Game of Vampire   作:のみみず@白月

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そして、プロングズ

 

 

「頼んだぞ、みんな!」

 

ホイッスルの音と共に空へと飛び立っていくチームメイトを見ながら、霧雨魔理沙は大声で叫んでいた。ついに運命の最終戦が始まったのだ。

 

風なし、天気よし、体調も万全。今日のコンディションには文句のつけようがない。そしてこれまでの練習でやれることは全てやったはず。後は実力を出し切れるのを信じるだけだ。

 

「大丈夫、大丈夫だ。」

 

自分に言い聞かせるように呟いた後、スコア用紙と双眼鏡を手にして空を見上げる。最初のクアッフルの行方は……よっし! アリシアが掴み取った。作戦通りだ。後はパスを回して……ダメか、ワリントンのタックルで奪われてしまった。体格差がありすぎるぞ。

 

そのままワリントンがカウンターを決めそうになるが、ジョージの放ったブラッジャーが見事に命中する。あれは痛いな。後頭部にモロだぞ。滅茶苦茶デカいタンコブができるに違いない。

 

「お見事、ジョージ!」

 

私が腕をぶんぶん振り回しながら歓声を上げるのと同時に、こぼれ球を掴み取ったアンジェリーナが……決めた! 決めたぞ! 先制点だ!

 

「いいぞ、アンジェリーナ! 先制点だ!」

 

口に手を当てて思いっきり叫ぶ。聞こえてはいないだろうが、そうせずにはいられないのだ。これで序盤の流れを手にしたぞ。

 

スリザリンのウスノロどもになんか負けるもんか。グリフィンドールの強みは臨機応変な速攻なのだ。満面の笑みでスコア用紙に得点時間とアンジェリーナの名前を──

 

「ごきげんよう、ミス・キリサメ。少々お時間をいただきたいのですが。」

 

「うぉっ……ラデュッセル、刑務官? なんだよ、試合中だぞ。ここは立ち入り禁止だ。」

 

ビビった。いつの間に入ってきたのか、ラデュッセルがいつもの笑みを浮かべながら入り口の前に立っている。驚いたせいでちょっと刺々しい口調になってしまった私に、ラデュッセルは笑みを崩さず片手を差し出してきた。

 

「残念ながら、クィディッチの観戦はここまでですね。貴女には私と来てもらいます。……ほら、見覚えがあるでしょう?」

 

その手に乗っているのは……緑のリボン。私が誕生日にプレゼントして以来、咲夜がいつも身に着けているリボンだ。何だかんだと言いつつも、かなり大事に使ってくれている。手放すはずなどないほどに。

 

一瞬で心臓が凍りつきそうになるのを自覚しながら、目の前の男を精一杯睨みつけて口を開く。

 

「……お前、咲夜に何したんだ。」

 

「ご安心ください。まだ何もしてはいませんよ。……ただし、貴女が抵抗すればその限りではありませんが。ついて来てくれますね? ミス・キリサメ。」

 

「……わかった。」

 

「素晴らしい。物分かりのいい方は好きですよ。この学校は少々頭の悪い子供が多すぎますしね。……では、行きましょうか。足元にお気をつけて。」

 

校舎の方へと足を踏み出す痩せぎすの長身に続いて、崩れそうになる足を叱咤して歩き出す。状況は全然理解できないが、咲夜がこの男にリボンを渡すなど有り得ない。それなのにこの男が持っている以上、本当に人質になっている可能性が高いのだ。

 

咲夜は無事なのか? 何が目的だ? 何処に連れて行く気だ? 疑問が頭の中でぐるぐると回る中、前を歩くラデュッセルが声をかけてきた。

 

「心配しなくともミス・ヴェイユにはすぐ会えますよ。」

 

「何を企んでるか知らんが、咲夜に手を出すと酷いことになるぞ。あいつの親が誰だか知っててやってるんだろうな?」

 

「よく知っていますよ。だからこそ機会を待ったのです。ほら、今のホグワーツはもぬけの殻でしょう? 誰もがあの馬鹿げたスポーツを観に行っている。……それに、保険も手にしましたしね。」

 

「その程度で出し抜ける相手ならいいけどな。」

 

リーゼだ。彼女に何とかして伝えなければならない。咲夜の危機とあらば、彼女は躊躇なくこの男を『どうにか』してくれるはずだ。それこそ一瞬で。

 

でも、どうする? 彼女が居るであろう競技場はどんどん遠ざかっていくぞ。魔法で合図を出すとか? ……バカか私は。リーゼは間違いなく試合が行われているグラウンドの方を見ているはずだ。いくらアイツでも後ろに上がる合図に気付けるはずがない。

 

逆側の観客席の誰かが気付いてくれるだろうか? しかし、下手に時間をかければ咲夜が危険かもしれないのだ。思い悩む私に、芝生を踏みしめるラデュッセルが言葉を放ってきた。

 

「ああ、言っておきますが、私が戻らなければミス・ヴェイユを殺すようにと言ってあります。余計なことはしない方がいいと思いますよ。」

 

「……お仲間がいるってことか?」

 

「さて? お望みなら試してみては? お勧めはしませんが。」

 

クソったれめ! 必死で打開策を捻り出している間にも、校舎に入った私たちは階段を上がっていく。この際フィルチでもピーブズでもいい。誰か私たちに声をかけてくれ。

 

だが、私のちっぽけな願いは聞き届けられなかったようだ。誰ともすれ違わないままで目的地へと到着してしまった。……天文塔。やっぱりここか。脳裏に壁を殴りつけているラデュッセルの姿が浮かび上がる。

 

「あの隠し扉の先が目的地なんだな。」

 

螺旋階段を上りながら問いかけてやれば、ラデュッセルは振り向いて頷きを返してきた。

 

「ええ。私があれだけ苦労しても開けられなかった扉を、貴女たちのような小娘に開けられるとは思いませんでしたよ。『地図』でそれを確認したときは我が目を疑いました。」

 

「『地図』……? まさか、忍びの地図か? あれはネズミに持ってかれたはずだぞ。」

 

「その通りです。保険があると言ったでしょう? 役に立たない小男でしたが、あの件だけは見事な働きをしてくれました。……ほら、着きましたよ。」

 

役に立たない小男? 訳の分からない言葉に混乱している私に、ラデュッセルはたどり着いた踊り場を手で示して……咲夜! 見知らぬ小男の隣で咲夜が仰向けになって倒れている。生きてるよな? 生きててくれ!

 

「咲夜! ……無事か?」

 

ピクリとも動かない咲夜に駆け寄って、口元に手を当てて息を確認すると……よかった、息をしているようだ。思わず安堵のため息を零す私に、ラデュッセルが冷たい声を放ってきた。

 

「無事でしょう? ……では、これからも無事でいてもらうためにも一働きしてもらいましょうか。扉を開けなさい、ミス・キリサメ。断ればどうなるかは分かっていますね?」

 

「……わかったから、咲夜に手を出すなよ? もし何かしやがったら──」

 

「どうすると言うのですか? たかが一年生に何が出来ると? 戯言を言っている暇があるなら行動しなさい。……ペティグリュー、貴方は地図の確認を怠らないように。特にダンブルドアとスカーレット、そしてバートリからは決して目を離してはいけませんよ? 動いたらすぐに知らせなさい。」

 

「わ、分かった。」

 

頭の禿げ上がった情けない印象の小男が慌てて頷くのを横目に、ポケットから石を取り出して窪みに向かう。……悔しいが、確かに私に何かが出来るとは思えない。使える呪文なんてたかが知れてるのだ。こんなことならアリスの『オススメ呪文』を真面目に練習しときゃよかった。

 

後悔しながらもゆっくりと石を嵌め込むと、いつものように古めかしい木のドアが現れる。そのまま振り返って口を開こうとしたところで、ラデュッセルが背中を杖で押してきた。

 

「振り向かずに進みなさい。何か仕掛けがあるなら、今のうちに解除したほうが身のためですよ。私たちは貴女の後ろから行かせてもらいます。」

 

「カナリア役ってわけか? ムカつくほどに慎重なヤツだな。」

 

「口は閉じるように。……ペティグリュー、そっちの小娘も運んできなさい。貴方でも浮遊呪文くらいは使えるでしょう?」

 

「ああ、その……勿論使えるよ、ラデュッセル。運ぶよ。任せてくれ。」

 

とりあえず力関係ははっきりしたな。小男……ペティグリューが下で、ラデュッセルが上だ。まあ、それが分かったところでどうにもならんが。

 

見慣れた階段を見慣れぬ四人で下りる。私、ラデュッセル、ペティグリュー、そして恐らく宙に浮かされている咲夜。振り向けないのでハッキリしないが、ラデュッセルは狭い通路に四苦八苦しているようだ。ざまあみやがれ。

 

やがて最奥に現れた彫刻入りのドアを抜けて、我らが秘密基地にたどり着く。……こんなことならトラップでも仕掛けておくんだったな。双子の知恵を拝借すればそれなりのものが出来たろうに。

 

私の後ろから入ってきたラデュッセルは、円形の部屋を見回しながら口を開いた。苦労して入ったのだろうに、全く感動している様子はない。ちょっとは喜んでみたらどうだ? 鉄仮面め。

 

「これがかの魔術師の隠し部屋ですか。……ミス・キリサメ、この部屋に黒い棒が隠されているはずです。何かご存知ありませんか?」

 

クソ野郎が。これ見よがしに咲夜へと杖を向けるラデュッセルに対して、歯を食いしばりながら星見台の中央を指し示す。

 

「あそこだ。完璧に埋まってるから、どうせ取り出せないぞ。」

 

「正しい方法を知らなければ、でしょう? ……さて、ご苦労様でした。もう用済みですよ。」

 

やっぱりそう来たか! 我ながら素晴らしい速度で杖を取り出すが、ラデュッセルが自分の杖を軽く振ると私の杖は彼の手元に飛んでいってしまった。……そりゃそうだ。端っから相手になるはずなどないのだ。

 

「悪足掻きはやめなさい。……そうですね、ここまで連れて来てくれたお礼に、貴女は後回しにしてあげましょう。アバダ──」

 

「待て! 待ってくれ、ラデュッセル! 約束が違う!」

 

咲夜に対して杖を振り上げたラデュッセルの前に、これまで黙って見ていたペティグリューが立ち塞がる。……怖かった。自分が死ぬのも怖いが、友人が死ぬのはもっと怖い。思わずペタンと座り込んでしまった私を他所に、ラデュッセルとペティグリューが口論を始める。冷たい無表情のラデュッセルに対して、ペティグリューはかなり焦っているような表情だ。

 

「……何のつもりですか? ペティグリュー。もはや小娘どもは必要ないでしょう? 殺しておいた方が面倒が無いのでは?」

 

「だが、この子は生きて帰すという約束だったはずだ! それに……ほら、この子たちが死ねば吸血鬼が怪しむだろう? それは良くない。絶対に良くないよ。」

 

「死体はこの部屋に隠せばいいのですよ。それに、疑われる頃には私たちは帝王の下へと戻っている。あの方がいる限り、吸血鬼たちにも手を出すことは出来ません。」

 

「いや、でも……記憶を消せばいいだけじゃないか。何も殺すことはない! そうだろう?」

 

何故か必死に咲夜を庇うペティグリューに、ラデュッセルは能面のような無表情で言い募る。杖は振り上げたままだ。……頼むから振り下ろさないでくれよ。

 

「何をそんなに必死になっているのですか? 小娘二人殺すのに躊躇するとは……情けないですね。退きなさい、ペティグリュー。口論している暇などないのです。」

 

「その……そうだ、この子はヴェイユだ! ご主人様にも思うところがあるに違いない。あの方の獲物を奪うわけにはいかないだろう? マーガトロイドと同じように、この子はご主人様の獲物じゃないのか?」

 

ヴェイユの名前が出た途端、ラデュッセルの動きが止まった。それに……マーガトロイド? アリスのことか? 『ご主人様』とやらが誰なのかさっぱりだが、どうやらアリスや咲夜の家系と関係のある人物のようだ。

 

しばらく何かを考え込んでいたラデュッセルだったが……よかった。杖を下ろして口を開く。

 

「……ふむ、確かにその通りですね。帝王の愉しみを奪うわけにはいかない。この件に関する記憶を奪って解き放ちましょう。」

 

「それがいい。それがいいよ、ラデュッセル。そうなるとあっちの小娘も殺せないだろう? 記憶に齟齬が出てしまう。それに、あっちも吸血鬼の知り合いだ。」

 

「まあ、そうですね。『遺産』を回収したら、適当に記憶を修正して終わらせましょう。」

 

星見台の中央を指しながら言うラデュッセルにペティグリューが頷くのを見て、思わずホッと息を吐く。よく分からんが、とにかく命は助かったようだ。

 

とはいえ、記憶を奪うだの修正するだのってのもいただけないぞ。聞いてるだけでも物騒な台詞じゃないか。星見台へと歩み寄るラデュッセルを横目に、ゆっくりと咲夜へ近付いて行くが……うーむ、ラデュッセルにもペティグリューにも止められないな。既に私のことなど眼中にないようだ。杖なしの一年生なんぞに構う暇はないってか。

 

星見台へとラデュッセルが足を乗せることで仕掛けが発動するが、彼はほんの少しだけ眉を動かすだけで再び歩き出した。最高につまらん反応だ。マーリンも悲しんでるぞ。

 

「ラ、ラデュッセル? これは? 大丈夫なのか?」

 

「落ち着きなさい、ペティグリュー。くだらない仕掛けですよ。それよりも小娘から目を離さないように。」

 

オドオドとペティグリューがラデュッセルの方へと歩いていった瞬間、咲夜が目を開いてボソリと呟いた。……起きてたのか、こいつ。いつから起きてたのかは知らんが、あの状況でピクリとも動かないってのは凄い度胸だな。

 

「あいつらが隙を見せたら肩を叩いて。」

 

それだけ言うと再び目を瞑って微動だにしなくなってしまう。何か考えがあるのか? 大人二人に私たちに出来ることなんて……ええい、とにかく隙を待とう。杖を失った私に何も出来ない以上、咲夜を信じるしかあるまい。

 

再び私たちの近くに戻ってきたペティグリューに悟られないように黙っていると、星見台の中央へと屈み込んだラデュッセルは……またあれか。何時ぞやの髪飾りを被りながら、ブツブツと何かを呟き始める。さすがにこの状況で女装を楽しむとは思えないし、何かの魔道具なのかもしれない。

 

そのままラデュッセルが何事かを呟きながら杖をコンコンと星見台に当てると……あっさりだな。スルリと例の黒い棒が浮かび上がってきた。三十センチほどの長さの、杖より少し太い棒。埋まっていた時は真っ黒だったが、今は表面に緑色の幾何学模様が走っている。どう見ても魔道具ですって見た目だ。

 

ラデュッセルはしばらく呆然とそれを見つめた後、やがて……おいおい、笑ってるのか? 今までの仮面のそれとは違う、満面の笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「ああ、これこそが……モルガナの遺産。ようやくお目にかかれましたね。我が祖エクリジスが見つけられなかった最後のピース。これで吸魂鬼は我々の……偉大なる闇の帝王の眷属となる!」

 

恍惚とした表情で二つの杖を置き、両手で捧げ持つかのようにラデュッセルが棒へと手を伸ばした瞬間……今だ! 咲夜の肩をコツコツと叩く。何をどうする気なのかは分からんが、杖を手放した今こそが最大の隙のはずだ。

 

「魔理沙、走って!」

 

瞬間、様々なことが同時に起こった。いきなり虚空から出現したナイフがラデュッセルとペティグリューへと襲いかかり、一瞬のうちにドアの隣へと移動した咲夜が私を急かしてくる。なんだこれは? 何がなんだかさっぱりだが……とにかくチャンスだ。咲夜の開けてくれているドアへと走り出す。

 

「ぐっ……ペティグリュー! 小娘どもを止めなさい!」

 

「足が、足にナイフが!」

 

私が通り抜けたのを見て咲夜がドアを閉める直前、振り返った私の目に入ってきたのは血の滴る顔を押さえているラデュッセルと、足に刺さったナイフを抜いているペティグリューだった。……咲夜がやったのか? 本当に一瞬の出来事だったぞ。

 

階段を駆け上がりながら、後ろを走る咲夜に向かって言葉を放つ。

 

「何だよ、さっきの!」

 

「後で話すわ! それよりほら、杖を持っときなさい!」

 

言いながら咲夜が私の杖を差し出してきたのは……嘘だろ、私の杖か? おまけにもう片方の手にあるのはラデュッセルの杖だ。あの一瞬で杖まで? まさに魔法だな。

 

目線で驚愕を伝えてやると、咲夜はニヤリと笑いながら口を開いた。

 

「大事な杖を地面に置いておく方が悪いのよ。小男のは奪えなかったけど、これで戦力半減でしょ?」

 

「お前は……最高だぜ、咲夜!」

 

「褒め言葉は後で聞くわ。今はさっさと逃げましょう。お嬢様方の居る競技場まで行けば……嘘、なんで『アレ』がいるのよ。」

 

踊り場へのドアを抜けたところで、私と咲夜が『アレ』を見て急停止する。揺らめく黒いマントと、背筋を伝う凍りつくような悪寒。吸魂鬼だ。あの忌々しい存在が数体、螺旋階段の方で蠢いているのが見えてしまった。

 

「このっ!」

 

咲夜が数本のナイフを投げつけるが……残念ながら効果はないらしい。刺さるには刺さっているものの、一切怯まずにこちらに滑り寄ってくる。どう見ても通用しているようには思えないぞ。

 

諦め悪くナイフを投げる咲夜の手を引っ張って、天文台の方へと向かって走り出した。

 

「ちょっと、そっちに逃げても行き止まりよ!」

 

「それでも吸魂鬼に突っ込むよりかはマシだろ!」

 

ドアを抜けると、いつも通りの天文台の風景が目に入ってくる。平和そうな真昼のホグワーツ。あまりにいつも通りな景色を見ていると、今の状況が何かの冗談みたいだ。

 

咲夜が慌ててナイフを閂代わりにドアを塞いでいるのを尻目に、杖を天に向けて呪文を放った。

 

ペリキュラム(救出せよ)!」

 

赤い光とそれに付随する煙が空高く昇っていくのを尻目に、私も咲夜と一緒にドアを押さえる。クィディッチで棄権を知らせる時に使う呪文だが、確か救難信号にも使われていたはずだ。頼むから誰か気付いてくれ!

 

二人でガンガンと叩かれるドアを必死の思いで押さえていると、咲夜があらぬ方向を見ながら呆然と呟いた。……何か良くないものを見つけてしまったのだろう。何たって顔が引きつってるのだから。

 

「ま、魔理沙、あれ……。」

 

彼女が指す方向を見てみれば……そら、予想通りだ。禁じられた森の向こう側から、数えるのもアホらしくなる量の吸魂鬼が飛んで来ている。五十、百、百五十はいるぞ。ここまで多いと怖い以前に呆れてくるな。あいつらって、あんなにいたのか。

 

「夢じゃないよな? だとしたら飛びっきりの悪夢だぜ。人生最悪レベルだな。」

 

「馬鹿なこと言ってる場合じゃ──」

 

咲夜が呆れたように言った瞬間、台詞の途中で吹き飛んだドアと一緒に天文台の中央まで弾き飛ばされる。痛む身体に鞭打って立ち上がると、踊り場の方から例の棒を手にしたラデュッセルが歩み寄ってくるのが見えてきた。片目が抉れているのにも関わらず、仮面の笑みを被ったままだ。控え目に言ってもクソ不気味だぞ。

 

「私の杖を返しなさい、小娘ども。貴女たちが余計なことをしてくれた所為で、もはや時間がないのです。」

 

「冗談キツいぜ。誰が返すか。」

 

「私もお断りよ、間抜け。」

 

渡したら殺されるのが目に見えてるのだ。こんな状況ではいそうですかと渡す馬鹿などいまい。……ペティグリューは来ないな。脚の傷で動けないのだろうか?

 

私たちの返事を受けて、ラデュッセルは棒をこちらに向けながら首を振った。

 

「では仕方ありませんね。吸魂鬼たちよ、その小娘どもを始末しなさい!」

 

途端に襲いかかってくる吸魂鬼どもに向けて、二人で一緒に呪文を放つ。思い出すのはこの前のクィディッチの勝利だ。練習では一度も成功させたことはないが……頼む、上手くいってくれ!

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

クソったれめ。出てきたのはいつも通りの頼りないモヤモヤだった。咲夜の方は……ダメか。こちらも薄いモヤを生み出しているだけだ。一応壁にはなっているらしいが、どう見ても追い払うには力が足りていない。

 

じわりじわりと吸魂鬼が近付いてくるに従って、何処からか悲鳴が聞こえてくる。悲鳴、叫び声……違う、ここはホグワーツだ! 幻想郷じゃない!

 

「エクスペクト・パトローナム! エクスペクト……パトローナム!」

 

「しっかりしなさい、魔理沙! エクスペクト・パトローナム!」

 

咲夜の声が徐々に遠くなっていく。目の前の景色が徐々に狭まり、悲鳴が大きく……違う、違う! 気をしっかり保つんだ! 今はお前一人じゃないんだぞ、霧雨魔理沙!

 

力が抜けて取りこぼしそうになる杖を両手で必死に押さえるが、モヤモヤを掻き分けて吸魂鬼が近付いてきた。そいつがフードをかき上げると、顔があるはずの場所に深い、深い大きな穴が──

 

 

『走りなさい! 絶対に振り向いちゃダメよ。』

 

『でも、お母さんは? お母さんはどうするの?』

 

『いいから走るの!』

 

悲鳴。そして私は人里まで走る、走る。でも途中で振り返ってしまって、真っ赤な血が視界に入って、それで、それで……私は──

 

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

私の意識が闇へと落ちていこうとした瞬間、響き渡った声と共に銀色の雄鹿が目の前の吸魂鬼を吹き飛ばした。美しい雄鹿だ。まるで私と咲夜を庇うかのように、吸魂鬼どもに向かって大きな角を振り回している。

 

それに、吸魂鬼を弾き飛ばしながら近付いてくるのは……ハリー? ユニフォームを着たままのハリーが、ファイアボルトに乗って天文台へと突っ込んでくる。おいおい、試合は? それに、守護霊の呪文は未完成じゃなかったのか?

 

私が呆然と大口を開けている間にも、ハリーは私たちの目の前に下り立った。

 

「ハ、ハリー? 何でここに?」

 

「競技場から信号が見えたんだ。それに、光に反射する金髪と銀髪が。となれば君たちに決まってるだろ?」

 

「でも、守護霊は? 使えるようになったのか?」

 

「グリフィンドールが勝ったんだ。僕たちが優勝したんだよ、マリサ。今の僕に幸福な記憶を思い出すのは難しくないのさ。ついさっきのことを思い出せばいいんだから。」

 

言いながらハリーは私たちの前に立ち塞がるように、ラデュッセルに対して杖を構える。ラデュッセルは……ようやく人間らしくなったな。もはや能面は脱ぎ捨てたらしい。憎々しげな顔を隠そうともせずに、ハリーに向かって言葉を放った。

 

「これはこれは、ハリー・ポッター。生き残った男の子。我らが帝王の宿敵。……いいでしょう、もう逃げることは叶わない。ならばせめて貴方を殺して帝王への供物としましょう。」

 

今や天文台の周囲は見渡す限りの吸魂鬼に囲まれている。ハリーの杖から発せられる波動や、銀の雄鹿が必死に寄ってくる吸魂鬼を弾き返すが……数が多すぎるのか? 徐々にその包囲が狭まってきた。

 

少しでも助けになろうと守護霊の呪文を唱え続けている私たちに、ハリーが乗ってきた箒を差し出しながら言葉を放つ。

 

「マリサ、ファイアボルトに乗ってサクヤと一緒に逃げるんだ。体重の軽い君たちなら二人乗りでも逃げ切れる。僕が守護霊で道を開くから、その隙に一気に離れて。……いいね?」

 

「おい、ふざけんなよ、ハリー。残ったお前はどうなる? 助けに来てくれたお前を置いてけって言うのか?」

 

「忘れちゃったのかい? 僕は君に命を救われたんだ。だから、今度は僕が助ける番なんだよ。……ほら、時間がない。早く二人で──」

 

「あら、その必要はなさそうよ。」

 

ハリーの言葉を、笑みを浮かべた咲夜の声が遮った。思わず彼女が見ている先に目線を送ってみれば……なるほど、確かにその必要はなさそうだ。三体の守護霊が吸魂鬼を弾き飛ばしながらこちらに近付いてくる。ハリーに続いて、誰かが助けに来てくれたらしい。

 

狼、大犬、そして蝙蝠。まるでそうあるのが当然かのように雄鹿に合流した守護霊たちは、見事な連携で吸魂鬼の包囲を押し退けていく。流れるような四体の動きは、まるで一つの生き物みたいだ。

 

雄鹿が角を振れば蝙蝠が追撃し、大犬が突っ込むと狼がその穴を塞ぐ。守護霊たちが吸魂鬼の包囲を広げていく中、その隙間から飛んで来た白い影が二つ私たちの側へと下り立った。

 

「無事か、ハリー!」

 

「やあ、三人とも。災難だったね。」

 

「やっほー、咲夜。」

 

ヒゲが伸びっぱなしの浮浪者みたいな男と、いつものヨレヨレローブを着たルーピン。それに……写真で見たことのある金髪の吸血鬼が、ルーピンのローブの中からひょっこり顔を出している。意味不明な光景だ。やっぱり夢か?

 

私とハリーがどう反応していいのかと迷うのを他所に、咲夜がラデュッセルの方を指差しながら声を放った。

 

「妹様、あの黒い棒! たぶんあれで何かしてるんです! あれをきゅってしちゃってください!」

 

「んー? よくわかんないけど、わかったよ。」

 

状況に似合わぬ落ち着いた声と共に、金髪の吸血鬼がゆっくりとか細い腕を伸ばす。きゅ? 何をする気だ?

 

「きゅっとしてー……ドッカーン!」

 

気の抜けるような台詞と共に、吸血鬼が小さな手を握ると……うわぁ、ラデュッセルの持っていた棒が粉々に吹っ飛んだ。破片がビシビシ当たってるぞ。あれは痛い。絶対痛い。

 

ラデュッセルは自らを庇うことなく、顔や身体中に突き刺さる破片もそのままに、棒があったはずの手を開きながら呆然と呟いた。

 

「馬鹿な。マーリンでさえ破壊できなかった物を……有り得ない。有り得るはずがない。そんなはずが──」

 

「ステューピファイ!」

 

ブツブツと目を見開いて喋っていたラデュッセルに、浮浪者の放った赤い閃光が激突する。容赦ないな、こいつ。人の話を聞かないタイプか。

 

途端にパタリと倒れて動かなくなったラデュッセルを見ながら、吸血鬼が呆れたように言葉を放った。

 

「酷いなぁ、シリウス。まだなんか言おうとしてたよ? 聞いてあげればよかったのに。」

 

「後で聞けばいいのさ。真実薬入りのお茶でも飲みながらな。」

 

「うーん、それはどうかなぁ。咲夜が擦り傷一つでも負ってたら、お姉様たちがひき肉にしちゃうと思うけど。」

 

「それは……困るな。さすがにハンバーグから話を聞き出すのは無理だぞ。」

 

最高にバカバカしい会話を聞きながら、散り散りになっていく吸魂鬼たちをぼんやり見上げる。森の方から近付いて来ていた大量の吸魂鬼たちも、誰かの守護霊に追い払われているのが見えてきた。こっちのより少し大きめな銀色のコウモリと……鳥? 白鳥ほどの大きさの鳥だ。教師の誰かが出したのだろうか?

 

浮浪者が誰なのかも、消えたペティグリューのことも、バラバラになった棒のことも、咲夜の不思議な力のことも。未だ疑問は満載だが……とにかく生きてる。私も、咲夜も生きているのだ。

 

いやはや、参ったな。たった一年で二度も死にかけるとは思わなかったぞ。幻想郷でだって死にかけるってのは数年に一度のイベントだろうに。……魅魔様に手紙を書きたい気分だ。貴女の弟子は着々と『経験』を積んでいますって。

 

仰向けに寝転んで太陽の眩しさに目を細めながら、霧雨魔理沙はゆっくりと息を吐くのだった。

 


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