Game of Vampire 作:のみみず@白月
「それじゃあ、まだ残ってるんですね?」
『首吊り男』という寂れたパブの店主に、紅美鈴はそう聞き返していた。さすがにここじゃご飯を食べる気にならないな。天井に蜘蛛の巣が張ってるぞ。
かなりの寄り道をしまくった挙句、ようやく私と小悪魔さんはリドルの生誕の地であるリトル・ハングルトンにたどり着いたのだ。小さな町……というか村で、魔法文化は一切感じられない。まあ、マグルの文明も感じられないが。
民家と、牧場、それに畑。時代から取り残されたかのような物凄くつまらん村で分霊箱なる物を探さねばいけない私は、村に唯一あったボロボロのパブで情報収集をしているのである。さすがにちょっと遊び歩きすぎたせいで、お嬢様から怒りの手紙が届いたのだ。ここらで成果を上げなければなるまい。
私の問いを受けた店主は、皺くちゃの顔を歪めながら答えを寄越してくる。さすがに老人って歳でもなさそうなのに、なんだってこんなに皺だらけなのだろうか?
「おう。残っちゃいるが、ここの連中はあんまり近付こうとしねぇんだよ。不気味な館だからな。今は庭師のフランク……館の近くに住んでる爺さんだ。そいつが一人で管理してるはずだぜ。今の持ち主は……あー、税金対策? で持ってるだけみてぇだから。」
「それじゃ、こっちはどうですか? ゴーント家。この辺に昔住んでたはずなんですけど……。」
この地で調べるべきなのは三箇所。リドルの父親の墓地と、今詳細を聞いていたリドル家の館。そして最後にゴーント家だ。どうやって調べたのかは知らんが、お嬢様が言うにはそれらは全部この村の近くにあるらしい。
再び質問を受けた店主は、今度は困ったように首を傾げてしまった。ありゃ、こっちは知らんのか?
「ゴーント? ……ああ、昔かあちゃんに聞いたことあるような気がすんな。おーい、かあちゃん! 下りてこいよ!」
店主が奥の階段の方に大声で呼びかけると、やがてヨボヨボのお婆ちゃんがゆっくりゆっくり下りてくる。片目は白く濁り、明日にでもポックリ逝きそうな見た目だ。
「かあちゃん、ゴーント家って知ってっか? このお嬢ちゃんがわざわざ調べにきたみてぇでな。昔聞いたような気がすんだが。」
「ぇえ?」
「ゴーント! ゴーント家だ!」
耳が遠いのだろう。店主が大声で叫ぶと、ようやくお婆ちゃんは頷いた。……すっごい嫌そうな顔で。少なくとも愛される隣人ではなかったようだ。
「ああ、ゴーントかい。知ってるよ。あの胸糞悪い気狂いどもだろう? 村はずれの森にいつの間にか住み着いて、いつも外国の言葉で喋ってた。穢れてるだのなんだのって、あたしたちを馬鹿にする時だけ英語だったがね。」
「今も家は残ってますか?」
「ぇえ?」
「今も、家は、残ってますか!」
面倒くさいお婆ちゃんだな。大声で聞き直してやると、お婆ちゃんはゆっくりと頷きながらもごもご言葉を付け足す。チラリと覗いた口内には、もう片手で数えられる数の歯しか残っていない。
「知らないね。誰も近付こうとはしないし、興味もないのさ。……ふん、姿を見なくなって清々したよ。ああいうのがいると村の雰囲気が悪くなっちまう。消えちまうのが一番だ。」
鼻を鳴らして答えたお婆ちゃんは、再びゆっくりゆっくり店の奥へと戻って行った。まあ、一応存在してたことは分かったのだ。その森とやらに行ってみれば分かるだろう。
一歩一歩確かめるように階段を上っていくお婆ちゃんを見ながら考えていると、心配そうな顔の店主が話しかけてくる。言葉こそ粗暴だが、そんなに悪いやつではないらしい。
「あの森に行くなら気ぃつけろよ? 猟師の連中が残した罠があるはずだ。なんなら、連中に頼んで案内をつけてやろうか? 明日になっちまうが、その方が安全だぞ?」
「いえいえ、平気ですよ。フィールドワークは慣れてますから。……それと、これは情報のお礼です。」
私が差し出した札束を見て、店主は硬直して動かなくなってしまう。んん? 多過ぎたか? それとも逆に少ないとか? 支払い関係は小悪魔さんに任せてたせいで、加減がよく分からんのだ。
「えっと、足りないですかね?」
「とんでもねぇ。……おい、なんか危ない話じゃねぇよな? 俺ぁ巻き込まれるのは御免だぞ。」
おっと、やっぱり多過ぎたか。にへらといつもの笑みを浮かべつつ、首を振って適当な返事を返した。
「まさか。長年調べてた場所なので、嬉しくってちょっと多くなっただけですよ。……不満だったら減らしましょうか?」
「いや、いや! それはやめてくれ! 有り難く貰っておく。……酒はいらねぇか? つまみもあるぞ?」
「もう行きます。さっきのお婆ちゃんにもよろしく言っておいてください。」
途端に慌て出した店主に背を向けて、ぼろっぼろのドアを抜けて外に出る。そのまま秋の匂いのする空気を吸って大きく伸びをしていると……外で待っていた小悪魔さんが声をかけてきた。木の柵に寄りかかって遠くの牛を眺めていたようだ。
「どうでした? 情報、手に入りましたか?」
「ええ。思ったよりも早く見つかりそうですよ。リドルの館と墓地は向こうで、ゴーント家はあの……ほら、あっちにある森の中だそうです。残ってるかは分かんないですけど。」
「んー……それじゃ、先に館に行きましょうか。その後墓に行って、最後にゴーント家。どうですか?」
「任せますよ。それでいきましょう。」
何処だろうが別に興味ないのだ。舵取りは小悪魔さんに任せた方がよかろう。二人で舗装など一切されていない道を歩き出しながら、隣を歩く小悪魔さんに質問を放つ。
「しかし、なんだって外で待ってたんですか?」
「こういうパブは苦手なんです。なんかベタベタしてるじゃないですか。ああいうのに触ると、ゾワゾワってしちゃうんですよ。」
「あー、確かにベタベタしてましたねぇ。」
あのベタベタの正体はなんなんだろうか? 油汚れとはちょっと違う感じがするのだが……ひょっとしたら、パブをベタつかせる変わり者の妖怪がいるのかもしれない。枕をひっくり返すとかいう訳の分からん趣味のヤツもいたし。
ふむ。ここで分霊箱が見つからなかったら妖怪のせいにしてみようかな? 妖怪分霊箱隠し、みたいな。無理か? ……無理か。さすがに趣味が限定的すぎる。いたとしたら退屈でとっくに死んでるはずだ。
私がどうでもいいことを考えていると、小悪魔さんが小石を蹴っ飛ばしながら愚痴を放ってきた。ここ最近はお嬢様やパチュリーさんへの愚痴で盛り上がってたのだ。下働きはつらいのである。
「しかし、ふた月ちょっと遊んでただけであんなに怒られるとは思いませんでしたよ。幾ら何でも人間っぽくなりすぎですよね。」
「まあ、そうですねぇ。ヨーロッパ大戦の時は一、二ヶ月遊んでた程度じゃ文句は言われなかったんですけど……感覚が短命種に近付いちゃったんでしょうか?」
そうだとすればちょっと迷惑で、かなり羨ましい。それだけ密度の濃い日々を送っているのだろう。うーむ、政治ってのはそんなに楽しいのだろうか? 私から見れば窮屈そうなだけなのに。
そのまま愚痴り合いながら牧歌的な風景を背に歩いて行くと、だんだんと田舎に不釣り合いな館が見えてきた。んー、デカいっちゃデカいな。紅魔館に比べると小屋だが、この辺の家と比べれば城だ。丘の上に建っているせいで尚更迫力がある。
とはいえ、想像してたのとは全然違う。なんかこう、陰気な雰囲気が漂ってるぞ。総石造りのせいで館というか砦に近い。……煉瓦にすれば多少マシになるのに。建てたヤツはセンスがなかったようだ。
「あれですか。……なんか思ってたのと違いますね。もっとこう、小綺麗なのをイメージしてたんですけど。邸宅、みたいな。」
一つの小石を器用に蹴り続けている小悪魔さんに話しかけてみると、彼女も首を傾げながら答えてきた。悪魔から見ても褒められるような館ではなかったらしい。
「うーん、地方による建築様式の違いじゃないですか? 確かに石造りってのはあんまり見ないですよねぇ。」
話しながらも更に近付いてみれば、壁やら窓やらは酷い有様になっているようだ。見えてるだけでも窓の半分は割れてるし、石壁には苔が生え、塀は所々が崩れている。極め付けに館全体が蔦だらけだ。正にお化け屋敷といった感じだな。
「ありゃー、ボロボロになっちゃってますね。悪魔だって住みませんよ、あれは。」
「庭師の人がいるとか言ってましたけど……この様子じゃ作業は殆どしてなさそうですね。雑草だらけじゃないですか。」
小悪魔さんが呆れたように言うのに返事を返して、立派とは言い難い錆びついた門に近付いてみると……む、前言撤回だ。物凄いノロさで雑草を毟っているお爺さんが見えてきた。
スローモーションもかくやという具合のお爺さんを見て、小悪魔さんは顔を引きつらせながら口を開く。
「わぁ……あの様子じゃ草が伸びる方が早いですよ。跡継ぎとかいないんでしょうか? 人間ってのは『働きたがり』ですねぇ。」
「いやぁ、あれだけ遅いとむしろ哀れです。同じ庭師としては同情もんですよ。……すいませーん! 入ってもいいですかー?」
終わらない草むしりに励む爺さんに声をかけてみると……うわぁ、なんかめちゃくちゃ怒ってるぞ。何を勘違いしたのか、鎌をブンブン振り回しながら近付いてきた。まあ、片足を引き摺っているせいで歩いてても逃げ切れそうだが。
「あんだ、お前らは! まーたガラスを割りに来たのか? 塀に落書きしに来たのか? 許さんぞ! ここは私有地だ! 法律違反だ!」
うーむ、どうやらこの館は近所の悪ガキどもの遊び場となっているらしい。……恐らくは『度胸試し』の。田舎すぎて他に遊ぶ場所もないのだろう。ピコピコを買えばいいのに。
何れにせよ面倒くさいことになりそうだな。当身で気絶させちゃおうかと考えていると、やおら杖を取り出した小悪魔さんがそれを振った。前回の戦争で死喰い人から奪い取った杖の一つだ。持ってきてたのか。
「えーっと、インペリオ! ……あれ? インペリオ! インペリオ!」
……あー、何にも起きないぞ。私もキョトンとしてるし、怒ってたはずの爺さんもキョトンとしている。未だブンブン杖を振っている小悪魔さんを見て、場を微妙な空気が包み込んでしまった。
「あれぇ? 合ってるはずなんですけど……インペリオ! インペリオ! ……ダメですね。やっぱ慣れた方法が一番です。」
「何だ、お前たちは。一体何を──」
「はいはい、私の眼を見てくださいねー。私たちはこの館の主人です。……そうですよね?」
「……ああ、そうだった。こりゃ、とんだ失礼を。お帰りになるとは思わなかったもんで、片付けもまともに──」
ふむ、どうやら諦めて魅了に切り替えたようだ。昔聞いた話によれば吸血鬼の魅了とはまた違った能力だということだが……わっかんないな。従姉妹様がやってたのとおんなじに見えるぞ。
私が魅了の謎について考えている間にも、お爺さんの説得……というか洗脳は済んだらしい。鍵束から門の鍵を探し出しているお爺さんを尻目に、納得いかない表情の小悪魔さんが話しかけてきた。
「あのお爺さんがお墓も案内してくれるそうです。……しかし、何がダメだったんですかねぇ。本の通りにやったんですけど。」
「そもそも何の呪文を試そうとしてたんですか?」
「服従の呪文とかってやつです。なんか……その、相手を服従させるやつ。」
「それだと全然情報が増えてませんよ。……まあ、魅了でいいじゃないですか。語感から察するに、同じような呪文なんでしょう?」
慣れた方法が一番だろうに。肩を竦めて言う私に、小悪魔さんはニヤリと笑って答えを返す。
「分かってませんねぇ、美鈴さん。魔法が使えた方がカッコいいじゃないですか。それにほら、履歴書にも書けますし。『特技、杖魔法』って。」
「えぇ……必要ですかね? それ。」
「絶対必要です! でも、もっと練習しないとですね。私のキャリアのためにも! ……インペリオ! インペリオ!」
ようやく門を開いたお爺さんに杖を振りながら小悪魔さんは屋敷の方へと歩いて行く。そしてお爺さんはそれを好々爺の笑みで見ながら先導し始めた。どういう設定になったのかは聞いてなかったが、子供のお遊びとでも思っているようだ。……あれだな、側から見れば変な三人組なのだろう。
今度は玄関の鍵を探し始めたお爺さんと、延々杖を振りながら呪文を唱え続けている小悪魔さん、そしてそれを微妙な表情で見ている私だ。廃屋のような館も相まって、さぞ意味不明なことだろう。
ちょびっとだけ呆れたため息を吐きながら、玄関へと一歩を踏み出すのだった。
───
そして小悪魔さんの呪文は一切成功することはなく、分霊箱の手がかりすら見つからないままで館と墓地の探索は終わった。父親の墓まで掘り起こしたってのに、普通に骨が出てきただけだったのだ。掘って埋めてをやってる間に陽が沈む時間になっちゃったぞ。
意気消沈する私たちは村はずれの森へと入り、最後の望みであるゴーント家へと向かっているのだが……。
「ううー、虫だらけじゃないですかぁ。もうやめましょうよー。」
小悪魔さんがこの有様なのである。どうもゴーント家へと通じる道は既に植物に侵食されてしまったようで、道なき森を彷徨いながら目的地を探す羽目になってしまったのだ。
「悪魔なんだから平気ですって。ほら、行きましょうよ。」
「悪魔だって虫は嫌いなんです! それにもう真っ暗ですよ? 明日にしましょう、そうしましょう。」
「夜はむしろ悪魔の時間じゃないですか……。」
「そして虫の時間でもあります。」
真顔で言う小悪魔さんにちょっと怯む。……まあ、確かに楽しい気分ではない。よく分からん甲虫が顔に激突してくるし、茂みを掻き分ける度に毛虫がぽろぽろ落ちてくるのだ。
ちなみに先程小悪魔さんが空から偵察してみたが、木々が邪魔すぎて何にも見つからなかったらしい。……ここにリドルが来たとは思えんぞ。もし来てたら蚊に刺されまくってるはずだ。それとも、虫除け呪文とかがあるのだろうか?
もし存在するならガーデニングに使えそうだと考えていると……。
「ぬあっ、ぐっ……うぅ、もう嫌です! せめてアリスちゃんから偵察用の人形を借りてきましょうよ!」
掻き分けた枝が跳ね返ってきて、それが顔に激突してベシャリと転び、最後に頭の上に毛虫が落っこちてきた小悪魔さんが怒りの声を上げた。地面に仰向けに倒れたまま、梃子でも動かんという目でこちらを見ている。こりゃダメそうだな。
「あー……はい。それじゃあ今日は戻ってアリスちゃんに手紙を送りましょうか。」
「そうです! そうするべきなんです!」
顔を這い回る毛虫を遠くにぶん投げた小悪魔さんは、ぷんすか怒りながら来た道を戻って行く。苦笑しながら哀れな毛虫が宙を舞うのを見送ったところで……おっと、どうやら未だ小悪魔さんの受難は続きそうだ。
「小悪魔さん、小悪魔さん。あれ。」
「なんですか、もう! さっさと大きい街に戻ってやけ食いを……あれって、家ですか?」
多分家だ。いやまあ、小屋ってのが近いか? 何にせよ、毛虫が飛んでいった先に人工物が僅かに見えているのだ。そして、見えたからには行かねばなるまい。
物凄く嫌そうな小悪魔さんと一緒に家らしきものに近付いて行くと、やがてその全貌が明らかになった。赤土の壁にはびっしりと蔦が生い茂り、所々めくれ上がっている屋根にはよく分からん虫の巣が引っ付いている。ここまでくると崩れてないのが奇跡だな。
「うわぁ、入るの嫌なんですけど。絶対に中は虫だらけですよ。保証します。」
「ちゃっちゃと調べて帰りましょうよ。ほらほら、私が先に行きますから。」
嫌そうな小悪魔さんを先導してドアへと向かうと……蛇? 蛇の骨が打ち付けられているようだ。釘の錆を見る限りでは、まだ『身』があるうちに打ち付けられたらしい。
「悪趣味ですねぇ。」
この様子だと誰も住んでいまい。ポツリと呟きながらノック無しでドアを開けようとした瞬間──
「うわっと。」
なんじゃこりゃ? 骨の蛇がいきなり動き出して噛み付いてきた。ギリギリと私の腕に噛み付く感じからするに、人間だったら腕を噛み千切られてるぐらいの強さだ。痛くはないが、ムズムズするぞ。
これって、さすがに生きてるわけじゃないよな? 魔法か? 腕に巻きつき始めた骨蛇を見ている私に、小悪魔さんがかなり慌てた声で話しかけてくる。
「わー! 美鈴さん! 噛まれてますよね? 噛まれてますよねそれ! 噛まれてるじゃないですか!」
「いやいや、こんなんじゃあ皮膚を抜けませんって。」
こんなもん痒いだけだ。適当に頭を砕くと、蛇の全身はポロポロと崩れ落ちてしまった。……しかしこれは、ひょっとするかもだな。何せこんな仕掛けがあったのは初めてなのだ。
「こういう仕掛けがあるのは、単に魔法使いが住んでた家だからですかね? それともリドルが仕掛けていったとか?」
「わかんないですけど、私は後ろからついて行きますね。怖いので!」
「はーい。」
素早い動きで私の後ろに陣取った小悪魔さんを背に、今度はドアを蹴っ飛ばしてぶち破る。ここまでは小悪魔さんが案内やら推理やらをやってたし、肉体労働なら私の出番だろう。これこそ正しい役割分担というもんだ。
ドアの先に見えてきたのは、木製の家具が転がるリビング兼ダイニングだった。テーブル、椅子、戸棚にキッチン、そして暖炉。思ったよりも普通の部屋だな。……壁一面に打ち付けられている蛇を除けばだが。
優に百匹以上はいるだろう。これをやったヤツは余程に蛇が嫌いだったか、異常に好きだったかのどっちかだな。なまじ部屋が普通なだけに、壁にズラリと並ぶ蛇が際立って異様に見えてしまう。
「あれ、全部動いたりしませんよね?」
「分かんないですけど、一応私の側から離れないでくださいね。」
「もちろんです!」
私のジーンズを掴みながらついてくる小悪魔さんに注意を飛ばして、ゆっくりとドアを抜けて部屋に入る。ギシギシと頼りない床を進んでみると……いやぁ、予想通りじゃないか。壁の蛇が一斉に襲いかかってきた。
「ひゃああぁ!」
「だいじょーぶです。屈んでてください。」
壁から飛び付いてくる蛇は拳で砕き、床を這い寄ってくるのは脚で潰す。この程度なら楽なもんだ。気を使う必要すらない。……むしろ家を壊さないように注意しないといけないな。床なんてすぐ貫けちゃいそうだ。
打ち砕いて、踏み潰して。握り潰して、蹴り砕いて。それらをひたすら流れ作業で続けていると、ようやく部屋に静寂が訪れた。うーむ、あんまり手応えはなかったな。
「……よしよし、終わりですね。もう大丈夫ですよ、小悪魔さん。」
私の声を受けて、頭を抱えて屈んでいた小悪魔さんが恐る恐る立ち上がる。もう帰りたさそうな表情だ。
「なんなんですかぁ、ここ。他にも絶対何かありますよ。なかったらパチュリーさまの前で本をビリビリに破いたっていいです。」
「遠回しな自殺じゃないですか、それ。」
「そのくらい自信があるってことですよ!」
うーん、確かにこれで終わりとは思えない。一応キッチンの戸棚やら食器棚やら暖炉やらを調べてみるが、この部屋には分霊箱らしき物はないようだ。怪しい物は全部壊してみたから間違いなかろう。
小悪魔さんも同感のようで、二つある扉のうち一つを指差しながら声をかけてきた。
「んー、ここは外れですね。次は……あっち! あっちを調べてみましょう。外観からするに、あっちにもう一部屋あるはずです。」
「はーい。」
ってことは、もう一つはトイレとかだろうか? ぼんやり考えながらもドアをぶち破って覗いてみれば……これはまた、怪しすぎる部屋だ。さっきよりも狭い部屋の中央には真っ黒な小箱が鎮座していて、他には何一つ見当たらない。手のひらサイズで滑らかな表面をしている。
「罠がありますよね、これ。」
「あります。絶対あります。……さあ、美鈴さん! やっちゃってください!」
「はいはい。」
さすがの私でもこれは分かるぞ。小悪魔さんの指令を受けて、とりあえず一人でゆっくりと小箱に近付いて行くと……ありゃ? 普通に近付けてしまった。
「んん? なんか大丈夫そうですよ? ひょっとしてこの箱に──」
拍子抜けして小箱に手を伸ばした瞬間、頭上から何かが覆い被さってくる。黒い……マントか? 大きな布っぽい物体だ。素早く落ちてきたにしては重さを感じないぞ。
「わー! わー! 美鈴さん! 大丈夫ですか? 大丈夫なんですか?」
「いや、大丈夫ですけど……んー、何ですかねこれ。取れないです。」
剥ぎ取ってみようとするのだが、黒マントは私に絡み付いて離れようとしないのだ。何というか……濡れてくっ付いてくる布みたいな感じで。肌に貼り付いてくるのがなんとも気持ち悪い。
そのまま黒マントが私を覆い尽くしたところで、今度は首の辺りをギリギリと締めつけてくる。……ひょっとして、生き物なのか? これ。
「ど、ど、どうすればいいですか? 火でも点けますか?」
「それだと私まで燃えちゃうじゃないですか。ちょっと待っててくださいね……。」
どうも窒息させようとしているらしいそいつから、抜け出そうとジタバタ足掻いてみるが……ああもう、面倒くさいな! 適当な場所に爪を引っ掛けて、一気に逆方向へと力を入れた。まあ、要するに引き裂いてしまったわけだ。
そしてその選択は半分成功で半分失敗だった。謎の生き物は確かに真っ二つに引き裂かれたのだが、体液らしきものが一気に降りかかってきたのだ。真っ黒な、ベタベタするやつが。
「……私、どうなってます?」
「えーっと……その、真っ黒です。タール塗れみたいな感じに。」
……最悪だ。しかもなんか変な臭いがするし。未だ引っ付いていた黒マントの片っぽをベシャリと捨てた私に、小悪魔さんが恐る恐る声をかけてきた。
「あの、杖魔法で綺麗にしてみますか? 失敗しても怒らないならやってみますけど……。」
「お願いします。幾ら何でもこれ以上酷くなるってのはないでしょう。」
「それじゃ、コホン。スコージファイ!」
小悪魔さんが呪文を唱えると……うん、まあ、改善はした。少なくとも黒いベタベタは消えたのだ。代わりに泡塗れになってしまったが。
「……怒ってます?」
「……いえ、さっきよりはマシです。」
引きつった笑みで聞いてくる小悪魔さんに答えてから、再び小箱へと手を伸ばす。ここまでやって外れだったらさすがに怒るぞ。空とかじゃないだろうな。
左手で取ったそれを無言で振ってみると、中からカラカラという音が聞こえてきた。少なくとも何かは入っているようだ。かなり小さな何かが。
「開けてみてくださいよ。」
ソロソロと近寄ってくる小悪魔さんに従って箱をくるくると回してみるが……うーん? 継ぎ目がないな。こんなもんどうやって開けるんだ? 正方形のそれには一切の開け口が存在していないように見えるぞ。
小悪魔さんに聞いてみようかと口を開いたところで、ちょっとした異変に気付いて思わず腕をブンブン振る。……おいおい、リドルが仕掛けたんだとすれば、念入りにも程があるな。箱にまで仕掛けがあったのか。
「あのー、小悪魔さん。これ、手のひらにくっ付いて離れないんですけど。……それにどんどん重くなってきました。現時点で車くらいの重さです。」
「ちょ、ヤバいじゃないですか! ちょっと待っててください! きっと何か解く条件があるはずですから!」
キョロキョロとヒントが無いかと部屋を探し始めた小悪魔さんを横目に、もう片方の手で掴んで思いっきり引き離そうとしてみるが……ダメだ。左手に完全にくっ付いちゃってるようでビクともしない。
既に昔象を持ち上げた時よりも重くなってるし、この分だとどこまで重くなるか分かったもんじゃないぞ。……よし、壊しちゃおう。疲れるし。
右手を大きく振り被って、気を纏った拳を左手の箱へと叩きつけた。
「そぉ、れっ!」
さすがに全力とまでは言わないが、そこそこ本気の一撃だ。……鳴り響いた轟音に小悪魔さんがびっくりするくらいには。一言伝えといたほうがよかったかもしれないな。
ゆっくりと拳を退かしてみると、ひしゃげてしまった箱が見えてきた。うーむ、壊れてしまったようだ。もはや手にくっ付いてはこなくなったし、もう重くもない。
「……めちゃくちゃしますね。絶対リドルは予想してませんでしたよ、その解決法。」
「まーまー、いいじゃないですか。今回の知恵比べは私の勝ちですね。」
「知恵?」
呆れた顔の小悪魔さんを尻目に、箱の中身を取り出してみる。隙間をベキベキと引っぺがしていくと、小さな指輪が入っているのが見えてきた。大きめの暗い緑の石がついた、二匹の蛇が絡み合う意匠の金の指輪だ。
「これ、分霊箱ですかね?」
「美鈴さんの『知恵』で曲げてみてくださいよ。曲がらなかったら分霊箱です。」
ふむ。リングの部分を摘んで千切ってみようとしてみるが……おお、凄いな。曲がりもしないぞ。明らかにただの指輪ではない。
「わお。全然壊せないですよ、これ。」
「ってことは分霊箱の可能性アリですね。……さ、そうと決まれば帰りましょう! もうこのお化け小屋には居たくないです!」
「まあ、そうしましょうか。私も帰ってひとっ風呂浴びたい気分ですしね。」
清々したと言わんばかりの小悪魔さんに従って、指輪を片手に出口へと歩き出す。成果も上げたことだし、しばらくはゆっくり出来そうだ。
黒い水溜りが出来てしまった部屋を背に、紅美鈴はゆっくりと歩き出すのだった。