~2021年 夏~
東京オリンピックが無事に終わり、ちょうど1年経った今日。現実世界で注目を浴びた日本は、新たにまた世界の目を奪った。
全ての始まりは1982年にとあるアメリカのSF作家が描いたひとつの新たな世界だった。この作者を敬意を持って『彼』と呼ぼう。
新世界の名前は<
それは私たちが生きる現実世界とは違うもうひとつの世界。人によって機械で作られた0と1で形作られた電子の空間。
電脳空間という概念が作られてから40年。早かったのか遅かったのかはわからない。けれど完成した事は誰にも消せない事実であり、それは概念の生みの親の生誕地から真逆…地球の極東に浮かぶ小さな島国の小さな街で生まれ育った一人の天才が創造してしまった。
天才の名前は<茅場晶彦>。30にも満たない若き青年がそれを作り上げてしまった。
天才が彼に会ったのかはわからない。現代医学が進歩したとはいえ彼が生まれたのは約1950年。71になる彼が生きてるかはわからない。しかしながらまだしっかりと生きているのならば天才は迷わず彼の元に訪れるだろう。そして必ず言葉にはしきれない感謝を述べるだろう。
そして一昨日。その電脳世界初のゲーム<ソードアート・オンライン>の公式βテストが終了した。
ソードアート・オンラインは今までのVRゲームとはかなり違っていた。従来のVRはゴーグルをつけてあたかも別世界に移動したかのような体験を出来るものだった。しかし今回のソードアート・オンラインは本当に仮想世界に意識を飛ばすのだ。
老若男女問わず、全世界のゲーム好きが夢見たフルダイブによるゲーム空間に入る。それが可能になった第1歩だった。
SAOβテストの参加者は公式には1000人。実際は1002人。
あまりにも不自然なその2という数字。これは全世界のゲーマーから、ありとあらゆる罵倒を受けても仕方の無い事をした人間の数だ。
仮想世界の創造主・茅場晶彦には2人の弟妹がいた。この2人こそ1000/1.2億の当選倍率を100%通過できる人間の正体だ。親の七光りならぬ兄の七光り。
「────なーんて思われてるんだろうね〜」
銀髪紅眼の少女がそう口にする。
「あの世界は君達の世界だ。蒼や紅が参加しなければ意味が無いだろう?」
20代後半の青年が銀色の500缶を飲みながら原稿を読んでいる。
「………そんなことより感想は?」
「またバッドエンドか…。内容は面白いが無理にバッドエンドにする必要はないと思うがね。何故いつもお前の作品の主人公はこう救われない?」
「………勝手にそっちの方向に行くんだよ。俺の責任じゃない。飯出来た」
「おぉー!豪華だね〜!!」
キッチンから銀髪蒼眼の少年が、料理を持ってきながら青年に感想を求めた。青年が読んでいる原稿は少年が書いたものらしい。
テーブルの上に飾られた多数の豪華な料理。誰かの誕生日か、将また何かの祝い事か。答えは後者だ。今日は<SAOβテスト>の無事終了を祝う宴。参加者は蒼巳・紅音・晶彦の3人。料理は全て蒼巳の手によるもの。
ローフトビーフやトンカツ。エビフライから唐揚げにポテト。彩りのサラダも沢山。海老グラタン・牡蠣のアヒージョ・刺身の盛り合わせ。チーズフォンデュなんて手もあったがそんな気分ではなかった。
とても大食漢ではない3人では食べ切れないものだが、刺身以外は残しても大丈夫なメニューだ。
各々ビール・スコッチ・りんごジュースを手に二日遅れの乾杯する。
「蒼、今日は何を飲んでいるんだ?」
「………スコットランドのスコッチ。ホワイトホース・ファインオールドのロック。アルコール度数40%。飲む?」
「ふむ…少し貰おう」
蒼巳は立ち上がり、食器棚からストレート用の小さなウイスキーグラスを取り出す。ほんの少しだけ注がれたものを受け取ると晶彦は香りを嗅ぎ、口の中に流し込んだ。流石アルコール度数40%。普段酒は嗜む程度でしか飲まない人間にとってこの度数はそれなりにキツいものがある。
「やはりソーダで少し割っておけば良かった」そう少し後悔した晶彦だったが、以外にも口当たりはよく、どことなく蜂蜜の風味。そして何よりウイスキー特有の癖も少ない。とても飲みやすいものだった。
「確かにうまい酒だ。……が、頭のことがあるとはいえ、未成年が40%ウイスキーをロックで飲むのはあまり良いものでは無いな。その飲み方をするという事はまた嫌な事を思い出したかね?」
「………逆だよ兄さん。
「……そうか」
テーブルに肘をつき、グラスを回してカランコロン氷を鳴らす蒼巳。
この少年はまだ13歳。中学生でビールを飲む悪い子(笑)は世の中に五万と居るが、ウイスキーが大好きなんて中学生はそうそう居ないだろう。
しみったれた雰囲気になったのがこの場には相応しくないと感じた紅音が今回の宴のテーマを話題として沈黙を引き裂いた。
「あのね晶彦!βテストの参加者で、すっごい人と出会ったんだよー」
「ほう。どんな人物だったのかね?」
「1000人の中でも多分五本の指に入れるゲーマーの男の子で、あの蒼兄が『気に入った。弟子にしてやる』なんて言って無理矢理パーティに引き摺り込んだ程仲良くなった人なんだ〜」
「………そんな事言ってない。面白そうだったからちょっかい出したら勝手に付いてきただけ」
そもそも蒼巳自身が他人に興味を示すこと自体珍しい事なのにその上弟子(の様なもの)を取ったとなるとこれまた気になるイベントだ。一体どの様な人物なのか。友人が居ないと断言出来るほど交友関係の狭い弟妹を持つ兄として非常に興味のある話題だった。
「その子の名前はキリト。本名は桐ヶ谷和人、2008年私達と同じ12歳。埼玉県川越市○○…に母妹と三人暮らしで父は単身赴任中。キリト君のメールアドレスからは大量のネットゲームのアカウントが作られていて、そこから繋がるゲームのステータスを見ればかなりのコアなネットゲーマー。って感じだね〜」
「…………………」
晶彦は頭を抱える。「…また私のパソコンを覗いたな」と。そのキリトという少年も12歳ながら重度のネットゲーム中毒者で思うところはあるが…問題はこっちの紅音の方にあった。
いつだっただろうか?確かあれは一昨年に後輩の比嘉タケルの研究室に用があり、たまたま一緒だった二人を連れていったのが原因だった。用事を軽く済ませて帰ろうと思っていた矢先、人一倍好奇心と知識欲が多かった紅音は、あろう事か当時比嘉タケルが嫌いだった教授のパソコンをクラッキングしている場面を見てしまい、興味を持ってしまった。そして自分のパソコンから他人のパソコンに入り込む術を教えて貰ってしまった。更に天は彼女にそのスキルを磨く為に必要なセンスを与えてしまっていた。
人間というのはどんな平凡…他人よりも全てが劣っている人間でも少なからず必ず1つ、他よりも頭1つ抜けれる才能を与えられて生まれてきている。しかしそれに気付く事が出来るのは本の1握りの人間だけだ。
例えば<野球>の天才になれる才能があったとしても、それと出会い、始めなければ才能があったなど気付けず墓場までズルズルと持ち腐れるだけだ。まだ野球ならば友人との遊びで出会える確率は高いだろう。
これがもしも野球ではなく、刀を使った<人斬り>の才能があったとしよう。しかしこれはよっぽどのことがない限り出会うことのない物だ。だってそうだろう?現代を生きる人間は真剣を手に取る機会など無く、人を殺すのに使うのは刀なんかではなく銃なのだから。
戦国時代に生きていれば歴史に名を残せるほどの腕前になれたかもしれないが、現代を生きる人間にとっては不要なスキルだ。
こんな風に長くはなってしまったが、要するに紅音にはハッキング・クラッキングの才能があった、そしてその才能に気付いてしまった。故に必然とその道という沼にハマってしまい、暇と興味さえあればゲーム感覚で人のパソコンを覗き込んでしまう程の腕をつけてしまった。これは果たして良い道だったのだろうか?その是非はまだ分からない。
そこは問題じゃない。問題なのはこの世界で最も厳しいと言ってもいいほどハッキングするのが無理な晶彦のパソコン。そこに易々と入れてしまうこと。
そして何かと問題話題になっている個人情報の取り扱いだ。まだ閲覧だけで被害は出ていないものの、もしもアクシデントで閲覧中に世界へと個人情報が漏れてしまえばSAOという世紀の大改革が潰れてしまうかもしれない。紅音に限ってそのようなヘマはしないだろうけれど、目に余るものがある。
「見たのはβテスターの個人情報だけかね?」
「んー?そうだねー。それ以上は特に見るもの無かったからね。シナリオは別のパソコンのフォルダにあったけど、覗こうとは思わなかったかな?だってネタバレ見ちゃったらモチベーションがダダ下がりだからね〜」
「…そうか。それならいい」
「あとは伸之さんの秘密フォルダに同じ女の人の写真が何枚もあったぐらいかな?あの撮り方は盗撮でストーカーしてるよ…正直危ない人とは思ってたけどあそこまでなんてね〜」
伸之さん。というのは晶彦の後輩にして部下。SAO製作委員会の1人にして晶彦に次ぐ優秀なプログラマー。本名:須郷伸之。
蒼巳も紅音も共に1度あった事はあるが、男性特有の…いやらしい目付きというか、全身を舐め回すような不快な視線で体を観察された嫌な思い出のひとつ。その人がふたりの知らない女性を陰からコソコソと嗜んでる様子。
恐らくかなりの粘着質な性格の持ち主で、顔も性格も微妙…いや寧ろキモいと言えてしまう辺り、それは永遠の片想いで終わり、いつか強硬手段に出て痛い目に遭うか、犯罪者となり愛の無い愛を手に入れるか。どちらにしても蒼巳が
「蒼と紅はどれ程まで進んだのかね?」
「………珍しい。てっきり俺達の進行度を監視してるのかと思ってた」
「最初の方はしてたが、まだカーディナルシステムが未完成でね。途中からどうにもこちらの手で修正しないといけない物も出てきてしまってそれどころではなかったのだよ。私も含めこの2ヶ月間まともに寝れた人間は多くはない」
「一応私達は1ヶ月半で15層まで登って16層に入る前に留まったんだよねー。多分進めるだけなら20層までなら行けたと思うけど、一緒に居たアルゴさんが詳しい情報集めておきたいって行って残りの2週間はずっとクエスト埋めとキリト君との戯れで終わったんだ〜」
アルゴ。ゲーム内ではただRPGを進めていく勇者ではなく、一風変わった楽しみ方でプレイスタイルを貫き通した1人であり、唯一SAOで異名が付いたプレイヤー。
職業は情報屋。AGI極振りのすばしっこさと、頬に付いた特徴的な三本髭のフェイスペイントから付いた異名は<鼠>。
『SAOの事なら何でもおまかせサ!地獄の沙汰も金次第!金さえ払えばモンスターの弱点からオネーサンのスリーサイズまで!攻略に困ったら<鼠のアルゴ>へメッセージを飛ばしてヨナ!』
これが彼女の売り文句。
しかしながら一応彼女も3人の知人なのだが…βテスト参加は必然なのか偶然なのか。それを判断する材料はなく、真実を知るのは茅場晶彦と鼠のアルゴ2人だけだ。
食も酒も進み、この2ヶ月の記憶をプレイヤー側と運営側の感想や出来事を各々語り合った。
「あそこのスケルトンのレアドロップ率酷くない!?確率絶対小数点以下だよね〜!?」「紅の運が悪いだけじゃないか?」「………--層のフロアボス硬すぎ。打撃武器は片手棍しかないし、それの武器倍率も低くて使い物にならなかった。不具合じゃないか?」「それは不具合ではなく仕様だ。ヒントを言うのであれば取り巻きの雑魚を良く処理する事だ」「………じゃあ片手剣のホリゾンタル・スクエアの3hit目に判定がそれなりの頻度で消える事は?」「…仕様だ」「ポーションを取り出してもう1度仕舞ったら消費されてるのは〜?」「それも仕様だ」「………一部のカウンター系ソードスキルが攻撃判定を受けずとも発動できるのは?」「早急に確認しよう。恐らく不具合だ」「「(………)プレイヤー側に有利な不具合は即刻対処して、そうじゃないのは仕様ですと言い切る運営のクズ!!」」
実に良く会話が進む。
それから時計の短針が1つ進む頃には紅音はスヤスヤと眠り、蒼巳はウトウトとしながらも食べ終わった食器の片付けをして、晶彦はまだ飲み足りないのかワインやウイスキーが入った棚を眺めている。少しは蒼巳の手伝いをしても良いとは思うがこの2ヶ月大変だったのだろう。ただ遊んでいた側とは違い激務だったのだから今日ぐらいゆっくりしていても愚痴は言われても叱られはしない。
カチャカチャと食器が鳴る音が聞こえる。生活音は大変心地良く一番の幸せを感じる瞬間だった晶彦の心だが、その幸せさとは裏腹にどこか黒い靄の片鱗が現れていたのは確かだった。
「蒼巳。ちょっといいかね?」
「………何?」
「相変わらず無愛想だな」
「………そういう兄さんは堅物過ぎ。凛子さんに逃げられるよ」
「凛子君の事は大きなお世話と言うものだ」
「………で、何?」
蒼巳ほ食器を洗う手を止め、晶彦の目の前に座る。
「今回SAOのストーリーに一部君の作品を使わせてもらいたい。そしてエンディングでシナリオライターの欄で名前を載せることの許可…いや承諾が欲しくてね」
「………いつもの事じゃん。勝手にどうぞ。どうせ腐らせるだけのデータなんだから。俺としてはアレ達が少しでも陽が当たるだけで感謝しかないよ」
実は晶彦が蒼巳の作品を自分のゲームに使うのは初めてではなかった。寧ろ常習犯とも言えるほどだ。
メインストーリーはプロのライターにも依頼するが、サブストーリーなど多くの寄り道要素は蒼巳のを使う事が多い。それ程名の通った茅場晶彦という人間は無名の舞風蒼巳という人間が描く世界に心を惹かれているのだろう。
「そうか…。今回ばかりはしっかりと聞きたかったからな」
「………どれをどこで使うかは聞いても?」
「恐らく作者の君ならすぐに分かるはずだ」
「………そ。楽しみにしとく」
せめてどの辺りでその物語が使われるかを聞いておくべきだった。そう悔いたのは2022年の11月の始まりだった。