Game of Vampire   作:のみみず@白月

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戦いの前に

 

 

「だって、集中できるわけないもの。勉強なんかやってる場合じゃないわ!」

 

これはまた、ミス・勉強から発せられた台詞とは思えないような内容だな。教科書をカバンの中にぶん投げたハーマイオニーを尻目に、ソファに座るアンネリーゼ・バートリは杖磨きクリームの蓋を開けていた。

 

十月も終わりが近付いてきた午前中の談話室で、ハリーと一緒に杖のメンテナンスをしていたところ、授業に行ったはずのハーマイオニーとロンが戻ってきたのだ。ダンブルドアの計らいでハリーは授業免除になっているのだが、どうやら今日は二人も『自主休講』することに決めたらしい。

 

「あー……無理しなくて大丈夫だよ? 僕のことは気にしないで授業に──」

 

「そんなの無理に決まってるでしょう? 友達が戦いに行くのよ? それに比べたら……ええそうよ、イモリ試験なんかクソ食らえだわ!」

 

「勘弁してくれ、ハーマイオニー。当日に雨が降ったらどうするつもりなんだい?」

 

苦笑しながら言った私へと、今度は忙しなく膝を揺すっているロンが口を開く。奇妙な状況だな。ハリーは随分と落ち着いているというのに、残る二人の方が慌てているじゃないか。

 

「そうだよ、雨! 雨が降ったらどうするつもりなんだ? リーゼが動けないと大変だろ?」

 

「心配ないよ、パチェが同行する予定だからね。今世紀最大の豪雨だとしてもどうにかなるだろうさ。」

 

「だけど、晴れてるに越したことはないだろ? オーストリアの天気予報ってどっかに載ってないのかな? ……そうだ、新聞! 僕、新聞を取ってくるよ!」

 

予言者新聞にそんなピンポイントな情報が載ってるわけないだろうが。止める間も無く新聞を探しに行ったロンを見送ったところで、ハーマイオニーも急に立ち上がって声を放ってきた。

 

「じゃあ私は……そう、呪文集を取ってくるわ! 何か役立つ呪文が見つかるかも!」

 

「昨日も、一昨日も、その前もそう言って調べてたじゃないか。もう大丈夫だよ。習得すべき呪文は習得し終えたさ。」

 

「でも、見落としがあるかもしれないじゃない。ちょっと待っててね、部屋にあるから。昨日も寝る前に読んでたの。」

 

うーむ、説得失敗だ。居ても立ってもいられないという雰囲気のハーマイオニーは、小走りで女子寮への階段を上って行く。その姿を横目に肩を竦めたところで、杖の柄を磨いているハリーに話しかけた。

 

「……キミは大丈夫なのかい? あと数日で決戦の日になるわけだが。」

 

「うん、不思議と落ち着いてるんだ。怖くもないし、不安でもないよ。ロンとハーマイオニーが慌ててるから逆に冷静になれたのかも。」

 

「んふふ、そこはあの二人に感謝すべきかもね。……ダンブルドアの策に関してはどうなんだい?」

 

手を動かしながら何気ない風を装って問いかけてみると、ハリーは困ったような笑みで返事を返してくる。ふむ、予想外の表情だな。強気に反対してくるか、落ち込んで受け入れるかだと思っていたんだが。

 

「正直なところ、未だに分からないんだ。自分がどうすればいいのか、何を望んでいるのかが。……ダンブルドア先生には死んで欲しくないし、僕だって当然死にたいわけじゃない。パパやママが救ってくれた命を無駄にしたくはないけど、イギリス中の魔法使いを落ち込ませたくもない。……我儘な答えだよね。我ながら情けないよ。」

 

「そして当然の答えでもあるね。そもそもそんな選択を迫られているのが理不尽なことなのさ。……ただまあ、私は決めたよ。」

 

「決めた?」

 

「キミがダンブルドアを出し抜いて犠牲になろうとするのであれば、私はそれを出し抜いてキミが死ぬ前にリドルを殺すさ。……どうだい? こういうのを『我儘』って言うんだよ。これに比べればキミのなんか可愛いもんだろう?」

 

まだまだ我儘に慣れてないな、ポッター君。そこだけはダドリーちゃんを見習うべきだぞ。クスクス笑いながら言ってやれば、ハリーはポカンとした顔で私の選択の問題点を指摘してきた。

 

「だけど、それだとヴォルデモートは復活しちゃうよ?」

 

「身悶えするほど忌々しい事態だし、私としても苦渋の決断だが、それでもキミが死ぬよりはマシなのさ。これまでの全ての苦労を無に帰す行為なのも承知の上だ。レミィあたりは本気で怒るかもしれないね。……それでも私はやるぞ。そのことだけは覚えておきたまえ。」

 

冗談でも脅しでもなく、本気だ。どれだけの人間の苦労を蔑ろにすることになろうとも、ハリーが死ぬくらいならその前に全てをぶち壊してやる。ゲラートと違って私の天秤は正確無比に物事を量ったりはしない。身内の命は他の全てよりも重いのだから。

 

私のどこまでも自分勝手な宣言を聞いて、ハリーは頭を抱えて大きくため息を吐いてしまった。

 

「……ズルいよ、リーゼ。そんなこと言われたらどうしようもないじゃないか。」

 

「恨んでくれても結構だが、考えを翻すつもりはないよ。私は夏休みにハーマイオニーと約束したんだ。キミを無事にホグワーツに帰すってね。である以上、キミが死ぬってのは呑めない提案なのさ。」

 

「つまり、僕には選択の余地がないってこと?」

 

「ダンブルドアとリドルが死ぬか、それとも本当の意味では誰も死なないか。その二択だよ。選択肢の内容が変わっただけさ。好きな方を選びたまえ。」

 

うむうむ、これでかなりマシな選択肢になったぞ。いざとなったらアリスとフランには土下座してでも謝ろう。レミリアには……まあうん、あいつにもきちんと謝らないとな。二十年分の苦労が水泡に帰すことになっちゃうわけだし。

 

磨き終えた杖をチェックしながら言ったところで、ハーマイオニーとロンが二人一緒に戻ってくる。やけにタイミングが良いし、ひょっとしたら話の切れ目を狙ってくれたのかもしれない。

 

「残念だけど、オーストリアの天気は載ってないみたいだ。……でも、イギリスは全体的に晴れだよ。だからオーストリアも晴れるんじゃないかな。」

 

「ロン、意味不明よ。」

 

「……さすがに分かってるさ。言ってみただけだよ。」

 

早速呪文集を捲り始めたハーマイオニーの突っ込みにジト目を返したロンは、ソファに座ってハリーと正対してから新たな話題の口火を切った。今度は真剣な表情でだ。

 

「ハリー、その……君に言っておきたいことがあるんだ。照れ臭いから一度しか言わないし、残りの時間は自然に過ごしたいから蒸し返したりもしない。聞いてくれるか?」

 

「……聞くよ。」

 

おっと、真面目な話っぽいな。席を外そうかと目線で問いかけた私に小さく首を振った後、ロンは真っ直ぐにハリーの目を見つめながら語り出す。

 

「気付いてないみたいだけどさ、僕は君のことを誰より尊敬してるんだ。……言っとくけど、『生き残った男の子』だからじゃないぞ。最初はそうだったけど、今は違う。四階の廊下でも、禁じられた森でも、天文台でも、そして例の墓場でも。普通なら怯えて太刀打ち出来ないような相手に対して、君が常に勇敢に立ち向かったことを知ってるからだ。そして、その為に必死に努力してる姿を一番近くで見てたからだ。」

 

『尊敬』ね。意外な単語に僅かな驚きを浮かべる私とハーマイオニーを気にすることなく、ロンは組んだ指を強く締めながら話を続ける。

 

「昔の僕は君みたいになりたいって思ってた。特別なものを背負ってて、それなのにどんな時でも折れない君みたいに。……でも、今は違うよ。今の僕は君の隣に立ちたいんだ。まだ叶いそうもないし、実力不足なのは分かってる。だけど、絶対に闇祓いになって君が背中を預けてくれるくらいの存在になってみせるから。……だから、まだ死なないでくれよ、ハリー。頼むから無事に帰ってきてくれ。僕は君とずっと友達でいたいんだ。」

 

最後はぐちゃぐちゃになった想いを吐き出すように、青い瞳をほんの少しだけ潤ませながら言ったロンへと、ハリーが意を決したように何かを答えようとしたその瞬間──

 

「……ああ、ロン!」

 

横合いからハーマイオニーが勢いよくロンに抱き着いた。ボロボロと涙を流しながら、感極まったと言わんばかりの表情でだ。……うーん、不思議だな。直前までは私も感傷的な気分になっていたのに、ハーマイオニーの姿を見て冷静さが戻ってきちゃったぞ。

 

そのことに柔らかく苦笑していると、抱き着かれたままのロンが頬を染めながら言葉を放つ。

 

「答えはいらないよ。僕はただ、自分の気持ちをきちんと伝えておきたかっただけなんだ。……あとは君が決めてくれ。僕はもうとやかく言ったりはしないから。」

 

「うん、分かった。……ありがとう、ロン。」

 

一言に想いを込めて言ったハリーの礼を受けて、ロンは静かに頷いてからハーマイオニーを宥め始める。……むう、『我儘』の件が恥ずかしくなってきたぞ。ロンの言葉に比べると酷すぎる台詞じゃないか。

 

暫く泣き止みそうにないミス・感激屋を見ながら、ソファに身を預けてちょっと反省するのだった。

 

───

 

そして深夜。生徒たちが寝静まった城を抜け出した私は、敷地の外に出てから姿あらわしで紅魔館へと戻ってきていた。……リドルとの決着に備えて、私が気にかけるべき相手はここにも居るのだ。

 

エントランスに出現して杖を仕舞った私に、わざわざ待っていたらしいエマが声をかけてくる。……ちょっとびっくりしたぞ。どうして分かったんだ?

 

「お帰りなさいませ、アンネリーゼお嬢様。」

 

「やるじゃないか、エマ。戻るとは伝えてなかったはずだぞ。」

 

「お嬢様がアリスちゃんを放っておくわけありませんからね。そろそろ帰ってくると思ってました。」

 

「それはそれは、優秀さに磨きがかかっているようで大いに結構。……アリスは部屋かい?」

 

遊び疲れてその場で寝てしまったのか、エントランスの隅でひとかたまりになって熟睡中の妖精メイドたちを横目に聞いてみると、エマは首を振りながら返答を寄越してきた。

 

「リビングに居ます。さっきまで人形の整備をしてたみたいで、今は一休みしてるところです。」

 

「なら、リビングに行くよ。紅茶は不要だ。」

 

「はーい。」

 

お辞儀しながら見送ったエマを尻目に、リビングに向かって廊下を進む。僅かに欠けた満月を窓越しに見つつ、たどり着いたリビングのドアを抜けてみると……ソファに座って一人で人形を弄っているアリスの姿が目に入ってきた。

 

「やあ、アリス。」

 

「……あれ、リーゼ様? 戻ってたんですか?」

 

「今戻ったところだよ。エマから整備の休憩をしていると聞いて来たんだが……どうやら休憩になってないみたいだね。」

 

「ですね。気になっちゃうと止まらないんです。魔女の性ですよ。」

 

苦笑しながら言ったアリスの隣に座ると、彼女は困ったように頰を掻いて話を続けてくる。

 

「……えっと、心配して来てくれたんですか?」

 

「まあ、そうだね。さすがに見抜かれちゃったか。」

 

「パチュリーも昨日の昼に作業部屋まで来てくれましたから。私の持ってる人形の本を読みたくなったなんて言ってましたけど、心配して様子を見に来てくれたんだと思います。」

 

「うーん、相変わらず不器用なヤツだね。もっとマシな言い訳があるだろうに。」

 

あたふたとありもしない理由を捲し立てているパチュリーの姿が容易に想像できるぞ。呆れてため息を吐く私に、アリスは柔らかい笑みで口を開く。

 

「でも、私は大丈夫です。こうするためにここまでやってきて、遂にその日が来ただけなんですから。もういい歳なんですし、そう簡単に揺らいだりはしませんよ。」

 

「んー、そりゃあそうかもしれないけどね。……おいで、アリス。今日の私は理屈抜きでキミを甘やかしたい気分なんだ。」

 

手を広げて促してやると、アリスは驚いたように目を見開いた後で……うむ、それでいいのだ。おずおずと私の胸に顔を埋めてきた。覚悟を決めていようが、納得していようが、渦巻く感情は確かにあるはずなのだから。

 

「……良い匂いがします。」

 

「そうかな? 私は香水とかは滅多に使わないんだが。」

 

「そういうのじゃなくて、リーゼ様の匂いですよ。私しか気付かない、私しか知らない匂いです。……安心します。」

 

「ふぅん? ……微妙に恥ずかしいが、キミが満足してくれるなら我慢しようじゃないか。」

 

うーむ、出来れば無臭でありたいんだけどな。ちょっとむず痒い気分の私を他所に、アリスは胸に押し付けた頭をぐりぐりと動かし始める。

 

「……私は幸せ者ですね。こうやって甘えられる存在がずっと生きていてくれるんですから。」

 

「ふむ、確かにそうだね。吸血鬼が親代わりになる数少ないメリットなんじゃないかな。」

 

その他のデメリットが多すぎるかもしれないが。サラサラの金髪を撫でながら頷いてやると、胸元のアリスは更に抱き着く力を強めて答えてきた。シャツ越しの吐息が擽ったいな。

 

「今朝、テッサたちのお墓にも報告してきました。だから、私は覚悟も準備も出来てます。出来てますけど……もうちょっとだけこうしてたいです。」

 

「んふふ、好きなだけ甘えてくれたまえ。今夜の私はアリスだけのものだよ。」

 

どれだけ成長したとしても、やっぱりアリスは可愛い我が子なのだ。たまにはベタベタに甘やかしたってバチは当たらないだろう。微笑みながらそう囁いてやると、アリスはピクリと震えた後で……やけに真剣な表情で顔を上げる。どうしたんだ?

 

「私のもの、ですか?」

 

「そうさ、今夜はなんでもお願いを聞いてあげようじゃないか。」

 

「……なるほど。」

 

そうポツリと呟いたアリスは、少し難しい顔で何かを考えていたかと思えば、一つ頷いた後で『ぐりぐり』を再開した。なんだか分からんが、何かしらの結論を導き出したようだ。

 

久々に全力で甘えてくれるアリスに満足しながら、アンネリーゼ・バートリは頭を撫でる作業に戻るのだった。

 


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