Game of Vampire   作:のみみず@白月

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エボニーの男 下

 

 

そして切り替わった場面は……おっと、再びホグワーツの校長室らしい。執務机に座っているダンブルドア先生の視線の先で、スネイプが部屋をうろつきながら悪態を放っている。安眠を妨げられているカゴの中のフォークスは実に迷惑そうな顔付きだ。それでもスネイプの浮かべている表情には負けるが。

 

「凡庸、傲慢、規則破り、目立ちたがり屋、怠惰。ポッターはまるであの男の生き写しです。わざわざ危険に飛び込んで周囲に迷惑をかけている。それに付き合わされる我々はいい迷惑ですよ。」

 

「じゃが、他の先生方は概ね好意的に見ているようじゃよ? 名声に驕らず、他者を尊重し、勉学への熱意もそれなりに持ち合わせていると。」

 

「ではお聞きしますが、四階の廊下の件はどうお考えなのですか? 賭けてもいい。あそこに侵入したのはポッターたちです。バートリ女史がそのことを明らかにしてくれるでしょう。」

 

ハリーたちが一年生の頃の記憶か。スネイプの『名推理』に苦笑したダンブルドア先生は、手元の紅茶を一口飲んだ後で思い出したように話題を変えた。

 

「そのことはわしの方でも考えておこう。……それより、君はバートリ女史をどう思うかね?」

 

「掴み所がありませんね。良くも悪くも嘘が上手い方だと思っています。貴方との相性が良くないのは見ていて分かりますが、ポッターの近くに潜ませるには最適な性格かと。」

 

「ふむ、君はどちらかといえば好意的に捉えているようじゃのう。」

 

「必要とあらば割り切れる方だと感じましたので。」

 

うーん……大きく間違ってはいないが、正しくもないな。リーゼ様は身内を最優先するだけであって、スネイプが思っているような割り切り方ではないだろう。『リーゼ様学』の第一人者たる私が心の中で反論するのを他所に、ダンブルドア先生は困ったように笑いながら頷きを返す。

 

「ううむ、そうかもしれぬな。……何れにせよ、四階の警戒は怠らないように。我々が気付かぬうちに掠め取られては意味がないからのう。」

 

「重々承知しております。」

 

軽く首肯して請け負ったスネイプは、そのまま校長室の出入り口へと向かって行く。その背を見ながらダンブルドア先生が物憂げな表情になったところで、記憶の世界が崩れ始めた。

 

 

 

「しかしまあ、実に興味深いね。恋愛ってやつは私には理解不能さ。『一途で献身的な愛』と言えば聞こえはいいが、言い換えれば単なる搾取だろう? そんなものを賛美する世の風潮はどうかと思うよ。」

 

おお、リーゼ様だ。どうやら魔法薬学の授業後らしい地下教室で、制服姿のリーゼ様が大鍋の中を覗き込みながらスネイプへと話しかけている。大鍋に入っているのは紫に近いピンク色の液体……低等級の愛の妙薬かな? 授業でこれを扱ったらしい。

 

器材の片付けを進めながらかなり迷惑そうな表情になったスネイプは、それでも律儀に返答を返した。他の生徒はもう出て行った後みたいだな。教室の中に居るのはリーゼ様とスネイプだけだ。

 

「私と世間話をしている暇がお有りなのですか? バートリ女史。貴女はポッターが第二の課題で溺死しないかを心配すべきだと思いますが。私としてはそんな結末も乙なものですがね。」

 

「それがお有りなのさ。『知識』に助けを求めたからね。キミにとっては残念なことに、ハリーが魚の餌になる未来は避けられたわけだ。……それよりキミ、どうして第二の課題の内容を知っているんだい? バグマンに磔の呪いをかけて聞き出したとか?」

 

「先日ディゴリーが水中での魔法植物の採集方法に関して質問に来たのですよ。泡頭呪文のことをやけに詳しく聞かれたので、恐らく第二の課題に水中での活動が関係しているのだと推察したまでです。……ディゴリーは自身の実力で解決する気のようですな。ディゴリーは。」

 

繰り返しながらこれ見よがしに胸元のバッジ……なんだありゃ。『ホグワーツの真の代表選手、セドリック・ディゴリーを応援しよう!』と書かれたピカピカ光るバッジを示したスネイプに、リーゼ様は素早い杖捌きで取り替え呪文を撃ち込んだ。即座に反応したスネイプの盾の無言呪文に防がれてしまったが、手に持っている『スピュー』と書かれた謎のバッジとすり替えようとしたらしい。一体全体何をやっているんだ? この二人は。

 

「そのバッジの流行はとうに過ぎたぞ、スネイプ。いよいよキミも流行り廃りについていけない歳になったようだね。」

 

「私は本当に気に入ったものは長く使い続けるタイプですので。そちらこそ、私のローブを何着無駄にすれば気が済むのですか? 永久粘着呪文の乱用は法で禁じられていたはずですが。」

 

「今のは単純な取り替え呪文じゃないか。お茶目な悪戯だよ。一々目くじらを立ててると子供に嫌われちゃうぞ。」

 

「『今のは』という部分に貴女の悪意が表れていますな。それに、私は子供に好かれたいとは思っていません。嫌ってくれた方が面倒が少なくて助かります。」

 

大仰にやれやれと首を振るリーゼ様と、面倒くさそうな口調を隠そうともしないスネイプ。不思議なテンポで進む二人の会話を何とも言えない気分で眺めていると、リーゼ様が話題を振り出しに戻す。バッジのことはよく分からなかったが、とにかく対抗試合の頃の記憶だというのははっきりしたな。

 

「まあ、キミが子供嫌いなのはどうでも良いよ。一目で分かることだしね。……この辺で話を戻そうじゃないか。愛とは何なんだい? スネイプ。無知蒙昧な吸血鬼に教えてくれたまえ。」

 

「何故それを薬学の教師である私に聞くのかが疑問ですな。『専門家』である校長に聞けばよろしいかと。あの方なら喜んで答えてくれるはずです。」

 

「ダンブルドアはこっちから聞かずとも勝手に語り出すだろうが。あの男の持論は聞き飽きたんだよ。……だが、キミなら面白い答えが返ってくるかと思ってね。」

 

愛の妙薬を妖力でちゃぷちゃぷ弄びながら問いかけるリーゼ様に、スネイプはさほど間を置かず返事を口にした。

 

「言葉で説明できるようなものではありませんよ。誰かを愛さなければ愛は理解できません。それが異性に対する愛であれば尚更です。」

 

「ふぅん? ……だったら分かり易く例を出そうじゃないか。あるところに一人の哀れな男が居たとしよう。男はずっと幼馴染の女性に片想いをしていたが、結局彼女は振り向かずに他の男と添い遂げた。その後紆余曲折あって女性は死に、男は彼女の遺児を守り続けている。……どうかな? 男は愛さなければ良かったと後悔していると思うかい?」

 

「……その話を聞いて先ず思うのは、貴女の性格が捻じ曲がっているということですな。」

 

「んふふ、自覚してるよ。」

 

クスクス笑いながら肩を竦めたリーゼ様は、徐にボコボコと沸騰する愛の妙薬に浸した指先をぺろりと舐めると、顔を顰めて続きを語る。美味しくはなかったらしい。

 

「しかしながら、気になって仕方がないのさ。キミは何ら利益を得ていないじゃないか。あまりにも一方的すぎるとは思わないのかい? 私ならそんなもん絶対に御免だぞ。」

 

「……『男』は利益を得ています。彼女に出逢って、親しくなれた。たとえ振り向いてはくれなくとも、男の記憶にはそんな日々が残っている。それは充分すぎるほどの利益だと言えるでしょう。」

 

「分からんね、さっぱり分からん。全然釣り合ってないじゃないか。」

 

「『それ』の価値は人それぞれだということですよ。……貴女とてスカーレットやマーガトロイド女史に頼まれれば頷くでしょう? そこに対等な対価を求めたりはしないはずです。」

 

スネイプの言葉を受けたリーゼ様は動きを止めて考えた後、素材棚に移動して一つのビンを手に取りながら口を開いた。ビンの中では乾いたピクシーの羽がかさかさと揺れている。

 

「ふむ、それには同意しよう。フランやアリスが相手であれば、私は対価など求めないはずだ。何故ならその二人は私にとって身内だからね。……んー、難しいな。私が言っているのはそういうことじゃないんだよ。私はフランやアリスに惜しみなく与え、彼女たちも返してくれるからこそこういう関係になったわけだろう? だが、キミとリリー・ポッターは違うじゃないか。キミは与え続け、彼女はそれを受け取り続けている。死した後でさえもね。」

 

「一概にそうであるとは頷きかねる認識ですが、仮にそうだとして何か問題がありますか?」

 

「私にとっては問題ないし、むしろ好都合とすら言えるよ。今聞きたいのはキミの主観の方だ。……リリー・ポッターでなければよかったとは思わないのかい?」

 

ぬう、さすがリーゼ様。ズバズバ言うな。……とはいえ、スネイプも別に怒っているという雰囲気ではない。ダンブルドア先生と話している時よりも自然体な気さえするくらいだ。スネイプとリリーの関係にもやけに詳しいみたいだし、ひょっとしてこういう会話を時折していたのだろうか?

 

「貴女は本当に遠慮というものを知らない方だ。古い友人のことを思い出しますよ。……そんなことは一度たりとも考えたことがありません。リリーで良かったと今でも思っています。」

 

「うーん、やっぱり分からんな。友愛と家族愛は理解できるが、恋愛と無償の愛についてはさっぱりだ。」

 

「四種の愛ですか。……そもそも、そうやって筋道立てて論ずるものではないと思いますがね。愛とは学ぶものではないはずです。である以上、理論的な説明など不可能でしょう。」

 

「そりゃあそうかもしれんがね、最近の私は色々と思うところがあるのさ。……まあまあ面白かったよ、スネイプ。あの爺さんの説教は綺麗すぎて呑めたもんじゃないが、キミの話は味に深みがあって私好みだ。眠れない夜はまた呑みに来るよ。」

 

最近はあまり見せない吸血鬼の笑みで言うリーゼ様に、スネイプは眉間を押さえながら短く応じた。

 

「では、私は貴女の快眠を祈るべきですな。」

 

「おお、酷い台詞だね。実際のところ、キミは一年生の頃から私の質問を拒まないじゃないか。実は聞いて欲しかったりするのかい?」

 

「……私が貴女に話すのを躊躇わないのは、貴女が私とリリーの関係に大した興味を持っていないからです。度々聞きには来ますが、本音で言えばどうでも良いのでしょう?」

 

「おや、だとしたら怒るかい?」

 

地下通路に続くドアまで歩いてからくるりと振り返ったリーゼ様へと、スネイプは回収したレポートらしき羊皮紙の束を整えながら答えを送る。

 

「その方が気楽に話せるのですよ。校長は私を哀れみますが、貴女は私を本心から哀れんではいない。そして私は同情してもらいたいわけでも、慰めてもらいたいわけでもありませんから。」

 

「んふふ、よく分かってるじゃないか。吸血鬼に何を語ろうが無駄なのさ。神だったらお為ごかしの赦しだったり慰めだったりをくれるかもしれんがね。私たちはただ適当に聞き流すだけだよ。」

 

「……ポッターたちへの態度を見るに、最近の貴女は吸血鬼らしくなくなってきているようですが?」

 

「おおっと、そこまでだ。私は暇潰しにキミの話を聞きたいから残っただけであって、身の上相談をしたいわけじゃないんでね。余計な話題に移る前に失礼させてもらおうか。」

 

言うとさっさと教室を出て行ってしまったリーゼ様にため息を吐いた後、スネイプは無言で授業の片付けに戻った。……うーむ、奇妙な関係だな。お互いにそこまで興味がないからこそこういう話を出来るということか。

 

 

 

再び場面転換。……ふむ、今度は見覚えのない室内だな。豪奢なシャンデリアに照らされた壁いっぱいに本棚が並ぶ部屋で、黒いソファに座っているスネイプが向かい側の男女と話している。家具の一つ一つが高価そうな見た目だ。どことなくブラック邸に似た雰囲気があるかもしれない。

 

「セブルス、私は魔法省に投降する。これ以上帝王に従っていては家を疲弊させるだけだ。ドラコの将来も地に落ちるだろう。……そうなる前にスカーレットらにありったけの情報を差し出し、見返りとして息子の安全を求めるつもりだ。」

 

「……何故それを私に告げるのですか? ルシウス。投降すると言うのであれば、貴方は誰にも相談せずにひっそりと行動すべきでしょう?」

 

「私には責任があるからだ。お前を巻き込んだ責任が。だから一言断っておこうと思ってな。……それに、閉心術に長けたお前であればこの会話のことも隠せるだろう。」

 

相手はマルフォイ夫妻か。疲れたような笑みで言うルシウス・マルフォイへと、スネイプは僅かに顔を歪ませながら忠言を放つ。

 

「帝王は貴方の裏切りを決して許さないはずです。」

 

「分かっている、私は近いうちに死ぬだろう。もしかしたら妻も死ぬかもしれない。……だが、スカーレットと上手く交渉できればドラコは死なずに済むはずだ。」

 

「仮に帝王が勝利しても、魔法省が勝利しても、マルフォイ家は『裏切り者』の汚名を着せられることになりますよ?」

 

「自分でも意外なことに、今の私にとって一番大事なのは家ではなく息子なんだ。……死を前にしてようやく気付けたよ。愚かしいと思うかね?」

 

気付くのが遅かったという意味なのか、それとも家を最優先できないことを言っているのか。私は情けなさそうな微笑みの真意を読み取れなかったが、スネイプには分かったらしい。ゆっくりと首を横に振って返事に代えると、ルシウス・マルフォイに向かって静かに語り始めた。

 

「学生時代からずっと、貴方は半純血の私の後ろ盾になり続けてくれました。そのことには深く感謝していますし、死喰い人に入ったのは私の選択です。一切恨んでおりません。……ただ、この機会に一つだけお聞きしたい。どうして貴方は私を守り続けてくれたのですか? 貴方が私と共にホグワーツで過ごしたのはたった一年だけだったのに。」

 

本当に疑問だったのだろう。心底分からないという表情で問いかけたスネイプに、ルシウス・マルフォイは困ったような苦笑を返す。

 

「お前の努力を惜しまぬ性格を気に入ったというのが一つ。口の堅さを評価したというのが二つ目。そして三つ目の理由は……お前がスリザリンに組み分けされた後、私の隣に座ってきたからだ。」

 

「……座ったから、ですか。」

 

「奇妙な理由だと思うかね? ……私も思うよ。だが、本当にそれだけなんだ。あの歓迎会の日、どこか沈んだ表情で私の隣に座り込んできたお前を見て、何故か気にかけてやろうという気持ちになった。切っ掛けなんてそんなものだ。……そして、結果として私は信頼できる友を得ることが出来た。我ながら良い選択をしたものだと今では思っている。」

 

「それはまた、奇妙な話ですな。実に貴方らしい。」

 

言うスネイプも、ルシウス・マルフォイも、その隣のナルシッサ・マルフォイも笑みを浮かべている。穏やかな笑みを。……こんな表情もするんだな。それぞれの複雑な立場を感じさせないような柔らかい空気だ。

 

暫くそんな雰囲気を噛み締めるように黙っていた三人だったが、やがてナルシッサ・マルフォイがスネイプにおずおずと話しかけた。

 

「セブルス、一足先に楽になる私たちを赦してください。そして不躾な願いだとは分かっていますが、私たちが二人とも死んだ時はドラコのことをお願いしたいのです。」

 

「私も生き残れるとは限りません。」

 

「それでも私たちよりは可能性があるでしょう。……マルフォイ家を食い物にしようとせず、ドラコのことを想って守ってくれそうなのは貴方だけなのです。こうなってみて初めて本当に頼りになる友人がどれだけ少ないのかを実感しました。」

 

「セブルス、私からもお願いしたい。出来る範囲で構わないんだ。ドラコのことを気にかけてやってくれないか? 最悪の場合、あの子はイギリス魔法界の中で孤立することになってしまうだろう。……私には妻が居たから耐えられたが、ドラコが同じような存在と出逢えるかは未知数だ。どうか見守ってやって欲しい。」

 

頭を下げるマルフォイ夫妻に対して、スネイプは何かを口にしようとするが……自嘲するように小さく首を振った後、二人に向かって承諾の返答を飛ばす。

 

「分かりました。私も長く生きられる保証はありませんが、出来る限りのことはしましょう。」

 

「ありがとう、セブルス。」

 

「感謝するのは私の方です、ルシウス。……貴方が生き残れることを祈っておきます。」

 

「そうだな、まだ死ぬと決まったわけではない。全てが終わって生き残っていたら、三人で……いや、ドラコも一緒に四人で酒でも飲もう。その日が来ることを祈っておくよ。」

 

ルシウス・マルフォイが笑顔でそう言ったところで、記憶の世界がボロボロと崩れ落ちていく。……結局この中で生き残ったのはナルシッサ・マルフォイだけだったわけだ。少しだけ切ない気持ちになるな。

 

 

 

「セ、セブルス、どうして? どうしてこんな──」

 

「放っておけばお前は自分の腕に絞め殺されていたのだ、ペティグリュー。先ずは命を救った吾輩に感謝すべきだと思うがね。」

 

おおう、いきなり刺激の強い場面だな。石造りの古ぼけた小部屋の中で、肩口から血を流すペティグリューにスネイプが魔法薬らしき液体をぶっかけている。ペティグリューがホグワーツに逃げ込んでくる直前か。かなり最近の記憶までたどり着いたらしい。

 

痛みに涙を浮かべながら嗚咽を漏らすペティグリューに、スネイプは無表情で事務的に治療しながら話を続けた。本当はやりたくないですと今にも口にしそうな雰囲気だ。

 

「治療が終わったらすぐに変身してここを離れろ。そしてホグワーツに向かい、ダンブルドアに伝えるのだ。吾輩の状況と帝王がヌルメンガードに潜んでいるということをな。」

 

「だけど、その……私はどうなる? 捕まってしまうのか? つまり、アズカバン行きになってしまうんじゃ?」

 

「では、また逃げるのかね? 世界のどこかでネズミとして生き、下水の中で一生を終えるのか? ……覚悟を決めろ、ペティグリュー。腕がこうなった以上、帝王はお前の裏切りに気付いているはずだ。他に道があるのであれば聞かせてもらおうか。」

 

「それは……うん、そうだな。それに、もしこの情報を伝えれば許してもらえるかもしれない。もう十五年も前の──」

 

ペティグリューが半笑いでそこまで言ったところで、スネイプはくるりと背を向けながら遮るように指示を出す。……ペティグリューには見えていないようだが、その顔は隠し切れない憎しみで染まっている。彼にとっては『もう十五年も前』の話ではないのだろう。

 

「お前たちが学生時代に作った忌々しい地図はここにある。何かに使えるかもしれん。持っていけ。」

 

「わ、分かった。……でも、君は大丈夫なのか? ご主人様に疑われるんじゃ?」

 

「吾輩は上手くやってみせる。しかし、そう長く持たないであろうことは校長に伝えてくれ。……もう行け、ペティグリュー。時間が無いぞ。」

 

厳しい表情で促したスネイプに従って、慌てて頷いたペティグリューはネズミに変身すると地図を咥えて部屋の外へと飛び出して行く。無感動な顔でそれを見送った後、スネイプは隅に置いてあった小さな丸椅子に腰掛けた。

 

「……ここからが私たちにとっての謎なんだよね?」

 

「そうなるわね。」

 

ジェームズの死を見てからずっと黙っていたフランへと、私が首肯を返したところで……リドル? ゆったりとした歩調のリドルが部屋の中に入ってきた。当然ながらまだ新たな分霊箱は作っていないようで、青白い身体の各所は無事なままだ。いやまあ、それでも異形ではあるが。リーゼ様風に言えば『トカゲ人間』の状態だな。

 

闇の帝王の姿を見て即座に立ち上がったスネイプに、リドルは左手に持った杖を親指で撫でながら口を開く。右手のローブの先端は私の所為でひらひらと頼りなく揺らめいている。こういう場合、少しは申し訳なく思うべきなのだろうか?

 

「セブルス、小鼠めは情報を伝えに行ったようだな。」

 

「予想通り簡単に転びました、我が君。これでダンブルドアは慌てて攻め込んでくるでしょう。」

 

「全て計画通りというわけか? 頼もしい言葉ではないか。……俺様を裏切ってはいないだろうな?」

 

開心術か。前半と後半でがらりと声色を変えた後、覗き込むように目を合わせたリドルに対して、スネイプは真正面からそれを見返した。暫くの間探るように見つめていたリドルだったが、やがて視線を外すと小さく鼻を鳴らす。

 

「ふん、相変わらず空虚な心だ。お前の中にあるのはポッターへの憎しみだけか。」

 

「その通りです、我が君。」

 

「だが、マグル生まれの妻を殺したのは俺様だぞ? お前はあの女が欲しかったのではないのか? ヴォルデモート卿が憎くはないのか?」

 

「何度もご説明申し上げたように、私はマグル生まれの女などにいつまでも拘ったりはしません。あの女が欲しかったのは、それがポッターの持ち物だったから奪ってやりたかっただけです。……それよりも、これでいよいよ計画が進行します。老いたダンブルドアはポッターの息子を連れて貴方を殺しにやって来るでしょう。それがこちらの罠だとも知らずに。」

 

再び瞳を覗き込んできたリドルに淡々と答えたスネイプは、異形の顔を直視したままで自分の願いを口にする。……なるほど、スネイプはこうやってリドルに本当の役割を隠し続けたのか。ジェームズへの憎しみを前面に出すことで、その後ろに潜ませたリリーへの愛から目を逸らさせたわけだ。閉心術師として一流の彼だからこそ可能なやり方だな。見事だと思う反面、ちょびっとだけ悲しい気分にもなるが。

 

「どうかポッターの息子を殺していただきたい。それで私の復讐は完遂します。」

 

「言われずとも殺してやるとも。全ての懸念を潰してから俺様は『次』へと進むのだ。ついでにあの忌々しい老人の息の根も止めてやろう。……とはいえ、それに固執して『次』への道を断つつもりはないぞ。」

 

「例の策ですか。全てを話してはいただけないので?」

 

「俺様は誰かを信じるほど愚かではない。お前に話す必要があるのであれば、然るべき時に話してやろう。……裏切るなよ? セブルス。俺様は常にお前を見張っているぞ。」

 

疑心を露わにして言ったリドルは、深々と頭を下げるスネイプを背に部屋を出て行った。足音が遠ざかり、聞こえなくなった後もずっと頭を下げ続けていたスネイプは……一分近くもそうしていた後、ようやく顔を上げる。憎悪の感情をありありと浮かべた顔を。

 

 

 

「破れぬ誓いを?」

 

そして、次の場面は先程より少し広い石造りの部屋の中だった。松明に灯る緑色の炎に照らされているのはスネイプとリドル、ストライプスーツ姿のエバン・ロジエールの三人だ。窓の外には不自然なほどの漆黒が広がっているのを見るに、どうやらヌルメンガードの戦いが始まった直後らしい。

 

無表情で放たれたスネイプの問いを受けて、薄ら笑いを浮かべたリドルが頷きながら返答を送る。

 

「そうだ、破れぬ誓いを結んでもらう。この俺様とな。」

 

「我が君、私は貴方を裏切るつもりはございません。その上で聞いていただきたいのですが、万が一私が誓いを破れば貴方も共に死んでしまいます。賢明な策とは言えないかと。」

 

「分かっていないな、セブルス。それこそが俺様にとってのメリットなのだ。……今から俺様は新たな分霊箱を作る。俺様にとって最後の分霊箱を。その後この身体は魂を引き裂いた衝撃に耐えられず、緩やかな崩壊へと向かうだろう。身体が崩壊し切る前にダンブルドアと予言の子を殺し、俺様は『次』へと向かうわけだ。」

 

説明しながらコツコツと靴音を鳴らして部屋の隅まで歩いたリドルは、そこで蠢く黒い布袋をジッと見つめて続きを語る。……布袋の方から微かにくぐもった声が聞こえてくるな。入っているのは人間か。

 

「だが、俺様は全てが上手く運ぶなどと妄信していない。ヴォルデモート卿はそこまで愚かではないのだ。分かるだろう? エバン。」

 

「その通りでございます、我が君。」

 

「故にセブルス、俺様とお前は破れぬ誓いを結ぶのだ。新たな分霊箱を守り、その在処を決して他言しないという誓いをな。……恐らく敵方の指揮官はスカーレットだろう。あの愚かな蝙蝠はお前がまだ味方だと思っている。それはつまり、死喰い人の中でお前だけがこの暗闇の檻から出られる可能性があるということだ。分霊箱を手にしたままでな。」

 

「……全てが終わった後で私がスカーレットめに分霊箱を渡すとでも?」

 

心外だという声色で呟いたスネイプに対して、リドルは満面の笑みで返事を返す。たがが外れたような、ひどく原始的なものを感じさせる笑い方だ。

 

「そうではないぞ、セブルス。そうではないのだ、我が忠実なる友よ。俺様はお前の働きに満足している。このままズルズル進んだところで、『今回』はもう何一つ得られなかっただろう。しかし、お前の働きのお陰でダンブルドアとハリー・ポッターを殺せるようになった。俺様は全ての懸念を潰してから『次』に進めるようになったのだ!」

 

大仰な手振りを交えつつそこまで言ったリドルは、ストンと笑みをかき消して言葉を繋げる。後に残ったのは蛇のような無表情だ。

 

「だが、俺様は何度も信頼を踏み躙られた。ルーサー、サディアス、ザガリー、そしてルシウスまでもが偉大なるヴォルデモート卿を裏切った! 小物を加えれば裏切り者の数は膨大な量だ! ……俺様はもはや死者しか信じられない。ベラ、コーバン、ロドルファス、アミカス、フレデリック。俺様に忠義を尽くして死んでいった者しか信じられないのだ! それを不満に思うか? セブルス!」

 

「……とんでもございません、我が君。用心深くなるのは当然のことかと。私はただ裏切り者どものことを憎むばかりです。」

 

「ああ、素晴らしい答えだ。お前がヌルメンガードを無事に出た暁には、スカーレットやダンブルドアに尻尾を振って生き延びた虫けらどもに礼をしに行ってくれることを俺様は確信している。……それでも俺様は安全策を講じねばならなかった。だから誓いが必要なのだ。破れぬ誓いが。アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

話の途中で急に振り返ったかと思えば、リドルは黒い布袋の方へと死の呪いを放つ。布袋から聞こえていた呻き声がピタリと止んだところで、リドルは膝を突いて苦しそうな、それでいてどこか恍惚としているような叫び声を上げた後……立ち上がって懐から取り出した何かをスネイプのローブのポケットに差し込んだ。魂を裂いたのか。

 

「さあ、左腕を出せ。エバンが結び手をやる。」

 

「……かしこまりました。」

 

差し出された青白い手首をスネイプが握るのと同時に、リドルもスネイプの手首を掴む。それを見たロジエールが進み出て、交差する腕の中心に杖を置いた。

 

「では、誓いの内容を確認させてもらおう。セブルス、お前は今闇の帝王から渡された分霊箱を誰にも見せずに守り抜き、ヌルメンガードを出た後は自分が考え出した最良の隠し場所に隠すことを誓うか?」

 

「……誓おう。」

 

「この契約について他言せず、分霊箱の隠し場所を死ぬまで内に秘め、もし暴かれそうになった時は命を懸けて抵抗することを誓うか?」

 

「誓う。」

 

「結構。……我が君、契約の内容に異存はございますか?」

 

「問題ない。これで結べ、エバン。」

 

リドルの許可を得たロジエールは、こくりと頷くと腕に絡み合った光の鎖に錠をするように杖を捻り、やがて鎖が融け入るように腕の中へと消えていったのを確認してから杖を下ろす。……破れぬ誓いが結ばれる瞬間を見たのは初めてだ。思っていたよりもずっと呆気ないな。こんな簡単に命を担保に出来てしまうのか。

 

そして握っていた腕を離したリドルは、自分の左腕を見つめるスネイプへと話しかけた。酷薄な笑みを浮かべながらだ。

 

「お前が誰かにその分霊箱のことを話せば、その瞬間お前と俺様は死ぬ。破壊した時も同様だ。そして俺様が万が一ダンブルドアに敗れた時や、あの老人の思惑通りハリー・ポッターと相討ちになった時も俺様は死ぬ。忌々しい蝙蝠どもが殺しに来た時や、何もしない内に身体が崩壊した時もそうなるだろう。……だが、どの道を辿っても本当の意味で俺様は死なない。お前は俺様の『カナリア』となったのだ。」

 

……そういうことだったのか。新たな分霊箱に何かがあれば、誓いを破ったスネイプと共にリドルは死ぬ。ハリーという分霊箱を残したままで。最悪ハリーとダンブルドア先生を殺せなくとも、自らの『命』を守ることを優先したわけだ。

 

恐らく、リドルはハリーとダンブルドア先生を殺した後にすぐさま自死するつもりだったのだろう。現世に留まる際、分霊箱が必要になるのはアンカーとして機能するその一瞬だけだ。……だからスネイプは同時に破壊することに拘ったのか。ハリーを殺した後ではスネイプの分霊箱が残り、先にスネイプが破壊してしまえばハリーが残る。リドルは最後に最悪のなぞなぞを残していったらしい。打ち破るにはスネイプの命が必要になるなぞなぞを。

 

どこまでも往生際が悪い嘗ての友人にため息を吐く私を他所に、リドルはスネイプの顔を覗き込みながら話を続けた。

 

「俺様は復活の危険性をよく理解している。分霊箱での復活はこれで最後になるだろう。『次』で新たな方法を模索するつもりだ。……セブルス、俺様が復活するまでにスカーレットらに探りを入れておけ。あの連中はもっと効率的な方法を知っているはずだ。いいな?」

 

「お任せください、我が君。」

 

となると、スネイプを新たな分霊箱の守護者にするのは単なるおまけなのだろう。徐々に皮膚の各所が黒ずんできたリドルを横目に考えていると、ロジエールが丸椅子に置いてあったボーラーハットを手に取って口を開く。

 

「それでは我が君、私は指揮を執りに下へ行ってまいります。そろそろ魔法省の無能どもが中庭に到着する頃でしょう。盛大に歓迎してやらなければなりません。」

 

「ダンブルドアとハリー・ポッターは疑われないように展望台へと誘導しろ。ハリー・ポッターを殺せるのは俺様だけだ。そして、ダンブルドアはこの手で殺す。……残りの小物はお前に一任するぞ。」

 

「お望みのままに。」

 

芝居じみた動作で一礼したロジエールがドアへと歩いて行くのに、リドルが思い出したように追加の言葉をかけた。態度も、声色も、口調も変わっていないが……何故か僅かな人間味を感じさせるような雰囲気だ。

 

「……長らくご苦労だった、エバン。最期に俺様のために多くを殺して、そして誇り高く死んでくれ。」

 

「そのお言葉、身に余る光栄でございます。我が身続く限り魔法省の走狗どもを殺し、貴方様の部下として恥じぬ死に様を演じてみせましょう。いつの日かヴォルデモート卿が魔法界に戻ってきた時、より多くの魔法使いたちの畏怖を手に入れられるように。」

 

これも一つの忠義か。薄っすらと笑いながら帽子を胸に当てて大仰な礼をしたロジエールは、そのまま軽い足取りで部屋を出て行く。リドルはパタリと閉じたドアを無言で暫く見つめた後、スネイプに向き直って指示を飛ばした。

 

「俺様の真実を知って尚この城を生きて出られるのはお前だけだ。全てを覚えておけ、セブルス。そして密やかに伝えるのだ。ヴォルデモート卿は戻ってくると。また忠実な部下を手に入れ、全てを支配しに戻ってくると。魔法界に俺様の名を決して忘れさせるな。」

 

「必ず。」

 

「では行くのだ。適当な部屋に入って自分を痛め付け、スカーレットには拷問を受けて閉じ込められていたとでも言っておけ。俺様はしもべの働きに報いる。復活した後で地位と名誉、望むだけの財産を与えてやろう。」

 

「我が君が復活するのであれば、それに勝る褒美などございません。地盤を整えて待っております。いつまでも。」

 

深々と頭を下げながらそう答えたスネイプは、満足そうに頷くリドルを背にドアを抜けて、杖明かりを灯してヌルメンガードの廊下を歩き出す。そうして暫くの間歩き続けていたスネイプだったが、唐突に廊下の途中で立ち止まると杖明かりを消して小声で話し始めた。

 

「私の遺産は全てドラコ・マルフォイに相続してください。死後の名誉も、下らないマーリン勲章も望みません。……ただ一つだけお願いしたい。もし私の働きに報いてくれるのであれば、どうか墓はリリーが眠っている場所の近くに。彼女の墓が見守れる場所に。それだけが私の望みです。これを見ているのが誰なのかまでは分かりませんが、ここまで見たのであればその理由が分かるはずだ。」

 

記憶の傍観者に対する遺言か。……真っ暗闇の中で呟くスネイプは、一体どんな顔をしているのだろうか? どんな想いで最期のあの瞬間、自らの命を犠牲にして分霊箱を破壊したのだろうか?

 

ハリーも、フランも、マクゴナガルも、そして私も。無言で押し黙ったまま暗闇の中で立ち尽くしていると、記憶の世界が崩壊すると共に身体が上へ上へと引っ張られていく。全ての記憶を見終わったようだ。報われない愛だと知りながら、それを最期の一瞬まで貫いた男の物語を。

 

遠ざかる記憶の世界を見つめながら、アリス・マーガトロイドはどうしようもない切なさを感じるのだった。

 


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