Game of Vampire 作:のみみず@白月
「……やあ、九尾狐。不法侵入は犯罪だよ?」
昼下がりの陽光に煌めく湖面に糸を垂らしながら、アンネリーゼ・バートリは背後から近付いてくる気配にそう言い放っていた。全然釣れないし、故に全然楽しくない。どうしろっていうんだよ、こんなもん。
いつも通りに生まれた授業の隙間時間、ハグリッドの小屋にあった釣竿を借りて湖で釣りをしているのだ。何か面白そうな暇潰しはないかと聞いてみたところ、ハーマイオニーからの提案があったので試してみたのだが……うむ、これはダメだな。ちゃぷちゃぷ波打つ水が気になって仕方がないし、退屈すぎて暇潰しの体を成していない。勧めてくれたハーマイオニーには悪いが、釣りは候補から外すべきだろう。
そんなわけでもう帰ろうかと思い始めたタイミングで、背後から覚えのある気配が近寄ってきたというわけだ。八雲藍。香港で会った九尾狐の気配である。今日は纏う妖力を隠すつもりはないらしい。
私の背中越しの挨拶を受けた八雲藍は、くつくつと笑いながら隣に座り込んできた。なんとまあ、独特な服装だな。ちょこっとだけフリルが付いている、漢服のような青白の……なんて呼べばいいんだ? この服。帽子も変だし、幻想郷の流行りがこれだとしたら行きたくなくなってきたぞ。
「まさか不法侵入を吸血鬼に咎められるとはな。心配しなくても人避けの結界は張った。誰にも見つからないさ。……それより、お前は釣りが好きなのか?」
「いいや、物は試しでやってみてるだけだよ。どうも私には向いてないらしくてね。もうやめようと思ってたところだ。」
肩を竦めて言ってやると、八雲藍は苦笑しながら広い袖口を弄り始める。何事かと私が視線を送ったところで……手品のつもりか? 妖術が得意な狐妖怪どのはそこから長い釣竿を取り出した。ハグリッドお手製の木の竿とは違い、金属製のリールが付いているやたら本格的な代物だ。
「私は好きだぞ、釣り。考え事をするのに向いているからな。」
「さっと入れてさっと釣れるなら楽しいかもしれないけどね。こうも待ち時間が長いと退屈だよ。」
「分かってないな、それが釣りの醍醐味なんじゃないか。一生幸福でいたいなら釣りを覚えろとはよく言ったもんだ。」
「アジアの格言か何かかい? イギリス人に言わせてみれば、釣竿ってのは片方に釣り針を、もう片方に間抜けを引っ付けた棒らしいけどね。」
魚が欲しいなら網か杖を使うべきなのだ。単なる糸じゃないし、棒でもない。それが工夫ってもんだろうが。私が大きく鼻を鳴らすと、八雲藍は横にあった餌を勝手に付けながら話題を変えてくる。
「まあ、今日は釣り談義をしに来たわけじゃない。……近いうちに日本を訪れると聞いたものでな。その機会に紫様が直接お前と話したいそうだ。」
「迂遠に過ぎるぞ、それは。キミがホグワーツで平然と釣りをしてるって時点で、八雲紫にとって物理的な距離は関係ないことが証明されてるじゃないか。フランが世話になった時は紅魔館にひょっこり現れたわけだしね。それなのにわざわざ日本で会う必要があるのかい?」
「気分の問題だ。幻想郷に移住するのであれば、『こちら側』の日本も知っておくべきだろう? ……もっと喜べ、バートリ。これは光栄なことなんだぞ。」
「こっちとしては迷惑極まるよ。……そもそもだね、八雲紫が話し合うべき相手はレミィだぞ。紅魔館の責任者は一応あいつなんだから。」
レタス食い虫が付いた針を湖に投げ込んだ八雲藍に指摘してやれば、彼女は竿をリズミカルに揺らしながら返事を寄越してきた。なんだそりゃ。釣りのテクニックか何かか?
「前にも言ったように、紫様のお気に入りはお前の方だ。レミリア・スカーレットじゃない。」
「……人間に対しての価値観が八雲紫と重なっているからかい?」
さすがに同一であるとまでは言わないが、これまでの話を総括するに被っている部分が多々あるのだろう。薄々勘付いていた予想を口に出してみれば、八雲藍はこっくり頷いて肯定してくる。こっちの事情をどんだけ詳しく知ってるんだよ、隙間妖怪は。余程頻繁に覗き見ているらしい。覗き魔め。
「その通りだ。紫様は最近のお前の行動をいたくお楽しみでな。移住計画ついでにそういうことも話し合いたいと言っていた。……当然、受けるだろう? まさか断りはしないよな?」
「いやまあ、隙間妖怪と『人間談義』をするのは別にいいんだけどね、こと移住の件に関してはレミィの方とやってくれたまえよ。私はそういう面倒な仕事が嫌だから裏側に引っ込んだんだ。」
「……いいだろう、それなら移住計画に関しては私とレミリア・スカーレットで詳細を詰めておく。」
「そうしてくれ。最近の私は昔ほど家の経営に情熱を傾けられなくてね。レミィに任せておけば生活には困らないだろうし、後は趣味に生きることにするよ。釣りを試してるのもそのためなんだ。」
レミリアは幻想郷でも自分の権力を確立しようとしているらしいが、私はそれほど興味がない。フランと対等に付き合えるような友達を見つけて、アリスと咲夜……向こうに付いて来てくれるのであればだが。あたりを生活に慣れさせたらもう余生だ。その後は好き勝手やらせてもらうさ。
うーむ、不思議だな。昔はもうちょっと権力欲があった気がするんだが、現在は面倒くささの方が遥かに勝る。政治に勤しむレミリアやゲラートの姿を見ていると、それだけでお腹いっぱいになってしまうのだ。あの苦労をわざわざ背負い込もうとは思えんぞ。
ひょっとすると、私は生来遊び人気質だったのかもしれんな。バートリ家の当主としては褒められたもんじゃないだろうが、今や面倒を見るべき家人はアリスとエマ、それに一応パチュリーと小悪魔だけだ。だったらこんな具合でも誰も文句は言うまい。また数百年生きれば何かやる気になるかもしれないし、それまではのんびり暮らすとしよう。
『好きに生きろ』と言ってくれたのだから、父上もきっと許してくれるはずだ。平穏無事な生活を目指すことに決めた私へと、八雲藍は呆れた表情で声をかけてきた。
「なんとも鬼らしからぬ台詞だな。私としては幻想郷で騒ぎを起こされないのは好都合だが……何と言うか、それでいいのか?」
「この百年は大いに働き、大いに学んだからね。だったら次に行うべきは長い休養なのさ。やりたいことをやりたいだけやる。それが妖怪ってもんだろう? ……さっきから引いてるぞ、八雲藍。」
「おっと、釣れたか。」
私が一時間待ってもヒット無しなのに、何でこいつの竿にはものの数分でかかるんだよ。さっきやってたみたいにヒュンヒュン振らないとダメなのか? リールを巻く八雲藍をジト目で観察していると、彼女は糸の先にある魚影を見て質問を飛ばしてくる。
「何だ? あれは。」
「水魔だよ。調理次第では食えないこともないが、オススメはしないね。少なくとも私は御免だ。」
「……なら、リリースしておこう。」
グリンデローか。タコと人間を足して割ったような水魔を釣り上げた八雲藍は、両手をぶんぶん振り回して威嚇する下等生物を興味深そうに眺めた後、術で浮かせて湖の中央へとぶん投げた。直接触るのは嫌だったようだ。気持ちは分かるぞ。
すると耳障りな悲鳴を上げながら飛んでいった水魔を……ナイスキャッチ。いきなり湖中から伸びてきた巨大な触手が掴み取る。大イカは八雲藍のお陰でお昼のおやつをゲットしたらしい。あの大きさじゃ小腹の足しにもならんだろうが。
「……奇妙な場所だな、ここは。あんなものが居て生徒が危険じゃないのか?」
「昔は私もそういう常識的な疑問を持ててたんだけどね。今じゃ気にも留めなくなっちゃったよ。ホグワーツってのはそういう場所なのさ。」
「まあ、ホグワーツが『ちょっとおかしい』という噂は私も聞いている。こういう意味だとは思わなかったがな。」
ちょっとおかしい? 誰が言ったのかは知らんが、間違った噂を流すのはいただけないな。『かなりおかしい』だろうが。新しい餌を付ける八雲藍を横目に嘆息していると、釣り好きの九尾狐は沈んでいく大イカの触手を見ながら口を開いた。
「とにかく、日本に着いたらちょうど良いタイミングで紫様が『スキマ』を開く。準備だけはしておいてくれ。」
「マホウトコロで合流するってことかい? カンファレンスには各国の要人が集まるし、それなりの警備が敷かれているはずだぞ。」
「マホウトコロか、宿泊先か、それとも単なる街中か。何処だろうが大して変わらん。境界はあらゆる場所に存在するからな。紫様にとって魔法使いの警備など無いのと一緒だ。」
「大層なこったね。便利そうで羨ましいよ。」
『境界』ね。確かにそれが無い場所など存在しないだろう。そも存在することによって非存在との境が生まれてしまうのだから。……さぞ退屈なんだろうな、八雲紫は。サイコロの目を操れてはゲームにならん。そんなもん面白くもなんともないはずだ。
いやはや、やっぱり力を持つにしてもほどほどが一番だな。己の力を持て余して世に関わらなくなっていくのは『反則級』の妖怪の常だ。内心で強大すぎる隙間妖怪に哀れみの念を送りながら、再び竿を振り始めた八雲藍へと質問を放つ。
「思うんだがね、キミの主人はその気になれば人妖の共存なんか一瞬で叶えられるんじゃないか? 幻想郷だけに留まらず、この世界全てをそうすることだって出来るだろうさ。」
「……だとしたらどうだと言うんだ?」
「別にどうもしないよ。わざわざ制限を課している理由は何となく分かるしね。それが八雲紫なりの『ハウスルール』なのであれば、ゲームの参加者たる私にとやかく言う資格はないさ。」
色々と思うところはあるが、私は他人の愉しみに口を出すほど無粋じゃないのだ。軽い口調でそこまで言ってから、皮肉げな笑みで続きを付け足した。……だが、参加するからにはこっちも納得できるルールじゃないと困るぞ。公正なディーラーを気取るのであれば、最後まで演じ抜いてもらわなくては。
「しかしだね、いきなりテーブルをひっくり返して勝ちを宣言するのだけはやめてくれよ? ……ひょっとすると私と八雲紫は同じ色にベットすることになるのかもしれんが、そんな方法で勝っても全然面白くないからね。やらないと決めたなら最後までやらない。それだけは守ってもらおうか。」
私の言葉を受けた八雲藍は、少しの間無表情で湖面を見つめていたかと思えば……やれやれと首を振った後、困ったような苦笑いで返答を寄越してくる。意味を正しく受け取ってくれたようだ。
「なるほどな、紫様がお前を気に入っている理由が少し分かった。あの方が何に重きを置いているのかをよく理解しているようじゃないか。……その心配は無用だ、バートリ。お前の察している通り、紫様はルールを守るだろうからな。あの方を誰より知っている私が保証しよう。」
「ならいいんだけどね。」
端的に答えてから湖の方に向き直ると、またしても八雲藍の竿がしなっている光景が目に入ってきた。何でそんなに釣れるんだ? やっぱり竿の違いか? ハグリッドめ、よく釣れるって言ってたじゃないか。
「妖術でも使ってるんじゃないだろうね? 八雲藍。幾ら何でも釣れすぎだぞ。」
「そんなものは使っていない。単純な技術の差だ。……それと、藍でいい。この国がどうだかは知らないが、日本では相手のことをフルネームで呼ぶことは少ないぞ。八雲と呼ばれるのは未だ畏れ多いしな。」
「んふふ、これは失礼したね。イギリスでもフルネームで呼ぶことはそんなにないんだが、キミの名前は短くて呼び易いんだ。……まあ、良い名前だとは思うよ。八雲紫が付けてくれたのかい?」
「よく分かったな。紫様が私を式にする際に付けてくださった名前だ。」
リールを巻き上げながら誇らしげに首肯してくる藍に、湖面に視線を向けたままで含み笑いを返す。フランと同じく私も日本語は『クソ面倒』な言語だという認識だが、僅かな文字数で複数の意味を持たせられるという部分だけは気に入っているのだ。咲夜の名前に数多くの意味が込められているように、こいつの名前からは八雲紫の意思が透けて見えるぞ。
香港で美鈴に聞いたところによれば、『藍』の文字が表すのはインディゴ。陽が昇る直前の空の色だ。私が気に入る理由は主にそこなのだが……八雲紫は少し違った意味でこの名を付けたのだろう。荀子の逸話くらい私も知ってるさ。
式というか、もしかしたら内弟子のような関係性なのかもしれないな。今度は普通の魚を釣り上げた九尾狐を見ながら考えていると、藍はちょっとだけ驚いたような表情でポツリと呟いた。ちらりと背後に視線をやりながらだ。
「……驚いたな、バレるとは思わなかったぞ。」
「八雲紫の式たるキミが人間をナメてるようじゃまだまだだね。ここはイギリスが誇る魔法の牙城だよ? 城の主も相応の人間なのさ。」
クスクス笑いながら言ってやれば、藍は魚を湖に戻してから私に向かって肩を竦めてくる。九尾狐どのはイギリス魔法界のことを一つ学んだようだ。
「覚えておこう。……では、面倒なことになる前に私は帰る。私が同席するかは不明だが、日本で迎えがあるというのだけは覚えておいてくれ。」
「はいはい、了解だ。」
突如開いた『スキマ』へと竿を片手に消えて行く藍に手を振ってから、未だ微動だにしない私の竿を忌々しい気分で睨んでいると……背後から芝生を踏みしめる音と共に、聞き慣れた深い声が聞こえてきた。
「これは、お邪魔してしまいましたかな? だとすれば申し訳ない。」
「なぁに、もう用は済んでたさ。そもそも不法侵入してたのはあっちだしね。」
私の隣に歩み寄りながら開口一番謝ってきたのは、言わずと知れたホグワーツの校長閣下だ。藍の人払いはこいつには効果がなかったらしい。何かの違和感を感じ取って様子を見にきたのだろう。
ダンブルドアは私の返答を聞くと、広い湖を見渡しながら問いを送ってくる。
「ならば良いのですが……ううむ、残念ですな。是非とも不思議な魔法についての話を聞いてみたかった。『そちら側』のお知り合いですか?」
「ま、そんなところだよ。私たちの移住先の管理人みたいなもんさ。……そういえば、ダンブルドア。キミもマホウトコロのカンファレンスには出席するんだろう?」
「無論、出席しますとも。その場で精一杯のジョークを取り入れた『遺言』を遺す予定です。笑いが取れるといいのですが。」
「いつも通りで結構なことだが、あっちの校長と知り合いってのは本当なのかい? ゲラートがそんなようなことを言ってたんだ。」
ふと思い出した話を振ってみれば、ダンブルドアは何かを懐かしむような表情で返事を寄越してきた。
「知り合いというか、遠い昔に共同研究をした仲でして。連絡は年に一度ほどのペースで取り合っておりますが、最後に直接会ったのは……ふむ、もう二十年近く前になるかもしれません。」
「となると、第一次戦争の中期か。あの頃のキミはイギリスを離れる余裕なんて無かったし、相手がこっちに来たってことかい?」
「ええ、ホグワーツ特急の改修を手伝ってもらったのですよ。その際ノーレッジとも顔を合わせていたはずです。」
「パチェと?」
ホグワーツ特急の改修ってことは、フランが卒業した年にイギリスに来ていたことになる。厳密には十八年前か。確かにあの時はパチュリーも作業に参加したはずだ。嫌々だったようだが。
「ノーレッジの魔法に随分と感心していましたから、向こうは彼女のことを覚えているかもしれません。……ノーレッジの方は忘れているでしょうが。」
「だろうね。あの紫しめじが一度会っただけの人間を覚えてるわけないよ。」
断言しながら竿を上げて、糸を巻き付けて片付けに入ってみると……おい、餌どころか針まで消えてるじゃないか。水魔かなんかに千切られちゃったらしい。我ながら間抜けすぎるな。気付かぬうちに太公望の真似事をしてたってわけだ。
「ほっほっほ、風情がありますな。もうやめてしまうのですか?」
ダンブルドアも針のない糸に気付いたようだが、さすがに自覚なしのアホだとは思わなかったらしい。ならばセーフだ。バレないように尤もらしく頷きつつ、適当な返答を飛ばす。
「ホグワーツの湖でやってても、釣れるのは変なのばっかりだしね。もうやめるよ。次は渭水でやるさ。」
一時間ちょっとの釣果は九尾狐一匹と自己犠牲ジジイ一人か。やっぱり私に釣りは向いてないみたいだな。……よし、今度はもっと良い竿を用意して再チャレンジしてみよう。幾ら何でもこの有様では引き下がれんぞ。せめて一匹くらいは釣らなくては。
苦笑するダンブルドアを横目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはパチュリーに釣りの本を送ってもらおうと決意するのだった。