Game of Vampire   作:のみみず@白月

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紅い霧の都

 

 

「ふーん?」

 

今やロンドンの象徴とも言えるようになった時計塔。その鐘楼の縁から深夜の大都市を見下ろしつつ、レミリア・スカーレットは薄っすらと微笑んでいた。煌々と浮かぶ月は見事な満月だし、澄み切った夜空に雨の降る気配はない。うむうむ、人妖に私の力を示すのには丁度良い日ではないか。

 

六月一日の深夜、遂に来るべき戦いの時が訪れたのだ。眼下に広がるテムズ川沿いでは、マグルの警察車両のランプが激しく点滅している。音といい、光といい、何とも騒しい連中だな。騒ぎを鎮めるために騒いでどうするんだよ。

 

つまり、死喰い人どもは初手の標的としてテムズ川に架かる橋々を狙ってきたのである。眼下のウェストミンスター橋、少し遠くに見えるウォータールー橋やヴォクスホール橋、中心街に繋がるロンドン橋とサザーク橋。どれも見事にへし折られてしまった。……これぞ『ロンドン橋落ちた』だな。死喰い人にしては皮肉が効いてるじゃないか。

 

そして、各所からその報せを受けた私たちはこうして作戦開始の準備をしているわけだ。まあ、マグルにとっては迷惑な話だろうが、私としてはちょっとだけ安心している。対処の難しい初手は宮殿かこの時計塔あたりを狙ってくると思っていたのだが……ふん、橋か。分かり易く分断して混乱を広げようというつもりなのだろう。

 

だが、そう易々とはいかんぞ。上層部の度重なる作戦会議、家に帰る時間すら惜しんで空き部屋で雑魚寝をする職員たち、日々の生活の中でもドッグタグを肌身離さぬ魔法戦士や、連携の訓練をする魔法警察と闇祓い。イギリス魔法省は今日という日のために死ぬ気で準備を重ねてきたのだ。

 

壊す者と、護る者。どちらの覚悟が上か試してみようじゃないか。大きく鼻を鳴らしたその瞬間、応えるように私の隣にスクリムジョールが姿あらわししてきた。黄色がかった両目を鋭く光らせ、やる気充分のご様子だ。

 

「スカーレット女史、人員の配置は整いました。いつでも作戦を始められます。」

 

「大変結構。それじゃあ、さっさと狩りを始めましょうか。……ヨーロッパ魔法史に残るであろう大捕物をね。」

 

「かしこまりました。では……ネビュラス(霧よ)!」

 

いつもより多少気合の入った感じでスクリムジョールが杖を振ると、時計塔の周囲に季節外れの濃霧が漂い出す。それに呼応するかのように、ロンドンのあらゆる場所が真っ白な霧に覆われ始めた。

 

音も無く、じわじわと。まるでロンドンの街並みが霧の海に沈んでいくかのように、ビルや街灯の明かりが靄に紛れて薄らいでくる。この街の各所に配置された職員たちが、同時に同じ呪文を使っているのだ。

 

今やこの呪文を使えない魔法使いなどイギリス魔法省には存在すまい。今回は魔法ゲーム・スポーツ部どころか、神秘部の『だんまり』どもまで動員しているのだから。正しく総力戦だな。

 

物凄いスピードで街中に広がっていく霧の所為で、明かりどころか建物そのものの輪郭がぼやけて、眼下の全てが曖昧にしか見えなくなってきた。……うーむ、幻想的だ。霧に覆われるロンドン。なんとも懐かしい景色じゃないか。

 

とはいえ、本番はここからだ。在りし日の霧の都を思い出しながら、今度は私が全力で妖力を霧に巡らせ始める。……ふふん、今宵の霧は一味違うぞ。今日この夜だけは、ロンドンは私の街になるのだから。死喰い人ではなく、魔法省でもなく、この私が支配する街に。

 

私の妖力が混ざった途端、ジワジワと霧がその色を変え始めた。純白から真紅に。まるで感染するかのように、燃え広がるかのように。時計塔を中心として広がっていく紅い霧は、やがてロンドン中を覆い尽くす。

 

いやはや、美しい。この数百年では経験したこともないほどに妖力を失う感覚と同時に、それに勝る充足感が身体中に満ちていくのを感じる。ロンドンの支配者か。悪くないぞ。今日この日、影に潜む人外どもも私の力を認識したはずだ。レミリア・スカーレットの持つ力を。

 

私以外に誰が出来る? 人間どもが蔓延り、幻想が力を失ったこの世界で。人工の光を覆い尽くし、これだけの街を支配するという大業を。……羨め、羨め、バカどもが。これが時代に適応した吸血鬼の力だ。隠れることしか出来ないお前たちは、穴ぐらの奥底から恨めしそうに見ているがいいさ。

 

支配者の優越に浸りながら紅い霧の都を眺めていると、スクリムジョールが杖を下ろして話しかけてきた。この男にしては珍しく、驚いたように目を見開いている。

 

「……作戦の詳細は把握していたつもりですが、実際に見るとやはり違いますな。なんとも壮大な光景です。」

 

「この程度なら簡単よ。私が霧を操ってロンドンの隅々まで行き渡らせるから、マグルが混乱している間に決着を付けて、最後に霧に記憶修正薬を混ぜ込んでお終い。……やっぱり時間が勝負ね。マグル側から余計な首を突っ込まれる前に、さっさと方を付けちゃいましょ。」

 

これが今回の作戦を簡略化した内容だ。紅い霧の一件はマグル界でも話題になるだろうが……まあ、連中が勝手に適当な理由を付けて納得してくれるだろう。空気中の成分がどうだとか、光の反射がどうだとか、そんな訳の分からん理由をつけて。それがマグルというものなのだから。

 

少なくとも、『魔法使いと吸血鬼の仕業だ』などという意味不明な結論にはたどり着かないはずだ。万が一そんなことを言い出すヤツが現れたら、局所的な記憶修正で対処すればいいだけだし。『納得屋』どもを思って皮肉げな笑みを浮かべる私に、スクリムジョールは再び杖を構えながら返事を寄越してきた。

 

「そうですな、なるべく急いだ方が良いでしょう。大規模な姿あらわし妨害術は既に展開済みですので、後はこの『狩場』で敵を炙り出すだけです。……では、私は現場で指揮を執ってきます。」

 

「連絡員は寄越して頂戴ね。霧の中の動きはある程度把握出来るから、怪しい動きがあれば知らせるわ。」

 

「承知いたしました。」

 

言うと、スクリムジョールは白い影となって真っ赤な霧の海へと飛び込んで行く。同時に各所の霧の中で戦いが始まった感覚が妖力を通して伝わってきた。……まあ、負けるというのは有り得まい。敵方の強みは無差別なテロで混乱を起こせるという点だが、この霧と大規模な姿あらわし妨害術でそれは封じたのだから。

 

ならば、後はこの紅い霧の檻の中で的確に処理していけばいい。もちろん重要な施設には人員を配置しているし、マグル側の要人も気付かれぬように護衛している。頑張って戦力を整えてきたリドルには悪いが、ロンドンの盤上はこれにて封殺というわけだ。

 

当然、魔法省にもそれ相応の人員は残してきた。向こうにはアリスもボーンズも居るし、同時に狙われたとしても十二分に対処可能なはずだ。そして、ホグワーツは言わずもがな。リーゼとパチュリーが居るって時点で考慮する必要すらないだろう。

 

しかし、肝心のリドルは何処を選んだのやら。伝わってくる感覚ではそれらしいヤツは居ないみたいだぞ。やっぱりハリーの居るホグワーツを選んだのか? 疑問に思いながら霧の操作に集中していると、鐘楼に飛び込んできた白い影が私の隣に着陸する。……おや、ニンファドーラ・トンクス? 意外な人物を連絡役に当ててきたな。

 

「ごきげんよう、ニンファドーラ。貴女が連絡役なの?」

 

「どうも、スカーレットさん。ニンファドーラじゃなくて、トンクスね。トンクス。名前で呼ぶのはダメなんだってば。」

 

「吸血鬼相手にそういう反応をするのが悪いのよ。……しかし、ただの連絡役に貴重な闇祓いを割いてくるとは思わなかったわ。ムーディがよく許可したわね。」

 

「だって、スカーレットさんが相手だとみんなビビっちゃって会話にならないんだもん。一番経験が浅いからって無理矢理押し付けられちゃったんだ。……私だって戦えるのに。」

 

不満そうに鐘楼の柱を蹴っ飛ばすニンファドーラに苦笑してから、肩を竦めて返事を返す。相変わらず昔のフランを思い出させるような雰囲気だな。感情豊かというか、子供っぽいというか、そんな感じの。

 

「まあ、今日のところは我慢しておきなさい。貴女は誰に対しても物怖じしないし、守護霊の呪文も問題なく使える。連絡役にはもってこいよ。」

 

「その為に覚えたわけじゃないんだけどなぁ、守護霊の呪文は。」

 

正直言って、私が知る限りでは吸魂鬼よりも連絡に使ってる場面の方が多いと思うぞ。今やどっちが本来の使い方なのか分からんような有様だ。……ただまあ、今宵に限ってはそうならないかもしれんが。

 

ロンドンには姿を見せなかった吸魂鬼のことを考え始めたところで、ニンファドーラのすぐ側にシェパードの守護霊が出現した。先程飛び立ったばかりのスクリムジョールからの連絡だ。ほら、やっぱり伝言に使ってるじゃないか。

 

『トンクス、今しがた魔法省にも襲撃があったとの連絡が入った。現在はアトリウムで戦闘中だ。ボーンズ大臣が向こうの指揮を執るので、以降そちらからの連絡にも注意するように。スカーレット女史にも伝えておいてくれ。』

 

「……どうするの? スカーレットさん。」

 

一気に緊張感を戻した表情で問いかけてきたニンファドーラへと、小さく鼻を鳴らしてから返答を送る。なに、想定していた事態が起こっただけだ。慌てる必要はないさ。

 

「どうもしないわ。ボーンズからの救援要請があるまでは、こっちはロンドンの戦局に集中するまでよ。向こうにはアリスも居るわけだし、そうそう崩れはしないでしょ。」

 

「……うん、そうだよね。ボーンズさんも、ロバーズも、シリウスも居るんだもん。きっと大丈夫だよ。」

 

「ま、我らが魔法大臣のお手並み拝見ってところね。信じてこっちに集中しましょ。」

 

ロンドン、ホグワーツ、そして魔法省。これで終わりなのか、はたまたまだ標的が残っているのか。長い夜の戦いがいよいよ本格的に始まるわけだ。……うむ、楽しもう。ゲームってのは一番楽しんだヤツが勝つものなのだから。

 

紅い霧の海に沈むロンドンを見下ろしながら、レミリア・スカーレットは愉快そうに目を細めるのだった。

 

 

─────

 

 

「どうやら『上』の作戦は問題なく始まったようです。……となると、こちらも警戒を強めた方が良さそうですね。」

 

近寄って話しかけてきたアメリアに小さく頷きながら、アリス・マーガトロイドは静かなアトリウムを見渡していた。もし魔法省に襲撃があるとすれば、敵は混乱を強めるためにタイミングを合わせてくるはずだ。つまり、地上の作戦が始まった今この瞬間に。

 

零時を僅かに回った魔法省地下八階のアトリウムでは、『居残り組』の職員や魔法戦士たちが杖を構えて緊張した表情を浮かべている。無論各階にも人員を配置しているが、侵入経路として最も可能性が高いのはやはりこの階なのだ。

 

この建物に繋がる煙突ネットワークは完全に封鎖し、常にかかっている姿あらわし妨害術も重ねがけしてある以上、今の魔法省に侵入するというのは容易くは無いはずだが……まあ、それで安心出来るような相手じゃないか。油断は禁物だぞ、私。

 

無意識にホルダーの杖を撫でながら考えていると、隣のアメリアが険しい表情でポツリと呟く。さすがの彼女も緊張しているようだ。

 

「……あの日を思い出しますね。」

 

「そうね。……でも、あの時とは違うわ。今の私たちは戦う準備をしているでしょう?」

 

だから、今回は同じようにはならない。させるわけにはいかない。遠くに立つ白い慰霊碑を見ながら答えた私に、アメリアはしっかりと頷いてから返事を寄越してくる。

 

「その通りです、二度目はありません。絶対に。」

 

アメリアから決意を感じるその言葉が発せられた瞬間、アトリウムに立ち並ぶ暖炉から一斉に水音が鳴り響いた。反射的にそちらの方へと視線を送ってみると……血? 赤黒い粘性のある液体が、全ての暖炉の奥から勢い良く噴き出しているのが見えてくる。何のつもりだ?

 

黒いエボニーの床に広がっていく赤い液体と、辺りに充満する鉄錆の臭い。杖を構える職員たちが僅かに動揺するが、アメリアの凛とした大声がその空気を塗り替えた。

 

「落ち着きなさい、こんなものは単なるまやかしです! あなたたちは魔法使いでしょうが! こんな子供騙しに揺さ振られる必要はありません! ……和の泉を中心として陣形を組みますよ。お互いに支え合い、守り合うのです。」

 

なんとまあ、頼もしくなっちゃって。血気盛んな弟に引っ張られていた嘗ての彼女は何処へやら。今ではイギリス魔法界の先頭に立って周囲を引っ張っているわけか。うん、立派になったな。

 

臆病な性格だった頃のアメリアを思い出してクスリと微笑んでから、一度深呼吸をして人形を展開する。周りの魔法使いたちも明確な指示を聞いて落ち着きを取り戻したらしい。アメリアの言葉に従って噴水の周囲に集まりながら、再び臨戦態勢で杖を構え始めた。

 

そのまま赤い液体を吐き出す黒レンガの暖炉を注視していると、やがて液体は徐々に勢いを失くし始め、それが雫となって滴り落ちるようになったところで……来たか。けたたましい奇声と共に、全ての暖炉から一斉に大量の亡者が飛び出してくる。ホラーとしてはB級だな。死喰い人に映画製作のセンスは無いようだ。

 

「亡者が来ますよ。火を。」

 

自らも杖を振るアメリアの端的かつ冷静な指示に従って、その場の全員が同じように杖を振ると、暖炉側と和の泉側を分断するように燃え盛る炎の壁が創り出された。死者には火を。魔法界の常識だ。

 

立ち昇る業火が死者と生者を分かつのと同時に、陽炎の向こうから耳障りな悲鳴が聞こえ始める。亡者が炎の中に突っ込んでいるのだろう。……嫌な声だな。やけに甲高い、ガラスを引っ掻いた時のような──

 

「敵の本隊が来ましたよ! 全員呪文を警戒なさい!」

 

私が亡者の悲鳴に顔を顰めたその瞬間、アメリアの指示が再びアトリウム中に響き渡った。その言葉に従って揺らめく炎の奥を注視してみると……死喰い人もご到着か。微かに見える向こう側では、緑の炎と共に黒ローブどもが暖炉から飛び出してきている。どうやったのかは知らないが、強引に煙突ネットワークを繋げたらしい。

 

つまり、亡者は侵入の隙を作るための単なる捨て駒なわけだ。相変わらずの厭らしい戦術に目を細めてから、偵察用の人形を一体炎の奥へと突入させた。……ごめん、後で必ず直すから。

 

人形の視界を通して炎の奥を確認してみると、大量の黒ローブと少数の吸魂鬼の姿が見えてくる。素顔を出している中には見知った顔もちらほら居るな。エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、それに……ベラトリックス・レストレンジ。

 

顔触れを確認した直後に呪文で破壊されてしまった人形から視界を戻しつつ、手の中の杖をギュッと握り締めた。……復讐のために私が杖を振ったら、テッサは怒るだろうか? でも、目の前に仇が居るのに我慢出来るはずなどない。私はそんなに立派な人間ではないのだ。

 

自分の中に燻る昏い感情を自覚しながら、連絡用の守護霊を飛ばしているアメリアへと報告を投げかける。……なるべく無感情な声を装いながら。

 

「ロジエール、ドロホフ、レストレンジ。向こうは中核が勢揃いよ。もしかしたら本命はここなのかも。」

 

「望むところです、受けて立ちましょう。……背中を見せないように泉の後ろまで後退しますよ! 各階からの援軍が既にこの場へと向かっています! 奇を衒わず、訓練通りに動きなさい!」

 

決然とした表情で言い切ったアメリアの声に従って、魔法使いたちが炎の壁を維持しながらジリジリと退がり始めた。飛翔術で各階に侵入されないように、アトリウムに繋がるテラスや窓には防護呪文がかけてあるのだ。こちらの攻撃を捌きながらそれを解呪するというのは容易ではないだろう。

 

だから、アトリウムで止める。それは不可能では無いはずだ。最前列で後退しながら炎の壁を呪文で補強していると、いきなりそこに膨大な魔力が圧力をかけてきた。

 

「アメリア、マズいわよ。陣形を整えた方が良いわ。」

 

「……闇祓い、魔法警察は前に! 吸魂鬼も居ますからね! 守護霊の呪文を使える者を中心に纏まりさない!」

 

きっついな。向こうも合力して対処してきたのか? 突破されるぞ、これは。複雑に杖を振って少しでも時間を稼ぎながら叫ぶと、アメリアは素早い指示で味方の動きを整える。それを背中で感じつつ、最後の抵抗として噴水の水を思いっきり浮かび上がらせて……炎の壁が中央から弾けるように消えた瞬間、勢い良く敵方へと浴びせかけた。

 

多少態勢を崩せれば儲けものだと思ってやってみたのだが、どうやら無駄な足掻きだったようだ。私の放った水流が敵の集団へと到着する前に、前列に立つ黒ローブの中の誰かが引き裂くようにして左右に受け流してしまう。……やるじゃないか。ロジエールか? 飛沫が晴れて露になったその姿に目を凝らしてみれば──

 

「……リドル?」

 

「やはり此処を選んだか、マーガトロイド。」

 

直接目にしたのは何十年振りだろうか。青白い肌に、爬虫類を思わせる歪んだ顔。ひどく変わってしまったトム・リドルを前に硬直する私へと、リドルもまた少しだけ間を空けてから声を放ってきた。敵も、味方も、杖を構えたままで私たちのやり取りを見つめている。

 

「……変わらんな、貴様は。半世紀経っても愚かなままだ。自らの中に流れる血を自覚せず、未だ下らん考えに囚われている。ダンブルドアがのたまうような、あんな妄言に。」

 

「愚かなのは貴方よ。名を変え、姿を変え、その主義さえも変えて。確かなものを何も持たず、死への恐怖だけを抱えて生に縋っている。……哀れね、リドル。私は貴方を哀れむわ。」

 

「死よりも酷なことは何もないぞ、マーガトロイド!」

 

「いいえ、確かに在るわ。少なくとも私には。……それを理解出来ないのが貴方の弱さよ。」

 

冷たい表情で黒いローブを揺らしながら近付いて来るリドルに、私も杖を構えたままでゆっくりと歩み寄る。ジワジワと高まる周囲の緊張を感じつつも、今度は私が問いを送った。ずっと胸の奥に残っていた問いを。

 

「貴方は……本当に後悔してないの? 今の道を選ばなければよかったと、自分は間違ったのかもしれないと。ほんの僅かにでも心に浮かんだことはない?」

 

「俺様は間違ったことなどない。間違ったのは貴様と……ヴェイユの方だ。愚かな選択をして、愚かにも死んでいった。何一つ為さぬままでな。」

 

「やっぱり貴方は何も分かってないわね。テッサは為したわ。貴方よりもずっと偉大で、かけがえのないことを。」

 

「何をしようが、死ねば終わる。何故そんな簡単なことが理解出来ない? いつの日か忘れ去られ、過去の一片となって消えていくだけだ。……だが、俺様は違うぞ、マーガトロイド。偉大なるヴォルデモート卿は永遠の存在となったのだ。あらゆる人間が抱える制約を打ち破ってな!」

 

いつの日かダンブルドア先生が言っていた。リドルは子供なのだと。……その通りだ。大きな力を持った子供。学ぶべきことを学ばぬままで、彼はこんな場所まで来てしまったのだろう。

 

やっぱりもう遅かったのか。怒りでもなく、悲しみでもなく、静かな諦めを心のどこかで感じながら、杖を眼前に立てて背中越しにアメリアへと話しかける。身勝手な我儘なのは自覚しているが、これは私のやるべきことなのだ。

 

「手出しは無用よ、アメリア。悪いけど、これは私の闘いなの。」

 

それを見たリドルもまた、作法通りに杖を立てながら後ろに並ぶ死喰い人たちの方へと指示を送った。

 

「お前たちは絶対に手を出すな。この女は俺様の獲物だ。……その間、他の有象無象と遊んでやれ。」

 

それを聞くや否や死喰い人たちが呪文を放ち、私の後ろの味方たちも応戦し始める。周囲を彩る激しい戦闘の音を感じながら、私とリドルはゆっくりと眼前に掲げた杖を下げて……鏡合わせのように同時に呪文を放った。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

お互いの呪文の閃光が激突するのと同時に、いつもの七体の人形を差し向けるが……リドルのローブの中から出てきた巨大な蛇が攻めかかる人形たちを打ち払い始める。かなり知性を感じる動きだ。ただの蛇じゃないな。

 

それに、リドルの杖が変わっている。嘗て見たイチイの杖ではなく、ひどく歪な形状の真っ白な杖だ。つまり、杖作りを誘拐したのは杖を変えるためだったのか? 拮抗する閃光に魔力を注ぎながら疑問を感じていると、リドルが凄惨な笑みを浮かべて言葉を寄越してきた。

 

「ロンドン、魔法省、ホグワーツ。……それだけだと思っているのか? 俺様がそんな凡百の手を打つとでも?」

 

「……どういう意味かしら?」

 

「下調べはとうに済んでいる。……『紅魔館』、だったか? 貴様やコウモリどもの住処だ。まだ無事ならばいいがな。」

 

それは……ええ? 嘘だろう? 勝ち誇るように言ってきたリドルの言葉を聞いて、思わず場にそぐわぬ呆れ顔が浮かんでしまう。まさかこいつ、紅魔館を攻めようとしているのか? 事もあろうに満月の夜に、枷の無いフランや美鈴さんたちが守っている館を?

 

何を考えてるんだ、リドル。私の表情を見て笑みが薄らいだポンコツ帝王へと、拮抗していた閃光を頭上に逸らしながら口を開いた。

 

「貴方ね……酷い悪手よ、それは。この世界には貴方や私程度じゃどうにもならない存在がいくらでも居るの。その中でも『とびっきり』なのがあの館には居るんだからね。」

 

「強がりを言っている場合か? そんな言葉で俺様が動揺するとでも?」

 

「これは本心からの忠告なん……だけどね!」

 

リドルが飛ばしてきた無言呪文を弾いてから、言葉と共にお返しを撃ち込む。紅魔館か。確かにあの場所はレミリアさんの急所だ。狙いとしては悪くないかもしれないが……うん、やっぱり悪手だな。下調べ不足だぞ。

 

僅かに浮かんできた『紅魔館担当』の死喰い人への同情を振り払いつつ、アリス・マーガトロイドは集中し直して杖を振り上げるのだった。

 


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