからだよ」
一息に言って後悔。公麿がはっきりとわかるほど不機嫌になっているのが分かったからだ。
「なんの話してんだお前」
「何って、お前が女子の制服着てこなかったとかそういう話だけど」
「なんで俺が女子の制服なんか着なきゃいけないんだよ。なんか今日やたらクラスのヤツらにも言われたけどさ」
「ちょっと待てよ。お前マジで言ってんのか?」
さっきから話がかみ合っていない。何かがずれている。
なんのことだよと訝しむ公麿に、俺は何と言えば分からなかった。
「お前女になったこと忘れてんのか?」
馬鹿なことを自分でも言っている。本人が一番衝撃を受けたことをどうして俺が指摘するんだ。だが俺の期待した反応とは真逆のものが返ってきた。
「女になんかなるわけねえだろ。ははあん? さては平等橋お前さっきから俺の事からかって遊んでるだろ。そういうネタはもう死ぬほど受けてきたから面白くねえよ?」
「……何言ってんだよお前」
言葉を失う。公麿が何を言っているのか。
「お前は女だろ? この四月五月の間で突然女になったんだろ?」
「はっはっは、平等橋頭チーズにでもなったか? 人間はカタツムリじゃねえんだし雄から雌に急に変わるかよ」
「お前は女だったんだって!」
しつこくしすぎた。それでも俺は公麿がイラつき始めているのに気付いていなかった。
「いや男だから。てかこの問答もそろそろだるいんだけど。天丼は二回までってお前が教えてくれたんだろ?」
「なんで知らない風に誤魔化すんだよ。あれか、昨日の俺がきもかったのが関係してんのか? だったら謝るから――」
「男だよ。男だってんだろ!」
「え、ちょ公麿」
話している最中に言葉を切られた。
きっと顔を上げた公麿は俺の制止を振り切って走って逃げ去る。
俺も追いかけようとすると、「待ちなさい平等橋」と誰かに呼びかけられた。
「話があるからちょっと付き合ってもらうわよ」
そこには複雑な面持ちで佇む裕子と柊、楠たちがいた。
「しばらく様子を見るべきだと思うの」
グランドの隅のテニスコート近くのベンチまで連れてこられた俺は、裕子をはじめ女子三人にそういわれた。
「様子って、今の公麿をか?」
「私らも休み時間とか授業の合間でいろいろマロちんの話を聞いたんだけどさ、やっぱ今のマロちん変な感じになってるって」
「舞衣それじゃ誤解あるって。そうじゃなくてね、マロちん何か悩んでるみたいに思えたからさ。下手に今つつくのはどうなのかなって」
柊と楠が説明を重ねる。
こいつらは公麿が女になって常に行動を共にしてきたやつらだ。そんなこいつらの言うことを疑う気にはならない。
「でもただ様子を見るって言ってもな。どうしてあんな事になったのか理由だけでも知りたいじゃないか」
「そんなの私たちも一緒よ」
裕子が俺の言葉を一刀する。
「あの子がどうして今更自分の事を男だなんて言い出したのか分からないわ。それでも普段あれだけ気遣いばかりしているあの子がしつこく聞いても答えてくれない、どころかあんまりしつこい子にはうるさいって怒ったのよ。何かがあったのは自明の理だし、それを無理に聞き出すことが正しいか分からないわ。だから待つの」
公麿がクラスの奴に怒鳴ったのは俺も知っている。
いつもどんなにクラスの無茶ぶりとかきつい冗談を言われても苦笑いこそすれ取り立てて声を荒げたことがなかった公麿が、初めてクラス皆がいる前で怒ったのだ。あいつもはっとなってすぐに相手に謝っていたが、言われた奴は魂が抜かれたかのように放心していた。
公麿がおかしなことになっているのはうちのクラスの人間でなくてもわかることだろう。
しかし裕子はこのことを俺に伝えるために呼んだわけではないようだった。
こいつが俺を呼ぶときはいつもきつい口調だが、今日は殊更険がある。
「あんたあの子になんかしたでしょ」
「なんでそうなるんだよ」
「あの子が変わる時って大体あんたが関わっているからよ」
そう言われても素直に頷くことは出来ない。
「そんなこと」
「ないとは言わせないわ。あの子にとってあんたは特別な存在なのよ。男だとか女だとか以前に、あの子の友達はあんただけだったんだから」
「……」
一瞬自分の都合のいい妄想が頭を駆け巡ったことを恥じた。
確かにそうだ。あいつの“友達”はこれまで俺だけだ。少なくともこの学校で男の時に俺より仲のいいやつはいなかったはずだ。あいつは何よりも友達というものに飢えている。
俺があいつの変化に関わっているという推理は間違いとは言えない。
公麿が変わったきっかけ。
昨日までは普通だったことを考えると、昨日の学校終わりから今日の朝にかけてということになる。
昨日の放課後、俺は公麿と殆ど一緒にいた。もし俺と一緒にいたことが原因ならば思い当たることが二つある。だがそれは俺にとって情けないことで、思い出しても恥ずかしいというかなんというか。
「どしたのバッシー突然顔を押さえだして」
「うわなんかエロいこと考えてる顔だよこれ」
「平等橋。断頭台の準備はできてるわよ」
「好き勝手言ってんじゃねえよバカども!」
公麿が絡むときのこいつらの俺に対する当たりの強さはほんとどうにかしてほしい。
「それで、心当たりがあるのね」
「あ、ああ。多分だけど。いや、どうなのかな」
「いまさら中途半端に濁してんじゃないわよ。もぐわよ」
「何をだよ!?」
「今そんな漫才いらないってー」
柊の冷静な突っ込みを受けて俺と裕子は黙った。
三人が俺に注目する。話しにくいが言うしかないか。
「昨日なんだけどさ、あいつと手を繋いだんだよ」
「平等橋って童貞だっけ?」
「クラスLineで拡散しよう。バッシー童貞説っと」
「やめなよ二人とも。あ、でもツイッターで拡散しよう」
「お前らいい加減にせんかい!」
比較的常識人の柊まで遊びだしたので手に負えなかった。
「だってマロちんってわりと誰とでも手くらい繋ぐじゃん」
「そうね。普段触られ慣れているせいか妙にボディタッチに対する耐性は高いのよね」
「人見知りなのにパーソナルスペースは割と狭いよね。男の子だったからかな」
なんだろう。そういう意図はないってわかるんだが公麿が尻軽みたいな扱いを受けていて少しもやっとした。
「まさかそれだってんじゃないでしょうね」
「それだけだったらマジで童貞Line流すよ?」
裕子と楠に詰め寄られる。形勢が不利すぎる。
「いや、なんつーか、いろいろあってその後あいつに抱きしめられたんだけど、お前らの話聞いてたら割と誰とでもしそうだからやっぱ俺あんま関係ないんじゃ」
話し始めまでぎゃーすかうるさかった三人が『抱きしめられた』あたりで無音になった。別の意味で怖くなってきた。
「ああ、やっぱ俺関係ないか」
「んなわけないでしょう」
ノーモーションのビンタが飛んできた。首がちぎれたんじゃねえかってくらい顔が吹っ飛んだ。
「はっ、私ったら咄嗟にとはいえ手が出てしまうなんて」
「いやボスは何も悪くないよ。この男には少しくらい罰を受けるべきだ」
「二人ともおかしいよ!? ボスバッシーに謝りなって!」
裕子と楠が柊の説教を受けている横で、俺は少し安心をしていた。よかった、あれまであいつが誰にでもしているんだったら俺の葛藤はどうすればいいのか分からなかった。
「叩いたのは悪かったわ平等橋。あんたがあまりにも羨ましくて」
「ボスボス? 本音が漏れてるよ?」
「失礼。でもあの子が変わった原因は多分それじゃないかしら」
裕子から受け取ったハンカチで口の端を拭っていると、裕子を含め柊も楠も頷いていた。どういうことだ。
「ほら、あの子って触られるのは慣れてるじゃない。で、その延長で手くらいはぱっと掴むんだけど抱き着いたり身体的な接触があんまり強すぎるのは極端に嫌がるのよね。私や亜衣とか舞衣にはもう慣れたみたいなんだけど、それでも包まれたりするのは苦手みたいなのよ。自分からするなんて考えられないわ」
驚かされた。
俺は男の時から公麿にちょっと気持ち悪いくらいあいつをもみくちゃにしていた。こいつガード緩いなーと思っていたが、公麿も誰でもってわけではなくちゃんと人を選んでいたらしい。そりゃ誰でもあんなことされていたらちょっとどうなんだと思うが、それは俺があいつに特別許可された人間だったかららしい。やべえ、なんか知らんがすげえ嬉しくなってきた。
「……そう、か」
「なーにが『……そう、かデュフフ』よ! カッコつけてんじゃねえわよ!」
「悪意的に俺をデブキャラにするのマジでやめろ!」
「でもさー、それとマロちんのあれとどう繋がるの?」
少しの間黙っていた柊が不思議だとばかりにこめかみをぐりぐりした。
「あれじゃない? マロちんがバッシーへの愛に目覚めたとか」
「あ、やっぱり?」
柊と楠が勝手なことを言い出す。
「お前らなあ」
「何よバッシー。バッシーだってちょっと感じてたでしょ。マロちんのバッシーに対するラブビームを!」
「舞衣舞衣? あたしできるだけ舞衣の味方だけどその表現は死ぬほどダサいよ?」
「やめなさい二人とも」
珍しく裕子が真剣な目で二人の会話を止めた。
「公麿が平等橋の事が好きなのはそうだと私も思うわ。でもきっとそんな単純なことじゃないのよ」
「どういうこと?」
楠の問いに裕子はあいまいに首を振る。
「私にも分からないわ。だって私は男から女になんてなったことがないもの。あの子が何に悩んでいるかなんて私たちが推し量ることはできないのかもしれない」
柊と楠が「うむー」と首をひねる横で、俺は別の意味でそもそも公麿が俺に好意云々と言う話自体ずれているのではないかとも思っていた。
昨日の俺は自分で言うのもなんだが精神的に参っていたし、優しいあいつがそんな俺を見かねての行動だったととらえるのが普通だ。
異常なのはあいつの優しさにそれ以上の意味を求めた俺のゲス根性。しかし沈黙するこの空間でそれを言うのはどういうわけかはばかられた。
その後やはり初めに言った通りすべてを決めるのはもう少し時間をおいてからの方がいいだろうという事になった。
口には出さなかったが、皆がこの件は慎重に動かなければ大事になるという認識があった。
委員長である裕子の口利きで、公麿が男子の制服を着る事は教師に認可された。
そして公麿も次の日には逃げ出したことなんてけろりと忘れたかのように俺に話しかけてきた。
時間をかけて公麿の話を聞くしかない。
焦りは禁物だろう。
そう自分に言い聞かせているうちに、気が付けば二週間たっていたというわけだった。
「それで親父がおっかしくってさー。おい、聞いてんのかよ平等橋?」
「聞いてるよ」
ならいいんだけどさともごもご口ごもる公麿。
今のこいつは躁と鬱が交互に来る。
妙にテンションが高い時が来たと思えば、俺がそれに反応していないかやけに気にして落ち込みだす。もともと気の弱いやつではあったのだが、最近は殊更その傾向が強い。
「おはよう公麿」
「ぉ、おはよう。……裕子」
後ろから裕子が声を掛けてきた。
情緒以外にも公麿は変わった。
「今日家庭科の授業だけどエプロンは持ってきた?」
「……うん。持って来てる」
「……そう。じゃあまた後で教室でね」
言うと裕子は速足で先に行ってしまった。
左端の制服の端に感じる違和感。また公麿がぐいぐい引っ張ってきてやがる。
「公麿」
「あ、わりい」
注意するとぱっと手を離す。無意識にやっているから下手に文句も言えない。
裕子が走っていく姿を公麿はじっと見つめていた。
公麿の変化。それは裕子や柊、楠と言った普段一緒にいた女子たちと距離を取り出したことだった。
露骨に避けることはしないが、今みたいによそよそしくなった。
理由を聞いても、「女子と話すの緊張するじゃん」と頬を染める始末。まるで時間が半年前に戻ったみたいだ。
裕子たちとは最近は昼飯も一緒に食べていないらしい。毎回俺を連れていつもの踊り場まで連れて行く。その時に裕子やあの三人から掛けられるなんとも言えない視線が苦しい。
一つ、鈍い俺でも推測できる考えがあった。
公麿はなかったことにしようとしているのではないだろうか。
女になったという事実。それがをなかった事にして今までの日常を送りなおそうとしている。
そして公麿が変わってしまったのは俺が関係しているのではないかという裕子たちの推測を確かめることは今でもできずにいた。
「なあ公麿」
「なんだよ」
「繰り返しになるけどさ。お前男に戻ったわけでもねえだろ。裕子たちも寂しがってるしそろそろ戻してやれよ」
この二週間、俺は裕子の提案にのったから公麿の変化をただ黙って見ていたわけじゃない。
本当に何もできなかったのだ。
もともと数日やそこらで公麿の奇行ともとれる変化が止むとは思っていなかった。
そもそも公麿は突飛な行動をそうやすやすと起こす人間じゃない。それをするだけの何かがあったことは明白だった。
だがそれに関して一切の干渉を俺たちが出来なかったのは、それほど公麿の拒絶が強かったからに他ならない。
ゆっくりと、傷つかないよう遠まわしに事情を尋ねようとしても「俺はもともと男だ」の一点張りで話にならない。
見守ろうと提案した本人である裕子でさえも一度強く迫ったことがあった。
公麿の姿格好が変わっただけなら見守る姿勢を崩さなかったあいつも、突然避けられ始めたことがショックを受けたらしかった。
友人がいきなり自分たちにそっけなくなった理由が知りたいというのは当たり前の事だ。俺も裕子の限界が近いことはよくわかっていた。
だが、公麿の出した答えは拒絶の二文字。
その場にいたわけではないので、後で裕子に聞いた話になる。
裕子の詰め寄り方にも問題はあったと自分で言っていたが、公麿は自分が女であると指摘されるとまるで子供のように「違う」と連呼し、裕子の手を弾いて逃げ出したそうだ。
手を弾かれたことよりも、精神的に追い詰められような公麿の表情にショックを受けた裕子はそれ以来公麿に深く関わろうとはしなくなった。
柊や楠も公麿に会えば挨拶はするが、それも特別親しくもないクラスメイト同士が廊下であった時のような応答だ。
いかなる理由が公麿にあるのかは分からない。でもこの三人を失うことは公麿にとっていいことであるはずがない。
今まで黙っていたが俺も口を挟まずにはいられなかった。
暫くたっても公麿からの返事はなかった。
「……まで」
「は?」
「お前までどうしてそんなこと言うんだよ」
「ちょ、公麿!?」
スンスンと洟をすする音が聞こえてはいたが、まさか泣いているとは思わない。
「知ってるだろ、俺昔女男とか言って色々からかわれてたって。なのになんでお前までそんなこと言うんだよ……」
「ちょ、何の話だよ。からかわれたってそりゃ小学生の時とかだろ。しかも今のお前はマジもんの女じゃねえか」
「女じゃねえって言ってんだろ!」
立ち止まり、叫ぶ。
登校中の奴らがなんだなんだと騒ぎ立て始めた。
「しつこい、しつこい、しつこい! どうしてそんな意地悪ばかり言う! 嫌がらせにしたって触れてほしくないところだってある! なんでお前はそれを分かってくれないんだ!」
わなわなと震え、目からぼろぼろと涙を零す公麿。
人をかき分けて逃げて行った公麿を俺は追うことが出来なかった。
あれだけの事があったのに、昼休みになると公麿は俺の席の前まできて「お昼いこう」と誘ってきた。
弁当を食べている最中、公麿から朝は先に行ってごめんという謝罪を受けた。朝のあの張り詰めた感じはなかったが、またぶり返すのが怖くて俺も深く聞くことが出来なかった。
互いに遠慮があるため会話が弾むはずもない。まるで喧嘩の最中のような気まずい昼食となった。
部活を済ませ家に帰ると、アパートの前で妙齢の美人な女の人が佇んでいた。
どこかで見たことがある顔だなと思っていると、女性の方から声を掛けられた。
「すいません。平等橋正義さんですか?」
フルネームで人から呼ばれることはそうない。驚きもあって反射的に頷くと、相手はほっと笑顔を作った。
その仕草があいつと凄く似ていて誰だかその時になって分かった。
「公麿の母です。あの子の事でお話させていただきたいことがあるのです」