俺が女に変態したことで問題がいくつかあった。
「学校どうすっかな」
当たり前だが、俺は現在男として学校に籍を置いている。このまま通って大丈夫なのだろうかというのが一点。続いてこれも問題の一つになるのだが、
「胸が育ってやがる……」
昨日は手のひらを被せたくらいの扁平だった胸が、今日起きてみると握りこぶしを少し潰したくらいのサイズに膨れていた。これではどこからどう見ても乳房だ。
これを見てゆかりが「我を一日で超えた、だと!?」と驚愕の表情を浮かべていた。ちなみに兄貴は「下着類とか金欲しかったら請求しろよ」と偉くドライなことを言っていた。財布の紐を握っているとはいえもう少しこう、ないのだろうかと思わなくもない。
「これで男を通すのは難しいだろうな」
最後に、昨日学校で平等橋から指摘された事がある。
声が半音ほど高くなっているらしい。
昨日の俺は自分がまさか女になっているなんて思っていないから、喉の調子が悪いとかなんとか言ったと思う。喉の調子が悪くて声が高くなるなんてヘリウムガスを吸う以外にあり得ないと思うのだが、本気で体調不良でそうなったと信じていた俺は意地でもそれで通した。そんな意地なんかなくても、もともと俺は男にしては声が高かったからそこまで目立たなかったが、今のこの姿を合わせて見られれば女としか見られないだろう。
どうしたものか頭を唸らせていると、兄貴が部屋に入って来た。何故かうちの女子の制服をもって。
「兄貴、その手のやつは?」
「ああ。必要かと思ってな」
「どっから持ってきたんだよ!?」
「親父とお袋の寝室から出てきた」
そこだけ切り取ったら怪しいワードだ。
「親父たちは本気でお前がそうなるって分かってたみたいだな。ほら、学生証もなぜか入ってたぜ」
投げ渡してきた新品の学生証には俺の名前が。戸籍は女となっていて、顔写真は男の時のままだ。
「お前女顔だから男ん時も今もあんま変わらねえんだな」
軽く言ってくるがこの顔は昔からコンプレックスだった。何せ小学校の時上級生に女と間違えられて三回告白されて、ませた奴からは唇を一度奪われたことがあるからだ。女には一切モテなったが男にはやたらモテた。
「俺も生徒手帳まではちょっとおかしいって思ったから今朝学校に電話してみた。そしたら朝校長室に寄れってよ。やっぱこのこと学校も何か知ってるみたいだぜ」
「ええぇ……」
兄貴はそれだけ言うと制服を置いて妹を起こしに行った。隣の部屋から妹の悲鳴が聞こえる。
俺は女子制服を手に取り姿見の前に立って肩に合わせてみた。
「これ着るのか?」
困惑の表情を浮かべた、俺によく似た顔をした女の子がそこにはいた。
「君のことは君の御両親からよく聞いていましたよ」
俺は高校に入学して初めて校長先生と対面していた。
学年集会でよく校長のことは見ていたが、改めて優しそうな爺ちゃんだなって感じた。
なんというか生徒に安心感を与えるというか、妙な威圧感が一切ない。だから一対一で話し合うとなっても全く緊張感はなかった。いや厳密にはそばで俺の担任の先生もいるか。
困惑した表情をしながらも笑顔で俺に手を振ってくれる新任の女教師、女教師って書くとそこはかとなくエロい気がする。どうでもいいか。
「親からは僕のこと、なんて?」
こんな時でも目上の人に対して一人称を変えてしまうのはなんでだろうと考えてしまう自分が憎い。僕なんてめったに使わないぞ俺。
「諸事情があって2年の途中から性別が変わってしまうということですね。にわかには信じられませんでしたが、今朝君のお兄さんから連絡を受けて、君がこうやってやってきた時確信しました」
初老の優し気な校長は、「君には2つの選択肢をご両親から預かっています」と言う。
「一つは近くのご両親が提案する女子校に編入すること。君もこの学校に在席するなら知っているでしょう? そう、よくうちとも提携しているあそこです」
校長説明するのは俺も良く知るこの近くの女子高だ。俺は全く関係ないけど、よくチャラい男子連中が合コンをしているのを聞く。進学校で、うちよりも偏差値が高い。
「もう一つはこの高校に女子生徒として編入し直すこと。ただ後者を選ぶといろいろと君も大変だと思います。君の選択に任せますが、新しい学校という選択肢も悪いものではないと私は思います」
校長のいうことはもっともだった。俺も女になって今まで通り学校に通うのがまずいということは容易に想像がつく。
まず偏見の目。
性転換だとか、そういった差別的な待遇を受ける可能性がどうしたって否定できない。
いままで仲良くしてきたやつらにそういう目を向けられたらきっと耐えられないだろう。
でも今まで仲良くしてきたからこそ受け入れてくれるかもしれない。
正直今から新しい学校、しかも女子校に行ってうまく馴染めるか分からない。
「あの、校長先生、ちょっといいですか?」
俺が何も言えずに床を見つめていると、今まで黙っていた担任がそろーっと手を挙げた。
校長がなんだねという感じの視線を向けたので、恐る恐る口を開いた。
「綾峰さんも突然のことで戸惑っていると思うので、しばらく考える時間があってもいいんじゃないでしょうか? ほら、今日彼、あ、いやもう彼女ですね、初めて女子の制服着て学校来たわけじゃないですか。体験っていうと言葉はあれですけど、ちょっとお試しでやってみてから考えるというのはどうでしょう」
もちろん問題が起きないように私がしっかりと責任を持ちますと担任は〆た。
今までほとんど担任に関心を向けたことはなかったけど、今この人は俺のことをしっかりと思って言ってくれたんだなっていうのが伝わって来た。
「問題が起こってからでは遅い。そうは思うのですが、そうですね、石田先生のおっしゃることももっともです。綾峰くん、どうしますか?」
「俺も迷ってたんで、今日一日、ひょっとしたら数日になっちゃうかもしれないんですけど、ここで様子を見たいと思います」
俺がそう言うと校長はにこりと口角を上げた。
「わかりました。ではそのようにしてください。あなたの配慮は職員会議等でしっかりと対応していきたいと思います。また何か問題があったらすぐに教えてください。あなたが快適に学校生活を送ることができるが第一ですから」
「もちろん真っ先に私に言ってね」
担任、石田先生が被せるように言った。
「すいません。ありがとうございます」
ちょっと泣きそうだった。今まで先生とか超どうでもいいと思ってたし、今でもその想いはどこかにあるけど、この二人の好意を疑う気には俺にはならなかった。そう感じる俺はやはり単純なのだろうか。
校長室を出た時、もう一時間目が始まっている所だった。
隣を歩く石田先生は「それにしても」と前置きした。
「気に障ったらごめんね? 綾峰くんすっごくかわいくなったね。いやー男の子の時から可愛い顔してるなーって思ってたんだけど、女子の制服着てると破壊力が違うよね。体の線もちょっと細くなってもう守ってあげたいって感じで」
俺がちょっと引いた目で見ていることに気づいた先生は、「ああ違うの違うの!」と必死で弁明してきた。なんだろう、うちの妹と同じ匂いをこの先生からは感じる。
「別に気にしてません、っていうとやっぱり嘘になります。教室の皆の反応とか、友達とか、特に女子の反応とか、やっぱりいろいろ気になります」
正直な気持ちだった。
家族や校長先生、石田先生と俺は俺の変化を受け入れてくれる人たちばかりだった。でも世の中そんな人たちばかりじゃないってことも知ってる。
「いつでも助けてあげるなんて、そんな無責任なことは言えない。でも今日1日、それも耐えられなかったら我慢しなくてもいい。でも覚えていて。私はどんなことがあってもあなたの味方だから。いつでも私の所に逃げてきて」
「先生……」
胸が熱くなった。さっきからどうも情緒が安定しない。これも変態による影響だろうか。
「……ひ、庇護欲がやばい」
ふいと顔を背け先生はよだれを拭うを仕草をした。
……この人やっぱり。
「あ、綾峰くん。授業だけど中途半端な時間だしどうする? 何だったら職員室でお茶でも」
「いえ、授業に出ます」
「あ、うん、そうね、うん。それがね、いいよね」
露骨にがっかりした顔をする先生と別れ、俺は教室へと向かった。
慣れたはずの教室までの道のりがやけに長く感じる。
階段を一段上るごとに息が切れる。
『お姉ちゃん。スカートを履いたら気をつけなきゃいけないのは階段と座るときだよ! 男の子の時と同じ感覚だったら大変な目に遭っちゃうんだから!』
脚を動かすたびに揺れるスカートを見て、妹に言われたことを思い出した。
なんでスカートなんて履いてるんだよ俺。
教室の前まで来ると、中から教師の声が聞こえる。英語の田中だ。四十代のちょい悪親父を自称するちょっと痛い教師で、でも時折挟む寒いギャグが俺は結構気に入っていた。
どんな反応をされるだろう。
気づけば右手が小刻みに震えていた。
びびってやがるよ、俺。
なんだか笑えてきた。何に怖がってるんだよ。ダメだったら逃げ出したらいい。それだけだ。
教室の後ろから俺は扉を開いた。
瞬間、視線が俺に集まるのを感じた。
それはそうだ。何せ今俺は女子の制服を着ている。
普段から女子に限りなく近い男という不名誉なあだ名を付けられてはいても、ネタや冗談で俺がこんな格好をする性格ではないことは皆知ってる。
田中は授業の説明を緩めることなく、遅れて授業に参加してきた俺に、いつも遅刻してきた生徒に対してするみたいに授業のプリントを手渡してきた。
それだけ。
特に俺の格好に何かを言う訳でもない。
きっと校長先生に言われたのだろう。
校長先生は俺との話し合いを終えると、すぐに朝の職員会議に向かった。石田先生は俺に付き添ってくれたが、その間に俺のことは職員の中では広まったのだろうと思う。
皆の視線は気になる。このクラスは妙に皆真面目なので授業中に喋ることはしない。でも好奇の視線は感じる。
特に俺の右斜め前の奴なんてずっと体ごとこっちに向けてあんぐりと口を開けている。
平等橋だ。
俺はいつもと同じように席に座った。妹に教わったようにスカートを尻に敷くようにだ。
耐えられねえなあ。この空気。
しばらく黙って授業を受けていたが、もう無理だ。
ちらちらとこっちに視線を向けるクラスメイト。
好機な視線も勿論だが、心配したような色がそこに含まれていることも気が付いていた。
「先生」
俺は手を挙げた。質問がありますとばかりにピンと手を挙げた。
この時点で教室がちょっとざわついた。それもそのはずだ。俺の声は昨日よりももっと高くなっている。『お姉ちゃん声完全に女の子じゃん』とは妹の言葉だ。
「お、おう綾峰。ここじゃあ答えるか?」
前置詞のatだかonだとかは興味がない。ただ言ってやろう。
「俺女になりました」
教室が湧いた。