「お?」
靴箱を開けると上履きの上にピンク色の封筒が見えた。
まさか、と思って手に取るとそこには「綾峰くんへ」の文字が。
ラブレターだ。いや、多分。
「どうかしたか公麿?」
靴を履き替えた平等橋が近づいてくる。
「あ、いや、別になんでも」
俺は手紙を咄嗟に隠した。馬鹿にすることはしないだろうが単純に恥ずかしい。
「なんか怪しいなお前」
「いやもういいから行こうぜ。ほら、今日もお前のおごりなんだからさ!」
「いやそれ昼休みだし今関係ねえ、蹴るなバカ!」
強引に誤魔化した。カンのいいこいつがこれで誤魔化せてくれたらいいなあという期待も込めた。
俺はこれまでにラブレターというものを受け取ったことが三度ある。
全部男からだった。
一度目は小学校四年の時。相手は縦割り学級で同じだった六年生。こいつは俺が女だと勘違いしていたみたいで、強引に唇を奪われたという苦い記憶がある。ボコボコに叩きのめしてやったが。兄貴が。
二度目と三度目は中学校の時。それぞれ同級生と先輩からで、こいつらは俺が男だとわかったうえで告白してきたから質が悪かった。何が質悪いかって断ったのにしつこく付きまとってきたからだ。先生に見咎められても男同士だからじゃれ合っているとかで片づけられることが多かった。それぞれ兄貴と妹の協力を得ることで何とか撃退することはできたのだが、それ以来俺は手紙での呼び出しというものに苦手意識を持つようになった。
「でもこれどっからどう見ても女の子の字だよな」
俺はトイレの個室にこもり、例の手紙の確認をしていた。教室で開いたら平等橋と荒神にばれて何言われるかわかったものじゃない。普段から授業の始まるまで余裕をもって登校しているので、手紙を確認する時間くらいはあった。
便箋の表の字からひょっとして女の子かなと思ったが、多分それで間違いないのではないかと思う。理由は丸文字で、便箋のセンスと言いとても男が選んだものに思えなかったからだ。昔もらった男からのラブレターもルーズリーフをただ折りたたんだものが殆どだった。わざわざ便箋まで使うのだ。しかもピンクの便箋だ。男な訳がない。
だがこれはラブレターじゃないかもしれないと思う要素もある。
手紙には今日の昼休み二年三組に来てくれ、とあった。
普通こういう場合指定するとしたら生徒の少なくなった放課後で、尚且つ目立たない場所だろう。この手紙が指定する条件はそのどちらも当てはまらない。
どっちでもいいか。
最悪ドッキリでしたと言われなければそれでいい。
「やっばい。お腹痛くなってきた……」
俺は普段他の教室に行くことは少ない。
友達がいないからだ。俺が他所のクラスに行くとしたら、せいぜい合同授業で男女半々になった時くらいだ。
だから今ちょっとだけ緊張していた。
昼休みになると、俺は荒神たちに断りを入れて手紙のクラスまでやってきていた。
クラスメイトと違い、一時期話題となったとはいえ女になった俺を見て物珍しそうにすれ違う奴らは多い。あまり気にしないようにはしていたが、やっぱり平等橋か荒神か誰かについてきてもらえばよかったかななんて少し後悔した。
俺が目当てのクラスの前でちょろちょろしていると、髪を一つにひっくるめた背の高い女子が出てきた。きりっとつり上がった目が印象的で、きつそうな感じだ。
「綾峰くんね」
かすれたようなハスキーボイス。
彼女は餅田美奈子と名乗った。
「ひょっとして手紙の?」
「ええ。あれは私が書いたものです」
驚いた。あんな女の子女の子した字を書くような見た目に思えないからだ。王子様みたいな見た目のくせして字はお姫様らしい。
なんて冷静にコメントしているように思えても、実際の俺は相当テンパっていた。
慣れないクラス、ていうかその前の廊下で、衆人観衆に見られながらの出来事。
「ちょっと移動しましょう。ここは人が多いですし」
だったらなんで待ち合わせをここに選んだんだよ。
初対面の人に突っ込む余裕は俺にはなかった。
餅田に連れてこられたのは三棟と二棟の一階、渡り廊下の間に位置する美術室だった。
先導する餅田が美術室の鍵を開けてドアを開くと、中から油絵の独特な匂いが鼻腔をくすぐった。
「好きなところに掛けてください」
壁一面に生徒が描いたであろう作品が飾られている。俺にはうまいか下手なのか見分けがつかないが、なんとなく凄そうってだけが伝わった。
手近にあった椅子に座ると、餅田は話を切り出した。
「突然呼び出してごめんなさい。実はあなたにあるお願いがあってあんなお手紙を書かせていただいたんです」
「お願い?」
餅田は話し方のせいもあってとても同級生には見えない。なんか年上の人と話しているみたいでドキドキした。
「絵のモデルになって欲しいんです」
「絵の、モデル?」
聞き返すと餅田は少し頬を染めてうつむいた。
薄々気が付いていたがやはり今回のこれはラブレターではなかったらしい。そのことにほっとする気持ちと、やや残念に思う気持ちがあった。いや残念ってなんだよ。
だがよくわからないな。
「私と餅田さんって今まで話したことないよね?」
「……そう、そう、ですね」
なぜか気まずそうに視線を逸らす餅田。何か悪いことを言っただろうか。
俺は確かに餅田と話したことはなかったはずだ。
そりゃ同じ学校に通って二年目なんだし、廊下や学校のどこかで姿だけは見たことはある。でも名前も知らなかったし、まして突然絵のモデル頼まれるほどの理由が俺には思いつかなかった。
思いつくとしたら一つ。でも、それだと嫌だなあ。
「ひょっとして、私が男だったから?」
「え?」
女になった元男。
あれからいろいろ調べてみたが病気や体の変化で後天的に性別が変わることは世の中にはあるらしい。俺の場合はそういった予兆のようなものが一切なかったが。それでも、いやそれだからこそ物珍しい。
珍しい生き物の観測みたいな意味で頼んできたのなら断ろうと思った。
「ち、違います。私があなたにお願いしたのはあなたが綺麗だからです! あ、いや、これは……」
勢いよく言い切った後、自分の発言を思い出したかのように口を押えて目線を逸らした。
見た目に似合わず照れ屋。確かな根拠はないけど、俺は彼女の言葉に嘘はないと感じた。
「綺麗かどうかは置いとくとしても、うん、取り敢えず話だけでも」
綺麗な女子に褒められて嬉しがらないやつはいない。荒神の時とまるで同じパターンだなという自覚はあったが。
餅田の応募するコンクールには特に題は決まっていないらしかった。
「出場条件が高校生っていうのと、あとはキャンバスのサイズとかだけなんです」
翌日、俺はさっそく放課後美術室に足を運んでいた。
コンクールまでまだ期限はあったが、可能なら早くお願いしたいとのことだったからだ。気持ちはわかる。締め切りぎりぎりでいいものが描けるはずないよなっていう素人的な思考だけどな。
俺が餅田に頼まれたのはただ椅子に座って手を組んでいることのみ。入学式のクラス写真とかで皆畏まった姿勢で撮るときのあの姿勢だ。肩が凝るぜ。
デッサンっていうのだろうか。俺のことを見つめながら鉛筆を握る餅田は真剣そのものだった。
結局餅田がなぜ俺にモデルを頼んできたのか。それはわからなかった。
そりゃ容姿が綺麗って褒められはしたが、俺より可愛い女子はこの学校には結構いる。もともと女子のほうが多い学校だからだ。
だから元男ってところが餅田が俺に興味を持った唯一の点だと思ったんだがそれも違うというしいったい何なんだろう。考えてもわからない。
それと、俺が知らなかっただけで美術部の餅田といえば結構有名らしい。
昼休みにクラスに戻り、荒神に聞いてみるといろいろ教えてくれた。県のコンクールかそれ以外のなんだかかはわからないが、結構規模の大きなコンクールで受賞したことがあるとかで学校に垂れ幕がかかったこともあるそうだ。
中学の時私立の美術推薦があったらしいがそれを蹴ってここに来たという噂もあるそうだ。特に何もないこの公立高校になぜ、と疑問を抱く人もいるらしい。
「うーん、何か違う……」
餅田がガシガシと頭を掻いて悩ましていた。絵に夢中になるとスイッチが切り替わるらしい。粗野な態度が妙に似合っていた。
「何が違うんだ?」
「あ、ごめん綾峰くん。綾峰くんが悪いんじゃなくて、ちょっと自分的にしっくりこないっていうか」
「どんな感じ?」
立ち上がって絵をのぞき込むと、当社比三倍くらい綺麗に描かれた俺がいた。こんな妖精みたいな儚さとか醸し出してねえよ俺。
「確かにちょっと良く描きすぎてるよな」
「違うの。綾峰くんはそのまま描いてるんだけど、もっと綾峰くんは栄えるはずなの。もっといい構図があると思うんだけど」
なんとこれより良くなるらしい。それにしても餅田は俺を持ち上げることが好きだな。嬉しいんだけど過度の持ち上げはちょっと心苦しい。
ちょっと話題でも変えてみようか。
「それにしても他の部員とかはどうしたんだよ。放課後なのに誰もいないみたいだけど」
俺のクラスにも聞けば何人か美術部員がいたみたいだから、一人ってわけではないだろう。顧問の姿も見当たらないし。
「えっと、実は今日部である画家の展覧会に行ってるんです」
餅田はこういう絵の人なんですけどわかります? とスマホで丁寧に教えてくれたが、絵に疎い俺は全く分からなかった。ていうか、だったらなんで餅田がここにいるんだ。
「もともと次のコンクールに向けていい刺激になればという催しだったので。私は今日綾峰くんに許しをもらいましたから行く必要はないんです」
それよりも早く絵を描きたいんだとか。餅田はそういった。
それからしばらくまた俺は無言で椅子に座って手を組み、餅田はうんうん頭を捻らせた。
「……綾峰くん。ちょっと姿勢変えてみましょう」
「お、おぉ、いいけどどんな風に?」
「椅子の上で胡坐をかいてください」
「胡坐? いいけどそれだとパンツ見えちゃわない?」
「そ、そこは見えないように何とかしてください!」
真っ赤になって目を逸らした。うぶだ。可愛い。
「胡坐、あぐらねえ……」
よっと心の中で一息入れて胡坐を組む。
不思議と懐かしい感じがした。
「あ……」
「ん、どしたん?」
思わず漏れてしまったと言わんばかりに急いで手を口に当てた餅田。その表情は嬉しそうな、でもどこか寂しそうな複雑な顔だった。
「やっぱり綾峰くんはそっちのほうが綾峰くんらしいですね」
俺らしいとはどういうことだろう。
一瞬考えてすぐに思い当たった。
学校の椅子の上で胡坐をかくのは男の時の俺の癖だ。
授業中にはしなかったが、一人でいる時や平等橋と駄弁っているとき、俺は無意識にこういう姿勢を取っていた。
女になってすぐ荒神が無理やり矯正したから今ではめっきりすることはなくなった。
でも、どうして餅田はこのことを?
キャンパスに目を落として真剣に鉛筆を動かす餅田。
絵のモデルに俺を選んだのはきっと何か理由があるんだろうなと、確信に近い何かを俺は持った。