Game of Vampire 作:のみみず@白月
「やっぱり凄いよ! さっすがダンブルドア先生だね!」
列車の中でテッサのはしゃいだ声を聞きながら、アリス・マーガトロイドは答え難い話題に苦笑していた。
テッサの持っている新聞の一面には、ダンブルドア先生と捕らえられたグリンデルバルドの写真がデカデカと載っている。見出しには『イギリスの英雄、史上最悪の魔法使いを破る』、と大きな文字で書かれていた。
別にダンブルドア先生が勝利したことが嬉しくないわけではないのだ。私だってあの先生には恩義を感じているし、グリンデルバルドに勝ったと聞いてホッとしている。
私が苦笑しているのは、この闘いがリーゼ様とスカーレットさんの『ゲーム』であることを知っているからだ。
ムーンホールドの夕食の席で、その事をさらりと聞かされた時にはとても驚いた。……というか引いた。まさかリーゼ様とグリンデルバルドに繋がりがあるなんて思わなかったし、スカーレットさんだって本気で彼と戦っていると思っていたのだ。
おまけにアメリカで脱獄させたのはパチュリーらしいし、この決闘にもリーゼ様たちが大きく関わっているらしい。予想以上の悪行の数々に、さすがの私も顔を引きつらせたくらいだ。
反面、私がリーゼ様たちと同じ場所を選んだから聞かせてくれたのだと思うと、ちょっと嬉しい気になったのも事実だ。まあ、少し想像以上の世界だったが。
とにかく、この記事の裏側を知っている私にとっては、素直に喜べる記事じゃないというわけである。事実を知っていると、なんだか二人が可哀想に見えてくるのだ。
「いやー、パパもホッとしてたよ。各地で反攻作戦が起きてるんだってさ。ようやく避難所から出れるって手紙で喜んでたよ。」
もちろんテッサに事実を伝えるわけにはいかない。隠し事は心が痛むが、幾ら何でも事が大きすぎる。ごめんね、テッサ。
複雑な内心を隠して、喜んでいるテッサに笑顔で返事をする。
「よかったわね。フランスには一旦帰るんでしょう?」
「うん。この旅行が終わったら、顔だけ出そうと思ってるんだ。きちんと就職先のことも伝えたいしね。」
テッサはホグワーツの教師になれることが正式に決まった。来学期からは見習い教師として、ホグワーツで生活することになるらしい。
そのお祝いも兼ねて、二人で卒業旅行にやって来たというわけだ。魔法界と同じようにマグルの世界でも大戦があったらしく、行き先を探すのには苦労したが……苦労の甲斐あってなかなかいい場所を見つけることができた。
列車が速度を落とし始めると、イギリスでは考えられないような景色が見えてくる。テッサも窓に張り付きながら、大口を開けて呟いた。
「おお……着いたよアリス。すっごいねえ。」
「そうね、イギリスとは全然雰囲気が違うみたいね……。」
目の前には巨大なビルが立ち並び、隙間を縫うように小さな店が軒を連ねる、なんとも混沌とした風景が広がっていた。この場所こそが、悪名高き香港特別魔法自治区である。
かつてイギリス魔法省が自国の植民地に起こしたこの街は、東方、ロシア、インド、南方、果ては新大陸の魔法使いたちをも巻き込む形で、凄まじい勢いで成長していった。
結果として今はイギリスから独立し、魔法界では一つの国家に近い影響力を持っている。ありとあらゆる魔法界の文化がちゃんぽんになった、混沌とした不夜の都市。それが香港特別魔法自治区なのだ。
列車から降りて駅を離れ、出店の間を縫って歩き出す。呼び込みやら話し声やらで耳に届く音が忙しない。
「うわぁ、見てよアリス、空飛ぶ絨毯がたくさん売ってるよ。」
「こっちには呪符が売ってるわ。大陸のかしら? それとも日本?」
売り物に統一性がなさすぎる。狼やらヤギやらの生首を売っている店の隣に、かわいらしい看板のペットショップがある始末だ。それにあれは……鬼のパンツ? あんなもん誰が買うのやら。
しばらく忙しなく視線を動かしながら歩いていると、テッサが空を見上げながらいきなり立ち止まった。
「大燕だ! マホウトコロじゃあれに乗って学校に行くんだよ。でっかいねえ。」
「本当ね……。こうして見てみると、本当に魔法界というのは地域差があるのが分かるわ。」
空を飛ぶ巨大な燕は、背中に人を乗せているようだ。イギリスじゃ想像もできない光景である。人間を一息に呑み込めそうな大きさだ。
しばらく大燕を二人で見上げていたが、やがて立ち直ったテッサが首を振りながら話しかけてくる。
「あーもう、目移りしちゃって進めないよ。先にホテルに荷物を置きにいかない? 本腰入れないと絶対回りきれないって。」
「その方が良さそうね。えーっと……あっちかしら? いや、違うわね。駅がこっちだから……。」
ホテルの場所を示した地図を見るが……全然分からない。あまりにも店が多すぎるせいで、遠くまで見渡せないのだ。
「ちょっと待ってね、方角だけでも……
テッサが元気よく指し示した方向には店が立ち並んでおり、どう見ても通れそうもなかった。微妙な沈黙が二人を包んだ後、彼女は頭を掻きながら半笑いで口を開く。
「迂回しないとダメそうだね。」
「じっとしてても始まらないわ。とりあえず向こうに抜けられる道を探しましょう。」
どうやらホテルにたどり着くのにも苦労しそうだ。まあ、それも旅の醍醐味なのかもしれない。人混みを掻き分けながら、不思議な品々への誘惑になんとか耐えて、テッサと二人で歩き出した。
「あれぇ……こっちも行き止まりだよ。」
「何で道路のど真ん中に壁があるのよ……。」
結果として私たちは迷った。いや、別に私やテッサが方向音痴だというわけではないのだ。この街があまりにも不親切なのが悪いのだ。
直線の道など全くないし、店々はどうやら道路を侵食してその数を増やしているらしく、道の先が店で塞がれているのはここでは当然の風景らしい。
この壁もどうせなにかの店で、逆側に入り口があるのだろう。何にせよ、ここは通れないということで間違いあるまい。
「ってことは、さっきの分かれ道に戻らないとダメだね。迷路みたいな街だなぁ……。」
「駅で案内人が客引きをしてたのはこういう訳なのね。雇っておけばよかったかしら?」
「時既に、ってやつだよ。とにかく戻ろう。」
テッサの言葉に従い、二人でトボトボと来た道を戻っていると、ビルの隙間から何やら声が聞こえてきた。
「はぁ……何度言ったら分かるのかしら? 知らないのよ、私は。」
「嘘をつくんじゃねえ! お前が盗ったんじゃないなら、誰が盗ったって言うんだ!」
「貴方のような貧乏臭い人から財布を盗るほど、私は困窮してはいませんの。ほら、分かったらさっさと消えてくれないかしら?」
「てめぇ、女だからっていい気になるんじゃねえぞ!」
怒鳴る男性と冷たい女性の声だ。どうやらトラブルらしいが、ちょっと物騒だ。脳裏に七年前の光景が蘇る……止めに行こう。今の私はあの時とは違うのだ。
隣を見れば、テッサは既に杖を抜いている。二人で頷き合って、声の方向へと駆け出した。
「あらまあ、物騒な物を持ってるのね。ちゃんと使えるの? 手が震えてるみたいだけど。」
「ふざけやがって! 後悔するなよ!」
ビルの隙間の角を曲がり、ようやく声の主たちが目に入るが……男が女性に向かって銃を構えている! 咄嗟に杖を振り上げて、武装解除の呪文を放った。
「
「
隣のテッサは失神呪文を選択したようだ。二つの閃光が男を撃ち抜き、吹っ飛んだ後にピクリとも動かなくなった。男の手から離れた銃がカラカラと地面に転がったところで、女性がゆっくりとこちらに振り向く。
「あら、かわいい正義の味方さんたちね。」
そう言って優雅な所作でこちらに近付いてくる女性は、何というか……凄い美人だ。穢れを知らぬ少女のようにも見えるし、妖艶な大人の女性にも見える。不思議な感じの人だった。
私とテッサの近くまで来ると、その長い金髪をさらりと揺らして、綺麗な所作で一礼してくる。
「ありがとう、かわいい魔女さんたち。お陰で助かったわ。」
「えっと、どういたしまして。無事なようで何よりです。」
見惚れて大口を開けているテッサの代わりに返事をすると、彼女はくすくす笑いながら経緯を説明してくれた。
「あの方が財布を失くしてしまったようで、ちょっとした勘違いから絡まれてしまったの。とっても怖かったわ。」
言葉とは裏腹に、全然怖くなさそうな様子で彼女が言う。なんかちょっと胡散臭いな。というか……この気配、リーゼ様や、たまに屋敷に遊びに来る美鈴さんに似ているような気がする。
物凄く小さな違和感程度だが、吸血鬼の屋敷で暮らしているのは伊達ではないのだ。自分の感覚を信じて、少しだけ警戒心を持って話しかける。
「それは災難でしたね。ここはちょっと危ないかもしれないので、表通りまで付き合いますよ。」
「ふふ、優しいのね。それじゃあ、お願いしようかしら。」
テッサの手を引いて女性と一緒に歩き出す。いつまで放心しているんだ。お尻を抓ってやると、妙な声を上げてこちらを睨んできた。
それを適当に流しながら歩いていると、歩きながら女性が声をかけてくる。しかし、歩く動作まで無駄に優雅だ。結構なご令嬢なのかもしれない。
「お二人はこっちの人じゃないのよね? 綺麗な発音の英語だし、イギリスの方かしら?」
「そうです! 卒業旅行で観光に来たんですけど、ホテルを探して迷っちゃって。」
「それも仕方ないかもしれないわね。此処はちょっと……複雑な街だから。」
テッサに答える女性の声に、ちょっとどころじゃないと心の中でツッコミを入れる。世界で一番複雑な街と言ってもいいくらいだ。
「それなら私が案内しましょうか? 此処にはよく買い物に来るの。これでも結構詳しいのよ?」
パチリとウィンクしながら言う女性に、どうやって断ろうかと言葉を探す。人間なのか人外なのかは分からないが、疑わしきは人外だ。少なくともパチュリーはそう言っていた。
「それはとっても助かります! お願いできますか?」
だが、私が言い淀む間にテッサが了承の返事を返してしまう。残念ながらこれを覆すのは不自然すぎるだろう。厄介なことにならなければいいが。
「ええ、任せて頂戴。何てホテルかしら?」
テッサがホテルのことを説明している間に、横から女性を観察する。畳まれた日傘に、紫色のワンピース。服装にも違和感はないし、一見すると人間なのだが……やっぱりほんの少しだけ人外の気配を感じる。悪魔か、妖怪か。何にせよ、悪い存在でなければいいのだが。
ポケットに手を入れて、パチュリーから持たされた護身用の魔道具があることをそっと確かめる。『物凄いヤツだからなるべく使わないように』と言われている魔道具だが、人外相手ならパチュリーも文句は言うまい。
有事にはすぐに使えるように手の袖口に仕込んで、説明が終わったらしいテッサに促されて歩き出す。
「いやー、お陰でようやくホテルにたどり着けそうです。ありがとうございます、えーっと……。」
「紫よ、八雲紫。八雲が苗字で、紫が名前ね。」
「八雲さん、ですね! 私はテッサ・ヴェイユです。それでこっちがアリス・マーガトロイド。」
テッサが自己紹介をしてしまう。名前を握られたらヤバいタイプだったらどうしよう。……ええい、なるようになれだ。
「アリスです。よろしくお願いしますね、八雲さん。」
「よろしくね、二人とも。それで……卒業旅行ってことは、ホグワーツの卒業生なの?」
「その通りです。イギリスの学校のことなんて、よくご存知ですね。」
「こっちでも最近話題になってるのよ。とっても凄い方が先生をしている学校らしいわね。」
ダンブルドア先生のことはこちらでも知られているようだ。まあ、グリンデルバルドのやったことを思えば当然なのかもしれない。
テッサはダンブルドア先生のことを知っているのが嬉しいらしく、元気な様子で答えを返す。
「ダンブルドア先生のことですか? 私たちもその人に教わったんですよ!」
「そう、その人。そんな先生に教われるなんて、素晴らしい学生生活だったのね。」
「はい、とーっても充実した学生生活でした! ……八雲さんはもしかして、マホウトコロの卒業生さんなんですか?」
「んー、残念ながら違うわ。私は魔法使いじゃないのよ。家族に似たようなのはいるんだけどね。」
テッサの質問に、八雲さんは苦笑しながら答える。似たようなの? まさかパチュリーみたいな存在じゃないだろうな?
こちらの疑念を他所に、八雲さんは目をキラキラと輝かせつつも、ダンブルドア先生とグリンデルバルドのことについて聞いてきた。
「それより、例の戦いについて詳しく聞きたいわ。こっちじゃ断片的な情報しか手に入らないのよ。」
「もちろん構いませんよ。そうですね……まずグリンデルバルドという魔法使いがヨーロッパに現れて──」
ヨーロッパ魔法界の大戦について思い出しながら言葉を紡ぐ。勿論、リーゼ様たちのことは話さないように気をつけないといけない。
その後も八雲さんの質問に私たちが答えるという形での会話は、ホテルに到着するまで続いたのだった。
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「あー、びっくりした。」
思わず口に出してしまいながら、八雲紫は自身の作り出したスキマから我が家の自室へと足を踏み入れた。
私は昔から冬の間中を眠って過ごすのだが、その際に夢と現の境界を操って、世界中の様々な場所を覗き見ているのだ。
そんな私の最近のお気に入りが、イギリスに住むかわいい吸血鬼たちなのである。ここ数年は、彼女たちの生活を覗き見るのが冬の楽しみとなっている。
そして今日、その吸血鬼と一緒に住んでいる人間の女の子と偶然にも出逢ってしまったのだ。いやはや、路地裏で顔を見たときにはびっくりした。
「らーん! かわいいゆかりんが帰ってきたわよー!」
頼れる式神を呼びつつ居間へと歩き出す。しかし、まさか覗いてるのに気付かれてはいないだろうな? アリスちゃんはなんか警戒してたみたいだし、ちょっと心配だ。
「藍? いないのー?」
「はいはい、今行きます、紫様。」
台所の方から返事が聞こえてきた。夕食の仕込みをしていたらしい。戸棚から煎餅を取り出して、座布団に座りながらそれを頬張る。
「御用ですか? ……間食をすると太りますよ。」
「いーんですー。今日はいっぱい歩いたんだもん。それより聞いてよ! 今日、リーゼちゃんのとこにいる人間に会ったのよ!」
「りーぜちゃん? ああ、紫様が最近覗き行為をしている吸血鬼ですか。」
「ちょっと! 人聞きの悪い言い方をしないで頂戴!」
私はただ、ちょっとだけ観察しているだけだ。許可を取っていないだけで、何にも悪いことはしていない。
興味なさそうな様子の藍だったが、ふと呆れた顔で話しかけてきた。
「まさかイギリスまで行ったんですか?」
「友達と香港の魔法街に来てたのよ。なんでも、卒業旅行で来たんだって。それで偶然にも暴漢から襲われそうになってる私を見つけて、助けに来てくれたってわけ。」
「それはそれは、その子は暴漢とやらの命を救ったようですね。」
「ちょっとは主人の心配をしたらどうなの? ゆかりんとっても怖かったのよ?」
そう言うと、藍が馬鹿を見る目で見てくる。失敬な。花も恥じらう乙女だぞ、私は。
やれやれと首を振っていた藍だったが、台拭きでちゃぶ台を拭きながら口を開く。最近の彼女はこういう所帯じみた動作が随分似合うようになってしまった。昔は結構尖がっていたのだけど……。
「まあ、それはともかくとして、すごい偶然ですね。世の中は案外狭いということでしょうか。」
「ちょっと興奮しちゃったわ。映画の登場人物に会ったみたいな感覚ね。」
人間と積極的に関わろうとするあの吸血鬼たちは見ていて楽しいのだ。『ゲーム』とやらにも随分と楽しませてもらった。今日は当人たちに近い視点から話を聞けたし、大満足である。
「まあ、それは何よりですが……頼んでいたお買い物はどうなりましたか?」
「あっ……。」
忘れてた。そういえば買い物に行ったのだった。最近運動不足だから私が行くわ、と高らかに宣言したのを思い出す。
「忘れたんですね? はぁ……まあ、仕方がないでしょう。紫様もいい歳ですからね。」
「ちょっ、ボケてないから! まだぴっちぴちの私はボケてないから!」
藍が呆れたように肩を竦めながら台所へ戻っていった。どうしよう、夕食からおかずが減ってしまうかもしれない。
ちゃぶ台に突っ伏して落ち込みながらも考える。……ふむ、あの吸血鬼たちを何とかしてここに招けないだろうか?
人間とあれほど深く関わっているあの子たちならば、この場所の人外たちの考えに変化をもたらしてくれるかもしれない。
ゆっくりとスキマを開き、愛しい幻想郷の風景を眺めつつ、八雲紫は薄く微笑む。今日の私は冴えているではないか。その脳内では思いついた素晴らしい考えが、既に計画として完成しつつあった。