Game of Vampire 作:のみみず@白月
「キミね、しっかりしたまえよ。ゲラートが気付かなかったら危ないところだったんだぞ。」
杖を振って連絡用の守護霊を飛ばしているシャックルボルトを横目にしながら、アンネリーゼ・バートリはポンコツ指揮官へと文句を飛ばしていた。地図上の駒の動きを見るに立て直したようだが、先程までこいつは初歩の伏兵戦術にしてやられていたのだ。
どうやら無抵抗なのをいいことに、ロクに安全確認をせずに中庭まで一気に進軍した結果、案の定伏兵に遭ったらしい。……あんなもん警戒して然るべきだろうが。私も注意したし、ゲラートからも一度進言があったのにも拘らず、調子に乗ったポンコツどのは『相手が準備を整える前に』とか言って無理矢理作戦を押し通したのだ。
私の言葉を受けてこちらを睨みながら翼をぷるぷる震わせているレミリアへと、呆れた表情で更なる追撃を放つ。お偉い吸血鬼に気を使って誰も注意しないみたいだし、ここは遠慮なく突っ込める私が言っておくべきだろう。
「これといった制限時間はないし、全体の状況としては九対一くらいでこっちが有利なんだぞ。である以上、速戦即決の必要も奇策を弄する意味もないんだ。キミは頭が悪いわけじゃないんだから、もっと慎重に石橋を叩きまくってから渡りたまえよ。」
「……分かってるわよ。」
「だったらいいんだけどね。……わざわざ兵を伏せて後から進軍してたゲラートにも礼を言っておくんだよ? 調子に乗り易いレミィちゃんの失敗を予測して手を残しておいてくれたんだろうさ。キミが作戦に固執しがちなのは大戦の頃からの悪癖だしね。」
「分かってるって言ってるでしょうが! しつこいわよ!」
ぷんすか怒る小さなレミィちゃんに肩を竦めてから、大きなテーブルの上の地図に目をやった。ガウェイン・ロバーズ率いる本隊が一階の制圧を始めたようだし、そろそろ私たちも動くべきだな。結局リドルの発見情報は得られなかったが、今姿を見せていないということは恐らく上階で指揮を執っているのだろう。その辺は道中で連絡をもらうとするか。
「それじゃ、私たちも行くとしようか。あんまりのんびりしてると決着が付いちゃいそうだしね。」
天幕の隅の椅子に座っているハリーとダンブルドアに向けて言ってやると、彼らはこっくり頷いてから杖を片手に立ち上がる。中庭の制圧は終わっているし、城の入り口までは飛翔術で移動しても問題ないだろう。
「ハリー、よく覚えておきたまえ。隠し通路に入るまで私は透明になって姿を隠すが、常にキミの側に居るからね。」
「うん、頼りにしてるよ。」
うーむ、ちょっと笑顔がぎこちないな。さすがに緊張してきたらしい。そんなハリーと一緒に天幕を出たところで、背後からレミリアとダンブルドアの会話が聞こえてきた。
「では、行ってまいります、スカーレット女史。大戦の後期から数えて五十年以上。長らくお世話になりました。」
「……私は誰かに別れを言うのは嫌いなの。だから何も言わないわ。」
「ほっほっほ、それこそがわしにとって一番嬉しい言葉ですよ。嘗ての貴女なら何食わぬ顔でそれらしい別れの言葉を述べていたでしょう。……貴女にとっての別れを言いたくなくなる『誰か』になれたのであれば、わしの頑張りもそう捨てたものではなかったということですな。」
「あーもう、最後の最後まで心理分析? 生憎だけど、誰かさんのお陰でカウンセラーはもう不要なの。とっとと行って、綺麗に終わらせてきなさい。」
プイと顔を背けたレミリアに苦笑しながら、ダンブルドアは素直になれない吸血鬼に向かって深々と一礼すると、シャックルボルトにも会釈してから晴れやかな表情で私たちの方へと歩み寄ってくる。
「それでは行こうかのう。ハリーはわしの肘を掴んでくれるかね? 姿あらわしは使えないので、飛翔術で移動することになるのじゃ。……バートリ女史は如何なさいますかな?」
「姿を消して普通に飛ぶよ。キミは知らんかもしれないが、吸血鬼の飛行スピードは飛翔術より上なんでね。」
「おや、思わぬところで新たな知識が増えましたな。活かせるタイミングがもう無さそうなのが悲しいところですが。」
「『末期ジョーク』は反応に困るからやめたまえ。先に行くぞ。」
言いながら能力で姿を消して、闇の中に聳えるヌルメンガードへと飛び立った。後方から白い影が付いて来ているのを確認しつつ、中庭上空にたどり着くと……残党処理中か? 城の方を警戒しながら、拘束した死喰い人どもを中庭中央に集めている赤ローブたちが目に入ってくる。イギリス勢はもう全員城の中に入っているようだ。
僅かに遅れて到着したダンブルドアが適当な位置に着陸したのを見てから、私もその隣に下り立ったところで……おっと、ゲラートだ。黒いチェスターコートを身に纏ったロシアの議長どのが私たちに近付いてきた。普通は『議長』が前線には出ないと思うのだが、彼にとってはそんな常識など関係ないらしい。
「……行くのか? アルバス。未だヴォルデモートの正確な位置は把握できていないようだが。」
「間に合わなくなっては元も子もないからのう。細かい情報は上階に移動しながら入手するよ。」
「把握しているとは思うが、ヌルメンガードの中層は東西の二ブロックに分かれている。道の選択には気を付けろ。……お前がハリー・ポッターか。」
ダンブルドアに注意を放ったゲラートは、次にその隣に立つハリーへと視線を送る。睨むでもなく、怯むでもない真っ直ぐな瞳で見返しながら頷いたハリーを前に、ゲラートは興味深そうに目を細めたかと思えば……不意に視線を逸らして再びダンブルドアへと向き直った。
「俺は今度こそ革命を成功させる。その後はこの身が朽ち果てるまで魔法界のために働くつもりだ。悪いが、お前の言葉をそのために利用させてもらうぞ。」
「ほっほっほ、そのために残したのじゃ。思う存分利用してもらわねばむしろ困るというものじゃよ。……この機会に一つアドバイスするとしたら、全てを終わらせた後に余暇を過ごすべきじゃな。君はここまで休みなく歩み続けてきた。わしに合流する前に自分の人生を楽しむべきではないかのう。」
「残念だが、俺はお前と同じ場所には行けまい。色々と余計な事をやり過ぎたからな。……もし俺が狂わせなければ、お前の人生はもっと安らかなものになっていただろう。それが俺の唯一の後悔だ。」
中庭の宙空に漂う魔法の明かりに照らされた、ヌルメンガードの外壁に刻まれている『より大きな善のために』という文字。それを見つめながら呟くように言ったゲラートへと、ダンブルドアはゆっくりと首を振って答える。
「それは間違っているよ、ゲラート。全てはわしが選んだことなのじゃ。失ったものも多いが、得たものもまた多い。わしにとっての君は最後まで敵ではなく、友じゃった。一瞬たりともそのことを悔やんだ覚えはないよ。」
「……そうだな、俺にとってのお前も友だった。それだけは出逢った時から変わっていない。」
世間の評価とは違って、結局最後までこの二人は『敵』にはなれなかったわけか。漆黒の空を見上げながら瞑目したゲラートは、何かを思い出したかのように苦笑してから口を開く。彼にしてはかなり珍しい、人間味のある柔らかな表情だ。
「長々と語るのは俺たちの流儀ではないな。……さらばだ、アルバス。」
「ほっほっほ、そうじゃな。わしらはもう充分に語り合ったからのう。……さらばじゃ、ゲラート。」
短いやり取りを終えると、ダンブルドアとゲラートは踵を返してそれぞれの方向へと歩き始めた。ゲラートは中庭の中央に居る指揮下の闇祓いたちの方へ、ダンブルドアは石扉が開け放たれているヌルメンガードの方へ。
ハリーが慌ててダンブルドアに続くのを見て、私もそちらへ足を踏み出そうとしたところで……ピタリと立ち止まったゲラートが、私にしか聞こえない声量で声をかけてきた。
「アルバスを頼むぞ、吸血鬼。」
「……はいはい、任されたよ。その代わり、キミはもう少し素直になりたまえ。」
うーむ、よく私の居る位置を正確に把握できたな。私の返答を受けて聞こえよがしに鼻を鳴らした後、再び歩き出したゲラートを首を傾げて見送ってから、小走りでハリーたちの方へと駆けて行くと……おいおい、巨人の死体か? これ。石扉の前にそれらしき肉片が散乱しているのが視界に映る。
「何体分かな。私は五体だと思うけど、キミはどうだい?」
追い付いたハリーにこっそり問いかけてみれば、彼は嫌そうな表情で『ミンチ』から目を背けて答えを寄越してきた。
「分かんないし、知りたくないよ。……誰がやったのかな? まるで物凄い力で握り潰されたみたいだ。こんな魔法があるんだね。」
「これは杖魔法じゃないよ。フランが軽く片付けたんだろうさ。あの子が参加してきたのはリドルにとっても予想外だったみたいだね。」
「……嘘でしょ? あの優しそうなフランドールさんが?」
半笑いで顔を引きつらせたハリーへと、肩を竦めながら頷きを……ああ、見えないんだったっけ。いっそのことハリーも消しちゃえば良かったな。それならお互いの姿も視認できるわけだし。我ながら不便な能力に苦笑しつつ、きちんと言葉で返事を返す。
「あの子もスカーレットで、尚且つ吸血鬼だってことだよ。」
「よく分かんないけど……とにかく、怒らせるべきじゃないっていうのだけは理解できたよ。」
「んふふ、賢明だね。」
私がクスクス微笑んだところで、先頭のダンブルドアに続いて私たちも城の内部に足を踏み入れた。……戦闘の所為で随分とボロボロになっているように見えるが、それはこの前来た時もそうだったはずだ。この辺はどちらかというと『脱獄騒ぎ』の時の痕跡だろうな。
「よし、先ずは北側の廊下にある中層に続く隠し通路の入り口に向かうよ。そこを抜け切る前にリドルの居場所が判明することを祈ろうじゃないか。」
「かしこまりました。……ハリーよ、杖を構えておくのじゃ。ここからは油断は禁物じゃからのう。それと、もし誰かが飛び出してきても不用意に呪文を放たないように。味方の可能性もあることを忘れてはならんぞ。」
「はい、分かってます。」
あまり物音は聞こえないが、戦闘自体は当然行われているはずだ。ダンブルドアの言う通り警戒しておいた方が良いだろう。……アリスも心配だが、フランのことも別の意味で心配だな。やり過ぎてなければいいんだが。
杖を構えて歩き出すダンブルドアとハリーに続きながら、アンネリーゼ・バートリはヌルメンガードが崩壊しないことを祈るのだった。
─────
「了解したわ。それじゃあ私たちはこのまま上に向かうから。」
獅子の守護霊に伝言を託してスクリムジョールの下へと飛ばしつつ、アリス・マーガトロイドは目の前の薄暗い上り階段に向き直っていた。外から見ると単純な形だったが、この城は思ったよりも入り組んだ構造になっているらしい。
中庭の伏兵をなんとか退けた私たちは、現在下層の制圧を終わらせている真っ最中だ。道中散発的な抵抗はあったものの、その全てを危なげなく処理している。……死喰い人たちは中庭の策にかなりの兵力を傾けたようだし、それが失敗に終わって余裕がないのだろう。
ちなみに味方は基本的に六人一組で行動しているのだが、私のグループは四人だけだ。私、フラン、ブラック、そしてルーピン。……恐らくスクリムジョールはフランの扱いに困ってこういう組分けにしたのだろう。私たち三人はフランの『制御役』ってところか。
はめ殺しの窓から真っ暗な外を眺めているフランを横目に考えていると、近付いてきたルーピンが質問を送ってきた。
「先に進むんですか? この階が二手に分かれている『根元』なんですよね?」
「そうみたいね。そして、私たちは西側の『切り込み担当』になったわ。東側はロバーズたちが担当するみたい。」
「まあ、戦力的には妥当な選択だと思います。私とシリウスはおまけみたいなものですけど。」
「フランが居る以上、私だって単なるおまけよ。……行くわよフラン、ブラック。上に進む許可が出たわ。」
窓の外を指差して何かを話している二人に指示を飛ばしてから、偵察用の人形を先行させつつ大理石の階段を上り始める。……ホグワーツに比べて無骨な城だな。この階段といい、通路といい、全てがあえて狭めに造られているようだ。暮らし易さではなく防衛し易さを重視したのだろう。
とはいえ、安っぽさは欠片もない。華美ではなく重厚。リーゼ様が好みそうな『重み』のある雰囲気だ。……そりゃそうか、建設にも関わっているわけなんだし。
階段を上りながら一人で納得していると、私に歩調を合わせたフランが話しかけてきた。
「リーゼお姉様たち、もう城に入ってるんだよね?」
「ええ、今頃は隠し通路を使って上ってきてるはずよ。……心配?」
「ううん、心配はしてないかな。何も言わないけど、レミリアお姉様は大まかな運命を読んでるんだと思うんだよね。だから多分へーきだよ。」
「……そういえば、最近のレミリアさんは能力について話さなくなったわね。どうしてなのかしら?」
レミリアさんの読む『運命』が確実なものではないことは私もよく知っているが、それでも一つの行動方針にはなるはずだ。リドルの問題だけじゃなく革命に関しての手助けにもなるはずなのに、何故レミリアさんは運命のことを口にしなくなったのだろうか?
首を傾げる私に対して、フランは苦笑しながら返答を寄越してきた。
「んー……色々と思い当たる節はあるんだけど、正解は分かんないや。単に誰にも教えない方が運命が確定し易いのか、それとも余計な口を挟むべきじゃないと感じてるのか、あるいは舞台に上がった以上は演者として動くつもりなのか。……能力の性質からしてあやふやなもんだしね。確かな答えはお姉様のみぞ知るってやつだよ。」
「聞いたことはないの?」
「それはちょっと無粋かなって思ってさ。そもそも私は好きな能力じゃないしね。本を読むとき、真っ先に結末を確認するようなもんじゃん。その方が確実なのは分かってるんだけど……あんまり健全なことじゃないんだよ、きっと。もしかしたらお姉様もそれに気付い──」
フランがレミリアさんの能力について語っている途中で、折れ曲がった階段の先から何かがぶつかるような音が聞こえてくる。即座に話を切り上げて、杖を構えつつ先行している人形に視界を繋いでみると……これはまた、驚いたな。人形の視界越しに懐かしい顔が見えてきた。
倒れ伏す二人の死喰い人らしき黒ローブの隣に立っているのは、同じような服装のセブルス・スネイプだ。杖を持っているのを見るに、彼が二人の死喰い人を片付けたらしい。
「スネイプよ。」
緊張しながら私の言葉を待つ三人に端的な報告を送ると、彼らは三者三様の表情を顔に浮かべてきた。フランは驚きを、ルーピンは安堵を、そしてブラックは……うーん、疑ってるな。疑念をありありと宿しながら口を開く。
「無傷ですか?」
「見たところそうみたい。怪我らしい怪我もしてないようだし、杖も普通に持ってるわ。」
「……だったら私たちも杖は構えたままで行くべきです。ピーターの証言によればスネイプは疑われていたはずでしょう? それなのにこの緊急時に堂々と動けますかね? 裏切っている可能性も考慮すべきだと思いますが。」
「私は大丈夫だと思うけどね。……ただまあ、服従の呪文で操られている可能性は否定できないわ。慎重にいきましょう。」
使い慣れた二体の人形を脇に従えて、いつでも杖を振れるように臨戦態勢で階段を上っていくと、私たちの姿を確認したスネイプが先んじて声をかけてきた。ぱっと見た分では正気っぽいな。記憶にある通りの仏頂面だ。
「お久し振りです、マーガトロイド女史。早速ですが報告を──」
そこまで言ったところで、杖を下ろしたままのスネイプは目を見開いてピタリと言葉を止める。視線の先に居るのは……フランだ。そういえば、十数年振りの再会になるのか。
「……やっほ、スネイプ。学生の頃以来だね。」
困ったように手を上げながら挨拶を放ったフランに対して、スネイプは僅かに目を背けた状態で返事を返す。フランのことを嫌っている、という雰囲気ではないな。どこか申し訳なさそうにも見える表情だ。
「ああ、その……久し振りだ、スカーレット。」
おいおい、本当に操られているのか? あまりにもスネイプらしからぬ気弱な態度を訝しんでいると、フランの後ろからブラックが歩み出てきた。もちろん杖は構えたままでだ。
「悪いが、思い出話の時間は後にしよう。私たちが今聞きたいのはお前が誰に仕えているかだ。……随分と自由に動けているようだな。また主人を変えたのか?」
「……相変わらず思い込みが激しいな、ブラック。考え無しの貴様には想像もつかないだろうが、吾輩は校長から与えられた任務を遂行するために様々な手段を使っているのだ。……どうせ理解できないのであれば黙って話を聞いていたまえ。吾輩が説明すべきは貴様ではない。」
『仇敵』たるブラックに冷たい無表情で言ってから、スネイプは私に向かっての説明を再開してくるが……うーむ、時折フランの方を気にしているな。彼にとってフランの存在は何か大きな意味を持っているようだ。
「帝王は現在東側の上階で指揮を執っております。ポッターたちが行き先を迷っているのであれば、そちらに向かわせるべきかと。ロジエールやドロホフといった主力も東側です。こちらには大した人員は残されていません。」
「上層じゃなく、中層に居るってこと?」
「上層は牢獄に改装されていますので。帝王はそれがお気に召さなかったようですな。」
「あー、なるほどね。」
まあ、それは何となく想像できるな。私がちょっと呆れながら頷いたところで、ブラックが再び横槍を入れてきた。ちなみにフランは落ち着かない様子で黙っていて、ルーピンは一人で周囲を警戒している。やるじゃないか、パパさん予備軍。
「マーガトロイドさん、先にこいつの立場を確認すべきです。もしかしたら虚報でこちらを撹乱しようとしているのかもしれません。……本当に裏切っていないと言うのであれば、開心術を受けられるはずだ。抵抗するなよ?
ブラックはさすがに疑いすぎのような気もするが、確かに一番手っ取り早いのはそれだろう。開心術をかけるブラックのことを見守っていると……どうしたんだ? 急にそれを切り上げたかと思えば、ブラックは敵意剥き出しでスネイプに杖を突き付けた。
「貴様、閉心術を使ったな? 見られたら疚しい記憶でもあるのか? ……答えてみろ、スネイプ!」
「裏切ってはいないが、記憶を見せるわけにはいかない。まだ吾輩は全てを終えていないのだ。」
「訳の分からないことを……マーガトロイドさん! やはりこいつは信用できません!」
「吾輩は貴様の信用など必要としていない。やるべきことが残っていて、そのためには記憶を秘する必要がある。それだけの話だ。」
どういう意味だ? 激昂するブラックと、冷静な口調で謎めいた弁解をするスネイプ。その間に割り込んで、スネイプに向かって問いかけを飛ばす。
「ちょっと落ち着きなさい、ブラック。……スネイプ、貴方は開心術を受け入れるつもりはないということ? 相手がブラックではなく、私だとしても?」
「如何にも、その通りです。私にはそうする理由がありますので。……何も聞かずに信じていただきたい。」
「それが難しい提案だっていうのは分かってるわよね? 貴方はペティグリューを逃した段階でリドルに疑われていたはずよ。彼が逃げた以上、その疑いが増したのは明白だわ。それなのに今は城内を自由に歩き回り、リドルや中核の死喰い人たちの配置をも知らされている。そして、開心術を受け入れるつもりもない。……信じたいのは山々だけど、あまりにも疑わしい材料が多すぎるわ。」
「でしょうな、言っている自分でも怪しいという自覚はあります。……ですが、言えません。私がこれから何をするのかも、どうしてするのかも、誰にも伝えるわけにはいかないのです。」
……参ったな、真意が全く掴めないぞ。単にこちらを惑わそうとしているにしては奇妙な台詞だが、かといって易々と頷けるようなものでもない。私が判断に迷っていると、やおら歩み寄ってきたフランがスネイプに質問を放った。真っ直ぐに彼の黒い瞳を見つめながらだ。
「スネイプ、一つだけ聞かせて。内緒にするのはハリーの為なの?」
「無論、違うとも。ポッターの為でも、校長の為でも、自分の為でもない。」
はっきりと断言したスネイプは、いきなり手に持っていた杖を振り上げる。即座に反応した私とブラックだったが……フラン? 何故かフランが私たちを抑えた隙に、スネイプが滑らかな動きで杖をくるりと回すと──
「彼女の為だ。」
杖先から美しい牝鹿の守護霊が生み出された。しなやかな動きで私たちに近付いてきた牝鹿は、呆然とそれを見つめるフランの前で立ち止まったかと思えば……そのままふわりと消えてしまう。牝鹿の守護霊を使う魔法使いを見たのはこれで二度目だ。
スネイプの言う『彼女』というのが誰なのかをその場の全員が理解したのだろう。私、ルーピン、ブラックですらもが黙り込む中、悲しげな表情のフランがポツリと呟いた。
「……そっか、ずっと変わってないんだね。」
「永遠に。」
一切の迷いなく答えたスネイプの言葉を受けて、フランは私に向き直って口を開く。
「大丈夫だよ、アリス。スネイプは信用できると思う。理屈じゃ説明できないけど、信じて。」
「……分かったわ。リドルの居場所をレミリアさんとリーゼ様たちに伝えましょう。」
杖を振って連絡用の守護霊を生み出しながら、遣る瀬無い気分で深々とため息を吐いた。……もう一人の牝鹿の守護霊を使う魔法使いというのは、ハリーの母親であるリリー・ポッターその人なのだ。美しいと思う反面、残酷だとも感じてしまうな。スネイプは決して報われない愛を貫いているわけか。無償の愛と言えば聞こえはいいが、あまりにも悲しすぎるぞ。
「もう何をするのかは無理に聞かないけどさ、私たちは何か手伝えないの?」
私が守護霊に伝言を託している間にフランが送った問いかけに、スネイプは頷きながら返答を返す。
「私はポッターと帝王が決着を付けるその瞬間を目にする必要がある。こちら側の上階に行けば窓越しに見ることが叶うはずだ。」
「なら、一緒に行くよ。大事なことみたいだしね。」
「……感謝する、スカーレット。」
決着が付く瞬間、か。それはつまり私にとっての恩師と、そして嘗ての友人が死ぬ瞬間ということだ。……スネイプに付いて行くならもう話すことは出来ないだろう。だったらせめて私も見届けなくては。
伝言を受け取って消えていく獅子の守護霊を見送りながら、アリス・マーガトロイドはそっとイトスギの杖を握り締めるのだった。