Game of Vampire   作:のみみず@白月

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The Hanged Man

 

 

「おお、ノーレッジ。随分と待たせてしまったようじゃのう。申し訳なかった。」

 

満月が空に浮かぶ夜。静寂に包まれたホグワーツの校長室で、パチュリー・ノーレッジは旧友と向かい合っていた。遅いぞ、ジジイ。どれだけ待ったと思ってるんだ。

 

今日を一言で表すとすれば……うん、『骨折り損』だな。リーゼの知らせを受けて足を運んだはいいものの、私が到着した時には全てが終わっていたのだ。ハリー・ポッターは無事に生きて戻り、リドルは見事に肉体を取り戻してしまったらしい。だったら呼ぶなよ。小説がいいところだったってのに。

 

まあ、正直言ってそれらの事象には然程興味がない。何せ今は私の動くような状況じゃないのだ。私の仕事は思考することであって、実際に動くのはレミィやリーゼ、アリスや美鈴なんかの仕事なのだから。

 

そんな訳でそのまま帰って胸躍る小説の世界に戻ろうとしたところ、ダンブルドアに呼び止められて校長室で待たされていたのである。……三時間もな! どれだけ忙しいかは知らんが、三時間あれば本が何冊読めると思ってるんだ!

 

怒ってますよと態度で示しながら、ご機嫌取りのマカロンを差し出すダンブルドアへと声を放った。そんなもんじゃ許さんからな。読書の恨みは恐ろしいんだぞ。

 

「……いいわ、とりあえず話してみなさい。これだけ待たせてつまんない話だったらぶっ飛ばすからね。」

 

「ううむ、怒っておるようじゃな。早く来ようとは思っていたのじゃが、今日は色々とやる事があってのう。」

 

「いいからとっとと話しなさい。受け身の準備でもしながらね。」

 

「ほっほっほ、家具は壊さんように頼むよ。……いやなに、君に大事なお願いがあってね。君はこの前会った時に気付いていたじゃろう? わしはもう長くない。二年か、三年。そんなところじゃろうて。わしには最後の旅に向かう時が近付いて来ているのじゃ。」

 

マカロンへと伸ばした手が、知らずその動きを止める。……ふん、その話か。確かに気付いていたさ。上手く隠してはいるようだが、私から見れば一目瞭然だ。

 

別に病気というわけではなかろう。何かの呪いにかけられたわけでもない。老いだ。人間の持つ絶対の運命。生まれた時に定められた寿命によって、ダンブルドアには人としての終わりが近付いて来ているのだ。

 

ほんの一瞬だけ瞑目した後、皮肉げに肩を竦めながら口を開く。いつまで経っても世話の焼けるやつめ。

 

「それじゃ、延命したいってこと? はいはい、別に良いわよ。手段はいくらでもあるわ。薬、魔道具、魔法。選り取り見取りね。一応準備はしておいたし、すぐに始められるから。」

 

だからこの前言ったのに。素直にあの時頼めばよかったんだ。私が適当な候補を挙げようとした瞬間、先んじてダンブルドアが言葉を寄越してきた。その顔には……気に食わない顔だな。私はお前のそういうところが大っ嫌いだぞ。ひどく柔らかな微笑が浮かんでいる。

 

「いや、違うよ、ノーレッジ。君の言葉は本当に、本当にありがたいが……わしは死ぬ。これまでずっと人として生きてきた。故に、人として死ぬのじゃ。それに抗うつもりはない。」

 

「……どういうつもり? 『イギリスの英雄』、アルバス・ダンブルドア。リドルが復活した今、貴方が死ねばこの国はどれほど混乱すると思ってるの?」

 

「無論、分かっておるよ。このまま全てを放り投げて逝くつもりはない。僅かに残った時間で、様々なことについての決着をつけるつもりじゃ。……しかしのう、それには時間が足りんのじゃよ。だからこそ、君にお願いしたいことがある。」

 

「……何?」

 

私の短い返事を受けて、ダンブルドアは真っ直ぐにこちらを見ながら語りかけてきた。……どこか懐かしい表情だ。もう遥か昔、学生の時のダンブルドアの顔が何故か重なって見える。

 

「一年。君の時間を一年わしに譲ってはくれないか? 大魔女パチュリー・ノーレッジの一年。それさえあれば、わしは全てに決着をつけることができるのじゃ。」

 

「……一年でリドルを殺すつもり?」

 

「叶えばそれが最善じゃろう。しかし、それはわしの役目ではない。わしの役目は、その場所までハリーを導くことなのじゃよ。一年はその為の準備に使おうと思っておる。」

 

随分と弱気な発言じゃないか。お前はそんなに弱い人間じゃなかったはずだぞ。無言で鼻を鳴らす私に、ダンブルドアは苦笑しながら話を続けてきた。

 

「つまり、君にこのホグワーツを預けたいのじゃ。君が居る限り、この城はイギリスで……いや、世界の魔法界で最も安全な場所になるじゃろう。トム、死喰い人、そしてゲラートの残党たち。誰にも手は出せまいて。……わしにとって最も大事なこの場所を誰かに任せられれば、わしはその間自由に動けるのじゃよ。」

 

「ちょっと待ちなさいよ。私に校長代理でも任せようっていうの? そんなもん私に務まると思う?」

 

絶対に無理だぞ。やりたくないし、やれるはずもない。私だって自己評価くらいは出来るのだ。そしてダンブルドアもそれは同感だったようで、ちょびっとだけバツが悪そうに返事を返してくる。

 

「正確に言えば、校長代理と防衛術の教師を任せたいのじゃ。……うむ、君の言わんとすることは分かっておる。わしは君が偉大な魔女であることは知っておるが、残念ながら教師に向いているとは微塵も思っておらん。しかし、セブルスとハグリッドが任務でホグワーツを離れ、アラスターは教師を続ける……というか、『始める』ような状況ではなくなってしまってのう。」

 

「三つ椅子が空くってわけ? なら補充すればいいじゃない。毎年やってることだし、もう慣れっこでしょ。」

 

「いかにもその通りなのじゃが……トムが復活した今、来年は今まで以上に城に入れる魔法使いを選びたいのじゃ。魔法薬学にはわしの旧知の、確実に信頼できる者を当てるつもりでおる。飼育学に関しては今年も世話になった方に代理を頼む予定じゃ。しかしながら、防衛術はどうにもなり手が居なくてのう。どうやらウィゼンガモットからも介入の気配があるし、それならいっそ君に兼任してもらおうというわけじゃよ。」

 

「『いっそ』にも程があるわよ、ダンブルドア。想像してみなさい、私の授業を。……言っとくけど、その想像通りの事態になるからね。」

 

私は学ぶ気の無いヤツに優しく教え導いてやったりはしないぞ。私はアリスほど親切ではないし、マクゴナガルほど辛抱強くもないのだ。見所のないヤツはどんどん切り捨てていくからな。

 

ダンブルドアにも『悪夢』の授業風景が想像出来たようで、先程よりも更に苦々しげな顔になって頷いてきた。

 

「分かっておる。……それでも来学期の安全が確約されるのであれば、そう悪い『対価』ではないはずじゃ。生徒たちには少々迷惑をかけることになるがのう。」

 

「好き勝手言ってくれるじゃない。……というか、校長代理の方だって無理だと思うけど。私は司書なの。私が管理出来るのは図書館であって、学校じゃないのよ。」

 

やりたくない。やりたくないぞ、ダンブルドア。絶対に面倒くさいのは目に見えてるじゃないか。私の嫌そうな顔を見て、ダンブルドアは取り成すように追加の説明を寄越してくる。

 

「細やかな業務に関しての心配は不要じゃ。実務の面はミネルバが全て行える。わしが居なくなっても、彼女ならば恙無くこの城を回せるじゃろうて。君に任せたいのはあくまでも城の防衛じゃよ。……わしが何の憂いもなく生徒たちを預けられるのは、この世で唯一君だけなのじゃ。どうかお願いできんかのう?」

 

「……何よそれ。煽てれば受けるとでも思ってるの?」

 

「煽てではない。わしは本気でそう思っているよ、ノーレッジ。……そして、君が文句を言いながら受けてくれるであろうことも知っておる。君の本質は善じゃからのう。魔女という分厚い殻で覆っても、君の中心にあるものは結局変わらなんだ。」

 

こいつめ。卑怯な手を使いやがって。老い先短い老人の頼みってわけか? ジト目で睨みつけてやると、ダンブルドアは困ったように微笑みながら口を開いた。

 

「わしは長く生きた。本当に長いこと生きてしまった。……イギリスの英雄などと皆は言うが、わしにも様々な悔いが残っておる。長い年月、数え切れないほどの負債を抱えてきたのじゃよ。一年自由に動ける時間があれば、どうにかそれを清算出来そうなのじゃ。」

 

『負債』か。誰もが英雄視するこの男にも、後ろ暗い過去は確かに残っているのだろう。ダンブルドアは疲れたような表情で一つ息を吐いた後、顔を上げて肩を竦めながら続きを話す。

 

「それに、分霊箱も見つけねばなるまいて。これまでは君たちに任せっきりじゃったからのう。わしも少しは成果を出さねば、さすがに格好が付かんのじゃよ。……どうかね? ノーレッジ。この哀れな老人の頼み、どうか聞き入れてはくれんかね?」

 

「……あー、もう! 私は貴方が大っ嫌いよ、ダンブルドア。卑怯者の狸ジジイ! 分かったわよ! やるわよ! やればいいんでしょう?」

 

「ほっほっほ、素晴らしい。この瞬間、ホグワーツは不落の城塞となったわけじゃな。これでわしも心置きなく『お出かけ』出来るというものじゃ。」

 

ムカつくやつだ! 昔からずっと、私よりも器用に立ち回りやがって。……ふん、いいさ。このパチュリー・ノーレッジの一年間を餞にくれてやろうじゃないか。私は約束を守る良い魔女なのだ。

 

肯いた以上、何が相手だろうとこの城に手は出させん。防衛にさえ徹すれば、本気の吸血鬼三人娘が攻めて来たって跳ね返せるぞ。拠点防衛は私の魔法と相性抜群なのだ。陽光、流水を駆使すれば不可能ではなかろう。

 

興味本位で使う機会の無さそうなシミュレートをしつつも、安心した様子のダンブルドアへと問いかけを飛ばす。

 

「それで、ハリー・ポッターの内側にあるリドルの魂に関してはどうするつもりなのよ。どれだけ守りが堅かろうが、分霊箱を全部破壊しようが、あれを解決しないとどうにもならないでしょ? ……そりゃまあ、ハリーが人間辞めてもいいなら簡単だけど。」

 

「ううむ、それはよろしくないのう。……先人に倣おうと思っておるのじゃ。トムは復活する際、『敵対者の一部』としてハリーの血をその身に取り込んだらしい。となれば、同時にリリーの魔法もこれまで以上に取り込まれていることじゃろうて。」

 

そりゃそうだ。今までは不確かで細い繋がりだったが、血という媒体を介したのならばより強固な繋がりになっていることだろう。リドルとハリーの中の魂の欠片、ハリーとリドルの中の護りの魔法、それらを結ぶ線は太く、強くなっているはずだ。

 

同意の頷きを放った私を見て、ダンブルドアは説明の続きを話し始めた。……会心の策を思いついたと言わんばかりの、悪戯げな笑みを浮かべながら。

 

「わしの命を以って、あのハロウィンに起こったことを再現するのじゃよ。母が子を想う愛。それに伍する魔法を使えるとは思っておらん。しかし……トムとハリーの両方にリリーの魔法が残っている今なら、わしの命を対価にして近いことを再現できるはずじゃ。もはや長くないわしの命、今こそが使い所じゃろうて。」

 

「……それは難しいわよ、ダンブルドア。確かに不可能ではないわ。でも、条件が多すぎる。揃えられるの?」

 

あのハロウィンの夜、リドルが死の呪文を放ち、命を懸けたリリーの魔法がそれを跳ね返した。結果としてリドルは死に、ハリーは生き残ったわけだ。己が内側にリドルの魂の欠片を残したままで。

 

ダンブルドアがやろうとしているのは微妙に違う。今回も呪文を放つのはリドルで、受けるのはハリー。しかし跳ね返すのはダンブルドアの魔法で、死ぬのはハリーの内側にあるリドルの魂なのだ。

 

筋は通る。ダンブルドアに護りの魔法を使えるかは未知数だが、それ以外に関してはそう間違っていないはずだ。それにまあ……認めるのは癪だが、『愛』については私よりもダンブルドアの方が詳しいだろう。その彼が可能と判断した以上、私はそれを覆す材料を持っていない。

 

しかし、その状況を創り出すのが非常に困難なはずだぞ。リドルがハリーに死の呪文を放ち、ハリーがそれを受け、そしてダンブルドアが近くに居る必要があるのだ。……しかも、ダンブルドアはその後死ぬわけだから、ハリーとリドルが取り残されることになってしまう。

 

難しいな。私の問いかけを受けて、ダンブルドアは真剣な表情で口を開いた。……そのブルーの瞳に、溢れんばかりの意思の力を宿しながら。

 

「いつの日か、トムは必ずハリーを狙ってくるはずじゃ。それも自分の手で殺すことに拘るじゃろう。その機会に全てを懸ける。……アルバス・ダンブルドアの最後の挑戦じゃよ。見届けてくれるかね? ノーレッジ。」

 

『最後の』挑戦か。言い放ったダンブルドアは、一切の悲壮感を感じさせない微笑みを湛えている。……本当にイラつく微笑みだな。どうしてお前はそういう生き方しか出来ないんだ。

 

ごちゃごちゃになった内心を理性の力で抑え付けて、愚かしいまでに献身的な男へ声を放った。

 

「いいでしょう。やってみなさい、ダンブルドア。私が骨の髄まで魔女であるように、貴方はどれだけ深みに行こうと人間のままだったのだから。……きっとそれが貴方に相応しい幕引きなのでしょうね。」

 

そこで一度言葉を切って、少しだけ身を乗り出してから続きを話す。

 

「でも、一度だけ。たった一度だけ反対させてもらうわ。本当に延命する気は無いのね? ……貴方はまだ死ぬべきじゃないのよ、ダンブルドア。貴方を頼る人間は未だ多い。貴方は忘れ去られるほどの過去でもないし、『進歩』に耐え切れないほど弱くもないでしょ? 不条理よ。死ぬべきじゃない理由は腐るほどあるのに、どうして貴方は死に向かうの?」

 

勿体ない。それが私の感想だ。……私は死がそれほど悪いものじゃないことを知っている。単に『突き当たり』のドアを開いて、次に向かうだけなのだから。それはごく当然の行為であり、忌避すべきことではない。

 

しかし同時に、それが急ぐようなことじゃないのも知っているのだ。余程の外法を使わない限りドアは消えたりしないし、ダンブルドアならばその心配は不要だろう。ほんの少しだけドアの前で立ち止まる。それはそんなに悪いことではないはずだぞ。……私のように、座り込んで読書をおっ始めるわけではないのだから。

 

私の純然たる疑問顔を見て、ダンブルドアは少しだけ眩しそうに目を細めるが……ダメか。首を横に振って話し始めた。

 

「それこそがわしの根幹を成すものだからじゃよ、ノーレッジ。生きて、死ぬ。それは非常に簡単で、そして非常に難しい営みなのじゃ。生まれることは容易かろうて。しかし、生きることは難しい。そして生きることに拘り過ぎれば、今度は死ぬことが難しくなってしまう。……バランスじゃよ。それが釣り合う時がわしに訪れた以上、抗うことは正しくないことなのじゃ。わしがそれを崩せば、何処かにしわ寄せがいってしまうからのう。」

 

「そこまでいくと哲学ね。……その説でいくと、私はどうなるのよ? 『バランス』とやらを崩しまくってるわけだけど。」

 

「わしが人間であるように、君は『魔女』なのじゃろう? であれば、人間のわしよりもずっと生の長さがあるのは当然のことじゃろうて。……トムはそこを間違えたのじゃよ。故にこんなことになってしもうた。彼をきちんと導けなかったのは、わしの大きな失敗の一つじゃな。」

 

トム・リドルか。本当に哀れな男だ。あの男はドアの向こうへ行きたくないが為に、自分の身体に釘を打ち付けてまでそこに留まろうとしている。……そんな事をする前にドアの向こうの風景を覗いて見ればよかったのに。

 

怖がりすぎたのだ、リドルは。死をあまりに惨い存在だと信じ込んでしまった。あるいは……ひょっとして、彼にとっては本当に惨いものに見えていたのだろうか? ほんの少し角度が違うだけで、ドアの向こうの景色は一変するのかもしれない。

 

まあ、答えの出ない疑問だ。脳裏に浮かんだ思考にカチャリと鍵をかけてから、ソファに深く沈み込んで口を開く。疲れた。何故だか知らないが、酷く疲れた気分だぞ。

 

「残念よ、ダンブルドア。貴方が居ない魔法界は、少しだけ退屈になりそうだわ。……ほんの少しだけね。」

 

「うむ。それはきっと、わしにとっては望外の言葉なのじゃろうて。……じゃが、心配は無用じゃよ、ノーレッジ。この世界はきっと君を退屈させないはずじゃ。わしがそれを保証しよう。」

 

「……そうだといいけどね。」

 

ああ、本当に嫌な気分になる。お前は本当に分かってるのか? ダンブルドア。私は本来弱い人間なんだぞ。アリスのようにきちんと向き合って前に進めるほど強くはないし、妹様のように在るがままを受け入れるような強さもないのだ。

 

私はきっと引き摺るぞ。絶対に引き摺るはずだ。読書の合間に、研究の途中で、書き物の最中。ふと気を抜いたその瞬間、私はきっと今日のこの会話を思い出すのだろう。……苦々しい後悔と共に。

 

今日は厄日だ。私の長い人生でも、屈指の厄日だな。くたりとソファに寄りかかりながら、パチュリー・ノーレッジは大きくため息を吐くのだった。

 


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