「公麿、ちょっといいか?」
昼休み。
いつものように裕子たちとお昼ご飯を食べていると、後ろから平等橋が声を掛けてきた。
この時間に話しかけて来るなんて珍しいこともあるものだ。何の気なく振り返ると驚いかされた。随分と困った顔をしていたからだ。
「なによ平等橋。私たちの憩いの時間を邪魔する気?」
「バッシー、それは万死に値するよ?」
「どうしたの? なんか困った顔してるけど」
「お前ら相変わらず三者三様の対応の差がえげつねえな……」
順番に裕子、舞衣、亜衣が反応する。最近は裕子と舞衣のあたりが強すぎて亜衣が受けに入ることが多い。
「なんかあった? 移動しようか?」
私が提案すると、平等橋は「いや、そのままで大丈夫だ」と言う。
「ちょうどお前らにも聞いて欲しいしな」
「私たちにも?」
平等橋は私以外の三人にも聞かせたい話をしたいらしい。ますます何の話なのか分からない。裕子は腕を組み、亜衣と舞衣はこてんと首を傾げている。
「実はさ、ちょっと後輩でやっかなやつが入って――」
「せんぱ~い!」
ねっとりと粘り気のある甘ったるい声が教室中に響き、それと同時に声の主が一直線にこちらに向かってくる。
「げ、明堂……」
「明堂?」
探しましたよせんぱ~いと、これまた甘ったるい声を上げて平等橋の腕にしがみ付く女子。なんだこいつ。
背は、小さい。顔もなんか化粧が結構濃いけど可愛い系でそこそこ可愛い。
制服は着崩していて、スカートの丈は極端に短い。生活指導の先生に見つかったら間違いなくアウトだこれ。うちの高校はそこまで服装にも厳しくないけど、さすがにここまで着崩すと注意は避けられないと思う。
きゃるんという擬音語が似合う今時の女子高生と言う感じで、ああこういう子いるよなって普段なら無視するタイプ。そんな女子が目の前に現れた。現れたって言っても相手の視線は平等橋一点で私たち四人が視界に入っていないように振舞っているように見える。その態度に裕子がちょっとイラっと来ているのが空気で伝わってきた。
「せんぱい今日お昼ご飯一緒に食べてくれるって言ったじゃないですか~」
「いやほら、昼はもう約束してるしさ」
明らかに困った顔をしながら、視線だけで私に助けを求める平等橋。
大体事情はつかめた。
でも面倒だなあ。余計な首突っ込むのも、ねえ?
右を見る。裕子が肩肘ついてじっと相手を見定めている。
左を見る。亜衣と舞衣は傍観を決め込むと決めたようで、一歩下がって椅子にもたれかかっている。
三人とも平等橋に助け舟を出すつもりはないみたいだ。
……仕方ないな。
「ごめんね。私が先に平等橋と約束してたんだ。だから悪いけどまた今度誘ってやってよ」
できる限り相手が恥ずかしくないように気を付けて私は言った。
平等橋のことを先輩と呼ぶのなら、この子は一年生のはずだ。一年生がわざわざ二年の教室のある場所までくるのは結構怖いはずだ。そこまで来てただ帰れと言われたら恥ずかしくって仕方ないだろう。平等橋は困ってるっぽいし、私も外見とか言動はちょっと苦手だと思う子だけど女の子に恥をかかせるのはダメだ。
そういう意図を込めて私は慎重に言ったつもりだったのだが、彼女はそう思わなかったらしい。
言った私の方をグリンと首をひねって見つめると、ただ一言。
「は?」
そう言った。
「あー、あの、だからね」
「いや聞こえましたけど」
私の言葉が届いていなかったのかと思い、言い直そうとしたら嫌に攻撃的な返答が返ってきた。
私は今まで後輩というものと話したことはなかったのだけれど、運動部とか見てると先輩後輩の上下関係が厳しいものを想像していた。今までの会話と雰囲気で私を平等橋の知り合いと分からないはずない。それにもかかわらず刺々しい雰囲気を隠すことをしない。はじめの甘さマシマシのあの声音はどこへ行ったのかと首をひねりたくなるほどの低温ボイス。初対面の後輩に悪意をぶつけられたという事実で硬直してしまった。こっわ。後輩こっわ!
「あなた一年でしょ。いきなりその態度はどうなのかしら」
「かなり非常識って自覚ないのかにゃー?」
黙った私に代わり、裕子と舞衣が後ろから援護してくれた。裕子ははっきりと、舞衣は茶化しながら。しかし二人とも目が全く笑っていない。こいつらの方が怖いや。
「えー、なんですかー。ちょっとそこの先輩が何言ってるのかわからなかったから聞き返しただけじゃないですかー。それともなんですか? 先輩方はこんな小さなことも見過ごせないほど心狭いんですかー?」
「なるほどなるほど」
後輩女子が言い終わるや否や裕子が立ち上がる。
「ちょっと顔貸しなさいあなた」
「やっばい! ボスが切れた! 亜衣!」
「合点承知だ舞衣! バッシーはその子連れて廊下でも出てて!」
ぶわっと体から怒気があふれ出した裕子を、二人の華麗な連携で取り押さえる。
その間私は何もできず、平等橋が件の後輩女子を廊下に引っ張っていくのを面白くなく見つめていた。
昼休み終了ぎりぎりに教室に帰ってきた平等橋は、私たち四人のところまでくると何も言わず、すっと土下座をした。後で聞いたけど、この時私たち四人は能面を付けたかのように無表情で、すごく怖かったらしい。
「踏めばいいの?」
「いや、ボスそれはちょっと……」
スリッパのまま片足を上げる裕子に亜衣がストップをかける。私も事情が聞きたかったので、さっさと平等橋を立たせて隣に座らせた。
「想像を超えてきた厄介さだよ」
「いやマジですまん」
一番に私が口を開くと、平等橋は両手を合わせて謝ってきた。
「話しなさい平等橋。個人的にもあの後輩に一言言ってやりたいわ」
「ボスの場合“一言”ですんだ覚えがないんだよなあ……」
「こういう経緯で第二第三の私たちみたいなのが量産されてくんだろうなあ」
肩肘を付きいかにも悪役ってポーズをする裕子に茶々を入れる舞衣と亜衣。案の定二人とも裕子に殴られていた。
「ああ。話は先週くらい前からなんだけどさ――」
季節外れの転校生。そう平等橋は説明した。
うちの高校に限らず、公立高校に転校生は珍しい。
それは転校の手続きの複雑さであったり、引っ越し等で住む場所が変わっても同じ区域だったら電車などを使えば通うのも難しくもなかったりと経済的な理由かららしい。
そんななか三学期に入って早々にやってきた転校生は目を引く。
「転校生ね。珍しいことは分かるけど、それがあんたとどう繋がるわけ?」
「なんつーかな。あんま悪く言いたいわけじぇねえんだけどさ」
がりがりと頭を掻く平等橋。言いにくいことをどう説明しようか悩むときのこいつの癖だ。
「あの子割と可愛い方だろ? だからなに、ちょっと調子に乗ったっていうか」
「ああ、クラスの女子の反感を買ったのね」
「……まあそんな感じ」
言いにくそうにしていた事を裕子が代弁した。亜衣は「うえっ」と声を潜め、舞衣はどこか納得したように「あー」と呟く。
私も経験があるから少し分かるところがあるが、一年生も三学期になれば落ち着いてくる。自分が通っている感覚という意味で学校に慣れてくるし、文化祭や体育祭と言った学年行事が終了してなんとなく手持ち無沙汰になるのもこの頃だからだ。
そんなやや緊張にかけた時期に突如やってきた転校生。
女の子で、なおかつかなり可愛い。
男子連中が騒ぎ立てるのに十分な要素を持っていた。
その転校生がどういう性格なのかはあの一瞬だけではいまいち掴めないが、盛り上がる男子に対して委縮するタイプでなかったことは確からしい。それどころか女子に反感を買うような盛り上がりを見せたそうだ。
「なんでそんなことまで知ってるんだ?」
「これから話すけど、サッカー部の後輩マネージャーが明堂と同じクラスらしくってさ」
平等橋は転校生の話を後輩の女子マネージャーに相談されたそうだ。クラスで浮いていて可哀そうだからどうにかできないかと。
こいつはそんなこと自分に話されてもどうしようもないと頭を悩ましたそうだが、近くで話を聞いていた他のサッカー部員が「じゃあマネージャーで呼んだらいいじゃん」と思い付きで提案。翌日にその後輩マネージャーは転校生を連れてきたらしい。
「ふうん。話が見えてきたわ。そこでもあの転校生がちやほやされたって落ちでしょ」
「お前エスパーかよ。まあ、そうなんだけど」
どの学校でもそうかはわからないが、うちのサッカー部はマネージャーが少なく、殆ど男子しかいない。男だらけのむさくるしい集まりだと平等橋は言っているほどだ。そんな中にあの転校生を連れて行ったらそりゃ男は大興奮だろう。
「別にその点に関しちゃ俺はどうでもよかったんだけどさ、部の中には明堂と同じクラスの後輩とかもいて、『明堂は一年のもの』とか『後輩が出しゃばんな』とか意味不明の取り合いがひっそりと始まったんだよな」
「あー、なるほどな」
私はうんうんと頷くが、裕子ほか三人は渋い顔をしたままだ。え、これそういう反応が自然なの?
「で、さすがに部の空気も悪いし練習も気入ってないこと多かったから部会開いて注意したんだよ。そしたら懐かれた」
「ん?」
話が飛んだぞ。どういうことだ。
「どういうことよ。どうして注意してあんたが好かれるわけ?」
裕子が私のききたかった事を代弁するように聞いてくれた。平等橋は「俺もよくわかんねんだけどさ」と前置きをする。
「『色目使わずに本気で私のことを怒ってくれたのが嬉しかった』らしい。他の男子は明堂のファンか、それ以外だとめんどくせえって傍観してる奴だけだったからな。キャプテンもこういうのあんま得意じゃねえし、じゃあ俺が言うかって結構きつめの事言ったつもりなんだが……ってなんだよお前らその顔」
私を含めた四人の目がしらーっと冷めていく。ふん、なんだいそれ。
「バッシーの自業自得じゃん」
まず亜衣が口火を切った。普段平等橋にそこまで強く言わない亜衣が先に言い出したことで、私たちの中でも平等橋を擁護する気持ちが一気になくなってしまった。
「初めて本気で怒ってもらった、ね。転校生の子が相手を、まして年上の先輩を意識するのに十分な要素ね」
「なんだ。やっぱりバッシーの天然たらし発動させただけか」
「え、ちょっと? 酷くないそれ、なあ公麿? 公麿?」
裕子と舞衣も続く。想定外な答えが返ってきたのだろう。平等橋はひどく動揺した。
助けを求めるように平等橋がポンと私の肩に手を置くが、私はその手を少し強めに弾いた。
「知るかよバーカ」
ぽかんと放心する平等橋を無視して私たちは全員席を立った。
「え、ちょちょちょっと」
「なんだよ。私たちは今から音楽なんだ。じゃあな美術」
五時間目は芸術選択で、本来だったら昼休みの間に移動は済ましておくのが普通だ。今日は平等橋があんな中途半端な形で話を切るから待っていただけだ。それも聞き終わってしまえば待つ価値もあまりなかった。
「公麿? お前なんか怒ってる? おーい?」
後ろの方から聞こえる平等橋の声を無視して私たちは教室を出た。
「バッシーさ、最近モテてない?」
音楽の授業では今ギターを取り扱っている。二人組でギターの練習をするのがここ数時間繰り返されているのだが、私は席の並びで舞衣とペアだった。
「それってさっきの話?」
先生が配った指の押さえ方とか詳しく乗ってるプリントを見ながら返すと、「別に今日の事に限らずさー」と舞衣。
「ほら、なんか先週も五組の立花さんに告られてたじゃん」
「……」
「あ、そこコード違うよマロちん」
動揺してやんの、とからかってくる舞衣。うるさいよ。
しかし舞依のいう事は確かだった。ここ最近の平等橋はモテている。
私がちょっと精神的に不安定だった時、正確には平等橋が母親との問題に区切りをつけてからだろうか。平等橋の女子に対する雰囲気が丸くなったそうなのだ。伝聞なのはその期間私の記憶があいまいで、気が付けば平等橋がモテているというのを傍で見ているという状態なのだが、それはいい。
クラスの中心人物である平等橋であるが、実は女子とはそこまで積極的に話すわけではない。
もちろん、リア充の代表格ともされるような男なので、クラスでも派手なカースト上位の男子と女子が混在するグループには所属しているし、その中では女子とも話してはいる。しかしあまり深くまで女子を自分の領域に近づけることはないし、自分から行くこともなかった。表面上空気を悪くしないために無理をすることはあるそうだが、実際は苦手なのだと何度か平等橋の口からきいたことがあった。
それが母親との間にあった自分の中でのわだかまりが解消されたことにより、女性そのものに対する認識が変わった。
女子に対しても男子と変わらないような軽口をたたく。冗談を言う。手助けをする。
あいつは下心なんか特に持っていないと信じたい。いや男だし多分多少下心はあるだろうけど。まあそれはいい。
だがその結果だ。あいつは今信じられないくらいモテている。
もともとモテる要素はあった。
結構身長高いし、話が面白いし、さりげないところで優しいし、なによりイケメンだ。
幸いにしてその手の感情にあいつも疎いわけではないらしく、そういう空気になると避けてきたらしいが、今回のようにたまに冗談なのか天然なのかわからない事態を引き起こすことがある。
それはなんだか、私としても面白くない。
「マロちん的には今のバッシーはどうなの?」
「どうって?」
「付き合ってんじゃないの? 二人」
またコードミスった。
勢いで指を切ってしまったので、鞄の中から絆創膏を取り出す。指が震えてなかなか外せない。くそ。
「マロちんをそこまで動揺させるとは。バッシーも罪な男よのー」
「……そんなんじゃないやい」
平等橋と私のことについては、すぐに三人と餅田に報告した。
亜衣と舞衣は「まあ妥当じゃん?」と言った風に平等橋と私を交互ににまにま笑うだけだったが、餅田は平等橋を射殺さんばかりに睨んでいたのが対照的だった。
意外だったのが、裕子だ。
彼女はてっきり餅田と一緒に平等橋にくってかかるのかと思ったが、「よかったわね、公麿。平等橋も」と静かに笑うだけだった。
もともと私と平等橋の情報は四人、特に裕子と亜衣、舞衣には筒抜けだったのだが、平等橋と付き合ったことでなぜかよりそれが厳しくなった。
気恥ずかしいしやめてほしいって思う時もあるんだけど、今回みたいなことが起きると事情を知っている人がたくさんいるってのは助かる。一人だとどうしたらいいかわかんないし。
「私思うんだけどさ」
舞衣が教本を見ながら言う。
「二人が付き合ってること公表したらいいじゃない? もう学校中に」
「は、はあ!?」
たまらず大きな声を上げる。「そこお喋りしない!」あ、すいません先生。
「どういう意味だよ舞依!」
「どういう意味も何も、そのままだけど」
小声で舞依に詰め寄ると、舞衣は面白そうに眼を細めた。
「マロちんの気持ちもわかるよ? でもそろそろいい頃なんじゃない?」
実は、私と平等橋が付き合っていることはこの学校では四人しか知らない。あ、いやなんでか村木も知ってるんだっけ。じゃあ五人だ。
付き合う時私は平等橋にあまり付き合っていることを言いふらさないでくれと約束したからだ。
平等橋はそれを守り、今でも学校じゃ口にしない。
「それってさ、バッシーに変な攻撃がいかないように、だよね。でももう大丈夫でしょ。マロちんが女子だって大概受け入れてると思うよ?」
「……そう言ってくれるのはありがたいけどさ。やっぱ他人の目って怖いよ」
私が周りに隠すのは単に恥ずかしいってだけじゃない。好奇の視線にさらされるのが嫌だからだ。
元男が男と付き合うなんて格好の話題だ。ホモだとか、キモイだとか、そういうことを言われてまくって、もし平等橋が別れようなんて言ってきたら私は多分耐えれない。周りは別にどうでもよ……くはない、うん、知らん人から言われるだけでも結構傷つくから。でも平等橋にそんなくだらないことで離れられるのは嫌だった。
だから周りには黙ってもらっていたのだが、そうすると今度は平等橋がモテ始めた。
人気のある男子と付き合っている元男。
駄目だ、カミングアウトするには私の心臓が小さすぎる。
私が一人で悶々と抱えだしたのにしびれを切らしたのか、舞依が「あのさー」と思考を中断させる。
「これ言うと私が性格悪いみたいで嫌だけどさ」
「何?」
「マロちんより可愛い子ってこの学校じゃ殆どいないよ?」
「……いや、それは言い過ぎ」
「それにバッシーだって周りが何言おうと関係ないって言うと思うよ。もっと信じてあげなよー。あれで結構マロちんに尽くしてんだから」
舞衣の言いたいことはわかる。つまりもっとお前は自信を持て、そして相手を信頼しろ。そういってるんだ。
分かってる。特に平等橋に関しちゃこれ以上ないくらい信頼もしてる。
逆なんだ舞衣。信頼しているからこそそれが適わなかった時の絶望を想像して泣きそうになっているんだよ。
私が必死で訴えると、舞衣は「あー、なるほど」と呟いた。
「こりゃちょっと考えなきゃなりませんなー」
舞衣が笑っている時は碌な事が起きない。
半年間でそんなこともうすっかり分かり切っているはずなのに、この時の私はそれに気づけないでいた。