Game of Vampire   作:のみみず@白月

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エボニーの男 上

 

 

「それじゃあ、天文台でお酒を飲んでたってこと?」

 

ダンブルドア先生の葬儀が終了……してはいないが、埋葬が終わってからおよそ一時間後。ホグワーツ三階の廊下を校長室に向かって進みながら、アリス・マーガトロイドは隣を歩くフランに問いかけていた。どうやら彼女とリーゼ様、パチュリー、レミリアさんの四人は天文台で独特の『お見送り会』を楽しんでいたようだ。

 

奇妙な話に目を瞬かせる私に対して、フランはクスクス笑いながら頷きを返してくる。

 

「だってほら、吸血鬼が悲しそうな顔で死者の冥福を祈るってのはヘンでしょ? 騒いで送り出す方が私たちっぽいじゃん。大体、何に祈ればいいのさ。下手に祈ったらダンブルドア先生の立場が悪くなっちゃうよ。」

 

「それはそうかもしれないけど……どのくらい飲んだの? 酔っ払ってないでしょうね?」

 

「パチュリーは途中で帰っちゃったけど、その後も結構飲んだから……えっと、分かんない。でもまあ、酔ってはいないよ。私、お酒強いもん。」

 

ちなみにこれは真実ではない。フランは別にアルコールに強いわけではなく、表面上の変化が微小だから分かり難いだけだ。本人は酔っていないと主張していたのにも関わらず、紅魔館のダイニングを数度半壊させているのがその証左だと言えるだろう。フランとしては嘘偽りなく自分が酒に強いと思い込んでいるようだが。

 

とはいえ、普通の人間に比べればよっぽど強いのは確かだ。今日のフランは……うん、本当に酔ってはいなさそうだな。少なくとも無闇矢鱈に能力を使おうとはしていないし、必要以上にベタベタとくっ付いてくる気配もない。素面と判断して問題ないだろう。

 

ダンブルドア先生の葬儀の日にホグワーツが半壊しなくて良かったと胸を撫で下ろす私へと、器用に陽光が当たる場所を避けながらのフランが話を続けてきた。

 

「いやー、懐かしいねぇ。実はこの廊下、一回使用不能にしちゃったんだよね。入ったばっかの頃にピーブズに脅かされて、反射的に能力を使っちゃったの。三日くらいでダンブルドア先生が直してくれたんだけどさ。」

 

「……ダンブルドア先生で三日ってことは、随分と大規模に壊したみたいね。」

 

「んー、丸っきり崩落させたってわけでもないんだけどね。ひょっとしたら私の能力の所為で修復が難しかったのかも。あの頃は枷が掛かってたから制御は楽だったんだけど、壊れ方自体はあんまり変わってなかったみたいだから。」

 

「あー、そういうこと。それなら納得だわ。」

 

破壊の仕方が関係しているのか何なのか、フランが能力で壊した物には修復魔法が効き難いのだ。修復魔法は物同士の繋がりを再構築する魔法だが、フランの能力だとこう……断面がズタズタになってしまって、普通にやっても繋がってくれないのである。

 

結果として物理的に直す必要が出てくるため、よく美鈴さんが苦労しているというわけだ。フランとしても多少は申し訳なく思っているようで、困ったような半笑いで感覚の詳細を説明してきた。

 

「未だに謎なんだよね、私の能力って。パチュリーの推理によれば、『目』の潰し方で何か変わるらしいんだけど……『きゅっ』でも『ぷちっ』でも大して変わんないの。『ぐちゃっ』だと何か違うような気はするんだけど、見た目じゃよく分かんないし。」

 

「前から思ってたんだけど、『目』を認識できるのと手の中に移動させられるの、そして干渉できるのって全部別の力なんじゃないかしら?」

 

「パチュリーはそう考えてるみたい。ちなみに負担が大きいのは認識するやつだけなんだってさ。……まあ、今更どうでもいいんだけどね。寝る時以外は翼飾りも邪魔とは思わなくなってきたし。」

 

つまり、寝る時は今でも邪魔なのか。自分に翼飾りが付いていると想像してみると……うーむ、確かに邪魔そうだな。賢者の石が背中とベッドの間に挟まって痛そうだ。だからフランは寝相が良くないのかもしれない。

 

なんとも俗っぽい問題点に苦笑したところで、校長室のガーゴイル像の前に到着する。平時と変わらず校長室を守る忠実な石像へと、ハグリッド経由でマクゴナガルから伝えられている合言葉を放った。

 

「ダンブルドア。」

 

式場の準備中にハグリッドから聞いた話によれば、当代の校長が逝去するとホグワーツ自体が新たな合言葉を定めるらしい。入室するに相応しい者であれば気付けるような合言葉をだ。……不思議な城だな。魔女となって年月が経った今でも、この城を完全には理解できそうにないぞ。

 

ホグワーツ城には『感情的』な部分が多すぎるのだ。この城に存在する無数の仕掛けからは、生徒を守ろうという明確な意思を感じる。創始者たちでも、卒業生たちでも、校長でもない、ホグワーツそのものの意思を。

 

だとすれば、それはどこから生まれた意思なのだろうか? 螺旋階段を下りながら『自律』に繋がる問題について思考を回す私に、フランが思い出したように質問を送ってきた。

 

「そういえばさ、咲夜の様子はどうだった? 校庭で会ったんでしょ?」

 

「ん? ……ああ、咲夜ね。レミリアさんとフランに会いたいって言ってたわよ。」

 

「えへー、そっかそっか。私に会いたいかー。だったらシリウスの家に行く前に顔を見せてあげないとね。」

 

レミリアさんも大概だが、フランも咲夜が関わると甘々だな。ご機嫌な様子でしゃらしゃらと翼飾りを揺らしているフランは、たどり着いた古オークの扉を開く。すると中には……ふむ、揃っているな。真新しい執務机で書き物をしているマクゴナガルと、応接用のソファに座って紅茶を飲んでいるハリーの姿が見えてきた。他の家具なんかはそのままだし、とりあえず執務机だけを新調したようだ。

 

「やっほー、二人とも。」

 

「お邪魔するわよ、マクゴナガル。ハリーもこんにちは。」

 

「お久し振りです、マーガトロイドさん。フランドールもよく来てくれましたね。」

 

「こんにちは、マーガトロイド先生、フランドールさん。」

 

それぞれに挨拶を交わし合ったところで、壁に掛かった歴代校長の肖像画の中にダンブルドア先生のそれがあるのが目に入ってくる。穏やかに微笑んでくるダンブルドア先生の姿を見て、胸が少しだけキュッとなるが……過去に囚われてちゃダメだな。絵画の住人たちはあくまで助言者に過ぎない。それを忘れないようにしなくては。

 

そんな私を見てそれでいいとばかりに大きく頷いたダンブルドア先生は、一緒に描かれている安楽椅子から立ち上がると額の外へと消えて行く。別の場所にある絵に移動したらしい。

 

「……大丈夫なの? マクゴナガル。」

 

肖像画から目を離しながら一言に色々な思いを込めて聞いてみると、マクゴナガルは静かな微笑みを浮かべて首肯してきた。……強くなったな。四十年前に初めて会った時からは想像も付かないような貫禄だ。

 

「大丈夫ですよ、マーガトロイドさん。私は一人ではありませんから。……ただし、物理的な仕事の量は大丈夫ではないかもしれませんが。」

 

「それは……まあうん、困ったわね。防衛術はどうするか決まったの?」

 

生真面目なマクゴナガルがこういう言い方をするということは、本当に切羽詰っているのだろう。言葉の途中で微笑みを苦笑に変えて言ってきたマクゴナガルに、同じ表情で問いを返してみれば……彼女は額を押さえながら弱々しい返答を寄越してくる。そんなに忙殺されてるのか。

 

「防衛術に関しては校長先生が……前校長がクラスごとの詳細なカリキュラムを残してくださいましたので、暫くは専任なしでも問題ないほどです。手の空いた教師が持ち回りで授業を行うと言ってくれていますしね。……むしろ問題なのは変身術の方かもしれません。二足の草鞋を履くのがここまで難しいのは予想外でした。」

 

「まあ、暫くは色々と忙しくなるでしょうしね。……誰か変身術の授業を受け持ってくれそうな人は居ないの? 防衛術はともかく、そっちは引く手数多でしょう?」

 

「情けない話なのですが、どうも自分が担当していた教科だけに厳しく審査してしまっているようでして……その、安心して任せられる人が見つからないんです。」

 

「それはまた、貴女らしい逸話だわ。」

 

本人に自覚がある分、尚のこと何とも言えない話だな。誰か推薦できそうな知り合いは居ないかと記憶を漁る私に、ぽすんとソファに座り込んだフランが提案を飛ばしてきた。

 

「やってあげれば? アリス。マクゴナガル先生もアリスだったら文句ないでしょ?」

 

「それはもう、願っても無い話です。文句などあろうはずがありません。……どうでしょう? マーガトロイドさん。今学期の残りの期間だけお願い出来ませんか?」

 

ぬう、最初からそのつもりだったな? 本当に申し訳なさそうに言ってくるマクゴナガルに……仕方ないか。頷くことで白旗に代える。ここで断るのはあまりに薄情だ。私なら一応の教師経験はあるわけだし、新校長どのの負担も少しは軽く出来るだろう。

 

「……あくまで臨時よ? 今学期だけだからね。」

 

「ありがとうございます。これでようやく校長の業務に集中できそうです。……では、そろそろ準備に入りましょうか。」

 

ホッと息を吐きながらぺこりと頭を下げたマクゴナガルは、壁際にある半円形の戸棚に近寄るとそれを開いた。中には私も数度見たことがある『憂いの篩』が仕舞われている。……要するに、今から私たちはスネイプが遺した記憶を見るつもりなのだ。

 

無理をすればもう一人か二人くらいは見ることが出来たのだが、死者のプライバシーに関わるということで私、フラン、マクゴナガル、そしてハリーの四人でチェックすることになった。ハリーに関してはスネイプ本人が望むかは微妙かもしれないが……理由はどうあれ、彼は長年ハリーのために命を懸けて任務に臨んでいたのだ。ならば見届ける権利はあるだろう。

 

杖を振って水盆を手前に運んだマクゴナガルへと、記憶が入っているクリスタル製の小瓶を渡す。フランに手を引かれながらのハリーも近付いてきたのを確認した後、マクゴナガルは記憶を取り出しつつ確認の言葉を放ってきた。

 

「記憶を入れますよ? 篩の使い方は問題ありませんね? ポッター。」

 

「はい、大丈夫です。何度も使わせてもらってますから。」

 

「結構。……それではいきましょうか。」

 

言いながらマクゴナガルが杖で掬い取った記憶をふわりと水盆の中に落とすと、中の液体が見る見るうちに銀色に変化し始める。水面から真っ白な靄が浮かぶと同時に水底に映し出された記憶に向かって、潜り込むようなイメージで集中していくと──

 

 

 

……むう、どうやらかなり古い記憶らしいな。いつの間にか記憶の世界に入り込んでいた私の目の前に、九歳か十歳程度の黒髪の男の子がしゃがみ込んでいるのが見えてきた。背の低い植込みに隠れて何かを覗いているようだ。スネイプ、だよな? ここまで遡るのは予想外だったぞ。

 

「どこかな? ここ。」

 

「セブルスがこの姿ということは、恐らく彼が幼少期に住んでいた場所……コークワースなのでしょう。イングランド中部の工業都市です。」

 

「確か、リリーも住んでたとこだよね。……二人には悪いけど、空気が濁ってそうな感じがするよ。住みたいとは思えないかも。」

 

マクゴナガルと話しているフランの言う通り、お世辞にも住みやすそうとは言えない雰囲気だ。遠くには工場から伸びた黒煙を上げる煙突がいくつも立っていて、手前の判で押したような造りの集合住宅の壁は落書きだらけになっている。『移民は出て行け』か。この街の状況を窺わせるような落書きだな。

 

私たちの居る場所は数少ない緑がある公園らしいが……遊具は殆どが壊れており、無事なのは二つあるうちの片方しかないブランコと、錆付いて滑りそうにない滑り台だけだ。その滑り台の隣の木陰にスネイプと同世代くらいの子供が居るのが目に入ったところで、私と同じ方向に視線を向けたハリーが声を上げた。

 

「あれって……ママ? それに、ひょっとしてペチュニアおばさん?」

 

何? それを聞いてよく見てみると……確かにリリーだ。姉らしきブロンドの少女と仲良くお喋りしていたリリーは、いきなり立ち上がってラディッシュ・ブラウンの髪を靡かせながらブランコの方へと駆けて行く。スネイプはあの二人のことを覗き見ていたようだ。

 

「チュニー、見てて! 絶対できるから!」

 

「ダメだってば! 危ないわよ、リリー!」

 

「大丈夫よ! 絶対、ぜーったい出来るもん!」

 

そう言うとリリーは今にも壊れそうなブランコに立った状態で乗って、男の子顔負けの勢いで揺らし始めたかと思えば……おおう、記憶じゃなかったら絶対に止めてるな。振り子運動の頂点ですっぽ抜けるようにジャンプした。このシーンだけでもリリーがやんちゃだったことが分かってしまうぞ。

 

「リリー!」

 

ペチュニアの甲高い悲鳴が響く中、リリーは物理法則を明らかに無視した軌道で飛んでいった後、ふわりと柔らかく地面に着地する。魔法を使ったようだ。魔法族の子供特有の、本能で操る原初の魔法を。

 

「……ほらね、ほらね? 出来たでしょ?」

 

「だけど、危ないわ! それに、ヘンよ。他の人に見られたら怪しまれちゃうでしょう?」

 

「怪しまれるって、何を?」

 

「それは……その、とにかくダメなの! もうやっちゃダメ! 失敗したら大怪我しちゃうんだからね!」

 

ふむ、きちんとお姉さんしているな。リリーの手を掴んでお説教するペチュニアを新鮮な気分で眺めていると、がさりと茂みから出てきたスネイプが二人に声をかけた。誰が見ても古着と分かるぶかぶかで毛玉だらけのセーターに、丈が合っていない穴の空いた布ズボン、そして大人版スネイプよりも短い髪は適当に切った感じのボサボサ具合だ。少なくとも良好な家庭環境とは言えないらしい。

 

「ダメじゃないよ。だって君は魔女なんだ。だから、魔法を使うのは普通のことなんだよ。」

 

「誰? ……リリーに変なこと言わないで! 失礼よ!」

 

「お前には話しかけてない。僕はそっちの子に話しかけてるんだ。」

 

顔見知りというわけではないのか。妹の前に立ち塞がったペチュニアへと冷たい声色で言い放ったスネイプに、姉の裾を握り締めているリリーも口を開く。当然のことながら、明らかに警戒している表情だ。

 

「チュニーの言う通りよ。失礼だわ、貴方。私、魔女なんかじゃないもの!」

 

「違うんだ、悪口で言ったわけじゃない。僕は……僕は魔法使いなんだよ。分かるかい? 僕は君と同じなんだ。つまりその、仲間だってこと。」

 

ぎこちない笑顔を浮かべながら足元の花を摘んだスネイプは、それをリリーの方へと差し出した。花が不自然に開いたり閉じたりを繰り返しているのを見るに、スネイプも既に魔力をある程度コントロールできているようだ。

 

「まほう、つかい? ……魔法?」

 

不思議な動きを驚いたように見つめていたリリーが、呟きながら恐る恐る花へと手を伸ばしたところで……急に二人の間に割り込んだペチュニアがスネイプの持っている花をはたき落す。恐怖と、敵意を露わにした顔付きだ。僅かに使命感も覗いているな。妹を守ろうとしているらしい。

 

「気持ち悪い! ……触っちゃダメよ、リリー。この子、きっとスピナーズ・エンドの子だわ。変な病気を持ってるのかも!」

 

「……でも、チュニー? もしかしたらこの子は私と同じなのかも。」

 

「同じじゃないわよ! リリーはヘンじゃないもの。……もう行きましょう。やっぱり向こうの綺麗な公園で遊んだ方が──」

 

ペチュニアがそこまで言ったところで、頭上からべきりという鈍い音がしたかと思えば、落ちてきた太めの枝が彼女の脳天に激突した。痛みに頭を抱えるペチュニアへと、スネイプが憎しみを秘めた表情で言葉を飛ばす。

 

「一人で帰ればいいだろ、マグルめ。お前と僕たちは違うんだ。僕たちはお前なんかに出来ないことが──」

 

「チュニーに何するの!」

 

うーむ、もどかしいというか何というか。ペチュニアにもスネイプにも子供特有の不器用さが残っているな。怒鳴りながら勢いよくスネイプを突き飛ばしたリリーは、そのまま姉の手を引いて公園から出て行ってしまった。尻餅をついたままで呆然とそれを見送っていたスネイプだったが、やがて立ち上がると惨めそうな表情で地面を蹴ってから二人と逆方向に歩み去って行く。

 

「不器用だねぇ、スネイプ。」

 

「きっと同じ境遇の……魔法族の友達が欲しかったんでしょうね。」

 

哀愁漂う小さなスネイプの背を見ながら、フランと二人で感想を述べたところで……どうやら場面が切り替わるようだ。世界がボロボロと崩れて真っ白になった後、パチリとフィルムが嵌るかのように新たな場面が眼前に広がった。

 

 

 

「──に学校があるんだよ、僕たちみたいな魔法使いのための学校が。リリーも行くだろう?」

 

場所こそ同じ公園だが、さっきの場面からは結構な時間が経っているらしい。少しだけ背が伸びているスネイプの問いに、隣の縁石に座り込んでいるリリーが返事を送る。あまり良い出会いではなかったようだが、普通に話をするくらいには仲良くなったってことかな?

 

「行かないと魔法使いになれないの?」

 

「絶対じゃないけど、普通は行くよ。子供の頃は見逃されてた魔法も、大人になると勝手に使っちゃいけなくなるんだ。きちんと杖を買って、学校でルールを学ばないとね。」

 

「……でも、不安だわ。チュニーはやめた方がいいって言うの。同じ学校に入った方が楽しいはずだって。」

 

「あいつはマグルだから妬んでるだけだよ。」

 

膝に止まったトンボに視線を固定しながら吐き捨てるように言うスネイプを、立ち上がったリリーが腰に手を当てて叱り付ける。……さっきの場面でも引っかかったが、随分とマグルを嫌っているな。マグルの父親と純血の母親。他に影響を受けそうな存在はこの街に無さそうだし、家庭環境がそうさせているのだろうか?

 

「チュニーはチュニーよ。『マグル』じゃないわ!」

 

「違うよ、リリー。僕は単に『魔法使いじゃない』って意味で言っただけなんだ。……だけど、ごめん。謝るから怒らないでよ。」

 

「ん、許してあげる。……それよりセブったら、服が毛玉だらけよ? ほら、取ってあげるからジッとしてて。」

 

甲斐甲斐しく毛玉を取り始めたリリーの手を、スネイプが真っ赤な顔でやんわりと払い除けた。同時に膝に止まっていたトンボが何処かへ飛んで行ってしまう。周囲にも沢山飛んでいるし、川が近いのかもしれないな。

 

「いや、大丈夫だから。自分で出来るよ。」

 

「それに、なんだかお酒の臭いがするわ。……セブのパパ、最近もずっと飲んでるの? 服に零されちゃったとか? 何か気晴らしでもあれば明るくなるんじゃないかしら?」

 

「あの人はお酒が気晴らしなんだよ。他には何にも好きじゃないみたい。……汚くてごめん。」

 

情けなさそうに自嘲しながら呟いたスネイプへと、リリーがいきなりハグをする。花咲くような笑顔でだ。

 

「セブは汚くなんかないわ! 汚かったらハグなんか出来ないでしょ? 私は出来るもん。」

 

良い子だな。リリーがにっこり笑って言うのに、赤い顔のスネイプがおずおずと頷きを返した。

 

「……うん、リリーが言うならそうなのかも。」

 

「そうだよ! ……ホグワーツかぁ。チュニーと離れるのは嫌だけど、セブが行くなら行ってみようかな。私にも入学案内が届くと思う?」

 

「絶対に届くよ。もし届かなかったら、僕が校長先生に頼むから。」

 

真剣な顔のスネイプがそう約束したところで、再び場面が切り替わっていく。……マクゴナガルとフランはどこか寂しげで、ハリーは困ったような表情だ。三人ともこの二人の物語の結末を知っているからだろう。ハッピーエンドとは言えない結末を。

 

 

 

「知らない、知らない! リリーなんか早く行っちゃえばいいのよ! 私、寂しくもなんともないわ!」

 

ここは……9と3/4番線のホーム? 真紅の列車が停車中の見慣れたキングズクロス駅のホームで、神経質そうな瘦せぎすの女性の隣に立ったスネイプが少し遠くの言い争いを見ているようだ。女性はスネイプの母親なのだろうか? ひどく冷たい雰囲気だが、その右手はしっかりとスネイプの左手を握っている。

 

「どうしてそんなひどいことを言うの? ……チュニーがホグワーツに転校できなかったのは私の所為じゃないのに! 校長先生のお手紙にもきちんと理由が書いてあったじゃない!」

 

「どうしてそれを、どうして手紙のことを知ってるの? ……見たのね! 私の部屋に入って勝手に見たんだ! 最低よ、リリー! 最低の行為だわ!」

 

「それは……悪かったけど、でもチュニーもひどいわ! 暫く会えなくなるのにそんなこと言うなんて!」

 

「そんなの知らない! 早く『生まれそこない』たちの学校へ行っちゃいなさいよ! 清々するわ!」

 

互いに涙を流しながら言い合う二人の間に、両親らしき困り顔の男女が割り込んだ。リリーには母親が、ペチュニアには父親が諭しているようだ。その後泣き顔のリリーがトランクを持って車両に入って行くのを目にして、スネイプも母親へと別れを告げてからホグワーツ特急に乗り込む。

 

恐らくリリーを探しているのだろう。他と比べるとやや小さめの古ぼけたトランク片手に通路を進むスネイプだったが、急にギョッとした顔になったかと思えば壁際にその身を退ける。何事かと前方を確認してみると──

 

「ありゃ、私じゃん。」

 

半笑いで現在のフランが言うように、翼飾りを揺らしながらの過去のフランが通路を進んでくるのが見えてきた。服装以外の見た目はほぼ同じだが、雰囲気はやっぱり違うな。並べて見てみるとより顕著な気がするぞ。

 

「うわー、何か恥ずかしいなぁ。ここですれ違ってたんだ。全然覚えてなかったよ。」

 

「ってことは、ホームには私も居るわけね。……タイミング的にはフランがコゼットと出逢う前かしら?」

 

「そだね。この後コゼットの居るコンパートメントを見つけて、そこで初めて顔を合わせるはずだよ。……懐かしいなぁ、本当に。この私はまだ何にも知らないんだね。」

 

そして、ホームに居る私もまだ何も知らなかった。分かり易く何かに気付いたような顔になった後、何故か翼を小さく畳んだ過去のフランを感慨深い気分で見送ってから、再び歩き出したスネイプの背を追って足を進める。コゼットの姿を見たい気もするが、スネイプの記憶な以上は遠くまで離れられない。ちょっと残念だな。

 

やがてスネイプはリリーのことを発見したようで、一つのコンパートメントのドアをノックすると中へと入って行った。

 

「リリー、大丈夫? あいつと喧嘩してたみたいだけど。」

 

「……見られちゃってたんだ。恥ずかしいな。」

 

「あの……ごめん。話は聞こえなかったんだけど、泣いてたのは見えちゃったんだ。これ、洗濯したばっかりだから。」

 

そう言ってハンカチを押し付けたスネイプは、わざとらしく泣いているリリーを見ないようにしながらトランクを荷棚に載せる。未だ器用とは言い難いが、多少は気遣いが上手くなっているようだ。

 

「ありがと、セブ。……こんなはずじゃなかったんだけどな。チュニーに悪い事しちゃったのかも。」

 

「それは違う……と思う。時間を置けばきっと仲直り出来るよ。」

 

「だといいんだけど。」

 

過去の二人は知る由もないが、結果的に姉妹の亀裂は埋まらなかったわけか。沈んだ様子でリリーが返したハンカチを受け取ったスネイプは、落ち着かなさげにキョロキョロと視線を彷徨わせた後で……ぎこちない笑顔で新たな話題を繰り出した。元気付けようというつもりらしい。

 

「あのさ、リリーはどの寮に入りたいか決めたの? この前話した四つの寮。僕は変わらずスリザリンなんだけど。」

 

「うん? ……そうね、私はまだ決めてないわ。レイブンクローもちょっといいかなとは思ってるんだけど。」

 

「それは……うん、悪くはないと思うよ。でも、やっぱりスリザリンが一番じゃないかな。本物の魔法使いならスリザリンに入るべきなんだから。結束も固いし、何かあったら先輩たちが守ってくれるんだって。ママが教えてくれたんだ。」

 

一緒の寮になりたいのだろう。身振り手振りでスリザリンの良さを伝えようとしているスネイプを、なんとも微笑ましい気分で眺めていると……いきなりコンパートメントのドアが開いて黒髪の少年が顔を出した。その容姿を端的に表現すれば、ハシバミ色の瞳をした一年生の頃のハリーだ。

 

「おっ、ジェームズじゃん。この頃は本当にハリーそっくりだよね。瞳と鼻の形がちょびっとだけ違うくらいかな?」

 

「ええ、本当に。ブラックも後ろに居ますね。」

 

フランとマクゴナガルの会話を他所に、ジェームズは驚いたようにスネイプとリリーのことを見ると、ニヤリと勝気な笑みを浮かべながら口を開く。ハリーとの最も大きな違いは性格だな。

 

「おっと、これは失礼。空いてると思ったもんでね。……それと、一番良い寮はグリフィンドールだ。スリザリンじゃない。」

 

「おいおい、いきなり過ぎるぞ、ジェームズ。間違ってはいないけどな。」

 

ジェームズとブラックは出会った直後だろうに、もう意気投合しているようだ。しかしまあ、二人とも『悪ガキ感』が凄いな。ハリーも同じような感想を抱いたようで、若干恥ずかしそうにこめかみを押さえている。そしてスネイプもそう思ったらしく、僅かな敵意を滲ませながら返答を放った。

 

「……僕はそうは思わないな。」

 

「へぇ、そうか? ……まあ、そう思うんならスリザリンがお似合いなのかもな。僕は絶対にグリフィンドールに入るよ。」

 

「なら、君とはあまり関わらないことになりそうだ。」

 

「そいつは結構なことで。……行こうぜ、シリウス。もっと話の分かりそうなヤツが居るコンパートメントを探そう。急がないと列車が出ちまうよ。」

 

肩を竦めてそう言ったジェームズは、コンパートメントのドアを乱暴に閉めて去って行ってしまう。過去側の二人も現在側の四人も気まずい空気で沈黙する中、リリーが呆れたような口調でそれを破った。

 

「……失礼な人たちだったわね。気にしないほうがいいわよ、セブ。」

 

「気にしてないよ、あんなの。……だけど、やっぱりグリフィンドールは好きになれそうにないかな。」

 

つまり、これがジェームズとスネイプの因縁の始まりなわけか。いやはや、ため息を吐きたい気分になるな。スネイプがドアの方を睨みながらそう呟いたところで、出発の汽笛が鳴り響く。ゆっくりと真紅の列車が動き出すと共に、場面がまたしても切り替わった。

 


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