「……緊張で吐きそう」
「処理はしてやるから存分に吐いて来いよ」
「問題の本質はそこじゃねえよお」
弱音を吐くと、平等橋は大丈夫だって、と全く頼りない励ましをくれやがる。
時刻は午前8時前。
普段ならこんなに早く来ることはないが今日は特別だ。
彼女が部活の朝練前には一度荷物を置きに来ることは知っている。朝一番ならまず教室に人はいないし、狙うならそこが一番だ。
ただ私の生来のヘタレ根性が発動して実行に移そうと考えただけでぶるぶる震えが止まらなかった。そのため今日早起きして平等橋に付き合ってもらっている。
私の心配とは裏腹に平等橋は「大丈夫だってそんなことしなくても」とかなり温度差のあるコメントをくれやがる。緊張感皆無である。それが証拠に、こいつ今欠伸しやがった。こっちは死ぬほど緊張してるというのに。
「おい、来たぞ」
ぼそっと平等橋が合図をする。ぴうっと妙な擬音が体のどこかから漏れた。
がらりと教室の戸を開け、裕子は平等橋を、そして次に私の姿を確認して目を見開いた。
「……公麿、その制服」
「ゆ、裕子。お、おはよう……」
「き、公麿?」
わなわなと体を震わせながら、裕子は私を見ていた。遠目にでもわかるほどレンズ越しの目に涙をためている。
肩から下げていたスポーツバッグを床に落とし、始めはゆっくりと、次第に速度を上げて――
「今までごめん、裕子。本当に――」
「謝るくらいなら撫でさせなさい触らせなさい胸揉みしだかせなさいーーーー!!」
「ひいいいいいいっ!」
びっくりするくらいいつもの裕子に戻った。というか前より勢いが増している。
おい待ってくれ! こんな事態想定していなかったぞ!
もっと怒られるとか、絶交されてんじゃないかってそればっかりびくびく怯えてたってのに。
「落ち着いてくれ裕子!」
「これが落ち着いてられますか! うわああああ! 柔らかい! 可愛い! なにより
いい匂い!」
「ぎゃあああああ!」
助けを求めようと視界の隅で平等橋を探せば、やっぱりなと言いたげに口元を引きつらせている。
「おはよーって、ボス? え、マロちん復活してんじゃん!」
「助けて舞衣! ほんとやばいってこれ!」
「マロちんが、マロちんが私の名前呼んでくれるよぉ」
「感動してないで助けてってばああああ!」
裕子に私の初めてが奪われそうになった。何の、とは聞いてくれるな。
裕子と舞衣を筆頭に、今まで迷惑をかけてきた人たちに順々に謝罪、といかないまでも迷惑かけてごめんというのを繰り返した。
全員にすべての事情を話すことはさすがにちょっとできなかったが、そこまで突っ込んだ事情を聞いてくる奴らはいなかった。後ろで裕子がにらみを利かせていたからだと後になって平等橋が言っていたが、もし本当なら裕子に感謝しなければいけないことがまた増えたことになる。自分勝手で起こしたことだけど、やっぱり全員にそれを話すのはかなり覚悟のいることだったから。
制服も女子のものに戻し、ウィッグも外した。切ってしまった分は戻らないけど、それ以外はまあ元通りっちゃ元通り。
一応それ以外にも小さな変化はあった。さらしをつけていた影響かは不明だが、ほんの少し胸が大きくなっていたのだ。それに気づいてるのは今のところ舞依くらいだけど、恐ろしい形相で私の胸と顔を交互で見てきたときは身の危険を感じた。
次に先生だが、これは両親が先に事情を話してくれていたようで案外スムーズにいった。
退学とか停学はないまでも、校内の風紀を乱したとかで最悪反省文くらい覚悟してたんだがそれもなかった。
勿論職員室に行ったとき中には迷惑そうにする先生もいたけど、それは自分がしたことを思えば仕方ないと思える。
身が縮こまる思いだったが、逆にもう大丈夫なの? と心配して下さる先生もいて涙が出そうになった。特に石田先生からは「ほんとに大丈夫? 何かあったらいつでも職員室に来ていいからね」と本気で心配してくれてたんだろうなと伝わる温かい言葉を貰った。この時ばかりは先生の前で少し泣いてしまった。あな恥ずかしや。
詳しい事情は話さなかったが、クラスメイトの中には本気で心配してくれた人たちも結構いて、泣き出す人もいた。ここは事情を話しているが、近い人だと亜衣がそうだった。
「マロちん、私、私さあぁあ」
「ごめん、亜衣ごめん」
裕子にもみくちゃにされている私をおもしろおかしく見てる舞衣を押しのけ、必死で助けてくれた亜衣が最初に言ったのが先の言葉だった。
思わずもらい泣きをしてしまったのはあまり言いたくない恥ずかしいことだった。
それから、夏合宿以来なんとなく気まずかった村木とも話した。
あいつは私を見るなり「平等橋とうまくいった?」と言ってきやがった。
あんまりにも唐突だったから、焦って思わず鳩尾を強く殴ってしまった。
謝ったら許してくれたけど、それにしても泣くほど痛かったのかと思えば罪悪感もある。今度なんか奢ってやろうと思う。
他のクラスで言えば、昼休み裕子から連絡を受けたとかで餅田がすごい勢いでやってきた。
今まで餅田がうちのクラスに来ることなんてなかったから、それだけで驚かされた。
「公麿ちゃん! ハグしていいですか!?」
「声でかいしお前も突然なんなんだよ!?」
顔とか性格は全然似てないけど、こいつの性質って割と裕子に近いよなと、昼休みいっぱい裕子と餅田の二人の抱き枕にされて思った。
あの期間の記憶は実はあまり鮮明じゃない。
濁った水の中に浸かったように不透明で、どうして自分があんな状態になったのかはっきり説明できるわけじゃない。
周りの人にいろいろと迷惑、特に裕子たちに酷いことをしたって記憶はあるんだけど、なんで自分が学校だと男だとか、家に帰ったら女装しだすのかとか、よくわかっちゃいない。
ただ推測するに私も逃げていたのではないだろうか。
平等橋に対する気持ちがはっきりし、そこで自分の心と体の乖離が起こったのではないだろうか。
平等橋といい友人関係で保っていきたいと考えるのは男の時の“俺”。
平等橋とは恋人関係、とまでは考えていたかは分からないが、ひそかな恋心を抱いていたのは“私”。
学校に通っている、つまり平等橋と接している時は男。家に帰ると平等橋と会わないから女の気持ちが出てくる。
この間で軽い二重人格のような状態になっていたのではないかというのが言うのが私の考えだ。
家じゃその境がはっきりしていない時間、つまり登下校のタイミングなのだけれど、それがあったから私の言動や行動がめちゃくちゃだったのだと思う。そりゃ家族が心配するわけだ。転校を勧めるわけだ。
あの日親父を叩いたとき私は“俺”の意識で体が動いた。
平等橋がその場にいたのに“俺”を使ったという事は、ここで“俺”と“私”が一つになったってことじゃないだろうか。それっぽく言うと自我の統一が図られたとか云々カンヌン……いやそれっぽくも言えないじゃないか私。
平等橋が引き金となっての男女の意識の境というのは、あくまで私の推測だ。しかし親父やお母さんが何故かあの時笑って帰っていったのだから何かしら関係していると思いたい。
でも真面目な話、あの状態の私を放置してさっさと家に帰っていったのだから、私はもう大丈夫だという何か理由はあったのだと思う。
だけど何を基準にそう思ったのかは不明だ。
親父だけならまた適当な勘で大丈夫と判断したのだなと呆れるが、お母さんもそれに同調してったのだからそれだけじゃない確かな根拠があったはずだと考える。
単に私が元気になったとみてもう大丈夫と判断したのだろうっていう見方もできるけど、どうなのだろう。
あの二人が何を考えているのか不明だ。そこ辺りはまた今度聞いてみようとは思う。
それと名称。これもまたぐちゃぐちゃになった。
自分の事はもう私と呼ぶことに決めた。口に出す時も、心で思う時も。
理由としては、もうすっかり使い慣れてしまったというのもあるし使わないことが自分の中で違和感が生まれて来るようになったからというのもある。
この辺は感覚だ。
同じような理由で大体の女性が使うような言葉で自然と考えるようになった。照れくさくてまだちょっと荒っぽい言い回しをすることがあるけれど、それも時間がたてば収まっていくような感じがしてならない。
家族など人に対してもちょっと変わった。
親父は親父のままで、お袋はお母さん。兄貴は兄貴。ゆかりはゆかりのままだ。なんでお母さんだけ変わったのだろう。
自分でもその基準はよくわかってない。
一度どうしてこんなぐちゃぐちゃ入れ混じるようになったのか考えたけど、答えが出なかったからやめた。
細かく考える必要なんてないだろう。と、私は結論付けた。
そう平等橋に告げると、「違いないな」と笑ってくれた。
「ぐだぐだ細かいこと考えるのはもう飽きたよ」
「なんだよそれ。細かい事ってそれ私の事か?」
わき腹をつついてやればやめろやめろと身をくねらせるが一向に逃げる気配はない。気づいたがこいつ結構マゾだ。
今日もこいつの部活が終わるまで待っていた。
図書館が閉まる時間とサッカー部の終わる時間が同じなので、最近じゃその時間まで本を読んでいる。
今まで全く興味の湧かなかった恋愛小説とかで泣きそうになるからそろそろやばいなあと思い始めている。
しかし目下私には悩み事、というかある深刻な疑問を抱えている。
「時に平等橋」
「はあん?」
コンビニで買った肉まんをほおばりながら、平等橋は気の抜けた返事を返す。
「私たちってさ」
「ああ」
「付き合っているのか?」
「……」
そう、あの日から結構な時間がたっているが、私は厳密に言うと平等橋から面と向かって交際を申し込まれたわけではない。
なんか雰囲気から多分そうだろうなあとかはある。
サッカー部の練習を待っていると、おそらく一年生であろうサッカー部員が「あれバッシー先輩の彼女じゃん」とか言うのを聞いたことがあるし、学食でご飯を食べていても「綾峰もついにバッシーとかよ……」という同級生の嗚咽交じりの声を耳にしたことがある。
バッシーと言うのが平等橋を指すのであれば、だが。
そのほかにも、たまに親父が家に平等橋を呼ぶことがあるし、私が愛華さんに呼ばれた時も以前よりかなり親密な感じで接してくれるようになった。
付き合っている、と思う。
でも手を繋ぐ以上の事をしたわけでもないし、何より直接こいつから好きだと言われていない。
私がじーっと見つめていると、平等橋も思い当たる節があったらしい。「そういや言ってねえな」とつぶやく。
「よし分かった。明日まで待ってくれ」
「おう。……いやなんで明日?」
「照れくさいんだよ」
「は? いいじゃん。けちけちすんなよ」
どうしてそこで出し渋る必要があるのだこの男は。
「よし分かった。おい公麿、ほれ、あれ見て見ろ」
「なんだよ。……月?」
「あの月見てどう思う?」
「なんも思わねえけど。でかいな」
「そうだな、綺麗だよな、あの月。うん、実に綺麗だ」
指をさしながら早口でまくし立てる平等橋。誤魔化すにしても何の意図があるんだか。というかここで誤魔化されると無性にイラっと来る。
「綺麗? それよりさっさと言えよアホ」
「もう言った! 俺もう言った!」
「はああ? 何言ってんだボケ、あ、てめ逃げんな!」
走り始めた平等橋を追いかけながら一つ考える事がある。
私の選んだ選択はこれで合っていたのかって。
今回の事がすべてじゃない。
転校の話はお母さんが勝手になかったことにしていたけど、もし私が転校をしていれば。
女にならなければ。
平等橋に出合わなければ。
すべては仮定だけど、もしそうなら私は今どうなっていたのだろう。
仮定の話をするのは無益だなんてどこかの学者が言っていたのを思い出すが本当にそうかもしれない。
結局は今の気持ちの持ちようなのだろう。
すべてが完璧なんてそんな選択があるとも思えない
でも少なくとも今この選択が間違っていたと思いたくない。
「あ、やべ公麿俺本気で走りすぎた?」
「速すぎんだよバカ―!」
彼が隣にいてくれるのは、そう悪いものではないと思うから。
これにて本編完結です。
九月に終わらせたいとか言いつつ一月ズレるとはいかんともしがたい事実です。
この後こぼれ話とか書いてみたい気もするけど新しいのも書いてみたい。迷いどころですね。
最後に、間隔が空いたにも関わらず最後までお付き合いくださった方に感謝いたします。
玉ねぎ祭り