TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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どういうことなんですか?

「マジモンの平等橋さんだ!」 

 俺が公麿の母親に会釈を返していると、道の向こうからセーラー服を着た小柄な少女が走ってきた。

「人を指さしてはいけませんゆかり」

 妙に興奮しながら俺を指さし「マジモンだマジモン!」と騒ぐ少女を公麿の母親が窘める。見た感じ公麿の妹といったところだろうか。それにしてもなぜここまで騒ぎ立てられるのか分からず困惑する。

「失礼をしました。改めて自己紹介をさせて頂きます。私の名前は綾峰咲江、公麿の母です。そしてこの子は次女のゆかりです」

 深くお辞儀をする公麿の母親、咲江さん。アパートの前という事もあって人通りは少ないが、妙齢の女性にこうも畏まった態度を取られると居心地が悪い。

「あの、確認なんですけど、俺に用事ってことなんですよね?」

「はい。公麿の事でお話があって伺わせて頂きました」

 公麿の事。

 公麿の母親とその妹がやってきたというのだからそりゃその用事しかないだろう。しかし今現在ぎくしゃくしている公麿との関係、そのさなかに相手の肉親がやって来るという状況は俺を緊張させるに十分なことだった。

「突然押しかけてしまい申し訳ありません。非常識の無礼お詫びします」

「畏まらないでください。それに、立ち話もなんですから」

 緊張と不安を以て俺は二人を招き入れた。

 

 

「正義おかえりー」

 ミスった。

 姉貴が家にいるという事を完全に失念していた。

 姉貴は普段は帰りが遅いのだが、職場の所長の都合だとか、経理の整理だとか俺にはよくわからない事情で週に何度か帰りが早い日がある。

 事前に分かる時もあるし、その日家に帰ったら姉貴が早かった日だとわかるのと二パターンがある。

 どちらにせよまあまあの確率で姉貴が家にいることには変わりないというのに、俺は緊張で頭からすっかりそのことをとんでしまっていた。

 昔俺が部活のヤツを数人家に呼んだ時、というかじゃんけんに負けて強制的に俺の家に行かざるをえなくなった時、たまたま姉貴が家にいた事があった。仕事疲れもあったのだろう。姉貴はすっと表情を消して俺に皆を連れて場所を移せと耳打ちをして手に三千円を握らせたことがあった。

 あの時の光のともっていない姉貴の目が恐ろしく、以来誰かを連れてくるときは毎回姉貴に事前に確認を取るようにしていたのだ。

 返事をしない俺をいぶかしんで、リビングから顔を覗かせる姉貴。

 その顔が俺の後ろにいる二人を見て疑問に顔を固めた。

「公麿のお母さんと、妹のゆかりちゃん。家に上がってもらうけどいいかな?」

「夜分に失礼します。公麿の母の綾峰咲江と申します」

 後ろにいた咲江さんがまた丁寧なお辞儀をすると、姉貴が転がらんばかりにすっ飛んできて、「いえいえこちらこそお世話になっております」と外面全開の笑顔を振りまいて挨拶を返し、急いで上がってもらうよう促した。姉貴の顔を見るのが怖い。

 俺も続いて靴を脱いでいると、姉貴が小声で「正義」と呼んだ。

「ごめん姉貴、急で」

「それはいいけど、私も同席するわよ。キミちゃんの話なんでしょ?」

 姉貴の顔は怒っているというより誰かを心配しているような不安げなものだった。怒られなかったのはよかったが、いったいどうしてそんな顔をしているんだ。

 俺の疑問は答えられることなく、姉貴はすぐにリビングに通した咲江さんとゆかりちゃんのもとへ戻った。

 

 

「そこでキミちゃんが『薄口しょうゆだから濃い口の二倍入れなきゃダメなんじゃないんですか』ってどぼどぼ入れようとしたのを必死で止めて」

「あら、そうでしたか。そういえばそのくらいの時期にあの子が醤油さしを見るとなぜか顔を赤らめて逸らすということをしていました。納得です」

 席についてからかれこれ三十分。姉貴と咲江さんは俺を置いて公麿の事で盛り上がっていた。

 うちには何度か足を運んでいたことを知っていたらしい咲江さんが、姉貴にいつもお世話になっていますというよく見る挨拶と菓子折りを交わしたことから話は発展していったのだ。

 いつ本題に入るのかと嫌な汗を掻いていた俺は終始落ち着かない。

 落ち着かないと言えばもう一点。

 公麿の妹と紹介されたゆかりちゃんだ。

 彼女は今年中学三年で、来年はうちの高校に受験を考えている受験生らしい。受験生と言えば今は追い込みの時期のはず、どうしてこんなところまでやってきているのかは疑問だがひとまず置いておこう。

 問題は会ってからずっと俺の事をきらきらとした目で見つめてくることだ。

 年下の女の子にそんな目で見られれば、この子俺の事が気になっているんじゃないかなんて妄想も浮かび上がりそうなものだ。

 だが経験上そういう黄色い感じじゃない。

 どちらかというと観察とか茶化しとか野次馬とか、面白半分で見てくる感じがばしばしと伝わってくるのだ。

 俺に興味津々なことを隠しもしないくせに、向こうから話しかけてくることは一切ない。

 時折「へえ」とか、「こんな感じなんだぁ」と意味深長な呟きを零すばかり。

 容姿が整っている少女にされるというのが逆に怖い。

 思い切ってなにかあったのかと問いただしてみたいが、姉貴と咲江さんの会話をさえぎってしまいそうでそれもできない。尻の座りが悪い事この上なしだ。

「そういえばここへは正義が?」

 ようやく話の流れが変わった気がした。姉貴が尋ねると、咲江さんはゆかりちゃんの方を見て、この子がと言った。

「夏休み前に裕子さんが家に来た時Line交換したんです。で、裕子さんが平等橋さんと幼馴染だってお姉ちゃんと聞いてたから住所もきいてみたんです」

「マナーがなってないのは承知の上だったのですが、どうしても直接お話しなければと思い今日伺わせて頂いたのです。この子はついてこなくてもいいといったんですが聞かなくて。すいません」

「だってお姉ちゃんのこと気になるじゃんかー!」

 今日あの時間俺とアパートの下で会ったのも偶然だったらしい。

 家の近くでゆかりちゃんがアパートの棟を確認しに行ってる間俺が待っている咲江さんと遭遇したという次第だったらしかった。

「そんなお気になさらず。それで、今日は最近のキミちゃんのことですよね?」

 姉貴にも公麿の変化については話していた。

 姉貴は出合ってから公麿の事を下手したら俺より可愛がっている節がある。毎日顔を突き合わせている俺は今の公麿がどうなっているか分かる。でもまだ見たことがない姉貴は俺の話からの情報しか持っていないので、俺以上に不安に思っているのかもしれない。

「そうですね」

 咲江さんはどこから切り出すべきか悩むように口を開いた。

「二週間前のことです。夕飯を呼びに公麿の部屋をノックしても返事がなく、不審に思って勝手に入るといつもなら部屋の電気がついていませんでした。姿見の前ではあの子が小さく丸まり、何かぶつぶつと呟いていたのです。娘の尋常ではない様子はそれだけではありませんでした。暗くて気付きませんでしたが、足元にはバッサリと切り落としたあの子の髪の毛が乱雑に散っていました」

 俺と姉貴が息を呑み黙って聞いていると、咲江さんはそこで俺の目を覗き込むように見た。

「正義さん。あの子は何と言っていたかわかりますか?」

「……わかりません」

 彼女は俺を責めているわけではないだろう。

 それは口調や雰囲気で伝わってくる。

 だが公麿の行動が俺と深く関わっていると強い確信をもっているようだった。

「『俺は男だ』『綾峰公麿は男だ』『女じゃだめだ』この三つを鏡に映る自分に繰り返し繰り返し呟いていました。明らかにあの子は自分の今の性別を否定したがっています。そしてそれは正義さん、あなたが原因だと私は考えています」

「俺が、原因?」

 話の中身が衝撃的すぎてその後がなかなか頭に入ってこなかった。

 公麿が変わったのは一目瞭然だった。でも精神に支障を来すほど負担を強いていたなんて想像もしていなかった。

 オカルト的な実験の一つに、鏡の前に立って自分に向かい『お前は誰だ』と話し続けるというものを聞いたことがある。

 はじめはなんともなくても、次第に自分が自分ではない誰かに見えてき精神に支障を来すというものだ。

 実際には人格崩壊を起こすほどのものではないらしいが、長時間続けることでゲシュタルト崩壊が起こったり、笑っている自分の顔が気味悪く見えたり気分が悪くなるのはそうらしい。だがそれも個人差だ。

 この行為の本質は暗示にある。

 自分が自分ではない何かである。そうしなければ耐えられなかったのだろう。

 本当の自分は男だ、それを言い聞かせねばならぬほど公麿は追い詰められていたのだ。

「この子が原因と言う話ですが、それは一体どういうことですか?」

 黙りこくった俺に代わって姉貴が尋ねる。姉貴の心中もきっと穏やかではないはずだ。

「娘が正義さんに恋愛感情を抱いているからです」

 この場にいる誰も意外そうな声をあげなかった。

 姉貴も、そして俺も。

 さんざんネタにされ続け、少し前には裕子たちの前でも否定を重ねていた。自分自身にすらそう言い聞かせていた。

「自覚はありますか?」

「……はい」

 しかし心の奥底では認めていたという事なのだろう。咲江さんは逡巡するように言葉を選ぶ。

「あの子にとってあなたは文字通り特別なのだと思います。あまり友達の多い子でもありませんでしたから、高校であなたという友達にめぐり合えてあの子はとても喜んでいました。性別が変わっても変わらず仲良くしてくれたこともあの子がどれだけ嬉しかったか、親の私でも想像に難くありません――」

「……それは」

 一言口をはさみたくなった。俺はずっと公麿を受け入れていたわけじゃない。

 一時期酷くあいつを傷つけた。だがそれをこの場で指摘することは臆病な俺にはできなかった。

「――ですからあの子も勘違いしてしまったのかもしれません。優しい誤解が生じていたのだと思います。ですがあの子を責めないで欲しいのです。今日はそのことをお伝えしにやってきました」

「……ん?」

「今学期で公麿を転校させようかと考えています。ちょうど来月には休みも切れて夫と海外へ戻らなければならないと考えていたので時期的にも都合があったので」

「え、はあ? 転校?」

 途中頭の中でごちゃごちゃ考えている間に話が飛んでいるようだった。なんだ、なんの話になっているのだ。

「ちょっと待ってください。どこからそういう話になったんですか? というか公麿と俺がどうその話に繋がっているのか見えないんですが」

「平等橋さんがお姉ちゃんのこと振ったからじゃん!」

 これまで黙っていたゆかりちゃんがテーブルを叩いて立ちあがった。

「いつお母さんに弁明するのかなとか、あいつは俺のもんだとか男らしいこと言うのかと期待してたら『はい』とか、『いえ』とかロボットでも言えそうな短いのばっかり! お姉ちゃんから聞いてた印象と全然違う!」

「ゆかり、座りなさい。すいません、娘がお騒がせして」

 咲江さんの一言でふくれ面のまま腰を下ろすゆかりちゃん。俺は彼女に言われた意味がよくわからず呆然とした。

「正義。あんたキミちゃん振ったの?」

 姉貴の言葉ではっと意識が戻る。

「振ってない振ってない! ていうか告られてもない!」

「え?」

「はい?」

 咲江さんとゆかりちゃんが目を丸くして俺を見つめる。

「どういうことですか?」と咲江さん。

「どういうこと?」とゆかりちゃん。

「どういうことなんですか?」と、俺。

 隣に座る姉貴がまとめるように、

「いろいろと意見の食い違いがあるみたいですね。どうです、お茶でも入れて小休止しません?」

 その提案に異をとなるものは誰もいなかった。

 


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