TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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桜さんと由紀ちゃん ③

 

 駅に着くともう二人は先に待っていた。遅刻だ。

「ごめん! 待った?」

「待ってないですよ」

「超待った! 綾ちゃんもふらせて~」

 どっちなんだよ。

「今日ごめんね。親来ることになっちゃってさ」

「別にいいですよ。公麿ちゃんのお母さんがどんな人か興味がありましたし」

「私も全然いいよー」

 晶に好き放題髪を弄らせながら私が謝ると、二人は何でもないように言った。両方気を使ってそんなこと言うタイプじゃないから助かる。

「そういえばお母さんには公麿ちゃんのやつは言ったんですか?」

「実は言ってない」

「えー、なんで? 綾ちゃんも入賞したじゃん」

 今日の展示会では、予め入賞した美奈子の作品を見に行くことが最大の目的だ。でも今回たまたま私の描いた絵も入賞を果たしていた。餅田と比べれば賞のランクも全然落ちるんだけど、それでも聞いたときは飛び上がるほど興奮した。

 お母さんをはじめ家族にはこのことは伝えていない。単純に恥ずかしいからだ。賞を取ったって言っても殆ど参加賞に毛が生えたようなものだし、自慢するほどでもない。いやそんなこと言うと取れなかった人たちに失礼だ。うん、賞自体は取ってすげえ嬉しかった。はしゃぐ姿を家族に見せたくなかった、とかが一番近い感情なのかな?

 はじめてに近い感覚で筆を執り、懸命にキャンパスに向かった。

 結果が出るとは思っていなかったし、今回がまぐれだって思う。だけど嬉しい気持ちを心の中でも隠すことはないだろう。

 

 電車で二駅のり、そこからバスで移動する。

 どでかい国際展示会場の一つのフロアでそれは行われていた。

「ひとはボチボチいるんですねー」

「学生だけじゃなくて一般の部もありますから。午後からはもう少し混むと思いますよ」

 晶がはーっと感嘆したような声を出すと、美奈子が補足する。

 室内に入ると暖房が効いていた。

 マフラーを外し、小脇に抱えて展示会場をぶらつく。

 美奈子と晶とは別行動だ。

 二人とも興味のある絵の所には一人で見に行きたい質らしい。私もどちらかというとこういう場所では一人で見て回りたいのでその考えには賛成だった。ただ美奈子とは何度か絵やコンクールの展示会に来たことがあったから知っていたが、晶はどちらかと一緒に回りたいと思っていた。

「絵って、一人でじっと見てたくない?」とは晶の弁だ。今日一番意外に思ったことかもしれなかった。

 先に美奈子と私の絵を三人で見た後各自ばらけてそれぞれ見て周った。会場が広いだけあって、なかなか見ごたえがある。上手い人も、自分には感性がよくわからない人もそれぞれだ。

「……お、あれは」

 ぷらぷら歩いてみていると、見知った小さな女の子が一枚の絵の前でじっと佇んでいるのが目に入った。

「由紀ちゃん、もう着いてたんだ」

「……」

「由紀ちゃん?」

 絵に注意が行き過ぎているのか、由紀ちゃんは私の声に反応しなかった。人を無視するような性格じゃないだろうし、いったい何の絵を見ているんだろう。

「お、おねーちゃん!?」

「あ、気付いた?」

 遅れて反応した由紀ちゃんはぎょっと両手を上げて驚きを表現した。漫画みたいな驚き方をする子だ。

「お母さんは?」

「えと、おトイレだよ」

 すぐ近くがトイレだった。どうやらお母さんを待っている時間つぶしに見ていたようだった。

「どう、面白いここ?」

「……ごめんなさい。よくわかんない」

 由紀ちゃんは気まずげに顔を伏せた。うん、いやそうだろう。私も由紀ちゃんくらいの年で絵画に興味があったとは言えない。というか高校二年に入るまで絵画のかの字すら理解していなかった。

 でも、ならどうして由紀ちゃんはあの絵を見つめていたんだろう。

「あら、もう着いていましたか?」

「お母さん、それはこっちの台詞だよ」

 由紀ちゃんに尋ねてみようと思った最中にお母さんがお手洗いから戻ってきた。由紀ちゃんには後で聞けばいいだろう。

 その後合流した二人とお母さんと由紀ちゃんで噂の中華屋に入った。

 味は話題になるほどのものではなかった。

 

 

 家に戻ると、由紀ちゃんは帰って来ていたゆかりの部屋に遊びに行った。いいさ、どうせ私はゆかりがいない間の代用品さ。

 負けた気分を誤魔化そうと、自室に戻って数学の課題に取り組むことにした。

 数時間後、課題を終えた頃にダダダダと高速でノックをする音が響いた。この忙しない叩き方は間違いなくゆかりだ。

「遊びに来たよお姉ちゃん!」

「呼んでねえよ」

 扉を破壊せんばかりにやってきたゆかりにじとったした目を向ける。毎度のことなのでゆかりは全く気にした素振りを見せない。

「ていうかお前由紀ちゃんはどうしたんだよ。部屋に置いてきたのか?」

「ん、由紀? 後ろにいるよ、ほら」

 こいつ呼び捨てにしているのか。

 思わず肉親に向けるには強すぎる眼光で睨みそうになったがぐっとこらえた。

 控えめに扉の端から顔を覗かせる由紀ちゃん。大方ゆかりによって強引に連れてこられたのだろう。困惑が表情に浮かび出ていた。思わずため息が零れる。

「元気ないじゃんお姉ちゃん! そんな時こそレッツプレイ! 皆でボードゲームでもしよう!」

「だから人生ゲームだろうちにあるのって。その広くボードゲームって言葉でぼかすのやめろ」

 そして私は人生ゲームが嫌いだ。

 何度も繰り返した攻防だが、ゆかりはちっちっちと指を振る。イラっとする仕草だ。デコピンでもかましてくれようかこいつ。

「昨日ビッグボスにお願いしていたのだ私は! 見るがいい私の力を! 古より解放されし我が秘儀、我が奥義! かつてかの魔王を封印し、その魂を収めたと言われる壮絶かつ壮大な物語を秘めた――「さっさと話せ」――あう!」

 長すぎる説明に思わず物理的に手が出た。久しぶりに密度濃い中二が飛び出してきやがった。

「要約すると?」

「お父さんが新しいボードゲーム買ってくれた」

「一行で済むじゃねえか……」

 額を押さえ涙目になるゆかり。あざとい。

 いつまでも廊下に立たせるのも良くない。二人を招き入れると、ゆかりは背中に隠していたでかい箱をテーブルの上に広げた。

「ふははははは! これが、これこそが新たなるマギクラフト!」

「『カタン』な。これ聞いたことはあったんだけどやり方知らねえんだよな」

「あ、私分かるから教えるよ」

「急に素に戻んなよ……」

 三人で遊んだ。思いのほか盛り上がったことを追記する。

 夜はどんちゃん騒ぎでお母さんは勿論、嫌がる兄貴も親父が引きずり出してみんなで遊んだ。

 

 日曜日の夜。

 あと数時間後になれば由紀ちゃんは帰ってしまう。

 名残惜しさもあるが、それはそれだけ楽しい時間を過ごせたという証拠だろう。

 今由紀ちゃんはお母さんと風呂に入っているはずだ。風呂を済ませれば後は寝るだけだし、家族はみんな自分の部屋に戻っている。

 先に風呂を済ませた俺のもとへ控えめなノックの音が聞こえた。

「空いてるよー」

 ベッドに寝転がったまま返事をしたが、扉は一向に開く気配がない。

 不審に思って立ち上がると、外には髪を濡らせた由紀ちゃんがノックの姿勢のまま固まっていた。風呂を済ませたらしい。

「どうしたの? ていうか髪濡れたまんまじゃん。乾かしてあげるからおいで」

 半ば強引に引っ張ってカーペットの上に触らせる。ベッドの端に腰かけ、ドライヤーをゆっくりかけた。由紀ちゃんの髪は私よりずっと長いので、このまま寝たら風邪を引くかもしれない。その間、私は気になったことを彼女に聞いてみたいと思った。

「あのさー、昨日の昼間由紀ちゃんあの絵すっごい見てたよね。由紀ちゃんって絵が好きなの?」

 ドライヤーがかかっているから気持ち大きめに声を出す。聞こえているだろうけど、由紀ちゃんからの返事はない。

「絵は、普通。好きでも嫌いでもないよ」

 ようやく帰ってきたのはなんともあいまいなものだった。だとしても特に驚くことでもない。

 あの後私はしばらくお母さんと由紀ちゃんの三人で見て周ったが、芸術に疎いと宣言するお母さん以上に由紀ちゃんは周りに興味を示していなかったからだ。それだけに初めの熱心に絵を眺める様子が目から離れなかった。

「綺麗な絵だった?」

「……」

 理由は二つ考えられる。

 一つは由紀ちゃんの琴線に触れるほどいい絵だったということ。だけど勝手ながらそれはあまり考えられなかった。由紀ちゃんの表情は伺えないが、絵を見ている時の由紀ちゃんの顔は感動とはかけ離れたものだったからだ。

 考えられるとするならもう一つ。

「“お母さん”が気になった?」

「……」

 同じ沈黙でも、今度は由紀ちゃんの肩が跳ねた。きっと正解だ。

 由紀ちゃんが見ていた絵のタイトルは『お母さん』。近所の市立小学校の二年生が描いた絵で、家族の絵をモチーフにしたゾーンあったものだった。

 大人が描くような上手さはなかったが、子供らしい大きな筆遣いで母親の笑顔を描いた、見ていて気持ちのいい絵だった。

 その絵を前に、由紀ちゃんは何かに耐えるような寂し気な顔をしていたのだ。

「お母さんね、ママって言ったらダメだって」

 ぽつりと由紀ちゃんが呟いた。

 ドライヤーを切り、彼女の言葉に耳を傾ける。

「『私はママにはなれないけど、お母さんにはなってあげる』って。パパとお母さんが結婚するって言ってくれた時ね。わたし凄く嬉しかった」

 由紀ちゃんは桜さんの連れ子だ。だけど傍で見ても本当の母娘のように仲睦ましそうに見えた。

 由紀ちゃんが言うには、桜さんとは結婚をする前から何年も交流があったらしい。もともと彼女の母親と桜さんは中学時代の友人であり、それこそ由紀ちゃんが生まれた時から桜さんの存在は認識していたそうだ。

「ママは私が幼稚園の頃に病気で死んじゃったの。お母さんはずっと看病に来てくれて、私とパパのご飯とか作ってくれてたの。わたしは、その時はママのパパが取られるかもって思ってお母さんに嫌な態度ずっと取ってた。それでもお母さんはずっとわたしに優しかったんだ」

 そういえばこの家にやって来るとき桜さんは大抵お母さんと何かの料理を作っていたことを思い出した。あれはひょっとしてお母さんに料理を教わっていたのだろうか。

「ママが居なくなってからもお母さんはずっとわたしに会いに来てくれたの。その時はもうお母さんはわたしのママになってくれるのかなって思うようになって、わたしもいやじゃなくなってた。でも何年経ってもお母さんはパパと結婚しなかったんだ。お母さんはわたしたちが嫌いなのって聞いたら好きだよって言うけど、結婚はしないよって、わたしの頭を撫でるの。お母さんがママじゃなかったらどこか行っちゃうんじゃないかって、だってお母さんはわたしが大きくなるまでの間ママにお願いされてただけかもしれないから。だからパパにお母さんと結婚してって何度もお願いしたの」

 たどたどしく語る由紀ちゃん。こんなこと話すこと自体慣れていないのだろう。

 焦らなくても大丈夫だという様に、私は彼女の背を撫でながら黙って聞いた。

「やっとお母さんがいいよって言ってくれてわたしすっごく嬉しかった。ママの事を忘れたわけじゃないし、ママの事が大好きなのは変わらないよ。でもお母さんがママになってくれるって言ってくれて本当に嬉しかったの。これで離れることないって、そう思ったのに」

 洟を啜る音と共に由紀ちゃんの言葉が詰まった。ティッシュを箱ごと渡す。カタカタと震える背から彼女の不安が見て取れた。

「お母さんが言ったの。私はあなたのママになれないよって。わたしお母さんに嫌われてるのかな……」

「そんなことないよ」

 私は由紀ちゃんの背中を抱いた。こんなことで彼女の気持ちが落ち着くとは思えないけど、意味のない行為だとは思わなかった。

「大丈夫。桜さんは由紀ちゃんの事大好きだよ」

「わからないよそんなの」

「言葉が足りないんだよあの人は」

 体で、態度で表現をすることが多い桜さんは反対に言葉でのコミュニケーションが途端に雑になる。

 由紀ちゃんの“ママ”になれないという言葉は、きっと生んだ由紀ちゃんの本当のお母さん、そして桜さんの友人のことを由紀ちゃんに忘れて欲しくないから出た言葉だと思う。

 どうしてそんな言葉を選んでしまったのかは桜さんに聞かないと分からないけれど、あの飽き性な人がわざわざ他人の子供をずっと面倒見続けるなんてできるはずがない。それこそ愛情がなければ。

 そしてこの数日、由紀ちゃんが私に対して何か言いたげな視線の意味が分かった。

 彼女は知りたかったのだ。

 自分や、自分の父親とは違う客観的な意見を。包み隠すことなく教えてもらえる大人以外の意見を。ゆかりよりは私は年上だから、由紀ちゃんから見ればまだ信頼に足るものがあったのだろう。

「本当に信じていい?」

「もちろん。それに由紀ちゃんも疑ってないでしょ?」

 ふすふす鼻を鳴らし、由紀ちゃんは私の胸に抱かれながら小さく頷いた。

 

 

「そんなこと言ってたの? あの子」

「うん。桜さん言葉足らずは相変わらずだね」

「ぐうの音も出ないねこれは」

 その夜、由紀ちゃんを迎えに来た桜さんを捕まえて数時間前の由紀ちゃんのことを話すと、桜さんは「まずったなあ」と頭を掻いた。

「不安がってたよ。言ってあげなよ」

「いや、うん、でもやっぱりママはあいつだけだから私はママにはなれないよ」

「えぇ……でもそれじゃあ」

「そう、だから“お母さん”は私だけ。そう由紀に伝えるよ」

 ありがとね公麿、と桜さんは乱暴に私の頭を撫でた。こういう仕草は親父とそっくりだ。

「そうだ」

 由紀さんが車に乗り込む前に振り返った。

「由紀、あんた公麿にしっかり言ったの?」

『――――!』

「ああ、はいはい内緒なのね。でも守らない。なぜなら私はずるい女だからって暴れないのこら!」

 車内で由紀ちゃんが声にならない悲鳴を上げ、桜さんが応戦している。一体何を話しているのだろうか。

「由紀さんは公麿さんに会いたくて来たそうですよ」

「ん?」

 同じく見送りに玄関まで出たお母さんが言った。見ればふふふと笑っている。

「桜がことある毎に自分には可愛い甥がいると由紀さんに言っていたそうです。私たちの手が足りなくて、公麿さんの時にはよく桜の手を借りました。その分桜にとっては公麿さんは一番長い時間を過ごした子になりますからね、愛情もひとしおなのでしょう。女になったと伝えたときはとても心配していましたし、まあ写真を送った途端『もっと可愛い写真はないのか』というふざけた反応に変わりましたけどね」

「締まらねえな桜さん」

「公麿さんに対する愛情は本物ですよ」

「淡々とそんなハズいこと言われてもなあ」

 桜さんがそんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。照れ臭くなって鼻の頭を掻く。

「そーそー、桜ちゃんってお姉ちゃんに凄い特別扱いするんだから。いーなーって思う時あるもん私」

 横でつまらなさそうに頬を膨らますゆかり。一番桜さんと距離が近いと思っていたゆかりがそういうとは意外だった。

「公麿さんの話と、写真をたくさん見せられた結果会ってみたくなったらしいですよ。最初は大好きなお母さんのお気に入りが気に入らなかったという気持ちだったのかもしれませんけど、途中からとても仲良しで私も安心しました」

「お母さんってそういう裏の背景みたいなところ意図的に隠す癖あるよね?」

「そうでしたか?」

 とぼけやがって。

 やがて桜さんと由紀ちゃんを乗せた車が動き始めた。

 車内でしっかりと話ができるといいなと、私は思った。

 

 

 従妹の小学生が可愛かった。

 そう熱弁した所、正義は遠い目をしながら一歩離れた。解せん。

「引くなよ」

「引くだろ。お前段々裕子に染まってないか?」

 あそこまで堕ちちゃいない。

 登下校の最中の雑談。いつもなら私が聞き役になることが多いけど、今日は話すことがあったため私が中心となった。

「でも桜さんもお母さんなんだなって思ったよ。いつまでも子供だと思ってたのに」

「なんだかお前の方が母親みたいなこと言ってんぜ」

「いろいろ滅茶苦茶な人だったからなー」

 へえと興味あり気に耳を傾ける正義。いいだろう、話してやるよ桜さん伝説を。

 っと、その前に。

「正義の事を紹介してくれって桜さんに言われてたんだった」

「へ?」

「覚悟しとけよ、親父やお母さんなんて目じゃないぞあの人は。ゆかりをさらに濃縮させたような人だからな」

「え、ゆかりちゃんを?」

 一気に青ざめる正義。覚悟しとけだなんて漫画でしか言わないし、ギャグのつもりで言ってみたんだけどなんだこの反応。

 やっべえぞこれとぶつぶつ言い始めた正義に、私は首を傾げた。

 


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