Game of Vampire   作:のみみず@白月

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3話

 

 

「まさかこんな場所があったとはね。普通の人間……『マグル』と呼ぶんだったか? にはバレないのかい?」

 

左右に立ち並ぶ店々と、騒がしく歩き回るローブ姿の魔法使いども。ロンドンのど真ん中とは思えないその光景を前に、アンネリーゼ・バートリは連れてきたロワーへと問いかけていた。

 

「隠蔽魔法によってマグルたちからは隠されているのでございます。」

 

「ふぅん? 紛い物どもも中々やるじゃないか。」

 

我が家のしもべ妖精が返してきた答えに頷いてから、雑踏の中を歩き始める。屋敷しもべ妖精は魔法使いにとってはメジャーな存在のようだし、ロワーはこちらの世界に詳しいということで供にと連れてきたのだが……周りを見渡す限り、引き連れてるヤツは一人も居ないぞ。本当に大丈夫なんだろうな?

 

今日訪れているのは『ダイアゴン横丁』。イギリスにおける魔法使いたちの商店街だ。ロンドンの中心部から程近い場所にあったのも驚きだが、この賑わいっぷりも予想外だな。高が人間が作ったものだと思いつつも、ふつふつと湧き上がってくる好奇心を感じる。

 

久々に紅魔館を訪れたあの日、レミリアから詳細な話を聞いた後、私たちはお互いの役割を決めた。フランが居る紅魔館から動けないレミリアは手紙でのやり取りで魔法使いの政治機関とのパイプ作りを。そして私は直接目標に接触して見極めることになったのだ。

 

まあ、適材適所ってことだな。真昼を生きる人間に接触する分には、私の生まれ持った能力が大いに役立つことだろう。

 

『光を操る程度の能力』

 

吸血鬼に有害な日光を緩和し、夜闇を際立たせる私だけの力。普通の吸血鬼とは違って、私にとって陽の当たる場所を闊歩するのは難しいことではないのだ。……いやまあ、夜行性の身としては無論楽しい気分にはなれないが。

 

ただし、残念ながら私はこの力を十全には使い熟せていない。レミリアしかり、フランしかり、どんなに大仰な能力を持っていても使い熟せなくては肩透かしになるだけだ。能力の細やかな制御が出来ないのは吸血鬼の特性なのかもしれんな。

 

とにかく、三人のうち二人はイギリスにある『ホグワーツ魔法魔術学校』とかいう学校の生徒らしい。もう一人が他国の人間だということもあり、とりあえずはアルバス・ダンブルドアとパチュリー・ノーレッジに接触することが決まったのだ。

 

となれば、先ずは『魔法界』の常識を学び、溶け込む必要があるだろう。人間が吸血鬼に対して友好的なはずもないし、いきなり討伐対象になるのは御免だ。そんなわけで光を操って翼を透明にして、バカバカしいローブを身に纏った姿でこの場所に居るわけだが……成る程どうして面白そうな商店街じゃないか。

 

私の知る魔法使いという存在は自分の知識やら素材やらを軽々しく他人に渡すような連中ではなかったはずだが、学校があることといい、この商店街の様子といい、どうやらこちらの魔法使いどもは随分とオープンにやっているらしい。

 

古来よりの伝統も形無しだな。呆れ半分、感心半分くらいの思いで通りを歩いていると、ふと視界の隅に奇妙な店が映り込む。

 

「……『箒屋』? おいおい、まさかあれに乗って飛ぶんじゃないだろうね?」

 

ショーウィンドウにどうだと言わんばかりに多種多様な箒が置いてある店を見ながら、一歩後ろを付いてくるロワーに聞いてみれば、忠実なしもべ妖精はやたらハキハキとした口調で返答を寄越してきた。

 

「その通りでございます、お嬢様。魔法使いたちは箒に跨って空を飛ぶのです。質の良い箒は、ともすれば家よりも高いのでございます。」

 

なんてアホな連中なんだ。そんなもん座り心地は最悪だろうに。他にもふくろうショップだの、魔法植物専門店だのといった普通の街では絶対に見られない店の間を歩いて行くと、道の先に一際目立つ大きな建物が見えてくる。

 

「おっと、あれが銀行……グリンゴッツだったか。」

 

「はい、小鬼たちが運営している魔法界の銀行でございます。」

 

ロワーと話しながら白一色の建物に入ってみればいるわいるわ、あれが小鬼というわけだ。屋敷しもべ妖精から愛嬌を抜いて、十倍くらい神経質にしたような生き物だな。見るからに意地が悪そうじゃないか。

 

左右の台の上で忙しなく働く小鬼たちを横目に、奥にある受付らしき場所へとひた歩く。何をするにせよ、先ずはこっちの通貨を手に入れなければなるまい。人間……じゃなくて、マグルの通貨は使える場所が限られているらしいのだ。

 

監視するかのようにこちらを見てくる小鬼たちにうんざりしつつ、たどり着いた最奥のカウンターの前に立ってみれば、やたら背の高い椅子に座っている小鬼が声をかけてきた。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「換金を頼みたいんだ。これをこっちの通貨……ガリオンとやらに換えてくれ。」

 

「かしこまりました、少々お待ちください。」

 

持ってきた金塊をいくつか出してやると、小鬼はさして驚くこともなくそれを秤に載せ始めた。小娘が懐から金塊を出すってのはこっちじゃ珍しくもないらしい。ちなみに、金塊は私の自前とレミリアから経費としてぶん取ったものが半分ずつだ。

 

「この量と質ですと、こちらの金額となります。よろしいでしょうか?」

 

小鬼が大量の金貨と、少しの銀貨、銅貨を押し出してくるが……そんなことを言われてもこっちの世界の金相場なんてさっぱりだぞ。というかまあ、そもそも通貨の価値すら知らん。来る前にレミリアに聞いておけばよかったな。

 

とはいえ、バートリ家の淑女が狼狽えてはならないのだ。ちんぷんかんぷんな内心を隠して、自信満々に答えを放つ。損をしたところで大した金額ではないわけだし、ロワーの説明によればそれなりに信用のある銀行なはず。問題ないだろう。多分。

 

「ああ、それで構わないよ。」

 

「貸金庫をお持ちでしたらそこに入金することも出来ます。もしまだ金庫を持っていらっしゃらないのであれば、すぐに開くことも出来ますが……如何いたしましょう?」

 

ふむ、貸金庫か。正直こんな場所よりも自分の屋敷の方がよほど安全だと思うのだが、よく考えたらこの量を持ち歩くのは面倒だ。レミリアが取引に使う可能性もあるし、一応借りておくか。十分の一ほどの金貨だけをこちらに引き寄せて、残った山を指差しながら口を開いた。

 

「それなら頼むよ。こっちは金庫に入れといてくれ。」

 

「かしこまりました。では、こちらにお名前をご記入ください。金庫を確認していかれますか?」

 

「すぐ見れるのかい?」

 

「地下にございますので、トロッコを使って移動することになります。」

 

なんだそりゃ。何が悲しくて鉱山労働者の真似事をしきゃならんのだ。無言で首を横に振ってから、差し出された羊皮紙に署名する。本名で問題あるまい。人外だったらともかくとして、人間どもには名前が広まっていないはずだし。

 

「……確認いたしました。こちらがバートリ様の金庫の鍵となります。紛失しても再発行は出来ませんのでご注意ください。」

 

「はいはい、覚えておくよ。」

 

適当に返事を返した後、小鬼が渡してきた大振りな鍵を受け取ってカウンターを背に歩き出す。そのままグリンゴッツの玄関を抜けながら、ロワーに向かって質問を放った。

 

「金貨一枚で他の通貨何枚になるんだい?」

 

「1ガリオン金貨が17シックル銀貨、1シックル銀貨が29クヌート銅貨となっております、お嬢様。」

 

「……考えたヤツは余程の捻くれ者だったみたいだね。」

 

複雑にも程があるぞ。ショーウィンドウに飾られた商品の値段を見る限り、取引には主に銀貨が使われているようだ。そりゃそうか。銅貨では嵩張るし、金貨では細かいところに手が届かない。当然の結果と言えるだろう。

 

さて、次はどうしようか。魔法界とやらの文化を知るとなれば……うーむ、杖でも買ってみるか? あの棒きれが何かの役に立つとは思えないが、周囲の様子を見るにここでは持っておくのが常識らしい。

 

「ロワー、杖を買うとしたらどこで買えばいい?」

 

「でしたらオリバンダーの杖屋がよろしいかと。あそこは紀元前から続く杖作りの名家でございます。」

 

「ふぅん? なら、その店に案内してくれたまえ。」

 

「かしこまりました。」

 

紀元前とは驚いたな。二千年近く続いてるってのはちょっと凄いぞ。私の祖父が現役だった頃から代々杖を作り続けていたわけか。……ふむ、人間にしてはやるじゃないか。

 

僅かな感心を覚えながらもロワーの案内に従って通りを進み、やがて古ぼけた一軒の建物へとたどり着く。『紀元前382年創業』と確かに書かれている店の入り口を抜けてみれば、見渡す限り杖だらけの店内が見えてきた。

 

壁に掛かる説明文付きの杖や、カウンターに並ぶ杖、そして壁を埋め尽くす棚には長方形の箱がギッシリと詰まっている。もちろんあの中身も杖なのだろう。賭けてもいいぞ。

 

中々にインパクトのある店内の光景を眺めていると、店の奥から出てきた神経質そうな老人が話しかけてきた。あれが店主か。一目で分かる職人の面構えだな。もっと愛想の良い店員を雇えばいいだろうに。

 

「いらっしゃいませ。杖をお探しですかな?」

 

「ここは杖屋なんだろう? 当然、杖を買いに来たんだ。」

 

「尤もですな。では、こちらへどうぞ。……杖腕はどちらでしょうか?」

 

杖腕? ああ、利き腕のことか。どうやら魔法界では杖を持つことが言語にまで影響するほどの常識らしい。内心でちょっとだけ呆れつつも、店主に向かって右腕を突き出す。

 

「右だよ。左も人並みには使えるけどね。」

 

「少々測らせていただきます。」

 

言いながら店主がメジャーを取り出すと、そいつが独りでに私の腕だの身長だのの長さを測り始めた。店主はその数値を真剣な表情で羊皮紙に書き込んでいるが……体型と杖とに何の関係があるんだよ。奇妙な店だな。

 

暫くの間されるがままで退屈していると、大きく頷きながらふむふむ言い出した店主が店の奥の棚からいくつかの箱を選び取る。どうやら謎の計測は終わったらしい。

 

「こちらを握ってみてくれますかな?」

 

持ってきた箱の一つから店主が出した杖を、手を伸ばして握ろうとするが……何なんだよ、一体。指先が触れただけで取り上げられてしまった。

 

「なるほど、なるほど。これは違いますな。となるとこれも、これも違う。……ふむ、こちらはどうでしょう?」

 

「……握ればいいんだね?」

 

「おっと、もう結構。これも違うようです。」

 

「キミね、今のは触れてすらいないぞ。」

 

本当に大丈夫なのか? この店。私が触ってすらいない杖を箱に戻した店主は、再び店の奥の棚に移動して箱を選別し始める。何が行われているのかはさっぱりだが、時間がかかりそうだってのは何となく分かるぞ。

 

そんなやり取りが延々続き、時たま挟んでくる杖の原材料やら、杖作りの薀蓄やらにも飽きてきた頃……やおらオリバンダーが一本の杖を差し出してきた。杖先が鋭く尖った、象牙のように真っ白な杖だ。美しいじゃないか。

 

「まさかとは思いますが……どうぞ、こちらをお試しください。」

 

その真っ白な杖を握った瞬間、身体からするりと妖力が抜けていくのを感じる。同時に杖先から小さな蝙蝠が無数に飛び出してきたのを見て、店主が落ち窪んだ目を見開いた。

 

「おお、なんと。白アカシアにドラゴンの心臓の琴線、25センチ。気まぐれで悪戯好き。六代に渡って買い手が見つからなかったのですが……よもや私の代で見つかるとは。」

 

ふぅん? 店主によればかなりの年代物らしいが、純白の杖は美しい光沢を保ったままだ。うむうむ、気に入ったぞ。さっきまでの棒きれとは違って高貴な感じだし、これならバートリの当主たる私に相応しいだろう。

 

「不思議ですな、実に不思議です。その杖は人間が使うには不向きなはずなのですが。」

 

『人間向き』じゃない? 六代も買い手がいなかったのはその所為か。そもそも何だってそんな物を置いていたのかは甚だ疑問だが、私は人間じゃないので気にしない。手に入れた杖を手の中で転がしつつ、店主に向かって言葉を放った。

 

「何にせよ気に入ったよ、買わせてもらおう。ついでに手入れの道具と……そうだな、ホルダーも貰おうか。」

 

杖掃除セットと、腰に着ける杖用のホルダーも一緒に購入して店を出る。んふふ、子供の頃にオモチャを買った時のような感覚だな。知らず口角が上がっちゃうぞ。

 

 

 

そのまま上機嫌でダイアゴン横丁の店をいくつか回った私は、レミリアとフランへの土産を買った後、最後の目的地である本屋を目指して歩いていた。フランには偶々見つけた人形店に置いてあった随分と出来の良い人形を数体と、こっちの世界のボードゲームを一つ。そしてレミリアには魔法薬の店で見つけたドラゴンの血だ。……帰ったら処女の生き血だとでも言って飲ませてやろう。どんな反応をするのか実に楽しみじゃないか。

 

しかし、あの人形は素晴らしかったな。荷物は買ったそばからロワーに屋敷に運ばせたので手元には無いが、人形に然程興味のない私から見ても見事な出来栄えだった。店の場所も覚えたし、フランが気に入るようならオーダーメイドで作らせてもいいかもしれない。

 

考えながらも角を曲がり、見えてきた本屋へと歩を進める。ホグワーツのこと、魔法界のこと、魔法使いのこと。情報を手に入れるには本が一番だ。レミリアからも頼まれているし、最後に良さげな本を買い漁って帰るとしよう。

 

買うべき本を脳内にリストアップしながら、店先にまで大量の本が積み上げられている書店に入ってみると……驚いたな。大した能力じゃないか、レミリア。ダイアゴン横丁に来る日を指定したのも、本を買うようにと言ってきたのもこういう意味だったのか。店の奥で紫色の髪の少女が佇んでいるのが目に入ってきた。

 

「……ロワー、キミはここで待っていたまえ。ちょっと『お仕事』をしてくるから。」

 

「かしこまりました、お嬢様。いってらっしゃいませ。」

 

さてさて、それじゃあ声をかけてみるとするか。ロワーに指示を出して入り口で待機させつつも、アンネリーゼ・バートリは物憂げな表情を浮かべている紫の少女に歩み寄るのだった。

 

 

─────

 

 

「はぁ……。」

 

どれもこれも読んだことのある本ばかりじゃないか。ホグワーツから届いた指定教科書のリストを眺めながら、パチュリー・ノーレッジは大きなため息を吐いていた。

 

魔法界。この世界にうんざりし始めたのはいつのことだったか。最初は良かった。周りには無数の未知が溢れ、読んだことのない本が数え切れないほどにあったのだから。しかし、来学期からホグワーツの四年生となる今、たった三年間で既に未知は既知へと変わり出している。

 

そもそも、ホグワーツの生活だってもううんざりだ。四つある寮のうち、英知を求めるというレイブンクローに選ばれたものの、本気で『英知』を求めている者など私は見たことがない。私の知る限り、英知とはテストの点数ではなかったはずだぞ。

 

そして、私にコミュニケーション能力が欠如していたことがさらなる悲劇を呼んだ。自寮に友人など居ないし、そうなると当然他の寮にも居ない。元々上手く会話が出来るような人間ではなかったのに、レイブンクローの独立気質がそれに拍車をかけたのである。

 

憂鬱だ。あまりにも憂鬱だ。教科書のリストにある唯一知らない本は、マグル学の教科書である『マグル界におけるコミュニケーションの基礎 ~正しいファッションセンスとマナー~』だけだが……魔法界でだってダメなのに、何が悲しくてマグル界のコミュニケーション技能を磨かなくちゃいけないんだよ。

 

ジメジメした気分で書店の棚を巡るが、この忌々しいタイトルの本は中々見つからない。そして残念ながら、私には向こうで忙しそうにしている店員に質問する勇気などないのだ。もし面倒くさそうな表情でもされてしまったらと思うと、怖くて怖くて──

 

「何を探しているんだい?」

 

「ひゃっ。」

 

びっくりした! いきなり背後から声をかけられた所為で、妙な声が漏れてしまう。恥ずかしさで真っ赤になりながら振り向いてみれば、信じられないほどに可憐な少女が立っているのが見えてきた。

 

美しい黒髪に、ルビーのような真紅の瞳。肌なんて冗談かと思うほどに透き通った白だし、顔のパーツはどんな芸術家でも表現できないような完璧なバランスを保っている。私が口をパクパクさせながらどうしようかと迷っていると、少女が小さな口を開いて話しかけてきた。外見通りの綺麗な声だ。

 

「おっと、すまないね。驚かせちゃったかな? キミが困っているみたいだから、声をかけてみただけなんだよ。」

 

「あっ、いや……ええと、大丈夫。ちょっと本が、見つからなくて。それだけなの。」

 

死にたい。何だこの返答は。こんな可愛い子が心配して声をかけてくれたんだから、もっと気の利いたことは言えないのか、私。頭の回転には自信があるのに、どうして口を通すとこうなっちゃうんだろうか。

 

「おや、だったらキミの探し物を手伝おうじゃないか。どうせ適当に見て回ってたんだ。目的があったほうが楽しそうだしね。」

 

「あっ、ありがと、ぅ。」

 

うーむ、背伸びした喋り方が実に可愛らしいな。こんな子が学校に居れば目立つ筈だし、察するにホグワーツの入学前なのだろう。歌劇のような口調がよく似合っている。そして、対する私はまるで蚊が鳴いているようだ。我ながら情けなくなってくるぞ。

 

自己嫌悪に沈み始めた私へと、少女が首を傾げながら問いかけてきた。

 

「それで、どんな本を探しているんだい?」

 

「えっとね、それは──」

 

いや待て、マズい。ここでタイトルを言ってしまえば、まるで私はコミュニケーション能力だのファッションセンスだのを磨きたいヤツみたいじゃないか。いやまあ、実際のところ磨きたくはあるが……これは学校の指定教科書だから仕方なく買う訳であって、いくら本の虫とはいえ、普段の私はこんな本をわざわざ探してまで買ったりはしないのだ。

 

「あの、これよ。このマグル学の教科書。別に興味はないんだけど、指定教科書だから。つまり、仕方なく買うの。」

 

誤解を与えないために、ホグワーツからの手紙を開いて突き出す。だけど、余計気にしてる感じになっちゃったのは何故だろうか。これは前言撤回すべきかもしれない。どうやら私にはこの本が必要だったようだ。

 

「ふぅん? それじゃあ探してみようか。キミは上段を、私は下段を。それでいいかな?」

 

「え、えぇ。」

 

上下で分けるのか。不思議な分担だと疑問には思うが、もちろん突っ込まないで同意の頷きを送る。そこに突っ込めるほどの会話技術がないし、小さな子供のやることだ。年長としてここは流しておくべきだろう。

 

指示に従って書棚の間を歩き始めると、少女が私の後ろに続きながら質問を寄越してきた。……なるほど、そういうことか。上下の分担なら話しながら探せるわけだ。でも、既に私は一杯一杯だぞ。もう一日分の会話量はとっくに超えてしまっている。

 

「教科書を探してるってことは、キミはホグワーツの学生なのかい?」

 

「そうね。えっと、九月から四年生よ。」

 

「なるほどね。……しかしまあ、ホグワーツでは妙な本が教科書になってるみたいじゃないか。『マグル学』を学んでるってことは、魔法界の生まれなのかい?」

 

「いいえ、マグルの生まれよ。その、両親とも。」

 

魔法族から見たマグルのことを知りたかったし、空き時間があっても談話室で居辛い思いをするだけだからなるべく多くの授業を取ったのだ。脳内で台詞を補完する自分を情けなく思ったところでふと気付く。この子が純血派だったらどうしよう。スリザリンの能無しどもに罵倒されるのにはもう慣れたが、こんな少女に言われたらさすがに堪えるぞ。

 

そんな私の心配を他所に、少女は大して気にした様子もなく会話を続けてきた。

 

「それなのに学年首席ってことは、キミはよほどに優秀な学生らしいね。」

 

「へ? どうして……。」

 

どうして私が首席だってことを知っているのだろうか。もしかして同級生の妹か何かだとか? 兄か姉に言われて、『根暗のノーレッジ』をからかいに来たのかもしれない。顔に疑問の表情を浮かべる私へと、少女は微笑みながら答えを教えてくれた。

 

「んふふ、さっきの羊皮紙の上のほうに書いてあったよ。学年首席のパチュリー・ノーレッジさん。」

 

その言葉を受けて、安心すると共に罪悪感が湧き上がってくるのを感じる。杞憂だったのは良かったが、罪もない少女にあらぬ疑いをかけてしまうとは……そういうところがダメなんだぞ、私。

 

「しかし、ちょっと残念だね。ダイアゴン横丁には初めて来たんだが、この程度の本しか置いてないとは思わなかったよ。」

 

「そ、そうね。ホグワーツの図書館はもうちょっとマシなんだけど、ここはその……あんまり品揃えが良くないのかも。」

 

「きっとパチュリーは沢山読んだんだろうね。でなきゃ首席になんてなれないだろう?」

 

おおう、名前を呼ばれるなんて久々だ。ちょっとドキッとしたのを隠しつつ、少女に向かって首肯を返す。

 

「別に自慢できることじゃないんだけど……えっと、有用そうなのは大体読んだわ。私、読書が好きだから。」

 

そう言ったところで、不意に前に回りこんできた少女が私の瞳を覗き込んでくる。真っ赤な瞳だ。深くて、美しい。他人と目を合わせるのは苦手だったはずなのに、何故かその瞳から目が離せない。まるで意識が吸い込まれるかのような──

 

「キミは知りたくないかい? もっと深い知識を、もっと強い力を。」

 

蕩けるような気持ち良さが全身に広がって、頭の中がぼんやりしてきた。書店の風景が徐々に薄らぎ、少女の真っ赤な瞳だけが視界に残る。……ああ、何て綺麗な瞳なんだろうか。もっと見て欲しい。もっと見ていたい。

 

「……知りたいわ。もっと多くの真理を、もっと熱中できる本を。」

 

「おや、知るだけで充分だと? 使わなくていいのかい? 力があれば、欲しいもの全てが手に入るかもよ?」

 

「私は……知りたいだけ。知って、調べて、集めて、そしてそれを管理したい。永遠にそうしていたい。」

 

少女の声を聞く度にぞくぞくとした歓喜が背筋を走り、徐々に吐息が荒くなってくる。見て欲しい。もっと見て欲しい。もっと私を気持ち良くして欲しい。この瞳の為なら、私は何だって──

 

「ふぅん? その名の通りという訳だ。『ノーレッジ』ね。」

 

 

 

明るい。照り付ける日差しにパチパチと瞬きをしながら、慌てて周囲を見渡す。……あれ? 私は何をしてたんだっけ? ダイアゴン横丁の喧騒を見ながら呆然とする私に、歩み寄ってきた少女が話しかけてきた。そうだ、書店に来学期の教科書を買いに来て、この子に本を探すのを手伝ってもらってたんだっけ。

 

「どうしたんだい? ぼんやりしちゃって。」

 

「いえ、あの……ごめんなさいね。いきなり明るい場所に出てちょっとクラっとしちゃったのかも。」

 

やけにスムーズに出てくる言葉に満足しながら、手の中の本を持ち直す。そうそう、本を見つけて会計を済ませて、もう家に帰るところなんだった。どうしてそんな簡単なことを忘れていたんだろうか?

 

忘れっぽい自分に呆れながらも少女にお礼を言おうとしたところで、目の前に一冊の本が差し出された。……えーっと、どういうことだ?

 

「ほら、これが例の本だよ。読み終わったら感想を聞かせて欲しいな。」

 

「えっと……『例の本』?」

 

「おいおい、本当に大丈夫かい? 私が持ってるって話をしたら、キミがどうしても読みたいって言ったんじゃないか。だから今うちのしもべ妖精に持って来させた。そうだっただろう? ……私の住所はここに書いておいたから、読んだら感想と一緒に送り返してくれたまえよ。」

 

……その通りだ。今日の私はどうかしてるぞ。曖昧だった記憶が明確になるのを感じつつ、少女から本と羊皮紙の切れ端を受け取って口を開く。

 

「そ、そうだったわね。……ありがとう。手伝ってくれた上に、本まで貸してくれるなんて。」

 

「構わないさ。もう読んじゃった本だしね。」

 

なんて良い子なんだろうか。それに、本の貸し借りだなんて初めてだ。密かに憧れていた『友達っぽい』やり取りに笑みを浮かべていると、少女は挨拶を放つと共にしもべ妖精を連れて歩き始めた。

 

「それじゃあね。感想待ってるよ。」

 

「あっ、あの……本当にありがとね。」

 

慌てて背中に声をかけると、少女はくるりと振り返って悪戯げに微笑みながら手を振ってくれる。うう、可愛いな。おずおずとこちらが手を振り返すと、少女は満足そうな様子で今度こそ人混みの中へと消えていった。

 

うん、今日は良い日だったな。買った本をカバンに仕舞った後、少女から借りた本を見つめて一つ頷く。さっそく読んでみて、感想を書くことにしよう。……しかし、何だって今の今まで忘れちゃってたんだろうか? 私はどうしても、どうしてもこの本が読みたかったはずなのに。

 

真っ黒な革表紙の分厚い本。金色の飾り糸で『七曜の秘儀』とだけ書かれている本をカバンに仕舞った後、パチュリー・ノーレッジは幸せな気分で帰途に着くのだった。

 


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