Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ダンブルドア、貴方……自覚はあるんでしょうね?」
ホグワーツの校長室に響くパチュリーの問いかけを、アリス・マーガトロイドは小首を傾けながら聞いていた。主語が抜けてるせいで何の質問なのかがさっぱりだ。……まあ、パチュリーならよくあることだが。
今日はダンブルドア先生に呼ばれて、紅魔館の魔女二人でホグワーツに来ているのである。何やらハリーについての相談があるということだったが……煙突飛行で直接校長室の暖炉に出たところ、私の後から出てきたパチュリーがいきなり質問を放ったのだ。挨拶すらなかったぞ。
私たちを出迎えてくれたダンブルドア先生は少し驚いたように目を見開いた後、困ったような苦笑いでパチュリーに返事を返した。なんか、ダンブルドア先生にしてはひどく人間味が感じられる表情だな。嬉しそうにも見えるし、申し訳なさそうにも見える、なんとも不思議な表情だ。
「これは、参ったのう。他は誰一人として気付かなかったのじゃが……やはり君には分かってしまうのかね? ノーレッジ。」
「当たり前でしょ、ナメないで頂戴。その様子だと自覚はあるみたいね。……どうするのよ? なんなら手伝ってあげましょうか?」
「おお、君にそう言ってもらえるのはなんとも嬉しいことじゃ。……しかし、わしはもう決めた。もうずっと前にね。だから、それを貫くことにするよ。」
「……あっそ。ならいいわ。」
言うと、そのままパチュリーは応接用のソファに座ってしまう。顔には呆れたような、納得しかねるような表情を……ひょっとして、拗ねてるのか? なんとも珍しいこともあるもんだ。
普段パチュリーがあまり見せない表情を見て驚く私に、ダンブルドア先生が苦笑を強めながら話しかけてきた。
「気にするほどのことではないよ、アリス。さあ、座っておくれ。今日はよく来てくれたのう。」
「えっと、はい。手紙にはハリーのことで話があるって書かれてましたけど……。」
「うむ。非常に重要で、非常に難解な問題があるのじゃ。故に、君たちの知恵を借りたくて呼んだのじゃよ。」
杖を一振りして紅茶を出すダンブルドア先生に、ソファに座りながら返事を返す。ちなみにパチュリーは杖なし魔法でお茶請けのマカロンを自分の手元に引き寄せ始めた。当然、皿ごとだ。
「でも、ダンブルドア先生とパチュリーがいるなら、私はあんまりお役に立てないと思いますよ?」
私にだってそのくらいの自覚はある。何せこの二人は私の師なのだ。魔法使いとしての教師と、魔女としての師匠。どう考えても私は一歩下がった場所にいるわけだし、この面子に何か助言が出来るとは思えないぞ。
ちょっと情けない気分で言う私に、ダンブルドア先生がクスクス笑いながら声をかけてきた。
「そうかのう? わしには充分に話に参加する資格があると思うのじゃが……わしは間違っておるかね? ノーレッジ。」
「花マルをあげるわ、ダンブルドア。家宝になさい。」
「ほっほっほ。では、額に飾っておくことにしよう。」
二人のやり取りを聞いて、少し恥ずかしくなって体を縮こませる。うーむ、自分じゃよく分からないが、ちょっとはこの二人に近付けているのだろうか? 私に見えているのは果てしなく遠くにある背中だけなのだが。
「それで? さっさと本題に入りなさいよ。ハリー・ポッターに何があったの?」
マカロンを食べつつ急かしてくるパチュリーに、ダンブルドア先生が頷きながら説明を語り出した。
「うむ、そうしようか。……事の発端はバートリ女史からの報告にあるのじゃ。先日、ハリーが悪夢を見たそうなのじゃよ。恐ろしく精緻な悪夢を。」
そのままダンブルドア先生はリーゼ様からの報告について話していく。起きた時に傷痕が痛んだこと、許されざる呪文を使った拷問のこと、出てきた単語のこと、そして壁に描かれたグリンデルバルドの紋章のこと。
「──と、いうことじゃ。……どう思うかね? わしにはわしなりの考察があるのじゃが、先ずは先入観無しの意見を聞かせておくれ。」
言葉を受けて黙考する二人の魔女のうち、先んじて先輩魔女が言葉を放った。その紫の瞳は渦巻く思考によって細められている。
「その前に、レミィにもこの事は話したの? フランスが関わっている以上、彼女なればこそ得られる情報もあるでしょう?」
「無論、話したよ。スカーレット女史の予想では、拷問を受けていたのは行方不明になっているフランスの闇祓いではないかとのことじゃった。現在向こうの魔法省から情報を引き出してもらっておる。後でハリーの記憶とすり合わせる予定じゃ。」
フランスの闇祓いか。確かに向こうの闇祓いたちは灰色の服を好むイメージがあるな。……こういうのもお国柄ってやつなのだろうか? それともそういう規定があるとか? その辺が自由なイギリスの闇祓いが異常なのかもしれないが。
若干思考を逸らしている私を尻目に、ダンブルドア先生の答えを聞いたパチュリーは小さく鼻を鳴らしてから口を開く。
「なら、それを待ちたいんだけど。仮説の基礎となる情報は多い方がいいわ。」
「うーむ……最初から完璧さを求めるのは君の悪い癖じゃな、ノーレッジ。人にはやり直すことが許されているのじゃ。 先ずは思い切って試してみて、後々ゆっくりと修正すればいいのじゃよ。」
「私は人じゃないわ、魔女よ。歪な仮説は嫌いなの。それに、最初が狂えば万事が狂うでしょ? 進めば進むほど、向かう方向は大きくズレていくことになるわ。歩み出しこそが最も重要なのよ。」
「ほっほっほ、わしは『歪な仮説』というのが嫌いではないよ。歪なればこそ、変化が楽しめるのじゃろうて。それに積み重ねたものは固く、強靭じゃ。間違いを自覚し、修正を重ねることで、より強固な仮説になっていくのではないかね?」
「私は今、楽しいか詰まらないかの話をしてるんじゃないの。正解に行き着くための効率的な道筋の話をしているのよ。そっちこそ余計な寄り道をするのは悪い癖ね、ダンブルドア。昔から貴方は無駄なことに拘りすぎてるわ。」
「しかし、一直線に見つめるだけでは決して見えないものがあるのではないかね? あっちをちょこちょこ、こっちをちょこちょこ。それこそが人生の秘訣ではないかのう? 問題の解決もまた然りじゃ。」
「また始まった。そう言って論文に余計なことばっかり書き込むから、私が全部カットしてあげたのを忘れたのかしら? 杖の芯材における魔力の伝導効率の差について書いた論文なのに、なんだってホットケーキの美味しい食べ方の話が出てくるのよ。あれは余計なの。いらないの。無駄な寄り道なの。」
「おお、ノーレッジよ。あれこそが最も分かり易い説明だったのじゃ。ユニコーンの毛を魔力が伝わる様は、ホットケーキにバターが染み込んでいく様に通ずるところがある。それを非常に的確な表現で説明したつもりだったのじゃが……うむ、君に全て『裁断』されてしまったのう。数日間の努力が一瞬で細切れになる光景は、今でもわしのトラウマじゃよ。」
なんか、どんどん話がズレていってるな。殆ど隙間無く喋る二人の間では、もはや『悪夢』の話なんかどっかに行ってしまっている。……賢人二人が話し合うとこんな感じになるのか。放っておいたらどこまでも脱線していきそうだぞ。
何故か楽しそうに議論する二人の軌道を修正すべく、咳払いをして言葉を場に投げた。私の役目は多分これだ。ちゃんと修正さえしてやれば、この二人が協力してたどり着けない真実などあるまい。
「んんっ……えー、とりあえずは現状の情報で話し合いましょう。二人にはもう分かってるんでしょうけど、ハリーは誰かと『繋がった』ってことですよね?」
「……そうね、その可能性が高いと思うわ。」
「うむ、わしもそう思う。」
途端に二人は本題に戻ってくる。ほら、簡単。議論があれば飛び付いてしまうのがこの二人の性なのだろう。……私だって人のことは言えないが、そういうところだけはそっくりな二人だな。
妙なことに感心している私を他所に、パチュリーがティーカップをコツコツ叩きながら口を開いた。何だかんだで話す気になったらしい。
「フランス云々に関してはこの際どうでもいいわ。そこはレミィの管轄だしね。今重要なのは、ハリー・ポッターが視点を共有していた『何か』と、起きた時に傷痕が痛んだという事実よ。……単刀直入に聞くけど、リドルだと思う?」
「わしはそう考えておるよ。君たちも同感じゃろう?」
ダンブルドア先生の問いかけに、パチュリーと二人でコックリ頷く。ハリーに遠見の能力が備わったとかいう素っ頓狂な事態でなければ、リドルと『繋がった』という可能性が一番高いだろう。
あの傷痕に関係しているのは三人。リリー、ハリー、そしてリドルだ。その内リリーは既に亡くなっており、当事者のハリーを除けば残るのはリドルだけ。なんとも安直な消去法だが、現状最も確率が高いのはリドルだろう。
私たちの頷きを見て、ダンブルドア先生もまた頷きながら話し始めた。
「問題は『何故今か』と、『どのようにして』じゃな。聞けば、ハリーはホグワーツに居る間、一度だけ同じような痛みを経験したことがあるそうじゃ。一年生の学期末、トムが賢者の石を盗もうとした正にその日じゃよ。」
「また新情報じゃないの。もう隠してないでしょうね? まだあったらぶっ飛ばすわよ。」
「おお、怖いのう。そんなに睨まないでおくれ、ノーレッジ。わしは君の怒った顔が一番怖いのじゃ。わしの真似妖怪はきっと君じゃな。」
「決めた。ぶっ飛ばすわ。」
ああもう、また脱線だ。立ち上がったパチュリーを背後に待機させておいた人形で座らせながら、話を進めるためにも自分の推論を場に放つ。
「えーっと、当時のリドルはクィレルの頭に取り憑いてたんですよね? そうなると、ある意味では肉体を持っていたことになります。つまり……そう、リドルが『ゴーストもどき』の状態ではなく、肉体を持って存在していたことが影響しているんじゃないでしょうか?」
今のリドルがハリーの視点となった『何か』に取り憑いているとすれば、一応の辻褄は合うはずだ。話しながらも考えを整理していると、私の仮説を聞いたパチュリーが応じるように声を上げた。
「それが一つ目の条件だとすれば、他にも傷痕が痛むのには条件があるはずよ。リドルはその一年間ずっとクィレルと肉体を『共有』してたのに、ハリー・ポッターの傷痕は毎日痛んでいたわけではないのでしょう?」
「わしは『感情』こそがその条件ではないかと考えておるよ。トムの感情が昂まった時、ハリーにもそれが伝わるのではないかのう? 傷痕の痛みとして、じゃ。」
ダンブルドア先生の言葉を受けて、脳内で思考を回し始める。……うん、納得出来る説明に思えるな。何らかの形でハリーとリドルが繋がっているとすれば、片方の感情の爆発が痛みという形で伝わるのはそれほどおかしなことではあるまい。
「となると、残る問題は『どのようにして』ですね。四階の廊下での接触以前に痛んでいるとなれば、その前にハリーとリドルが直接関わったのはあのハロウィンの日だけです。……死の呪文が何らかの副作用を起こしたんでしょうか?」
私の知る中では、死の呪文を受けて生き残ったのはハリーだけだ。厳密に言えばフランや美鈴さんなんかはそもそも『効いていない』のであって、効果を受けた上で生きている例は唯一無二なのである。そして前例が無い以上、考えるのは容易ではなかろう。……まあ、あくまで私にとってはだが。
少なくともパチュリーやダンブルドア先生にとってはそうではないようで、さほど間を置かずにスラスラ議論を続けていく。パチュリーは少し楽しげに、ダンブルドア先生は少し厳しい表情で。
「死の呪文そのものというか、使った状況に問題があったんじゃないかしら。……最初に最悪の考えを想定しましょう。分霊箱を製作する条件は誰かを殺して自分の魂を引き裂くことだったわね。有り得ると思う?」
「わしは大いに有り得ることだと思うよ、ノーレッジ。そもトムは複数回分霊箱を作ったことで魂が歪んでおったのじゃ。酷くボロボロになっていたことじゃろうて。おまけにあの時はトム自身も一度『死んだ』わけじゃからのう。本人の意図せぬ形で引き裂かれたとしてもわしは驚かんよ。」
「奇妙なのは未だ繋がりを保っているところね。……恐らく、本人が意図せぬ形で引き裂かれた所為でしょう。不完全に分かたれたことで、細い糸のような繋がりを保っちゃったんじゃないかしら。」
「一年生のハリーがトムと接触した際、トムの身体はハリーに触れると焼け焦げるかのように崩れていったと聞いておる。トムの魂の断片がハリーに流れると同時に、足りなくなった部分にハリーの何かが流れ込んだのかもしれんのう。……つまり、あの時ハリーに満ちていたもの。リリーの護りの魔法が。」
ちょっとマズいな。私だけ話から取り残されつつあるぞ。どうやら二人はハリーがリドルの意図せぬ形で作られた一種の分霊箱だと考えているようだ。未だ繋がりを保ってしまっている、不完全な状態の分霊箱だと。
うーむ、二人の話を聞く限りではそう有り得なくもないように思えてくるが……そうだとするとかなり厄介なことにならないか? 分霊箱を全て破壊しなければリドルを殺せないのに、リドルを唯一殺せるハリー自身が分霊箱? 滅茶苦茶ではないか、それは。
必死に追いつこうとする私を尻目に、二人の話はどんどん進む。二人とも己の思考に没頭して、もはや私のことなど目に入っていない様子だ。
「……確かにその可能性はあるわね。リドルの内側に残されていたリリー・ポッターの護りが、ハリーに触れることで活性化したのでしょう。だから外側と内側から同時にリドルを蝕んだってとこかしら?」
「さよう。そして恐らく、トム自身も未だハリーとの繋がりには気付いていないのじゃろうて。彼は並外れた開心術師であり、同時に優秀な閉心術師でもあった。気付けば繋がりを閉ざすはずじゃ。」
「あるいは、現状だと一方通行なのかしらね。ハリー・ポッターに残されているのはあくまで魂の欠片。だからこそ繋がりを持つ本体に引き寄せられてしまうのでしょう。感情が昂った時に本体の存在をより強く感じる所為で、ハリー・ポッターの意識を本体の方に繋げちゃうってとこかしら?」
「睡眠時というのも重要なのかもしれんのう。精神が最も弛緩する時なればこそ、容易くトムの魂と繋がってしまうのじゃろう。……ハリーには閉心術を練習させるべきじゃな。細くとも繋がりがある以上、トムの側からもハリーに影響出来るはずじゃ。それは何としてでも防がねばならん。」
ティースプーンで紅茶を掻き回しながら言うダンブルドア先生に、パチュリーが厳しい表情で口を開いた。
「そんなもん些細な問題よ。本当に問題なのは、ハリー・ポッターがトム・リドルの分霊箱である可能性が高いってことでしょう? ……これはかなり厄介な事態よ、ダンブルドア。リドルを殺すにはハリーは死ななければならない。しかし、ハリーが死ねばリドルを殺せない。私たちはこの矛盾を解決しないといけないの。この最高に厄介な矛盾をね。」
パチュリーの言葉を最後に、校長室は沈黙に包まれる。酷すぎる矛盾だ。これまでリドルを守ってきたものが前座に思えるほどじゃないか。忌々しい運命ってやつはどこまでもあの男に味方するらしい。
十三年。その期間でハリーとリドルの魂は深く結びついてしまったはずだ。である以上、狙い澄ましてリドルの魂だけを破壊するってのはあまり現実的ではあるまい。……そもそも、『外側』であるハリーを傷付けずにリドルの魂を破壊可能なのかすら分からんぞ。
あるいは、ハリーを殺した後で蘇らせてリドルと戦ってもらうとか? ……バカバカしい。可不可以前にやりたくないし、いくらなんでも無茶苦茶だ。私たち魔女だって万能の存在ではないのだから。
厳しい表情で黙考する二人の師を前に、アリス・マーガトロイドはかつてない障害が現れたことを認識するのだった。