Game of Vampire 作:のみみず@白月
「……ここは何度見ても飽きないわね。見事な装飾だわ。」
フランス魔法省のエントランスホールを歩きながら、レミリア・スカーレットは隣を歩くシャックルボルトに語りかけていた。どんな美術館でもこれ以上の彫刻にはお目にかかれまい。
『非常に重要かつ緊急性の高い報告』があるとの報せを受けて、遥々イギリスから飛んで来たのだ。決め手はコーネリウスの頭越しに連絡が来たということである。つまり、『お飾り』を挟む時間すら惜しいということだろう。
きな臭いものを感じ取った私は、スクリムジョールからシャックルボルトを借り受けてすぐさまフランスへと移動した。この有能な闇祓いを連れて来た理由は二つ。一つは護衛も無しじゃ格好がつかないという見栄で、もう一つはフランスへの顔つなぎである。この男はいずれ間違いなく要人へと上り詰める能力があるのだ。顔を広めておくのは悪い考えではあるまい。
私の言葉を受けたシャックルボルトは、壁いっぱいの彫刻を見ながら静かな声で答えてきた。穏やかで、人を落ち着かせるような深いバリトンの声だ。
「本当に見事な彫刻ですね。フランスの歴史を表しているのでしょうか?」
「ええ、その通りよ。あの辺りが百年戦争。ほら、オルレアンの乙女が見えるでしょう? それに……あそこが革命戦争ね。」
当然ながらただの彫刻ではない。半円形のエントランスホールを囲む大理石の壁一面に刻まれたそれらは、命持つかのように躍動的に動いているのだ。戴冠を受けるカール大帝、王笏を振り上げるサン・ルイ、旗振るラ・ピュセル、馬に乗るナポレオン。あまりに人間的な動きをするせいで、今にも声が聞こえてきそうなほどだ。
彫刻を指差しながら説明してやれば、シャックルボルトは興味深そうに頷いてから口を開く。態度から見るに、この男は芸術にもそれなりの理解があるようだ。リーゼとは大違いだな。あのペタンコ吸血鬼は花より団子を地でいってるぞ。
「イギリス魔法省とはまた違った美しさがありますね。我々のアトリウムが重厚で静謐なのに対して、こちらは何と言うか……賑やかで芸術的です。」
「さすがは芸術の都ってわけね。色んな政治機関に行ったことがあるけど、こと華やかさではここが一番よ。」
別にイギリス魔法省のアトリウムをバカにするつもりはない。磨き抜かれたエボニーの床や壁、立ち並ぶ金枠と黒煉瓦の暖炉、天井に走る金色の幾何学模様。そしてイギリス魔法界を構成する生物たちの黄金の立像が聳える『和の泉』。黒と金で彩られた細長い長方形のあの場所だって、私はそこそこ気に入っているのだ。
ただまあ、こと華やかさでいえばフランス魔法省の方が一枚上手と言えるだろう。立ち並ぶ巨大な柱は美しい金細工で飾られているし、無数のシャンデリアの光を反射する床の大理石は継ぎ目もない真っ白だ。そして何より気に入っているのは、エントランスホールを一直線に貫く深紅の絨毯である。闇夜に浮かぶ紅も好きだが、白に映える紅も美しい。やっぱり最高の色だな。
うんうん頷きながらふかふかの絨毯の上を歩いていると、前方から中年の柔和そうな小男が走り寄ってきた。薄い髪の毛に、うだつの上がらない雰囲気。野暮ったい黒縁メガネも相まって、正に小役人といったご様子だ。……見た目だけは。
「あら、お迎えが来たわね。」
「フランス魔法省の役人の方ですか?」
「闇祓い隊隊長。こっちで言う闇祓い局局長よ。ルネ・デュヴァル。……見た目に騙されないようにね。恐らく杖捌きじゃフランスで一、二を争うわよ。」
「それは……なるほど。肝に銘じましょう。人は見かけによりませんな。」
確かに見た目はその辺の木っ端にしか見えまい。態度も穏やかで丁寧だし、いつもニコニコ笑っているような男なのだ。……しかしその実、オリンペと伯仲するほどの実力者なのである。オリンペが動だとすれば、あの男は静だ。一度だけ杖を振るうのを見る機会があったが、ダンブルドアの戦い方に少しだけ似たところがあった。
そして何より驚愕なのは、彼が『あの』ムーディと親しい友人ということだ。ムーディに友人なんてものが存在するとは思わなかったぞ。同世代の彼らは、新米の頃に国際的な魔法生物の密輸事件で知り合って以来、意気投合して連絡を取り合っているらしい。……どんな会話を繰り広げているんだろうか? 想像できんな。
私の内心での考えを他所に、駆け寄って来たデュヴァルはペコペコと頭を下げながら言葉を放ってきた。イギリス人からしても違和感が無いほどに流暢な英語だ。
「これは、スカーレット女史。本来なら玄関までお出迎えしなければならないというのに、誠に申し訳ございません。」
「構わないわ、デュヴァル。元気そうで何よりよ。……こっちはキングズリー・シャックルボルト。イギリスの闇祓いで、今日は護衛に付いてもらってるの。」
「おお、ご苦労様です。ルネ・デュヴァルと申します。どうも、どうも。」
「キングズリー・シャックルボルトです。護衛故、私のことはお気になさらず。」
ペコリと軽く頭を下げてから身を引いたシャックルボルトにまた深々とペコペコしてから、デュヴァルは私たちをエレベーターへと案内し始めた。
「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ。」
「ええ。……しかし、随分と物々しいわね。前来た時にはこんなに警備は居なかったと思うのだけれど。」
エレベーター、暖炉、受付、正面入り口。至る所に警備が立っているのだ。そりゃあ魔法省なのだから警備くらいは居るだろうが、これはちょっと多すぎな気がする。心なしか空気もピリついてるし。
「それも今回の件に関係しておりまして……詳しい話は上でいたします。」
「ふぅん?」
これまた見事な金細工で彩られたエレベーターで上へと昇り、地上四階の応接室へと進んで行く。……ちなみにその間中デュヴァルはペコペコしっぱなしだった。この男の怖いところはここなのだ。態度や見た目で侮った結果、牢獄行きになった闇の魔法使いのなんと多いことか。
「さ、こちらです。」
間違いなくフランス魔法省で一番金のかかっている応接室に私を導いたデュヴァルは、そこで既に準備していた職員たちにお茶の用意を頼み始めた。シャックルボルトは……うんうん、それでいい。私の座るソファの後ろで直立不動。スクリムジョールはきちんと部下を教育しているようだ。
お茶請けは……マカロンか。色とりどりの高価そうなマカロンが皿に盛られている。パチュリーにでも持って帰ってやったら喜びそうだな。
「美味しそうね。どこのマカロン?」
「あーっと、リヨンの名店の物だったはずです。魔法族が経営する店でして。よろしければお土産にいくつかお包みしましょうか?」
「お願い出来る? 家人にマカロン好きがいるのよ。私だけ食べてきたって聞いたら臍を曲げちゃうわ。」
「では、お帰りの際にお渡ししましょう。」
職員にデュヴァルが目線で命じたところで、薄紅色のを一つ口に放り込んでみれば……うーむ、美味いなこれは。甘酸っぱい木苺の味がする。フランボワーズか。パチュリーにくれてやるのは勿体ないかもしれんぞ。
殆ど音を立てずにお茶の準備を終わらせた職員が退室していったところで、少し険しい顔になったデュヴァルがやおら本題を切り出してきた。世間話は無しか。やはり結構な緊急事態のようだ。
「それでは、ご足労いただいた理由を説明させていただきます。数日前にストラスブールの方で事件が起こりまして。マグルの一家五人が殺害されたのです。……そしてこれが、その現場の写真です。」
マグルの一家が殺害された? そりゃあ凶悪な事件かもしれんが、それだけだと私を呼ぶには弱いな。怪訝に思いながらもデュヴァルが差し出した写真を見てみると……なるほど。これは確かに『非常に重要かつ緊急性の高い報告』だ。私を呼んだのにも合点がいった。
バラバラに引き裂かれたマグルたちの後ろには、壁に書かれた血文字が踊っている。かつてヨーロッパを震撼させた一文。三十年以上に渡って大陸を恐怖に陥れた一文。五十年経った今でも、彼らの恐れを呼び起こす一文だ。
「『より大きな善のために』ね。懐かしい台詞じゃないの。……模倣犯の可能性は?」
「勿論あるでしょう。かの魔法使いのシンパは今なお多い。これまでも無数にありました。……しかし、こちらも見てください。マルセイユ、モンペリエ、レンヌ、ナント、そしてパリ。フランスの様々な場所で、ほぼ同時に起こった事件の写真です。こちらもマグルが狙われました。」
次々に差し出して来た写真の中にも、同様の一文だったり見慣れた紋章が血文字で描かれている。三角形の中に丸、そしてそれを貫く棒。死の秘宝を表す紋章。言わずもがな、ゲラート・グリンデルバルドの掲げた紋章だ。
「……ヌルメンガードには連絡を入れたの? あの男はフラフラ出歩いたりしてないでしょうね?」
「すぐさま連絡を入れましたが、脱獄していないことは確認済みです。外部と連絡を取った形跡もないとのことでした。……ご意見をお聞かせ願いたいのです、スカーレット女史。今のフランスはグリンデルバルドの恐怖は知れど、実際に体験した者は多くない。私にとっても幼少期の出来事でした。実際に相対した貴女の考えを聞きたくて、こうしてご足労いただいたというわけです。」
デュヴァルの真剣な言葉を受けて、写真を見ながら思考を回す。……違和感があるな。グリンデルバルドは殺しを躊躇することは決してなかったが、同時に必要な殺ししかしなかった男だ。非道だが、残虐ではない。しかしこの写真の死体は……。
「妙ね。『らしく』ないわ。グリンデルバルドが命じたのであれば、もっとスマートに殺すはずよ。しかしこの写真を見る限り、マグルは拷問の末に殺されている。……情報が欲しかったとか?」
「その可能性は薄いでしょう。殺されたのはごく一般的な中流家庭のマグルばかりです。魔法界とは一切関わりなく、また特殊な思想を持っているわけでもなかった。無差別な犯行であることは判明しております。」
「……これらの犯行は同時に起こったのね?」
最も重要なのはそこだ。単独ならばただの馬鹿げた模倣犯で済むが、複数同時となれば話は変わってくる。デュヴァルもそれは理解しているようで、神妙な顔になりながら答えを寄越してきた。
「はい、同時です。離れた場所で、ほぼ同時に起こりました。」
「示し合わせて起こした可能性が高い、と。……私が思うに、グリンデルバルド本人は関わっていないはずよ。彼の思想を受け継いだ何者かが起こした犯行か、もしくは集団での模倣事件である可能性が高いと思うわ。これはあまりにもグリンデルバルドらしくない所業よ。」
「そう、ですか。……こう言ってはなんですが、安心しました。五十年前の戦争がまた起こるのかとヒヤヒヤしておりましたので。」
「油断は禁物よ、デュヴァル。私が知っているゲラート・グリンデルバルドは五十年前の彼なの。ヌルメンガードに半世紀も繋がれてれば、考え方が変わっていてもおかしくないわ。それに、この事件を起こした連中が厄介なのには違いないでしょう?」
間違いなく面倒なことになるぞ。何だって今更動き出したのかは不明だが、所業を見る限りでは統制が取れていないのは明らかなのだ。碌な思想も持たずに人を殺しているような連中に違いあるまい。
グリンデルバルドが掲げたのは魔法族の地位向上と権利の拡大だ。多少の選民思想はあれど、マグルをバラバラにして『狼煙』にするようなことはしなかった。対してこれは……ふん、ただの鬱憤晴らしに近いな。先日の死喰い人どもがやってたことの延長線だ。
しかし、その愚かさ故に厄介なのである。明確な指針を感じられない以上、どんな行動をするかは予測不能だ。それが複数? うんざりしてくるな。
デュヴァルもそこまで考えが及んでいるようで、額を押さえながら返事を返してきた。
「ええ、その通り、非常に厄介な集団です。闇祓いたちを総動員で動かしていますが、残念ながら良い報告は上がってきておりません。事件を起こした後、どこかの巣穴に閉じこもっているようでして。」
「ふぅん? でも……なんかこう、しっくりこない事件よね。古ぼけた標語を掲げてるくせに、やってることは計画性の無いガキのそれ。そのくせ追跡されないようにする脳みそはあるってわけ? パッチリ嵌らない感じがモヤモヤするわ。」
「そうですね。もしかすれば、大戦で落ち延びた者が計画を考えたのかもしれません。しかし、実行したのはもっと若い連中だった。……そう考えればチグハグな結果にも納得できませんか?」
ふむ、可能性はあるように思えるな。……だがまあ、ここで考えていても仕方があるまい。パチュリーではないが、仮説は所詮仮説だ。刑事ごっこを放棄して、マカロンをもう一つ口にしてから言葉を放つ。緑はピスターシュか。こっちも美味いな。
「ま、何にせよグリンデルバルド本人と繋がってる可能性は薄いと思うわ。そのうち尻尾を出すでしょ。」
「いや、スカーレット女史からそう言っていただけると安心します。確かにヌルメンガードはそうそう破れるような警備じゃありませんしね。そちらのアズカバンと同じように。」
アズカバンからはブラックが脱獄を決めちゃったわけだが……知らないのかな? それなら言わない方が良さそうだ。まさかグリンデルバルドが動物もどきってことはあるまい。……ないよな? 一応後でリーゼにでも聞いておくか。
いやまあ、そもそもヌルメンガードはアズカバンと違って吸魂鬼が警備してるわけではないのだ。別に問題なかろう。私が若干不安になってきたところで、デュヴァルは頭を掻きながら申し訳なさそうに話しかけてきた。
「どうやら、少し過剰反応し過ぎたようです。わざわざ出向いていただいたというのに、本当に申し訳ございません。」
「構わないわよ。こんなものを見れば、ヨーロッパの人間は誰だって焦るでしょうしね。私だって一瞬ヒヤっとしたわ。」
「いや、本当に申し訳ない限りで。滞在は如何なさいますか? もしよろしければ、こちらでそれなりのホテルを用意させていただきますが……。」
「んー、そうね。ちょっと観光していくのも悪くないわね……ああ、今月末にはオリンペがホグワーツに向かうんでしょう? その時一緒に帰ろうかしら。」
対抗試合のために、生徒たちを連れてホグワーツへと移動するはずなのだ。学校の面子が関わっている以上、まさか普通に列車で移動したりはすまい。『それなり』の乗り物を使うはずだ。
「それは良い考えですね。マダム・マクシームにはこちらから連絡を入れておきます。……それでは少々お待ちを。案内の者を呼んでまいりますので。」
ペコペコとお辞儀したデュヴァルは、そそくさと部屋を出て職員を呼びに行った。それを横目に眺めてから、後ろで影のように立っていたシャックルボルトへと言葉を放つ。
「良かったわね、シャックルボルト。ちょっとした休暇が訪れそうよ?」
「これは……参りましたね。局長に怒られそうです。」
「なぁに、気にすることないわよ。私たちはしもべ妖精じゃないんだから、労働にはご褒美ってものが必要なの。それに、花の都には怒られるだけの価値があるでしょ。」
このところ働き詰めだったし、少しくらい楽しんでもバチは当たるまい。パリならば夜でも十分楽しめるはずだ。……いやはや、吸血鬼には住みやすい世の中になった。闇夜に紛れるのではなく、一緒に偽りの明かりの下で楽しんでしまえばいいのだから。
デュヴァルが職員を連れて戻って来る足音を聞きながら、レミリア・スカーレットはまた一つマカロンを頬張るのだった。黄色はレモンクリームか。よし、決めた。やっぱりお土産も私が食べちゃおう。