TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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藤原咲弥 ②

「キミ名前なんて言うの? 可愛いね」

「……」

「ねえねえ。無視しないでよ」

 うっぜえ。

 横目で相手を確認すれば頭の悪そうフリーター風の男が二人。無遠慮に俺の横に腰かけ肩を抱こうとしてきていた。

「消えろ」

「うわ。めっちゃ可愛い声してる。しかも近くで見たらマジ可愛い。やっべ、おいこれ見ろって」

「マジじゃん。キミ今暇でしょ? 俺ら実は向かいのマックで一時間前から君がここいるの見てたんだよね」

 慣れているのか俺の一言に動じる気配はない。

 しかもストーカー気質まであるときた。これだから社会の底辺は嫌になる。

 いや、自分も今はこいつらと大して変わらないのか。

 煙草を深く肺に染み込ませ、相手に向かって煙を吐きつけた。

「え、ッホ、ゲッホ、いきなり何すんの!」

「暇じゃないんだ。どこかへ行ってくれ」

「んのボケ調子乗んなよ!」

 そのうちの一人が激怒した。今にも殴りにかかってきそうなほど興奮し始める。

「やめときなって君。こいつ昔ボクシングやってたんだから」

「なんだそのどこかで聞いたような設定」

 相手が動く前に、俺は自称ボクサーの顔に煙草を押し付けた。

「っづうう!!」

「おいお前!」

 すかさずポケットからカッターナイフを取り出すと、一歩前に詰めてきたもう一人が立ち止まる。

 その隙を逃さない。

 そいつの首をひっつかみ、ナイフの刃を眼球寸前まで持っていく。

「……あ、あ……」

「どこかへ行けって言ってるんだ。言葉分かるよな?」

 口を金魚のように開閉するだけで返事がない男に苛立ち、カッターを一つカチリと進める。

「ぎゃあああ! すいません! もう行きます、許して!!」

 手を離すと二人は逃げるように雑踏へ消えていった。

『ねえねえ、今の見た?』

『カッター出してなかったか?』

 やばい。騒ぎになりかけている。

 俺は周りの人を押しのけて逃げ出した。

 行く先は特になかった。

 

 

 家を追い出されてから、俺はしばらく何もする気が起きなかった。

 ショックが大きすぎて無気力になっていた。

 幸い手元に当面の生活費として結構な額の現金が残されていたので何もしなくても生きていけた。

「うぷ、なん、だこれ。腹が痛ぇ」

 急に腹痛が起こり、トイレに行くと便器が真っ赤に染まった。

 初めての生理だった。

 生活自体に問題はなかったが、女として体が作り変えられていく感覚が俺を苦しめた。

 現金だって無限じゃなかった。どんなに金があると言っても限りはあった。

 毎日出来合いの物を買っていたらすぐに尽きる。

 外に出たくないという気持ちは強くても生きるためには金がいる。引きこもって一月もせず、俺はバイトをすることに決めた。

 高校はもう退学届けを出されてしまっているし、一応親が転入を決めた高校もあるにはあったが、女子の制服が部屋に掛っていたのを見てすぐに捨ててしまった。籍はあるが俺は一度も高校に通っていない。

 初めは昼間に働けるバイトがいいと思い、定食屋で働いた。だが店長がべたべたと体を触って来ることに耐えかねてすぐにやめてしまった。

 次はファストフード店で働こうとしたが、面接の段階で店長が俺の胸を凝視していたので行く気が失せた。

 昼間のバイトだから駄目なのかと思い夜に稼げるバイトを探したが、この年で働ける時間は限られていた。黙って年齢を誤魔化して居酒屋で働いていたが、酔っぱらった客や店長にセクハラを多数受けて辞めてしまった。

 この体になってからずっと、俺は男性から性的視線を受け続けていた。

 俺の意識は未だ男のままで、それは耐えがたい事だった。

 自分の体をしっかりと見たことは、今でもない。

 初日にアパートの鏡を割ってから、自宅に自分の顔を確認するものは一切ないからだ。

 しいて言うならば風呂に入る時自分の胸や尻の形を手で触って分かるくらいだ。尻は分からないが胸が一般より随分大きいことはなんとなくわかっている。

 男が俺の体をどういう風に見えているのか大体予想はついている。

 男が俺の体を見て興奮するのは、まあ勝手だ。それに関しちゃ俺はどうでもいいと思っている。街に出て暗闇に連れ込まれでもしない限り俺がとやかくいうことはその点ではない。

 嫌でも思い出してしまうのだ。

 この体になったことで、家から追い出されたあの日の事を。

 女にならなければ、俺は今でもあの家で暮らしていけた。

 優しい両親。小うるさい姉。親切な親戚。

 全部まやかしとなった。

 涙はもう出ない。怒りもない。あるのは漠然とした虚しさ。

 何度も死を考えた。

 実際首を括るための荒縄もホームセンターで購入した。これから死ぬのだと、頭の中で何度もその姿を想像した。アパートのクローゼットの部分を使って縄を掛けたが、先にクローゼットの支えが壊れた。

 死ぬ手段はきっと他にもあった。

 部屋を閉め切って練炭を焚き、一酸化中毒で死ぬ方法。

 電車に身を投げる、国道を走るトラックにぶつかる。

 包丁で自分の心臓を突き刺すだけで簡単に死ねた。

 だが一度死ぬことを失敗すると、もう一度自分の命を投げる行為がどうしても恐ろしく、どれも実行に移せなかった。

 死ぬことすら臆病な俺にはできなかった。

 何のために生きているのかは分からない。

 ただ飯を食い、睡眠をとり、その日生きるための金を稼ぐ。そのサイクルをただ無為に続ける俺は一体何者なんだろう。

 誤魔化すように酒を飲んだ。煙草もやった。

 そんなもので何も埋まらなかった。

 虚しさは募り、やがて用もないのに深夜に街を徘徊するようになった。今日のように妙な輩に声を掛けられることも一度や二度じゃない。

 

 自分が何のために生き、そして存在しているのか、俺には分からなかった。

 

「……新しいバイト」

 家の帰りにいつも立ち寄るコンビニ。その外にバイト募集のポスターが貼ってあった。昨日までなかったものだ。

 深夜で時給1200円。

 深夜バイトならありかもしれないな。と、新しいバイトを探さなければならなかったこともついでに思い出した。

 時給はいい。それに深夜なら客もほとんど来ないだろうし、人と接することも少ない。自分にとっていい条件しかないように見えた。

 

 

「ええ、今日から入る、えと名前なんだっけ?」

「藤原です。藤原咲弥」

「そう、藤原さんね」

 面接は一発で通った。今まで面接でバイトを落とされたことがなかったので落ちることなんて考えちゃいなかった。仮に落ちても違うところ行けばいいだけだ。世の中正規雇用は少ないが派遣やバイトの数はどこだって足りてない。その日暮らしの俺みたいなやつを食いつぶすことしか考えてないのが世の中だ。

 早ければ早いほどいいと俺が言うと、店長を名乗る小太りの中年は早速面接の翌日にシフトを入れてきた。

 初出勤で制服を渡され、バックヤードでもう一人の同僚を紹介された。

「へえ、新人さん」

 でっけえ。

 それが第一印象だった。

 立ち上がった熊みたいに全身がっしりしたでかい男がそこにはいた。

「綾峰くんは二年やってるベテランさんだからね。分からないことがあれば何でも彼に聞けばいいよ。ちょうど歳も同い年だしね」

「あ、同い年なの。じゃあ今年22?」

「ええ、まあ」

 面接の時についた嘘がここで来るとは思わなかった。本来の年齢で17歳と言えば深夜の時間帯は無理だ。それに女となればもっと不可能だろう。

 だから22歳のフリーターという事にしたのだが、まさか同じ年の人間がいるとは思わなかった。

 思わず引きつった笑みを浮かべると、熊男は爆笑し始めた。

「わははははは、女性に年齢の事いっちゃ訴えられますぜ店長!」

「え、嘘。これもダメなの?」

 ダメでしょそういうのも。下らないことで大笑いする男二人。ここもすぐ辞めそうだなと、その時俺は思った。

 

 

 綾峰大吉と名乗る熊男と俺はシフトが重なることが多かった。

 というか、こいつは土日を含め殆ど毎日のようにシフトに入っていた。

「藤原は好きな食い物とかあるのか?」

「別に」

 深夜のコンビニは想像した通り暇な時間が多かった。

 品出しや掃除、在庫確認などの雑務はもちろんある。けれど絶対的に客がやってこないので必然暇な時間も生まれて来る。そんな時決まって綾峰の雑談が飛んできた。

「俺はおでんが好きだな。この時期はそろそろおでんが上手くなってくる。寒い道中にほっと息の着くあのあつあつの大根がなんとも臓腑に心地よい感動を与えてなあ」

「綾峰さん。お喋りもいいですけど掃除とかしないでいいんですか?」

「そこはついさっきやったばっかだから大丈夫だ」

「……」

 綾峰はお喋りな癖に仕事が異常に早かった。効率的と言い換えてもいいかもしれない。

 棚卸と掃除を並行して行っていたり、何をどの順番ですれば早く終わるかルーティンではなくその日の荷物や用事によって変えていたりしていた。悔しいが、綾峰と一緒に入る時が一番仕事的に楽だった。本人は単に仕事が慣れただけだと言っていたがそれだけでは説明がつかないほどこの男の仕事は正確で速かった。

「藤原は平日普段何をしてるんだ? 確かフリーターだったろ」

「なんですかそれ。馬鹿にしてるんですか?」

 自分が大学に行っているから、行ってない人間が何をしているのか気になっているのか。趣味が悪い。

「そういうわけじゃない。答えたくないならそれでいいさ。ちなみに俺は大学に通っている。バイトがない日は朝から晩まで図書館の籠ってることが多い」

「それ、自分が真面目だってこと言って欲しいんですか?」

「根暗でもいいぞ。あまり趣味が多い方じゃないからな俺は。普段授業で寝てばかりだからテストの為に勉強をせねばならんのだよ」

 綾峰は俺の嫌味に決して応じることはなかった。無視されているのではなく、嫌味を嫌味と受け取っていないように感じた。この男と話していると自分の調子が狂うのを感じる。

「バイト減らしたら授業中寝ることもなくなるんじゃないですか」

 俺も大学に行きたかったかと聞かれれば分からない。それほど進路について考えていたわけではないから。でも目の前で大学で授業中寝てばかりいるなんて言うやつがいたら少し思うところがあるくらいに考えてしまう。

 綾峰は「確かにそうだな」とまたワハハと笑う。この余裕のある態度が俺をイラつかせた。

「けどお前もここ最近ずっとシフト入ってるだろ。かなりしんどいんじゃないのか?」

「別に。これしかやってないし」

 昼前に寝て、夜に目覚める。最近はその繰り返しだ。いったん大学を挟んでいる綾峰は信じられないなと思う。大学がどんなところかいまいちわからないけど。

「それでもだよ。まだ入ってそれほど日も経ってないんだ。きつかったら遠慮なく言えよ」

 綾峰はそういうと「確認作業してくるからなんかあったら呼んでくれ」と奥へ引っ込んだ。

「……うす」

 俺の返事を聞きのっしのっしと消えていく熊男。その後ろ姿を見送りながら、俺は複雑な気持ちだった。

 初めこそ俺はあの熊男のことを信じられないくらい鬱陶しい奴だと思っていた。

 声はでかいし馴れ馴れしい。

 バイトをし始めて嫌というほど出会ってきた下衆達と同じ対応を取ってきたからだ。

 こんなやつがいるところさっさと辞めるだろうな。そう自分で思っていたのに、気が付けば二か月が経とうとしている。研修期間もあとひと月で明けるところまできた。

 素直に認めるのは癪だが、それはあの熊男のおかげと言ってもよかった。

 楽だ楽だと思っていた深夜のコンビニ。実際作業自体はきつくないが、時間帯と慣れない職場という事もあり精神的にはかなりきつかった。

 そんな折、熊男は「仕事きつくないか?」だのと言いながら時間外であっても多めに休憩を取らせて来る。棚卸で失敗しても「良くあるよくある」とがははと笑うだけで大きく注意をされたこともない。これが俺の外見を見て言っているのだとしたら幻滅するだけだが、誰に対してもこの態度であると別の日に違う人と一緒になった時に教えてもらった。

 シフトに入りすぎて店長よりも発言権が強いらしく、綾峰が前に立てば大抵の事は許される。

 それは店としてどうなんだと思わなくはないが、どこも似たようなモノだと言われたら俺も黙るしかない。

 口やかましさも、俺が本気で嫌がっている時は何も言わなかった。

 態度に出ているとは思わないが、空気を察することはできるみたいだった。

 それでも何度かうるさいと口が出そうになった時はある。だがそういう時に限ってぎりぎりのところで引くものだから、こちらとしては抜いた刀をどう振舞えばいいのか分からないことになる。

 煩いけど、仕事はできるし俺に対して無茶は言ってこない。

 うざいけど、俺を下卑た目で見てこない。

 綾峰という熊男は、俺が出会ったことのない初めてのタイプの男だった。

 

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